〜秋口の夕餉〜
ドーモ、政岡三郎です。今回の直也之草子は、五之譚の前の幕間譚になります。(単話です)
夏休み明けの九月初め。
まだまだ残暑も厳しく、クーラーが欠かせない今日この頃。
「……」
直也はリビングで一人ソファーに寝転がりながら、テレビをザッピングしていた。
10秒程一つのチャンネルを試聴しては、すぐに次のチャンネルに変え、また10秒程観ては次のチャンネルに変えてを繰り返す。
早い話が暇なのだ。
鹿乃子をデートに誘おうにも、今日は都市部の病院に行く日らしいので誘えず、健悟は九月に入っても衰えぬ猛暑による熱中症で体調を崩し、月男は夏休みの宿題を全部サボったとかで、膨大な反省文の執筆中だ。
かくいう直也は、意外にも夏休みの宿題は、夏休みの序盤で全部済ませている。毎日書くはずの絵日記ですらもだ。
というのも、二年前までは直也も夏休みの宿題などほとんどサボっていた。
だが、宿題が未提出だと担任から連絡が入る度、母の珠稀に毎年鬼のように尻を叩かれては、月男のように鬼のような量の反省文を書かされたうえで、宿題でやるはずだったドリルも全部やらされるのだ。
無論、それだけであれば直也が懲りることはなかっただろう。
直也が心を入れかえる切っ掛けになった出来事があったのは、去年の夏休みの終わりのことだ。
その日直也は夏休みの締めの思い出作りに、鹿乃子と一緒に山でバードウォッチングデートをする予定であった。
しかし、バードウォッチング前日の夜に、母の珠稀は直也が宿題に全く手をつけていないことを見抜き、土壇場で鹿乃子との予定をキャンセルし、夏休みが終わるまで直也を宿題漬けにしたのだ。
その時の直也は、まるでこの世の終わりのような顔をしていた。
その出来事があってから、直也は宿題は夏休み序盤に全て終わらせると心に決めたのだ。
そんなわけで、今年はやらされる宿題の残りも、書かされる大量の反省文も無いのだ。
故に、暇。
(…………昼寝でもすっかな)
起きていてもやることがないと悟った直也がそう考えた、その時だった。
誰かが玄関の鍵を開け、ドタドタと家に入ってくる。
誰かが、といっても、外出していた母親の珠稀以外あり得ないわけだが……。
こんな日曜の真っ昼間から、堂々と正面玄関から空き巣に入るような馬鹿はいるまい。
「ナオー!いるかー?」
案の定、珠稀が騒がしくリビングに入ってくる。
「いるよ。ったく、一々声のデケェババアだぜ……」
「むっふっふ♪いつもなら口の悪いバカ息子にオシオキをするところだが、今日のママは機嫌が良いので、特別に許してやろう♪ナオ!買い物行くぞ!」
「あん?買い物?」
突然買い物行くぞと言われ、直也は思わずオウム返しに聞き返す。
「ふっふっふ、聞いて驚け!なんと今日、隣町に大型スーパーがオープンしたのだ!」
テンション高めに話す珠稀。
「へー………で?」
「更になんと!今日はオープンセールで肉や魚、その他全ての商品が大特価なのだ!!」
「ふーん……」
鼻をほじりながら、適当な反応を返す直也。
「見ろ、ナオ!卵一パックが、一人一つにつきなんと150円!!お米に牛乳に、お醤油も一人一つまでの大特価!!どーだ息子よ!そそられるだろ!?ン!?」
目を輝かせる珠稀。
ひとしきり話を聞いた直也は、ハァ……とため息を一つついて言う。
「……要するに、俺も一緒にレジに並べって言いてぇんだろ?」
「分かってるじゃんか、ナオ~~♪さーぁ、車に乗れぇーい!」
車の鍵を持って、意気揚々と玄関へ向かう珠稀。
まるで嵐のようなテンションの珠稀を目にして、直也はポリポリと頭を掻く。
「……ま、暇だったから別にいいけどよ」
そう言うと直也はテレビの電源をオフにし、玄関へと向かった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
───車を走らせて30分弱。
直也と珠稀は、オープンしたばかりの大型スーパーへとやってきた。
「オープンしたてなだけあって、混んでんな?ったく、こんな片田舎によくもまぁ、これだけ人が集まるもんだぜ」
人の多さに呆れる直也。オープンセールとなると、考えることは皆一緒らしい。
「ほら、ナオ!ボサっとしない!行くよ!」
「りょーかい」
車を降りて早足で店内へ向かう珠稀。直也もそれに追従する。
二人でカゴとカートを持って店内に足を踏み入れるや否や、新鮮なフルーツの香りが二人の鼻孔をくすぐる。
「やっぱスーパーの入口といやぁ、フルーツ売場だよな?この匂いを嗅ぐと、俺でもちょっとテンション上がるぜ」
「果物はあと!まずは数量限定の卵と牛乳とお米とお醤油!早めに確保しておかないと、すぐになくなるから!」
「へいへい」
二人はまず、卵の売場を探す。
こうしたスーパーでは、卵の売場は他の生鮮食品と比べて小さく、あまり目立たないものだ。
「卵はたぶん、この辺りに……あった!」
卵の売場を見つけた珠稀。
見ると、卵はもうジャスト2パックしか置いていなかった。
「あっぶな……ギリギリで2パック確保できたね。とりあえず、ほい。まず卵」
「おう」
渡されたパックをカゴに入れる直也。
そうして二人は牛乳、醤油、米と、数量限定の物を順番にカートに積んでいく。
「しっかし、マジで安いな。この魚沼産コシヒカリとか、5キロで2000円切ってやがるぜ?」
「だからあんたを連れてきたの。さ、ここからはノープラン!ジャンジャン買い溜めするぞ、ナオ!」
「おう!」
それから二人は、手当たり次第に売場を物色する。
「おっ!見ろよお袋!初物の秋刀魚だぜ!やっぱ秋は、こいつを食わなけりゃ始まらねえぜ!」
「ほぅ?今年の秋刀魚は全体的に小ぶりだってニュースで言ってたけど、なかなかどうして、立派なものじゃないのさ。よし、今夜のおかず決定!」
「せっかく晩飯秋刀魚にするんだし、どうせなら栗も買って栗ご飯にしようぜ?今日の晩飯は秋尽くしだ!」
「むぅ……500グラムだと450円だけど、キロの方だと800円……100円も安くなるのか。……まぁ、余っても冷凍すれば二、三ヶ月は日持ちするし、キロでいっか!」
「うおおっ!?お袋、ヤベェぞ!!国産の松茸が一本3200円で売ってやがる!!買おうぜお袋!なぁ買おうぜ!?」
「なにぃ!?国産が3200円だとぉお!?豊作の年ならともかく、今年は不作だって話だぞ!?これは………これは…………ええい、ままよ!買っちゃる!!」
「神戸ビーフのサーロイン4000円ジャスト!!もうここまで来たら、行くところまで行っちまおうぜ、お袋!!」
「そうかそうか!!確かに4000円は安いな、うん!!テメェいい加減にしろよ?」
「「た~~のし~~~い♪」」
店側のオープンセールという名の大盤振る舞いに、ルンルン気分ではしゃぐ田村家の母と息子。
そうして二人は、安売りされている食材をしこたまカゴに放り込み、レジに向かう。
「いや~大漁大漁♪こんないい食材がこれだけお値打ち価格で手に入るなんて、オープンセール様様だね、ナオ」
「まったくだぜ!そうだお袋。焼きは秋刀魚で飯は栗だから、松茸は土瓶蒸しにしようぜ?」
そんなことを話していると、ふと直也の視界に、一組の親子が映り込む。
「やだやだぁ~~~!!今日はオムライスがい~い!!」
「そんなこと言ったって、売り切れてるんだから仕方がないでしょう?今日は別のもので我慢しましょうね?」
「や~~~だ~~~!!」
幼稚園児くらいの男の子が、駄々をこねて母親を困らせている。
どうやら、卵がさっき直也達がとった分で売り切れてしまったことが原因らしい。
直也はカゴから卵のパックを取り出すと、その親子に歩み寄る。
「あの~すんません。よかったら、これどうぞ」
男の子の母親に卵を差し出す直也。
差し出された卵のパックを見て、驚いた顔をする母親と、目を輝かせる男の子。
「お兄ちゃん、いいの!?」
「そんな、悪いわ……」
「別にいいっすよ。うちはババアがもう一パック確保してるんで。考えてみりゃあうちはババアと二人暮らしだし、一パックありゃあ充分っす」
そう言って、卵を男の子の母親に渡す直也。
「なんてお礼を言ったらいいのか……どうもありがとうございます。ほら、なお君もお礼言いなさい」
「……なお君?」
母親が男の子を『なお君』と呼んだのが気になり、直也は男の子に訊ねる。
「なぁ、坊主。名前はなんていうんだ?」
「ぼく、なおやっていうんだ!」
男の子が元気よく答える。
「へぇ、奇遇だな?俺も直也ってんだよ」
そう言うと直也は、男の子の頭にポンと手を置いて告げる。
「たくさん食ってでっかくなれよ、なおや!」
「うん!どうもありがとう、なおやお兄ちゃん!」
レジの方へと戻っていく直也に、男の子は笑顔でお礼を言った。
「……卵、別によかったよな、お袋?」
珠稀のもとに戻った直也が、今更になって訊ねる。
「……息子が年下の子に優しくしてる様を見て、怒れる親がいるかっちゅうの」
やれやれといった様子で、珠稀は苦笑した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「お袋、七輪あったよな?」
買い物から帰ってきて、直也は台所の棚のスペースを漁りながら訊ねる。
「あるけど、わざわざ七輪で秋刀魚焼くのかぁ~?こだわるねぇ~あんたも……」
ぬるま湯に栗を浸け皮を剥く下準備をしながら、こだわりの強い息子に呆れる珠稀。
「当然だろ?秋刀魚は七輪で焼くのがいちばん旨ぇんだ。お袋、炭と火ばさみどこ?」
「物置見てみなー」
そうして二人は、夕飯の準備を着々と進めていく。
珠稀は米を研いで水に浸けている間に栗の皮を剥き、直也は庭で七輪に炭と着火材を入れて火をつける。
「ナオ~。火ぃついたか~?」
台所から庭先にいる直也に声をかける珠稀。
「おー。いつでも焼けるぜー」
団扇で炭に風を送りながら答える直也。
外が暗くなり、珠稀は早速栗ご飯を炊いて、薄切りにした松茸とだし汁を土瓶に入れて、火にかける。
直也の方も秋刀魚を二尾、網に乗せて焼き始める。
残暑も厳しく、まだまだ蝉の声が外に響く中、庭先から七輪で秋刀魚を焼く音がする。
もう九月なので日が落ちるのも早いため、秋刀魚を焼き始めてから少しして、辺りが暗くなってくる。
秋刀魚の油が滴り、それが炭に落ちて香ばしい煙が上がる。
「そろそろいいな。お袋ー、秋刀魚焼けたぜー。そっちはできたかー?」
庭先から直也が、キッチンにいる珠稀に訊ねる。
「土瓶蒸しは準備おっけー。栗ご飯もそろそろ炊けるよー」
「よぉ~し!」
直也は秋刀魚二尾を皿に移して七輪の火を消す。
そして再び家の中に戻り、秋刀魚を食卓に並べる。
「栗ご飯できたぞーナオー。大根おろしとすだちの準備もおっけー♪」
こうして食卓に、次々と今日の夕飯が並んでいく。
新秋刀魚に栗ご飯、松茸の土瓶蒸しに、残り物の茄子のおひたし。
贅沢尽くしな、秋の夕食だ。
「そんじゃあ……いただきまーす!」
「いただきます」
二人は手を合わせて食事を始める。
まず直也は、炭火で焼いた秋刀魚に箸をつける。
「………うまっ!!」
ふっくらした身の旨さと、炭の香ばしい匂いが、一気に直也の食欲を爆発させる。
直也は更に、秋刀魚をもう一口。今度はすだちを絞ってからいただく。
「やっぱ秋刀魚には、すだちが一番だな!なぁお袋?」
「ふっふっふ。ナオよ、すだちが合うのは秋刀魚だけじゃないぞ~?」
既に土瓶蒸しのだしをお猪口に注いで舌鼓を打っていた珠稀は、二杯目のだしを注いだお猪口にすだちを絞る。
「おお!そういうのもアリなのか!よっし、俺も!」
実を言えば、土瓶蒸しを食べるのはこれが初めての直也。珠稀に倣って、早速お猪口に土瓶からだしを注ぎ、そこにすだちを絞る。
飲んでみると、松茸の芳醇な香りにすだちの風味が加わり、えもいわれぬ味わいだ。
「こらこら、まずはすだちを絞らずそのまま味わわんか、お子ちゃまめ」
「ぐっ……俺としたことが……」
一口目からすだちを絞った自分の迂闊さを反省する直也。
「……ふふ」
そんな息子を見て、珠稀は微笑む。
思えば、田村家から父親がいなくなって早三年と半年。
夫がいなくなっても、珠稀は直也のためにと、常に気丈に振る舞い続けてきた。
けれど、それができたのも───。
直也とのこんな、何気無い日常があったからこそだ。
もしも直也が産まれてきていなければ、珠稀は今でも夫がいなくなったという現実に苛まれていただろう。
「………ありがとね、ナオ。産まれてきてくれて……」
息子との幸せな食事のひとときを噛み締めながら、珠稀はぽつりと呟く。
「………あん?なんか言ったか、お袋?」
栗ご飯を掻き込む手を止め、何かを呟いた珠稀に訊ねる直也。
「………なんでもないよ。さ、食え食え♪まだまだおかわりもあるからな!」
「??おう……」
珠稀の様子に少しきょとんとしつつ、直也は再び栗ご飯を掻き込む。
父親のいない田村家の、いまだ残暑厳しい九月の夕食風景であった。
──五之譚 第一話へ続く──
幕間譚秋口の夕餉、いかがでしたでしょうか?今回は夏休み明けの最初の休日のお話で、田村家母子のほのぼの日常回でした。
ちなみに、”夕餉”とは”ゆうげ”、つまりは夕飯のことです。
日本を代表する作家の一人、池波正太郎先生は、自身の作品において料理やそれを囲む食事風景の描写にとても拘っておられました。
自分も先生が作中で描写する食事風景に素人ながらに感銘を受け、今回の幕間譚を書こうと思い至りました。もっとも、私の書く食事風景など先生の足元にも及びませんが……。
やっぱり、季節や生きている人間を描く上で、食事風景の描写は欠かせませんよね。
さて、次は五之譚ですが、実を言うと五之譚も前半部分は過去回想になります。
というのも、五之譚では一之譚で登場した刀、”大通連”と、それを直也に授けたコバヤシとの出会いを描く譚だからです。
直也はどのような形でコバヤシと出会い、大通連を託されたのか?こうご期待!




