料理中です
ミコトはまだまだ時間が余っているため出発の準備を始めた。といっても、昨日だされたホームワークと筆記用具、それに土偶と埴輪二体を鞄に入れるだけであったが。
「それじゃ、見つけたらよろしくね」
”見つけるのはそなたの仕事ぞ、ヒノミコトよ”
”頼むでござるよ、ヒノミコト殿”
「二人とも調子いいんだから、もう!」
猫達がいない所では変なモノたちとの会話もし放題だ。以前、黒猫のいる前で話をしたら、黒猫が大暴れをしてしまった。一体どういう仕組みでこのモノたちと会話ができるのか、ミコトにはわからない。しかし猫達にはミコトが土偶と話していることがわかるようだ。だから、猫達がいる前では話をしないことにしている。
出発の準備を整えて、再び台所へ戻るミコト。そこには母親が椅子に座っていた。
「どうしたの?寝てて待っててもいいのに?それとも私一人に料理させられない?」
「うんん、そんなことないけど。一人じゃ不安かなって思って。ママ何か手伝うわよ」
母と子の会話のなかで、ミコトの料理は始まっている。水を吸ったお米を土鍋に入れて火をつけてっと。初めは強火って書いてあったっけ。
「いつもと逆になったね。ママも料理始めたころは不安だった?」
「そうね。そうだったかもね。もうずいぶん前のことで憶えていないけど」
「ママが初めて料理したのはいつぐらい?」
「初めて料理したのは、さあねえ?いつだったかしら?本格的に料理しだしたのは、パパと結婚した後からだけど。ミコトくらいの時に料理を始めていれば、もっとうまくなってたかな?」
「ママが結婚してたのって確かママが二十歳の時でしょ?それまで何してたの?」
「家のお仕事のお手伝いよ。前に言わなかったっけ?ママの家は代々神職をしているの。だからママも神事についてのことは一通りできるの。だけど俗事についてはサッパリよ」
「ゾクジって?」
「神事の反対。日常のありとあらゆること。俗っていう字はヒトの谷って書くのよ。ヒトの谷間に挟まれたすべてのことが俗事」
「ヒトが山にいたらどうなるの?」
「ヒトが山にいたら、仙人になるわね。ヒトと関わりをもたず幽玄の世界に生きるヒトのことね」
「ユーゲンの世界って?」
「幽は幽霊の幽。幽かに、ほんの少しってこと。玄はくろい、くらい、奥深いってこと。幽玄っていうのは言葉では表せられない、趣のあるっていう意味。ママがパパと結婚するまでは、ママはそれこそ仙人のような生活をしていたの」
「仙人のような生活って?」
「仙人って、何食べてるか知ってる?ミコト?仙人はね、霞を食べてるのよ」
「カスミって、あのもやもやってした、雲みたいな?そんなの食べて生きられるわけないよ」
「そうね、だから仙人は神様かなにかの類と思われていたの。でも実際には、山で五穀を断って生きてきた人のことなのよ」
「ゴコク?」
「そう、五穀。コメ、ムギ、マメ、アワ、ヒエの五つの作物よ」
「お米や、麦や豆はわかるけどアワとヒエって知らないなあ。見たことも食べたこともないよ」
「そうよねえ、今は水田ばっかりでお米しか作らないからねえ」
「どうしてお米ばっかり作っているの?」
「そりゃ、お米は特別だからね。他の作物と違って、水さえたっぷりあげてればたくさん実をつけてくれるんですって」
「へえ、ママ詳しいのね」
「ううん、これ中村のお爺ちゃんから聞いた話よ。私が知っているのは稲は人にとって神聖な作物っていうことだけ」
「どうしてお米は神聖なのかな?」
「お米っていうのはね、たくさんの人が力を合わせないといけないの。稲を植える田んぼを創るために川から水を引いてきて、水をよそへ漏らさないようにあぜをつくって」
「あぜ?」
「田んぼの中に人が通れるくらいの道があるでしょ?見たことない?」
「ああ、中村のお爺ちゃんがよく歩いている、あそこ」
「とにかく、お米を作るのには多くの人のまとまった力が必要なの。それをまとめるのが聖なるものってことなのよ。わかるかな?わからないか、ママの言っている意味が。ミコトにはまだ早いかな?」
「よくわからないけど、憶えておくよ。人をまとめるのが聖なる力って。でも、中村のお爺ちゃん、全部一人でやってるって言ってたよ、お米作り。今は聖なる力ってないんじゃない?」
「誰から聞いたの?」
「うん、ケイジ君が。昨日もサッカーの練習してたの、境内で。なんかの話の流れで中村のお爺ちゃんが一人で田植えをしているって言ってた」
「うーん、機械の力は人の聖なる力を駆逐したか…」
「駆逐って?」
「追い払うこと、かな?追い払ってしまったことかしら?害獣を駆逐する、悪貨は良貨を駆逐する。追っ払った方が近いわね。まあ、とにかく機械がはびこると人の力は引っ込むものよ」
「はびこるって?」
「はびこるは、うーん何か悪いモノやコトが広まって手がつけられなくなることかな?ミコトと話していると国語辞典持ってないといけないわね」
「ママ、言葉に厳しいね」
「ミコトに言葉を正しく使ってもらいたくって。言葉は大事よ、ミコト。コトバはコトのバ、世のあらゆるコトガラを表わす入れ物なの」
「コトガラ?」
「そう、事柄。事は起こったこと、柄は取っ手みたいな、何かつかむところ。世界で起きているコト、起こったコト、起きるであろうコト。一つ一つに名前が付いているんだけれど、それらをひっくるめたのをそう呼ぶことにしてるのよ」
「例えば?」
「うーん、そうねえ。オスミちゃん、おユキって呼んでいるモノ、一匹一匹に名前が付いているけど、同じようなモノを{ネコ}と呼ぼうってことかしらね。今のはモノに例えたけど」
「モノじゃないので例えたら?」
「えーと、食べる、寝る、起きる、遊ぶ、学ぶ、稼ぐ、使う、いろいろあるこれらの行為をひっくるめて{生きる}と呼ぶことにしてること。世界はモノとコトに溢れていて、一つ一つが名前を付けられているわけじゃないのよ。だから、名前の付いているコトや付いてないコト全てをひっくるめてコトガラって呼んでいるの。ところで、ミコト?」
「何、ママ?」
「話に夢中になっているみたいだけど、お鍋の面倒、見なくていいの?なんだかしゅーしゅーいってるけど?」
ミコトは振りかえって鍋の方を見る。確かに母親の言うとおり、土鍋のふたの穴から湯気が噴き出し、蓋の隙間から石鹸を煮たようにぶくぶくと泡があふれている。ミコトは慌てて蓋を取り鍋の中身をみる。良かった。焦げてはいないようだ。ミコトは火力を弱めると鍋の中身をお玉でゆっくりとかき混ぜた。後はこのまま三十分ぐらい焦がさないように時々ゆっくりかき混ぜる、と。ああ、料理って時間がかかるな。
「ママと喋っていると料理に集中できないから、別なところで待っててくれない?」
「あら、お邪魔だったかしら?それじゃあママは境内の見回りに行ってきますからね。ああ、それとお粥だけじゃあ味気ないから、お粥に合う、何かお腹に優しいオカズをつくってね。それじゃ、おユキ、いくわよ。おスミちゃんもついておいで」
まだ風邪の影響が残っているのか、動きに硬さがみられるが、その言動はいつもの母親そのものであった。