〜第五話 追憶 一〜
ドーモ、政岡三郎です。最近投稿が少し遅れ気味なので、自身の気の緩みを感じています。これからは気をつけます…。そんなこんなで二之譚第五話、今回から少しの間、河西賢二の追憶編になります。
河西賢二と井下愛弓は、家が隣同士の幼馴染みだった。
子供の頃、人当たりが良く社交的な愛弓とは対照的に、賢二は内向的であまり人と関わろうとしない少年だった。
そんな賢二は唯一、隣に住む一つ歳上の愛弓にだけはなついて、愛弓も賢二のことを弟のように可愛がっていた。
二人はよく、愛弓の家の屋根の上に登って星を眺めていた。
愛弓は星が好きで、賢二を自分の家の屋根の上に誘っては、二人で星空を見上げながら賢二に星や星座にまつわる話を聞かせていた。
『あれがデネブで、その上のがベガ。それで、あっちにあるのがアルタイルって言って、この三つの星を線で結んで、夏の大三角形っていうんだよ!』
自分のとなりで、楽しそうに星の話をする愛弓の横顔を、賢二は今でも覚えている。
『それでね?ベガとアルタイルは、日本の七夕の、織姫さまと彦星さまなんだよ。ベガが織姫さまで、アルタイルが彦星さま!』
織姫がベガで、彦星がアルタイル。
その話を聞いて、幼い賢二はふと思う。
もしも織姫が愛弓だとしたら、彦星は誰だろう?
少なくとも、自分ではない。
自分はおそらくデネブだ。
彦星よりも織姫の近くにいるのに、彦星の代わりには決してなれない。
織姫と彦星。見つめあい、想いあう二人を、横からただ見つめるだけの存在……。
『……??どうしたの、賢ちゃん?』
ふと、賢二の様子がおかしいことに気付いた愛弓が、賢二に訊ねる。
賢二は咄嗟になんでもないと言いそうになって、その言葉を飲み込む。
そして、飲み込んだ言葉の代わりに、愛弓にこんなことを言う。
『…………ねぇ、あゆちゃん』
『?なぁに、賢ちゃん?』
『…………もしもこの先、あゆちゃんがあゆちゃんにとってのアルタイルに出逢っても………ぼくのこと、忘れないでいてくれる?』
賢二のその言葉に愛弓は驚いたような顔をした後、少しだけ笑みを溢してからわざとらしく膨れっ面になる。
『………もう!こういう時は普通、ぼくがあゆちゃんのアルタイルになるよって言うものじゃないの?』
『ぼ、ぼくは………無理だよ……。こんな性格だし……』
賢二の卑屈な返答に、愛弓はきょとんとする。
『どうして?賢ちゃん、とっても優しいのに……』
愛弓に褒められ、賢二は少しだけ顔を赤らめる。
『ぼ、ぼくは優しくなんかないよ……。仮にそうだったとしても、あゆちゃんが相手だったらぼくじゃなくても……誰だって優しくするよ』
『ううん、違うよ』
愛弓はそう言うと、賢二に優しく微笑みかける。
『同じ優しいでもね……賢ちゃんの優しいは、特別なんだよ♪』
星空の下、そう言って笑う愛弓は───。
空に瞬くどんな星よりも、輝いて見えた。
この時、賢二は改めて自身の初恋を自覚した。
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賢二が親の仕事の都合で引っ越すことになったのは、それから一ヶ月後のことだった。
それまで親に手間をかけさせたことのない賢二が、初めて大泣きして親に手を焼かせた。
しかし、親の仕事の都合である手前、いくら子供がごねたところでどうすることもできず、ついに引っ越しの当日を迎えてしまった。
『賢ちゃん……』
愛弓が口を開く。
賢二が顔を上げて愛弓の顔を見ると、目元が少しだけ腫れぼったい。
自分のために泣いてくれたのだと分かり、賢二はまた泣きそうになる。
『………これ、あげる』
そう言うと、愛弓は賢二に持っていた本を手渡す。
それは、天体や星座に関する逸話をまとめた図鑑だった。
『たまにでいいから………その図鑑を見たら、星空を見上げてほしいな……。そうしたら、わたしも同じ星空を見てるから』
そう言う愛弓の目から、もう何度目かも分からない涙が溢れる。
『また…………会えるよね?』
賢二は頷いた。
また会える。愛弓の言ったその言葉を、まるで自分自身に言い聞かせるかのように、何度も、何度も頷いた。
こうして、二人は離ればなれになった。
賢二は引っ越した先の東京の学校に馴染めず、友達と呼べる存在はできなかった。
愛弓と会えなくなったことで、殊更自分の殻に閉じ籠るようになってしまったことも、その原因の一つだ。
そうしてろくに友達もできないまま時が経ち、賢二は中学生になった。
きっと中学に上がっても、友達は作れないだろう。賢二はそう思っていた。
それだけで済めば、どれ程良かっただろう。
賢二は中学に上がってから三年間、いじめの対象として、地獄のような日々を送ることになる。
原因は些細なことだった。
入学式から一ヶ月経った五月のある日、一人の女子生徒が、悪い意味で学校で有名な女子グループに校舎裏に呼び出されているのを、賢二が偶々目撃したことが始まりだった。
それが絶対に和やかなことではないというのは、一目瞭然だった。
彼女達のあとにこっそりとついてきた賢二が見たものは、一人の女子生徒の制服を剥ぎ取る四人の女子生徒と、その様子を携帯で撮影するリーダー格の女子生徒という状況だった。
気付けば賢二は、後先考えずに彼女達を止めに入っていた。
今にして思えば、何故自分はあんな余計なことをしてしまったのか……賢二は自問自答する。
友達もできない、気弱で卑屈な自分を変えるチャンスだと思ったのかもしれない。
愛弓が特別だと言ってくれた、優しい自分でありたかったのかもしれない。
少なくとも確かなことは、彼女達のいじめの対象が、一人の女子生徒から賢二に替わったということだ。
彼女らは、上級生の彼氏や仲間の同級生の男子等を使って、賢二を執拗に追い詰めた。
机に落書きをされるくらいならまだ良い方で、ある時は靴箱に腐った生ゴミを入れられ、またある時は教室で座るための椅子を隠された。理由のない暴力などはしょっちゅうだ。
ある日、委員会の雑用を押し付けられ帰りが遅くなったところを、いじめの主犯格の不良共に狙われてしまった。
どうにか必死に逃げようとしたが、校舎裏に逃げ込んだところで捕まってしまい、いつものように暴力を受けた。
賢二に暴力を振るう最中、リーダー格の不良が賢二の鞄に手をかけた。
鞄をひっくり返し、中身の教科書やノートを地面にぶちまける。
リーダー格の不良がそれらを踏みつけようとした刹那、賢二はその不良を思いきり突き飛ばした。
不良がぶちまけたものの中には、別れ際に愛弓がくれた天体図鑑があったのだ。
せめてこれだけは守ろうと、賢二は天体図鑑を抱き締め、地面に頭をつけて踞る。
突き飛ばしたことが不良達の神経を逆撫でしたためか、そこからの暴力はいつにも増して執拗なものだった。
殴られ、蹴られ、どれくらい時間が経ったか……。
不良達の気が済み去っていく頃には、賢二の顔は痣だらけで、制服は土まみれになっていた。
それでもなんとか天体図鑑は守り抜いた賢二は、そのままぐったりと地面に横たわる。
その時、賢二はふと近くに誰かの気配を感じ、体を起こす。
不良達が戻ってきたのかと思ったが、そこにいた人物は賢二をいじめているグループとは違う、一人の女子生徒だった。
その女子生徒には見覚えがあった。
その女子は、賢二がいじめられる前にいじめられそうになっていた………賢二がいじめられることになったあの日、校舎裏にいた生徒だ。
その女子は賢二と目が合うと、あの時のお礼を言うでも、賢二を心配するでもなく、賢二が何かを言う前にそそくさとその場を去っていく。
(………声をかけてもくれない)
賢二は天体図鑑を抱えたまま、地面に仰向けに倒れ、夜空を見上げる。
(……星が………見えないよ…………あゆちゃん)
星が見えないのは、東京の夜空が驚くほど暗いせいか、或いは涙で視界が滲んで見えないのか……。
賢二には分からなかった。
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父親の仕事の都合により再び引っ越すことが決まったのは、高二の夏のことだった。
高校に進学していじめこそなくなったものの、依然として友達と呼べる程仲の良いクラスメイトも居なかったので、引っ越すことに対して異存はなかった。
むしろ次に引っ越す場所は、前に住んでいた町の少し先の、同じ沿線の町だと分かり、胸が高鳴った。
電車一本乗れば会える距離に、愛弓の家がある。
また愛弓に会えるかもしれない。そんな期待に胸が膨らんだ。
しかし、いざ地元の高校への転校手続きを終えて引っ越してみると、段々と期待よりも不安の方が大きくなっていく。
愛弓とはもう何年も会っていない。彼女は今も、あの町に住んでいるのだろうか?
仮にまだ住んでいたとして、自分は本当に彼女に会ってもいいのだろうか?
愛弓は明るく、社交的な性格だった。自分と違って、この数年で新しい友達も沢山できているだろう。
もしかしたら、自分のことを覚えていないかもしれない。仮に覚えていたとしても、この数年ろくに友達もできなかった自分のような根暗が、今更幼馴染みヅラして話し掛けても、迷惑かもしれない。
自分に、愛弓と会う資格はあるのか。そんな不安に苛まれながら、賢二は転校先の西原高等学校の門を潜る。
根暗なりに転校の挨拶をつつがなく終えて席につく。
最初こそ、東京からの転校生ということで話し掛けられもしたが、賢二が根暗だと分かると、クラスメイトはあっさりと興味を失った。
これでいいと、賢二は思った。
下手に興味を引きずられても、面倒なだけだ。
そうして初日の授業を終えて放課後になった頃、クラスの担任が部活の入部届けの用紙を渡してきた。
聞くところによると、西高は校則で部活動への参加が必須事項らしい。
なんて面倒なと思いつつ、賢二は文化部系の部活でどんな部があるか、担任に質問する。
その流れで賢二は、この学校に天文部があることを知る。
賢二は迷わず天文部を選んだ。
東京の夜空は星が少なく、見上げる機会も多くなかったが、それでも賢二は幼い頃に愛弓と一緒に見た星空が忘れられなかった。
早速職員室に入部届けを出しに行くと、賢二は天文部の顧問の先生に星が好きなのかと訊ねられた。
はいと答えて愛弓から貰った天体図鑑を鞄から取り出した瞬間、あろうことか賢二はその場で天文部の部長に任命された。
聞くところによれば、天文部は現在学校の校則でとりあえず籍を置いているだけの幽霊部員の集まりで、まともに活動する部員がおらず、廃部寸前だそうだ。
その話を聞いて少し呆れはしたものの、活動する部員が自分一人であれば面倒なことはないだろうと、賢二は部長の任を了承する。
入部手続きを終えて、賢二は早速部室に向かう。
部室は東校舎三階の一番端の教室らしい。
聞くところによると、部室には天文部らしく天体望遠鏡も完備しているそうで、賢二は少しだけ上機嫌で部室の扉を開けた。
その瞬間、賢二はぽかんと口を開けて目を丸くする。
なんとそこには、一人の女子生徒が天体望遠鏡の整備をしていた。
現状天文部の部員は皆幽霊部員だと聞いていたので、まさか人がいるとは思ってもみなかった。
望遠鏡を磨いていた女子生徒も、人が来たことに驚いたのか、目を丸くして賢二の方を見る。
その瞬間───。
『───賢ちゃん?』
その女子生徒は、賢二のことを"賢ちゃん"と呼んだ。
そしてその瞬間、賢二もその女子生徒が誰か分かった。
『……………あゆちゃん……?』
──第六話へ続く──
二之譚第五話、いかがでしたでしょうか?ここから少しずつ、河西賢二という人間の内に抱えるものを明らかにしていきます。そんなわけで今回の登場人物紹介其の十七は彼です。
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・河西賢二
・誕生日:8月8日(17歳)
・身長:177cm ・体重:59kg
・井下愛弓の一つ年下の幼馴染。愛弓とは家が隣同士で、幼い頃はよく二階の窓から互いの部屋を行き来しては一緒に遊んだり、家の屋根に登って二人で星を眺めたりした間柄。その頃から彼は愛弓に対して淡い想いを抱いていたが、自分に自信が持てない生来の内向的な性格の賢二は、その想いを愛弓に伝えられないまま引っ越してしまった。内向的な反面、困っている人を見過ごせない心優しい性格で、中学時代はその性格が災いして陰湿なイジメに遭った。星が好きだった愛弓の影響で天文部に入るなど、彼は愛弓の存在に大きな影響を受けている。愛弓に貰った天体図鑑は、彼の宝物。




