第67話:メタルよ【〃】
前回のあらすじ!
アライグマの農業生活。
おや?
委員会仕事を終えて──。
まだ誰もいないであろう教室の戸を開けると、一人の女子が眼鏡を置いた机に突っ伏していた。
彼女は保科静流さん。4月の自己紹介で平穏が欲しいと話していたボーイッシュ茶髪眼鏡女子だ。
静流さんは寝息をかいていた。思えば彼女はクラスで人一倍眠る人で、授業が始まるまでの行間を利用して一睡を決めている姿をよく見かける。
眠いならもう少し遅くに登校しても良い気がするが、それとも睡眠時間を削らなければならない程に通学距離が長いのだろうか。ならば親御さんに送ってきてもらう手もありそうなものだが、仕事が忙しいのかはたまた職場と学校が真逆の位置かも知れない。
「ふぐっ……」
静流さんが肩を震わせてむくり、と起きる。戸音で起こしてしまったらしい。
「んう……」
静流さんは寝惚け眼を擦りながら眼鏡を手に取り、両手で持ち直して掛ける。
そこで初めて僕の存在に気付いたようで、教室入口から見守る僕の姿を認めるなり「うおっ」と声を上げた。
静流さん、おはよう。
「お、おはよう木下くん。今日は早いのね」
園芸委員会でね。
静流さんはどうしたの? 朝早い委員会や部活には入ってないはずだけど、電車でもバックレた?
「電車通いじゃないし、そんなんあったらニュース沙汰になってるでしょ。家じゃ寝れないからこっちで寝てるの」
あれま。
夜中に暴走族が近所屯ってるとか?
「パトカーが何台も来る大騒ぎだったわね、って違うから。うちの兄さ……兄が夜中にゲームしてるのよ」
そういえば、お兄さんがテンション高いって言ってたね。だから平穏が欲しいって。
「オンラインゲーム? を心置きなく遊べる時間帯が夜だけらしくて、しょちゅう夜中にゲーム始めてんの。隣部屋の私に配慮して声は出さないでくれてるけれど、それでも操作音が響いてくるからキッツいたらありゃしない」
それは寝付けも悪くなっちゃうね。お兄さんには伝えたの?
「伝えたけど、取り下げた」
またどうして?
「無音コントローラーじゃないもの」
と、彼女は背伸びをしながら話を続ける。
「夜中に響くって文句は言ったんだけど、そしたら兄さ……兄は本気で申し訳なさそうに謝ってきて、オンラインゲームやめちゃったの。最初は極端なって思っていたけど、後で検索してみれば無音機器なんてヒットしなかったもの。静音コントローラーだって学生が何の気なしに出せる値段じゃないし」
寧ろ気を遣わせてしまったと。
ここまで聞いてふと思い出す。遥ねーちゃんがまだ高校生だった頃の地元。
あれはねーちゃんと『大モチャ(大食撃! モッチャレファイターズ)』で遊んでいたとき。ねーちゃんの使う『ベラナイト(スズキ目ベラ亜目ベラ科の二頭身剣士)』にどうしても勝てず〝ベラナイト使用禁止令〟を言い渡したのだが、するとねーちゃんは数ヶ月先でも律義に守っており、それをすっかり忘れていた僕が「そういえば──」と聞き出すまで解禁しない気でいたのだ。あの時ほど申し訳なくなった日はなかった。
つまるところ、静流さんも僕と同じ罪悪感を抱いたわけだ。
「だったら私が操作音も気にならないくらい早く寝て、早く起きて学校来て、寝足りない分をこっちで賄えば良いじゃないって思ったわけ」
それでちょくちょく〝すやりんこ〟だったんだね。
でも、対策案ないし妥協案が出来てるなら、何故未だ安寧を欲しているのだろう?
「地声が大きいし、感情も家族一豊かで、リアクションも派手なの」
圧倒的陽キャ──と言いたいらしい。
訊けば、静流さんこと保科家は祖父母含めて温和……を通り越して物静かな家庭だそうだが、どうしてかお兄さんだけは保育園児時点で大はしゃぎボンバーだったらしい。それが同園生の影響かはたまた別の作用かは神さまのみぞ知る模様。
人の生来の気質は簡単に変えられるものではない。どれだけ自分が苦しくても不快でも気質を改めるよう頼むのはこちらの一方的なわがままに過ぎないし、それは「あなたの人間性が嫌いです」と宣言していると同義。どっかの角に小指をぶつけた激痛で性格が180度ひっくり返らない限りあり得ない話なのだ。
「小指ぶつけただけで人格変わるなら、なんで治安崩壊してないの」
ぶつけ直せば元に戻るからね。
「人格破綻するわ」
そんな日もあるさ。
「ありたくないわよ。何が悲しくてここまで脱線してるの私たち」
おかげで眠気飛んできたでしょ?
「……あらホント。ありがとうね木下くん。ちょうどいいからトイレ行ってくるわ」
いってらっしゃーい。
もうひとつ欠伸をかきながら教室を出て行く彼女を、僕は手を振りながら見送った。
◇ ◇ ◇
数時間後──。
キンコンカンコーン……。
「おや、もう少し進めそうだったのに。今日の授業はお終い。次の授業に遅れないようトイレ休憩はしっかりねー」
チャイム音を合図に先生は教壇を降り、四時間目の予告をして教室を去っていった。
次の4限目は理科室での化学実験。前回と同じドライアイスを使った水蒸気実験なのだが、不意の鼻ムズくしゃみに襲われた〝不運の星〟善信くんが水をかけすぎてドライアイス爆発を起こし、それを外から目撃した通行人に「煙に包まれた教室からぶオェえ、って聞こえる!」と通報されての消防車騒ぎとなって今日に持ち越しとなってしまったのだ。善信くんは土下座で騒ぎを謝罪していたがあれは貴重な体験だった。
今後は滅多にないだろう過去の出来事に鼻で笑いながら学生鞄から教科書を取り出す。移動教室なのでのんびりはしていられない。
そこへ、エッちゃんから声をかけられる。
「たっくーん。わたし、トイレ行ってくるから、先行っててー」
じゃあ、教科書類、持ってっとくね。
「頼まぁー」
勉強道具を僕に預けて小走りに廊下へ出ていく彼女の背中を見届けて、なら時生くんと行こう、と教科書類を小脇に抱えたそのとき、
静流さんが独り教室を発つ姿を、僕は視界の端で捉えた。
…………。
僕は時生くんに掛けようとした声を押し殺して、静流さんを追いかける。なんとなくそうしたい気分だった。
静流さんとは席間の距離も相まって、ほとんど会話したことがない。せっかく同世代と日々を過ごす機会を得たのだから、同じ教室に通う人とは仲良くしていきたい。
「ん?」
声が届く距離まで詰めたところで、静流さんが振り返ってきた。気付かれてしまった。
まぁ、いっか。
「木下くんじゃない。一人は珍しいわね」
やぁ、静流さん。エっちゃんに先行くよう言われてね。ご一緒していいかい?
「構わないけど……いいの? 私、盛り上がる話出来ないわよ?」
別に会話するだけがコミュニケーションじゃないさ。例えば……その……あれだ……いっせーのーせって親指立てるやつやるとか。
「流石に歩きながらは危ないわよ」
じゃあ、〝終わりの見えないしりとり〟をしよう。
「SAN値が耐えられない」
なんだいSAN値って? 〝South And North〟南北朝?
「正気度もしくは精神力」
へー。
だったら、茶之助でもいじくり回す? ちょうど後ろ歩いてるし。
「えっ」
「遠慮しとくわ」
ちっ。
「なら私が代わりにサノいじっとくわ」
「おい志桜里何する気だああん脇腹責めぇ」
「君たち~。はしゃぐなら、周りを気にしながらしたまえよ~」
あ、会長だ。
僕らの前を通り過ぎたのは生徒会長の智勇さん。廊下では大抵友人方と歩いていたり全校集会の会長スピーチでも先ず「ちょりっすぅ!」と挨拶したりと、理事長のノリを受け継いでいる数少ないパーリィピーポーの一人でありながら、先日開かれた全校集会では来月行われる次期生徒会選挙について真剣な面持ちで説明するなど、公私をしっかり使い分けている姿が印象的だった。
だが、逆を言うと、それ以外は特別な印象がない人だった。
というのも、僕は生徒会長の仕事を何一つとして知らないのだ。体育館のステージに立って喋ったり学校行事で挨拶したりするなんか偉い人程度にしか思っていない。
だからって、活動内容知りたさに生徒会に入る気は微塵もないわけだが。エっちゃんと過ごす時間減っちゃうし。ところで、
「…………」
静流さんはどうして、会長が通り掛かった途端、下を向いたのだろうか。
まるで顔を見られたくないかのようだった。
何か気まずい出来事でもあったのだろうか?
と、一体全体どうしたのかと首を傾げたそのときだった。
「……彼、私の兄」
と、静流さんはボソッと呟いた。
……え?
「だから、あの人。〝保科智勇〟は私の兄なのよ」
一瞬反応が遅れたのが聞き逃しだと誤解されたのか、今度はハッキリと、彼女はそう言い直した。
真に~?
「真も真よ」
今までの、智勇会長がマイクを握った全校集会と学校行事挨拶を振り返ってみる。
──続きまして、保科生徒会長から新入生への挨拶です。
──そんじゃ全校集会終わ……じゃねぇわ。保科くんから次期生徒会選挙の話あるんだった。
──忘れんな理事長ー。
──髭もじゃスキンヘッドハゲェー。
──内申落とすぞ、てめーらぁ‼
頭をシェイクして、後半三つを振り払う。
余計な言葉も思い出してしまったが、確かに〝保科〟と言っていた。
「……ということよ」
僕が裏付けを終えたのを感じ取ったのか、静流さんは気の重そうな溜め息を吐いた。
……あぁ、なるほど。
生徒会長を視認するなり顔を隠す行動に、言いにくそうに彼との関係を語る様。
この二つで、静流さんがお兄さんをどう思っているか、僕は理解してしまった。
夜中のお兄さんがうるさい、はブラフに過ぎない。否、うるさいのは間違いないのだろうが、それ以上に交流が広く、生徒会長という重役をこなしている偉大すぎるお兄さんに彼女は気後れしているのだ。
要するに、静流さんはお兄さんにコンプレックスを抱いているのだ。
彼女は自虐気味に続ける。
「だから私は学校では兄と顔を合わせないようにしてるのよ。とりわけ成績が良いわけでも人付き合いも良い方ではないし。きっと向こうもそう思ってるわ」
そんなことないよ。と言いそうになった口を閉じる。
僕は一人っ子で、従姉弟は家系図に無いし、再従兄妹も遠く離れた他県住まいだから疎遠に等しい。遥ねーちゃんは実質姉のようなものだが、同じ環境下で〝学生同士で〟時間を共にしたことはないので除外とする。
だから僕は、静流さんに掛ける言葉を見つけられなかった。
◇ ◇ ◇
キーンコーンカーンコーン。
「はーい。今日の授業は終わり。今回は滞りなく実験出来て良かったです。お疲れ様でしたー」
授業終わりの挨拶を済ませ、各々教材を片付けながら、理科室を出て行く先生の背中を見送る。そして──。
「うわぁぁあああ」
足音が遠ざかるのを確認してから、クラスメイトたちは食堂目指して駆けだした。
4限目の次は昼休み。多くの生徒が多分最も楽しみにしている時間帯だ。
うちの学校食堂はとにかく種類が豊富で、何より美味しい。というのも、星持ちだか人気グルメ雑誌に取り上げられたとかで有名なおじさんが働いているからだ。
そんな御方が、どうして学校食堂に籍を置いているかというと、情報通、杉田心さんが以前教えてくれた(芸能人っぽい名前だから詳しいのかな。関係ないか)。
曰く、御息女夫妻にお店の経営権を譲渡したタイミングで「うちの食堂で働かない?」と旧友の理事長からの誘いに乗ったそうで、今日まで腕を振るってくれている。
故に、うちの食堂は休日のフードコート並みに酷く混むから、早く席を確保しようと日々闘争を繰り広げているのだ。
「たっくん。わたし、席確保しとくねー」
託したぁ。
任されよ、とパルクールの要領で壁を走り、クラスメイトの荒波を乗り越えて先頭に躍り出ていったエッちゃんの背中を集団の隙間から見送る。
そのとき僕は、教室のある二階へ独り昇っていく静流さんの姿を見つけた。
彼女は表に出さないようにしているだろうが、足取りは普段見かけるのよりもワンテンポ遅い。先程お兄さんとすれ違ったことを──
否、他人のふりをしたことを気にしているのだろう。
付き合いはまだ三ヶ月程度でも分かる。今の静流さんはどう見ても、コンプレックスで雁字搦めになっていた。
これでは、会長が卒業するまで、彼女は後ろめたさを背負って過ごしてしまう。
そんなのは、クラスメイトとして見過ごせない。
……よし。
僕は一旦理科室へ引き返すと、ノート用紙を一枚切り取って、文字を書き連ねて折り畳み、二階にある放送室前の箱に投函した。
これで良し。最低限の手筈を整えた僕は、改めて食堂へと足を運ぶ。
「おぅい。木下くぅん」
食堂に辿り着くと、既に多くの生徒で賑わっている中、何処からともなく僕を呼ぶ声が聞こえた。
ふくよか坊主くん・時生くんだった。
皆と同時に理科室を飛び出した彼は、誰よりも早く食堂の席を確保していた。
彼が座っている日向の気持ちいい窓側の席へ出向く。
窓側の席は日当たりが良く、生徒間でも特に人気なのだ。故に椅子取りゲーム(物理)が勃発するのが日々の恒例となっているくらい。
時生くん。よく此処座れたね。理科室から此処まで近いとはいえ。
「ショートカットしたのさ。食堂前の窓鍵を予め開けておいて、理科室の窓から中庭を直進なのさ。理科室は食堂の真向いに位置してるのさ」
絶対真似してはいけない。
先生に見つからないようにね。
「そこは大丈夫さ。ところで、一緒にどうさ? 三席頼まれたんだけど、三人とも部活ミーティングでドタキャンになっちゃったのさ」
彼の右隣と真向いの席二つには、教科書や筆箱が置かれている。
お誘いありがとう。でもエっちゃんが席とってくれてるんだ。
「そうだったのさ。その桐山さんは何処さ?」
先行してったからこれから合流だよ。はてさて一体何処へやら。
「たっく~ん」
あ、エっちゃんの声だ。
声がした方へ振り返ると、エっちゃんが器用に人と人との隙間を縫って、僕の前へと現れた。
彼女は両手に持ったコップをちゃぷんと揺らし、申し訳なさそうに眉毛を下げる。
それだけで、次の言葉を予測するには十分だった。
「たっくん。日向席、全部取られてたー。ごめんねー」
あじゃぱあ。
日向席は人気だからね。仕方ないね。
「次こそはー。って、あー。トッキー、日向席座れてるー。いいなー」
「何を言ってるのさ桐山さん。僕に此処で待つよう言ったのは桐山さんさ」
真に~?
「真なのさ。というわけで、桐山さん企画のドッキリ大成功なのさ~♪」
いえ~い。ふっふ~い。
二人でエっちゃんを見る。
「…………。わーい♪」
状況を呑み込めたのだろう。エっちゃんは喜び、「ご飯注文してくる~」とコップを置いて、再び人混みの中へと消えてった。
後でジュース奢ったろ。僕は心の中で決意しながら時生くんの隣へ腰掛け、しばらくしてうどんを持って戻ってきたエっちゃんと入れ替わりに時生くんと注文に行き──、
『皆さんこんにちは。週一恒例『ちょっと聞いてくれよ生徒会』のコーナーです』
かき揚げ丼を食堂のおばちゃんから受け取り、席に戻ったタイミングで、放送スピーカーが声を鳴らした。
僕は思わず放送スピーカーを二度見した。
「お、今日も始まったのさ。今日は何が流れるさ」
と、横で時生くんがさっそくカレーに舌鼓を打ちながらスピーカーを見上げた。
我が校では毎週ランダムで、生徒会役員と生徒間で行われる質疑応答コーナーが昼の放送で組み込まれている。「勉強の集中が続かない」から「姉の学校に野生のスッポンが現れたw」と多種多様なお便りが届くので、月曜昼の人気コンテンツとなっている。
しかし参った。まさか今日『ちょっきせい(略称)』が行われるとは。
何を隠そう。先程投函したお便りには静流さんについて書いてあるのだ。先程聞いたばかりだし、内容的にも静流さんに勘づきかねない。今回ばかりは引かれないでほしい。
ところで、今日の放送委員の声、何処かで──?
『本日は私、保科静流が務めさせていただきます』
まさかのご本人登場だった。
どうやら、道中見かけた彼女の目指した先は、教室ではなく、放送室だったようだ。
なんてこったい。
更にそこへ追い打ちをかけるように──
『それでは、本日のコメンテーターのご紹介です……』
ん?
スピーカー越しに聴こえてくる静流さんの声に違和感を覚える。周囲は気付いていないようだが、心なしか、居心地悪そう?
その理由は、直ぐに次の言葉で明白となった。
『亜如箆莉野中学校生徒会長・保科智勇さんです』
『全校生徒の皆さーん‼ こーんにーちはぁぁぁぁああああ‼‼‼‼‼』
キーン……。とスピーカーから放たれた会長さんの声が、食堂内に反響する。
生徒会は計5人で構成されているのでお兄さんと当番が被る確率は5分の1。そこへ週一ならば25分の1。更に放送委員全24名とくれば600分の1まではね上がる。
にも拘らず、よりによってコンプレックスの象徴たるお兄さんと共に放送する羽目になってしまうとは、運が良いのか悪いのか。
彼女的にはお兄さんとの共同放送は不本意極まりないはず。だが、本日の放送当番を担っている以上、役割を放棄するわけにはいかない。
それは本人も重々承知しているのだろう。
静流さんは淡々と事務的に放送を進行していく。
『では、長ったらしい前座は端折って早速始めましょう。生徒会長さん、お願いします』
『承りました! わっしょーい‼』
会長さんの掛け声と共に、スピーカーの向こうから神が雪崩れる音が響く。きっと、お便り箱をひっくり返したのだろう。
ならば、僕のお便りは今日まで積まされていたお便りの下敷きとなっているのは必然。放送委員的にも量をこなしたいはずだから、わざわざ下から漁ることはないだろう。
と、思っていた時期が僕にもありました。
『じゃあ、これを皮切りにしましょうか。お願いします!』
『了解しました。先ずはPN〝アニョペリノって言葉、ヨーロッパにもありそうだね〟さんからです』
ブバッフ──。
「ぼぎゃぁ」
真向いでうどんに舌鼓を打っていたエっちゃんが慌ててうどんを持ち上げる。PNを聴いた僕が玉ねぎを発射したからだ。
口とテーブルを拭いている間にも、無慈悲にお便りは読まれていく。
『存在の大きすぎるお兄さんとのギャップに悩んでいるそうで、お節介を承知で力になりたいです。ご意見のほどよろしくお願いしま……す』
最後の言い淀みからして僕が書いたと気づかれたのは明白だった。
僕は頭を抱えた。
まさかついさっき書いて投函したお便りを今日開幕一番──どころかピンポイントで静流さんに読まれてしまうとは。お便り箱をひっくり返したならば、僕のお便りは一番下に潰れて時間内には読まず来週に持ち越しだろうと油断していた。
『……………………あえ?』
一方で、スピーカーの向こう側でたっぷりと沈黙していた生徒会長からも、想定外の言葉に面食らった声が漏れ出た。
自分たち保科兄妹についてだと、明らかに気づいている。
心さんから聞いた限り、奇しくも各委員長・部長・エースを担っている男子生徒で兄をやっているのは生徒会長だけ(他は一人っ子か弟か下の弟妹がまだ入学していない)。該当者が自分だけなのは少し考えれば難くなかった。
『あー、と……』
スピーカー越しでも、言葉に困っているのがよく分かる。
穴があったら泣きたい。
もう少し後に投函すれば。取り返しのつかない自信の行いを後悔したそのとき。マイクに近付いた息遣いと共に、静流さんの声が流れてきた。
『……アニョペリノ(略)さん。お便りありがとうございます。言葉を選んでいる生徒会長に代わり、私、保科静流がお答えしようと思います』
真に〜?
僕が驚いている間にも、静流さんは間髪入れずに続ける。
『実は私、そのご友人に心当たりがありまして。というのも、つい先月、その話を他校に通う当人から聞いたばかりでして。その人はお兄さんに辛辣な態度をとってしまったと嘆いてましたが、実際に悔いていたのは、兄の七光りを受けたくないと、学校で口をきかないよう徹底している方だそうです』
静流さんは呼吸を挟まず続ける。
『それに、一時的に気まずくなったことはあっても、家ではそんなに仲悪くないみたいで。でもオールマイティなお兄さんと違い、これといった長所を持ち合わせず、人付き合いも苦手だからと、兄と違って大した人間じゃないと比較されることを恐れていたそうで』
静流さんはなりふり構わず続ける。
『それで、あの……つまりはと言いますと……』
と、とうとう言葉に詰まってしまった静流さんに代わり、遂に会長さんが口を開く。
『本心を忌憚なく吐露した上で、互いに折り合いの付けどころを探したい。そう彼女は言いたいのだと思います』
会長さんはつつがなく続ける。
『僕は当人ではありませんので、その人を代弁することは決して出来ません。あくまで想像の範囲内でしか言葉を投げれない、自称理解者でしかないんですよ。故に、結局は一旦腹を割って話し合う。これに尽きると思います』
会長さんは理路整然と淀みなく続ける。
『なので、その人には、今日の放課後にでも、おやつに誘いつつ、しれっと言ってみるよう、ご友人に勧めてみれば良いかと思います。以上です』
と、会長さんは締めくくった。
不意を突かれたとはいえ、最初に言い淀んでいたのが嘘みたいに、聡明さを感じられる回答だった。
静流さんがコンプレックスを抱くのも、ちょっと分かった気がする。
その彼女はというと。
『……生徒会長さん、ありがとうございました。それでは、次のお便りです』
取り繕ってはいるものの、ちょっと嬉しいような、ホッとしたような声色で、次のお便りに移行していた。
それからも、『ちょっきい』は『例のスッポン、職員室で飼われてるそうだぜw』などと、そつがなく進行していったのだが。
お便りが十枚ほど読まれた辺りで、
『……さて、今日のお便り相談は終わりにして、お昼の音楽を流しましょう。実は放送委員には、好きな楽曲を自由に流せる権利があるんですが、会長さん。こちらの楽曲、構いませんよね?』
『あ、それ会長も好き。許可しよう』
『ありがとうございます。それでは聴いてください。〝Full of scratches String duo〟より、〝2ndアルバム/純愛テロリスト〟です。どうぞ』
聞き覚えのあるバンド名を挙げて、一旦放送が切られる。
〝Full of scratches String duo〟は曰く、小説を元手に楽曲を作成している4人組ロックバンド(二人組時代に結成した翌年に二人加入したそう)。小説から構想を練るだけなら先駆者は別に存在するが、あえて差分化するならこのバンドはボーカル自ら小説を書き上げ、それをバンドリーダーのギタリストが小説に籠められた想いを余すことなく読み取って歌詞に起こし、音を当てはめているのだ。そして──
演奏がもの凄くラウドロックである。
『────‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼』
「わァァあぁぁあぁぁあ嗚呼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」
放送スピーカーからシャウトが放たれたその瞬間、食堂は熱狂に包まれた!
デンデンデンデンデンデンデンデン──‼
ちやぁぁぁうぉりゃぁぁあ──‼
はぁぁぁあい──‼
Aメロ前の間奏が流れる中、生徒たちは丁寧に騒ぎながら、連携して食堂テーブルを運び、モッシュダイブ空間を作る。
暴れる気満々な彼らは、理性が吹き飛んでいるようで理性的だった。否、暴れるからこそ器物破損しないよう丁寧なのだろう。
静流さんと会長はどうなのだろう。DJ気分でサングラスでも掛けて、先生方の対応が遅れるよう職員室には流れないよう操作しているのだろうか?
後で静流さんのところへ行ってみよう。僕は騒ぐ下準備を整え今か今かとAメロ導入を待ち望む彼らから視線を逸らし、食事をもすもす再開する。
ゴボウのかき揚げ、美味しいな。
◇ ◇ ◇
それからというと。
一曲終えたタイミングで、モッシュダイブ入り乱れる熱狂に包まれた食堂を抜け出し、放送室へ赴いてみると、先生たちが放送室のドアに体当たりしていた。
なんでも、モッシュダイブを止めさせようと直談判しにきたけど、鍵をかけられていた上に、バリゲートが張られているのか開かないんだって。
ロックンロール。
次回は5/6投稿です。よろしくお願いします。それでは、せーっの
脳 み そ 溶 け ろ




