日野家の食卓③
ミコトはテーブルの上の空皿を運んだ。洗い物をする母親の隣で少し待っていると、洗い終わった皿が次々と置かれてきた。ミコトはそれを布巾で次々と水気をふきとっていった。五分もすると全て片付けは終わった。
「さて、ミコト、お茶でも飲む?」
娘は肯く。母親は緑茶葉をティーポットに入れ、熱湯を注いだ。お湯がおいしいお茶になる間を使って、母親はミコトを尋問し始めた。
「聞かせてもらいますよ、ヤナイ君のこと。ママはまだ会ってないのよ、ヤナイ君に。教えてよ、どんな子だった?」
「え?えっ?」
ミコトは、目の前にいる人物が急に母親から同い年くらいの少女に変わったような気がして動転した。
「顔はどんな感じ?背格好はどう?話し方からどんな印象持った?」
「そんな一度にたくさん聞かれても、困っちゃうなあ、えーとね」
ミコトは、今日会ったばかりの少年の様子を思いだすため、目を閉じた。
「目はぱっちりで、髪は短くもなく長くなく」
「それでそれで?」
「背は私より大きくて」
「ミコトより小さい男の子はいないんじゃない?」
「そんなことないよ、佐藤君は私とおんなじくらいだよ」
「佐藤君?ミコトのクラスメイト?そう言えば、ちっちゃい男の子がいたような……」
何かを思い出そうとするときに目を瞑るのは母親の癖であった。
「まあクラスの真ん中ぐらいかな、見た感じはそんなところ」
母親は佐藤君のことは思い出さず、先ほどポットに注いだお湯のことを思いだした。
「さあさあ、お茶でも飲んで」
ミコトが受け取ったマグカップからは、いつもより少し濃いめの緑茶が湯気を立てていた。
「動物に例えると、何?」
「えーっ、動物?何かなあ?」
ミコトは、今日出会ったばかりの少年の動きを思い出していた。母親の癖を受け継いで、目を閉じながら。歩く時の軽やかさ、話した時の人懐っこい笑顔、あれは断じて肉食獣ではない、草食動物だ。どんな草食動物?ゾウやカバ、サイのような巨獣ではないし、落ち着きのない猿系でもない。走力のある馬?にしては迫力がないな。ミコトはお祭りの飾り馬を目の前で見たことを思い出していた。遠目でみたときはかわいかったが、近くに寄ってみると荒々しい息遣いと耳に響く蹄の音に圧倒された。一瞬で目の前を通り過ぎてくれて安堵した。馬じゃない、じゃ牛か?あんなにスローモーではない、牛を目の前で見たことはないけれど……。
「ミコト?こういうのは考えちゃだめなの。直観とは一瞬よ」
ミコトはいつもよりちょっぴり苦いお茶を一口飲んだ。するとある動物が頭に浮かんだ。
「動物に例えると、そうね、小鹿かな?」
口に出して言った途端、小鹿が学校で挨拶したり、境内でボールを蹴っている姿が思い浮かんだ。
「そう、小鹿なの、それは可愛らしいわ、ママも早く会いたいな」
「ママは会う必要ないんじゃない?」
「あら、妬いてるの、ミコト?ははーん、さてはヤナイ君に一目惚れしたか?」
「どうしてそうなるの?もう!」
「あーっ、怒ってる、さては図星だな?」
「そんなんじゃないよ!」
「じゃあ、どんなの?」
両手で頬杖ついて、うれしそうにしている母親を見て、ミコトは尋ねた。
「ママ、どうしてそんなにうれしそうなの?」
「どうしてって、そりゃ、他のヒトの恋の話は面白いからよ。ミコトともこんな話ができるようになったか、ママはうれしいぞ」
「じゃあ、ママとパパの話も聞かせてよ、初めて会った時ってどんな感じだったの?」
「うーん、と、そうねえ」
指をあごにあて、目を閉じて問われた方は思い出そうとした。
「うん、初めて会ったときは思い出せないなあ。パパは、私と初めて会ったのは私が今のミコトよりちょっと大きい十四才のときだったって言ってるけど、そんなこと全く印象になかったし」
「じゃあ、どうして付き合うようになったの?」
「ママは昔、巫女のお仕事をしてたの。家の手伝いで。ママの実家が神社なの、覚えてるでしょ?神社に来るお祓いをお願いする人のうちの一人がパパだったわけ」
「ママはお祓いなんかできるの?」
「神事に関わることはなんでも出来ますよ、形だけ。形は大事よ。それがあるだけでヒトは安心できるの」
「ふーん」
「パパは私がお祓いを始めてすぐのころに来たらしいの、私は全然覚えてなかったけど。パパは私に会った後、神職につける大学に進学して見事、神主さんになれたわけ」
「ふんふん、それで?」
「神主になったあと、私のところへやってきて、足繁く交際を申し込んできたの、パパはぼおーっとしてるように見えて、結構情熱的なのよ」
「じゃあ、パパを動物に例えると何?」
母親は質問を受けると、今度は指を額に当てて目を閉じた。
「パパを動物に例えると……」
ミコトは返事を待つ間、ちょっぴりぬるくなったお茶を飲み干した。
「そうね、牛かな」
「牛?あの、もーって鳴く?パパはそんなに太ってないよ。というよりスマートな方だと思うんだけど?」
「餌を食べさせられて、あげくに食べられちゃう方じゃないの。なんと言うか、偉いお坊さんに仕えていて、お坊さんを乗せて歩いたり、重たい荷物を運んだりするの」
「それなら馬の方じゃないの?」
「馬は感情に任せて駆けていくの。牛は、お坊さんに仕えるような牛はただ黙って荷物を持って運んで行くの。自分の役目がわかっていて、自分のできることをわかっているの。ミコトもママも、パパの背中に乗って進んでいるのよ」
「うん、それはわかるよ」
日野家の財政は父親の手腕にかかっている。それはミコトも正確に把握していた。
「さあ、パパの話はこれくらいにして、ヤナイ君の話の続きを」
「えーっ、今日会ったばかりで、知ってることは話したよ」
「あらそう?それじゃあしょうがないわね、じゃあ歯を磨いて、明日の準備して、それからお風呂に入りなさい」
ミコトは、目の前の人物がいつも通りの母親に戻ったことに一安心した。そして軽く返事をして洗面所に向かった。
日野さんところの日常。変なモノの出番がない><