12話 王子様と聖女
まだ立ち上がる許可はありません。わたくしがそのままでいると「近くへ」と王様がおっしゃいました。お言葉の通り、もう少し傍へ寄って、そこに立ちました。ここは、王様への直答が許される位置です。
「このたびのそなたの活躍、聞き及んでいる。栽培の難しい花を根付かせ、赤面熱の薬を作ったと」
「畏れ多いことでございます。微力ながら、わたくしは土に種を与えたのみで、すべては自然の力が働いてのこと」
「しかし、そなたの権能と理力を用いたのであろう」
「……さようでございます」
「そのおかげで、我が妃も長い患いより解かれた」
「あなたには、本当に感謝しています」
王様の言葉を受けて。向かって左側にいらっしゃる、めっちゃくちゃ色っぽい女性がちょっとだけ異国なまりの言葉でおっしゃいました。第四妃のソアー=ミクータ様ですね! そして、右側にいるのは、もしかしなくても……。
わたくしは「もったいないお言葉でございます」ともう一度頭を下げました。
「かしこまらなくともよい。そなたはこの国にとっての宝であり、わたしにとっても宝となる者だ」
――そこまで言われて、ああ、と思いました。
やっぱり。そういうことですか、と。
「かつて、そなたとこの、わたしの第五王子マインサムには婚約があった。不幸なすれ違いの元にそれは解消されたが、今それを阻むものはない。再び結ばれるに、なんの障害があろう」
……なんと言えばいいのか、わからなくて。
――王様の命令を、断る方法なんて、お作法の先生から学ばなかった。
わたくしは、せいいっぱいの言葉で「身に余る光栄でございます。なんと申していいかわかりません」と言いました。たぶん、これが限界の、失礼にあたらない程度の戸惑いの言葉。王様は、あまり不快には思われなかったのか、変わらぬ調子で「そうであろう。そなたもこれまで難儀であったな」とおっしゃいました。
「マインサムと親交を深めるとよい。今後の事は追って知らせよう」
退室の許可を意味する、王笏を床に打ち付ける音がひとつ響きました。これがふたつだと「おまえの顔も見たくない、さっさと消えろ」みたいな意味になるらしいです。わたくしは一礼して膝をもう一度かがめ、ゆっくりとした動作で退室しました。ここで速度を誤ったら、それはそれで失礼なんですって。いいかげんにしてほしい、王宮のお作法。
わたくしにあてがわれた宮殿へ戻るのかと思ったら、まだなんかあるんだそうですわ。おなかすいた。移動で五日かかって、その間宿泊所では出された食事しか口にできなかったので、なんとお酒も飲んでいないんですよ! 五日! 信じられません。こんなの虐待です。人権侵害です。聖女なんて呼び名は聞こえがいいだけで、その実ただの王様のコマだとよくわかる扱いですわね。
引き留められ、どこか違う部屋へ呼ばれて。そこにいたら、なんと。
わたくしは、ノックの音に誰かを問う時間もなく入室された方の姿を見て立ち上がり、ひざまずいて頭を下げます。そして「第五王子殿下にお目にかかります」と言いました。
「楽にして。座っていいよ。僕も座るから。ちょっと話をしたいんだ」
おおせの通りにしました。どのみち、わたくしに拒否権なんかありませんからね。王族ですから、お相手は。
いっしょに側近みたいな人もいます。座りませんでした。茶色のひっつめ髪にメガネで、両足を肩幅に開いて、手を前で握りあわせています。なんですの、その軍隊みたいな姿勢。
「あ、宮女たち、下がって。リメインがいるからいいだろ」
マインサム様の一声で、室内にいた女性たちが一礼ののちに音もなく去って行かれました。軍隊姿勢メガネさんは、リメインさんとおっしゃるんですね。とてもどうでもいい情報ですが。
わたくしは、マインサム様を見ました。マインサム様も、わたくしを見ました。お声を聞くのは初めてで、絵ではない本当のお姿を拝見するのは、先ほどの謁見が最初でした。かつての、わたくしの婚約者。大好きだった、わたくしの初恋の人。なにひとつ心が動かなくて、こんなものか、と思いました。
「まず最初に。率直に答えていいからね。ここには僕とこいつしかいない。ここでの話は外に出ないと誓約する」
マインサム様は右手の拳を心臓のあたりに当てて、誓約の姿勢を取りました。そのしぐさになんの意味も見いだせないわたくしは、どうでもいいや、と思いながらうなずきました。
「じゃあ、とりあえず。きみ、僕のこと、べつに好きじゃないだろ?」
「はい」
わたくしはお尋ねの言葉にかぶせて即答いたしました。リメインさんが音を立てて吹き出しました。マインサム様は、わたくしにもリメインさんにも胡乱な視線を向けます。そして「まあ、それを確認できてよかったよ」とおっしゃいました。
「僕もね、べつにきみが好きってわけではないんだ。かわいいとは思うけれどね。ほら、好みってあるだろう。だれだって」
「それは、お好みにそえず申し訳なく思います」
「いや、それ思わなくていい。僕好みになろうとかしないでね、たのむから」
なんでしょう、この。この、溢れかえる自信。頼まれてもあんた好みにはならん、と心の中で思いながら、口では「さようでございますか」とわたくしは言いました。
この人、わたくしになにをしたか、まったく覚えていないんでしょうか。まだお若いのに。ご高齢の方向けのお医者様に診ていただいたらいいのではないかしら。
わたくしがそんな不敬罪まっただ中な考えを抱いているとは露知らず、マインサム様は「では、今ほかに好きな人はいる?」とたのしそうにお尋ねになりました。なに聞いてくるんでしょう、この人。
「いえ、特には」
「あー、隠さなくていい、本当に! あのね、引き離そうとかそういうのではなくてね! どちらかっていうと応援したいっていう立場でね!」
「と、申されましても……」
好きな人? べつに……。彼氏はいますけど。大好き。でも人じゃないんですわよねえ。説明するのもめんどうなので、とりあえず黙っておきました。
わたくしが本当に戸惑っているのがわかったのか、マインサム様は「え……? いないの? 本当に? 好きな男性!」とおっしゃいました。しつこっ。ちょっとヤケになって、わたくしは「彼氏なら、おりますけど」と言いました。マインサム様はにっこりとされました。
「なんだー、それならそうと言ってよー。で、どんなヤツ? 彼氏って?」
本当に意味がわかりませんわね! わたくしをこっぴどく振って、そして、今はまた王様から復縁しろって言われている状態ですのに! 正直に、わたくしは「かわいらしい方ですわ!」と言いました。室内が静まり返りました。
「――かわい、らしい……?」
こちらの表情を伺いつつ、慎重な口調でマインサムさまはおっしゃいました。なぜ疑問形なのでしょうか。プーはとてもかわいらしいです。わたくしの愛しい彼氏です。なにか問題が? あるわけないですね!
こうなったらプーを全力で褒め称えようと思いました。今度は咳払いをした後にリメインさんが「あー、その。彼氏殿は……どんな容姿なのだろうか」とお尋ねです。椅子に座り直して姿勢を正し、わたくしは答えます。
「小柄で、つぶらな瞳で! それに、子どもみたいに無邪気で! 実際にまだまだ子どもで! 本当に、かわいいっていう言葉に収まらないほど、愛らしい存在なんです!」
力説しました。とても。マインサム様もリメインさんも、口を半開きでわたくしをご覧になっています。少ししてからリメインさんが、マインサム様へなにかを耳打ちしました。そして、居住まいを正してわたくしへおっしゃいます。
「――あー。聖女アニ殿。ぶしつけな質問をしてしまいますが、お許しください。……その、彼氏殿の、名前は?」
「プーですわ!」
二人は沈黙しました。わたくしもそれにならいました。しばらくの重々しい時間の後に、マインサム様が「……なにやってるんだ、あいつ」とつぶやきました。
「――ときに、聖女アニ殿。あなたの周囲には、他に男性はいないか?」
リメインさんがメガネをくいっとしながらおっしゃいました。……男性? ざくっとしすぎた質問すぎて、どう答えればいいのかわかりませんわね。わたくしは「質問の意図がわかりかねます。女性以外は男性ですし、生活していれば多くの男性と接しますが」と申しました。
リメインさんは「失礼した。親しくしている男性はいるのだろうか」と言い直されました。身辺調査でしょうか。
わたくしは考えました。親しい……? パッと浮かんだ姿は、食事処『豆と麦』のマスター、ダナタークさんです。でもここ数カ月はわたくしのせいで帽子をかぶっていらっしゃいますので、もしかしたら親しくないかも。常連のお客さんたちの顔がたくさん思い浮かびます。
「うーん。たくさんいますわ。お求めの答えがわかりません」
またお二人は絶句。なんですのよー、もー。わたくしがイライラしてきたのがわかったのでしょうか、マインサム様が「ごめんね、ちょっと回りくどい言い方をしすぎた。隠さずに尋ねよう」とおっしゃいました。
「じつはね、僕の知己で、セネガーていう男がいるんだ。きみが住んでいた町に逗留しているらしくてね。最近はどうしているのだろうと思っていたのだが、なにか知らないだろうか?」
なーんだ、セネガーがちゃんと仕事をしていたか、気になっていたんですのね! そうですわね、マインサム様から派遣された、わたくしの見張りですもの。プーを預けて来ていますし、わたくしはセネガーのお給金増額を願って、たくさん褒めようと思いました。
「まあ、セネガーさんですね! 本当にいつもお世話になっておりましたわ! わたくしとプーが寝坊をしないよう、朝起こしに来てくれたり。手を離せないときにご飯を買って来てくれたり! それに、わたくしたちの送り迎えをしてくれたり! 本当に親切にしていただいていますのよ! いい人ですわね!」
また静まり返りました。リメインさんがメガネを外してハンカチで拭いて、もう一度かけました。マインサム様が「……なにやってるんだ、あいつ」とつぶやきました。