表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
喜目良商店街の悪魔  作者: 稲荷崎 蛇子
11/14

part11 喜目良商店街の女帝



 鰐淵はアーケードを飛び出すと、蛇川の姿を探す。


「昼休憩までのあいつに妙な所はなかった。恐らく、その時点では願い事について何も気づいてなかったはずだ」

「でしたら、その後に彼女が向かう場所は……」

「アーケードの方にはいなかった。国道沿いの飯屋通りじゃない?」


 チェーン店から個人店まで、国道沿いの通りには飲食店が集中している。夏祭りの混雑を避けた蛇川が、商店街から少し外れた所へ向かうのは自然に思えた。


「そっちに行ってみるか……」


 手遅れでなければ良いが、と鰐淵は眉をひそませた。数時間以上の猶予があった針澄と違って、蛇川が外に出てから一時間半ほどしか経過していない。最悪の事態だけは食い止められるはずである。

 しかし、国道沿いの通りに出た鰐淵は絶句した。


「これ、は……」


 国道は封鎖されていた。溢れかえるような人の群れが、車道に集まり行進しているのだ。他の車が通る事は出来ず、完全に交通マヒを起こしている。あちらこちらにパトカーが散見されるが、そのどれもがひっくり返されていた。何かのテロ行為、あるいは過激なデモ行進を思わせる光景が広がっている。

 最も異様なのは、パトカーをひっくり返しているは警察官で、行進の中にも警察官らしき人間が混ざっている事だ。


「……」


 突然に、日本政府が消滅して無法地帯になったのだろうか。あるいは異世界に迷い込んだのか。鰐淵の理解できない状況が展開される中、通りの向こうから巨大な玉座がやって来た。


「ま、まさか……」


 大型トラックを改造したらしきそれは、積載されている巨大玉座を前にするようバックで現れる。人々の波に運ばれるように、ゆっくりと進んで来る。

大音量でまき散らしているのは、軽快というよりは軽薄な音楽だと鰐淵には思えた。時折、高収入! の一言が合いの手として歌詞に組み込まれている。

 玉座は横に大きいソファーの形をしていて、その周りを半裸の美少年らが囲んでいる。


「おや?」


 ソファーに寝そべったまま。付近の美少年に自分の世話をさせる、その女は鰐淵を見つけると片手を振った。


「鰐淵さんじゃありませんか。お店はどうしたんですか?」


 蛇川は朗らかに言った。


「私のハーレムに加わりたいなら、一番後ろに並んで下さい。順番ですよ、順番」


 鰐淵の隣では、あまりの事に愕然とする針澄と犬飼。鰐淵は半歩下がると、そのおぞましさに感想を漏らした。


「お前のハーレムのイメージって、そういう感じなの……?」

「おやおや? どうして鰐淵さんは正気で……。あぁ、なるほど。悪魔の力が反発して、私のハーレムオーラが無効化されているようですね。まぁ別に、鰐淵さん一人どうという事はありません」

「ハーレムオーラよりもっと良い名前なかったのか?」


 ゆっくりと迫る玉座が、とうとう鰐淵たちの目の前で停まった。見下ろされた犬飼と針澄は、ようやく冷静さを取り戻して言う。


「蛇川さん。あなたは最悪の魔女だと思っていましたが、まさかここまでの事を……」

「一時間ちょっとで、何をどうしたらこんな事になるのさ……?」


 蛇川は周囲に侍らせた美青年らから果物の盛り合わせを受け取ると、皿ごと抱えてしゃくしゃく食べ始める。


「ま、十万円相当の願い事としては妥当です」


 果汁でべたべたになった手は、やはり周囲の美青年らが柔らかい布で綺麗にしてくれる。

 一度深く考える事をやめた鰐淵は、まずは状況を説明する事にした。


「それがな、蛇川。実は俺たちの願い事は同時に言ったせいか、どうも全員叶ったらしいんだ」

「そりゃ結構な事ですね」

「あぁ。だがそのせいで、代償がデカくなりすぎたんだ。亀谷さんの見立てだと、街ごと悪魔の群れに呑まれるらしい。……俺もこのありさまを見たら、それくらいの代償が来る気がしてる」

「あぁ、かも知れませんね」

「だから全員の願い事を放棄しようと思ってる。さすがのお前も、こればっかりは……」

「え、嫌ですけど」


 蛇川は手近にいた美少年を横に座らせると、その膝に頭を乗せてくつろぐ。


「絶対に嫌です。我が蛇川帝国を失うくらいなら、こんな街などいくつでも滅びて下さい。大事な事なので、何度でも言います。絶対に嫌です。絶対絶対、絶対に手放しません」

「お、お前……マジか」


 悪魔の危険性を最も理解しているであろう蛇川が、よりにもよって拒否するとは思っていなかった。そして続ける言葉が見つからない鰐淵の肩に手を置いたのは、犬飼である。


「ここは私に」

「シスター?」


 すっと前に歩み出た犬飼は、透明度の高い瞳で蛇川を見る。


「魔に魅入られた者への説得は、私の本職に当たります。私が彼女とお話しましょう」

「シスター!」


 鰐淵は心強い味方へ期待する。蛇川に説教など到底通じるとは思えないが、最悪トンファーでブッ飛ばしてもらおう。蛇川の体力はかぶと虫と同じくらいだし、確かに足場魔法の防御力は脅威だが、それでも犬飼なら足を振り上げるより先にトンファーを当てるだろう。


 どうせ犬飼の交渉など蛇川は受け入れない。だがブチ切れた犬飼を前に、蛇川が出来る事はない。


「魔女よ! あなたの目的からお伺いしましょう!」


 張り上げる声は勇敢にして、清廉潔白。対する蛇川の目は欲望に濁り、澱んでいた。


「世界中の人間が私だけに甘くなり、私は食べて寝て遊んでいるだけで皆から褒められる。そんな人生を送りたいと思います」


 素直に答える蛇川には、一切の雑念がない。心の底から真実のみで紡いだ言葉だ。


「おひめさま、というのが子供から夢でした。贅沢して、大切にされ、たまに庶民を眺めて、一生ずっと楽して笑って好きな事して生きて行きたいです。素敵な王子様を十人くらい日替わりにします。できるだけ色んなパターンの王子にして下さい」


 反論の余地を一切残さない蛇川の言葉に、鰐淵は目頭を押さえた。それは恐らく犬飼が専門としている、悪魔に操られ支配されている者の言葉ではない。元から蛇川はこういう奴なのだ。

 犬飼を見れば、何事かを少し考えてから言葉を返す。


「途中までは理解できますが、素敵な王子様は一人の方が良いのでは……?」


 その言葉に蛇川は鼻で笑う。


「おや? もしかして一途な自分に酔っているタイプですか? それとも神の教えとして伴侶は一人しか許容できないと?」

「いえ……。その状況なら一番好きな王子とずっと一緒にいられるのに、どうして他の王子を?」

「……その方が、飽きが来ないからです」

「一緒にいて飽きるような相手は、素敵と呼べないのでは……?」

「う、あ……」

「魔女……いえ、今はあえて蛇川さんと呼ばせて頂きます。あなた、若い時にちゃんと恋愛をしましたか? 成就しなくとも、片思いでも、ちゃんと人を愛する経験をしてきましたか? 形だけのハーレムを本気で望むなど、愛情の意味を履き違えているとしか私には思えません。それとも、色欲に溺れているだけですか?」

「うううう!」

「ぐっ……!」


 胸をかきむしる蛇川と、みぞおちの辺りを押さえる鰐淵。鰐淵は犬飼の肩にそっと手を置いて首を振った。


「もうやめてくれ、かわいそうだ……!」

「なんで鰐淵さんにも刺さってんの?」

「暴力地雷娘のお前が無傷なのはどうなってるんだ?」

「いや……恋人とまで言わなくても、片思いくらいなら別に……」


 鰐淵は静かに目を閉じて思い起こす。若かりし日、幼い日、片思いくらいはあっただろうか。確か、あったような気もする。覚えていない。そもそも青春だの学園生活だの、高校を中退してそれっきりだ。悪魔の体を得てから、まともな人生を送れていない。


「魔女さんも中退?」

「いや、あいつは大卒だ」

「大卒! あ、あれが?」


 驚いたのは針澄ではない。犬飼だ。


「なら素敵なキャンパスライフの経験が……。あぁいえ、確かに誰しもが理想の生活を送れる訳ではないでしょう。ですが、それなりに真っ当な道を歩んできたのでは? どうして魔女になってハーレムなんか求めるのでしょう?」

「…………」


 鰐淵の知っている範囲では、蛇川は小学校しか通っていない。中学も高校も、あいつは数える程しか登校しなかったはずである。理由は学校に行くのが面倒だったからだ。複雑な理由など一つとしてない。朝起きるのも嫌だったし、勉強するのも嫌だったのだ。どうしてそれで高校を卒業できたのか知らないが、その調子で大学に入学し、ほとんど気の向いた時だけ登校して卒業している。


 そして恐ろしく理想の高い蛇川に、片思いの相手など現れるわけがない。


「や、やめろ……! やめろぉぉ……!」


 蛇川は苦しんでいる。


「まるで私に恋愛経験が全然ないような、そんな言い方を……! 私は私を甘やかしてくれる恰好が良くてお金持ちの男性なら、誰だって良いのに……!」

「誰でも、などという言葉が出て来るものを愛とは呼びません」

「シスター……もうやめてあげて……」

「あぁ。蛇川がかわいそうだ……」

「ぐぬぬぬー!」


 今にも憤死しそうな蛇川に、鰐淵は何も言う事ができない。犬飼にフォローは期待できそうにない。針澄だけが、唯一動く事ができた。


「……合コンを、しよう」


 拳を握った針澄はトラックへ向かう。


「今からでも遅くない。ここには男の人が大勢いるから、あたしも加わって二対二でカラオケ行ったりボーリングしたり、絵に描いたようなステレオタイプの経験を今からでもやろう」

「ま、まいんちゃん……。私のためにそこまで……」

「見てられないよ……! この地獄絵図みたいなのが理想だなんて、あまりにかわいそうすぎる! 青春を取り戻そう!」

「う、うぅ……ありがとうございます……まいんちゃん……」


 胸を打たれた様子の蛇川は、トラックから梯子を使って降りると針澄と抱き合う。


「では、私も……」

「あ、シスターわんわんは結構です」

「なっ! どうしてですか!」

「あなたからは私と同じものを感じます。散々言ってくれましたが、あなたの学生生活の思い出が輝かしいものだったとは思えません。狂信者になってトンファーぐるぐる生活の人は帰って下さい」


 蛇川は針澄の手を取り、トラックの上へと戻って行く。


「まいんちゃんは女子校生なので、お酒は出せません。しかし、アルコールがなくても酔えるオーガニックなドリンクを用意します」

「それは遠慮するよ」

「いいえ大丈夫です。魔女的な薬だと思って下さい。副作用として確実に二日酔いになりますが、人体に無害かつ合法的なものです。大人は酒に酔っていたという大義名分がなければ、はしゃいだり遊んだりできません。大人になると全ての事に理由が必要で、お酒とは全てに理由をくれるものです。さぁまいんちゃんも飲んで飲んで」

「やめろ蛇川。お前の人生観は若人に聞かせたいもんじゃない」


 鰐淵はしかし、どうしたものか考える。蛇川がこの状況を簡単に手放すとは思えない。今は一時的に針澄が食い止めているが、七つの大罪を全て一人でコンプリートできるあの女が青春を取り戻すくらいで満足する訳がない。むしろ、現役の女子校生と一緒にいる事で自分まで若くなったような勘違いをする可能性が大きい。


「……勘弁してくれ。お前の黒歴史を増やしたくない……!」


 セーラー服を着る蛇川を想像して、鰐淵は血を吐く思いで膝を折る。そんなものを着て針澄と並んだ日には、どれだけ後悔しても足りない日々が待ち受けるだろう。あるいは平気な顔で似合っていると言い切るかも知れないが、それはそれでかわいそうだ。


「犬飼さん、こうなったらホーリーパワー込みのトンファーで叩きのめしてやってくれ……。俺には出来ない。あんな姿になってまでモテたかった奴を殴るなんて……」


 力づくでボコボコにして、そうやって願い事を破棄させる。それ自体は可能だろう。蛇川は誰よりも自身に甘い。痛めつけられても抵抗するなど、そんな事できる訳がない。しかし、そうはしたくなかった。


「確かにあいつは饅頭みてーな顔してるし、ゆるキャラみたいな見た目だし、おまけに一番ヤバいのは見た目じゃなくて中身ときてる。だが、それでもブン殴って正気に戻すなんて……」

「あれは正気のままやってるのでは……?」

「……」


 鰐淵は何も応えなかった。


「いずれにせよ、自身の現状が真の愛によって成り立つものではないと、彼女もそう自覚はしているはずです。でなければ、あんな魔法を使ってまでハーレムを作ったりしません」

「魔法? あいつ何かやってるのか?」

「あら? 鰐淵さんは気づきませんか? というより……いえ、なるほど。理解しました。どうやら私だけ彼女の魔法にかかっていません。正確には、私と他の人では見ているものが違う、と表現した方が良いかも知れません」

「どういう意味だ……?」


 鰐淵は目をこすって、蛇川を注視する。機嫌良さそうに針澄とソファーに座り、どの美少年が良いか選んでいるらしい。美少年は蛇川の趣味なのだろう。全員同じような顔をしている。


「蛇川さんは何を着ていますか?」

「なにって……」


 蛇川はどこで買ったのか、胸元と背中が大きく開いた黒いドレスを纏っている。奴にとってハーレムにふさわしい衣装のイメージはこれなのか、という感想を抱きつつも特に触れては来なかった。


「高そうなドレスだな。見栄えが良くなる矯正ワイヤーとか入ってんのかね。あんな腰細くねぇだろあいつ。どうやって押し込んだんだ」

「私にはいつものダサパーカーのように見えます。体格もいつもの通り、ちんちくりんのゴブリンモデルです」

「は……?」


 しかし何度見ても、蛇川の服装はドレスで間違いない。すると蛇川の視線がこちらを向いた。


「聞こえていますよ。誰がクソダサコーデですか。私はオシャレ検定一級のオシャマスターです」


 犬飼は続ける。


「恐らく、身長と胸も少し盛っています」

「そこは確かに思ったが、あれはヒールと詰め物じゃないのか?」

「盛っていません。ヒールは転ぶので履きませんし、胸には何も詰めていません。私は元々こんな感じです」


 犬飼は腕組みしてしばし考えてから、言う。


「針澄さん! しばらく辛抱して我慢して、どうにか耐えきって下さい!」

「あいよ!」

「あいよ、じゃありません。私との時間はとても楽しいものになるので、我慢の必要はありません」


 そして犬飼は背を向けると、歩き出した。どこへ行くのかと鰐淵が問えば、ついてくるよう顎をしゃくって答える。


「私にひとつ、心当たりが。確実に彼女の願い事を破棄させられる道具があります。少し荒療治になりますが、仕方ありません。このまま放置しておけば、それこそ人類の危機というもの」

「そんな物があるのか? でも教会はあっちだろ?」


 鰐淵は神聖な力を宿した剣や武器を想像するが、犬飼は首を振った。


「その道具は、骨董屋カミツキの亀谷さんが持っていらっしゃいます」


 オアアー! と叫ぶ中年男性の姿を鰐淵は思い出し、それから蛇川を振り返って見る。


「世界の命運を握る二人が、頭のおかしい奴ツートップってのは笑えないな……」


 鰐淵と犬飼は先を急いだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ