第2話 見ている人はちゃんと見ている
「そ、そんないきなり言われても……。というよりこんな場所でそんな頭を下げるなんてやめてくれよ……」
突然こんな往来のど真ん中で懇願されてしまい、僕は周りの目が気になって慌ててしまう。
とりあえず少女に頭をあげるように言うと、こんな所で話をするのは良くないだろうということで近くの木陰のベンチに場所を移した。
「そういえば名乗ってなかったっすね。私は藤川雅って言うっす。女子野球部のベンチウォーマーっす」
「ベンチウォーマーって……、要するに補欠ってこと?」
「そうとも言うっす。うちのベンチは私のおかげであったかいっすよ?」
雅は自信満々に言う。どこかすっとぼけた雰囲気の彼女のことだ、実際にベンチに暖房器具を持ち込むくらいはやっていそうだ。
「……まあいいや。それで監督の件だけど、お断りさせてもらうよ」
「どうしてっすか!女子野球部は可愛い女の子が沢山在籍しているっすよ?もしかしてコッチなんすか!?」
雅はオネエ系のタレントをイメージするようなポーズをとる。
……こんなところで高らかに宣言することではないが、無論僕は女の子が好きだ。
「違うわ!……ただ入部試験の学科が満点だったぐらいで監督をやってくれだなんてどうかしてる。そもそも学生が監督やっていいかも怪しいのに」
「確かに規則上学生が監督をやることはできないので、戸崎さんが公式戦でベンチに入るなら便宜上『記録員』ってことになるっすね。でも傀儡政権みたいな感じで皆に指示は出せるので実質監督っすよ。そのへんのことは大丈夫っす」
そのくらいのことは既に考慮済みですと雅は笑う。
しかし、もちろん僕が気にしているのはその事ではない。
「……心配してるのはそっちじゃないよ。僕が監督なんて出来るわけないって言ってるのさ」
正直に言えば自信が無い。
監督の仕事などやったことなどあるわけがないし、ましてや歳の近い女子の選手を指揮するとなれば全く勝手がわからない。
そんなしょげている僕を見た雅は、手持ちのカバンから何やらタブレット端末を取り出してとある動画を開いた。
その動画は昨年夏の中学の大会のもの。僕が所属していたチームが、強豪校相手に奇跡的なサヨナラ勝ちを収めた試合だ。
「この試合をちょうど観に行ってたんすけど、戸崎さんのチームの監督が試合中に熱中症で倒れたっすよね」
「……よく知ってるね。爺さんみたいな監督だったから暑すぎて脱水症状で運ばれていったよ」
そのときの暑さはよく覚えている。気温39℃の日曜日、センチメンタルバスの『Sunny Day Sunday』の歌詞そのままみたいな炎天下だった。
選手は細心の注意を払って熱中症に気を付けていたが、あろうことか僕らのチームの監督がダウンしてしまったのだ。ずっとベンチにいたのに。
「私が言いたいのはその後っす。監督代行として指揮を取っていたのは戸崎さん、あなたっすよね?」
そんなところに目をつけていたのかと一瞬ゾッとした。
雅の言うとおりだ。あの試合は監督が倒れてしまったが、たまたま顧問が同席していたおかげで試合が続行出来た。しかしながら顧問は野球にはあまり詳しくなかったので、監督代行として実質的に指揮を取ったのは僕だ。
それはただ単に僕がルールやセオリーについて詳しかったことと、試合に出る予定が全くなかったのが理由。
偶然も重なったおかげで、その後チームは奇跡的なサヨナラ勝ちを収めることになった。
「神がかり的なベンチワークだと思ったっす。監督交代後はまるで別のチームと言ってもいいっす」
「……か、買いかぶり過ぎだ。たまたまチームメイトの調子が良かったんだよ」
「いいえ。そんなことはないはずっす。特に最終回の攻撃、それまで1打席も立ったことのない代打を送ってヒッティング策。しかもそれがサヨナラタイムリーになるなんて、ちょっとそのへんにいる監督とは違うっす。本物の勝負師っす」
雅はまるでその時の対戦相手であるかのように当時の状況をよく知っていて、探偵に身辺を洗いざらい調べられたかのようで僕はもう一度ゾッとした。
あの試合、確かに僕は何かに導かれたようにチームを指揮していた。それゆえにあまり自分で采配をしたという感覚がない。監督代行をやったらなぜか勝ってしまったんだ。
ただ、サヨナラ勝ちしたのは偶然であるという言い訳は、彼女には通用しない。見る人が見れば、そんなのはまぐれでもなんでもないというのがわかってしまう。
雅は再度頭を下げて畳み掛ける。
「……だからお願いするっす。戸崎さんにうちの野球部で監督をやって欲しいっす」
「い、いや……、だから僕は監督なんてやる気は……」
「どうしてもダメっすか……?」
「どうしてもだ」
「本当に本当にダメっすか?」
「ダメなもんはダ……、お、おい……」
僕が強い言葉で断り切ろうとしたその瞬間、雅の瞳からは涙が溢れ出した。
「こ、こんなにお願いしてもダメっすか……。もう、私には頼れる人がいないのに……」
「おいおいそんな大げさな……、ちょっ、マジでこんな所で泣かないでくれよ、誰かに見られたら……」
女子生徒が男子生徒に頭を下げて涙まで流しているこの状況は、僕にとってなんとも体裁が悪い。
僕らの座るベンチの前を通りかかる生徒からは、何やらヒソヒソと噂話のような話声が聞こえてくる。
「ねえ、あれっていわゆる痴情のもつれ的な……?」
「うわあ、女の子泣かすとかマジでないわ……」
「えっ、ちょっとまずくない?先生呼んじゃう?」
周囲がざわついてくる。
これで騒ぎが起きてしまったらえらいことになってしまう。一刻も早く事態を収めたいと慌てた僕は、ついに折れることになる。
「わ、わかったよ。僕、監督やるから、泣かないでくれよ」
その言葉を待っていたかのように、雅の涙はスッと止まった。そして、罠にかかった獲物を見るようなニヤニヤ顔で嬉しそうに言う。
「本当っすか!言質とったっすよ!じゃあ、明日放課後に女子野球部の部室に来てくださいっすね!」
「ま、まさかその涙はフェイクだったのか!?」
「嫌だなあ戸崎さん、『涙は女の武器』って言うじゃないっすか。使えるものは使わせてもらうっすよ?」
やられた。
女の子の嘘泣きで慌てふためいてしまうとは、僕もまだまだだなと肩をすくめた。
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