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異世界料理道  作者: EDA
第五十八章 雨に唄えば
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サウティの血族②~最初の晩餐~

2021.1/5 更新分 1/1

 勉強会が終了すると、サウティの血族を除く面々はそれぞれの家に帰還していった。

 プラティカとニコラは、スドラの家でお世話になるのだそうだ。プラティカはこの20日余りでさまざまな氏族の家を巡っていたので、スドラの家に向かうのはようやく2度目となる。いつも厳しい無表情をしたプラティカが心なし浮かれているように見えるのは、ユン=スドラを始めとするスドラの人々と親密な関係を築いた証なのであろうと思われてならなかった。


「それではあらためて、晩餐の支度に取りかかりましょう」


 俺とサウティの血族の面々は、大事な家人の晩餐のために、再び調理刀を取り上げる。その中で、サウティ分家の末妹たる娘さんが、熱のこもった様子で俺に呼びかけてきた。


「アスタ。さきほどの勉強会というものは、わたしたちにとって得難い時間となりました。アスタたちは、毎日こうして修練を積んでいるのですね?」


「はい。特別な仕事でも入らない限りは、そうですね。ただし、参加できる人数には限りがありますので、顔ぶれは日ごとに変わっています」


「これほどの修練を積んでいれば、さぞかし上達も望めるのでしょう。ファの近在に住まっている氏族の人々を、心より羨ましく思います」


 そうしてふっと息をついてから、彼女ははにかむように微笑んだ。


「ところで……アスタは間もなく19歳となるのですよね? それでしたら、この場にいる3名はすべて年少となります。どうぞ他の氏族の女衆と同様に、気安くお声をおかけください」


「あ、そうですか? やはり族長筋ということで、敬意を払うべきかと思ったのですが」


「でも、ルウの血族の方々には気安くお声をかけられているでしょう? それともやはり、アスタにとってルウというのは特別な存在なのでしょうか?」


 そんな風に言われてしまうと、固辞するのもなかなか難しい。もちろんルウの方々とはとりわけ親密な関係を築かせていただいているものの、そこで区別をつけたくはなかった。


「では、そのように善処いたしましょう。……最初にかしこまっちゃうと、なかなか修正が難しいんだけどね」


「それでしたら、最初の日に告げておいてよかったです」


 と、サウティの末妹はくすくすと笑う。確かに彼女たちは一様に落ち着いた雰囲気を有していたが、みんな15歳から17歳ていどの少女らしい容姿をしていた。


「森辺では、けっこうこうやって言葉づかいを改めさせられることが多いんだよね。やっぱり年長の男衆が丁寧な言葉づかいをするっていうのが、習わしにそぐわないことなのかな」


「それもあるのでしょうが、やはりよそよそしさを感じてしまうからではないでしょうか。アスタがすべての女衆に丁寧な言葉を使っていたならば、それほど気にならなかったかもしれません」


「えー、そうかなあ? わたしはやっぱり、それでも気になったと思うけど」


 と、口をはさんできたのは、ダダの長姉だ。彼女はこの中で最年長の、17歳であるらしい。彼女も俺に対しては丁寧な言葉づかいであったが、よそよそしさを感じることはまったくなかった。


「何にせよ、アスタに一歩近づけたような心地で、とても嬉しく思います。やはり他の氏族でも、そういった声があげられた上で、言葉づかいが改められたのですか?」


「だいたいは、そんな感じかな。そういう要請がなかったザザのお人らには、今でも丁寧な言葉づかいだしね」


「そうなのですか? アスタが気安くお声をかけてくださったら、その女衆もきっと喜ぶと思います」


 俺はスフィラ=ザザの冷徹な面持ちを思い出しながら、「いやあ、どうだろう」と答えてみせた。


「そのお人は同い年の弟さんがいて、そちらにも丁寧な言葉を使ってるから、片方だけ言葉づかいを改める気にはなれないかなあ」


「では、弟のほうも気安くお声をかけてみては?」


「いやいや。そちらは次代の族長っていう身分だし、あんまり年少って雰囲気でもないんだよね」


 すると、無言でこのやりとりを聞いていたヴェラの次姉が、ふっと顔を上げた。


「たしかアスタは、わたしの兄と同い年なのですよね。兄にも気安くお声をかけてくださったら、きっと喜ぶと思います」


「いやあ、ヴェラの家長もなかなかの貫禄だから、ちょっと気が引けちゃうなあ。……そうそう、同い年であるドムの家長にも、俺は丁寧な言葉を使っているしね。たとえ年少や同い年でも、本家の家長であるお人たちには敬意を払うべきなんじゃないのかな」


「そうですか。残念です」と白い歯をこぼすヴェラの次姉は、どこか悪戯小僧っぽい表情になっていた。ただおしとやかなだけの娘さんではなさそうだという第一印象は、どうやら当たっていたようだ。


 そんな感じにほどよく交流を深めながら晩餐の支度を進めていると、外がずいぶん暗くなってきたあたりで、ようやくアイ=ファたちが戻ってきた。

 ジルベの嬉しそうな声でそれを知らされた俺たちは、作業の手を止めて戸板に向かう。まだしとしとと霧雨が降っていたので、失礼ながら顔だけを覗かせていただいた。


「お帰り、アイ=ファ。……うわあ、これまたすごい収獲だな」


 ダリ=サウティとドーンの長兄がそれぞれ1頭ずつのギバを抱えており、アイ=ファとヴェラの家長はそれぞれギバの生皮を小脇に抱えている。血抜きに失敗したギバは、その場で毛皮を剥いで森に返してきた、ということなのだろう。


「無事なお帰りを祝福いたします。……わずか4名の狩人で、4頭ものギバを狩ることがかなったのでしょうか?」


 俺の隣から顔を覗かせたサウティの末妹も、目を丸くしてしまっていた。

 100キロサイズのギバを軽々と担ぎながら、ダリ=サウティは「うむ」と応じる。


「今日はべつだん、ギバ除けの実の効果があったようにも思えんのだがな。これはひとえに、アイ=ファと猟犬たちの卓越した力の成果であろう」


「いや。私たちが1日に4頭ものギバを狩ったことはない。そもそもそちらのギバを仕留めたのは、ダリ=サウティ自身ではないか」


「あれだけ猟犬が上手く立ち回ってくれたのだから、俺はとどめを刺したに過ぎない。……どうにも我々は、ギバ寄せの実だけではなく猟犬の扱い方から手ほどきしてもらう必要があるのやもしれんな」


 ダリ=サウティは目を細めて微笑しながら、そんな風に言っていた。


「ともあれ、まずはギバの処置だな。お前たち、美味い晩餐を期待しているぞ」


 後ろに控えていたヴェラの次姉とダダの長姉も「はい」と声をそろえていた。

 狩人たちは解体部屋に消え、俺たちもかまどの間に引っ込むことにする。


「たしか最初の日にも、族長らは3頭ものギバを狩っていたはずです。ファの狩り場には、それほど多くのギバがやってくるのでしょうか?」


「どうだろう。俺は狩り場のことなんて、さっぱりわからないんだけど……猟犬がやってきてからは、1日に2頭のギバを狩ることも珍しくなくなってたね」


「1日に2頭? アイ=ファひとりでですか?」


「うん。アイ=ファはひとりで2頭の猟犬を扱ってるけど、その成果が目覚ましいみたいだね。あとはもちろん、アイ=ファ自身の腕が上がってるっていうのもあるんだろうけどさ」


 俺がアイ=ファに拾われた当初は、数日に1頭というペースであったのだ。それが1日に1頭を狩るほうが多くなってきて、さらに猟犬を迎えたのちは、1頭か2頭が当然というペースにまで上昇したのだった。


「アイ=ファというのは、本当に優れた狩人であるのですね。それで見た目は、あのように凛々しくて……わたしは、憧れてしまいます」


 そう言って、サウティの末妹はしみじみと息をついていた。

 俺としては、誇らしい限りである。


「でもやっぱり、4頭ものギバを狩れたのは、サウティの方々のおかげだよ。ダリ=サウティがすごい力をお持ちになっているということは、俺も先日の騒ぎで目の当たりにしているからね」


「ああ、アスタたちはギバやムントに襲われたのですものね。本当に、深手を負う人間がいなかったのは幸いです」


「いやいや、兵士のお人は何人も深手を負ってたんでしょう? そこを分けて考えるのは、王国の民としてよくないんじゃない?」


 と、最年長たるダダの長姉がそんな風に言ってから、にっと口をほころばせた。


「なんて、あたしも森辺の同胞が無事だったって聞いて喜んじゃったから、人のことは言えないんだけどさ。でも、魂を返す人間がいなくてよかったよね」


「ええ、本当に。気の毒なのは、理由もなく魂を返すことになったギバやムントたちです」


 そうしてサウティの末妹は、ギバたちの冥福を祈るようにまぶたを閉ざした。

 その場で魂を返したギバたちは、角や牙や毛皮を収獲されることなく、森の奥地や谷底に返されたのだ。それらのギバから収獲を得ることは、禍々しき運命を肯定するも同然の行いであると、ダリ=サウティやドンダ=ルウたちはそんな風に考えたようだった。


「それじゃあ、晩餐を仕上げようか。みんなの喜ぶ顔が楽しみだね」


 俺がそんな風に号令をかけると、3名の女衆らは気を取りなおしたように「はい」と応じてくれた。

 やはり先日の一件は、誰の胸にも小さからぬ影を落としているのだろう。邪神教団などというおぞましき一団に母なる森を穢されて、森辺の民が何も感じないはずがないのだ。


 だがしかし、それで鬱屈するような人間は存在しない。森辺の民はどのような苦難でも乗り越えて、それを我が身の力とすることができるのだろう。いまだそれほど親睦も深まっていない彼女たちからも、俺はそんな力強さをぞんぶんに感じ取ることができていた。


                    ◇


 それからしばらくして、ようやく晩餐の開始であった。

 ファの家人が2名に、サウティの血族が6名。これこそ、当初に予定されていた顔ぶれである。10日間ほどの時を経て、俺たちはついに想定通りの親睦の場を設けることがかなったのだった。


「それでは、晩餐を始めたく思う」


 家長たるアイ=ファが食前の文言を唱えて、ダリ=サウティたちがそれを復唱する。7日前にも同じような光景を目にしていたが、あの夜には森辺の同胞ならぬ人々もどっさり控えていたので、やはり新鮮な心持ちだ。


「では、いただくとしよう。……まるで生誕の日の祝いのように、豪勢な晩餐だな」


「うむ。ドーンの家では、生誕の日でもこうまで豪勢ではなかったように思うぞ」


 朗らかな気性をしたドーンの長兄は、にこにこと笑いながらそのように言っていた。いつも厳しく引き締まった顔つきをしているヴェラの家長とは、なかなか好対照だ。


「それに、見慣れぬ料理ばかりであるようだな。見慣れぬばかりでなく、嗅ぎ慣れぬ香りも漂っているように感じられるぞ」


「はい。そちらではまだあまりゲルドの食材も使われていないという話であったので、それを主軸にして献立を考えてみました」


 主菜は豆板醤のごときマロマロのチット漬けを使った炒め物で、ギバのバラ肉とアリアの他に、モヤシのごときオンダとパプリカのごときマ・プラ、それに小松菜のごときファーナを使っている。本来であればキャベツのごときティノやピーマンのごときプラも使いたかったところであるが、それらは雨季で販売休止中であるのだ。


 主食は『炊き込みシャスカ』であり、こちらには山椒のごときココリをたっぷり使っている。ついでに雨季の野菜であるレギィの存在も光るひと品であるため、初日の晩餐には相応しかろうと考えた次第だ。


 汁物料理はミソ仕立てのギバ汁で、こちらは申し訳ていどに、長ネギのごときユラル・パを生鮮のまま刻んだものをひとつまみ添えていた。そのひとつまみがかけがえのない彩りを添えていると思ってもらえたら幸いである。


 あとはカボチャのごときトライプのそぼろ煮に、タウ油と魚醤を合わせて使っている。ゲルドの送別会には間に合わなかったが、それ以降の勉強会で成し遂げた成果となる。やはりタウ油と魚醤の組み合わせというのは、さまざまな料理に応用がきくようだった。


 そして、最後のささやかな付け合わせだ。

 主菜の『マロマロ炒め』を幸せそうに頬張っていたドーンの長兄が、その存在にようやく気づいた様子で「うむ?」と目を丸くした。


「これも、見慣れぬ料理だな。このままかじればいいのだろうか?」


「はい。口休めとして単品で食べても、他の料理と一緒に食べても、悪くないかと思います」


 それは本日の勉強会で開発した、『レギィの浅漬け』であった。

 城下町におけるレギィの扱い方から着想を得た、ひと品だ。


 厚めのせん切りにしたレギィを軽く煮込んで調味液に漬けただけの、至極簡単な料理である。調味液の内容は、タウ油と魚醤と砂糖とママリア酢、それにニャッタの蒸留酒をひと煮立ちさせたもので、あとから細かく刻んだチットの実を散らしている。


 じっくり煮込んで味をしみこませた煮物の料理とは、一線を画しているはずだ。

 レギィは軽く煮込んだのみであるので、シャキシャキとした食感が好ましい。それが調味液の塩気や酸味と相まって、実に清涼なる食べ心地なのである。


「ふむ……なかなか奇妙な味わいだな」


 そう言って、ドーンの長兄はにこやかに微笑んだ。


「だが、ギバ肉やシャスカと一緒に口にすると、また新たな味わいが加わって、いっそう豪勢に感じられる。なかなか不可思議な料理であるようだ」


「はい。アスタが勉強会という場ですぐさまこのような料理を思いつくさまを見て、わたしもたいそう驚かされてしまいました」


 ダダの長姉がそのように応じると、ドーンの長兄は「ほう」とまた目を丸くした。


「これは、今日になって思いついた料理であるのか? それはなんとも……驚くべき話だな」


「いえいえ。城下町で料理人の助手をされている方が、きっかけを与えてくれたのです。まだまだ改良の余地もあるでしょうしね」


「ああ、今日は城下町からも客人を招くという話だったな。俺も挨拶をさせてもらいたかったものだ」


「明日の朝方にはファの家に戻ってくるはずですので、是非そのときにでも」


 どうやらドーンの長兄というのは温厚なばかりでなく、好奇心も旺盛であるようだ。なんとも頼もしい限りである。


「それで、かまど仕事の手ほどきはどうであったのだ? 最初の日からこのように問い質すのは性急かもしれんが、何か得るものはあったのだろうか?」


「ええ、もちろん。ですがやっぱり、わずか5日ではとうてい学びきれないように思います。かなうことならば、10日でも20日でも手ほどきしていただきたいぐらいです」


 黙然と食事を進めていたアイ=ファが、ぴくりと肩を動かした。

 それを目ざとく見て取ったのか、ダリ=サウティが小さく笑い声をあげる。


「いくら何でも、そのように長きの時間を滞在させてもらうわけにもいくまい。アスタたちにも都合があるし、お前の家族だって帰りを待っているのだぞ」


「でも、ザザとルウの血族などは、半月やひと月にもわたって家人を貸し合っていたのですよね?」


「こちらは家人を貸し合っているのではなく、一方的に滞在を願っているのみであるからな。おのずと、事情も異なってこよう」


 ダダの長姉の率直な物言いにも、ダリ=サウティは鷹揚に答えている。サウティの血族の風通しのよさを表している一幕であるようだった。


「それにお前たちは、常日頃からルウの眷族にも手ほどきを願っているはずだな。それとはやはり、趣が異なるということなのであろうか?」


「そうですね。リリンやムファの方々も、それは親切に手ほどきしてくださるのですが……うーん、なんて言えばいいんだろう?」


 ダダの長姉に水を向けられて、サウティの末妹も「そうですね」と思案を巡らせた。


「なんというか……アスタは新参のわたしたちにも分け隔てなく意見を求めてくださるので……ただ手ほどきを受けているというだけでなく、自分でものを考える力をも鍛えていただけているような心地になるのです」


「うん、そうそう! アスタに『どう思う?』なんて聞かれてしまったら、失望されたくありませんので! こちらも必死に頭を使うことになるのです!」


「ほう」と考え深げに目を細めつつ、ダリ=サウティが俺のほうに向きなおってきた。俺もダリ=サウティに失望されたくなかったので、自分なりの答えを返してみせる。


「それこそ、手ほどきと勉強会の違いであるのでしょう。ダリ=サウティには普段通り振る舞ってほしいと言っていただけたので、俺は普段通りに勉強会を進めていたのです。これがもし手ほどきを願いたいというお話であったのなら、俺もリリンやムファの方々と同じように振る舞っていたと思いますよ」


「なるほど。アスタがそういう姿勢であるからこそ、ルウやディンやナハムには、あれほどのかまど番が育つことになったのだな。これは、目から鱗でも剥がれたような心地だ」


 そう言って、ダリ=サウティは魅力的な笑顔を見せてくれた。


「我々も、心して狩りの仕事に励まなければならんな。アイ=ファからはギバ寄せの実と猟犬の扱い方を学び、こちらはギバ除けの実の扱い方を伝えねばならんのだ。ただ漫然と森に入っているだけでは、きっと成果を出すことも難しいのだろう」


 すると、アイ=ファがいぶかしそうに首を傾げた。


「猟犬は、サウティの家でも扱っているのであろう? 今さら私から学ぶことなどあるのであろうか?」


「うむ。我々は、猟犬を1頭ずつ扱っているからな。2頭の猟犬を同時に扱うアイ=ファの手際には、いささかならず驚かされることになった。だからまあ、さらに多くの猟犬を迎えぬ限り、なかなかアイ=ファの手際を真似ることも難しいのであろうが……いずれは、新しい猟犬も届くはずだからな。それに備えたく思う」


「俺も、同じように考えていた。すべての組が2頭ずつの猟犬を連れていれば、今よりもさらに安全に多くの収獲をあげることがかなうはずだ」


 と、アイ=ファと同様に沈黙を守っていたヴェラの家長が、にわかに発言する。


「それにアイ=ファは、猟犬を手足のように扱っているように思う。どうしたらあのように息を合わせることがかなうのか、それを学びたいとずっと考えていた」


「うむ? 猟犬は賢いので、こちらが悩むこともなく十全の働きをしてくれよう?」


「いや。少なくとも俺たちは、アイ=ファほど見事に猟犬を使いこなしてはいない。何か、秘訣があるはずだ」


 アイ=ファはちょっと難しい顔になりながら、ヴェラの家長を見返した。


「秘訣と言われても困るのだが……まず、使いこなすという言葉に違和感を覚える」


「なに? それはどういう意味であろうか?」


「お前とて、女衆に対してかまど番として使いこなすという言葉は使うまい。ヴェラの家では、猟犬を家人ではなく道具と見なしているのか?」


 ヴェラの家長は、意表を突かれた様子で目を見開いた。


「いや……そのようなつもりではなかったのだが……猟犬とは、家人であり刀でもあるような存在であろう? 使いこなすという言葉は、そこまで不相応なのであろうか?」


「ならば狩人とて、その家にとって刀のごとき存在であろう。女衆らがお前を狩人として使いこなすなどと言い出したら、腹が立たんのか?」


 ちょっと機嫌を損ねてしまったのか、アイ=ファは遠慮のない物言いになっていた。


「猟犬が思うように動いてくれないと感じるならば、それは心が通じ合っていない証なのではないだろうか? また、猟犬が道具扱いされているのであれば、それも当然の話であるように思えてならん」


 ヴェラの家長は厳格だが、善良な気質でもある。よって、アイ=ファの指摘に気分を害するのではなく、むしろ当惑した様子でダリ=サウティを振り返った。


「族長ダリ=サウティよ、俺は何かを間違っているようです。いったい何を間違ってしまったのでしょう?」


「そうだな。それはおそらく、家における猟犬の扱い方の差異からくるものであるのだろう」


 ダリ=サウティは普段通りの穏やかさで、アイ=ファとヴェラの家長の姿を見比べた。


「アイ=ファよ。俺たちも、決して猟犬に情愛を抱いていないわけではない。だが、ファの家とはいささか事情が異なるのだ」


「ふむ。何が異なるのであろうか?」


「たとえばヴェラには、1頭の猟犬しか存在しない。その1頭はヴェラのすべての家の家人として、持ち回りで面倒を見られているのだ。狩りの際には日ごとに交代で猟犬を扱い、眠る場所も夜ごとに変わる。すべての家人が等しく絆を深められるように、そう取り決めたのだ。……それではやはり、同じ家の家人として毎日を猟犬と過ごしているアイ=ファとは、心持ちが違ってくるのではないだろうか?」


 そこでダリ=サウティは、記憶をまさぐるように視線をさまよわせた。


「たとえばだな……ファの家は何頭ものトトスを買いつけていたが、同じ家で過ごしているのは、そこのギルルというトトスのみであろう? 他の家で過ごしているトトスたちとは、自然に情愛の深さも異なってくるはずだ」


「ふむ……」


「ヴェラにはふたつの分家があるため、猟犬とともに過ごせるのは3日に1度となる。また、その猟犬はヴェラのすべての人間の家人であるため、自分だけの家族と見なすことは許されない。2頭の猟犬を家族と見なしているアイ=ファとは、やはり事情が異なるのであろうと思う」


「相分かった。私は私で、自分の考えや心情のみにとらわれていたのだな」


 そう言って、アイ=ファはヴェラの家長に目礼をした。


「さきほどは、事情もわきまえずに非礼な言葉を発してしまった。ヴェラの家長に詫びさせてもらいたい」


「いや、何も詫びられる筋合いではないように思うのだが……」


「しかし私は、あらぬ怒りをぶつけてしまった。詫びずに済ませることはできまい」


「お、俺はアイ=ファに怒りをぶつけられていたのか?」


 ヴェラの家長はいっそう困惑した様子を見せ、隣の妹さんがくすくすと笑い声をあげた。


「兄さんは猟犬を道具扱いしていたのだから、アイ=ファが怒るのも当然でしょう? 兄さんこそ、もっと相手の心を思いやるべきよ」


「う、うるさいぞ。家の平穏を乱しておいて、偉そうな口を叩くな」


 生真面目な兄とこまっしゃくれた妹の、微笑ましいワンシーンである。

 というか、やはりこの妹さんは、ただ清楚なだけの人柄ではないようだった。


(やっぱりサウティの血族にも、色んな人がいるんだなあ)


 そんな当たり前のことを、俺はしみじみと噛みしめることになった。

 真っ直ぐな気性をしたヴェラの家長に、のほほんとしていて人当たりのいいドーンの長兄、しっかり者だが少し幼いところのあるサウティ分家の末妹に、普段は物静かだが時おり茶目っ気を見せるヴェラの次姉、そして身内には遠慮がなくて姉御肌な気質を思わせるダダの長姉、と――たった1日の交流だけでも、これだけの多様さが浮き彫りにされたのだ。5日間の滞在期間が終了する頃には、もっとさまざまな顔を見せてくれるはずだった。


(それに……ダリ=サウティも)


 と、アイ=ファの隣でギバ汁をすすっているダリ=サウティの大きな姿を、こっそり盗み見る。

 ダリ=サウティが同じ部屋にいるだけで、なんだかとてつもない安心感だ。

 ただ狩人としてだけでなく、俺はダリ=サウティの人間としての器の大きさというものを感じてやまなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あぁ、他の家の猟犬たちもブレイブのように「もう一頭いれば…」って思ってるのかも知れませんね(・∀・*)
[一言] ウホッ。そこはかとなくBL臭ががが。
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