第16話 カロリーメイトと本音
矢作爽が入部して2週間。彼女は前評判通り、走攻守全てにおいてスキがない優秀なプレーヤーだった。しかも、投手以外の守備なら全てこなしてくれるというおまけ付きだ。監督としてはまさに棚からぼた餅といったところ。こんな選手、どこのチームだって喉から手が出る程欲しいに決まっている。
今日も今日とてハードな練習を終え、僕は身支度を整えて帰ろうとしていると、まだ着替えていないユニフォーム姿の爽に呼び止められた。
「……ちょっと話、いい?」
「いいけど、どうしたんだ?」
「……ここじゃ話しにくい」
普段からあまり表情の変化がない爽。それでもこの2週間、教室と部活中の彼女をずっと見てきたので僕にはそれなりに爽の感情の出し方がわかってきた。今はおそらく、少し困っているというか、悩んでいるような感じに見える。
「わかった。じゃあまずは着替えてきなよ。帰り道途中まで同じだし、話しながら帰ろう。学校の正門で待ってるからさ」
「……うん、わかった」
そう言うと爽は、テキパキと帰りの準備をしに更衣室へ向かっていった。
女子野球部の更衣室の前で男子生徒がダラダラ待っているのもなんとなく不審なので、僕は宣言通り学校の正門前でスマホをいじりながら待つことにした。
本当は選手たちが練習外でどんな会話をしているかという『ロッカールームトーク』を聞いておきたい気持ちがある。……もちろん監督としてチーム事情を知るためであって、決してスケベ心によるものではない。
しかしながらやはり僕がそれをやるにはコンプライアンス的な問題があり過ぎる。
選手達の正直な本音を聞く機会というのは大切にしなければならない。
「あれ?雄大くん、こんなところで何油売ってるんすか?石油王っすか?」
「……残念ながら石油王は石油を売らない。売るのは元売り業者だ」
「じゃあさしずめ雄大くんはENEOSっすね!社会人野球の名門じゃないっすか!」
「どうやったらそんなポジティブに会話が飛躍するんだよ……」
爽よりも先に正門前に現れたのは雅だった。
ちょうどいい、キャプテンも同席してくれた方が爽のお悩み相談も円滑になるだろう。
「なるほど、サーヤがそんな感じだったんすね。それなら私も相談に乗るっす」
「サーヤって……、いつの間に爽にそんなあだ名がついたんだ?」
「そりゃもう入部初日に決まってるじゃないっすか。ジャストインタイム方式っす」
「トヨタ自動車もびっくりのニックネーム生産スピードだよ」
「なんやかんやでうちの部でニックネームが無いのは翼ちゃんと雄大くんぐらいのもんっすよ?雄大くんもあだ名が欲しいっすか?」
「いらん」
雅は余程残念だったのか勝手に拗ねてしまった。
よくもまあそんなにポンポンあだ名をつけられるもんだ。
再ブレイクした時の有吉弘行ですら、そんなあだ名の生産効率を誇っていないだろう。
こんな漫才みたいな会話をすると時間というものがゴリゴリと削られていく。
雅とこんなしょうもないやり取りを繰り広げていると、いつの間にか僕の隣には制服に着替えた爽が立っていた。
練習後ということで女子の更衣室にあるシャワーを浴びたのだろう。少しばかり石鹸の香りが鼻をくすぐってくる。
鞄には、最近流行の漫画のキャラクターがデザインされたキーホルダーがついていて、意外にも漫画なんて読むんだなと思わせてくる。
「……お待たせ。……キャプテンも、いるの?」
「ああ……、うん、雅もいたほうがいいかなと思って。……まずかった?」
「いいえ、問題ない」
「ならよかった。――それで、話ってのは?」
爽はただでさえ小さい声を更に振り絞るようにして言葉を紡ぐ。
「私、また同じ失敗をしている」
「失敗……?」
「そう、失敗。これまで所属してきた部活と、同じ失敗」
練習を見ている感じでは爽の動きは悪くないし、むしろ優れているように見える。それゆえに僕は彼女が何に対して『失敗した』と言っているのかイマイチピンとこなかった。
「一体どんな失敗なんだ?練習だってちゃんとしてるし、野球選手としての動きだって悪くないと思うんだけど」
「失敗したのはそこじゃない。……もっと根本的な、人間関係の話」
「人間関係って……、まさか誰かと喧嘩でもしたのか?」
僕は物静かな爽が喧嘩を売るとは思えなかったので、誰かに因縁をつけられたのではと心配になった。
そんな気性の荒い部員は翼くらいしかいないが、あいつと爽が喧嘩するきっかけがわからない。
「喧嘩じゃない。喧嘩できたほうがまだマシ」
「……?どういうことだ?」
喧嘩してくれたほうがマシだなんて、よっぽどの事じゃないと言えないことだ。
「……友達がいない」
爽は一言そう言い切った。
確かにプレーの面ではかなり優秀だけれども、いざコミュニケーションとなると爽は並の人間より劣ると言わざるを得ない。
「友達がいないって……、そりゃあ入部したばかりだし……」
「でも、まだ誰ともまともに話せてない」
「僕とは話せているけど……?」
「それはあなたが監督だから」
僕との会話は『業務連絡』ってことかよ。ちょっと悲しいじゃないか。
しかしこれは重大な問題だ。
なにかしらコミュニティに属する上で、全員と仲良くする必要は僕個人としては無いと思っている。ただ、誰一人として仲良くないというのは明らかに支障が出てくる。
これがプロ野球のように実力至上主義で、その実績の対価として給料を貰っている世界ならばまだいいだろう。
ただ、これは高校野球。あくまで青少年の『教育』の一環であって、そこには金銭的価値ではなく、ひとりひとりの青春、ひいて言えば人生がある。
たったひとつ人間関係が構築出来ないだけで、チーム自体が崩壊してしまうことだってあり得る。
「――つまり、爽としてはチームに気を許せる友達が欲しいと」
「端的に言えばそう。最低でも2人」
「じゃあひとり目は私でいいっすね」
雅が意気揚々と名乗り出る。
おしゃべり界の『2001年近鉄バファローズいてまえ打線』である雅が友達になって大丈夫なのか?喋りの勢いに圧倒されやしないか?
「……ほんと?いいの?」
「もちろんっすよ!おはようからおやすみまでサーヤの生活の賑やかしは全部お任せくださいっす」
雅は胸をポンと叩いて『私に任せろ』と豪語する。……その仕草は漫画でしか見たことが無かったけど、実際にやる人っているんだな。
それにしてもおはようからおやすみまで雅がそばにいたらやかましくて仕方がないだろうな。
「……もしかしてだけど、爽が一時的にしか加入してくれない助っ人だって呼ばれているのは、どこに行っても友達が出来なかったのが原因なのか?」
「……そうかも」
僕はなんだよそれとため息を漏らして頭を抱えた。
爽はスーパー助っ人なんかじゃない。ただ単に、加入したのにチームに馴染めずすぐに辞めてしまうというのを何回も繰り返していただけなのだ。
それでも実力があるものだから、変に話に尾ヒレがついてスーパー助っ人みたいなことになってしまっていただけ。
加入したチームに腰を据え、微力でいいから貢献したいというのが爽の本音なのだ。
「じゃあ仕方がない。いっちょ爽の友達づくりに協力してやろう」
「そんなこと出来るの?」
爽は少しばかり希望が見えたような目で僕を見る。
ここで出来ないなんて言う奴に監督が務まるわけがない。
「ああ、出来るさ。僕に任せてくれ」
選手みんなが最大限の能力を発揮できるように環境を整えてやるのも僕の仕事だ。この程度の問題、サラッと解決してやろうじゃないか。
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