〜第十話 落とし前〜
ドーモ、政岡三郎です。七之譚第十話、始まります。森で遭遇した熊から命からがら逃げおおせた蓮夜。そんな彼の前に、直也が立ちはだかる___。
「ハァッ………ブフゥ……」
熊から逃げきった後、蓮夜は見覚えのあるハイキングコースに出ることができた。
熊から逃げ切ったことで冷静になった蓮夜は、一旦パーキングエリアの方向とは逆方向へ向かい、道中に置いてきたキャリーケースと熊の毛皮を回収する。
万が一この二つが誰かに発見されてしまえば、せっかく事故に見せかけた唯崎彩音の件に関して事件性を疑われかねない。
その二つを回収した後、蓮夜がハイキングコースに沿ってパーキングエリアまで戻ってきた頃には、時刻は午後4時を回っていた。
パーキングに停めてある彩音の車を見た瞬間、蓮夜はすぐにでもこの車に乗って自宅へ帰りたいという欲求に駆られる。
しかし、それをするわけにはいかない。
この車は、唯崎彩音が自分の意思でここまで向かったことを証明する物証なのだ。
彼女の車がここで見つかれば、蓮夜がこの車を運転してきたなどとは誰も思わないだろう。
体力の限界も近い蓮夜だが、帰るためにはここから更に最寄りのバス停まで歩かなければならないのだ。
「フゥー……」
最寄りのバス停に向かう前に、蓮夜は彩音の車のボンネットに腰掛けて息を整える。
ここまでで蓮夜には、気掛かりな事が二つあった。
一つは唯崎彩音のこと。
(………死んでたよな?)
厳密に生死を確認した訳では無いが、蓮夜が見たところでは崖から落ちた唯崎彩音はピクリとも動かなかった。
だが、もしも死んでいなかったら……。
「くそっ………くそっくそっくそっくそっくそっ!!」
こんなはずではなかった。
いったいどこから計画が狂ったのか?
あのガキに唯崎彩音が姿を見られた時?
唯崎彩音に反撃されて、彼女の手足の拘束が解かれた時?
いや、或いはもっと前から___。
「___違う」
唇を噛み締め、絞り出すように呟く蓮夜。
「違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうチガウチガウ!!!」
自らのプライドの高さ故、蓮夜は自身の計画の不完全性を認めることができない。
そもそもとして、それを認めることができるような性分であれば、今のような人生は送っていないし、このような無謀な殺人計画を実行することも無かっただろう。
「せめて、あのガキさえあの場所にいなければ……そうだ、全部あのガキのせいだ!」
蓮夜はもう一つの気掛かりである、森に放置してきた少年に理不尽な恨みを募らせる。
(あのガキ……ちゃんととどめを刺す前に逃げてきちまったが……死んだよな?)
蓮夜の中で不安が渦巻く。
野生の熊の目の前に放置してきたのだから、死んだと信じたい。
熊は屍肉でも平気で食すので、よく言う死んだふりなどは通用しない。
だから、あのまま熊に喰われてくれていればこれ以上好都合なことはないのだが……100%確実ではない。
とはいえ、まだ熊がうろついているかもしれない森に戻って少年の生死を確認するなど、できるはずもない。
「……」
こうなってはもはや、蓮夜には少年と唯崎彩音が死んでいることを祈ることしかできない。
大丈夫だと蓮夜は自分に言い聞かせ、腰掛けていたボンネットから立ち上がる。
とにかく家へ帰ろうと、最寄りのバス停へ向かって再び歩き出しす。
その時___。
「待ちな」
背後から声がした。
年端もいかない、少年の声だった。
蓮夜が振り返るとそこには、蓮夜が森に置いてきた少年___田村直也が立っていた。
「ようやく見つけたぜ……」
直也は蓮夜の靴を見て、不敵な笑みを浮かべる。
顔は見ていないが、意識を失う寸前に目に映ったあの足元だけは忘れない。
「こいつは返すぜ。テメェのだろ?」
直也は鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべる蓮夜に、森で拾った目出し帽を投げつける。
反射的にそれを掴んだ蓮夜は、目出し帽と直也を交互に見たのち、忌々しげに直也を睨む。
「……お前……生きてたのか」
そう呟く蓮夜に、直也は獰猛な笑みを湛えたまま言葉を返す。
「俺を殺し損ねたな。今更後悔しても、もう遅いぜ?」
そう言って、直也はファイティングポーズを取る。
「ブチのめす前に聞いておくけどよ?テメェ……あの姉ちゃんはどうした?」
その場で軽くトントンとステップを踏みながら訊ねる直也。
「………グ、グフフ……どうしただと?」
蓮夜は薄ら笑いを浮かべながら、おもむろに腰に提げた鉤爪を両手に装着する。
蓮夜からしてみれば、相手はたかがガキ一人……飛んで火に入る夏の虫だ。
「___ぶっ殺してやったよぉおおおおお!!」
叫びながら蓮夜は走り、直也目掛けて右の鉤爪を振り下ろす。
直也は素早く左へ転がって蓮夜の一撃を躱し、バックステップで距離を取る。
「ククク……あの女が悪いんだよ……大した大学も出てないくせに………オレを見下しやがってよおおおおおお!!」
蓮夜は直也のいる方を向き、更に二度、三度と両手の鉤爪を振るう。
「東帝大出身だぞ、俺は!!日本でトップクラスの、天下の東帝大!!そのオレがせっかく、口説いてやったのに………口説いてやったのにぃぃぃぃいい!!」
がむしゃらに振るわれる鉤爪を、直也は一定の距離を保ちながら8の字を描くように左右に体を振る《ウィービング》で躱す。
「学歴の低い女はぁああ!!黙って東帝大卒のオレに尻尾振ってりゃよかったんだよおおお!!」
蓮夜が右の鉤爪を下から逆袈裟に振るう。
直也は上半身を大きく後ろへ反らせてそれを躱し、そのままバック転で距離を取る。
ひとしきり蓮夜の訴えを聞いた直也はガシガシと頭を掻いたのち、静かにこう告げる。
「………あんたさぁ……いい歳して学歴でしかテメェを誇れねえの?そんなんだから女に振られるんじゃねえの?」
どこまでも呆れるような口調で、直也は蓮夜の心を抉る。
「学歴で他人にマウントを取れるのなんて、せいぜい新卒のうちだけだぜ?」
「………黙れ……………黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れだまれだまれよおおおおおおおおお!!」
蓮夜が右手の鉤爪を振り上げ、切りかかる。
直也はそれを避けつつ、左手側に停まっといる車のトランクの上を背中で転がり、反対側に着地する。
車を挟んで直也と蓮夜が睨み合う。
直也は腰に左手を当てながら右手の掌を裏返して肩を竦め、嘲るような笑みを浮かべる。
「クソガキがぁああ!オレを馬鹿にするなあぁあああ!!」
蓮夜は車のトランクの上に乗り、そこから跳躍して直也の顔面に右の鉤爪を突き出す。
直也は車沿いに後転してそれを躱し、片膝を地面についた状態でふと車を見る。
ドアハンドルに手をかけてみると、鍵はかかっていない。
直也がニヤリと笑うのと同時に、蓮夜が左の鉤爪を直也の顔面に突き立てようとする。
しめたとばかりに直也は車のドアを開きその後ろに隠れる。
蓮夜の鉤爪がドアの窓ガラスを突き破り、割れた破片が直也の頰を掠め、うっすらと血の筋を作る。
「っっ!?」
突然の直也のアクションに蓮夜が反応するよりも早く、直也は車のドアを勢い良く押し戻す。
すると必然的に、ドアの窓ガラスを突き破った蓮夜の左腕がドアと車体の間に挟まれる。
「ぎゃぁあ!!?」
腕を挟まれた痛みに悲鳴を上げる蓮夜。
直也は左手で車のドアを押さえつけながら、左腕を挟まれて体が車体の方を向いている蓮夜の左脇腹に右拳を叩き込む。
更に直也は、続け様に蓮夜の左膝の裏にローキックを入れて、強制的に蓮夜に片膝をつかせる。
その状態の蓮夜の頭を掴んだ直也は、蓮夜の顔面を車体に叩きつける。
「ぶへっっ!?」
頭を叩きつけた瞬間、蓮夜の左腕を挟んでいたドアの拘束が緩み、蓮夜は地面に大の字に倒れる。
「立てよシャバ僧。オネンネするにはまだ早ぇえぜ?」
倒れる蓮夜を見下ろしながら、直也が告げる。
「こ、このぉお………ガキぃぃぃぃいい!!」
叫び、這いずりながら立ち上がった蓮夜が、直也に切りかかる。
「動きが___」
直也は顔面を狙った蓮夜の鉤爪を僅かに屈んで躱し、蓮夜の鳩尾目掛けて右拳の《ボディストレート》を放つ。
「___単純なんだよ!」
鳩尾を殴られ僅かに前のめりになりつつ振るわれる蓮夜の左の鉤爪を躱しつつ、直也は《左アッパーカット》を蓮夜の顎に叩き込んだ。
「ぐっっ……このガキ………調子に乗るなぁあああああ!!」
直也の拳は高校生すらも怯ませる程の威力があるが、蓮夜は僅かに仰け反るだけで、直ぐ様反撃してくる。
恰幅の良い蓮夜と小学生の直也では、体格差がありすぎるのだ。
がむしゃらに振るった蓮夜の右の鉤爪が直也の髪を掠め、茶色がかった直也の黒髪が数本、はらはらと宙を舞う。
「……ヘッ。漫画でよく見るようなダセェ武器使ってやがると思ってたが……なかなか切れ味鋭いじゃねえか。どこで手に入れたんだ、それ?」
直也は拳を構えながら、値踏みをするように蓮夜の鉤爪を見る。
「てめぇみたいなクソガキに、誰が教えるもんかよぉおお!!」
蓮夜が構わず鉤爪を振るう。
直也は車のボンネットの上を転がってそれを避け、車の正面に着地する。
蓮夜もまた車の正面に回りながら、ボンネットに右の鉤爪を這わせる。
ギャリギャリと嫌な金属音を響かせながら、直也は這わせていた鉤爪を直也の喉元目掛けて振り上げる。
直也は《スウェーバック》で上体を後ろへ反らして鉤爪を躱し、続け様に袈裟懸けに振るわれる左の鉤爪を《ウィービング》で躱す。
「くそっ!いいかげん死ねよぉおおおお!!」
蓮夜が大振りに右の鉤爪を振るった瞬間、直也はニヤリと笑いながら蓮夜の左脇へ抜け、車のボンネットの上に跳び乗る。
「貰い!!」
直也は身を翻しながら三角跳びの要領でボンネットを蹴り、蓮夜の側頭部に懇親の《旋風脚》を叩き込む。
「あっっがっ___」
いくら体格差があるとはいえ、小学五年生の全体重が乗った跳び蹴りが側頭部にクリーンヒットしてはひとたまりもない。
蓮夜の体は力無く地に伏し、彼の意識は暗闇に沈んだ。
「《トライアングルウィンド》……技名はこれで決まりだな」
意識を失った蓮夜をよそに、直也は新たに生み出しだ必殺技の名前を即決した。
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「もういいぜ。出てこいよ」
戦いに決着をつけた直也は、蓮夜の荷物から見つけたガムテープで彼の手足を拘束した後、向かいの茂みに向かって呼びかける。
すると、その呼びかけに反応して一匹の熊が茂みから現れる。
この熊のお陰で、直也は自分を殴った犯人である蓮夜を追跡することができたのだ。
犯人を見つけた直也は、犯人に敵意を剥き出しにする熊をこの茂みで待たせていたのだ。
「お前の怪我の分も、しっかり落とし前付けてやったからな。ちゃんと待ってて、偉いぞ」
そう言って直也は、熊の頭を撫でる。
熊はすっかり直也に懐いていて、自ら直也に頭を擦り付けてくる。
「さて。とにもかくにも、この馬鹿は警察まで連れて行かなけりゃならねえ。なぁ、熊公。悪いんだが、途中までこいつを運ぶの手伝ってくれねえか?」
直也を後ろから殴り、女性が崖から転落した原因となったこの男は、警察に突き出さなければならない。
とはいえ、この恰幅の良い男を直也一人で街まで運ぶのは、流石に大変だ。
そこで直也は目の前の熊に手伝いを頼んだ。
直也は初めこそ、熊が人間の言葉を理解するなどと本気で考えてはいなかった。
しかし、この熊が直也の意図を汲んでここまで男の匂いを辿ってくれたことや、直也の怪我を慮ってここまで直也を背中に乗せてきてくれたこと。
加えて、直也がここで待てと言ったら、戦いが終わるまでおとなしく茂みで待っていたこと。
これらのことを鑑みて直也は、この熊はそこいらの野生の熊とは違うと結論付けた。
故に直也は、こうして熊に頼んでいるのだ。
尤も、流石に町の中まで熊を連れて行く訳にはいかないので、運んでもらうのは途中までだ。
期待通りに直也の意図を察した熊は、倒れている男の傍までのそりと歩き、男を背中に乗せるよう促してくる。
「サンキュー!やっぱお前、頼りになるわ」
直也は意識の無い男を熊の背中に乗せ、再び森へと入っていった。
__十一話へ続く__
七之譚第十話、いかがでしたでしょうか?
さっそく前回の後書きの話の続きですが、初登場人物の紹介は基本、その話かもしくは次の話の後書きでします。しかし、これには少し例外があって……。
まず、初登場人物が二人いる場合はどちらかを後回しにするのは前回語った通りですが、問題はその次回の話に別の初登場人物が登場してしまった場合です。
この場合キャラの重要度やセリフの多さ等を鑑みて、紹介する順番が前後することがあります。
西君のケースはそれに加えて、私自身が彼の紹介を忘れていたというしょうもない理由で、紹介が数話先になってしまいました……。
ちょい役を登場人物紹介で出す場合、なるべく早く出さないと「こんなやついたっけ?」と読者の皆様に思われてしまうと思いますので、紹介の優先順位が前後する場合はともかく、そのまま紹介をし忘れてしまうことには気をつけようと思った次第です。
さて、直也之草子七之譚も、次回でラストです。
八之譚の投稿は再びお待ちしていただくことになりますが、何卒長い目で見てやってくださいm(_ _)m




