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誰かに側に居て欲しい人の話です。
僕は寝る事が好きだ。
今もこうして微睡んでいる瞬間に至福を感じる。
柔らかな布団に包まれて僕は幸せだ。
「シオン君」
しかしここ最近、その幸福は遠退いてしまっている。
僕の肩を揺すりながら声を掛けてくる存在。
それが原因だ。
「シオン君ってば、今起きないとまた朝ごはん食べ損ねるよ。」
朝ごはんなんて要らない。
僕はずっと微睡んでいたいんだ。
「良いのかなぁ?今日は、シオン君が大好きな玉葱の味噌汁と焼きたての塩ジャケなのに...」
比類なきイケメンボイスが悪魔のように囁いてくる。
しかし僕はそんな言葉には屈しない。
「はぁ...。しょうがない。今起きるんなら目玉焼きも焼いてあげるよ。」
「おはよう...。」
「おはよう。シオン君。」
百億満点の笑顔が僕の眼前に合った。
銀色の頭髪。
緩くウェーブの掛かった前髪。
艶やかな肌。
優しい目尻。
整った鼻。
長い睫毛。
意志の強そうな眉毛。
顔面のレベルがカンストしている。
「朝からイケメンが過ぎるよ...。」
「ありがとう。ちゃんと起きるんだよ。」
そう言ってエプロン姿のイケメンが機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら部屋から出ていった。
甘ったるい余韻が部屋の中に満ちていた。
「どうなってるんだ、一体...。」
ここ最近毎朝呟いている一言だ。
僕の置かれている状況を整理しよう。
自分の眼を疑う程に顔の良いイケメンが、ギャルゲーに出てくる世話焼きの幼馴染を凌駕する位甲斐甲斐しく僕の世話をしてくれる。
しかも一緒に住んでいる。
友人でも兄弟でも、まして恋人でも無いのに。
どうなってるんだ。
彼女と同棲生活をしてみたいと思ったことはあったけど、まさか、まさか男とすることになるとは...。
「シオンくーん!起きなよー!!」
「起きてるってばー!」
こうしたやり取りも慣れてきてしまっているのが恐ろしい。
身支度を整えながら考える。
どうしてこうなった。
テーブルの席に付く。
目の前には美味しそうな朝食と天下無双の笑顔があった。
「「いただきます。」」
どうしてこうなったなどと、考えても仕方のないことだった。
全ての原因は僕に合ったのだから。
全ての発端は3ヶ月前に遡る。
3 months a go
土曜日の17時。
夕日の中を呆然とゆっくり歩く。
また僕は同じことを繰り返した。
もう誰も好きにならない。
誰かを好きになる事は辛くなるだけだから、僕はもう誰も好きになら無い。
そう決めたはずなのに、また僕は勝手に人を好きになり、デートの誘いを失敗して、勝手に1人で傷ついている。
相手は悪くない。
悪いのは勝手に傷つく僕が悪い。
そしてまた、自分が選ばれなかった理由を並べ立てている。
もっと身長が高ければ、もっと顔が良ければ、もっと相手に合った性格をしていたら、もっと収入があれば、もっと楽しい会話ができれば、彼女が魅力的に感じる何かが自分に備わっていれば。
考えても、考えても仕方の無い事だった。
ただ辛いだけ。
辛いことなのに何故か繰り返し延々と考えてしまう。
どうすれば良いのかわからない。
涙の止め方もわからない。
「暗闇から抜け出せないんだ。」
今はずっと歩いていたい。
「...?」
何かの音が僕の注意を惹いた。
遠くから微かに聞こえてくるメロディ。
不思議と耳に親しんだ音だった。
足が自然と音の方へ向く。
音の鳴る場所は公園だった。
人気のない公園で遊具が寂しそうにくたびれていた。
塗装が落ちかけたジャングルジム。
その天辺に立つ人が夕日を浴びながら不思議な音楽を歌っていた。
歌詞は無い。
クラシックのようなメロディを歌っていた。
まるで、満席のコンサートホールにいる観客に向けて歌っているような情感が籠っていた。
美しい光景だった。
この奇妙で耳に心地いい歌が流れる空間に心が馴染んでいく。
その人は銀色の髪をしていた。
銀の髪が夕日の色に濡れている。
その人の頬から何か光るものが落ちた。
涙だった。
「どうして、泣いているんですか?」
思わず口に出していた。
いつの間にかその人の真ん前まで僕は近づいていた。
メロディが止む。
その人は僕を見ると眼を真ん丸くして驚いたような顔をした。
そして優しい微笑みを浮かべた。
「君だって泣いているじゃないか。」
優しい声をしていた。
「これは...。」
僕は恥ずかしくなって急いで目元を拭った。
「どうして、泣いているんだい?」
同じ質問を返されるとは思わなかった。
でも僕は誰かに聞いて欲しかった。
「ちょっと...片想いが終わっただけです。」
「そっか...。」
彼は短く言うと、ジャングルジムから軽やかに飛び降りた。
銀髪が揺れ音も無く着地した。
「君は悲しいから泣いていたんだね。」
「そう、ですね...。」
「悲しいのは心が辛いけど、悪くない感情だよ。それだけ人を好きになれたって事は素晴らしいことさ。」
「そうなんでしょうか...。」
「そうだよ。そういう事にしておく事も時には大切だよ。」
彼はそう言うとまた微笑みを浮かべた。
見ず知らずの人に僕は慰められていた。
奇妙な体験だった。
しかし彼の言葉が今の自分には凄くありがたいものだった。
「あなたは、どうして泣いていたんですか?」
今度は僕が聞く番だった。
「僕かい?僕は...。」
グウウっとお腹が鳴る音がした。
彼は恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いた。
「この通りお腹が空いたみたいでね。」
「アハハ...。もし良かったら...。」
僕はまた柄にも無い事を言おうとした。
普段ならこんな事は絶対に言わないはずなのに。
あの時と同じだった。
「泣く程お腹が空いてるならご飯でも一緒に食べませんか?歌のお礼にご馳走させて下さい。」
「ホントかい!?」
パッと明るい笑顔が彼の顔に浮かんだ。
「助かるよ!ここへ来てから何も食べてなくて本当に困ってたんだ!」
彼は僕の手を握り締めてブンブンと上下に振り回した。
ここへ来てからと言ったけど、引っ越してきたばかりなのだろうか。
そんな疑問が僕の頭に浮かんだが深く考えることはしなかった。
「じゃあ行きましょうか。何か食べたい物ありますか?」
「何でも良いよ!あ、それから敬語じゃない方が僕は嬉しいな。」
「わかり...。わかったよ。僕の名前は結城シオン。君は?」
「僕は...」
風に揺れる銀色の髪を押さえていた。
「僕はソラ。よろしく結城シオン君。」