休日の朝
自分の声で、ミコトは目覚めた。目を開けると、黒猫の前足で目の前が覆われていた。ミコトは上体を起こし、イタズラ猫を捕まえた。
「こら、おスミちゃん。朝っぱらから何してるの!にゃああ、じゃないでしょ?どうしてこんなことしてるの?」
といったところで、聞いてくれるわけもなく。黒猫は両脇を抱えられながらも、下半身を使って盛んにもがいていた。もがく猫を見て、ミコトは考えた。この子が顔を叩かなかったら、自分で起きられたかしら。誰かが起こしてくれなかったら、自分で起きることが出来るのかしら。そう思ったとき、ミコトはちょっとだけ猫に感謝した。時計を見ると、午前六時二十分。今度から休みの日にも目覚ましかけとかなきゃ。現実世界からの刺激が起きるきっかけなるってことでしょ?そうミコトは土偶に問いかける。
“そのようじゃな”
土偶はきちんと答えてくれた。夢の世界でのやり取りは本当にあったんだ。ミコトはさっきまで見た夢が自分の思い込みでないことに安堵した。一安心したら、ミコトの腹の虫が自己主張を始めた。
「お腹空いたねー、おスミちゃん。朝ご飯食べに行こうか」
一人と一匹はベッドから出ると台所へ向かった。
台所では、母親が朝食を作っていた。いつも通り、朝から正装をしている。
「ママ、おはよう。今日も朝から元気だね」
「あら、ミコト、おはよう。お休みなのに一人で起きれたわね、感心感心」
実は猫に起こされましたとは言えないミコトであった。内心の気恥かしさを隠すため、ミコトは話題を自分から相手の方に向けた。
「ママはいつも朝早いね。何時頃起きてるの?」
「ママは日の出とともに起きますよ。昔っから人は日の出とともに起きて働いていたの。さあ、起きたばっかりでしょ、おスミちゃんを置いて、顔を洗って、歯を磨いてきて。そんなパジャマ姿じゃ寒いでしょ?何でもいいから着替えてきなさい」
「ふぁーい」
間の抜けた返事をして、ミコトは洗面所へ行った。洗面所には先客がいて、その客は歯を磨いていた。
「おはよう、パパ」
「ほお、ほふぁようみほほ」
パパと呼ばれた先客は、コップの水を口に含みすすいだ。口が聞ける状態になった父親にミコトは尋ねる。
「土曜日なのに普段通りなんだね」
「神事に土日なし、だからね。ミコトの方こそ普段通りじゃないか」
ミコトは顔を洗い、歯を磨きだした。
「でゅあっへ、いふもほおひひおほおっへ」
「あー、歯磨きながら喋らなくてもいいから。じゃあ、先に台所に行ってるよ」
朝の用事を済ませ、とりあえずジャージに着替えると、ミコトも台所へ戻った。
朝食の途中、ミコトは歯を磨きながら考えたことを両親に告げた。
「あら、ミコトも袴を部屋でも着ればいいんじゃないの?」
「えっ、いいの?」
「ミコトも、巫女になるのなら、袴を着慣れておくのはいいんじゃないか?」
「一つしかないから、綺麗にしておきたいんだけど?」
「それじゃあ、あと二着、新調しようか?」
「新調って?」
「新しく作ることだよ。それならどんどん汚しても平気だろ?」
「それならママのを新しくしてあげたら?もう大分色褪せているし」
「あら、ありがと。でもママはいいの、たくさんあるし、第一着慣れている方がいいわ」
ミコトは母親の目を盗んで父親に小声で尋ねた。
「ママはおしゃれに興味がないのかな?」
「服装やヘアスタイルには関心ないみたいだね。そういうのに無頓着だから。ほら、髪の毛なんかぼさぼさだろ?きれいな赤髪なのに、勿体ないよね」
「どうして無頓着なのかしら?」
「やっぱり家庭環境のせいじゃないかな?」
「はい、二人でひそひそ話をしない!」
「「はーい」」
「なんですか?二人揃って同じ返事して」
「「だってー」」
「あなた!ミコトの口調をマネしないの!ミコトも、食べ終わったのなら片付けますよ」
「うん、ご馳走さま。おいしかったー」
「それじゃ、食べ終わった食器を流しに持ってきて」
「はーい」
いつもなら夕飯時にしかやらない作業を行うのは休みの日ならではである。食器を運んだミコトは、流しで洗い物をする母親の横で、洗い終わった皿の水気を布巾で拭きとって食器棚にしまっていた。片付けが終わると、母子はテーブルに着き一服した。
「それで、今日の予定はどうなってるの?」
「そうだね、三十分ぐらい休憩してから、まずは神楽殿の清掃をしようか。その後はママのやりたいことを手伝って」
「ミコト、ちゃんと着替えるのよ」
「うん、わかってるよ。社に行くときは、でしょ?」
「それと、ご飯食べたばっかりだから、口も清めて」
「歯なら朝磨いたよ?」
「神サマのいる場所に行くんだから、清めておかないと、ね?」
「わかった、それじゃあ着替えてくる」
ミコトは部屋に戻ると、巫女装束に着替えた。着替えが終わると、歯磨きのため洗面台へと向かった。台所を通ると食事の終わった白猫がミコトの足元へ寄ってきた。
「ごめんねおユキさん、ちょっと待ってて」
そう言って洗面所へと移動した。白猫もミコトについていった。黒猫はついていかず、床下でゴロゴロと喉を鳴らしていた。
歯を磨き、顔を洗い終わると、ミコトは横に控えていた白猫に問いかける。
「どう?おユキさん。似合うでしょ?」
ミコトは飼い猫の前でくるりと回って見せた。白猫は一鳴き、返事をする。心なしか嬉しそうに見えるのは、ミコトのココロが為せる業か。
「やっぱりおユキさんは違いが分かる猫よねえ。おスミちゃんに見せても、何の反応もないんだもん」
その発言に答えるようにまた一鳴きした白猫であった。ミコトは鏡に映る自分を見た。制服って不思議。小学校の制服着たら小学生らしく、ジャージを着たら運動選手らしく見える。巫女の恰好をしたら、神サマに仕えるヒトみたいに見えるなあ。ミコトは再度の白猫の鳴き声に我に返り、洗面所を後にした。
台所に戻ると、大人二人がまだ話をしている。ミコトは一声かけた。
「着替えて来たよ」
「まだもう少し時間があるけど、お茶でも飲む?」
「ううん、いらない。さっきたくさん飲んだもの。それより、もう始めない?」
「おお、やる気に満ちあふれているね。それじゃあ、行こうか、ミコト」
「私は、家の中掃除してますからね」