強制終了
ネイビーのスーツを着た背中の向こうは結婚式場。
扉を出てすぐ足を止めたオレは引き出物が入った大きな紙袋を持ち直す。そして右側にある一時駐車スペースに白のスポーツカーが止っていることに気付き、思わず視線を向けて一時停止してしまう。道路との境目にあるガードレールに車の持ち主であろうイケメンがグレーのスーツを着て腰をかけていた。
別にそれだけであればおかしなことではない。誰かを待っているのか、時間まで暇を潰しているのか。目を惹いたのはイケメンだから、ではなく。その手になぜか花束があったからだ。
どう見ても花嫁が投げたブーケには見えない。イケメンはさらりと片手で持っているが、女に渡すとすればどう見ても両手で抱えた方がいい大きさなのだ。車とお揃いの白や可愛らしいピンクの花をまとめたブーケは彼の本気しか感じ取れないほど見事なものだ。
いや待てよ。これから結婚式に参列するのかもしれない。余興か何かで使うのかもしれない。ちょうど自分が参列した式は先ほど終わり、フロントの周りにはこれから行われるだろう結婚式の参列者の姿があった。
うん、人目を避けているに違いない。きっとそうだろう、とオレはどうにか納得して友人たちが出てくるのを待つ。オレもまた道路との境目にあるガードレールに腰をかけて連れを待ち、わずかに視線をイケメンに滑らせた。やっぱり気になるものは気になる。
同じくガードレールに軽く腰を落ち着けたイケメンはこちらを気にすることなく、結婚式場に続く扉を見つめていた。風にそよぐさらさらとした髪に健康的な張りのある肌。余りある長い足まで視線を落とし、イケメンってだけでずるいのにその上長身スタイル抜群かよと悪態をつきたくなる。神様って不公平だ。
しかもあのスポーツカーの持ち主。あれがめずらしい車種であることは知っている。そう気軽に手に入れられるものではない。自分と同じくらいの年代または少し上だとしても、維持するためには相当な稼ぎがないと無理なのではとそこまで考えてから視線を外した。そんなこと考えてたって仕方ない。
早く友人たちが出てこないだろうか、と目の前の扉を見つめていれば自動ドアの向こうに人影が見えた。
「よかったねえ、ほんと」
「綺麗だった! 感動して泣いちゃったよ」
「すげえボロボロだったよな、お前」
「あんただって泣いてたじゃん!」
賑やかな声が辺りを包み、なんだか息がしやすくなる。オレは腰を上げてみんなに声をかけようとして、その前にみんなの視線が自分ではなく少し離れて隣にいるイケメンへと向くのが見えた。
そうだよな、だってオレも完全に視線奪われたし。そう思いながら歩み寄ろうとして、ぴたりと動きが止まる。静かに佇んでいたイケメンもガードレールから腰をあげたのだ。
「恵美さん!」
好奇心を前面に出していたり、わかりやすく見惚れていたりする友人たちのなかでただひとり、ひどく驚いた顔をしてイケメンを凝視したまま固まっている姿があった。それはほのかに想いを寄せている元同級生の須藤恵美で。いや待て。めぐみって、まさか。
あれだけ賑やかだった友人たちも困惑で立ち止まり、須藤に視線が集まる。その中心でぱっちり気味の瞳が大きく見開かれ、白い頬がだんだんと赤く色を変えていく。そしてシフォン素材のドレスの裾を靡かせながら慌ててイケメンへと駆け寄っていった。
「神谷さん、なんで! というかそれなんですか!?」
「迎えに行くと言ったじゃないですか。そしてこれは君へのプレゼント」
「それは知ってたけど……いやでもプレゼントってなんで? え?」
大混乱している須藤の肩にかかっていた小さなカバンと引き出物をさっと奪いとり、開いた両手に花束を持たせている。あまりに自然とそれらを交換するものだから須藤もされるがまま、花束を抱きしめていた。
花束を包む紙がかさりと音を立て、それに顔を埋めるよう須藤の顔がだんだん項垂れていく。表情は見えないけれど耳は信じられないくらい赤く染まっていた。
まじか、そんな。もしかしたら今日をキッカケになんて思っていたのに。久しぶりに会えたからみんなでお茶でもしようじゃないかという話が出ていたから、そこで連絡先を交換しようと息まいていたというのに、と肩を落として落胆していれば。ふいにイケメンがこちらに視線だけを向けた。
ちりっと走る緊張感と押しつぶされるような威圧感。冷気を宿らせた眼光がオレを射抜き、呼吸がままならなくなる。
(ああ、そういうことかよ)
理解して、目を瞑る。止めていた息を吐き出した時にはもうイケメンはこちらを見ておらず、友人たちのほうへと顔を向けていた。
さっきとは打って変わってやわらかな笑みを浮かべたイケメンは目の前に立つ須藤の腰に手を回し、わずかに首を傾げている。そのやさしい雰囲気とは対照的に鮮やかな花束と回された腕が自分のものだと主張しているようだった。
「恵美さんは僕が送っていきますので、お先に失礼しますね」
「あ、はい……あのっ」
「なんでしょうか?」
「えっと恵美の、彼氏さんですか?」
「ええ。今度は僕たちの式にいらしてください」
あがった悲鳴はなぜか須藤が一番大きく、オレは想いを告げることなく完全に失恋したのだった。
◇ ◇ ◇
「……どういうことですか、これ」
助手席に座り花束を抱えながら彼女がこちらを睨みつけている。ぜんぜん怖くないよ、とは声に出さず僕はゆるく笑みを浮かべた。
「すみません。今度改めてプロポーズさせてください」
「いやそうじゃなくて!」
花束のこと、プロポーズのことか。いやこの二つが結びついているから怒っているのだろう。ううん、この場合は照れているに違いない。多くの友人の前であれは恥ずかしかったということか。それなら効果があってなにより。
僕はハンドルを握ったまま、口を開いた。
「だって同級生同士の結婚式だったでしょ」
「だからなんですか」
「必然的に参列者は知り合いが多い。その当時、君を好きだったやつが何人いてもおかしくない」
そう、最大の目的はこれだ。参列者は親族や会社関係者を除けばほとんど知り合いだったのではないだろうか。それなら昔好きだった人と再会なんてよく聞く話ではないか。
僕はそれが嫌で迎えにきたのだ。別にこれだけが目的ではなく、ただただ純粋に彼女の迎えにきたのも嘘ではない。だけど、そんな“もしも”を摘み取ることができたなら一石二鳥。別に彼女を信頼していないわけではない。相手が調子に乗らないよう牽制しておいた方がいいと判断してのことだった。
「んもう! いないですよぅ、そんなひと」
「……いたじゃないですか」
「え?」
「いえ、恵美さんは知らなくていいです」
「なんですかそれ」
そうだね。君の知らないところにいたのだから、分からないのも無理はない。だけどそのまま知らなくていいことだ。想いさえ知られずに散っていくのが一番いい。
心に蔓延った負の感情を閉じ込めるように僕は一度瞼を伏せてから、また前を見上げる。大丈夫、君がそのままでいてくれるなら。
「君は僕だけを見ていればいいってこと」
それが僕のハッピーエンドだ。