第72話:多いよ【現世Part】
前回のあらすじ!
バロメッツを収穫しよう。
それは、エっちゃんと腹ごなしの散歩をしていた日曜日の朝食後だった。
夏の快晴に照らされながら、地元の川で野生犬たちと遊んだ夏の思い出をエっちゃんに語っていると、彼女は突然足を止め、一つ目の曲がり角を指差した。
「あー。たっくん、あの人見て~」
何事かと彼女の示す先を見てみるが、しかし誰もいない。あるのは通りすがりのスプリンクラーだけだ。
「そこじゃないよー。もっとあっち~」
どれどれ?
改めてエっちゃんの視線を追ってみると、曲がり角を超えて50m先の道を、いつぞやの少女が歩いていた。
先日の火曜日に出会った吾楚胡乃女子中高等学校の生徒だった。
少女は〝心ここに非ず〟といった具合で曲がり角周辺を行き来している。距離が離れているのもあって僕らにはちっとも気がついていない模様。
「おーい。そこの人ー。いつぞやの捻挫の人ー」
あ、エっちゃん。
僕が観察しているうちに、エっちゃんが一足先んじて駆け出したので、遅れて追いかける。
「あ。あなたたち、あのときの……」
小倉さん以外と会話する余地がなかったにもかかわらず、吾楚胡乃さんは取り巻きの二人でしかなかった僕らを憶えていてくれていた。
吾楚胡乃さん、久しぶり。捻挫した足は大丈夫?
「う、うん。おかげさまで、一日で痛みは治まった」
それは良かった。
ところで、ここでウロウロしてたのが見えたけど、どうしたの?
吾楚胡乃さんは「えっと……」と少しどもりながら、経緯を話してくれた。
「実は、会いたい人がいるの」
会いたい人?
「ほら、前に学校まで送ってくれた眼鏡の人……」
「もしかして、小倉さんのことー?」
「そうそう。そっか、あの人、小倉さんっていうのね」
エッちゃんの助け舟に、吾楚胡乃さんはありがたく乗っかる。
それはそうと、名前知らなかったみたいだけど?
「あのとき、緊張で全然喋れなかったの。走ってもらってる最中に口を開かせたら舌を噛みかねないし」
それもそうだ。
舌の端っこ噛んだときとか、しばらく癖になってもう痛いのなんの。
「それで、名前も知らないまま、別れちゃったと?」
小倉さん、背中から下ろすなり走ってっちゃったもんね。
「そうなの……。あれ? ワタシ、その話したっけ?」
おっと危ない。
首を傾げる彼女に、僕は急いで、小倉さんの相棒、野中さん伝手に聞いたのだと作り話をでっち上げた。ごめんね野中さん。
「あぁ、それで」
吾楚胡乃さんは素直に納得してくれて、僕はほっと安堵した。
実際は聞いていないのだが、僕は当時の二人のやり取りを神さまの力で映像化して、なんならスクリーンに投影して映画感覚で観ていたので、小倉さんの吾楚胡乃到着から亜如校到着までの道中を知っている。
けれど、神さまの存在を徒らに公にするのは、神様曰く「あいつ神さまと交信できるワイルドだぜぇ?」と妙な人々に絡まれるきっかけになる。そうなったらじいちゃん・ばあちゃんはもちろん、エッちゃんこと桐山家、ましてや学校も巻き込んでしまいかねない。ならば心に閉まっておくのが無難というものだ。
まぁ、喋ったところで「お、おう……」と反応に困らせるのが関の山だろうが、用心に越したことはない。
さて、脱線はこれくらいにして話を戻そう。
と、思考の海から這い出てみると、エッちゃんがちょいちょい、と僕の裾を引っ張っていた。
「たっくーん。小倉さんの連絡先分かるー?」
ごめん、何の話だっけ?
「この人、香取紫乃さんっていうんだけど、小倉さんから借りっぱのタオル返したいんだってー。でも連絡先分からないし、学校伝手に返すのも薄情感あって忍びないから、直接会いたいんだってー」
じゃあ、あれから探し回っていたのか。
紫乃さんと僕らが出会ったのは火曜日の登校中。それから小倉さんとの再会に一縷の望みを賭けて出会った曲がり角を彷徨いていたなら彼是四日間は小倉さん探しに時間を費やした計算だ。
事情はよく分かった。
それなら電話してみるよ。ちょっと待っててくださいな。
僕は瞬時にスマホを取り出し、小倉さんの連絡先が登録されている通話アプリを起動し、やり取りを始める。
『小倉さん小倉さん。今日遊べる?』13:18
返信を待つ。
談笑しながら待つ。
これでもかと舞ってみる。
「あー。返信きたよ〜」
マイケルウォークがあと一歩で成功しかけたところで、通知音が鳴ったスマホ画面を覗く。
『今は午前いっぱい用事なので無理。午後なら可』13:26
『しょんぼリンダ』
『誰だよリンダ』
『意志を持ったカルメ焼き』
『気軽に化け物を生み出すな』
『カルメ焼きだって生きてるのよ』
『おまえが始めた物語だ責任持て』
『モッチャレ、モッチャレ』
『〝画面外のナニカ〟に食わすな』
『今しがた先日の吾楚胡乃女子生徒と会ったんだがタオル返したいとよ Byナニカ』
『本題が突然だしおまえが言うのかよ。そういや貸しっぱだったな』
『礼儀として直接返したいんだって』
『借りっぱも気が引けるからな。分かった。都合良い時間教えてくれ』
ありがとうございます。と一文添えて、スマホをしまう。
というわけで、会う約束取り付けたよ。
「ありがとう。今日会えなかったら学校で出待ちするところだったの」
それはそれで勇気が要りそうだ。
「会えるかどうかも、分かんないからねー。と、まぁ話はこれくらいにして、早く小倉さんに返信しよー」
そうしましょー。
こうして再会の口実が出来た僕らは時間を指定した後に一旦解散の運びとなり、自室でエッちゃんとのんびりゴロゴロ転がっていたところ、不意にスマホが紫乃さんからのメールをお知らせした。
『こんにちは』
『こんにちは』
『急な話ですが、タオル返却に従姉妹が同行することになりました』
『それまたどうして?』
『小倉くん? の名前が分からないなら、出会った通学路で出待ちしてみろって相談に乗ってくれてたんだけど、返せる目処ついたって伝えたら、心配だからついていくって聞かなくて』
『じゃあ、小倉さんには僕から伝えとくね』
『ありがとう。もう一つ訊いていい?』
『なんだいどうだいおれコブダイ』
『棘のある言い方だけど……小倉くんって見た目通りの人じゃないでいいよね?』
『というと?』
『私の従姉妹、ちょっと昔のことで男性に厳しくて。小倉くんの特徴言ったら警戒されちゃって』
『それで一緒に行くと地団駄踏んで床踏み抜いたと』
『踏んではいないと思うけど、そういうことなの』
『小倉さん、ややこしい見た目してるからね。でも、そこは心配しなくていいよ。
お連れさんには、小倉さんは外見と内面が世界一一致してない人と言っとけばいいし。小倉さんには僕から言っとくね』
『わかった。従姉妹にはそう伝えとく。何から何までありがとう』
『それではグッバイ』
『グッバイアイザック ← なんか出てきた』
やり取りを終了し、背中に乗って覗き込んできていたエっちゃんを床に落としてから即座に小倉さんに繋ぐ。
『小倉さん 小倉さん』
『なんだい木下くん?』
『タオル返却。吾楚胡乃さんの従姉妹さんが一緒に来るって連絡来た』
『そりゃまたどうして?』
『ボディーガードに名乗りを挙げたらしいよ』
『そうか。まぁ、俺の見てくれが見てくれだし、吾楚胡乃だしな』
『吾楚胡乃が何か関係あるの?』
『あそこ女子校だろ。だからかナンパ目的の輩が最寄り駅で出待ちとか少なくないとよ』
『ナンパってなんぞい?』
『見ず知らずの人間にデートを申し込む行為 ※個人的にかみ砕いた説明です』
『初めましてなのに成功するもんなの?』
『限りなく無理 ※個人の解釈です』
『悲しいね』
『故に教諭が定期的に巡回を行うなど、吾楚胡乃は警戒を怠らないのだ』
『ならボディーガードも仕方ないね?』
『そういうこった。ところで木下くん』
『?』
『〝悲しいね〟って嘆いたのは、ナンパに洒落こむ人々ではなく、見た目で損してる俺に対してだろ』
『ギ、ギクー』
『図星か』
『だって、小倉さんは良い人だよ』
『ありがとう。だが見た目で警戒されてるってことは裏返しゃ、加虐者にも効果が期待できるって証拠だ』
『でもそれじゃあ、怖がられるままだよ?』
『見た目損は今月までだし、怒弩寿琥を結成した時から疾うに覚悟してる。木下が気に病むことじゃない』
『小倉さんが言うなら』
『それでいい。そんじゃ、午後にな』
ちゃんと昼飯食って来いよ。と小倉さんからの一文を最後に、やり取りが終わった。
小倉さんは、どこまでもカッコいい人だった。
◇ ◇ ◇
そして午後──。夏の日向に眠ったエっちゃんを見限り、待ち合わせに指定された、怒弩寿琥御用達の河川敷に小倉さんと待っていると。
現れた香取紫乃さんの隣には、従姉妹の華島風香が立っていた。
「「おまえかい!!」」
「え? 二人って知り合いなの?」
「あぁ、うん。前にちょっとな……」
小倉さんと一緒にボブに挑んで瞬殺されたり、鳥バンド結成の原点に立ち会ったりしたんだよ。
「ねぇ〝フウちゃん〟。ボブって何方様?」
「あれだよ〝シイ〟。林子高校の軍人みたいな大巨漢教師」
「あの人か。危ないよフウちゃん。勝負だなんて。あの人、教員免許のために大学入り直した自衛隊上がりだってお母さん言ってたよ」
「マジかよボブ。よく私ら骨折しないで済んだな」
「まぁ、俺たちが未成年ってことで、地割れ程度には手加減してくれたんでね? ほら、あれがそれだ」
「わぁ、おっきい」
手加減が泣いてる声がする。
「と、まぁ、当たり障りのない話はこれくらいにして、そろそろ本題入ろうや」
「あ、うん」
泣き喚く〝当たり障りのない話〟を差し置き、紫乃さんは改めて小倉さんに向き直る。
「お久しぶりです。遅れましたが、香取紫乃と申します」
「小倉奎吾だ」
「小倉さんですね。先日は助けていただいてありがとうございました。こちらのお借りしてたタオル、お返しします」
「はい、確かに。そんじゃ、俺はこれで」
「あ、待ってください!」
「んぁ? 他にもあったか?」
「あ、いえその……ごめん、風ちゃんたち、ちょっと外してくれる?」
うーい、と紫乃さんの要望通り、三人揃って橋脚裏まで下がり、様子を伺うことに。
にもかかわらず、先程までの落ち着いたやり取りは何処へやら、紫乃さんはもじもじと身体を揺らしてばかりで一向に続きを切り出そうとしない。否、緊張していたからこそのあの淡々とした口調だったのだろう。その証拠に頭からは湯気が立ち上っていて。
十秒後には、高架橋橋脚一帯に立ち込める程に達していた。
人体ってすごいね。
「シイのやつ、緊張が過ぎると機関車よろしくなるんだよな……」
都会って色んな人が住んでるね。
あいつ以外居てたまるか。と華島さんにチョップされる間にも、蒸気の量はどんどん増していく。地面なんかドライアイスの雲海で覆われた音楽番組の歌唱ステージみたいになっていた。対する小倉さんは──、
「なんだあの表情」
呆けた顔になっていた。
「ぼんやりと前歯見せやがって。どんな顔で見てやがんだ。絶句してんのか?」
こういう時に幼馴染の野中さんがいればなぁ。
「と噂をされてた俺が来た」
あ、野中さんだ。
振り返ると、ちょうど名を出した野中さんが右隣に立っていた。
その足元には、首輪とリードを繋いだポメラニアン・イヌスケがポメポメ歩いていた。
「イヌッ!」
「あ、イヌ……」
イヌスケの姿を認めるなり華島さんがたじろぐ。彼女は幼少期のトラウマで犬が苦手なのだと言われていたのだが、
「………………お手……」
酷く逡巡した後に、華島さんは誰に言われるでもなく自ら左手を差し伸べた。過去と現在を切り分けてみせたのだ。
「イヌ? …………イヌッ!」
華島さんの顔を見て、左手を見て、じっと左手を見つめた末に、イヌスケは嬉しそうに、右脚をポメっと乗せたのだった。
これには野中さんも「おおっ」と感嘆の声を上げる。仮飼い主として嬉しいのだろう。
「良かったなイヌスケ。華島のねぇちゃんが心開いてくれたぞ」
「イヌッ!」
「襲ってこないやつを一方的に怖がるのも、な。あ、でも舌ペロはまだちょっと……」
「何も今日そこまでやらせる気はねぇよ。無理せず地道に慣らしてけ。それはそうと、俺の助けを求めてたようだが──?」
そういやそうだった。
忘れんな、と呆れられながら、僕は状況を説明した。
野中さんは古くからの親友の呆けた顔にニヤリと口角を上げながら「あぁ──」と何か見当がついた反応を見せた。
「あれは待ってる顔だな」
待ってる?
「詳しく言うと、あの子が切り出すのを待ってる顔だ。あいつのことだ。あの子が発する蒸気なんざ〝そういうもん〟だと思って触れる気ねぇぜ」
あくまで〝個性〟として受け取っており、そもそもの話、もう一つの本題にしか興味がないっぽい。
人はその人の〝あるある〟〝当たり前〟を受け入れがたい生き物だというに、それを小倉さんは若くしてその人にとっての〝普通〟を理解する域に達しているというのか。
やっぱり小倉さんはすごいなぁ、と尊敬の念をさらに深めていると、
「おや。その後ろ姿は竹太郎ではないか」
するとそこへ、アメノコがのこのこと歩いてきたのだ。
やぁ、アメノコさん。どうして此処に? 会うのはヤンバルって以来?
「散歩をしていたらお主らを見つけての。そちらは何を覗いておる?」
赫々鹿々。
僕の説明を受けたアメノコさんは「ほう──」と小倉さんと紫乃さん二人きりの世界を確認すると、衝撃的な憶測を述べた。
「もしやあの女子。男女仲になろうと試みておるのか?」
真に~?
「儂が思うに、じゃがな。ほれ、見てみい」
アメノコさんが指し示した先を注視してみると、紫乃さんはスカートの左ポケットをひっきりなしに触っていた。
「きっと、手始めに連絡先を知ろうとスマートフォンを取り出したいが、緊張が勝って中々次へと移れんのじゃ。恋に懸命な姿は愛いものじゃのう。ホッホッホ」
なるほど。あれはそういう動きだったか。
それならば直接返したがっていたのも納得がいく。実は小倉さんとの時間のやり取りの後、時短にと僕が代理で返そうか相談しようとしたところを紫乃さんとエっちゃんの女子二人に止められたのだ。鍛冶屋姉弟の片想いは見抜けたのに、僕もまだまだだ。
「それは当然じゃろう」
と、アメノコは言った。
「お主は齢13くらいか? 先を生きる大人でも機微を容易に察するのは難しいというに、20も生きておらぬ身なら易く気付けぬのは当然のこと。成長を望むならば、時とともに人々と触れ合い、経験を積んでいけば良い」
では儂も恋路の成就を見守ろう、と隣に並ぶアメノコをじっと僕は見つめる。
僕はつい先日にも感じられる中学校入学式まで、ほとんどの時間を地元の集落で過ごしてきた。
当然、過疎化が進んでいる集落だから交流のある年代層は50代以上に限られてくるわけで、同世代との交流は幼馴染の遥ねーちゃんを除けば、異世界の村人くらいだった。
それを踏まえると、僕は〝たまたま上手くいった〟ことばかり重なり、天狗になっていたかもしれない。
もう少しのんびり人と触れ合ってみよう。新たに決意を固めた僕はアメノコと赫鹿を新たに見守り隊へ加えたのだが、更にそこへ高架橋橋脚に屯しに来た何も聞いていない怒涛寿琥メンバー一同が、
華島さんが小倉さんと会うと風の噂で聞いた華鳥風月の皆方が、
偶然通りかかった一年三組の愉快な仲間たちが、
大人数の気配を感じて川から浮上してきた魚人の大沼さんが、
バンド練習の帰り道だった〝飛べない鳥はただ鳴らす〟が、
我が物顔で道路の真ん中を走る自転車をちょうど取り締まっていたクロサイが、
引っ越し先周りを散策していた通りすがりのチュパカブラが、
CDショップ帰りの〝サブカルチャー大好き怪異〟が、
男女の気配がするとやって来る自立式移動教会が、
加わった結果、野次馬は高架橋橋脚から溢れかえる程の大所帯と化した。
「多いわ‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」
数多の視線に茹でダコとなってしまった紫乃さんの傍ら、顔に青筋浮かべた小倉さんの怒号が高架橋橋脚に木霊した。
その直後、高架橋上からサイレンが聞こえてきたと思えば、赤ランプを回す消防車が河川敷上の道路に止まり、そこへ携帯を持ったおばはんが泡を喰って駆け寄った。
「消防さん、あそこよ! あそこが煙の発生源よ!」
「解散!」
小倉さんの合図とともに、僕らは逃げ出した。
エっちゃんは夕刻まで起きなかった。
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それでは、せーっの
脳 み そ 溶 け ろ




