第33話:山よ【異世界Part】
前回のあらすじ!
怒弩寿琥と世田谷育ちと神
竹太郎がグラさんを〝ちゃん〟呼びし『大納言エクストリームブラスト』を喰らう数刻前の早朝――。
その日、ある魔物が山に来ていた。
その魔物には名前がなかった。いや、あるにはあるのだが、それは異名若しくは通り名の類であり、その個体を指し示す『記号』は存在しなかった。
なので、今ばかりはその魔物を〝吾〟と呼ぶものとする。
〝吾〟は青空から射す陽光に照らされながら自然の空間へ出た。
現在〝吾〟が居るこの場所は近くに林道はおろか登山道すらなく獣道を自らの足で切り開いて初めて辿り着くことができる空間。長い年月が作り出した秘境中の秘境だ。
今日の〝吾〟は独りだった。普段はよく晴れた日の街中に紛れ仲間と賑やかしく歩いているものだが、偶にはこうして無音が全てを占める一帯へ足を運ぶのも悪くなかった。
その中でも特にお気に入りなのが、静寂とした森の中で焚火を独り静かに見つめることだった。
照りつく太陽に顔をしかめつつ手頃な石を椅子の代わりとし、道中で採った山菜らを脇に退かしたら焚き木を組み着火を試みる。
しばらくして火が産声を上げた。
辛うじて形を保つ火種の尊厳を絶やすまいと急いで息を吹きかけ枯草を放り込む。
そのうちに火種は勢いを増してやがて陽炎を生む情熱を放つようになっていた。
じっと見つめながら鎮座する。この後のことは何も考えていない。
だが無計画に過ごすのも人生の中では必要なのだと暖気交じりの熱気に当てられながら物思いに耽るのを止めた。
ゆらゆらと蠢く陽炎は心を〝無〟で包み込んでくれた。否が応でも多くを思考し行動に移さねばならない忙しない喧騒を生きざるを得ない現在において無心になれる機会は何事にも代えがたいことだった。
さてと、いい加減食事としよう。さすがに腹が空いた。
道中収穫した山菜から大量のキノキョを手始めに一つ炙る。腹の虫に唆されて些か採りすぎてしまったが残りは持ち帰ってしまおう。
良い具合の色になったので焼けた傍から一口。
……中々に美味だが、今一つ決め手に欠ける。塩でも調合して持ってくるべきだった。
ならばとなんとなく採っておいた葉っぱ型の山菜『山葉』と一緒に食べてみる。
美味い……!
これならば調味料が無くても食が進む。今後は積極的に探すとしよう。
次の食べ合わせを思索していると物音がした。
茂みに意識を向けてみると――、
癖毛の少年が顔を覗かせていた。
◇ ◇ ◇
時は少し遡り――、竹太郎とエイリは日が昇って間もない山道を歩いていた。
さて、エっちゃん、今日は何を採るんでしょうか?
僕は今日の目当てが何なのかまだ知らない。朝起きるなり「山行こーぜー」と誘われたからついてきたに過ぎないのだった。
「本日はキノキョを採ろうと思いまーす」
いえーい。
遂にこの時が来た。初めて異世界の地に降り立った日……腹拵えに収穫したキノキョが尽く「全部毒キノキョ」とユイねぇさんに宣告されて以降、長らく真っ当キノキョを探し当ててみせる機会を狙っていた。前回の山菜採りでも、ミノタウロスに横槍を入れられて消化不良に終わってしまったのが更に収穫欲を膨らませていたのだ。
のだが……。
「全然、見つからないねー……」
キノキョは今日に限って、雲隠れしたかの如く姿をくらませてしまっていた。
一体何処に隠れてしまったのだろう。キノキョが採れやすいポイントをいくつか巡ってみたけれど、悉く収穫済みの痕跡を残して無くなっていた。
「わたしたち以外にも、誰か来てるみたいだねー」
ユイねぇさんかな?
「でもユイねぇ、此処に来る前に会ったばかりだし。そもそも今日は南東の山に潜るって言ってたよー」
じゃあ、新たなるミノタウロスが?
「だったら、ユイねぇがとっくに見つけて、村長に報せてるよー」
なら、馬で一時間のところを長駆一時間でたどり着けるコウくんかも?
「まだ寝てるよー」
ほんなら、確かめに行こう。
「賛成。ちょうど足跡もあるし、辿ってみれば、わかるかもー」
足跡?
エっちゃんに指差されたところを注視してみてようやく気付けた足跡は、獣道の先へと続いていた。
僕らは足跡をなぞってみることにした。
獣道は凄まじく歩きづらかった。地面の慣らしから道幅まで、人間が通ることを微塵も考慮していない。それ故に獣道なのだが3cmでもいいから配慮して作ってほしいものだ。
「なんなら、わたしたちが通る時だけでも、整備されてほしいよねー」
人間が来たぞ、拡がれ! ってね。
そんなこんな暴論を吐いているうちに、やがて僕たちは足跡の終着点へと辿り着いた。
「ありゃりゃ?」
――が、いくら見回しても収穫者の正体は一向に見当たらなかった。
トイレかな? と首を傾げたところで、エっちゃんが地面に屈みこんだ。
「たっくん。足跡、ここで消えてるっぽいや」
彼女の発言でハッと気づく。足跡は終わったのではなく途中で途切れてしまっていた。
一緒に屈み、舐めまわす様に地面を眺めてみるも一向に続きを見つけられない。鬱蒼とした草花の上を歩いたからか足跡が着かなかったらしい。
「これじゃあもう、追いかけられないねー……」
でも、このまま放っておいたら、いつまでも正体を掴めないまま、収穫できないよ?
もうちっと、しぶとく追い回してみようよ。
「……それもそうだねー。もう少し頑張ってみよう」
その意気だ。
じゃあ、効率的に捜索するためにも、別れて行動してみるかい?
「それもそだねー。んじゃ、お昼時まで、それぞれ探してみよう」
ほんじゃ、ばーい。
「ばいばーい」
エっちゃんが茂みの先に消えたのを見届けて、僕も別方向へ歩き出す。
そのうちに、木々の先端の間から微かに漂う煙が立ち上っているのが見えた。
あそこにキノキョの収穫者がいる。僕はそう確信して駆け出した。
そして、少し開けた空間に、焚き火を見つけた。
そこには――手足の生えた、二頭身の山がいた。
もっと身近なもので例えると、ラッキョウ? に似た形状をした生き物だった。どちらかと言えば先突部を薙がれた玉ねぎの方が近いかも知れない。
まぁ、いっか。
話を戻そう。
山は焚き火を囲って沈黙していた。相当の時間を焚き火と共に過ごしていると証明するように、かなりの数の薪が燃やされた跡が遠くからでも確認できる。
そして――、脇には未だ焼かれていないキノキョが山盛りで置かれていた。
間違いない。あの山がキノキョを収穫した正体だ。
「……そこのもの。壱拾弐~参の齢と見られる癖毛の少年よ」
わぁ。
観察していると、話しかけられた。
なんと山はこちらを一瞥すらしていなかった。一体どのタイミングで気付いたのだろう。
とりあえず、続きを聞こう。
山はゆっくりと、つぶらながらも威厳のある瞳を合わせてきて続けた。
「用があるなら近う寄りなさい。黙って見つめられては落ち着かぬ」
………………。
僕は表に出て、山と肩を並べた。
おはようございます。
僕、木下竹太郎です。
「おはよう竹太郎。名からして出自が山麓、若しくは田舎であったりするのかの?」
そう言う訳じゃないよ。
僕自身は街中の病院で産まれたそうだけど、じいちゃんに〝竹〟の字が入っているの。
「祖父の名から譲り受けたというわけか。中々に小粋なものである」
じいちゃんが偉大らしいの。何を持ってして偉大かは知らないけど。
「祖父母から、何者かを存じていないのか?」
興味ないの。
「それは如何にしてか?」
じいちゃんが何処の誰であれ、大好きなじいちゃんなのに代わりないからなの。
「ほう……それは祖父冥利に尽きるな」
そうなの?
「自分が何者であろうと構わず尊敬されるというのは悪い気がせんものよ」
へー。
「途端に興味を失せるでない」
別に興味が湧いたからなの。
「それはなんじゃ? 申してみい」
山さんはなんて言うの?
「山……!」
山は「山……!」と再び慄いて続けた。
「儂らは己が姿に近しいものは何かと形容してみたことはあるが、山……! 思わず声を荒らげてしまったわい」
何に形容したの?
「玉ねぎじゃ」
…………。
「…………」
痛いほどに鼓膜を鳴らす無常なまでの無音が二人を包んだ。
――が、それを竹太郎は切り裂いてみせた。
山の方が愉しいよ。
「それもそうじゃの」
結論付いたところで、いい加減脱線を修復して、元の会話に戻るとしよう。
ところで、山さんはなんて言うの?
「儂か? 儂らに名はないのじゃ」
あれま。
それは何故?
「お主ら文化人であるところの〝鍛冶屋〟〝道具屋〟といった類の呼び名はあるにはある。しかし竹太郎のように「己の名は〝竹太郎〟である」と言える在り名を生憎持ち合わせておらんのだ」
あれまぁ……。
それはまた難儀だねぇ……。
「しかし、それがそうでもないのだ。お主は店員にものを聞く時、わざわざ名を訊ねたりするか?」
特にしないよ。
「左様。故に通り名のみでも困る事は意外と少ないものなんじゃ」
それでも、困るには困ったりするんだね。
「否定はせんわい」
ところで。キノキョ、良い感じに焼けてるよ。
「おぉ、本当じゃ。焦がすところだったわい」
山さんは会話の都度都度で炙っていたキノキョを回収し、
「お主もどうだ?」とくれたのだった。
いただきます。
「たんと食べなさい。ここらは山菜が多く採れ……うん? もしやお主、腰に下げてるは収穫カゴか? もしやキノキョか何かで山に潜ってきたのか?」
山さんに訊かれた通り、僕は入山前にエっちゃんから収穫カゴを受け取っていた。
そうだよ。
「なんと。それじゃあ儂が収穫したばかりに苦労したであろう。すまんかったのう。ここのキノキョは全部お主にやろう。なぁに、採りすぎてしもうたものだから遠慮することはないわい」
ならば気負いすることはない。僕はごっそりキノキョを頂戴した。
これならエっちゃんも満足に昼市に出荷できるだろう。
「もう一つやろう」
山さんは腰からともなく、串刺しにされた、樽状のぶっとい蛇を取り出した。
「ツチノコじゃ」
ツチノコ。
ツチノコ――。小型の樽を丸呑みしたかのようなその姿で、尋常ならざる跳躍力を誇り、果てには毒持ちだと云われる毒要素は尾ひれな気がしてならない伝説の未確認生物だ。
それを山さんは串に刺した状態で取り出した。
「ツチノコ食うか?」
いらない。
「そか」
山さんはツチノコを炙ると、良い焦げ目がついた辺りで頭頂部に放り込み、ナマナマと食べてしまった。
僕はどうやって食べているのか気になり、頭頂部を覗いてみた。
――が、咄嗟に閉じられ、驚愕の口内は一瞬しか見れなかった。
「これ。食事中の口元を覗くでない。無礼であるぞ」
ごめんなさい。
「よかろう。……さて、腹も膨れたしそろそろ帰るとしようかの。思わぬ出会いだったが、中々に楽しめたわい」
何処ら辺に帰るの?
「人の足なら二日はかかるとある森の奥じゃ。山道からは完全に外れとるから会うことはまずなかろう」
それじゃあ、野宿しながら帰るんだね。
「その必要はない。移動手段はあるからの。ちょいと木陰に入りんさい」
山さんは言うて僕を退かせると、突拍子もなく踊り出した。
ブレイクダンスを添えて――。
パコパコパコパコパコパコマンボー。
パコパコパコパコパコパコマンボー?
パコパコパコパコパコパコマンボー。
デェェェェェェエエエエエ!!!!!
エビバディセイッ、ヘイッ!
ボッ!
山さんが踊り終えると、白い塊が頭頂部から天高く放たれた。
その塊は龍の如く空を昇り、やがて雲の向こうへ呑み込まれると――
ザァァァァァ……と雨が降ってきて――
山さんがふわふわと浮かび上がったではないか。
「そうじゃ。話題に上った儂らの通り名を言うてなかったな」
見上げる僕に山さんは言った。
「〝雨神〟じゃ」
そう締め括り山さん――改め雨神さんは「じゃあの」と空の彼方へ飛び去ったのだった。
帰宅手段が鎮火と直結しているなんて、便利なものだ。そう思いながら僕はキノキョを収穫カゴに入れられるだけ入れながら、雨が止むのを待つのだった。
一方――、エっちゃんは諸雨に打たれていた。




