第27話 エースになれないエース
「ほら、今日の杏里のほうが肘が下がっている」
「うーん……、言われてみると確かにそうだ」
「おまけに体重移動も全然違うっすね、昨日のほうが自然な感じがするっす」
試合後、僕は雅と爽とともに部室で杏里の投球フォームの動画を見ていた。
何気なく雅が昨日の杏里vs翼との勝負をスマホで撮影していたのはナイスだ。
試合中は差がわからなかったが、改めて並べてみると爽の言う通り昨日と今日で全然フォームが違う。
肘の高さはサイドスロー投手のバイタルサインみたいなもの。下がりきっていて良いことは無い。
それに体重移動が雑になればボールに力は伝わらない。球威がなかったのはそれが原因だろう。
今日の杏里の不調は間違いなくフォームの崩れから来ている。
ちなみに杏里本人は打たれたショックでへそを曲げて帰ってしまった。
本当は反省をしてほしいところではあるけれど、彼女の高いプライドを逆撫でするのはあまりよろしくないと思ったので放っておいた。
性格を考慮すれば、対策が見つかってそれに彼女が腹落ちしてから取り組んでいくのがいいはず。
今はまず、どうやったら杏里が最高の状態を維持できるか考えよう。
「それにしたってなんで昨日あんなにビッタビタに決まってたボールが今日あんなへなちょこになるんだ?」
「……風邪?」
爽がぼそっと呟く。
いやいや、風邪を引いてるやつが5回8失点102球を投げられるわけがない。
多分体調の問題ではない。根本的にメンタル面で何か異常があるはず。
「そういえば似たようなことが昔もあったっす」
「似たようなこと?」
雅が何かを思い出したらしい。
「中学のとき、翼ちゃんが県代表に選抜されてチームを離れた期間があったんすけど、その時代役で投げた杏里はボロボロだったっす」
「そんなことがあったのか。……もしかしたらあいつにとっては『翼の存在』が能力を引き出すためのトリガーなのかもな」
僕の見立てはこうだ。
絶対的エースの翼に対して追いつけ追い越せと必死に努力していくのが、おそらく杏里の最大のモチベーションである。
そして昨日、翼を三振に打ち取るという一定の成果を上げた。しかもそのライバルである翼が今日は不在。
彼女にしてみたら自分が実質的にエースになったような気分だったのだろう。
つまり今日は、杏里を気持ちの面から能力ブーストしてくれる要素が全く無くなってしまったのだ。いわゆる『燃え尽き症候群』的な状態。
それなら一転して腑抜けた投球になってもおかしくない。
「なまじ優秀なくせに、玉座を奪い取った瞬間無能になってしまうなんてな……」
「誰よりもエースになりたがっているのに、これじゃあ一生エースになれない性格っすよね……。なんとも杏里らしいといえばらしいっすけど」
「確かに……。でもとにかく今は杏里を立て直す方法を考えよう。どちらにしろ彼女がいなければうちのチームは上にいけない」
すると雅は僕にグッドサインを向けながら言う。
「それなら簡単っすよ。翼ちゃんが杏里ともう一度勝負して、今度こそエースであることを杏里に見せつけたらいいっす」
「……その翼がいないから困っているんだけどな」
僕はひとつ大きなため息ついた。
肝心の翼は昨日杏里に負けたのがショックだったのか、朝イチに雅へ連絡を入れた以降は音沙汰が無い。
修行に行くとは言っていたものの何をしているのか誰も全く掴めていない状態だ。早く帰ってきて欲しい。
「誰がいないから困ってるって?」
突然背後から独特のハスキーボイスで話しかけられる。
あまりにもタイミングが良すぎたので、僕も雅も爽も思わず背筋が伸びてしまった。
振り返るとそこに居たのは翼だった。
トレーニングウェアを着てバットケースを担いでいる。
「つ、翼!どこに行っていたんだよ!」
「ほんとっすよ、音沙汰無くて心配してたんすから!」
「ちょっと色々なバッティングセンターをハシゴしにな」
「ハシゴって……、まさか翼、杏里対策か?」
「……まあ、そういうことだ」
僕がそう言うと、翼はバツが悪そうに肯定する。
昨日あんな風にあっさりと負けてしまった手前、すぐさまバッティングセンターに駆け込むのはダサいなと思ったのだろう。
「……でも収穫ナシだ。あいつみたいなボールを放るマシンなんてものは無い」
「そりゃそうだろうなあ……。左投げのサイドスローを再現できるニッチなバッティングマシンがあったら僕だって打ってみたいくらいだ」
朝から県内各地のバッティングセンターを回ったみたいだが、それっぽいマシンには出会えなかったらしい。
「だから監督なら何か良いバッティングセンターとか知らないかなと思って部室に来てみたんだが……、お前ら何やってんだ?」
翼は怪しいものをみる眼差しで僕らを見渡す。
確かに部室で男子生徒1人と女子生徒2人が動画を眺めている状態はなかなか不審だ。翼じゃなくても怪しむだろう。
「実はっすね……、今日の試合で杏里が――」
おしゃべり界の『2003年福岡ダイエーホークス ダイ・ハード打線』こと藤川雅が今日の一部始終を翼に説明してくれたので手間が省けた。
おしゃべりの能力を僕との漫才ではなくこういう風に活かしてくれればいいのになと僕は思った。
「やっぱりそんな事だろうと思った。あいつは調子に乗ると絶対にダメだからな」
「なんだよ翼、杏里のメンタルについて知っていたのか?」
「あたりめーだ。……言いたかねえけど、一応あんなんでもオレは『ライバル』だと思ってんだ。研究ぐらいはする」
僕ら3人は翼の意外な発言にびっくりした。
てっきり彼女の事だからライバルは強豪校のエースとか自分より速い球を投げる投手だとばかり思っていた。
もちろんそういう人達も大勢いるライバルのうちに入るのだろうが、一番の翼のライバルは杏里なのだ。
「あいつはビタビタの制球とかキレる変化球とか、オレに出来ないことを平然とやる。それが悔しい」
「……県内最速のストレートのほうがよっぽど真似できないけどな」
隣の芝生は青く見えるとはこういうことだろう。
「んなことはどうだっていい。早いとこオレがあいつを打ち込んで伸び切った鼻をへし折らないといけないんだろ?なんかバッティングセンターとかコネがあったら教えてくれ」
そう僕は翼からせがまれるが、あいにくそんなコネクションは無い。
ただ、それに変わる妙案をひとつ思いついた。
「じゃあ、僕がバッティングピッチャーをやるよ。左投げのサイドスローで、杏里の真似をすればいいんだろう?」
そう僕が提案すると、翼も雅も爽もそろって「何を言っているんだお前は?」という表情を浮かべて黙ってしまった。