境界管理局
短編チャレンジ
魔法という神からもたらされた力を基盤とした世界
教会の地下、四方に配置された光る水晶によって床を覆う水面より一段高い床に描かれた二つの魔法陣が照らされ、片方の陣で祈りを捧げる聖女に対し、地下へ降りてきた国王が語りかける。
「聖女よ、準備に抜かりはないか?」
王という立場にありながらも身につけるに豪華さはなく、それがこの国が窮地にあることを示していた。
「抜かりはありません。最後の確認も今終わりました」
祈りのために閉じていたその瞼を開きながらそう口にした聖女も、自身のために用意された物とはいえ、薄く白い布で作られた物に袖を通していた。
「必ずや、魔王を滅するだけの力を持った勇者様を迎えてみせます」
そう力強く口にした聖女は、もう一つの陣の中心へとその瞳を向けていた。
「では、成功の知らせを待っているぞ」
聖女の邪魔をしないために王は地上へと続く階段を登り、王城へと向かう。
一人残された聖女は部屋に仕掛けられた魔法を使い扉を閉めると、水を引き込むために作られた滝でその身を清める。聖女はその身を震わせながらも、自らの行いが世界を救うことに繋がると信じ、自らを清める滝の水に魔力を流した。
そして、部屋の水に魔力が行き渡った時、中心に描かれた魔法陣の一つが光を放つ。
「それでは、勇者召喚の義を始めます」
この世界を創りし神への宣誓と共に光る魔法陣へと足を踏み入れ、自らの力を触媒としもう一つの陣へと神の力を呼び込む。
すると、もう一つの陣が創造神の力を受け取り、光を放ち始めた。
科学を基盤とした世界
一人の少年が高校からの帰り道、わざと遠回りをして歩いていた。
その少年には兄がおり、自身がその兄の出涸らしと呼ばれていることを知っている。そのため、家に帰る足取りは重く、唯一の親友と分かれた後は自然と人のいない方へと向かっていた。
周囲の認知が途切れた瞬間、その少年の足元に広がった魔法陣により、少年はその世界から姿を消した。
境界管理局
世界の狭間、境界と呼ばれる場所に作られた施設、それは宇宙の様に広がった境界とそこに点在するそれぞれの世界を監視し続けている。
世界に決まった動きはなく、その世界において特異点が与える影響が動きを決める。だが、それにも例外があった。
境界管理局に作られた管制室の一つ、そこが世界の例外軌道を感知した。
「D.E.Mより【M-13854】が例外軌道を始めたと報告が上がりました」
オペレーターは管理局に組み込まれた力ある存在からの報告を読み上げ、己の上司に報告する。
「例外軌道か。術式反応と対象世界の割り出しを急げ」
「わかりました。…………D.E.Mより回答、術式解析の結果、特異点となる可能性のある存在の検索とその拉致、対象世界は【S-46521】、間違いありません。【異世界召喚】です」
「妨害措置と執行官への連絡を急げ」
異世界召喚、その言葉を聞いた瞬間、緊急事態を示すアラートが鳴り響き、各々が決められた役割を果たす。
「【世界停滞術式】発動します。……成功です。停滞可能時間のカウントを開始します」
「【対抗術式】発動します。……失敗です。前例との違いを調査し、対抗措置を組み上げます」
時間を引き伸ばす世界停滞術式、異世界召喚そのものを妨害する対抗術式、この二つは異世界召喚の感知と同時に使われる術式であり、数々の前例を元に改良され続けている。けれど、後者は世界ごとに術式が違うため、成功率は高くなく、時間の流れが早い世界に対して使うのがほとんどであった。
「被害世界のアカシックレコードを検索、被害者の拉致直前へブックマークを施します」
「当直執行官……局員ID【V-01A】の呼び出しをします」
「当該世界の【全調査】開始します。情報がまとまり次第、担当執行官へ情報を転送します」
「【V-01A】か。あの方なら、問題はないだろう」
管制室の指揮官が呟いた言葉、それが管制室にいる全ての局員の考えを表していた。
オペレーターが加害世界の情報を担当執行官へと転送すると、すぐに転移室の仕様申請が送られてきた。
対抗術式が失敗している以上、残された手段は執行官による直接介入だけであり、それが最も使用回数の多い方法である。
「担当執行官の転送室への到着を確認。転送術式を起動します」
「対象世界、セット完了」
「転送タイミング、召喚直後にセットします。……時間遡行、許容範囲内です」
「D.E.M使用権限の一部を担当執行官へ返却します」
執行官による異世界召喚への介入の準備が全て整った。
「転送術式、発動します」
転送室でその時を待っていた一人の女性が光りに包まれその姿を消した。
魔法という神からもたらされた力を基盤とした世界
神の力によって魔法陣が光り、異世界への扉が開くと同時に、勇者として一人の少年が招かれた。
少年は突然の変化に状況が理解できず、魔法陣を照らす光に隠れて弱々しく光る魔法陣へ尻もちをついていた。
聖女はそんな少年に対し微笑みながら近付く。
「勇者様、驚きもあるでしょうが、どうか、私達の願いをお聞き入れください」
そう言って伸ばされた手を取るために、少年も手を伸ばす。そして、二人の手が触れようとした瞬間、一枚のウィンドウが空中に出現し、展開している幾何学模様の球体魔法陣で二人の手を弾く。
「なっ……」
「は?」
それぞれの反応をしながら、【D.E.M】と書かれたウィンドウを通して見つめ合う二人。お互いに何もわからぬため、展開している物が魔法陣だと理解できず、部屋の中で異なる力を元にした魔法が発動したことに気付けなかった。
球体魔法陣から青白い光が広がり、聖女を元いた魔法陣へと追いやり、その上で部屋の中に結界を構築した。
「これは……」
『当該人物同士ノ接触ヲ妨害。召喚術式ノ強制終了……完了。結界ノ構築……完了。執行官ヲ転送シマス』
ここで聞こえるはずのない電子的な声が響き、少年の前に人影の像が結ばれ、実体へと変化した。
転送されたスーツを着た女性は尻もちをついたままの少年へと向き直ると、優しく声を掛ける。
「境界管理局の執行官です。貴方の救出に参りました」
そう言って少年が読むことの出来る言語で、身分を証明するためのウィンドウを投影した。だが、それは少年にさらなる混乱をもたらした。
「きょ……境界、管理……局?」
「何者ですか。ここは神聖な儀式の間、許可なき者の立ち入りは禁じられて――」
突然現れた執行官に対し警告の言葉を発する。けれど、執行官は聖女を一瞥すると同時にウィンドウに手をかざすことで新たに術式を起動し、聖女に対し【停滞術式】を発動した。
「我々は異なる世界の間に広がる境界を管理している組織です。貴方は、元いた世界からこの世界に拉致されたので、執行官である私が救出のために介入しました」
邪魔者の動きを止めた執行官は救出対象である少年に状況を理解させることを優先する。
「お、俺は……この世界に召喚されたんですか?」
「ええ、貴方は強制的に連れてこられました。我々の管理領域である境界を無断で使用してです」
召喚者も被召喚者も管理局の関わる世界の住人ではない。けれど、境界管理局は自分達だけが自由に存在し続けることが出来る場所を無断で利用することを禁じている。
「俺は……どうなるんですか?」
「貴方が望むのであれば、元いた世界へ送り返します。状況が知りたいといえば、答えましょう。この世界の全捜索も終わっているので情報はあります」
執行官が介入する際、被召喚者は被害者であるため、丁重に扱うように定められている。それには情報の提供も含まれていた。
「状況……俺って何のために召喚されたんですか? あの人は願いを聞いて欲しいって言ってましたけど」
「理由としてはありふれたものですよ。この世界の人間を滅ぼそうとしている魔王を倒して欲しいと言うものですから」
「……ありふれてますね。これもありふれた疑問ですけど、俺に倒せるんですか?」
二人が口にしたありふれたという言葉。それは同じ言葉でありながら意味は全く違うものだった。執行官にとっては多くの世界が異世界から召喚するのにありふれた理由であり、少年にとっては創作でありふれた理由だからだ。
「召喚魔法が正常に完了していれば、その効果とこの世界で積む経験にもよりますが、不可能ではありません。この手の召喚魔法は他世界で特異点となる可能性のある人物を探し連れ去るのが主な効果ですが、補助として異なる世界での生命維持の加護と理の移植、この二つが組み込まれています。これを特異点となる可能性のある人物に与えることで、通常では到達出来ない領域に踏み込むことすら可能になりますから」
「特異点……?」
「その世界において大きな変革をもたらす人のことです。ですが、貴方はあくまでのその可能性を持つ人。特異点となるかどうかは貴方しだいです」
その世界の特異点となる人物は世界の管理者によって厳重に守られている。けれど、その可能性のある人物は守られていない。理由はいくつかあるが、科学を基盤とした世界の管理者は自身の世界に深く干渉しない。自身の世界出身者がどんな目に会おうとも。
「……俺、しだい」
少年はその言葉を小さく反芻した。
その間、執行官は声をかけることもなく、少年に動きがあるのを待った。
そして――。
「他に何かありますか?」
「俺が帰ったら、この世界はどうなるんですか?」
「どうにもなりません。そもそも自分達ではどうすることも出来ないから、他世界の人を拉致したわけです。ただ、被害者である貴方が気にする必要はありません」
少年は自らが特異点となる可能性があると言われ、わずかにだがこの世界で勇者として戦ってもいいと思ってしまっていた。それ程までに誰かに必要とされていることが嬉しかった。
「そういえば、さっき召喚魔法が正常に終了していればって言ってましたけど、あれって……」
「貴方を拉致した魔法は我々が破壊しました。貴方は今、この結界によって保護されており、外に出れば、どうなるかはわかりません。生命維持の加護もこの世界の理も移植されていませんから」
「な……」
この世界での活躍に希望を持っていた少年に衝撃が走る。なぜなら、この世界で活躍する道は既に絶たれているからだ。
「被害者に害をもたらさないのなら、一時停止で済ませますが、今回の魔法は思考妨害も含まれており、帰還方法が設定されていないための処置です」
「し、思考……妨害?」
「そうですね、わかりやすく言えば、思考能力を低下させる魔法です。あの犯人の格好からもわかるように、色仕掛けを成功しやすくするためのものですよ」
時間を止められている聖女は水に濡れた薄く白い布を身につけており、体に張り付いた部分が数カ所透けている。少年はすぐに視線をそらしたが、執行官の言葉でその意味を理解した。
「えっと……」
「ちなみに、残った被害者の末路を語りましょうか?」
被召喚者が残ることを選んだ場合、経過観察をすることがある。そのため、数多くの情報が蓄積されていた。
「……お願いします」
自分が逃した魚が何だったのか。未練がましくも聞かずにはいられなかった。
「一番多いのは毒殺ですね。魔王よりも強い勇者は新たな恐怖の対象ですから。次は送還に見せかけた殺害ですね。それから……」
「あの。殺され方の順位じゃなくて、魔王を倒した後にどう過ごしたかを聞きたいんですけど」
「……失礼しました。大半が殺されているので、つい。えーと、姫と結婚し、次の王となってから部下の貴族にいいように利用されるのが多いですね。後は……大量に抱えた側室相手に衰弱死」
「もうちょっとまともなのはありませんか?」
「数は少ないですが、世界統一し、家族に囲まれて天寿をまっとうした人や、政治と関わることを拒否し、途中で気に入った人と静かに暮らした人もいますね」
「……どのみち、帰る以外の選択肢はありませんよね。俺の体がこの世界で生きられるかもわかりませんし」
気圧が違えば、空気を構成する物質が違えば、未知の細菌がいれば、何か一つでも違えばそれが命取りとなりかねない。そんな危険を犯してまで、この世界に残る理由は見つからなかった。
「もう、返してもらってもいいですか?」
「わかりました。では、送還術式を起動します。ちなみに、ここでの記憶を消すことも出来ますが、どうしますか?」
「いえ、このままでいいです」
「わかりました」
執行官はウィンドウを操作し、球体魔法陣を生成した。その魔法陣が複雑な動きを見せる。
「先程も言いましたが、貴方は特異点となる可能性のある人物です、世界によって特異点と定められた人ではありません。つまり、貴方しだいで、世界を変えることも、ただの人となることも出来ます。決して、出涸らしではありませんよ」
そう口にして微笑んだ瞬間、召喚術式が発動した。
科学を基盤とした世界
少年が気付くと、見慣れた街並みが広がっていた。もうすぐ日が沈もうとしていたが、少年が世界から消えた時からそう時間は経っていない。自分が召喚されたという記憶はあるが、それが事実だという証拠はどこにもない。妙な妄想をしたと決めつけ、時間を潰そうとするが、執行官という女性が最後に言っていたことが気になっていた。
「あれ、まだ帰ってなかったの?」
声のした方へ振り向くと、唯一の親友である少女が買い物袋を手にしていた。
「ああ、ちょっとな」
「えー、どうしたの? 何かいいことあったの?」
「何でそう思うんだ?」
「だって、ちょっと嬉しそうな顔してるよ」
最後に言われた言葉。「決して、出涸らしではありませんよ」という言葉が少年には何よりも嬉しかった。
それを口にすると――。
「いつもそう言ってるでしょ」
「……そうだったな」
「そうだよ」
境界管理局
「執行官、帰還しました」
「続いて、当該世界の通常軌道への復帰を確認」
「全発動術式の終了を確認」
オペレーターが慣れた手付きで状況を終了させる。それからはまた、管理領域である境界の監視を続行する。
「後は【V-01A】からの報告待ちか」
執行官には介入した際の報告書を作成する義務が存在する。だが、加害世界がどうなったかまでを知る必要はなかった。
のりでやった。
後悔しない。
続かない。