サウティの血族③~努力の成果~
2021.1/6 更新分 1/1
朝である。
俺は何か、常とは異なるむんむんとした熱気の中で目を覚ますことになった。
(ああ、そうか……サウティのお人らがご一緒だったっけ)
サウティの人々を迎えるにあたって、俺とアイ=ファは物置部屋の片方を寝所として使えるように片付けていた。平時であればともかく、雨季の間は寒さも厳しいので、きちんと寝所を準備するべきであろうと考えた次第だ。
男性陣は、その物置部屋であった部屋で寝具を並べている。6畳以上8畳未満といったていどの面積であるので、それほど狭苦しいわけではないのだが、やはり4名もの人間が寝具を並べると、ほとんど隙間はなくなってしまう。なおかつ狩人の有する肉の圧力というものが、この常ならぬ熱気を形成しているようだった。
「うむ……もう朝か」
俺が寝具の上で身を起こすと、隣で寝ていたダリ=サウティも目を覚ましてしまった。
「おはようございます。ダリ=サウティは、どうぞゆっくりしていてください」
「いや。時には夜明けとともに起きるのもよかろう」
ダリ=サウティは、俺よりもよほどしっかりしている様子で、そう言った。
というわけで、残りの2名はそのままにして、ダリ=サウティとともに部屋を出る。それと同時に、隣室の戸板も引き開けられた。
「おはようございます、アスタ。族長ダリ=サウティも、もう起きてしまわれたのですね」
「うむ。早く起きれば、そのぶんアスタやアイ=ファたちとも絆を深めることがかなうしな」
女衆の側も寝ぼけた顔をしている人間はひとりとしておらず、みんなきっちりと髪も結いあげている。それらの面々とも挨拶を交わしてから、俺は最後にアイ=ファへと向きなおった。
「おはよう、アイ=ファ。そっちもよく眠れたかな?」
アイ=ファは厳格なる面持ちで、ただ「うむ」と答えていた。
あまり面識のない相手と寝所をともにするというのは、アイ=ファにとってそれなりの負担であるはずなのだ。しかしもちろん、そのような不満を当人たちの前であらわにすることはなかった。
「それじゃあ、まずは洗い物だね。各自、よろしくお願いいたします」
かくして、サウティの面々を迎えてから最初の朝を過ごすことになった。
ダリ=サウティたちは以前にもファの家で夜を明かしていたが、あれは他の氏族の男衆ともども護衛役を果たしていたわけであるし、女衆らに至っては、ずっとフォウの家で朝を迎えていた。この顔ぶれで朝を迎えるのは、まごうことなき初めてのこととなる。また、これだけ大勢の女衆とともにファの家で朝を迎えるというのも、俺にとっては初めてのことであるはずだった。
洗い物には雨水も利用するので、母屋とかまど小屋で二手に分かれることにする。玄関の戸板を開けると、今日も世界は朝から白い霧雨にけぶっていた。
そんなこともおかまいなしに、犬たちは広場へと駆けだしていく。ギルルはなるべく緑の深い枝の下に繋いでやり、そこで朝食だ。
「ふむ。アイ=ファも洗い物の仕事を果たしているのか」
母屋の土間でアイ=ファが作業を始めると、ダリ=サウティがそのように語りかけてきた。
水瓶に溜めておいた雨水で鉄鍋を洗いつつ、アイ=ファは厳かに「うむ」と応じる。
「13歳の齢で母を失って以来、私は父とともにすべての仕事を果たしてきた。たった2名の家人では、仕事の分けようもなかったのでな」
「なるほど。ともに鉄鍋を洗い、ともにギバを狩ってきたわけか。またひとつ、アイ=ファの強さの理由を知ることができたようだ」
そんな風に言いながら、ダリ=サウティも上り框に腰を下ろした。
「では、俺も手伝うこととしよう」
「ダリ=サウティは、男衆の客人だ。女衆の仕事を果たす必要はあるまい」
「それでは、寝所を出た甲斐もない。どうか仕事の苦労を分かち合わせてくれ」
そうしてダリ=サウティも毛皮のタワシで木皿をこすり始めると、それを見やった分家の末妹が楽しそうに口をほころばせた。
「族長が晩餐の後始末を手伝ってくださるなんて、また集落に持ち帰る話が増えてしまいました」
「ふふん。機会があれば、あとのふたりにも手伝わせてやることにしよう」
なんだか朝から、とても和やかな空気であった。
これがルウ家の血族であれば、もっと賑々しくなっていたように思う。そんなちょっとした気風の違いまでもが、俺にはずいぶん楽しく感じられてならなかった。
「そういえば、アスタたちはまた城下町に招かれたのだという話であったな」
「あ、はい。貴婦人がたの茶会ですね。昨日の段階で、5日後以降にしてほしいと伝えておきましたので。……それともいっそ、サウティの方々にも同行をお願いするべきだったでしょうか?」
「いや。俺たちはあくまで、ファの家で交流を深めることを第一に考えさせてもらいたく思っている」
そんな風に言ってから、ダリ=サウティは大らかに口をほころばせた。
「城下町に向かいたければ、ポルアースに頼んで通行証を準備してもらうまでだ。それは、雨季が明けたらと考えている」
「あ、サウティの方々で城下町を検分するのですか?」
「うむ。俺の血族とて、城下町がどのような場所であるか、知っておく必要があろうからな」
やはりダリ=サウティは、森辺の族長としてさまざまなことに思いを馳せているようだった。
それはもちろんドンダ=ルウやグラフ=ザザとて同じことであろうが、やはり氏族が違えば立ち位置も違ってくるのだろう。ダリ=サウティというのは自ら率先して城下町の祝宴や晩餐会などに出席して貴族たちと絆を深めようとしていたが、その反面、自分の血族を城下町に向かわせる機会には恵まれていなかったのだ。
(それにダリ=サウティには保守的な一面もあるから、まずは自分の目で城下町や貴族たちの在り様をしっかり検分して……それでいよいよ満を持して、血族たちに順番を回す頃合いだと考えたのかな)
そんな思いを馳せながら、俺はダリ=サウティに向きなおった。
「なんというか……色々と感慨深いですね」
「うむ? とは、どういう意味であろうか?」
「いえ、去年の雨季には北の民に調理の手ほどきをするために、サウティの集落にお邪魔していましたけれど……その北の民たちもジャガルに旅立ってしまいましたし、本当に色々なことがあったなあと思いまして」
「うむ。あの頃の俺たちは、いまだ西方神の洗礼も受けていなかったしな。というか、家長会議も行われていなかったのだから、いまだファの家の行いが正しいと認められる前の話になってしまうのか」
ダリ=サウティもまた、感慨深そうに目を細めた。
「そう考えると、この1年だけでもずいぶんさまざまなことが起きたのだな。アスタが森辺にやってきてからは、どれほどの時間が過ぎたのであろうか?」
「俺がアイ=ファに拾われたのは、黄の月の24日です。ですから、あと2ヶ月弱で丸2年になるわけですね」
「2年か……わずか2年でこれだけの変革が為されたのだと驚くべきか……あるいは、もう2年も過ぎてしまったのかと驚くべきか、難しいところだな」
そう言って、ダリ=サウティはゆったりと笑う。
「何にせよ、血抜きもしていないギバ肉を使ったポイタン汁の味などは、すっかり忘れてしまったように思う。大事な志だけは決して忘れずに、正しき道を進みたいところだな」
そんな感じに、俺たちは朝から満ち足りた時間を過ごすことができた。
しばらくすると、商売の下ごしらえのためにあちこちの氏族の女衆が集結する。
さらに、フォウやランの女衆らもやってくると、サウティの女衆らはいっそう活気づいた。その中には、ヴェラの次姉が懸想しているフォウの男衆の姉君も含まれていたのだ。
「こんなに近くにいるのになかなか顔をあわせる機会がないと、うちの弟がやきもきしていましたよ。じきにサウティとフォウの血族で家人を貸し合うのだから、それまで辛抱なさいと言いつけているのですけれどね」
姉君が笑顔でそのように言いたてると、ヴェラの次姉は恥ずかしそうに頬を染めていた。もちろん、ダリ=サウティたちがいない場でのやりとりであったが――とりあえず、当人たちも周囲の人々も、血族ならぬ相手に懸想することを厄介ごとの種と考えている気配は皆無であった。
それもまた、この1年足らずで森辺を見舞った変革のひとつであっただろう。モルン=ルティムやディック=ドムがいばらの道をかき分けてくれたからこそ、あとに続く人々は心安らかにその道を進むことができているのだ。
サウティとフォウで婚儀が実現するかどうかは、母なる森と神のみぞ知るであったが――現段階でも、すでに意識の変革は成し遂げられているのだと信ずることができた。
そうして下ごしらえが完了したならば、今日も今日とて宿場町の商売である。
その出立の直前に、ニコラとプラティカもファの家にやってきたので、なんとかサウティの血族の男衆らとも挨拶を交わすことがかなった。ダリ=サウティたちが強面の部類でなかったことは、ニコラにとって幸いなことであっただろう。
「今日はこの時間まで、おふたりで修練を積んでいたのですか?」
俺がそのように問いかけると、プラティカは不本意そうな目つきで「いえ」と首を振っていた。
「私、修練を積み、ニコラ、見物するのみでした。残念、思います」
「わたしなどは、見習いの人間に過ぎないのです。習うばかりでお力になれないことは、つねづね申し訳なく思っています」
と、かたや無表情に、かたや仏頂面で、愛想のない言葉を交わす両名である。が、これが彼女たちのリズムとペースであるのだろう。俺としては微笑ましいばかりで、べつだん心配になることもなかった。
そんなこんなで、宿場町に出発である。
《キミュスの尻尾亭》に到着し、裏手の倉庫に回ってみると、そこには普段以上に人好きのする笑みを浮かべたラーズが待ちかまえていた。
「アスタ、ようやくマロマロのチット漬けってやつを、今日の商売から使ってみることにしやしたよ」
「あ、ついに完成したのですね! あとで、俺も買わせていただきます」
ラーズとレビはマロマロのチット漬けを屋台のラーメンに活用できないものか、ずっと独自に研究を重ねていたのだ。プラティカとニコラにそれを告げると、両名はそろって眼光を鋭くしていた。
「あのらーめんという料理に、マロマロのチット漬けを使うのですか。それはぜひ、わたしも味見をさせていただきたく思います」
「はい。私、同様です」
ラーメンは俺が伝授した料理であるが、ラーズとレビは独自のアレンジや調整を施したものを屋台で売りに出している。その事実を知るプラティカとニコラは、彼らがどれほどの料理人であるのかと、ひそかに注目していたのである。
「ただ、お客さんがたに買ってもらえるかどうかは、はなはだ怪しいところなんでねえ。売れ残ってもいいように、細工を凝らしたつもりですよ」
雨の街道を杖をついて歩きながら、ラーズはそんな風に言っていた。
いっぽうレビは、意気揚々と屋台を押している。
「最近のお客は初物食いをためらったりしねえから、そんな心配はいらないだろ。1回でも口にしてもらえれば、こっちのもんだって」
以前にラーズがミソ仕立てのラーメンを提案したときは心配そうにしていたレビであるが、今回は最初から自信満々の様子である。否応なく、俺は期待を膨らませることになった。
「ラーズたちが、マロマロのチット漬けを使うのですか。それは、わたしも気になります」
と、行き道で話を聞いたレイナ=ルウも、プラティカたちと同じような眼差しになってしまう。斯様にして、向上心の権化たる娘さんたちであるのだ。
しかしまずは、自分たちの仕事を果たさなければならない。
雨の中、俺たちが懸命に準備をしている間、プラティカとニコラはずっとラーズたちの屋台の前で準備が整うのを待ち受けていた。屋台村への出陣も、今日ばかりは後回しにされたようだ。
「……マロマロのチット漬け、見当たらないようですが」
と、そんなプラティカのつぶやきが、俺のほうにまで聞こえてくる。
隣の屋台からこっそり覗いてみると、大きな深皿に準備されているのは、いつも通りのタウ油仕立てのタレであるように思えた。
「ええ。これまでのらーめんを好いてくださってるお客さんがたもたくさんいるんで、基本の味はいじらないことにしたんですよ。だからこいつは、後入れの添え物ってわけですね」
そんな風に言いながら、ラーズは新たな深皿を作業台の上に移動させた。
そこに準備されていたのは、いかにもマロマロのチット漬けらしい赤褐色の色彩をした何かである。細かく刻んだ具材を、マロマロのチット漬けを主体にした調味料で和えたものであるようだ。
「添え物……ミャームー、ケルの根、同様に、別料金ですか?」
「いえいえ、こいつはミャームーやケルの根よりも銅貨がかさむんで、そういうわけにもいきませんでした。だからこいつは、ギバのちゃーしゅーと引き換えにお出しすることに決めたんです」
「では、マロマロの添え物、選ぶならば、ギバ肉、なくなってしまうのですか?」
「いえ。この宿場町で肉を使わない料理なんて、甘い菓子ぐらいしか売れやしません。だからこいつには、たっぷりギバ肉も使われてるんですよ」
その言葉に、俺は少なからず驚かされることになった。
「それじゃあ、もしかして……その添え物には、ギバの挽き肉が使われているのですか?」
「ええ。細かく挽いたギバ肉に熱を通して、マロマロのチット漬けやら何やらで練り上げたものになりやすね」
マロマロのチット漬けとは、豆板醤に似た食材である。
よって俺は、それを使うことで担々麺に似た料理が作り出せるのではないかと、ひそかに考えていたのだが――ラーズたちに、そのアイディアを伝えてはいない。彼らが独自にどのような料理を生み出すのか、それを見守りたく思っていたからだ。
(担々麺といったら、やっぱり豚のそぼろ肉が王道だもんな。まあ、挽き肉を使っただけなら、そこまで担々麺っぽくなるわけじゃないかもしれないけど……)
何にせよ、俺の期待は膨らむばかりである。
俺は普段以上に浮き立った気分で、朝一番のラッシュを迎え撃つことになった。
プラティカとニコラは真っ先にラーメンを買い求めて、青空食堂に消えていく。
その後に続いたお客たちは、突如として迫られた二者択一に煩悶している様子であった。
「その新しい添え物を選ぶと、あのタウ油で煮込んだギバの肉を食えなくなっちまうのかい? だったらそんな細かく刻まねえで、大ぶりの肉で出してほしかったもんだなあ」
「この味付けには、細かく刻んだ肉のほうが合うんだよ。嘘だと思うなら、試しに食ってみればいいさ」
レビは余裕しゃくしゃくの様子で、そんな風に答えていた。
「ま、どっちを選ぼうがあんたがたの自由だよ。この添え物はこれからもずっと売りに出すつもりだから、どうぞお好きに選んでくれ」
「よし、わかった! ふたりでひとつずつ買って、半分ずつ分ければいいってこった。まずは食ってみねえと、文句も言えねえからな!」
ということで、お連れのいるお客がたはそういったやり口で初物に挑む様子であった。
俺も内心でうずうずしてしまうが、まずは自分の商売である。雨季とはいえ、朝一番のラッシュはほどほどの勢いであるのだ。この客足が止まったら、1名ずつ離脱して味見をさせていただく所存であった。
と――こちらの手が空く前に、味見を終えたプラティカとニコラが屋台の裏手に回り込んでくる。
その眼差しは、新作のラーメンを食べる前より鋭くなっているように感じられた。
「どうしました? 感想を伝えに来てくれたのですか?」
「いえ。先入観、与えること、避けたいと思います。アスタ、食べ終えたならば、感想、お聞かせください」
では、俺と感想を伝え合うために、こうしてスタンバイしているのであろうか。これはなかなかのプレッシャーである。
すると、青空食堂のほうからレイ=マトゥアがちょこちょこと駆け寄ってきた。
「アスタ、サウティの方々がみんなあちらを手伝ってくださったので、手が空きました。屋台はわたしにおまかせください」
「あ、それならレイ=マトゥアから先にいただくといいよ」
「いえ。わたしたちはむやみに銅貨をつかえないので、まずアスタの感想をお聞きしたいと願っているのです」
にこにこと笑いながら、レイ=マトゥアが手を差し出してきた。
「ありがとう」と応じつつ、俺はレードルを受け渡す。すると、レイ=マトゥアの後ろからレイナ=ルウも近づいてきた。
「アスタもこれからですか? では、ともに並びましょう」
まだ小雨がぱらついていたので、俺は外套を羽織ってから、レイナ=ルウとともに街道のほうに回り込んだ。
やはり初物ということで、ラーメンの屋台には10名ばかりの列ができている。が、いちどきに6食分を仕上げているので、すぐに順番は回ってきた。
「わざわざ並ばせちまって、すいやせんね。もうちっと待ってもらえたら、裏から渡せるんですが」
「いえいえ。それまで待ちきれなかっただけなのですから、お気になさらないでください」
ラーズとそんな言葉を交わしていると、一緒に並んでいたお客のひとりがうろんげに俺たちを見やってきた。
「お前さんがたが、わざわざ並んでまで食おうってのか。こいつは、それほどの出来栄えなのかい?」
「それを確かめるために、こうして並んでいるのです。いったいどんな味わいなのか、どうしても気になってしまいますからね」
「違えねえや。迷ってたんだが、俺も初物に挑んでみるかな」
ということで、次の順番であった6名は、全員がマロマロの添え物を選ぶことになった。
ラーズたちの屋台で売られているのは、小さな器に盛られたハーフサイズのラーメンだ。まずは器にタウ油仕立てのタレが投じられて、それがキミュス骨の出汁で割られる。そこに茹であがった麺を投じて、基本のトッピングであるナナールとオンダ、それにマロマロの添え物が盛られたなら、完成であった。
俺とレイナ=ルウは外套の裾で皿を守りつつ、裏手の荷車へと移動する。
そこではすでに、プラティカとニコラが待ち受けていた。
荷台に乗り込み、外套を脱ぐのももどかしく、木皿の料理と向かい合う。レイナ=ルウの青い目は、さらに真剣さを増していた。
「これはマロマロのチット漬けばかりでなく、ココリも使われているようですね。かなり辛みが強そうです」
「うん。それに、ホボイの油も使われてるみたいだね」
山椒に似たココリと、ゴマ油に似たホボイ油――それもまた、俺が担々麺に着手する際には使おうかと思っていた食材であった。
ともあれ、実食である。
先の割れた木匙で軽く攪拌すると、添え物の赤褐色がスープに広がっていく。おおもとはタウ仕立てのラーメンであるので、どのようにブレンドして食していくかは、食べる側にゆだねられているのだ。
俺は添え物を半分がたほぐした段階で、麺をすすってみた。
たちまち、パンチの効いた辛みが舌に跳ね上がる。
山椒に似たココリも、それなりの量が使われているのだろう。辛みの苦手のアイ=ファであれば、アウトかセーフか迷いそうになるぐらいの刺激的な味わいであった。
しかし、美味である。
それだけは、疑いのないことだ。
マロマロのチット漬けとココリの辛さに、ホボイの油の香ばしい風味が素晴らしく調和している。それにおそらくは、魚醤なども使われているのだろう。それがもともと完成度の高かったタウ油仕立てのスープを、まったく別なる味わいに変貌させているのだった。
それにレビの言う通り、ギバの挽き肉がこの味わいにはよく合っている。
そしてそこには、シャキシャキとした心地好い食感と清涼な風味も加えられていた。これは、入念に刻まれた生のアリアのみじん切りであるようだ。
担々麺と、よく似ている。
しかし、決して同一ではない。もちろん担々麺だって、店によって大きく味が変わるのであろうが――これを担々麺として出されたなら、ずいぶん変わり種だなと思っていたところだろう。
(最初の味わいは辛いけど、そんなに尾を引くほどではないな。スープ自体は普通のタウ油のラーメンだから、なんだかんだで緩和されてるんだ。それに……担々麺にはラー油も使われてるはずだから、それがないぶん辛みは弱いのかな)
しかし何にせよ、美味である。
挽き肉の量もそれなりであるので、チャーシューの不在を物足りなく感じることもない。ホウレンソウに似たナナールもモヤシに似たオンダも、ほどよく辛みを中和させつつ、なくてはならない存在感をかもし出していた。
「……如何ですか、アスタ、レイナ=ルウ?」
と、荷台のすぐ外に待機したプラティカが問うてくる。
レイナ=ルウは、すかさず「美味です」と応じていた。
「ラーズたちのらーめんはもともとあれほど完成度が高かったのに、その調和を壊すことなく、新たな味わいを生み出しています。その一点に、まず大きく驚かされました」
「はい。東の民であれば、こちらが美味、感じる人間、多いでしょう。アルヴァッハ様、食する機会、得られなかったこと、無念に思います」
「そうですか。わたしは、どちらも捨てがたいほど美味だと思います。また、マロマロのチット漬けとココリの美点を、正しく活かしているように思います」
「わたしも、同じ意見です。宿場町の方々がこれほど早々とゲルドの食材を使いこなしているという事実に、驚きを禁じ得ません」
と、ニコラもこらえかねたように発言した。
その目が、にらむように俺を見やってくる。
「これは、アスタ様の手ほどきで生まれた料理ではないのですね?」
「はい。ゲルドの食材に関しては、あの寄り合いの日に手ほどきしただけです。このマロマロの添え物に関しては、完全にラーズたちが独自に生み出したものですよ」
「……感服いたします。自分の未熟さをまた痛感させられた思いです」
「わたしも、驚かされました。基本的に味の組み立ては、ラーズの主導で行われているのですよね? ラーズというのは、それほどに優れた料理人であったのでしょうか?」
料理を食べ終えたレイナ=ルウが、俺のほうに詰め寄ってくる。
俺は大いなる満足感とともに、「うん」と答えてみせた。
「少なくとも、ラーズはすごく真摯な気持ちで調理に取り組んでいるはずだからね。御恩のある《キミュスの尻尾亭》に決して損はさせられないっていう執念が、これだけの料理を生み出したんじゃないのかな」
「執念……あの柔和な笑顔の下に、そのような執念が……」
「あ、いや、執念だったらレイナ=ルウたちも負けてないと思うけどね。プラティカもニコラもレイナ=ルウも、みんな狩人みたいな気迫がこぼれてしまっておりますよ」
レイナ=ルウは気恥ずかしそうに頬を染めながら、俺の顔を上目遣いに見やってきた。
「それできっと、ルウの女は猛々しいなどと称されてしまうのでしょうね。アスタのように、真剣でいながら泰然としていられる御方を羨ましく思います」
「それはもう、もって生まれた性格ってやつなんじゃないのかな。俺やラーズなんてのは、あんまり闘志が外に出ないタイプ――あ、いや、性格ってだけなんだよ、きっと」
それにきっと、ラーズとレイナ=ルウたちでは根本の部分が違っているのだろう。
レイナ=ルウたちは飽くなき向上心を携えているのだと思うが、ラーズの場合はミラノ=マスに恩返しをしたいという一心なのだろうと思うのだ。さらに言うならば、息子の幸福は《キミュスの尻尾亭》にこそ存在するので、絶対に追い出されるようなことになってはいけない――という、献身の気持ちが強いのではないかと思われた。
しかしまた、どのような思いが核にあろうとも、目指しているのは美味なる料理であるはずだ。
俺は、あの善良なるラーズの苦労が報われて、これほどに美味なる料理が完成されたという事実を心から祝福したかった。