〜第五話 切っ掛け〜
ドーモ、政岡三郎です。六之譚第五話、始まります。鴉天狗に連れ去られ、求婚される結奈。彼が結奈に惚れた切っ掛けは___。
町に隣接する、とある山の頂上付近___。
不可思議な力で紅葉の一部が蝋燭の灯火のように輝いているこの場所で、田中結奈は表面を平らに整えた岩の上にちょこんと座らされていた。
「だから!!何度も言ってますけど、あなたと結婚はできません!!」
結奈は目の前で跪く鴉天狗と名乗る男に、きっぱりとそう断言する。
「何故だ!?」
鴉天狗が理由を問う。
「私には夫がいるからです!!」
そう返す結奈に、鴉天狗はこう言ってのける。
「だから、その者と離縁すればよいと言っている!!」
「しません!!夫を愛しているんです!!」
町から連れ去られた結奈は、鴉天狗とのこのような問答をかれこれ一時間以上続けていた。
直也に夕飯のおかずを届けた帰り道で鴉天狗に遭遇し、『そなたを娶りにきた』と言われ、面食らう間もなくあれよあれよという間にここまで連れ去られてしまった結奈。
連れ去られる間際に結奈は激しく抵抗し、鴉天狗の翼から毟り取った羽を数枚、咄嗟の判断でここに至るまでの動線上に落としてきたが、それだけでこの場所に気付いてもらえる保証はない。
だからこそ結奈は、鴉天狗を説得してこの窮地を脱しようと考えていた。
結奈自身、彼が自らを天狗と名乗ったことと、ここまで空を飛んでやってきたという事実から、既に相手が人間ではないということは判っている。
けれど、たとえ妖怪であっても知性があって人間の言葉を話せるのであれば、話し合いでどうにか分かってもらえるかもしれないと踏んだのだ。
それがまさか、こうも話が通じないとは……。
人間の感覚であれば、好きな相手が既婚者であれば身を引くのが道理だ。
それなのに、鴉天狗は決して身を引かず、あまつさえ夫と別れろなどと、とんでもないことを言ってくるのだ。
「そもそも、どうして私なんですか!?私達、初対面ですよね?」
そう。結奈は攫われる以前に鴉天狗と会った覚えがない。
というか、こんな特徴的な人物(?)と出会っていれば、忘れるはずもない。
「否!我とそなたは二月前から、既に幾度もの逢瀬を重ねている!」
はっきりとそう断言する鴉天狗。
「私は記憶にありません!!というか、仮に会っていたとしてもその言い方はやめてください!!まるで私が、一男さんに隠れて不倫していたみたいな言い方じゃないですか!?」
結奈の言葉を聞いているのかいないのか、鴉天狗はまるでミュージカルのように仰々しく結奈との出会いを回想する。
「そう、あれは二月前の晴れやかな早朝………その日も我は、我が眷属の姿になり、空から町の見廻りをしていた……」
「……眷属の姿?」
鴉天狗の言葉に、結奈は小首を傾げる。
鴉天狗は更に続ける。
「空から見廻りをしていると町のとある一角に、おそらくは他所の山からやってきたであろう我が眷属の一団を見つけたのだ」
鴉天狗の口から、またもや”眷属”という言葉が出てくる。
「その一団はあろうことか、ごみ捨て場にて人間が出したごみを漁っていたのだ……」
「……え?」
ごみを漁っていた?その眷属が?
「我は憤った……本来高潔であるべき我が同胞が、こともあろうに人間の出したごみを漁るとは何事か!!とな……」
鴉天狗の同胞……ごみを漁る……。
「………もしかして…」
結奈の頭に、ある生物の姿が浮かぶ。
「我は直ぐ様地上へと降り、その者共を追い払った。その日以来我は、町を見廻ってはごみを漁る不埒な余所者を追い払うということを続けていた。……そんな折であった。そなたが我の前に現れたのは……」
「………あなたもしかして……あの時の”カラス”さん!?」
びっくりしながら、そう口にする結奈。
二ヶ月前、山からやってきたカラスの群れが周辺のごみ捨て場を荒らしていくことが、町内で問題になっていた。
そんな時、結奈がいつものようにごみ出しに出た折、近所のごみ捨て場を荒らしているカラス達を追い払う、一匹のカラスを見たのだ。
それを見て、はじめはカラス達の喧嘩か、或いは縄張り争いかと思った結奈だが、そのカラスは他のカラスを追い払った後、ごみ捨て場を漁ることなくその場を飛び去ったのだ。
それから結奈はその翌日も、そのまた翌々日も、そのカラスがごみ捨て場を荒らすカラス達を追い払う様を目撃した。
そのカラスは意図的にごみ捨て場を荒らすカラス達を追い払っているのだと確信した翌日、その日もごみ出しに来た結奈は、毎度のようにごみ捨て場を荒らしに来ていたカラス達を追い払ったそのカラスに、声を掛けた。
『ねぇ、きみ!いつもごみ捨て場を守ってくれて、ありがとうね!』
そう言って、結奈はそのカラスに微笑んだのだ。
その後も何日か、そのカラスがごみ捨て場を見廻りに来る度に、結奈は一言二言、カラスに声を掛けるようになったのだ。
いつも見廻りご苦労さま、と。
最近になってカラスの群れがごみ捨て場を漁ることがなくなり、そのカラスも見なくなっていた。
まさかこの鴉天狗が、あの時のカラスだったなんて……結奈は驚きを隠せなかった。
「あの時、結奈殿が我に向けてくれたあの可憐な笑み……あの微笑みを見て我は、そなたを妻に迎えようと心に決めたのだ。だから結奈殿!どうか我と夫婦に!!」
「だ、だから無理です!!」
なおも求婚してくる鴉天狗に困り果てる結奈。
その時___。
「………ムッ?」
何かに気づいたように、鴉天狗が結奈から視線を逸らして、山頂の方向を睨む。
「……どうやら侵入者のようだ。結奈殿、直ぐに戻る故、しばしここで待たれよ」
そう言うと鴉天狗は翼を広げ、結奈の返事も待たずに飛んでいく。
鴉天狗がいなくなり、灯火のような淡い輝きを放っていた紅葉から輝きが消え、辺りは夜の暗闇に包まれる。
「侵入者って……もしかして、だれかが気付いて助けに来てくれた!?」
だとしたら、ここでじっとしているわけにはいかない。結奈は立ち上がり、山頂の方へ向かって歩き出す。
辺りは暗く、紅葉の天井の隙間から差し込む月明かりだけが、結奈の足元を照らしてくれる。
夜の山を大した明かりも無しに歩くのは怖いが、今はそんなことを言っている場合ではない。
結奈はまず、すぐそこの山頂まで歩く。
やはり暗がりでの山路は危険で、山頂までの短い道中で結奈は何度も転びそうになる。
ここへ来て結奈は、スマホを持って出なかったことを後悔する。
山の中といっても町のすぐ近くの山だし、圏外で通話ができないということもなかっただろう。スマホさえ持っていれば、自分の置かれているの状況を外部に伝えられた。
万が一圏外であっても、せめて足元を照らすライトの役割は果たしてくれたはずだ。
(も〜〜私のばか〜〜!なんでスマホ持って出なかったんだろ……)
そうこう考えている内に、結奈は山頂にたどり着く。
ここからなら、町の灯りがよく見える。
ここで結奈は、少し考え込む。
鴉天狗は侵入者と言っていた。察するに、結奈の窮状を察した誰かが助けに来てくれたのだろう。
だとすれば、早くその人のもとへ行かなければ。
あの鴉天狗はたぶん、無関係の人間に見境なく暴力を振るうような人ではない。けれど、もしもその人間が結奈を連れ戻しにきた者だとしたら、何をするか判らない。
(鴉天狗さんはどっちに……あっ!)
山の斜面を見下ろした結奈は、少し離れたところの紅葉が淡い輝きを放っているのを見つける。
どういう原理かは判らないけれど、あれは間違いなく鴉天狗の仕業だ。
ということは、鴉天狗も結奈を助けに来てくれた人も、あそこにいる。
「急がなきゃ……!」
結奈は転ばないように注意しながら、山の斜面を下る。
本当は走りたいが、足場が悪い上に暗いため、走れないのがもどかしい。
けれど、淡い輝きを放つ紅葉が近づくにつれてその輝きが結奈のもとまで届いたおかげで、途中から斜面を下るペースを速めることができた。
そうして結奈は、ついに淡く輝く紅葉のもとまでたどり着く。
木の陰に隠れながら鴉天狗を探すと、彼は今結奈が居る場所よりももう少し下の地点で、誰かと向かい合っていた。
鴉天狗の視線の先にいるのは___。
「___!!直也君!?」
先程結奈が夕飯を届けた直也の姿が、そこにはあった。
おそらく、結奈が家に戻っていないという報せを受けて、家を飛び出したのだろう。
田村直也という少年は、そういう子だ。助けを求めている人のためなら、後先を顧みずに行動する。
それが結果的に、周りの大人を心配させることになるとしても、だ。
「もう!どうして……!」
直也は自分が子供であるということを、これっぽっちも理解していない。
早く彼のもとへ行かなければ。
(……だけど、相手が子供なら鴉天狗さんも……)
いくらなんでも、乱暴なことはしないだろう。そう思っていた矢先___。
「不貞かぁアアアアアアアアア!!貴様ァアアアアアアア!!結奈殿というものがありながらァアアアアアアアアアアアア!!!」
叫びと共に、鴉天狗が直也に飛び蹴りをかます。
「ええっ!?」
思わず声を上げる結奈。
子供相手になんてことを……それに、どうやら鴉天狗は直也のことを何か誤解している。
結奈は直ぐ様斜面を駆け下りる。
(早く止めなきゃ……早く……っ!!)
直也が鴉天狗の起こした風で吹き飛び、背中を木の幹にぶつける。
「不埒者がァアアアアアアア!!死に晒せェエエエエエエエ!!!」
鴉天狗が天高く足を振り上げ、直也を踏み殺そうとする。
「やめてーーーーー!!」
間一髪間に合った結奈が、直也を庇うように彼に覆い被さる。
「ッ!?」
「ナヌゥウウ!!?」
鴉天狗を高下駄が、結奈の体を踏みつけるギリギリのところで止まる。
「ゆ、結奈殿!?何故、ここに……」
狼狽える鴉天狗。
結奈は立ち上がり、鴉天狗の頬を思いきり引っ叩く。
「はぅうっ!?」
「子供に本気で手を上げるなんて最低!!たとえ独身であったとしても、そんな人とは絶対に結婚なんかしません!!」
「ッッッ!!?」
結奈のその言葉を受け、とてつもないショックで膝から崩れ落ちる鴉天狗。
そんな鴉天狗には目もくれず、結奈は再び直也の傍に屈み込む。
「大丈夫!?直也君!!」
「……やっぱこの山に連れ去られてたんだな。だから家まで送るっつったんだよ」
怪我の無い様子の結奈を見て、直也は安堵したようにそう呟く。
「何言ってるの!?子供なのに、またこんな無茶なことして!!何かあったら、どうするつもりなの!?」
「……いや、そう言う結奈さんに何かあったみてえだから、ここまで来たんだけど……」
ばつが悪そうに直也が頬を掻くと、それまで意気消沈していた鴉天狗が声を上げる。
「ゆ、結奈殿!!その男は、結奈殿というものがありながら、他の女に……!!」
そう告げる鴉天狗を、結奈はキッと睨む。
「何言ってるの!?この子は息子の友達で、夫じゃありません!!普通判るよね!?」
結奈の言葉に衝撃を受けたように、鴉天狗はあんぐりと口を開ける。
「な……なんとっ!?小童よ、何故はじめからそう云わぬ!?」
「ほざけ。言おうとしたけど、テメェが人の話聞かなかったんだろうが」
忌々しげに直也がそう告げると、鴉天狗は素直に、直也に頭を下げる。
「ヌゥゥ、赦せ小童よ。我はてっきり、貴様が結奈殿の夫であるとばかり……」
「結奈の夫は僕だよ〜ん」
直也に頭を下げた鴉天狗の背後から、ぬぅっと顔を覗かせる人物が一人。
「ヌォオッッ!!?」
驚いて飛び退く鴉天狗。
そこにいたのは、正真正銘結奈の夫である人物であった。
__第六話へつづく__
六之譚第五話、いかがでしたでしょうか?実はこの直也之草子、もう少しでお話のストックが切れます。
最終回という意味ではなく、話の続きが出来上がっていないという意味です。
最終話までの大まかな構想はもう出来上がっていますので、六之譚が終わった後はお話が出来上がり次第の不定期更新になります。
あと二話程で六之譚も終わりですが、今後も何卒直也之草子をよろしくお願いしますm(_ _)m




