第20話 ニュートンの林檎
「プレイボール!」
審判の威勢のいいコールで試合が始まった。
1番打者の栞が左のバッターボックスに入ると、彼女は小さく会釈をしてバットを構える。
僕がこの試合前に皆へ出した指示は『相手投手にとにかく球数を投げさせろ』ひとつだけ。
所詮と言っては失礼かもしれないが練習試合だ。勝ち負けはどうでもいい。
「雄大くん、なんであんなアバウトな指示だけ出したんすか?もっと作戦を試したりとかはしないんすかね?」
ベンチで僕の隣にいる雅が興味深そうに聞いてくる。
ちなみに雅には一塁のコーチャーをお願いしようとしたのだが、チームメイトからはあまりにもやかましいというクレームが入ったため今回はベンチで留守番になった。
普段どれだけ雅が塁上でおしゃべりしてくるのか容易に想像がつく。ランナーになったやつはさぞかし鬱陶しいだろう。
でもそのおしゃべり具合を活かせる展開もこれからあるかもしれない。それはその時考えるとしよう。
「色んな作戦を試したいのは山々だけど、単純に僕らはまだ実戦経験が足りなすぎる。だからとにかく相手投手に球数を投げさせたいんだ」
「なるほどっす。生きたボールを出来るだけ沢山見ることで経験を積むってことっすね!」
「そう。しかも相手投手の球数が嵩めばリリーフ投手が出てくるかもしれない。そうなれば色んな投手が見られて打者としての駆け引きに引き出しが増える」
あと付け加えるとすれば、球数を投げさせようとすると必然的にストライクかボールか怪しいところはカットしてファールにしていく必要がある。つまり最低限のバットコントロールが求められるということだ。
バットコントロールが鍛えられれば打てなくてもフォアボールや進塁打を狙うという選択肢が持てるようになる。そうすれば選手たちが『無駄な凡退をしてしまった』という後悔の念に苛まれることも少なくなり、自信に繋がっていく。そういう隠れたメリットも睨んでいるわけだ。
打席の栞はフルカウントまで粘って結果はセカンドゴロ。
相手投手には7球投げさせた。これでいい。
続く2番の藍もフルカウントまで粘って6球目で三振。3番の響子も5球投げさせたがレフトフライだった。
「三者凡退っすけど、結構投げさせたっすね」
「ああ、これで18球なら上々だ。この調子でどんどん投げさせよう」
女子野球は7イニング制なので、単純計算するとひと試合126球ペースになる。プロ野球の鍛え抜かれた投手でも120球投げるのは容易ではない。ましてや女子高校生、100球を迎える前にリリーフの投手が出てくるであろう。
そうなればこちらの思う壺。存分に経験値稼ぎをさせてもらおう。
チェンジとなって守備につく光栄学院ナイン。
守備についても僕からの指示はひとつだけ。
『どんな場面でも定位置で守れ』だ。
本来ならばバックホームが必要な場合やバント処理などのときは内野手が前進したり、強打者の場合は外野が後退したりする。しかし今日はいつ何時も定位置で守れという指示を出した。
「雄大、なんでこんな無茶苦茶な指示なの?」
守備センスの塊である爽が小さな声で僕に投げかけた。
「もちろん理由はある。……というより、爽なら気づいていそうだけど?」
「……もしかして、みんなが『軟式野球出身』だから?」
爽の推測は概ね正解だ。
爽を除く10人は中学の軟式野球部出身。つまり、似ているようで違う競技出身というわけだ。
ボールが違うだけたが打球や投球の感覚は全く別物と言っていい。
だから今日の試合は『硬式野球』に対する慣らし運転だ。どれだけ守備でミスをしても構わない。とにかくグラウンドに出て感覚を掴んで欲しいというその一心で指示を出した。
こういう感覚は練習では案外培われにくいため、実際の試合になると戸惑うものだ。守備の面でも思う存分経験値稼ぎをして欲しい。
「しまっていこー!」
「「「おー」」」
若干東北訛りが抜けきらないキャッチャー林檎の掛け声で1回裏の守備が始まった。この掛け声でナインの気持ちが締まっているのか甚だ怪しいところではある。
ちなみに林檎のお母さんは椎名林檎の大ファンだったが為に『林檎』と名付けたらしい。
しかしながらどう見ても彼女の出で立ちは『歌舞伎町の女王』とか『丸の内サディスティック』よりも『田園』とか『俺ら東京さ行ぐだ』のほうが似合うとしか言いようがない。
そんな素朴な田舎少女が県内最速と言われる翼の豪速球をチームで唯一平気で受けているのだから驚きだ。彼女いわく、自分の生まれた東北地方には豪速球投手がわんさかいるから翼の球程度は当たり前なのだとか。
……確かに言われてみれば二刀流でお馴染みの大谷翔平も幕張の若き豪腕佐々木朗希も東北出身だ。
魔境すぎるだろ東北地方。全国大会で東北のチームに出くわしたら豪速球対策が必要だ。
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