第31話:やれやれだよ【異世界Part】
前回のあらすじ!
ゲーム対戦は愉しいね。
翌朝。
いつもの朝とはちょっと違う、初めての居候での初起床。目を覚ますと、あてがわれた自室の天井が――
出迎えてはくれなかったとさ。
ヒノキ色ではなく、黒色の天井だった。
……ああ、そうだ。ここは異世界の自宅だ。
つい一ヶ月前まで、僕、木下竹太郎は事故で死んでいた。正しくは、死にかけていた。その間は転生だか転移だかを司る女神さんの計らいで意識が戻るまでを異世界で暮らし、最終的に現世と異世界二つの世界を行き来できるようにしてもらったのだ。
とはいえ未だに「あれ……? ……あぁ、現世(異世界)の家か」となる。ワープしたと認識できずに混乱する。目を覚ます度に別の天井がグッモーニンとこちらを覗き込んできているなんてこと、従来の人生で存在するわけがないのだから。
それも今回は特に久しぶりな気がする。体感的には2ヶ月ぶりに異世界へ来た感覚だ。
まぁ、いっか。
そんなことはさておき、着替えよう。一日の始まりは着替えからだ。
と、上を脱いだところで、こんこん……と戸音がたったや否や、音の主は返事を待たずして戸を開けてきた。
「たっくん、おはよー。コケコッコーだよー」
ニワトリを演じながら入ってきたのはエっちゃん。この家の所有者で、僕以上に両方の世界を往来している金髪褐色身長は多分同じ女子だ。
それにしても彼女。なんの躊躇もなく部屋に入ってきた。もし僕が寝惚けてズボンごとパンツを下ろしていたらどうするんだって話だ。
まぁ、だからどうしたではあるが。
とりあえず、こちらはどう反応しておけばいいだろうか?
……。
いやーん。
「どしたのー? ……パンツがどうかしたのー?」
言われて、彼女がズボンを履いていないと気付く。寝る時はパンツ派らしい。
エっちゃん、ズボン履きな。寒いよ。
「忘れてたー。春になって、間もないもんねー」
彼女は自分の部屋に戻る。
アホだなぁ、エっちゃん。ふふっと笑いつつ着替え、彼女と合流する。
それでは隊長。本日は何を採るのでしょうか。
「本日は山菜を中心に収穫しようと思いまーす。れっつら……」
ご〜。
掛け声に合わせて家を出る。彼女が目指すは東の裏山だ。
この村では未成年のうちから職に就く仕来りがある。エっちゃんは農家のおばあちゃんから受け継いだ山菜の収穫者を担っており、未だ決めあぐねている僕は皆の仕事を手伝いながら就活している最中だった。
そんな道中、僕らは見知った顔を広場に見つけた。
「あー。ユイねぇだー」
「おう、エイリにタケタロー。おはよぁあう……」
言葉半ばで欠伸をかいた彼女は狩人のユイねぇさん。異世界にやってきた僕を保護してくれた人物だ。彼女と出会っていなければきっと転移先の裏山を闊歩するミノタウロスにモッチャレられていたかもしれない、言わば命の恩人だ(尚、そのミノタウロスは最終的に食べた)。
「ユイねぇ、おはよー。今から狩りー?」
「ああ。畑荒らしのオラオラジカが罠にかかってるか見に行くんだ。そっちも裏山か?」
「うん。これから山菜採りー」
「そうか。くれぐれも怪我したりすんなよ。ほんじゃ、また昼なぁあ……」
「いってらっしゃーい」
えっちゃん共々、ぶんぶんと手を振り、ユイねぇさんを見送る。
ユイねぇさんの背中が点になって消えたところで、エっちゃんは手を振るのを止めて、籠を背負い直した。
「……さて、わたしも行くとするねー。たっくんは、今日はグラにぃのとこだっけ?」
うん。グラさんところ手伝ったら、次はリンねぇさんのところで雑用で、そのまた次が肉屋さんで、最後に農家のおばあさん。計四件が終わったら村長に報告で仕舞いだよ。
「昼市には帰ってくるから、お昼は一緒に食べようねー。そんじゃ、お昼まで~」
いってらっしゃーい。
◇ ◇ ◇
「おうタケ、来たか。早速だが荷下ろししてもらうぞ」
うーい。と返事して、最寄りの荷物を持ち上げる。
いつもの朝焼けの海。いつもの漁港。
僕はちょうど帰ってきたばかりのグラさんたち漁師一向に混じって、箱一杯に積まれた魚を地上へと運ぶことになった。
船着き場からは「魚は鮮度が命だ! とっとと運びやがれー‼」と、グラさんの父たるアラールのマッチョッチョが船を沖に流されぬよう固定しながら声を飛ばしている。漁師さんたちは踏ん張るが、声を遮れなかった箱から盛り上がっていた魚の何匹かは吹っ飛ぶ。地面に落ちたものは商品にならない。もったいない。
「船長! 魚が落ちて傷付いちまいますよ!」
「すまん!」
また魚が、更には漁師さんも吹っ飛ぶ。
あーあ……。
「おうタケ。親父の射線上には立つなよ。おまえの体重じゃあお星さまになっちまう」
グラさんに先導されて、マッチョッチョと距離を置く。一言一句全てが大気を切り裂く破壊の咆哮と化すマッチョッチョと日々を過ごす彼が言うのだからきっとそうなのだろう。
「だから親父のモーニングコールを受けないよう、毎朝早起きしなきゃなんだわ」
心の声、聞こえないでー。
「カモメ~」「カモカモメ~」
お……?
けたたましい鳴き声に見上げてみると、群れを成したカモメが箱に積まれた魚を狙っていた。漁師さんたちが獲ったところを漁夫る魂胆だろう。人が集まっているところに襲撃してくるものか? とは思うが、異世界のカモメは随分と図々しいらしい。賢いね。
「カモメが来たぞー!」
「魚守れー!」
漁師さんたちがこぞって魚を屋内に緊急移動を始めたところで、マッチョッチョの咆哮が空へと放たれた。
「盗るんじゃねぇえーーーーーーーーーー‼‼‼‼」
凄まじい咆哮に三半規管を殴られたカモメは「ひぇぇ」と次々踵を返していく。
「ここは俺に任せて運べーーーーーーーー‼‼‼‼」
「「「「「「「「「おおーーーーーーーー‼‼‼‼」」」」」」」」」
「走れタケ! 巻き添え喰らうぞ‼」
うわーい。
こうして、必死こいて漁獲された荷物は「はあーーーー‼‼」「でぁーーーー‼‼」とマッチョッチョがカモメを追い返している間に、漁師さんたちによって避難を終えたとさ。
◇ ◇ ◇
「ん……」
へーい。
一転変わり――、中央広場の南西にある鍛冶屋。
「あとは俺がやっておく! とっとと帰って英気を養いやがれーー‼」と叫ぶマッチョッチョにさいならした僕を、鍛冶屋の長女たるリンねぇさんが出迎えてくれた。
「ん……」
手招きしてくるリンねぇさんに連れられて中に入る。
「ん……」
通されたのは鍛冶屋受付。商店で言うところのレジカウンターだった。
今日はレジ対応らしい。
「ん……」
手本を見せてやる……そう言った気がしたリンねぇさんが受付に顔を出すと、ちょうどお客さんがやって来た。
「あらリンちゃん。今日は包丁を研いでほしいのだけどお願いできるかしら?」
「ん……」
リンねぇさんは包丁を受け取る。
「研いでもらうだけならおいくらだったかしら?」
「ん……」
リンねぇさんは受付台に書かれた価格表を示し、お金を受け取る。
「どの位で終わるかしら?」
「ん……」
リンねぇさんは受付台脇の数ある砂時計の中から一つをお客さんの前に置いた。
その傍らで受付台下の小型滑車に包丁を乗せると、シャーって鍜治場にスライドさせた。包丁とかの小物に限った話だが、何度も出入りする手間を省き、少しでも鍜治仕事に注力するのがこの店のやり方だ。
「ならそこら辺で井戸端るとするわ。また来るわね」
「ん……」
リンねぇさんはちょうど近くで井戸端っている奥方方の集団へと混ざりに行くお客さんにぺこりと頭を下げたとさ。
「ん……」
脇から見ていたところを呼び寄せられ隣に立たせられる。グットラックと言わんばかりに親指を立てているが、果たして上手くやれるだろうか。
と、懸念している間にも、次のお客さんが来てしまった。
大工のおっちゃんだった。
「やぁリンちゃんにタケタローくん。ちょっと新しいノコギリを見繕ってくれんか。木ぃ切ってたら根本から折れちまったんだ。ドハハハハ」
理由も笑い声も癖が強かった。
だが、怖気づいてはいられない。たとえ初心者であっても、仕事を任せてもらっているのだから手は抜けないのだ。
立っている以上後には引けないやったるでぇ、と覚悟を決めると、
「ん……」とリンねぇさんが肩に手を置いてきた。
「リカバリーするから」と言っている気がした。
途端、胸の支えはすんなり取れて、簡潔に書かれたテキスト通りに対応出来たのだった。
大工さんが満足気に帰ったところで、リンねぇさんはまた肩に手を置いてきて、ちょいと得意気に親指を立てたのだった。
ここまで彼女は「ん……」しか話していない。
しかし村人たちは知っている。言葉数だけを見ると、一見不愛想に見えなくもないが、リンねぇさんは恐ろしく無口なだけでコミュニケーションを億劫がっているわけではない。寧ろ結構人と絡んでいる方だ。特にも――、
「おうタケ。今度は鍜治場に来てたんか」
彼女のテンションが高ぶる人物の顔を思い浮かべていたら、その張本人が現れた。
グラさんだった。
「……‼」
不意の登場にリンねぇさんは常時眠たげな目をくわっ! と見開いた。
が、直ぐに平常を取り繕うと、お客様対応を始めた。
「こっちでは受付見習いか。転々とするのも大変だな」
そうだねぇ。
まだ仕事が決まってないから色々教わりに行くのは当然だけど、移動も楽じゃないねぇ。
「ん……」
「おう。用事が未だだったな。砥石売ってくれ。ストック切らしちまった」
「ん……」
リンねぇさんが指差した先の砥石を受付台に置き、渡されたテキスト通りにお会計する。
「にしても、リンが表に出てるたぁ珍しいな。何かあったのか?」
グラさんの言う通り、リンねぇさんは性格上圧倒的裏方。受付業は滅多にしない質だ。
「ん……」とリンねぇさんが広げてみせた右手の平は、豆が潰れていた。
「あぁ……これじゃあ休まされるのも無理ねぇわ。しっかり軟膏塗っとけよ」
「…………ん……」
グラさんのそれとない気遣いに、リンねぇさんは仄かに頬を赤く染めたのだった。
ここまで見ていれば何となくとも分かるだろう。リンねぇさんはグラさん相手だと積極的にコミュニケーションを取り始める、つまるところ〝惚の字〟なのだ。これは村人皆が周知の事実だ。
しかも口数が少ないリンねぇさんを翻訳できるのが恐らく家族以外ではグラさんだけときた。故に村内でも生優しく見守る風潮が存在しており、「あの子たちお似合いよねぇ」「グランも早く気付けばいいのにねぇ」と遠くで井戸端している先程のお客さんも、共に井戸端る奥方様方として、二人に聞こえない位置で微笑んでいる。それほどまでに二人のやり取りはとても愉しいのだった。
ところで……いつになったら受付に立てるのだろう?
結局最初のお客さんが戻ってくるまで、僕が受付業をすることはなかったのだった。
◇ ◇ ◇
「いらっしゃいタケタローくん。準備が済み次第、作業場に来てくれ」
はーい。と言葉を返して裏手に回り、しゃばしゃば手を洗う。
昼ご飯を挟んで午後。手始めに向かったのは村の西方面。『第二十一話:わにょるよ』でミノタウロスを切り分けてくれた肉屋さんだった。
作業場に入ると、肉屋のお孫さんが包丁を取り出しがてら言った。
「今日は肉を切る練習をしてみようか」
わぁい。
肉となればやはり解体作業が欠かせない。
しかし……と見やった作業台にはこんもりと肉の山が出来上がっている。練習の為とはいえど、こんなに切っても良いのだろうか?
「それは気にしないでいい。全部切れ端で売り物にならないやつだから」
ならいいか。
早速包丁を手に取り、肉を引いてみるも、ぐにぐにと肉が動いて、とても切りづらい。しばらく悪戦苦闘を繰り返す。
「引いて駄目なら……?」
押してみようと試してみると……成る程。引いた時よりはかなり筋を断ちやすかった。といっても、包丁は引くものと常識がお邪魔虫をしてくるものだからどうにも慣れない。
「おや、タケタロー。今日は肉を切っているのかい、ふがふが……」
試行錯誤していると、肉屋のオババが作業場にやって来た。
うん。包丁を引く癖が染みついてるから、中々に難しいの。
「ほんじゃあ、わしが手本を見せてやろう……」
それはありがたい。手本は色んな人から見せてもらうに越したことはない。
……いや、待てよ? そういえば、オババの腕前って確か――、
「あ、婆ちゃん、ちょっと待っ――」
と、この後の展開にお孫さんが勘付くも時既に遅く、
ドゥバラ――と作業台上の肉は一瞬にして切り刻まれてしまいましたとさ。
「おや、やり過ぎてしもうた。年を取ると加減も難しいのう。ふがふが」
オババは特に悪びれることなく包丁を洗うと、作業場を立ち去っていった。
僕とお孫さんの間に沈黙が流れる。
「…………包丁研いでみる?」
そうだねぇ……。
ミノタウロス解体オババの名は伊達じゃなかった。
◇ ◇ ◇
「おぉ、タケタロウ。よく来たな。どれ、今日の内容を報告してみい」
うぇーい。でぃいやぁぁああ。あべろべばー。
「これこれ。気持ちは分かるが疲労困憊ハイテンションの解放は後にしんさい」
はい。
肉屋での研修になり損ねた研修を終えた僕は、農家の研修を挟んだ後に、村長宅を訪れていた。
村長のゴゼルさんはユイねぇさんと同じ、僕の恩人。異世界にやって来てどうしたものかと焚き火を囲っていた僕を村に住めるように、村内で仕事経験を積ませてもらえるよう手配してくれたおじいさんだ。
そして現在、あちらこちらで職場体験学習をしてはおやつの時間に村長へ報告するのが通例となっていた。
「どうじゃ? そろそろ一ヶ月が経とうするが、この村にも馴染んできたか?」
ある程度報告し終えたら、後は雑談を交えながらのお茶飲みタイムと化す。この時間がバトル漫画の箸休めパートみたいで僕は何気に好きだった。
うん。村長のお陰で直ぐ顔と名前、憶えてもらえたし、仲良く出来てるよ。
「儂は入口を与えたに過ぎんわい。憶えてもらえるかは当人の人柄次第で、結局はお主の働きによるものじゃよ。仲良うなれて良かったのう」
村長のこういう謙虚なところも僕は大好きだ。
「で、どうじゃ? まだ一ヶ月しか経ておらんが、やりたいこと、見つかったか?」
それなんだけど、農家がちょっち気になってるんだよね。
「ほうほう。その心は?」
さっき一緒に昼市の品物運んだんだけど。農家のおばあちゃん、ちょっと耕すのが日に日に厳しくなってるみたいで。前に住んでいたところ(※現世の実家)じゃ小規模ながら農家だったし、早起きはこれから慣らしていくとして、何か協力できないかなって。
「ほう。それは良い心掛けじゃ。早速話を通してみるか?」
ただ……。
「ただ……?」
僕にしか出来ないことも、少なからず、あるんじゃないかなぁ……。
「……話してみんさい」
僕、食欲だとかの敵意に反応して透明になる魔法使えるじゃん。もしそれを極めることが出来たなら、それを活かした仕事もきっと見つかるんじゃないかなぁって、思わなくもないんだよね。
村長は「ふむぅ……」と顎に蓄えた綺麗な白髭を撫でて、意味深なことを訊いてきた。
「……タケタロウよ。仮にお主が格闘に優れていたとして、拳闘士になるか?」
各党にはとりわけ興味ないし、そもそもリアルファイトはしようと思わない。
答えは『NO』だ。
「自分の才能・能力を社会の為に活かすのも立派なことじゃ。しかし、だからといって、それを無理に活かそうとしなくてもいいんじゃないか?」
それもそうだ。
「大巨漢でも小物職人になったって良し。リンのように女子の身ながら鍛冶職人を目指すのだって良し。性別だとか体格差だとか、余程のことがない限り、人はどの職に就こうが基本自由なんじゃ。柵なんぞクソクラエじゃ」
性別で左右される職業があるとしても巫女さんくらいしか思い浮かばない。言われると確かに、柵なんて存在しているようで、いないようなものだった。
「まぁ、自身の持ち味を無視しろと言う気は毛頭ない。どうしても気になるんじゃったら、気が済むまで試行錯誤してみるのも一つの手じゃと、儂は思うぞ」
時間掛けてもいいの?
「別にええじゃろ。どうしても気にするんじゃったら、キヨちゃんから農業を学んでみながら、合間合間で模索してみればよかろう。やりたいことは若いうちに試すに越したことはないが、儂のようなジジイになってからでも遅うない」
村長はあるの? 今の年齢から始めてみたこと。
「お主が来る一~二年前から絵描きを嗜んでおるぞ。これが中々に楽しいんじゃ。ボドゲ仲間からはボロクソ言われてマジぱぉんじゃがな、ひぃん……」
まぁまぁ。お菓子でも食べて涙止めなよ。
「儂ん家の菓子じゃよぉ……あ、美味いのこれ。リピ買いするかのう。えーと名前は……ボンボスコン製菓? だっせぇ」
と、妙ちくりんな会社名に困惑する村長を見ながら、僕は一人納得するのだった。
そうか。挑戦したいことは、年を重ねてから挑戦しても良いのか。
それはそれとして、村長はどんな絵を描いているのだろうか。油絵だろうか? 水彩画だろうか? それともキュビスム?
「お? 見る? 儂のアトリエ、来てみる?」
村長はノリノリである。恐らくきっと、百点満点の答案用紙を見せたがる類だ。
僕は村長にノッかってみることにして、アトリエに案内してもらった。
アトリエは村長宅の最奥。トイレの隣に作られていた。
「夢中になると、つい行き忘れて慌てふためくから、こっちに移したんじゃ」
わかるー。
何かしらに打ち込んでいると、キリの良いところを延々と求め続けて、気付いたら膀胱が爆発寸前ダイナマイトになっているのはよくある話だ。
アトリエの中は散乱としていた。床の上には何冊ものスケッチブックが積まれており、パレットの傍には置き去りの画材が見事なまでにとっ散らかっている。
「モチベーション優先じゃから、つい片付けは後回しにしてしまうんじゃよ」
わかりみー。
僕もじいちゃんも、時代劇が急展開を迎えていると、キリの良いところまで見届けようと、ついご飯の手を止めては、ばあちゃんから圧を受けたりしたものだ。
「お互い、直していこうな……」
村長から肩に手を置かれた。常習犯同盟が組まれてしまった。
それはさておき、村長の絵を見せていただこうじゃないか。
僕は設置されたままのパレットを覗き込んだ。
それには、何とも言えないアンニュイな絵が描かれていましたとさ。
僕は必死に頭をこねくり回して返しの言葉を口元へと手繰り寄せた。
その絞り出したなけなしの言葉がこちらになります。
…………。
ア ニョ ペ リ ノ。
「反応に困るならそうと言っとくれよ。逆に傷付くわい」
だって……1~2年描いててこれは……ねぇ……。
「割とむずいんじゃぞ。これでも村長業の合間を縫って練習しとるんじゃ」
それにしても……その……うぅん……。
「ならお主も書いてみぃよ。難しいと分かっとらんからそう言えるんじゃ」
仕方ねぇなぁ。
「何その上から目線?」という言葉は無視し、僕は貸し出された画材で軽く描いてみせて、ほい、と絵を見せた。
次の瞬間――、きしめんの如き涙を流す村長にアトリエごとぶっ飛ばされたとさ。
「ちくしょうがぁぁぁぁぁああああ!!!!」
ぎゃぼぉぉぉおお。
後日より――、村長はより一層絵描きに励むようになったという。
◇
「…………………………おうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおう」
「ぎゃあ」
村長宅をあとにして、のんびり広場を目指していると、バグって地面に埋まるコウくんと、凄まじい微振動に尻もちを着くリコちゃんを見つけた。
二人はこの村の四歳児。いつも一緒に遊んでいる愉快一杯の仲良しコンビだ。
「あー。たっくんさんだー」
リコちゃんが僕に気づき、てこてこてー、と寄ってくる。
昨日ぶりだね。一体何がどうして埋まっているんだい?
「コウくんのお鼻の草、取ったのー」
そっかぁ。
どうにもコウくんのお鼻に、どこからともなく飛んできた草が乗っかったので、それをリコちゃんが取ってあげたら、コウくんが気恥ずかしさで外部情報許容量超過を起こして地面に埋まってしまったらしい。
が、埋まりが気恥ずかしさによるものだとは、コウくんの為にも伝えないでおく。
何故ならそれはリコちゃんに対するコウくんの惚の字による感情だからだ。その想いを外部の人間に勝手に暴露されたら当人は堪ったものじゃないだろう。
だから彼の感情は、当人とリコちゃん以外の村人のみの秘密だ。
「何の話してるのー?」
エっちゃんの姿がまだ見えないやって話だよ。
「待ち合わせしてるのー?」
待ち合わせしてるのー。
「そっかー。……コウくん、エイリおねえちゃんの場所、わかるー?」
リコちゃんに訊かれたコウくんは地面に埋まったまま、脳内に言葉を送信してくれた。
(山を下り始めた、ところだよ)
「だってー」
ということは、まだまだ帰ってこなさそうだ。
コウくん、どうもありがとう。
ところで、リコちゃんが持っているのはなんじゃらほい?
「今日のお昼ごはんの献立なのー」
リコちゃんが言って、掲げてみせた手編みの買い物袋には、野菜から丁寧に梱包された卵と、色々な食材が入っていた。
「わたしがオムオム、おかあさんと一緒に作るのー」
そっかぁ。
包丁、使えるんだねー。
「おかあさんが、後ろから教えてくれるのー。だから今日、やってみるのー」
そうかそうかぁ。
物事に興味を持って挑戦してみるのは、将来の糧に良いものだ。
「つまりー?」
料理してみるのは良いことだ。
ところで、そろそろお昼ご飯の時間だよ。親御さん、心配するんじゃない?
「ホントだー。それじゃあ、お家帰るー。おかあさんのお手伝いするー」
お手伝い、何するのー?
「洗濯もの、お家に入れてー。ごはん作って、テーブルに運ぶー。おかあさんが動けない分、わたしが運ぶー」
おかあさん、怪我してるの?
「違うよー。にんしん、してるのー」
にんしん?
にんしん……って、お腹にベイビーがいる、あの〝妊娠〟?
「わたし、リンおねえちゃんと同じ、おねえちゃんになるのー」
実話の妊娠だった。
それは目出度いねぇ。いつ、おねえちゃんになるの?
「近いのー」
そうなのかー。
おかあさんと一緒に、元気に会えたらいいね。
「会うー」
……さて。それじゃあ、お家に帰ろうか。お母さんも待ってるよ。
「そうするー。たっくんさん、コウくん、ばいばーい」
ばいならー。
「おー……!」
リコちゃんの背中が曲がり道に消えるまで、僕はいつの間にか復活していたコウくんと手を振り続けた。
おや……?
コウくんが手を振るのを止めたあたりで、そろそろ帰路に着く頃合いだろうエっちゃんと合流しようと踵を返したところで、足元に何かを見つけた。
異世界のトマトことトムトだった。先ほど尻もちを着いたときに、袋から転がり落ちてしまったらしい。
このままだとリコちゃんは献立の材料が足りずに困ってしまう。急いで届けなければ。
だがしかし、ちょい問題がある。リコちゃんの家が分からない。彼女が曲がった先の道でひたすら聞き込みでもしようか。
「おー……」
と、僕の気持ちが逸ったところで、コウくんが声を上げた。どうやらリコちゃんの家まで案内してくれるらしい。やる気十分のようだし、送っていってもらおう。
「おー……!」
コウくんは進行先を指差しながら、煙が立ち昇る速さで僕を先導してくれた。
◇ ◇ ◇
着いた。
リコちゃんの家は広場から西に行ったところにあった。
「おー……」
僕が呼び鈴代わりにドアを叩くや否や、コウくんは「野菜どうだばさー」と入ってくる田舎の知り合いの如く、問答無用でドアを開けて入っていってしまった。
玄関で渡してお暇しようと思っていたがこうなっては仕方がない。お邪魔しますと声を上げて中に入ると、コウくんはリビングで、「コウくんだー」と来訪を喜ぶリコちゃんとハイタッチしていた。
そして椅子には——お腹の膨れた女性が座っていた。
リコちゃんのお母さんだと僕は察した。
「あら、貴方は……?」
初めまして、こんにちは。トムトを届けにきた木下竹太郎です。この村に越してきて早一ヶ月となります。
リコちゃんのお母さんは「まぁ、貴方が」と両手を合わせた。
「リコから新しいお友達が出来たと聞いていたわ。わざわざ来てくれてありがとう」
とてもおっとりした、全てを愛で包んでくれそうな声だった。
「おー……」
コウくんはリコちゃんのお母さんに歩み寄ると、ぽん、とお腹に手を乗せた。
リコちゃんも「えんぎチャ~ジ」と後に続く。無事に生まれてこられるように、願掛けしているようだ。
それにしても、赤ちゃんのいるお腹って、どうしてあぁも触ってみたくなるのだろうか。
ねぇ……?
と、世界に問いかけていたら、リコちゃんのお母さんがこう言ってきた。
「……触ってみる?」
どうやら、好奇心が顔に出てしまっていたらしい。
折角なので、お言葉に甘えることにして、おチビちゃん二人に混ざり、ぽむん、と手を乗せてみる。
………………温かかった。
……ぁあいっ。
お腹越しに手を蹴られて反射で引っ込める。おチビちゃんたちも「わぁい」と二人共々手を離す。
「あらあら、三人に早く会ってみたいと言っているわ」
そういうことらしい。
思えば妊婦さんに出会うのは何気に初めてだった。地元の若者は仕事を求めるなら上京せざるを得ないので、ジジババしか残らないものだから、赤ちゃんはおろか若夫婦を見たことがなかった。
それらを踏まえると、妊婦さんと話せるのは、またとない貴重な体験だった。
「おー……」
お……?
感慨に耽っていると、コウくんが服の裾を引っ張ってきた。
「おー……」
エっちゃんが広場に着いたらしい。そろそろお暇するとしよう。
「またねー」
「おー……!」
コウくんと一緒に、リコちゃんにバイバイしてドアを閉めたとき、僕はふと思った。
……あぁ、そうか。
僕はリコちゃんのお母さんと対面した際、どうして赤ちゃんがいるお腹を触ってみたくなったのか、何となくながら分かった気がした。
手を乗せてみたくなるのは、世界への来訪を祝福してやりたいからかも知れない。
お腹の子はリコちゃん同様、幸福に暮らしていけるだろう。そう確信を抱きながらコウくんと帰路に着くと、広場にエっちゃんの姿を見つけた。
「おー、たっくん、お疲れー。……そのトムト、どしたのー?」
え?
エっちゃんが指差す先を見やると、僕の右手にはトムトが握られていた。
あーあ……。
第31話:やれやれだよ
トムトはコウくんが猛ダッシュで届けてくれたとさ。




