14話 聖女、保護される
さすがに怒られました。なんでわたくしが怒られなきゃいけないのかわからないですけれども。王様の部下みたい人が来て、なんか難しい文言を書面を見ながら読み上げました。内容としては『おまえが断れるわけないだろ、立場考えろ』ていう感じです。王命ですからね。わかっておりますわよ。でも嫌です。王命だって言えばなんでも通ると思ったら大間違いです!
そんな風に考えているのが筒抜けだったんでしょうか。元からわたくし、アニークに関する功績を称えて勲章をもらえる予定だったんですけれど、その日付が早まったそうです。それでおとなしくしておけっていうわけですわね。お菓子を与えたおこちゃまですかわたくしは? わかってないですね、てんでだめです。わたくしのお菓子は! 酒ですわよ! 酒よこせ! 断酒つらい! 助けて!
――と思っていたら、意外な方から訪問を受けました。
「お久しゅうございます、アニ様」
美しい所作で淑女の礼をされる銀髪の美女は――水の聖女であらせられる、ミューリア様です。公爵令嬢なだけでなく、未来の王太子妃様です。わたくしとはなにもかも、こう、格とかなんか魂の色とか、そういう感じのなにかが違っていらっしゃる方ですわね。わたくしもいちおう礼の型を取って「お立ち寄りくださいましてありがとう存じます」と申し上げました。けれど、ミューリア様を前にしたらお遊戯みたいなんですのよねえ。
「お元気そうでようございました」
「ミューリア様も。お変わりございませんか?」
テーブルに着いてとっても高級なお茶をいただきながら、当たり障りのないあいさつを交わします。聖女になって、なんだかんだわたくしも復権したのでミューリア様とは立場的には同等なんですけれども。でも、こう、なんか。なんかやっぱり違いますのよ。カップを持つ手が小指立っちゃう感じ。わかってくださいまし。
それなりに緊張しているわたくしを尻目に、ミューリア様は茶の香りへ好評を述べました。そしてキレイな笑顔で切り出されました。
「アニ様。今とてもたいへんな状況でいらっしゃいますわね?」
どういうご用事なんでしょうか。わたくしはそれに対して「ええ、憚らずに申し上げますと、そうですわね」と返しました。どうせわたくしの動向なんて、筒抜けですもの。実際に軟禁状態で、望まぬ婚約を強いられていて。これが、叙勲させようっていう人間への栄誉ある扱いだって言うんですから、笑ってしまいます。
ミューリア様はすべて腹に収めている笑顔でパン、とひとつ手を叩きました。それだけで、メイドさんも、入り口に立っている兵士さんも部屋の外へ出て行きました。なにそれ今度わたくしもやってみたい。そして、だれもいなくなったのを確認したミューリア様は「わたくしの実家、マリウム公爵領へいらっしゃいませんこと?」とおっしゃいました。
「……え? わたくしが、ですか?」
「ええ、アニ様が」
「なぜでしょう……?」
「あなたは、今ご自身が製薬業界からどう思われているか、ご存じ?」
斜め方向から話が飛んで来ました。製薬業界。さっぱり。わたくしは「さあ、どうでしょう。わたくし、そちらの知識はまったくございませんの」と正直に申し上げました。
「表向きは、もちろん画期的な新薬の立役者として、とても良い評判を得ていらしてよ。アニークはすばらしいお薬です。あなたが叙勲された後は、イキュア・クリアス研究所は王室御用達の銘を戴く予定ですし」
「まあ! それは本当ですか⁉」
思わず立ち上がってしまいましたわ! よかったですわね、キコールさん! 喜びがこぼれてしまったわたくしを、ミューリア様は微笑ましそうにご覧になりました。
「でもね、アニ様。それにはやっかみも着いて参りますのよ。……この意味は、おわかりになりますわね?」
すっと、背筋が冷えました。……そうですわね。言われて気づくだなんて、わたくしも少し平和ボケしてしまったのかしら。突然台頭してきた成り上がり者を、よく思わない人は、多くいます。
わたくしは、王宮女官として働いた数年間と、聖別されたその後を思い出しました。
あのころ、いっしょに働いていて、友人だと思っていた人たち。……今、だれひとりとも交友がありません。いろいろありました。そういうこと、なんでしょう。
ミューリア様にも、そんなごたごたってあったのかしら。ちょっとだけそう思いました。だって、生まれながらに完璧だと思える方で、嫉妬なんてする方がおかしい立場にいらっしゃいますから。それはそれで、わたくしにはわからない苦労がありそうですけれども。
「イキュア・クリアス研究所へは、マリウム公爵家から出資いたします。そして、アニ様。あなたは、行儀見習いの体で当家へいらしてほしいの」
「行儀見習い」
「ええ。別名、花嫁修業ですわね」
にこにこ、にっこり。邪気なくミューリア様はおっしゃいましたが、わたくしは脱力して椅子へ座りました。ああ、この方もわたくしと第五王子・マインサム様を、くっつけようとされるんですのね、と。
「――ミューリア様。ひとこと申し上げたく」
「はい。なんでもおっしゃって」
「わたくしは、マインサム様と、いっしょになりたくはないのです」
はっきりと述べました。ミューリア様は少し考える素振りをされてから「存じ上げておりましてよ。婚約の成文書を、破いてしまわれたんですってね」と楽しそうにおっしゃいました。なんですの。知っていてそう言うんですの。
「あなたの意志は尊重いたします。そして、もちろんマインサム様のもね。彼も、あなたとの成婚は望んでいないそうですのよ」
「まあ、お話になったのですか?」
「ええ。わたくしの婚約者の同母弟ですので。懇意にしております」
そういえばそうでした。マインサム様のお母様って、王太子殿下のお母様。要するに正妃様です。親しくされていてもおかしくないですわね。むしろ幼馴染とか、そんな感じではないかしら。
わたくしは、ますますミューリア様のおっしゃる内容の意味がわからなくなりました。だって、なんでそんな風に、わたくしを支援するんでしょう。マインサム様の結婚を後押しするわけではなく、わたくしを援助する意味ってあります?
「あなたを保護するには、今はマインサム様との婚約が……隠れ蓑が必要なのです。少しの辛抱ですわ。もちろん、当家へいらした際には、たくさん学んでほしいですけれども」
「あの、ミューリア様。もう一度お尋ねしてよろしゅうございますか?」
「なんなりと」
たおやかな笑顔でミューリア様はわたくしをご覧になりました。わたくしは、少し迷って、そして言葉を飾らずに申し上げました。
「あの……どうしてわたくしを援助してくださるのですか。イキュア・クリアスの件があるとしても、マリウム公爵家がわたくしを保護する理由がわかりません」
ミューリア様は、その質問を予期されていたのか、穏やかな笑顔を崩されませんでした。そして「まず、わたくしのかわいい義弟、マインサム様からの要請があったからです」とおっしゃいました。
「マインサム様から?」
「ええ。彼は、あなたを傷つけたいと思っているわけではなくてよ。言葉足らずで、よく行動が先んじてしまうから、とても誤解されやすいけれど」
そうなんですね。わたくしへは言葉足らずどころか、この前が初めての会話でしたが。孤児院時代にいただいていた手紙は、あんなに雄弁だったのに。そう思ったとき、ちょっとだけ、胸がつきんと痛みました。
ミューリア様は言葉を続けます。
「それにね、アニ様。わたくし、あなたにとても興味があるの」
「……わたくしに? ミューリア様が?」
「ええ」
そして、花が咲いたみたいにほほ笑まれました。
「わたくし、あなたが大好きですのよ。お友だちになれたらうれしいわ」