第24話 どっちかの夜は昼間
「おい……、大丈夫か?しっかりしろ」
「杏里、目を覚ますっすよ」
公園のベンチに杏里と呼ばれるその少女を横たわらせると、雅がたまたま持っていた水筒の水を彼女の頭からぶっかけた。
……おいおい雅よ、それはラグビー部とかアメフト部の選手が脳しんとうを起こしたときにやる起こし方だぞ。いくらお前の知り合いとはいえちょっと手荒過ぎやしないか?
「う……、う〜ん……」
「気がついたっすか?杏里」
そんな僕の心配をよそに杏里は目を覚ました。
綺麗に手入れされたツヤツヤの黒髪、長さはショートカット。水をかぶってびしょびしょではあるが、逆にそれが凛々しくてキリッとした彼女の顔の良さを引き立たせている。うちの学校が女子校だったならば王子様の座をほしいままにするだろう。
『水も滴るいい女』という言葉がこの世にあるならばぜひとも採用させて頂きたい。
「ここは……?」
「学校の近くの公園っす。杏里、通学路で倒れていたっすよ?」
「そうか……、ボクは力尽きていたのか。かたじけない。――って、よく見たら君は雅じゃないか!いやあ久しぶりだな!」
正気に戻ったのか杏里は雅の存在に気がついた。どんな縁なのか知らないが、雅と杏里は知り合いらしい。
「久しぶりっすけど、なんで杏里がこんなところにいるんすか?アメリカに居たんじゃなかったんすか?」
「それが話すと長くなるんだが、端的に言うとこっちに戻ってくることになったんだ。それで学校の近くを歩いて懐かしんでいたら、いつの間にか体力が尽きて倒れていたというわけだ」
どういうわけだよ。体力のマネジメント能力が皆無すぎる。
「いやー今朝日本に着いたんだが、あまりに嬉しくなってしまって時差ボケとか睡眠不足とか朝から何も食べていないとかそういう事をすっかり忘れていたんだ。危うく行き倒れてそのまま天に召されるところだったよ」
「良くも悪くも杏里らしいっすね……。まあ元気そうで良かったっす。――とりあえずコレ、食べるっすか?」
そう言って雅はカバンからカロリーメイト(チョコレート味、4本入り)を取り出した。
先日明大寺先生から貰った大量のカロリーメイトは一旦全部爽に献上した。しかし、昨今の件で爽には監督命令で体力づくりと食生活改善の任務を課したので、献上したうちの半分を返却されてしまった。
今雅が取り出したのはまさにその返却されたカロリーメイトだ。まさかこんな風に役に立つとはカロリーメイト自身が思っていないだろう。
「ありがとう、助かるよ。やっぱり雅は頼りになるね」
「いいえそれほどでもっす。でも、いま杏里が帰ってきたのはめちゃくちゃタイミングが良いかもっす」
「ん?タイミングが良い?それはどういうことだい?」
雅は首を傾げる杏里をよそに、僕の方を向いてきた。
「杏里は私達と同じく付属中学の軟式野球部員だったんすよ」
「本当なのか?じゃあ、ポジションは……?」
「聞いて驚かないで欲しいっす。……実はピッチャーっす」
マジかよ。
冗談のつもりで『投手が落ちてねえかな』とかほざいてしまっていたけど、本当に投手を拾ってしまうとは。
もし杏里が実戦で使えるような投手であるならば、それはチームにとって大きなプラスになる。
「なんだい?雅はピッチャーを探しているのかい?」
「そうなんすよ!私達、高等部に上がって新しく硬式の女子野球部を組んだんすけど、ピッチャーが足りなくて困っていたんす」
「なら手間が省けた。実はボクも高等部に編入したら野球部を作ろうと思っていたんだ。雅がやってくれていたなら話は早い。もちろん協力するよ」
「本当っすか!?杏里が加入してくれるなら大助かりっす!ねえ雄大くん!」
「あ、ああ。うちとしては投手陣の整備が一番の課題だからな」
棚からぼた餅どころかばくだんおにぎりが落っこちて来たような幸運に、僕は思わずたじろいでしまった。
そんな雅の隣にいる僕の存在を不思議に思ったのか、杏里は視線をこっちに向けてきた。
無理もない。普通に考えてここに突っ立っている男子生徒が女子野球部の監督だとは誰も思わないだろう。
「ちなみにそこの君は何者なんだい?もしかして雅のボーイフレンド?なかなか可愛らしい顔のボーイフレンドだね?」
褒めたつもりなのだろうけど、『可愛らしい』と言われるのはあまり嬉しくない。
僕はちょっとムッとしてしまう。
「そそそ、そんなわけないじゃないっすか!ゆ、雄大くんはこう見えてうちのチームの監督なんすよ!全っ然ボーイフレンドとかそういうやつじゃないっすから!」
雅は声のトーンを3段階くらい引き上げて杏里に言い返した。よっぽど焦ったのか顔も赤い。スーパーマイペースの雅にもこんなに慌てることがあるのだなと思った。
……事実だから仕方がないけれど、雅に強い口調でボーイフレンドではないと言われてしまうとなかなかショックなところがある。やっぱり男として見られていない説がかなり濃厚だ。悲しい。
「ハハハ冗談だよ。でもまさか監督だなんて驚いた、それならばきちんと挨拶しておかないとね」
杏里はそう言って左手を差し出してきた。握手をしようと言うことなのだろう。アメリカ帰りっぽい。
左手で握手とはまた独特だなと思いながらも、僕は杏里に合わせて左手で彼女の手を握る。
「改めまして、ボクは桑谷杏里。ついこの間までアメリカにいた『帰国子女』ってヤツさ、よろしく」
「戸崎雄大だ、よろしく。――もしかしてだけど、君は左投げかい?」
その僕の一言に杏里は少し驚いた表情を見せた。
「That's right. まさにその通りだよ、よく分かったね」
「いや……、握手で左手を出されたらそりゃあ違和感あるでしょ」
「やっぱり監督は目線が鋭いね。気に入った、ボクがこのチームのエースになってやろうじゃないか」
いきなり出てきた『エース』という言葉に僕は端切れの悪い言葉を返してしまう。
「いや、あの……、エースはその……」
まだ杏里の実力を知らないからなんとも言えないが、一応僕の頭の中の構想ではエースは翼だ。
「……ん?まさかあのバカがエースを張ってるとか言わないよな?……なあ監督さん?」
「えっと……、まあ、今のところピッチャーが彼女しかいないから……」
「ふうん、そういうことなのか……」
杏里の表情が急に険しいものに変わる。
……まずい、もしかしなくとも杏里と翼はめちゃくちゃ仲が悪いのか?
そうなるとせっかくの投手2人体制にするチャンスを逃してしまうかもしれない。困った。
「……まあ、関係ないさ。エースの座はボクが奪えばいい話。明日の練習に顔を出させてもらうよ、細かいことはそれからにしよう」
美味しんぼの山岡さんみたいな自信満々の背中を見せて、杏里は去っていった。
またひと悶着ありそうな予感。既に胃が痛くてしょうがない。
……今日は胃薬でも買いにドラッグストアに寄ろうかな。