遠足当日です
翌朝。ミコトは目覚めた。黒猫と一緒に寝たせいか、土偶が夢に出てくることはなかった。ミコトはベッドから降りると、東向きの窓のカーテンを開け、天気を確認する。うん、ちゃんと晴れてる。ソナタの予報はばっちりだわ。時計を見ると、午前六時四十分。ミコトは体操服に着替えて、部屋をでた。朝の用事を全部済ませると、ミコトは台所に入った。父親が台所で割烹着を着て、お味噌汁を作っていた。意外と似合うー。でももっとそれが似合う人がそこにはいない。
「やあ、ミコト、おはよう」
「おはよう、パパ。ママの具合はどう?」
「まだ熱があるみたい。ミコトのおやつ、少しもらったよ。ママに食べさせたから。ああ、それと、平熱を測ろうか」
父親はミコトに体温計を渡した。ミコトはそれ受け取り、脇に挟んだ。
「それはいいけど、お弁当できてる?」
「できてるよ。お結び作って入れといたから」
「具は何?」
「それは開けてからのお楽しみ!はいこれ。八つもあれば足りるでしょ?余ったら誰かにあげていいから」
「何かニヤニヤしてない?」
「そんなことないよ。それより、さっきから猫達が足に絡まってるんだ。こいつらに朝ご飯をあげてくれないか?」
ミコトは、キャットフードを餌皿に入れ床に置いた。
「さあ、召し上がれ」
「よかった、やっと離れた。それじゃあ、ミコトの分のご飯ですよ」
大盛りのご飯を、父親は娘に渡した。
「おかずはさっき作ったテーブルのこっち側にある奴。渡すから受け取ってね」
ミコトは右手で小皿を次々と受け取った。スクランブルエッグ、キュウリとわかめの酢の物、きんぴらごぼう人参、メザシ、葱入り納豆、冷や奴。おかずを受け取っている最中に体温計のブザー音が鳴った。
「どれ、見せてごらん」
ミコトは体温計を父親に渡した。代わりにミコトはお味噌汁を受け取った。
「どれどれ、三十七度。やっぱり熱があるんじゃないかい?」
「そんなことないよ、いつも通りだよ。食べていい?」
「はいどうぞ。平熱が高いのかな?」
「いただきます。平熱が高いと何か問題があるの?」
「どうだろうね?病院に行った方がよくないかい?」
「ふぇんふぇんふぉんふぁいふぁいほ。いはあふってふぁいふぉうふ」
「うーむ、いつも通りの食いっぷりだな。元気そのものだ」
「ふぁふぁらあ、ふぁんふぉふぉんふぁいもないって。パパ、この卵焼き、おいしいね」
「スクランブルエッグ、っていうんだ。バターで味付けしてるからな。ママはこれ出したことないだろう?」
「ふぉふぁんふぉおふぁふふぃふぃっふぁふぃふぁねー」
「そうだろう?ご飯によく合うだろう?」
「ん?今日のお味噌汁、具がジャガイモと玉ねぎだ」
「たまにはいいだろ。いつもわかめと豆腐と油揚げのローテーションじゃない奴でも」
「うん。でもジャガイモはあんまり合わないなあ。これじゃあ、カレーにした方がいいよ」
「今晩はカレーにするか、それじゃあ」
「ふぁんふぇいふぁんふぇい、ふぉふぃふふぁっふふぃいふぇふぇふぇ」
「うーん、お肉はママが反対するしなあ。ご飯の代わり、するよな?」
「うん」
父親は、一杯目にも増して、大盛りにしてミコトに茶碗を渡した。
「ありがとう。それじゃ、いつものシーフードカレーにしてよ」
「わかったよ。だけど味付けはいつもどおりじゃないからな?」
「うん、ふぁふぁふぇふぃふふぁふぃふぉふぉうが、いっぱい食べられそう」
「それじゃ、パパも食べるとするかな」
「ごめんね、先に食べちゃって」
「いいさ、いつも通りに家を出るんだろ?なら、急いで食べないとな。それにしても、どうだい?パパの料理もおいしいだろう?」
「うん、びっくりしたよ、ほんふぁふぃおいふぃふぁんふぇふぃふぁふぁふぁふぁふぁ」
「うん、もうなにをいってるか、全然わからないな」
「ごめんごめん、ついいつもの癖で」
「学校でそんなこと、やってないよね?」
「学校では慌てて食べる必要、全然ないもの」
「ホントに?」
「ホントのホント」
「そお?もうお代わりはいい?」
「じゃ、もう一杯。お味噌汁もちょうだい」
父親はご飯を軽く装い、お味噌汁をたっぷり掬って、娘に渡した。
「ところで、水筒には何を入れていくんだ?」
「ああ、アレにはチョコレートと氷を入れていこうと思ってるの」
「チョコに氷!そのままだと溶けると思ってるんだ。なるほど。しかしそれじゃあ喉が渇くんじゃないかな?」
「公園にも水道はあるし、大丈夫だよ」
そう言って、ミコトは残りの料理を統べて片付けた。
「ご馳走さま。パパ、お茶飲む?」
「貰うよ」
その返事を待つまでもなく、ミコトは食べ終わった食器を流しの下に持っていき、皿を洗っている間に湯を沸かした。
「パパ、悪いけど、自分の分は自分でやって」
「ああ、ゆっくり食べたいからね。お湯が沸く間に出かける準備をしたらどうだい?パパがお茶を入れておくから」
ミコトは礼を言って、その場を離れた。自分の部屋からリュックを台所に持ち込んだミコトは、冷凍庫に入れていたチョコとキャラメルを取り出し、キャラメルをそのままリュックの中に、チョコの方は水筒に入れ、冷凍庫の氷をガラガラと入れていった。これで半日は持つかな?水筒もリュックの中に入れる。これで準備はできた。
「お?終わったかい、そしたら、お茶でも飲んで」
ミコトは礼を言ってカップを受け取る。お茶の香りがミコトの胸いっぱいに広がった。茶の香気を楽しんだ後、父娘は同時にお茶を啜った。
「まだ家を出なくて大丈夫かい?」
「だいぶ余裕があるよ」
「でもいつも通りだといつもギリギリなんだろう?たまには早めに出たらどうだい?」
「そうだね。これ飲んだら出かけるよ。ところで、ママはご飯食べないのかな?」
「起きたらパパがお粥をつくるさ」
「さっきから、ニヤニヤしていない?」
「そおか?いつも通りじゃないかな?」
そういう父親の顔はいつもより心なしか笑って見える。何だろうこの笑顔?あんまり見たことない顔だなあ。
「ぼーっとしてないで。ミコト、また考えごとしてただろう?だめだぞ、先生も言ってたじゃないか。空想癖が過ぎるとだめだって」
「パパ、なんか悪だくみ、考えてるでしょう?」
ぎくり!父親は軽く痙攣した。
「え?そんなこと考えたこともないよ」
「いま、ぎくりとしたでしょ?まあいいわ、もういってきます」
ミコトはいつもより早い午前七時二十分に家を出た。春の柔らかな日差しが下る山道に降り注がれていた。