第54話:ハグよ【現世Part】
前回のあらすじ!
神さまが食べられた。
「ハグしよー」
現世日本早朝──。寝そべっていたエっちゃんがそう言いながら起き上がった。
登校時間までを自室でもだもだ過ごしていたときだった。予定時間までまだたっぷりある。
彼女は両腕を広げて臨戦態勢だ。無下にもしたくないし、暇潰しには丁度良い。
上体を起こし、僕は彼女とハグをした。
ぎゅー。
……とても平和な気分になった。
彼女の身体は柔らかかった。太っているでもなくふにふにしていて抱き心地が良い。ちょっと頬に当たっている彼女の髪はサラサラだ。
そのまま一分程経ってからハグを終える。
僕の抱き心地はどうだった?
「愉しい気分になったよー」
それは良かった。黙って抱かれた甲斐があったよ。
「その言い表し、なんかやらしいよー? わたしはどうだったー?」
全体的にもちもちしてて、それと良い匂いがしたよ。なんだろうね?
「フェロモンってやつじゃなーい? うっふーん」
ふっ……痛いよごめんよやめてよ。
色気の無さを鼻で笑ったら、ムッと眉をひそめた彼女に頬をつねられてしまった。
「たっくん、ほっぺ柔らかいねー。この感触は……あれだ、求肥だ。しっとりもちもちの〝すあま〟みたいだよー」
牛皮で〝すあま〟。
僕は牛さんと餅菓子のハイブリッドだったようだ。
「〝牛の皮〟じゃなくて〝肥えを求める〟だよー」
全然違った。僕は和菓子で統一されていた。
僕はまた一つ賢くなった。
そういうエっちゃんはどうだろう? 彼女の頬をむいっと引っ張る。
……湯葉だね。
「美味しいね」
食べたことあるの?
「小学校の京都旅行でー。うにうにぺにょぺにょしてて、上品な牛乳の皮だったー」
寧ろ食べてみたくなる例えだった。
「当てずっぽうで例えたのかよー」
それはそうと。どうして急にハグなんか?
「ネットで読んだのー。ハグするとオキトシンシンがドバドバ出てストレス軽減されるとかなんとかー」
もしかして:オキシトシン。
「だった気がするー」
それならクラスの皆にも教えてあげようよ。なんか他の人のほっぺと抱き心地も気になってきたよ。
「じゃあ、学校に行ったらお願いしてみよー。丁度時間だしー」
いいねー。
学校に着いたら、早速訊いてみよう。
◇ ◇ ◇
「というわけでしおりん。わたしたちとハグしよー」
「嫌よ」
一年三組教室──。一年三組教室──。括り型おさげの志桜里さんにエっちゃんはハグを求めたが、瞬時に断られてしまった。
「どしてー?」
「どうしてもなにも、というわけでの手前を話されてないからよ」
「ゔぉゔぇぇ」
バッサリ斬り捨てられてしまったエっちゃんを追放し、代わりに説明する。
かくかくしかじか。ア ニョ ペ リ ノ。
「ストレス軽減? そういえばそんな話あったわね。うちのお父さんとお母さんもよくやってるのを見かけるわ」
夫婦仲が宜しいことでなによりだ。
というわけで志桜里さん。僕らとハグして平和をお裾分けし合わないかい?
「やらないわよ気恥ずかしい。好き同士でもない男女がやっていい事じゃないでしょ」
僕は志桜里さん好きだよ?
「それは人としてでしょ? 貴方のことだもの」
「好かれてるって自信凄ぇー」
人と男女は違うの?
「説明が難しいけど大違いなのよ。とにかく、恋愛関係でもないのに安易にハグし合うもんじゃないの」
エっちゃん。僕ら恋仲だったみたいだよ。
「失礼、言葉足らずだわ。好き同士でもなきゃ素面でやることじゃないのよ」
あらまぁ。煙たがられちまったよやーれやれ。
肩を竦めていると、エっちゃんがトントンと肩をつっついてきた。
「わたしのここ、空いてますよ?」
わーい。とエっちゃんと腕を回し合う。
あ~。悲しみが浄化されるぅるるる~。
「よくもまぁ堂々とできるわね。こんな人前で」
愛は恥じらいを遥かに凌駕するのさ。
「世界から差別だってなくなるし、犯罪だってなくなるし、自然破壊だって止められるのさ」
「急激に規模が増したわね」
「ならばオレも世界平和の礎になろうじゃあないか」
振り向くと、トイレ帰りのチャラ男・茶之助くんがハンカチを丁寧に裏返していた。
ばっちこーい。と僕が構えてみせると、茶之助くんは惜し気なくハグしてくれた。
腕を解き合う。
「木下、どうだった?」
髪がチクチクしたよ。
「剛毛なんだよなオレの髪の毛。大丈夫? ぶっ刺さってない?」
頬に触れてみる。
平気だよ。……流血してないよ。
「今の間は何? ホントに大丈夫? 髪の毛で人傷付けるなんて嫌よオレ?」
「だったら丸めればいいんじゃねー?」
「茶之助。明日バリカン買いに行くわよ」
エっちゃんが極論を言い放ち、志桜里さんが悪ノリする。彼女は幼馴染の茶之助くんには遠慮がない。
「髪の毛にだって人権はあるよ?」
「そうともさ」
時生くんの声に振り替えると、ちょうど登校してきたふくよかマルコメの姿があった。
「大事故不可避だから僕は伸ばしてないけど、髪の毛にだって人権はあるのさ」
「伸ばしたらどんな感じになるのー?」
「ヴィジュアル系バンドになっちゃうのさ」
「ちょっと見てみたい気もするわね」
「やめとけ志桜里。学校が紅に染まっちまう」
それはそれで。
「良くねぇよ」
「ところで、さっきから何をしてるのさ? ハグしてるのが見えたけど」
かくかくしかじかア ニョ ペ リ ノ。
「それは良い試みなのさ。部活で疲れてたところだし、癒しを与えてくれるかい?」
よしきたほいさ。ガパチョと胸を貸すと、時生くんは遠慮なくハグしてくれた。
その際に彼のふくよかなお腹がどぅうぃんっと当たるこれが何とも言えない愉快な気持ちにしてくれた。
髪の毛はサリサリしていた。彼の坊主頭はとても肌触りが良く、延々と頬擦りしていたくなる。
しかし終わりはいつかやってくる。彼の気が済んで離れようとしてきたのだ。
ああ、待って。サリサリ待って。僕は坊主頭に喰らい付く。
「なんか頬擦りしたまま付いてくるのさ」
「たっくん。ひっつき虫になってるー」
「俺もなろーっと。トキえも〜んうわぁ髪の毛紙ヤスリぃ」
茶之助くんが坊主の良さに気付くのは最早時間の問題な気がした。
「わたしも触りたーい」
「悪いけど、ハグは定員二名までなのさ」
「じゃあ、お腹触るぅぉおおおダムダムするぅうううう」
「やめるのさ。やめるのさ。……やめろや」
凄まれてしまった。だってよ茶之助くん。
「茶葉丸、ダムるのやめなー」
「なんでオレだけ? ってズルいぞお前等二人して逃げるなんて⁉」
「逃げ損ねた新田くんが悪いのさ。さぁ、顎を差し出すのさ」
「いやぁぁぁああ」
こうして茶之助茶葉丸くんは大納言力士ボンバーの餌食になってしまったとさ。
それと、エっちゃん。茶之助くんのこと、茶葉丸って呼んでるんだね。
「おや? 貴方たち、とても愉快なことをしていますね」
今度はセンター分けボブカットの仏面・仏くんがやって来た。
赫々鹿々。
「呼んだ?」
呼んでないよ。
と教室を訪ねてきた赤く照り輝く鹿さんの群れに帰ってもらったところで、仏くんが身支度を終えて会話に復帰する。
「ハグですか。お互いの成長を喜び合った身体測定以来ですね」
そういうこともあったねぇ。
僕と仏くんは身体測定時、両者揃って背が10センチ以上伸びた幸福をハグで分かち合っていた。その際に同じ悲願を成し遂げた新入生に囲まれ生成されたハグサークルは珍百景として新聞部に取り上げられていた。いつの間に撮ったんだろうね。
「きっと幽霊さんでも雇っているのでしょう。それよりも、折角なので、あの日の喜びを思い出そうではありませんか。ヘイカモン」
と両腕を広げてみせた仏くんに僕は飛び込んだ。
瞬間──、彼の肩にかかりそうな髪の毛が僕の鼻をくすぐってきたのだ。
……ぼるっしゃぁ。
「ぎゃぼぉ」
仏くんは、僕のくしゃみに驚いて飛び退いてしまった。ごめんね。
「私の髪が紙縒りと化してしまうとは。お鼻は大丈夫ですか?」
そう言われるとまた……ばろべっしゃぁ。
「へんりぃ」
今度は尻もちを着かれてしまった。
「ぉおう。どうした吉岡くん? 眩暈か?」
と、そこへドアを潜ってきた長身ゴリラ鳴海くんが巻き添えを喰らいかけた。
やぁ鳴海くん。実はね――。
「たっくんと一緒に、ハグを流行させてたんだよー」
と、エっちゃんが続きを紡いでくれると、鳴海くんは興味を示した。
「へぇ。ならば僕も乗らせてもらおうかな。それではお願いします」
一礼して胸を晒す鳴海くんに、うぇーい。と突撃する。
鳴海くんの身体は硬かった。常日頃鍛えられているだけあって筋肉が発達していた。流石運動部。
だがしかし、身長差も相まって髪の毛は触れなかった。残念。
と、気が済んでハグり終えたタイミングで、僕と鳴海くんはエっちゃん仏くん茶之助くん三名が参戦したがっているのに気付いた。
「ウェルカム」
鳴海くんは寛大だった。
「うぇーい♪」
「はっはっは♪」
「うぃーい♪」
「でやぁっ!」
「ぎゃぁぁぁああ」
エっちゃんに続いた仏くんは背負い投げられてしまった。
「身体測定で囲まれたのは忘れてねぇぞぉ! 背負い投げ擬きで勘弁したる‼」
「ぎにゃぁぁぁああ⁉」
「逃げんな新田ぁ! 待たんかい!」
柔道部鳴海くんは廊下へ逃げ去った茶之助くんを追って、教室を後にした。
……さて。ハグり合いもそろそろ限界か。もう間もなくHRが始まるし、ぶっちゃけ飽きてきた。
「たっくーん」
なんだい? エっちゃん。
「飽きたー」
そっかぁ。
発案者の片割れも興味が失せていた。ここいらが潮時だろう。
と、締めきろうとしたそのとき、最後の刺客が現れた。
「おやおや? 何やら面白そうなことをしているね? 私も混ぜてくれよ」
加藤巴さんだった。
「あー。ともちゃんだー」
と、挨拶もなく彼女を指差すエっちゃんのやんちゃな指はしっかりベギゴって、当分修復不能にしておく。
巴さんは豪快でノリに明るい大人びた性格から〝巴の姐御〟と親しまれる一年三組の姐御肌兼王子様だ。その長身と高フィジカルから女子バスケ部からも〝次期エース〟と期待されているそうで、毎朝HRギリギリまで朝練に勤しんでいる。
「はっはっはっ。姐御とは照れるねぇ。で、何で盛り上がってるんだい?」
と、訊いてくる巴さんに、長らく静観していた志桜里さんが説明してくれた。
「ストレス軽減にハグしようですって。そろそろ締め切りそうよ」
「では私がトリを担わせてもらおうじゃあないか。ほら大谷くん。お互い癒されようではないか」
「いや、私はいいわよ」
「まぁまぁ。遠慮しないで。眉間が皺になっちゃうぞ」
「ホントにいらないったらぁぁぁああ包容力ぅぅぅうう」
流石は巴の姐御。圧倒的光属性で志桜里さんを秒殺してしまった。
「……! わたしも、やるー」
エっちゃんが何かに興味を湧かして、再燃した。
「おーおー。きたまえ。へーい」
「ひゃっほーい」
エっちゃんは巴さんの胸に飛びついた。
あ……⁉
そのとき彼女の顔を見て僕は悟った。エっちゃん、おっぱいを楽しんでる。
僕はエっちゃんを引っぺがした。
駄目だよエっちゃんセクハラだよ。純粋なハグにおっぱい目当てはレギュレーション違反だよ。
「目の前にあれ程のおっぱいがあって我慢できるかよー」
開き直らないでよ。
「あっはっはっ。桐山くんは素直でよろしいね。私でよければ幾らでも甘えたまえ」
巴さんは寛大だった。まったくもう……。
「おっぱい大きいだけに?」
訴えられなさい。
しかし……巴さんのって、大きいよね。
周囲を見回してみる。巴さんは身長もさることながら、胸囲もかなり大きい気がする。平均は知ったこっちゃないが、少なくとも中学生にしては相当の部類だ。
「木下くん。女子の胸囲を見比べるのは些か無礼と思うのさ」
真にー?
じゃあ、やめるー。
「改めるまでが早いから、怒る気にもなれないですよね」
「木下くんの素直に反省するところ、嫌いじゃないのさ」
仏くんの言葉に、僕は時生くんと微笑み合った。何事も反省は正直が一番さ。
と、ここでチャイムがキンコン鳴って、薫先生と遥ねーちゃんが入ってきた。
「はーい。皆さんおはようございます。て、何してるんです? クラス皆でハグして」
おはようございます。ハグで平和を分かち合ってました。
「それは良い心掛けですね。それはさておいてHRを始めたいところなんですけれど、一時間目が体育なので手短に済ませますね。それでは四ノ山先生どうぞ」
「はーい。わたしが担当している国語ですが、三時間目と四時間目入れ替えになったので、そこんとこよろしくー。以上でHRを終わるので、更衣室へGO~」
「はーい。朝から体育キツイなー」
「目覚ましにはちょうどええんでね?」
「あれー? しおりん、座りっぱで、どうしたのー?」
「待って噓でしょ包容力で腰砕けてる?」
「では、私が責任持って運んでしんぜよう」
「待って加藤さん流石に申し訳なぁぁああ割と憧れてたお姫様抱っこぉぉぉおお」
一年三組は、今日も平和だった。
・赫鹿
「赫々鹿々」と唱えれば何処へでも現れる、赫く煌めく角を持った鹿。基本群れで行動するので時と場所には十分気をつける必要がある。
ただし地域差があるようなので、あなたが唱えても現れなかったらきっとその地域には生息んでいないのでしょう。




