サウティの血族④~絆のために~
2021.1/7 更新分 1/1
宿場町の商売を終えたならば、本日はルウ家で勉強会の日取りであった。
やはり本日も屋台のメンバーは全員参加を希望しており、また、ルウの眷族からも多数の女衆がやってきていたので、この日は3組に分かれることになった。
こういう場合、本家のかまど小屋では目新しい内容に挑戦し、分家のかまど小屋ではこれまでのおさらいを中心に進められることになる。また、俺とレイナ=ルウとミケルとマイムの4名は無条件で本家に集められるのが通例となっていた。
レイナ=ルウからの希望によって、こちらからはトゥール=ディンとマルフィラ=ナハムの両名が招集され、ルウ家からはリミ=ルウが参戦する。あとはプラティカとサウティの血族を含めて、総勢は11名と相成った。
「城下町から茶会の厨を預かってほしいという言葉が伝えられたので、リミとトゥール=ディンは新しいトライプの菓子について話を詰めておくべきだと考えました。それとあわせて、わたしたちはトライプの新しい使い道を考案するべきかと思うのですが、いかがでしょう?」
取り仕切り役であるレイナ=ルウは、いつも以上に奮起している様子でそのように言っていた。宿場町で食したラーズたちの新しいラーメンに触発された熱意が、いまだ収まっていないのだろう。
「うん、異存はないよ。ただ、同時進行でひとつかまどをお借りしてもいいかな? ちょっと新しい調味料について、試してみたいことがあるんだ」
「新しい調味料? それはいったい、如何なるものであるのでしょう?」
と、レイナ=ルウが小さな身体をぐっとのばして、俺の顔を見上げてくる。熱がこもると、男衆に対する距離感が狂ってしまうレイナ=ルウであるのだ。
「いや、それほど使い道の多い調味料ではないかもしれないんだけど……ラー油っていう調味料を再現できないかどうか、試してみたいんだよね」
それはもちろん、ラーズたちの新しいラーメンから触発された考えであった。レイナ=ルウいわく、俺はのほほんとしているように見えるらしいが、やはりあれほど完成度の高い料理を口にすれば、あれこれ刺激を受けてしまうものなのだ。
「実は以前にも、ひとりでこっそり試したことがあるんだけどね。そのときは上手くいかなかったから、新しい案を試してみたいんだ」
以前に俺は、ホボイの油でチットの実を煮込み、ラー油に似たものを作れはしないかと試してみたことがあった。しかしそのときはホボイの香りが際立ってしまい、理想の味には届かなかったのだ。
「だから今回は、ホボイとレテンの油をあわせて使ってみようと思うんだ。どうせ油を冷ます間は手が空くから、同時進行で取り組むぐらいがちょうどいいと思うんだよね」
「はい。新しい調味料を開発できるならば、優先して取り組む価値はあるように思います」
レイナ=ルウからのお許しをもらえたので、俺はラー油の開発に取り組ませていただくことにした。
基本の道筋は、前回のチャレンジで構築している。何も難しい話ではなく、粉状になるまで挽いたチットの実を、油で熱するばかりである。
弱火で軽く煮込むだけでも、チットの辛みは油に移る。前回も辛みは申し分なかったのだが、ただホボイの風味が強すぎたのだ。
「まずは、ホボイとレテンを2対1の割合にしてみようかな。レテンはレテンでそれなりに風味が豊かだから、それがチットやホボイ油の風味とぶつかったりしないかが心配なんだよね」
森辺においては失敗作でもそうそう捨てることは許されないので、ごく少量の分量で俺は試作品をこしらえてみた。
「これでよし、と。……それじゃあ、トライプについて話を進めようか」
「はい。ファの家では昨日、ニコラから城下町におけるトライプとレギィの扱い方を学んだのですよね? ミケルの扱い方と異なる点があるのでしたら、それをわたしたちにも教えていただきたく思います」
残念ながら、ニコラは城下町に帰ってしまったので、俺が彼女からの教えを代弁することになった。
それを聞き終えたのち、ミケルは「ふん」と鼻を鳴らした。
「確かに、そういった扱い方をする料理人も少なくはなかったように思うな。べつだん森辺の民の好みに合うようには思えなかったので、俺もあえて口にしなかったのだが……そういった扱い方を、自分たちの料理に取り入れようという考えであるのか?」
「はい。そのまま転用するのが難しいようであれば、自分たちなりに手を加えてみたいなと考えています」
「ではまず、習った通りに作ってみればよかろう。城下町で扱っていたのはキミュスやカロンの肉であったので、ギバの肉ならばまた違う味わいになるだろうからな」
昨日はレギィを優先してあれこれ試していたので、トライプに関しては手付かずの部分が多かった。
「では、肉料理から始めてみましょう。森辺で重んじられるのは、まずギバ肉の料理ですからね」
というレイナ=ルウの言葉に従って、トライプの下ごしらえが開始された。
その間にさきほどの試作品が冷めていたので、俺は手の空いている人から味見をお願いする。
もちろん俺は、真っ先に味見をさせていただいたのだが――どうも、いまひとつピンとこなかった。ホボイの風味は緩和されているし、レテンの香りもそこまで気にならなかったのだが、どうにも辛みがぼやけているように感じられたのだ。
「うーん。ホボイの香りが緩和されると、辛みの弱々しさが目立ってしまいますね。チットの量を増やしたら、少しは改善されるのかな……」
「どうだかな」と応じてくれたのは、やはりミケルであった。
「チットを増やせば辛みは増すだろうが、風味が引き締まることはあるまい。あんな弱い火で煮込んでも、チットの辛みと風味を正しく油に移すことは難しい、ということなのではないか?」
「以前に強火でも試してみたのですが、そのときはチットが焦げついてしまったのですよね。香ばしいのではなく、焦げ臭い風味になってしまいました」
「ふん。それも道理だな」と、ミケルは難しい顔で腕を組んだ。
「では……火にかけずに、熱い油で熱を通してみたらどうだ?」
「はい? 火にかけずに、油をどうやって熱するのでしょう?」
「油は火にかけるに決まっておろうが。油が沸騰するまで煮立ったら、そいつをチットにぶっかけるのだ。そこまで熱すれば冷えるのにも時間がかかるから、その間にもチットは熱せられていることになろう」
なるほど。それならば、弱火で数分間煮込むのと同程度の熱をチットの実に与えられるのかもしれない。なおかつ、沸騰するぐらい煮立った油であれば、弱火で煮込むのとは別の結果が得られそうなところであった。
「では、ちょっと試してみます。レイナ=ルウ、少しだけ外れさせてもらうね」
「はい。こちらはおまかせください」
俺はさきほどと同じ比率の油を、沸騰するまで煮立たせた。
そして、別の鉄鍋に待機させたチットの粉に、レードルで少量だけ垂らしてみると――とたんに、チットの粉がじゅっと煙を噴く。少量だから問題なかったが、それは催涙スプレーを思わせる危険な白煙であった。
「ミケル、これではやはり焦げてしまいそうです。油の熱に、チットが耐えられないようですね」
「なるほど……では、同じ油でチットを守ってやればどうだ?」
ミケルは余っていたチットの粉を木皿に取り分けると、そこにホボイとレテンの油を加えて、木匙で練り上げていった。ペースト状とまではいかないが、ぼそぼその団子が作れそうなぐらいの粘度に仕上げられる。
白煙を噴いたチットの粉はいったん別の場所に移動させ、油を添加したチットを鉄鍋の底に置いてもらった。
そこに沸騰した油を垂らすと――じゅわじゅわと小気味の好い音をたてつつ、淡い湯気があがっていく。それも目が痛くなるぐらいの破壊力ではあったが、さきほどの危険な勢いとは比較にならなかった。
「うん。これなら大丈夫そうですね」
それでも俺は安全策を取って、少量ずつ油を移していった。
とはいえ、試作品はそもそもが少量であるのだ。目的の量を移し終えたならば、手製の菜箸で入念にチットの粉を攪拌して、ひとまず終了だ。
「どうでしょうね。仕上がりが楽しみです」
そしてその頃には、レイナ=ルウのほうでも試作品の下ごしらえが完了していた。
「アスタ。煮込んで潰したトライプに、カロン乳を加えて練りあげました。塩はどのていど投じるべきでしょう?」
「そこまでの分量は、ニコラも知らないみたいだったからね。その量なら、とりあえずひとつまみでいいんじゃないのかな」
煮込んだトライプをカロン乳で溶いて、塩を加える。これが城下町で扱われているという、トライプの基本的なソースである。城下町の料理人たちは、ここにさまざまな香草や調味料を加えるのだそうだ。
「これを肉に塗って、窯焼きにするのですよね? わたしはまったく、味の想像がつきません」
「俺も同感だよ。まあ、何事も挑戦さ」
肉は、適度に脂の入ったロースが選ばれた。薄切りにしたロースにまんべんなくさきほどのソースを塗りたくり、耐熱の皿にのせて窯焼きにするのだ。
石窯は屋外であるので、料理に雨が入らないように気をつけながら、セットする。これでこちらも、しばらく待機であった。
「こっちの油はまだ冷めてないみたいだね。この時間はどうしようか?」
「では、リミたちに菓子の話を進めてもらいましょう」
小さなふたりが上座に立たされて、現段階での新しい菓子に関するプランを発表する。その姿に、サウティの血族の面々はいささか驚かされている様子であった。トゥール=ディンとはすでに交流を深めている彼女たちであるが、リミ=ルウがそれよりもさらに幼い少女であったことに驚かされているのだろう。
「去年の雨季には、シャスカがなかったからねー。だいふくもちとかにトライプを使ったら、絶対に美味しいと思うんだー!」
「は、はい。トライプは、けーきなどにも合うと思います。ですから……トライプを餡やそーすやくりーむに仕上げることができれば、これまでに作ってきたさまざまな菓子に使えるようになるのではないでしょうか?」
元気いっぱいのリミ=ルウと控えめなトゥール=ディンであるが、話を引っ張るのはむしろトゥール=ディンの役割となる。小さくて頼もしいふたりのパティシエールは時おり俺やミケルに助言を乞いつつ、きわめて有益なディスカッションを繰り広げていった。
「あ、あ、あの、ひとつよろしいでしょうか?」
と、謙虚な気質でありながら、ここぞというときに積極性を発揮するマルフィラ=ナハムなどは、自ら発言を求めたりする。
「ト、ト、トライプがそうまで菓子に相応しい食材なのでしたら、それをだいふくもちやけーきなどの生地に使ってみて……他の果実や具材との相性などを確認してみては如何でしょう?」
「あー、なるほど! だいふくもちの生地にトライプを使って、中は普通のあんこにしたら、美味しい……のかなあ? 試してみないと、わかんないや! あとで試してみよーっと! マルフィラ=ナハム、ありがとー!」
「い、い、いえ、差し出がましい口をきいてしまって、申し訳ありません」
と、マルフィラ=ナハムがぺこぺこと頭を下げたあたりで、ラー油と肉料理の試作品がそれぞれ仕上がった。
まず、ラー油である。
これは、格段に香りがよくなっていた。チットの辛みと風味が、これまでより望ましい形で油に移されていたのだ。
「うん、いい感じですね。もっと寝かせれば、もっと風味が落ち着いて辛みも増すと思います」
「ならば、高い熱が有効だったということだな。あのようにちまちま油を移すのではなく、ひと息に移せば、もっと鮮烈な風味になるのではないか?」
「事故が起きないように気をつけながら、試してみましょう。ミケル、ありがとうございます」
「……知恵を出し合う勉強会のさなかに、いちいち礼を述べる必要はなかろう」
ミケルは仏頂面になって、そっぽを向いてしまう。そのかたわらでは、彼の愛娘が誇らしそうににこにこと笑っていた。
で、肉料理であるが――こちらは、数多くのかまど番が顔をしかめる結果と相成ってしまった。
「これは……確かに城下町で出されそうな味わいですね」
「城下町では、このような料理が出されるのですか? 正直に言って……わたしは苦手に思います」
とりわけサウティの血族たる3名などは、ほとんど愕然としてしまっていた。
が、こういった失敗を恐れないのが、勉強会に臨むかまど番の心意気である。
しかしまあ、この料理が残念な仕上がりであるという事実に疑いはない。トライプのソースを塗りたくったギバの窯焼きは、とうてい森辺の民に受け入れられるような味わいではなかった。
まず、トライプの甘みとギバ肉の味わいがまったく調和していない。窯焼きによってじっくりと抽出された脂や肉汁の風味こそが、もっともトライプの味とぶつかってしまっているのだ。これぞまさしく、長所の殺し合いともいうべき出来栄えであった。
「皮を剥いだキミュスの肉であれば脂も少ないので、もう少しは食べやすくなるのかもしれません。でも、うーん……果たして美味と思えるかどうか……」
「城下町では、これに香草や調味料を加えていくのですよね? ルウ家の香味焼きぐらい香草を使えば、トライプの甘みも気にならなくなると思います」
「それはつまり、香草でトライプの味を打ち消すということですよね。香草とトライプの風味を調和させて、普通の香味焼きとは異なる美味しさを引き出せなければ、トライプを使う意味がなくなってしまうように思います」
「城下町では、複雑な味わいが好まれているからな。このトライプの甘みとはまったく異なる辛みや苦みや酸味を加えるというのが、城下町の作法となる」
「こ、これに酸味まで加えるのですか? ……申し訳ありません。想像したら、少し気分が悪くなってきてしまいました……」
失敗作は失敗作で、大いに議論が盛り上がるものである。
そんな中で、マルフィラ=ナハムがまた発言した。
「で、で、でも、食感は心地好かったですね。ト、トライプのそ-すがが香ばしくて、揚げ物の衣みたいでした」
「ああ、確かに……いっそ窯焼きじゃなく揚げ焼きにしてみようか? トライプは揚げ物にも合うんだから、細工を凝らせば面白い料理が出来上がるかもしれないよ」
「そう……なのでしょうか。わたしはまだ、上手く想像できません」
もちろん、このまま揚げ物にしたところで、さして結果は変わらないだろう。ギバ肉とトライプの衝突を緩和させるには、何らかの工夫が必要であるのだ。
「トライプだって、肉料理に合わないわけじゃないからね。どこかに正解があるはずさ。これまでの献立で培った知識も総動員させて、ちょっとあれこれ模索してみよう」
そんな感じで、ルウ家における勉強会も、普段通りの熱気の中で粛々と過ぎ去っていったのだった。
◇
そうして、夜である。
ファの家において、俺たちが晩餐を配膳すると、ドーンの長兄はまた無邪気に感嘆の声をあげることになった。
「今日はまた、見慣れぬ料理が並んでいるな。どのような味わいであるのか、楽しみなところだ」
「そちらは、本日の勉強会の成果となります。まだまだ改善の余地はあるかと思いますが、お口に合えば幸いです」
俺がそのように答えると、女衆の中ではもっともアクティブなダダの長姉が笑顔で言葉を重ねた。
「ファの家では、こうして考案したばかりの料理をどんどん晩餐で出していくのだそうですよ。より美味なる料理を完成させるために、男衆の方々もどうぞご協力くださいね」
「ふふん。俺たちが文句をつけることで美味なる料理が完成されるというなら、願ってもないことだ」
ダリ=サウティは鷹揚に笑って、アイ=ファに食前の文言をうながした。
アイ=ファは厳粛な面持ちでそれに応じて、晩餐が開始される。
本日の見慣れぬ料理とは、トライプを使ったギバ肉料理であった。
勉強会で試行錯誤して、作りあげたのがこのひと品となる。参考になるかはわからなかったが、俺はいちおう料理の内容を説明しておくことにした。
「そちらはですね、ギバのベーコンにトライプのソースを塗った上で、揚げ焼きで仕上げた料理となります。よければ、こちらのポン酢でお召し上がりください」
それが、試行錯誤の結果であった。
さまざまな部位を試してみた結果、もっとも好評であったのがギバのベーコンであったのだ。
トライプのソースは卵の代わりとして使い、そこにフワノ粉をまぶして揚げ焼きに仕上げている。ウスターソースやケチャップでも問題なかったが、意外にポン酢も合っていたので、この夜の晩餐ではその1種に統一させていただいた。
トライプのソースはニコラの教え通り、煮込んでやわらかくしたものをカロン乳でのばしている。
それに調和する香草はないものかと、あれこれ試してみたのだが――俺にとっては、意外な香草がマッチした。いまだ名前を知らない、クミンに似た香草である。
これは言うまでもなく、『ギバ・カレー』にも欠かせない香草だ。
カレーにおいては、主に香りを担っている。味はほろ苦く、辛みはほとんど感じられない。この香草が、意想外にトライプと合ったのだった。
この香草と、揚げ焼きの調理で生じる香ばしさが、トライプの甘みを中和してくれている。だが、トライプの持つ風味そのものは損なうこともなく、ほのかな感じられる甘みも心地好いものに転化させてくれたのだ。
そして、ベーコンの有する塩気と風味が、それに負けないぐらい主張している。塩とピコの葉でしっかり下味をつければ、ギバ肉のどの部位でも悪いことはなかったのだが、力強さを求めるならばベーコンが最適であった。次点は薄切りにしたロース肉で、そちらはもう少し繊細な感じでトライプや香草の風味と絡み合うことになる。城下町の民であれば、そちらが最善と考えるかもしれなかった。
何にせよ、研究の初日としては満足のいく出来栄えであった。
トライプの美点を殺してはいないし、ただの揚げ焼きとは異なる魅力も生み出せている。無理にトライプを使ったわけではなく、トライプを使ったからこそ得られる新しい味わいを実現させることがかなったのだ。香草や調味料の種類を増やしてさらなる向上を目指すのが目下の課題であったが、その土台となる試作品としては申し分ない完成度だと思われた。
が、それはあくまで作り手としての言い分である。
また、勉強会の間はさまざまな失敗作と比べた上で、これが最善と任じている。いきなり完成品を食することになる人々からどういった感想をいただけるかは、実際の現場に臨むまでわかるものではなかった。
「ほう! これは奇妙な味わいだな!」
と、まずはドーンの長兄がそのように言いたてた。
「しかし、これといって文句のつけようはないようだ。ただ……このような料理を食べさせられると、ぎばかつが恋しくなってしまうな」
「ああ、確かに。だが、俺も問題なく美味だと思うぞ」
ヴェラの家長もそのように言ってくれたので、俺は胸を撫でおろすことになった。
となると、残るはファの家長と族長である。
俺が感想を求めようとすると、アイ=ファは厳粛な面持ちのまま「美味い」と言ってくれた。ニュアンスとしては、「悪くない」といった具合であろうか。
「俺も美味いと思うぞ。しかもこれは……城下町の民にも美味いと思ってもらえる出来栄えかもしれんな」
ダリ=サウティの言葉に、ドーンの長兄はいぶかしそうな顔をした。
「城下町の者たちは、もとよりアスタの料理を美味いと判じているのであろう? だからこそ、たびたび城下町に招かれているのではないのか?」
「ああ、言葉が足りなかった。アスタの料理は、いずれも美味であると認められているのであろうが……これは、もともと城下町に存在する料理に近い仕上がりである、と判じられるのではないだろうか?」
「そうですか? そこまで城下町の民の好みに寄せたつもりではなかったのですが……」
「では、偶然の結果なのであろうかな。この料理は、ずいぶんさまざまな味わいが入り混じっているように思うのだ。あえて言うならば、辛みがあまり感じられないぐらいであろうかな」
そう言われてみると、トライプは甘く、香草と揚げ焼きの仕上がりが苦さに通ずる香ばしさを有し、そしてポン酢が酸味を担っている。甘さと苦さは微々たるものであるのであまり気にしていなかったが、それなりに複雑な味わいなのかもしれなかった。
「まあ、俺などの言葉をそこまで重んずる必要はない。いずれ城下町の人間に食べさせる機会が生まれれば、そちらから確かな答えが返されることだろう。この料理は十分に美味いので、俺にとってはそれだけで満足だ」
「ありがとうございます。ダリ=サウティにそう言っていただけると、とても心強いですね」
「俺の舌など、あてにはならんぞ。まあ、多少なりともアスタの心を安らがせることがかなうのなら、光栄なことだがな」
そう言って、魅力的な笑みを広げるダリ=サウティであった。
まだ滞在して2日目であるのに、ダリ=サウティの姿はすっかりファの家に馴染んでいるように感じられてしまう。これもダリ=サウティの人間力のなせるわざなのだろうか。
「それで、今日作りあげたのはこの料理だけであるのか?」
「あ、はい。もうひとつの成果は今日の晩餐に合わなそうだったので、明日以降にお披露目させていただこうと思います」
今日は女衆の要望に従って『トライプのクリームシチュー』を出していたので、ラー油を使った料理とは相性が悪かろうと考えた次第だ。
それにあちらは、もう少々の試行錯誤が必要であろうと判じられた。辛みを油に移す手段が上手い具合に構築されるにつれ、レテンの有するわずかな風味がいくぶん気になってきてしまったのだ。かなうならば残り3日で理想の味わいを追求し、ダリ=サウティたちにも味見をお願いしたいところであった。
ちなみにトライプを使ったベーコンの揚げ焼きはあくまで試作品であるため、主菜は『クリスピー・ローストギバ』となる。乾酪を使ってピザ風に仕上げた焼きポイタンに、さっぱりとしたイタリア風ドレッシングでいただく生野菜サラダに、あとはナナールとメレスとブナシメジモドキの乳脂ソテーという献立であった。
「うむ。毎日が祝いの日のようだな。自分ばかりがこのように美味なる晩餐を口にしていて、家の人間たちに申し訳ないほどだ」
ドーンの長兄がそのように言いたてると、サウティの末妹が「まあ」と笑った。
「それでしたら、どの家の家族たちにも同じだけの喜びを与えられるように、わたしたちが力を尽くさなければなりませんね」
「うむ。ドーンの女衆にも、どうか手ほどきをお願いする。そして、如何なる食材でも気兼ねなく買えるように、俺たちはギバ狩りの仕事で力を尽くさなければな」
ダリ=サウティの人選であるのだから当然のことであるのだろうが、サウティの血族は誰もが誠実で、真っ直ぐな気性をしており、とても居心地のいい空気を形成してくれていた。ヴェラの兄妹などはどちらもそれほど口数は多くないのだが、それでもこの空気を生み出すための一助となっているのだろう。やっぱりこの和やかで落ち着いた空気こそが、ルウやザザとは異なるサウティの特性であるのかもしれなかった。
「……アイ=ファはいくぶん、疲れているようだな。何か俺たちに不始末があったときは、遠慮なくたしなめてほしく思うぞ」
と、ダリ=サウティがふいにそのようなことを言い出した。
しかしアイ=ファは、「いや」と静かに首を振る。
「私はべつだん疲れてもいないし、ダリ=サウティたちが不始末を犯したりもしていない。私はもともと、こういう人間であるというだけだ」
「そうであろうか? 俺の目には、昨日よりも力を失っているように見えるのだが……」
ダリ=サウティが心配そうな表情を浮かべると、アイ=ファはそれをなだめるように目もとだけで微笑した。
「私は、客人を迎えることに慣れていない。幼き頃より家族だけで過ごしてきたので、こういう気質になってしまったのだろう。しかし、森辺の同胞や町の人間と絆を深めるためには、苦手だからといって客人を忌避するわけにもいかん。だから、どうか気にしないでもらいたい」
「そうか。そのように言ってもらえることを、ありがたく思うぞ」
ダリ=サウティも穏やかな面持ちでそのように応じると、サウティの末妹も「はい」と声をあげた。
「わたしたちは、みんなアイ=ファのことをとても好ましく思っています。どうかこの機会に絆を深めさせてください」
アイ=ファはそちらにもやわらかい眼差しを届けて、「うむ」とうなずいた。
そうしてその日の晩餐はしめやかに終了したのだが――それからしばし談笑したのち、そろそろ床をのべようかという頃合いで、アイ=ファが「アスタよ」と呼びかけてきた。
「眠る前に、話がある。……ダリ=サウティらは、しばし待っていてもらえるであろうか?」
「うむ。さして眠くはないので、こちらは気にせず語らってくれ」
「いたみいる」と言い残して、アイ=ファは寝所へと足を向けた。
俺は小首を傾げながら、その後に追従する。
「どうしたんだ? 話って何だろう?」
寝所に入って、戸板を閉める。
それと同時に、アイ=ファが俺の身体を抱きすくめてきた。
「ア、アイ=ファ? いきなりどうしたんだよ?」
「声をひそめよ。でなければ、狩人の耳には聞こえてしまおう」
俺の身体をぎゅっと抱きしめながら、アイ=ファはそのように囁いた。
いきなりアイ=ファの温もりと甘い香りに包まれて、俺はどぎまぎしてしまう。
「どうしたんだ? やっぱり調子が悪いのか?」
「そのようなことはない。ただ……今日もお前と寝所を別にするのかと考えたら、こうせざるを得なかったのだ」
アイ=ファは俺のあばらを軋ませるほどの力は込めていなかったが、そのほどよい力加減がいっそう俺の心臓を騒がせた。
「サウティとの交流は、まだ3日ばかりも残されている。それをつつがなく終えるために、これは必要な行いであるのだ。お前もファの家人として、堪え忍ぶがいい」
「いや、堪え忍ぶっていうか……うん、アイ=ファも頑張ってるんだな」
俺は全身でアイ=ファへの愛おしさを体感しながら、その金褐色の髪をそっと撫でてみせた。
アイ=ファは熱い吐息とともに、俺の頬にこめかみのあたりをすりつけてくる。
「……それに、話があると言ったのは虚言ではない。虚言は、罪であるからな」
「あ、そうなのか。なんの話なのかな?」
「城下町の民、ロイとシリィ=ロウを客人として迎えるという話についてだ。その日取りは、サウティとの交流が終わったのちにと告げたのだな?」
「うん。城下町に戻ったニコラが、そう伝えてくれたはずだよ」
「……では、サウティとの交流を終えたのち、3日以上は日を空けるようにとつけ加えるがいい。それがファの家長としての、決定だ」
アイ=ファの腕がわずかに力を込めて、そのしなやかな肢体がいっそう強く押しつけられてきた。
まるで、そのまま俺とひとつになってしまいたいかのように。
「3日もあれば、新たな客人を迎える力を取り戻すことがかなおう。しかし、ダリ=サウティらが帰ったその日に新たな客人を迎えるような事態に至れば……私は、我慢が切れてしまうかもしれん」
「我慢が切れると、どうなるんだろう?」
「わからん。お前の耳でも噛んでおくか」
「俺の耳に罪はないんじゃなかろうか?」
「そのように理不尽な振る舞いに及ぶ恐れがある、ということだ」
そんな風に言ってから、アイ=ファはくすりと小さく笑った。
あまりに密着しているために、アイ=ファの表情を見ることがかなわない。幸福感の奔流に押し流されている俺にとって、それだけが唯一の不幸であった。