〜第四話 深き山にて〜
ドーモ、政岡三郎です。七之譚第四話、始まります。健悟からの連絡を受け、山に近づいた直也を叱りに来た一男。そこで彼は、崖の下で倒れている女性を見つける___。
10時50分___。
「ラ〜ンラ〜ンラ〜〜ン」
町を囲む山の周囲を、猟銃を携えながらスキップする人影が一つ。田中一男だ。
一見すると不審者だが、そうではない。
最近この辺りで冬眠していない熊が目撃されたので、それが町に降りてこないよう見廻りをしているのだ。
けれど、実を言えばそれだけではない。
実は今しがた、息子の友人であり喧嘩の一番弟子の直也がこの辺りで熊を探していると、同じく息子の友人である健悟から連絡を受けたのだ。
この前一男が息子の月男から聞いた話によれば、今度のふれあい祭りで熊肉の店をやるのを提案したのは直也らしい。
おそらく、このまま猟友会が熊を仕留められずに熊肉が手に入らなければ、自身の提案に乗ったクラスメイトに申し訳が立たないと考えての行動だろう。
だが、そんなことは関係ない。
熊が出るかもしれないから山に近づくなと言っているのに、それを無視して山に近づいた愚かな弟子に、一男はオシオキをしなければならないのだ。
「どこだい直也〜〜。怒るから出ておいで〜〜〜」
スキップしながら直也を探す一男。
健悟から連絡を受けた時、一男はたまたま直也がいる丘の近くの見廻りをしていた。
連絡を受けてすぐにここまで来たので、直也もすぐに見つかるだろうと、一男は思っていた。
しかし直也を見つけるよりも先に、一男は大変なものを見つける。
それは一男が、直也がいると思われる丘に程近い山の崖下を通りがかった時だった。
「……………ヌゥウウ??」
崖下に、何かがいる。
熊ではない……人だ。
女性が一人、倒れている。
「あれまぁ!」
崖下の周囲は木々が生い茂っていて見通しが悪かったため、近くに来るまで気が付かなかった。
一男は直ぐ様、倒れている女性のもとへ駆け寄る。
「もうし、そこなおなご。生きてる?」
一男が訊ねるが、返事はない。けれど、辛うじて息はあるようだ。
おそらく、この崖の上から転落したのだろう。
一男はこんな時のために用意していた救急セットを取り出しつつ、119に電話を掛ける。
『___こちら119。救急ですか?火事ですか?』
「エマージェンシーエマージェンシー。救急でーす、早く来てちょ。場所はねぇ〜……」
一男は直ぐ様現在地を伝える。
幸いにも、ここは木々に囲まれてこそいるものの、一步木々の間を抜ければすぐそこに国道がある。救急隊も来やすいはずだ。
スマホで救急に位置を伝えた一男は、次に倒れている女性の応急処置をする。
生きているとはいえ女性は出血が酷く、このまま放っておけば病院まで持たないかもしれない。
かといって、無闇やたらに動かしてはいけない。救急隊が来るまであまり動かさないで、かつできるだけの処置をするのだ。
一男はまず止血剤入りガーゼと包帯を取り出す。
出血が酷い場所は、頭と腕と足の3箇所。
一男はまず、彼女の頭の傷にガーゼを押し当て、その上から包帯でぐるぐる巻きにする。
残りの2箇所の出血も、同じ要領で手際良く処置をする。
次に骨折部位の応急処置だ。
一男は立ち上がってくるりと振り返り、手頃な木に狙いを付けて走り出す。
「許してチョンマゲ!アチョォオーーーーー!!」
木に謝罪を述べながら思い切り跳躍し、手頃な太さの木の枝の根本を《空中空手チョップ》で叩き折る一男。
手頃な太さの副木を手に入れた一男は、女性の骨折している部位に副木を添えて固定する。
こうして一通りの応急処置を終えた一男は、改めて女性の身体の傷を確認する。
先程までは出血の酷い大きな傷に目を奪われていたが、こうして改めて見てみると、まるで動物の爪痕のような5本線の傷が所々にある。
一見すると、熊に襲われてできた傷に見えるが、一男はこの傷を見て、自分でもよく判らない違和感を感じた。
「熊に襲われて落ちちゃったのかな?うーん、でもなぁ〜……なんか、違うような……」
そう独りごちた時、ふと一男の目にある物が映る。
一男は女性の傍に落ちていたそれを拾い上げる。
それはひび割れて血のついたスマートフォンだった。
最初一男は女性のスマートフォンかと思ったが、よく見ればこれは子供に持たせる用のキッズスマホのようだ。
それが判った瞬間、一男は強烈に嫌な予感に見舞われる。
試しにスマホを操作しようとしてみるが、やはり反応は無い。
内部データまで壊れているかは判らないが、現状このスマホが誰のものか知る術は無い。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん………」
一男は迷う。
今いるこの場所は、直也がいると連絡を受けた場所に限りなく近い。
もしも。もし仮に、このスマホが直也の物だとしたら、それは間違いなく直也の身に何かがあったということだ。
正直すぐにでも探しに行きたいが、かと言ってこの女性を放って行くわけにもいかない。
今できる応急処置は済んでいるが、この女性の居る場所は国道から見れば木々で隠れている。
万が一救急隊がこの場所を見逃してしまえば、女性の発見が遅れてしまうかもしれない。
「うぅむ、やむなし……」
とりあえず警察にも連絡を入れつつ、救急車が見えるまではこの場で待ち、女性が運ばれるのを確認したらすぐに直也を探しに行こうと、一男は決めた。
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___20分程経過して、ようやく救急車がやってきた。
一男は女性が救急隊に運ばれていくのを見届けると、一男は直ぐ様直也がいるはずの小高い丘へと向かう。
数分程で丘へはすぐにたどり着いたが、やはりと言うべきか、直也の姿は無い。
また数分程かけて一男はもとの崖下まで戻り、考える。
もしも直也がここに来ていた場合、彼はここからどちらへ向かったのか?
それを予測するためには、ここで直也に何があったのかを考える必要がある。
「ふむぅ……」
もしもあのスマートフォンが直也の物だったら。
一男は、考えうる限りで一番最悪の可能性を考える。
結論を言えば、直也はここで何かに襲われ、連れ去られた。
おそらく、女性の転落を目撃した直也は崖下まで駆けつけ、救急車を呼ぼうとしたところを背後から襲われたのだろう。
直也を襲ったのが何かは判らない。
女性に付いていた傷を見るに、熊かもしれない。
或いは___。
「ヤバイヤバイ急がなきゃ……」
直也を連れ去ったのが何であったにしても、向かった方向は見当がつく。
まず、国道方面は無い。
”獲物”を隠すなら、より”山深い方”へ向かうはずだ。
一男は今いる場所から、最も山へ入りやすい方へ向かって歩き出す。
歩き出して少しして、一男は地面に血の跡があるのを見つける。
「血だ。新しいし、少ない……」
血の跡は、目を凝らして地面を注視してようやく見つかる程の、少ない量の血であった。
もしもこれが直也の血であれば、これだけ出血が少ないということは、直也はまだ生きている可能性が高い。
一男は走り出す。ひょっとしたら、まだそう遠くへは行っていないかもしれない。
「直也ーーーーー!!どこだーーーーい!?」
山の中を、スプリンター並みの全速力で駆ける一男。ボケ~っとした間抜けヅラに見えて、身体能力は異様に高いのだ。
木々の間を抜け、斜面を駆け上がり、ちょっとエッチな感じの木の股に目を奪われては、すぐにそんな場合ではないと首を振る。
そんな感じで、山の中の道無き道を走り続けて、かれこれ一時間___。
一男はもう、かなり山深い所まで来てしまっていた。
「ウ~ン、いない……」
辺りは見渡す限り木。
一男は急ぐあまり、完全に方向を見失っていた。
いなくなった近所の子を探して自分も迷うなど、まさにミイラ取りがミイラだ。これでは直也のことを叱れない。
「ウ~ン、まいった……」
最悪一男は、太陽の位置で大体の方角は判る。
だが、息子の親友であり自分の一番弟子である直也を置いて帰るわけにはいかない。
困った一男は、とりあえず耳を澄ましてみる。
もしかすると、直也のSOSが聴こえるかもしれない。
耳を澄ますと、どこかから水の流れる音が聴こえてくる。
「この音は………滝?」
どうやら、近くに滝があるようだ。
他に手掛かりも無いため、一男は滝の音が聴こえる方へ向かってみる。
一分程歩いて、一男は音の発生源である滝を見つける。
真っ直ぐな滝ではなく、数メートル間隔で段々になった形状の、見事な滝だ。
「とりあえず手掛かりが無いから来てみたものの……やっぱりいないなぁ……」
景趣は悪くないが、今は大自然の風景に浸っている場合ではない。一男は踵を返してこの場を立ち去ろうとする。
その時だった。一男が踵を返す瞬間、滝の上から何かが落ちてくる。
「む?」
一男はもっと滝の傍まで近寄り、落ちてきたそれを拾い上げる。
「金属バット……」
それは、草野球で使用されるごく一般的な金属バットだった。
こんな木々生い茂る山奥の森で、無謀にも野球をしようなどというおバカちゃんがいるのだろうか?と一瞬思った一男だが、すぐにこれはそんな愉快な目的の物ではないと判る。
「………………血だ……」
バットに血が付着している。
それも、二箇所。
一つはバットの真芯のところ。
もう一つはその裏側の、真芯よりも先端よりの詰まったところ。
裏側の先端部分の血は、おそらく人間の血ではない。
一男がそう断定した根拠は、そこの血痕だけ血と一緒に僅かだが動物の毛らしきものが付着していたからだ。
顔を上げてバットから視線を上に逸らした時、その毛は熊のものだと一男は思った。
何故一男がそう思ったか?
熊がいたからだ。
バットが落ちてきた滝の上の岩場に、文字通りの仁王立ちで___。
それも、ただの熊ではない。
身の丈3メートルに届こうかという程の、巨大な熊。
思わず呆気に取られた一男があんぐりと口を開けていると、熊は山一帯に響き渡るような咆哮を上げ、滝を降りてくる。
段々になった滝の岩場を、器用に一段ずつ……。
その巨体にはそぐわない軽やかな動きで、熊はあっという間に一男と同じ高さの場所まで降りてきた。
「アッオーゥ……」
これはまずいと思った一男がバットを放り投げて猟銃を構えた瞬間、熊はその巨大な前足で猟銃を払いのける。
滝の岩盤に叩き付けられた猟銃は、その熊の圧倒的なパワーによって銃口がひしゃげてしまう。
仮に拾えたところで、もう使い物にはならないだろう。
絶望的な状況下で、しかし一男は呑気にこう呟く。
「こんな大きな熊、まだ本州にいたんだ?」
一男が驚くのも無理はない。
なにせ、今一男の目の前にいる熊は大昔に木曽谷(長野県)で、その圧倒的な巨躯と力により、【妖魔、鬼熊】と呼ばれ恐れられた熊の末裔であった。
__第五話へ続く__
七之譚第四話、いかがでしたでしょうか?ここか、は、登場人物紹介其の三十六です。
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・利賀宗二
・誕生日:10月9日(59歳)
・身長:171cm ・体重:62kg
・県警の鑑識課の古株。警察学校を卒業して以来四十年間、鑑識一筋で働いている、鑑識課の鑑とも呼ばれる人物。もうすぐ定年間近で、6年前までは定年延長して働くつもりであったが、妻との死別を境に考えを改める。定年後は、鑑識の仕事が忙しくろくに旅行にも連れていけなかった妻の遺影と共に、あちこちを旅して回ろうと考えている。




