目が覚めたら夢の中
人は、眠っている間は、自分が眠っているとは気付かない。夢を見ている時はどうだろうか。夢の中でこれは夢に違いない、そう思える時はもう目覚め直前である。その時起きてしまえばその夢を覚えているし、目覚めなければ、また深い眠りに入って次の夢を見るだけだ。ミコトは今、目覚め直前の状態にあった。
「あれー、ここどこだろう?」
ミコトは、夜よりも暗い、そのくせ行き先だけは良く見える道に立っていた。
「こっちにいけばいいのかしら?」
向かう先は仄かに明るい。このまま立ってても何も進まない。ミコトは明るい方向へ歩き出す。少し歩くと何かが見えてくる。あれは、女の人と、並行して歩いている動物、牛だ!もしかして……
「ママ!」
そう呼び掛ける。女の人は振り返り、こちらを見た。
「やっぱりママだ。何しているのこんなところで?大体ここどこ?どこへいくの?」
ミコトは次々と問いかける。女の人は、何も答えず、にっこり笑って、ミコトを牛の背中に乗せた。
「うわー、高―い、結構揺れるねー」
女の人は何も答えず、牛の手綱をとって前へと進んだ。なんでママが、牛を連れているんだろう?牛の背で揺られながらミコトは考えた。そうか!晩御飯の後、牛の話がでたっけ。するとこの牛は……。
「わかった、この牛、パパでしょう?ねえ、そうでしょ?」
牛がミコトの声に答えるように鳴いた。
「ねえパパ、大丈夫?私、重くない?」
牛はミコトの声に答えるようにぶるぶると首を左右に振った。女の人がこちらを向いて肯いた。どうやら牛の心配はしなくていいということか。
「ねえママ、私達、どこへ向かっているの?」
牛の背に揺られながら、ミコトは疑問を女の人に投げかける。女の人は何も答えず、ただ牛の手綱を引き、前に進むだけであった。まあいいか、ママとパパがいっしょなら安心だし。それにしても、どうしてパパは牛の恰好で現れたんだろう?変なの。牛の背中で揺られながら、ミコトはそんなことをぼんやり考えていた。ゆっくりゆっくり前へ進んでゆく。だんだん行き先の明るさは大きく、明るくなっていく。前には何があるのかなあ。
突然、目の前に小さな影が動いた。影が動いたのと同じ時に、牛の足音とは異なる、もっと軽やかな蹄の音が聞こえた。
「何だろうね、ママ?」
女の人は、ミコトを牛の背から降ろした。そして初めて口を開いた。
「ミコト、ここからは一人で進みなさい」
「えー、どうして一緒に行かないの?」
「ここからは一人で行きなさい。案内はあれがするから」
と女の人が指差した先には、先ほどの影の実体がいた。それは小鹿だった。辺りをぴょんぴょん跳び回っている。
「もしかして、あれケイジ君?なんでケイジ君が鹿なの?なんで彼が案内人なの?だいたいどこへ案内するの?」
女の人は、何にも答えず、手を振っていた。牛の方は、前足を上げる、ようなことはせず、首を左右に振るだけであった。
「あ、ちょっと待って!」
と言っている間に、一人と一匹はミコトの目の前から消えていった。後には別の一人と一匹が残された。
「ああ、消えちゃった……どうしよう?」
ミコトはため息をついた。小鹿は能天気に辺りを駆け回っている。ミコトは元気のいい小動物に近づこうとした。ところがミコトが近づくと、この小動物は小動物らしく自分より大きな生き物の接近を許さない。ミコトが動くと小鹿は距離を取り、ミコトが止まるとミコトの周りを跳ねまわる。
「もう、なんなのあんたは!」
と怒ってみても、小鹿は遠慮なく駆け回っている。
「別に取って食おうとしてるわけじゃないのになあ」
そんなつぶやきもアイツには届かない。
実際ミコトの家では四足のケモノの肉は提供されることがなかった。母親がそれを禁忌、つまりタブーにしていたからだ。ちなみに鶏肉や魚肉は食べても大丈夫なのだそうだ。鶏は二本足だし、魚に足はないから、が理由なのだそうだ。
「ただし」
と母親は付け加えた。
「誰かがミコトのために出してくれたならその時は別よ。残さず食べるのが、食事を出してくれたヒトにも食べられるお肉になったモノに対する感謝の念を表わすことになるの」
つまり、家の外では誰かが出してくれれば、牛肉や豚肉を食べていい、ということになる。学校の給食でもそれらは提供されており、ミコトは喜んで食べているのであった。ミコトの父親に言わせると無駄な努力、ということになるらしい。
「だって、ママの好きな食べ物は牛丼なんだ。普通サイズなら三人前はペロリと平らげるんだ。満腹するまで食べる、なんてところ見たことないよ。たくさん食べるのは、家系なのかねえ?」
もっとも母親は、誰かに供されることがなければ、それらを食べることはない。母親に言わせれば、ケモノの肉は極めて“えねるぎぃ”の高い食べ物、なのだそうだ。“えねるぎぃ”の必要なことをしなければ、体内で“気”が暴れ回って大変なコトになるらしい。母親は娘にそう語った。大変なコトとは、何だろうか?鼻血がでるのかしら?その時は、母親はミコトには大変なコトの中身を教えてくれなかった。
ミコトは小鹿との追いかけっこを止め、明るい方へと歩きだす。追いかけっこを止めた途端、小鹿はミコトを見て小首を傾げる。もう、追いかけっこやらないの?そう言いたげにミコトを見る。ミコトはそれに構わず前へ進む。小鹿は慌てたようにミコトの近くに寄って来た。
「あら、一緒に来てくれるの?それじゃあ行こうか」
小鹿はカツカツと蹄を鳴らした。その音にミコトは反応した。ここの地面は何かしら?舗装道路?ミコトは足に意識を集中したが、靴を履いているらしく、地面の状態は足の裏からはわからない。足元も良く見えない。ミコトが今この状態を夢であると断定した。だってこんなのって絶対変!ミコトは自分で自分のほっぺたをつねった。ほっぺたは自分でつねっても痛くないなあ。でもこれは夢だ……
「だったら君も喋ればいいのに」
ミコトは小鹿に向かって問いかける。小鹿はミコトを黙って見ている。