第76話:友よ【〃】
前回のあらすじ!
イヌスケ、帰省の目処が付く。
そして当日、火曜日の放課後──。
帰りのHRを終えるなり待ち合わせの河川敷へ駆けつけると、既に多くの怒弩寿琥が集まっていた。
取り敢えず、目に付いた息を整えている小倉さんに声を掛ける。
やぁ小倉さん。僕も早く来た方だと思ったけど、随分早いね。HR前からそれとなく下校準備してた?
「あたぼうよ。保護した身として、イヌスケのお別れに立ち会えないなんて目も当てらんねぇからな。他も同じだ」
振り返ると、同様に忙しなく走ってきたのか肩で息をしている怒弩寿琥が後を絶たない。中には道中転んだのか制服が崩れている者までいる。
野中さんは? と訊けば、「今家出たと」と携帯を見ながら小倉さんは言った。
「下校になった途端誰よりも速く廊下へ飛び出してったんだぜあいつ。イヌスケのことばかり気にしてたんだろうな。授業もずっと上の空だった」
小倉さんは野中さんと同じクラスで、彼より後ろ席のようだ。
にしても遅いね野中さん。そろそろ着いてもおかしくないけど……まさか事故に?
なんて杞憂を膨らませていると、「なわけあるか」と小倉さんが異議を唱える。
「今家を出たって連絡来たし、俊生が大事なことから逃げたことなんて一度もないんだ。ド近眼の俺の眼鏡を賭けてもいい」
致命傷賭博。
「ただ──、」
ただ?
「出来るだけゆっくり来てほしいと、俺は思うよ」
それもそうだね。
なんて言っているうちに、「おぅい、お前等ぁ」と野中さんはイヌスケを連れて、河川敷に顔を出した。
途端、怒弩寿琥の厳つい面々が一斉にイヌスケに群がった。
「ゔおぉぉイヌスケェ! ごんな急にお別れだなんでオレァ淋しいよォ‼」
「突然過ぎで今になって実感湧いてきたよイヌスケェ‼」
野太い涙声が河川敷に響く中、小倉さんが文句タラタラ顔で野中さんに近付く。
「おい俊生ェ。もっとゆっくり来やがれってんだ。今日でお別れなんだぞ?」
「だからこそだろうが。俺がのんびりしてたらお前等がイヌスケと触れ合う時間が減るだろうよ」
そりゃそうだけどよ……、と小倉さんは口ごもるが、結局別れ惜しさが勝ったのか、おいおい泣きながらイヌスケを囲む怒弩寿琥を掻き分けて、間もなくわんわん泣く声が聞こえてきた。
それから程なくして、乃子さんを乗せた車が現れた。
「パム!!」
制服姿の乃子さんは助手席から飛び出すと、転倒を恐れない速度で駆け下りてきて、膝が汚れることを厭わず足元の愛犬を抱き寄せた。目尻には涙さえ滲ませていた。
「よかった……! 本当に無事でよかった……‼」
「イ……パム」
イヌスケは逡巡した後に鳴き声を変えて、乃子さんの零れた涙をぺろぺろ舐め取った。
瞬間──、僕らは嫌でも悟る。イヌスケとして過ごしてきたポメラニアンは『パム』に戻ることに決めたのだ。元の家に戻る決意を固めたのだ。
だったら僕らは、その決意を尊重するしかない。
「…………スッ……」
「……⁉」
怒弩寿琥に衝撃が走る。野中さんが初めてマスクを外したのだ。
その口元には、大きく擦った痕があった。
失礼ながらも気になっていると、小倉さんがこっそり耳打ちしてくれる。
「あいつ、自動車に事故られてからマスクを着けるようになったんだ。皆事情知ってるからちっとも怖がってねぇのによ、学校の泊に傷付けるわけにはいかねぇって」
マスク代だって馬鹿にならないだろうに。
どこまでも不器用で、優しい人だった。
「よォ、イヌスケ。いや、パムちゃん」と野中さんはゆっくりしゃがみ込み、イヌスケ改めパムを愛おしそうに撫でる。
「昔事故って付いたこの傷を、治そうと舐めてくれた時は嬉しかったぜ」
「かぷりんちょ」
「あうちっ⁉」
「こ、こらパム! どうしたの急に?」
突然の甘噛みに両者困惑する中、パムは何かを訴えるように鳴く。
「イヌッ。イヌイヌッ。イヌヌンヌ」
「……あぁ、そうだな。こっちでは〝イヌスケ〟だもんな。悪かった」
「イヌッ」
解決したっぽい。
取り敢えず、この場では〝イヌスケ〟であってくれる模様だ。
「さて、間宮さん。他のご家族さんも会いたがってるだろう? 早く帰って安心させてやりな」
「あ、はい。……あの。最後に連絡先交換、いいですか?」
「? おう」
野中さんは言われるがまま携帯を取り出し、ヒュポッと連絡先を交換した。
「何時でも会いに来て構わないので。距離が距離なので、ビデオ通話でしょうけど」
あぁ、なるほど。毎日を共に過ごした野中さんだけの特権ってやつだ。
発見主だからって、羨ましがるのは野暮だろう。
乃子さんは「助けてくれてありがとうございました!」と何度も僕らに頭を下げながら、お母様の待つ自動車へと戻っていった。
イヌスケの姿はドンドン小さくなっていく。
「……! イヌスケェッ‼」
握りこぶしをぎゅっと結んだ野中さんが前に躍り出て、こちらをじっと見つめている小さな生命に向かって叫ぶ。
「間宮さん方と暮らしてきた四年と比べれば、俺らと過ごした三ヶ月なんてちっぽけなもんだけどよ! それでもどうか、どうかっ! 俺たちのことは忘れないでぐれな‼」
そう言って野中さんは、イヌスケが乗車すると同時にとうとう膝から崩れ落ち、嗚咽と共に蹲ってしまった。
ところへ小倉さんが涙ぐみながら「最後まで顔を見せてやれ」と背中に手を置いた、そのときだった。
『……忘れるわけがなかろう』
「え……?」
一同揃って顔を上げて辺りを見回す。見慣れた面子しか居ないが、今確かに聞き慣れない声が聞こえた。
『犬の短い一生において三ヶ月は、あまりにも儚い。しかし、故に強く心に残るものだ』
また聞こえた! と更にざわつく。
だが、やはり声の主は分からない。今この場に居るのは僕らと、開けられた自動車の窓から顔を覗かせるイヌスケだけなのだが、
「……もしかして、イヌスケか?」
と、素頓狂な言葉を漏らした野中さんに、怒弩寿琥一同から動揺の視線が集まる。
「待てよ俊生! この声、あの子のでもねぇけどよ、流石にイヌスケは考えすぎ──」
「イヌスケなんだよ! 誰がなんと言おうとイヌスケの声なんだ‼」
「……〝生命のココロ〟だ」
思わずと漏れた言葉に、全員がヤンス川上さんに注目する。
「ヤ、ヤンス川上! 〝生命のココロ〟ってなんだ?」
「心を許した人間にだけ動物の心の声聞こえるっつー伝説です。俺がペットに飼ってたトカゲにも同じことが……うぅ、トゲマルゥ……」
思い出したように泣き出した辺り、既に天寿を全うしたようだ。
だが、その止めどない涙こそが、徒な嘘ではないことを何よりも裏付けていた。
『少なくとも、この三ヶ月はかけがえのない日々だったぞ。この河川敷で友情を交わしたことも、共に遊んだことも、俊生の弟君駿介に二匹の愛猫シノルとエリムとの日々。どれをとっても宝物だ。此処に居らぬヤンバルクイナにもよろしく言っといてくれ』
愛おしいものを見る眼で、イヌスケは続ける。
『俊生。竹太郎。奎吾に怒弩寿琥よ。改めて、助けてくれてありがとう。そして──、』
──友となってくれてありがとう。
その言葉と共に、発車した自動車の窓は閉じられ、イヌスケの姿は見えなくなった。
あ、だめだコレ。
最後の言葉を聞いた途端、僕の頬を熱いものが伝った。
お別れは笑顔で見送ると決めていたのに、情けない限りだ。
いや、違う。情けないは不適切か。僕はこの気持ちに心当たりがある。異世界の皆とのお別れを想像してみたときだ。
あのとき僕は、皆に二度と会えなくなると仮定した途端、酷く心を痛めると同時に、途方もない悲しみに襲われた。今日の淋しさはそれとよく似ている。
……ああ、そうか。別れとは、淋しいものなのか。
ならば僕は、この感覚を大事にしておこう。
僕は別れの淋しさを知った。
『あ。それと、気にしてなかっただろうことを最後に一つ』
ところへ、イヌスケが自動車の窓から再び顔を出したのだが、新たに付け加えてきた言葉が、まぁ衝撃だった。
『オイラ、メスだワン』
「新事実‼」
最後の最後で締まらない別れ方だった。
「トイレの様子で気付いてるもんだと」
「外でしてんの見たことねぇもん!!」
次回は7/15(土)15時~16時です。よろしくお願いします。
それでは、せーっの
脳 み そ 溶 け ろ




