〜第五話 鬼獣〜
ドーモ、政岡三郎です。七之譚第五話、始まります。一男の前に突如現れた巨大な熊、【鬼熊】。殺意の込められた鬼獣の一撃が、一男に襲いかかる___。
鬼熊は木曽谷(長野県)に伝わる妖魔で、歳を経た熊が妖怪となった存在だ。
永き歳月を経たモノが妖魔化する例は多く存在し、歳を経た猫が【妖魔、猫又】へと変貌したり、生物以外でも永き歳月を経た道具に魂が宿る【付喪神】等が有名だ。
鬼熊は熊でありながら人間のように二足歩行が可能であり、夜更けに人里から家畜を担いで攫っていくのだ。
鬼熊が討伐された最も古い記録は享保初期で、その毛皮はタタミ6畳分もあったという。
直也達の住む県の山に現れた鬼熊は、その当時討伐された鬼熊の子孫に当たる存在だ。
元は木曽谷で暮らしていた彼らも、近年の人間達の森林開拓や温暖化による環境の変化に伴い、徐々に行動範囲を広げてこの場所までやってきたのだ。
なお、直系の子孫といっても全ての血の繋がった熊が鬼熊になるわけではない。
何十年かに一度だけ、先祖返りによる突然変異で直系の子孫が鬼熊に変異するのだ。
直也達の住む県に現れたこの鬼熊には、子供がいた。
鬼熊から産まれた子供は何代かに渡って、親の鬼熊程ではないものの他の熊よりも比較的に体が大きく生まれる。
直也達の町の近くの山で目撃された熊はこの鬼熊の子供だ。
一見すると成熟したツキノワグマのやや体の小さい個体に見えるため子熊と認識されなかったが、紛れもなく生後間もない個体であった。
鬼熊の子はわんぱくで好奇心が強く、母親である鬼熊の目を盗んでは人里に近寄ろうとするため、鬼熊は手を焼いていた。
今日もわんぱくな子熊は、鬼熊が鹿狩りをしている隙にどこかへ遊びに行ってしまった。
鬼熊は仕留めた鹿をその場に置いて、我が子を探しに行く。
熊は嗅覚が発達していて、その嗅覚は実に、犬の七〜八倍も優れている。
もちろん鬼熊も例外ではなく、今日も鬼熊は自身の嗅覚を頼りに子供を探す。
だが、我が子を探し始めて少しして、他の熊よりも発達した鬼熊の脳が危険信号を発する。
山の中に、何人か人間の匂いがする。
人間は体は自分達熊よりも脆いが、その分頭が良く集団での行動に優れ、群れを成して武器を持って襲ってくる。
人間の多くは自分達のテリトリーから出ることはないが、彼らの中には稀に、自分達のテリトリーから出て山に足を踏み入れる者がいる。
目的は食糧探しか、理由もなくただ歩くだけか、或いは動物を狩ることか……。
前者二つであれば、危険は無い。
前者二つが目的の人間は、熊の姿を目にしただけで放っておいても自ら逃げ出すと、知能の高い鬼熊は判っていた。
ただ、もしも後者が目的だったら、話は違う。群れを成して武器を持った人間は危険だ。
鬼熊は急いで我が子を探した。
山に残った我が子の残り香を辿って辿って……。
やがて、鬼熊の優れた嗅覚は二つの”血の匂い”を知覚した。
一つはおそらく、人間の血の匂い。そしてもう一つは間違いなく……”熊”の血の匂いだ。
焦燥に駆られた鬼熊は辺りを見回し、血の匂いがする切り立った岩場の方へと歩き出す。
岩場の下を覗き込むと、そこは滝になっていて、その滝の下には___。
___我が子の血の匂いがする武器を手にした人間が立っていた。
瞬間、鬼熊は激しい怒りに駆られる。
もっとも、その人間___田中一男が持つ武器は、元は滝の上の岩場の淵にあったものが鬼熊の歩く振動で滝の下に落ちたもので、一男はそれを拾っただけだが……。
そのことを、怒りに駆られた鬼熊が知る由もなかった。
――――――――――――――――――――――
「イナバウトリックス!」
鬼熊が横薙ぎに振るった右前足を、一男は上半身を大きく後ろへ反らせる某アクション映画のような避け方で躱す。
更に一男はその体勢から戻る勢いを利用して、鬼熊の腹に頭突きをかます。
しかし……。
『グオオオアアア!!』
雄叫びを上げ、一男に左前足を振り下ろす鬼熊。
一男は咄嗟に後ろへ跳んで、鬼熊の左前足を避ける。
空振った鬼熊の前足が地面を揺らし、土を抉る。
その一撃だけでも、目の前の鬼熊が並みの熊を凌駕する程のパワーを持っていることが伺える。
鬼熊は次いで、素早く一男の腹目掛けて突進して追撃する。
「あびゃああ!?」
腹に鬼熊の頭突きをもらい、一男は間抜けな声を上げながら吹っ飛ぶ。
地面を縦回転でゴロゴロと転がり、頭と足が逆さの状態で木に激突する。
「グェエッ!?」
木から剥がれ落ちるように背中を地面にぶつけ、天を仰ぎ見る一男。
トラックに轢かれたかのような衝撃に、ズキズキと肋が痛む。一男でなければ、死んでいたかもしれない。
正直動くだけで肋が痛む一男だが、今はいつまでもこうはしていられない。
鬼熊が両前足を振り上げる。
一男が飛び起きた瞬間、今しがた一男が倒れていた場所に鬼熊の両前足が振り下ろされる。
衝撃音と共に土が盛大に舞い散り、地面が陥没して正面の木が傾く。
「ひい〜〜!服が土まみれになる!ママに怒られる!」
服に付いた土を払いながら、鬼熊から距離を取る一男。
『グアアアアア!!!』
鬼熊は叫び、尚も一男に追い縋る。
頭を狙って振り下ろされる左前足を、一男は鬼熊の左脇へ潜るように躱す。
一男はそのまま、近くにあった木を猛スピードでよじ登る。
熊が走った時の時速は40km。
この鬼熊はツキノワグマはおろか、通常サイズのヒグマよりも巨大な体躯を有しているが、速度はおそらく普通の熊と遜色ない。
いや、それどころか、先程からの動きを見るに、鬼熊は時速40kmを超えるスピードを有している可能性すらある。
いくら一男でも、馬鹿正直に走ったところでとてもじゃないが逃げられないだろう。
木に登ったのは、言わばただの時間稼ぎだ。
だが……。
(10秒も時間稼げないだろうなぁー……)
時間稼ぎといっても、精々そのまま走って距離を取るよりはマシな程度。
案の定鬼熊は、一男が登っている木の幹を両前足でガッシリと掴む。
登るのではない。鬼熊は木を”倒す”のだ。
メキメキと音を立てて、傾き始める。
「ホイっ」
木が倒れる直前、一男は手近な木の枝に飛び移る。
鬼熊はすかさず、一男が飛び移った木を倒しにかかる。
「あホイっ」
木が傾いた瞬間、一男はまた別の木に飛び移る。
頭の良い鬼熊は、このままでは埒が明かないと判断し、たった今倒した木を両前足で器用に持ち、それを別の木の上にいる一男に向かって豪快に投げつける。
「ホホーイっ!」
一男は待ってましたと言わんばかりに、木の枝から跳躍しながら身を捻り、飛んできた木を躱す。
木を躱した一男の体は、そのまま鬼熊の頭上に舞い降りる。
狙うは鬼熊の”目”だ。
目を狙うといっても、並大抵のことではない。
真正面から目を狙おうとしても、動物には皆防衛本能というものがある。
顔面、特に目を狙った攻撃など、熊も当然警戒する。
だからこそ、鬼熊が木を投げつけたこの瞬間。
僅かに一男の姿が視界から逸れたこの一瞬にこそ、勝機があった。
「喰らえ!ドリルサミンッ!」
鬼熊の肩に着地した一男が、両手の人差し指と中指に回転をかけながら、鬼熊の両目を突く。
『グオアアアアア!?』
鬼熊が声を上げ、一男を振り払う。
鬼熊に背を向ける形で地面に着地した一男が、バック転の要領で逆さまになって地面に両手をつき、その状態から鬼熊の腹を両足のつま先で何度も蹴りつける。
「ホイホイホイホイホイっ!」
一男の《逆さバタ足蹴り》が鬼熊の腹にクリーンヒットするも、鬼熊はそれを意にも介さず、がむしゃらに両前足を振り回す。
一男は鬼熊の腹を蹴った反動で鬼熊の前足を躱し元の姿勢に戻り、すかさず飛び込み前転で暴れる鬼熊から距離を取る。
目潰しは効いたようだが、逆にそれ以外の攻撃はいまいちダメージが入っていない。
通常サイズのツキノワグマであっても、人間の打撃でダメージを与えるのは難しい。
これ程の筋肉の塊ともなれば尚更、半端な攻撃は通らないだろう。
ならばどうするか?
一男は腹から背中、腕までを波打つようにゆらゆらと前後させる。
目潰しは一時的なものだ。眼球を潰したわけではないため、じきに回復する。
視界が回復しきる前に、ここでダメージを稼ぐ。
一男は波打つように体を前後させながら踏み込み、視界を封じられてがむしゃらに両前足を振り回す鬼熊の腹に、張り手をかます。
「発勁ヨイ!」
瞬間。
鬼熊の腹に、ドンッ、と衝撃が走る。
後ろ足だけで立っていた鬼熊の体が、二、三歩後方へ下がる。
一男が行ったのはただの張り手ではない。
一男のそれは、中国武術で言うところの《発勁》という技術だ。
日本人にはよく誤解されがちだが、”勁”というのは不可思議で超常的なものではなく、”運動量”のことだ。
丹田(下腹部辺り)で発生させた運動エネルギーを、背筋を通して手に伝える。
流派によって細かい解釈は異なるが、概ねこれが《発勁》の仕組みである。
これが上手くできれば、既存の格闘技における打撃理論を超越した衝撃が生まれるのだ。
一男の打ち込んだ《発勁》は、中国武術の経験者が見ても完璧と言って良い程の一撃だった。
しかし___。
『グゥゥゥ………グアアアアアアアア!!!』
強靭な肉体を持つ鬼熊は直ぐ様反撃の構えを取り、一男に向かって飛びかかる。
まだ視界は霞んでいるはず。おそらく、嗅覚で一男の位置を察知しているのだろう。
鬼熊が振り上げた左前足を、一男は右へくの字の形で跳んで避ける。
横に躱された鬼熊は、一男の方を向きながら右前足を振り回す。
しかしこれ自体は、直接一男を狙った攻撃ではない。
鬼熊の振るった右前足の爪が、横にあった木の幹を抉り、木の破片が一男の顔面目掛けて飛んでくる。
「ぬわーーー!?やり返されたーーー!!」
破片が目に当たり、思わず両手で目を覆う一男。
知能の発達した、鬼熊らしい狡猾な攻撃だった。
鬼熊が再び一男に飛びかかる。
目は視えないが、音と気配で攻撃を察知した一男は、咄嗟に左へ跳ぶ。
ごちんっ。
「グヘェッ」
目が視えないため、横にあった木に頭からぶつかる一男。
鬼熊が左前足の爪を振り上げる。
一男は咄嗟に木の根を掴んで、幹に腕を回すように木の後ろに回り込む。
鬼熊の爪が、木を抉る。
一男は目を擦るような真似はせず、パチパチと数回瞬きをして、涙で目に入ったゴミを取り除き、視界を回復させる。
完全ではないがぼんやりと目が見えるようになったところで、鬼熊が木の後ろに回り込んで来る。
鬼熊が振るった右爪を、一男はもう一度木の幹に腕を回して木の後ろに回り込むことで躱す。
埒が明かないと思った鬼熊は、目の前の木を両前足で抱えてへし折る。
これで逃げ場は無くなったはずだが、へし折った木の後ろに一男の姿はなかった。
「喰らえ!オヤジのゲンコツ!」
声がしたのは、鬼熊が抱えているへし折った木の”上”からだった。
一男は鬼熊が木をへし折る瞬間、素早く木をよじ登っていたのだ。
葉っぱを掻き分け枝を蹴り、跳び上がった一男の必殺、《オヤジのゲンコツ》が、鬼熊の脳天に突き刺さる。
『グアアア!!?』
鬼熊が声を上げ、抱えていた木を落とす。
鬼熊の背後に着地した一男が、鬼熊から少し距離を取る。
これほどやっても、鬼熊の眼には未だに殺意が宿っている。どの程度ダメージを与えられたかも定かではない。
「上等じゃいコノヤロー!どすこい☆チョモランマ流喧嘩殺法奥義、一男レーザーを喰ら___」
その時だった。
「ちょっと待ったぁーーーーーー!!」
聞き慣れた声が、一男と鬼熊の間に割って入った。
__第六話へ続く__
七之譚第五話、いかがでしたでしょうか?
最近ふと思うことがありまして……というのも、後書きに関することなのですが。
この[直也之草子]をなろうに投稿してから、自分はどうも後書きを長く書きすぎている気がするんです。
ある種の強迫観念とでも言うのでしょうか?後書きという項目があるとどうにも、「書かなくては!」という思いに駆られて、長々と書いてしまいます。
時に、「これといって書くことないな……」という時もままありまして……本編が出来てるのに後書きのせいで投稿が遅れるなどという不始末も、一度や二度ではありません。
ワタシがよくやる登場人物紹介も、書くことがない時の対策の一環といった感じで……キャラによっては、正直「これ必要か?」と思うことも度々……。
そんなわけで、登場人物紹介自体は(ここまでやったので)これからも続けますが、それ以外では今後、後書きを長々と書くことが減ると思います。章の終わり毎の後書きだけは、気合いを入れて書きます。
……まぁそもそも、こんな後書きを求めてる人なんて、最初からいないでしょうし。




