第26話 鬼の居ぬ間
翌日の練習試合、翼はグラウンドに姿を見せなかった。
一応雅には連絡をくれたようで、無事なのは確認できている。
「今朝の翼ちゃんから、『修行に行ってくる』と一言だけLINEが入ったっす」
「修行っておい……、どこに行ったんだよ」
「流石にそれは私にもわからないっす。……でも翼ちゃんの事っすから、滝行とか護摩行に行っててもおかしくないっすね」
「そんな某地方局のおしゃべりアナウンサーとか、広島の人気選手みたいな修行をするのかあいつは……」
翼ならマジな顔でそんな修行をこなしそうだから困る。
ただ、昨日の今日で欠席となると、翼の心理的ショックが思っていたより少し大きいのかもしれない。あとできちんと僕の方からもケアしなければならないだろう。
「……仕方がないか。今日の先発は杏里で行こう」
「それしかないっすね。打順は9番にしてあとは繰り上げでいいと思うっす。杏里、打撃はイマイチっすから」
試合前に雅とスタメンについての相談をする。
5番打者である翼の穴はめちゃくちゃ大きいが、現状こうするしかない。
「打線に多少穴が開こうが関係ないさ。ボクが完封すればいい話」
杏里のどこからその別府温泉の湯量ばりに自信が湧いてくるのか不思議でならないが、昨日の投球を見る限りではあながち口だけというわけでも無さそうだ。
◆
試合はまもなく始まろうとしていた。
今回は僕らが後攻ということで、まずはナインが守備につく。
軟式野球部員だった彼女たちもすっかり硬球に慣れ、ポジショニングやボール回しはもう既に立派な野球部のそれだ。これだけ守備陣が動けていればピッチャーも投げやすいはず。
「……頼むぞ杏里。この先翼が投げられない試合が必ずある。今日はその予行演習みたいなものだ」
僕はベンチから独り言のようにつぶやく。
杏里が計算できる投手であると目処が立てば、夏の大会だってうちのチームにも十分チャンスがある。
しかし、そんな願望をチラつかせる僕の横では爽が冷静な目で杏里の投球練習を見つめていた。
何やら爽なりに気づいたことがあるらしい。
「雄大……、あの子昨日とフォームが違う」
「えっ?そうか?そんな風には見えないんだけど」
僕の目では判別出来ないぐらいの違和感が爽には分かったらしい。
「……腕が下がってる。あと、体重の移動がちょっと雑に見える」
「まるでサイゼリヤの間違い探しの最後のひとつみたいな難易度だな……。僕にはさっぱりわからないぞ……」
「よく見ればわかる」
爽は普段眼鏡をかけているくせに、こと野球に関しては目が良すぎる。
練習のときに審判をやってもらったりすると、AIかよと思うレベルでジャッジが正確だし、今みたいにフォームのちょっとした違いを見抜くのが上手い。
あとで相手チームの偵察なんかに行かせたら面白いかもしれない。
ただ、ここで杏里のフォームが変わっていることに気がついてももうどうしょうもない。賽は振られてしまったので、こちらとしては出目がどうなるか祈るしかないのだ。
「――プレイボール!」
「さあ、ボクのショータイムの始まりだ」
杏里の1球目、生命線であるシンカーが左打席に立つ相手打者の足元へ沈――まなかった。
カキーンという擬音がぴったりの金属音。
杏里の放った沈まないシンカーというただの棒球は、一二塁間をキレイに抜かれてヒットになった。
振られた賽は、最悪の出目だったらしい。
「あ……、あれ?おかしいな……?こんなはずじゃなかったんだけど。……まあいい、こんなのはマグレ当たりさ」
杏里はマウンドで苦笑いする。
僕も釣られて苦笑いをしたいところであったが、ここは我慢。
苦しい試合ほど監督はどっしり構えていなければ。
その後の杏里の投球内容はボロボロだった。
なんとか5回終了まで漕ぎ着けたが、スコアは2-8と大量ビハインド。フォアボールやヒットにで溜めたランナーを長打で返されるという、ある意味王道の負け試合進行だ。
沈まないシンカーにすっぽ抜けるドロップカーブ、制球精度の下がったクロスファイア……。
今日の杏里は昨日の翼と対戦した時のキレキレのボールとはほど遠い。むしろ、今の彼女が本当の姿なのではないかと思えてしまう。
困ったことに杏里自身に自覚がなく、なぜ調子が悪いのかわかっていないのだ。
「……杏里、降板だ。次打席が回ってきたら雅を代打に出す」
「ま、待ってくれよ監督!ボクはまだ投げられる!」
「……もう100球は超えているし、練習試合でこれ以上は投げさせない。それより、なぜ翼相手の時のようなボールが投げられないのか考えてくれ」
「……わかったよ」
杏里は諦めたように小さく呟いて、クールダウンのキャッチボールをしにベンチから立ち去った。
今の僕にはこれしか言えない。
爽はみたいな良い目を持ってたり、雅みたいなモチベーターとしての力があればもっと何かしてやれたのかもしれない。
でも僕はそうじゃない。監督としての力のなさを痛感する。
「……というわけで雅、出番だ」
「はいっす!今日もファーストストライク狙いでいいっすか?」
「それでいい。細かいことは任せる」
あからさまにテンションが下がっている僕を見て、雅が励ましてくれないわけがなかった。
「そんなに落ち込まなくても大丈夫っすよ。昔から杏里ってばあんな感じすから。自分で考えさせるように仕向けるのも監督の手腕っす」
「……ありがとう」
「それじゃあ行ってくるっす。歩いてホームに帰ってくるのを心待ちにしててくださいっすよ」
いかにも雅っぽいホームラン宣言。ツッコミを入れる元気が今の僕にはないのがちょっと悔しい。
意気揚々と打席に立った雅は、2ボールノーストライクからの低めに入った3球目を叩いた。
当たりが良すぎて弾道が上がらず、結果は弾丸ライナーで左中間を真っ二つにしたツーベースヒット。
宣言通りにはいかないなと雅は塁上でこっちを向いて舌を出す。お茶目か。
いつもと変わらない調子の雅のおかげで、僕は少し気持ちが楽になった気がした。