〜第十五話 追憶 葛西君枝〜
ドーモ、政岡三郎です。二之譚第十五話、始まります。今回はまたまた追憶編になります。過去回想多くて申し訳ない……。
葛西君枝。
幼い頃、彼女はどこにでもいる普通の少女だった。
強いて特殊な事を挙げるとするなら、それは彼女の家庭環境。
彼女が四歳の頃に、彼女の両親は母親の不倫が原因で離婚。父親に引き取られたのち、その父は君枝が六歳の頃に再婚。
翌年には、父と新しい母親の間に妹も産まれた。
今にして思えば、その日からだった。
君枝が露骨に、差別されるようになったのは。
のちの検査で、妹は生まれつき体が弱いことが判明し、両親は妹に掛かりきりになった。
最初のうちは、妹の体が弱いからだと、君枝は思っていた。
だからこそ、君枝も妹には優しく接していたし、ある程度のことは我慢もしていた。
しかし、日々の生活の中で君枝の両親に対する"違和感"は増すばかりだった。
例えば君枝が学校のテストで100点を取った時、父は笑み一つ浮かべず、『これからもその調子でな』とだけ君枝に言った。
君枝が運動会のかけっこで1番になった時、新しい母はさして興味が無さそうに『そう、良かったわね』とだけ君枝に言った。
君枝が美術の時間に描いた絵が賞を貰った時、父も母も何も言わず、妹に掛かりきりだった。
妹が再び入院した日の夜、君枝は夕飯を与えられなかった。妹に掛かりきりの両親が、君枝のことを完全に忘れていたからだ。
こんな日々の、積み重なった違和感の正体に、君枝は小四の冬に気が付いた。
妹が産まれてから父も母も、一度として自分に笑顔を向けたことがない。
君枝がどんなに頑張っても……どんなに凄い賞を貰っても……。
褒められ、励まされ、笑顔を向けられるのは、体が弱い妹ばかり。
どうすれば両親は自分を見てくれるのか、君枝は必死になって考えた。
ある時はどしゃ降りの日にわざと雨に打たれて、自分から風邪をひきにいったこともあった。
風邪をひくことには成功したが、その時に両親が君枝に向けた眼差しは冷ややかなものだった。
結局両親は最低限の風邪薬を渡すだけで、それ以上君枝に構うことはなかった。
───どうして、自分を見てくれないのだろう?
───どうすれば、自分に構ってくれるのだろう?
それを考えていた小五のとある夏の日。
気付けば君枝は、妹が寝ている病室のベッドの前に居た。
時刻は正午過ぎ。父は仕事、母は来る妹の誕生日に備えて、プレゼントを買いに出掛けている。
病室は個室で、ベッドの上では点滴に繋がれた妹が、すやすやと寝息を立てていた。
妹に繋がれている点滴は、まだ小学生の君枝には分からないが、妹にとって必要なものであるらしい。
ふと、なんとなく───。
君枝は、妹に繋がれている点滴のチューブを外した。
何故君枝がこんなことをしたのか、理由は明白だ。
───もしこれで、妹がいなくなれば……。
今度こそ両親は、自分を見てくれるかもしれない。
そんな黒く純粋な考えが、君枝を動かしたのだ。
妹は死んだ。
点滴から薬を接種できていない状況に、看護師が気付くのが遅すぎたのだ。
両親は嘆き、悲しみ、怒り狂った。
だけど、点滴のチューブを外したのが君枝であることはバレていない。
これで二人は、自分を見てくれるだろうか?
そう考えた君枝の希望は、妹の葬式日に、最も残酷な言葉で以て砕かれた。
───お前が死ねば良かったのに。
葬式の席で、最初に二人が君枝に放った言葉がそれだった。
前妻の子である自分は、二人に疎まれていたのだ。
父は言った。
日に日に前妻に似ていくお前の顔が忌々しいと。
母は言った。
血の繋がっていないお前なんか、端から家族と思ってはいないと。
その瞬間、君枝は理解した。
この二人はもう、どうあがいても自分を見てはくれない。
二人の笑顔は、永遠に手に入らないのだ。
それを理解して、君枝は思った。
───ああ───もう、"これ"は要らないな。
父と母を殺すのは簡単だった。
たとえ子供であっでも、包丁で寝込みを襲えば大人二人を殺す事など容易い。
けれど強いて言うなら、返り血がつかないように殺すのは流石に難しかった。
人の心臓を包丁で刺す事など今回が初めてなのだから、当然と言えば当然だ。
過度な証拠の隠滅も、必要なかった。
現場に残る髪の毛や指紋も、そもそもとしてここは君枝の暮らす家なので、残っていて当然だ。
もっとも、犯行時は一応手袋を着用したが、それも近所の川に捨てた。
万が一手袋が見つかっても、血液反応以外の痕跡は川の水が洗い流してくれる。
後は警察を呼んで、現場の第一発見者を怯えながら装えば、二人の子供でかつ小学生の君枝を疑う者など、まずいない。
案の定、君枝は疑われることなく、事件は迷宮入りとなった。
その後君枝は、父方の祖父母の家に引き取られ、高校卒業までをその家で過ごした。
________________________
あの日から君枝は、欲しいものに対して異常なまでの執着を見せるようになった。
もっとも、その欲しいものは主に人……それも、男女問わず自分が魅力を感じたものは、どんな手を使ってでも手に入れた。
ある時は、線の細い体躯が気に入り友人の彼氏を寝とったり……。
ある時は、気に入った顔の後輩女子を裏で根回しをすることで自分に依存させて、特別な関係になったり……。
自分が美しいと思ったり、いとおしいと思ったものを手に入れるのに、ありとあらゆる手段や労力を費やすことを、君枝は惜しまなかった。
それは、彼女がかつてどう足掻いても手に入れられなかったものへの、コンプレックスの表れでもあった。
そんな君枝が警察官になったのは、大した理由ではなかった。
君枝は護身術……というより、相手を屈服させるための一つの手段として、柔道を学んでいた。
その実力は中々のもので、段位の獲得はもちろん、大学時代はインターカレッジで準優勝も収めている。
その経歴が警察官採用試験では有利になると、大学時代の先輩に警察官を勧められたのだ。
この時は、公務員なら安定した給料が貰えるだろうと、深く考えずに警察官になることを選んだ君枝だった。
なんなら君枝は学業も優秀で、大学も日本有数の名門だったため、国家公務員試験を受けていわゆるキャリア組になる道もあった。
しかし、人以外のものには然程執着しない君枝は、国家公務員は地方公務員よりも転勤が多く面倒だろうと考え、地方公務員に甘んじた。
こうして地方警察職員になった君枝は、数年で地元警察署の生活安全課の刑事になった。
そこそこの出世をして、そこそこ良いマンションに住む。
そんな何一つ不自由の無い、順風満帆な生活を送っていた君枝だったが、ある時彼女は運命の出逢いを果たす。
それは、寒さの増してきた十一月のこと。
生活安全課に、一件の相談が舞い込んできた。
相談者は市内のエステサロンに勤める20代の女性で、相談内容は元彼のストーカー行為に悩んでいるとのことだった。
君枝以外の刑事は、ストーカーが相談者の元彼ということもあって、民事の案件と考えてあまり真剣には取り合わなかった。
しかし、君枝だけは唯一彼女の相談に親身に取り合った。
しかし、その理由は一般市民を守るためという、警察官としての使命感によるものではなかった。
君枝が彼女の相談に乗った理由は、彼女の手に魅力を感じたからだ。
エステサロンに勤めているだけあって、日頃からハンドマッサージで乳液などを用いているからか、彼女の手はシミ一つなく、爪も整っていて、とても魅力的に見えたのだ。
言ってみれば、彼女の幼い頃から抱える欲望。
欲しいと思ったものはどんな手を使ってでも手に入れようとする彼女の執着心が、再発しただけのことだった。
同じ女性で、なおかつ唯一自分の相談に親身に対応してくれたこともあってか、相談者の女性はすぐに君枝に心を開いた。
それから君枝は、仕事の上だけでなくプライベートでも彼女の勤めるエステサロンに通うようになった。
彼女のしなやかな手でオイルマッサージを受ける時間は、君枝にとって至福の一時だった。
しかし、件の彼女の元彼は少しばかり厄介だった。
ストーカー行為を止めるよう警告しても、二言目には『これは彼女と自分の個人的な問題だ。警察は民事の問題にも口を出すのか?』と、警察の民事不介入の原則を盾に、逆に強気に出てくる。
ストーカーの男はどうやら、法律関係のことに無駄に詳しいらしかった。
何度警告しても、自分がかつて彼女と交際関係にあったという事実を盾に、これは自分と彼女の個人的な問題だと主張してくる。
いい加減に、君枝もうんざりしていた。
自分が彼女と親しくなる切っ掛けとしては、この男も役には立ったものの、彼女と親しくなれた今では、もはやただの邪魔者だ。
───こいつも殺してしまおうか?
君枝のこの考えは冗談などではなかった。
君枝は過去に、三人もの人間を殺している。
あの日以来、殺人という手段を実行に移したことはないが、既に自ら手を下している君枝は、いざとなればその手段を躊躇うつもりはなかった。
君枝は大きめの中華包丁を用意した。
殺した時に、死体をバラバラに切断した方が、死体を遺棄しやすいと考えたからだ。
そして、中華包丁を購入した翌日。
君枝が購入した中華包丁を自宅マンションの車のトランクに隠している、ちょうどその時だった。
ポケットにしまっていた君枝のスマートフォンが、通話を報せた。
スマートフォンの画面を確認すると、電話を掛けてきていたのは件の元彼のストーカー行為に悩まされている、手の綺麗な彼女だった。
君枝が通話に出ると、件の彼女は開口一番こう言った。
助けてください、と。
なんでも、君枝がいくら注意してもストーカー行為を止めない男に業を煮やし、彼女は直接文句を言いに行ったらしい。
その結果話はもつれ、車で逃げ出した彼女を、男がバイクで追い回しているらしい。
市内から離れた山道まで来たけれど、それでも男はしつこく追ってきているようだ。
今は、スマートフォンで君枝と通話しながら運転を続けているという状況らしい。
君枝がすぐにそちらへ向かうと告げたその瞬間、彼女の悲鳴と同時にけたたましい音が、スマートフォンから聴こえてきた。
悲鳴と音が止み、君枝はスマートフォン越しに呼び掛けるが、彼女からの返事はない。
胸騒ぎを覚えつつ、君枝は車に乗り込んだ。
──第十六話へ続く──
二之譚第十五話、いかがでしたでしょうか?前回の後書きで制作裏話を話すと言いましたが、今回はその前に登場人物紹介其の二十三の解説となります。なんというか、天の邪鬼で申し訳ない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
・栗林紗絵
・誕生日:1月22日(当時26歳)
・身長:159cm ・体重:48kg
・都市部にあるエステサロンに勤めていた女性。地元の大学を卒業後、夢だったエステティシャンになるべく一念発起して、県内のエステサロンでアルバイトをして現場経験を積みながらエステティックスクールに通い、晴れてエステティシャンの資格を得た。大学時代に過度な束縛とDVが原因で別れた元カレに最近になって再会。以降彼から執拗なストーカー行為を受けるようになり、そのことを警察に相談。その時相談を受けたのが、葛西君枝だった。




