サウティの血族①~仕切り直し~
2021.1/4 更新分 1/1
邪神教団にまつわる騒乱が終結し、チル=リムとディアはシムを目指して出立し――そうして俺たちは、平穏な日常に回帰することになった。
俺は左肩に手傷を負ってしまったが、アリシュナの診断通り、雑菌による後遺症も表れなかったので、翌日から宿場町の商売を再開させることがかなった。騒乱の当日には臨時休業の憂き目にあってしまったので、宿場町の人々を安心させるためにも、屋台の商売を敢行することになったのだ。
アイ=ファは最後まで心配そうな顔をしていたが、俺の傷は本当に軽微なものであった。さすがに荷物の運搬などではしんどい部分もあったので、そこは他の女衆の厚意に甘えることになってしまったものの、料理を作るのに支障はなかったし、荷車の移動でも傷に響くことはなかった。なおかつ気分のほうは昂揚しているぐらいであったので、とうてい家でじっとしていることなどできなかったのだ。
そうして俺が宿場町に下りると、さまざまな人々からねぎらいの言葉をかけられることになった。
俺はもう、3日も森辺に閉じこもっていたのだ。なおかつ、城下町からの帰りがけにドーラの親父さんと出くわしたダリ=サウティによって、俺が軽傷を負ったという話も伝えられてしまっている。これで俺だけ商売を休んでしまったら、宿場町の大切な人々に無用の心配をかけてしまっていたはずであった。
「本当に、アスタが無事でほっとしたよ。見たところ、傷の具合も心配なさそうだな」
「まったくさー、あんまり心配かけないでよね! 森辺の狩人はお強くっても、アスタはそうじゃないんだから!」
「でもでも、アスタおにいちゃんが無事でよかったー!」
ドーラの親父さんにユーミやターラ、ミラノ=マスにテリア=マス、レビにラーズ、ベンにカーゴ、ナウディスにネイル、タパスにジーゼ、サムスにシル――と、名前をあげたら、キリがない。それに、名前を知らない宿屋のご主人や屋台のお客さんがたまで、こぞって俺の身を案じてくれていたのだった。
「俺の家なんざ、貧民窟に片足を突っ込んでるような場所だからな。こっちでは死人が出てたぐらいだし、森辺は大丈夫なのかって気が気じゃなかったよ」
そんな風に言ってくれたのは、比較的新しいつきあいとなる宿場町の若者、ダンロである。トトスの早駆け大会で入賞したり、掏摸を働いた人物をたしなめたりしてくれた、あの若者だ。
「もちろん森辺のお人らは、衛兵なんか目じゃないぐらい腕が立つんだろうけどさ。アスタなんてのは、まあ……せいぜい俺らと変わらないぐらいの腕っぷしだろう? 邪神教団なんていうわけのわからない悪党どもなんざ、近寄るもんじゃねえさ」
ダンロは、そんな風にも言っていた。
邪神教団というのは永続的に警戒するべき存在であるため、その悪行はジェノスのみならず近在の領地にまで、しっかりと周知されていたのだ。
ただし、チル=リムに関しては、やはりオブラートに包まれた形で布告されていた。邪神教団のもとから逃げた彼女は、たまたま俺たちの荷車に身をひそめていたために、森辺でかくまわれることになった――と、そのように伝えられていたのだ。
もちろんそれは、森辺の集落や俺という存在が、邪神教団に注目されないようにするための配慮であった。
「邪神教団の恨みなど買ったら、それこそどのような災いを招き寄せるかもわからないですからね。あくまでも、教団の信徒を討ち取ったのはジェノスの兵士たちであり、森辺の民は降りかかる火の粉を払ったに過ぎないという体裁を保つべきでしょう」
フェルメスなどは、そのように語らっていたという。
それを俺に教えてくれたのは、城下町まで事後報告に出向いたダリ=サウティであった。
ともあれ、俺たちにとっては何よりありがたい配慮である。
邪神教団などというおぞましい存在には、未来永劫関わりたくない――それは、誰にとってもまぎれもない真情であるはずだった。
チル=リムの処遇に関しても、カミュア=ヨシュが画策した通り、ただ「シムに追放された」とだけ伝えられている。彼らが《ギャムレイの一座》のもとを目指しているという真実を知っているのは、あの夜に晩餐をともにした人々だけであるのだ。
ギャムレイやピノたちであれば、きっと行き場のないチル=リムに居場所と安らぎを与えてくれるだろう。
そもそもあの一座の座員たちは、そのほとんどが行き場をなくした人間の集まりであるのだと、カミュア=ヨシュはそんな風にも言っていた。
いずれチル=リムが《ギャムレイの一座》の座員になることを許されれば、また太陽神の復活祭あたりで再会することができるかもしれない。
そのように考えるだけで、俺は深い喜びを噛みしめることができた。
◇
そうして、平穏に日々は流れすぎ――赤の月の27日である。
チル=リムたちがジェノスを出立して7日目となるその日に、ダリ=サウティたちが再びファの家にやってきた。
「今度こそ、ファの家と正しく絆を深めさせてもらいたく思うぞ。……まあ、先の一件でも大いに絆を深められたように思わなくもないが、狩人とかまど番の仕事をともにするというのが、もともとの目的であったわけだしな」
ダリ=サウティはそんな風に言いながら、鷹揚に笑っていた。
同行したメンバーは、前回と同じ顔ぶれの5名である。ヴェラの若き家長とその妹、ドーンの長兄、サウティ分家の末妹、ダダの長姉という面々だ。
この頃には、俺の負った手傷もすっかりよくなっていた。というか、俺の負傷がほぼ完治して、薬や包帯の処置をする必要もなくなったと聞き及んで、この日から交流の儀が再開されることになったのである。
期間は、今日から5日間。前回は初日からハプニングを迎えることになってしまったので、また最初からの仕切り直しだ。妹の行く末を思い悩んでいるヴェラの家長を除く面々は、みんな和やかな顔をしていた。
「チル=リムをかくまっている間、女衆の方々はフォウの家で夜を明かしていたのですよね。その間に、何か進展はなかったのでしょうか?」
俺はこっそりそのように尋ねてみたが、ダリ=サウティは同じ表情で微笑むばかりであった。
「ヴェラの次姉が懸想しているのはフォウの分家の男衆だが、あの騒ぎの際には本家で夜を明かしていた。それでは、そうそう顔をあわせる機会もなかったろうよ。この次にはフォウの血族とも家人を貸し合う算段を立てているのだから、それまでは大人しくしておいてもらわんとな」
自分の血族が血族ならぬ相手と懸想し合ってしまっているというこの事態も、ダリ=サウティに苦悩の影を落としている気配はない。彼は以前に宣言していた通り、ただ公正な目で両者の心情を見定めようとしているのだろう。
俺はチル=リムを巡る騒乱を経て、ダリ=サウティに対する信頼と親愛をいっそう深めていた。ダリ=サウティのように沈着で思慮深い人物が三族長のひとりであることを、心から得難く思う。そんなダリ=サウティとまたしばらく同じ家で過ごせるというのは、俺にとっても大きな喜びであった。
「では、俺たちは仕事に行ってまいります。夜には美味しい晩餐を準備してお帰りをお待ちしていますので、みなさんもどうかお気をつけて」
ということで、俺たちはその日も宿場町へと出立した。
昨日が休業日であったため、今日からまた5日間の営業日である。
騒乱の日から7日が経って、宿場町も完全に平穏を取り戻している。霧雨にけぶる町並みも、今ではすっかり見慣れた情景だ。雨季に入って20日と少しが過ぎて、この陰鬱な季節もようやく中盤に差し掛かったあたりであった。
サウティの血族たる女衆らは俺たちに同行し、屋台の商売を見物したり、無償で皿洗いを手伝ってくれたりしている。プラティカも、まずは宿屋の屋台村で料理を物色してから、俺たちの屋台に舞い戻ってくる。すべてが平常通り、世はなべてこともなしといった様相だ。
そんな中、多少なりとも平常と異なる意味合いを帯びた客人たちが、立て続けに俺たちの屋台を訪れることになった。
最初のひとりは、トゥール=ディンから菓子を買いつけに来た、ジェノス城の従者である。
その人物が立ち去った後、トゥール=ディンは屋台の商売を同じディンの女衆に任せて、俺のほうにやってきた。
「あの、アスタ。さきほどの御方が、エウリフィアからの言伝てを携えてこられたのですが……仕事が終わったら、ルウの方々と一緒に話を聞いていただけますか?」
「うん。もしかしたら、茶会のお誘いかな?」
「はい。トライプを使った新しい菓子を考案できたら、ぜひ茶会で厨を預けたいと……エウリフィアは、そのように仰っているそうです」
そんな風に語るトゥール=ディンは、ほんのちょっぴりだけもじもじしているようだった。
「そろそろそんな時期じゃないかと考えていたよ。でも、トゥール=ディンはどうしてもじもじしているのかな?」
「あ、いえ、アスタはまだ肩の傷が治ったばかりですし……城下町まで出向くには、もう少し時間が必要なのではないかと思って……」
「もう包帯も取れたんだから、そんな心配はご無用だよ。ていうか、トゥール=ディンとリミ=ルウさえそろっていれば、あちらも文句はないんじゃないのかな?」
「い、いえ! わ、わたしがアスタの同行を願っているのです。アスタがいてくれたら、オディフィアもきっと喜んでくださるでしょうし……わたし自身、アスタとともに出向きたいと考えているので……」
トゥール=ディンにそんな風に言われたら、俺も心からの笑顔を返すしかなかった。
「俺はまったく問題ないよ。ただ、今はサウティの方々を家に招いてるところなんで、5日後以降にしてもらえたらありがたいかな」
「は、はい! ありがとうございます!」
トゥール=ディンは大きく頭を下げてから、外套の裾をひるがえして屋台に戻っていった。その頭の上に音符の記号が幻視できてしまうのは、オディフィアを連想したためであろうか。そのようなものを幻視するまでもなく、最近のトゥール=ディンは以前よりもよほど感情が表に出るようになっていた。
それから多少の時間差でやってきたのは、ヤンの弟子たるニコラであった。
彼女は現在も、数日置きにプラティカの森辺巡りに同行していたのだ。
ただし、本日は彼女もメッセンジャーとしての役目を携えていた。
「あの、アスタ様にご相談があるのですが、よろしいでしょうか?」
「はいはい。どういったご相談でしょう?」
「実は……先日、朝の市場でシリィ=ロウ様およびロイ様と顔をあわせることになったのです。その際に、おふたりがファの家を訪れたいと仰っていて……アスタ様に了承をいただけるかどうか、わたしが言伝てを頼まれた次第なのです」
いつも通りの仏頂面で、ニコラはそのように言いたてた。
「それはおそらく、わたしがプラティカ様とともに森辺の集落にお邪魔させていただいていることを踏まえての申し出であるのでしょう。アスタ様にご面倒をおかけする結果になってしまい、心よりお詫びを申し上げます」
「いえいえ、お詫びには及びませんけれど……おふたりは、どういった目的で来訪を願っているのでしょう?」
「おそらく、マルフィラ=ナハム様の料理に衝撃を受けて、森辺の料理に対する関心が深まったのではないでしょうか。わたしもあの料理には、心から感嘆することになりましたので」
「なるほど。でも、ナハムではなくファの家への来訪を希望しておられるのですか?」
「はい。それはもちろん森辺の料理について学びたいと考えたのでしたら、アスタ様のもとを訪れたいと願うのが当然のことなのでしょう。マルフィラ=ナハム様とて、アスタ様からの手ほどきなくして、あれほどの料理を生み出すことはかなわなかったのでしょうから」
それは何とも面映ゆい限りであったが、もちろんロイとシリィ=ロウであれば、こちらも大歓迎である。
「俺個人は大歓迎ですが、まずは家長におうかがいを立てなければなりません。あと、おそらく日取りは5日後以降になるかと思われますが、それで問題ないでしょうか?」
「アスタ様のご都合を優先するのが当然なのですから、問題など生じるはずもありません」
そう言って、ニコラは眼光を鋭くした。
「そして、ここからはわたし個人の願いとなるのですが……わたしもその場に参じることをお許し願えるでしょうか?」
「ええ、もちろん。人数が多いほど、有意義な集まりになるでしょうからね」
「わたしのように不出来な人間は、習うばかりで何の力にもなれないでしょうが……そのように言っていただけることを、心よりありがたく思います」
そうしてニコラもまた深々と一礼してから、青空食堂で食事をしているプラティカのほうに立ち去っていった。
間にとんでもない騒ぎがはさまってしまったが、マルフィラ=ナハムの料理はゲルドの送別会においてさまざまな人々に波紋を投げかけたのだ。その波が、若き料理人たちに新たな動きをもたらしたのだろうと思われた。
(なんというか……止まっていた時間が、また正常に動き出したみたいな感覚だな)
俺は、そんな風にも考えていた。
俺たちはこれまでにも、さんざん危なっかしい目にあってきたように思うのだが――先日の騒ぎは、ひとつレベルが違っていたように思うのだ。
だけど俺たちは、そのおかげでチル=リムにディアというかけがえのない存在と巡りあうことができた。トゥラン伯爵家にまつわる騒ぎや《颶風党》にまつわる騒ぎと同じように、それはただ苦難の時代を過ごしたというだけでなく、俺たちにさまざまな出会いや喜ばしい運命の変転をもたらしてくれるはずだろう。
俺はこの地にやってきて、初めて手傷らしい手傷を負うことになってしまったが、俺にとってはそれさえもが誇らしい勲章のように思えてならなかったのだった。
◇
「それでは、森辺に帰りましょう」
無事に商売を終えた俺たちは、荷車を連ねて森辺の集落に帰還することになった。
プラティカとニコラは、サウティの荷車に乗ってもらっている。ニコラとサウティの血族は初対面となるので、勉強会の前に少しでも交流を深めてもらおうという配慮である。
今日はファの家で勉強会を行う日取りであったので、ルウのみんなとは途中でお別れだ。屋台の当番を受け持った女衆らはのきなみ勉強会への参加を願ったので、3台の荷車は真っ直ぐファの家を目指すことになった。
「ただいま、ジルベ。今日も何事もなかったかな?」
母屋の土間で俺の帰りを待ってくれていたジルベは、ふさふさの尻尾を振りながら「ばうっ」と答えてくれた。すでにニコラの匂いは覚えているので、不審げな様子を見せることもない。横着者のサチが寝所から出てこようとしないのも、いつも通りの平和な情景だ。
そうしてかまど小屋に移動したならば、勉強会の開始である。
「さて。今日はどういう内容にしましょうかね」
そんな風に挨拶をしながら、俺はその場に集結した人々を見回してみた。
ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、ラヴィッツ、ヴィン、ミームの女衆。トゥール=ディンと、ディンの女衆。サウティの血族の3名と、プラティカにニコラ。俺も含めれば、14名の大所帯だ。
「ここ最近は、雨季の野菜にかかりきりでしたけれど……サウティの方々は、これが初めての勉強会ですしね。雨季の野菜もうまく絡めつつ、何か目新しいことができればと思うのですが、いかがなものでしょう?」
すると珍しいことに、マルフィラ=ナハムが「あ、あ、あの」と真っ先に発言を求めてきた。
「せ、せ、せっかくニコラがいらっしゃるので、城下町におけるトライブやレギィの扱い方を教えていただきたく思うのですが、勉強会にはそぐわない話になってしまうでしょうか?」
「ああ、なるほど。それは確かに、興味深いところだね」
俺たちの視線が集まると、ニコラはとても不本意そうに眉をひそめてしまった。
「……わたしは森辺の方々の手際を学ぶために、この場に参じております。そんなわたしが講師役をつとめるというのは……分不相応な上に、本末転倒なのではないでしょうか?」
「いえいえ、もちろんこちらも森辺における雨季の野菜の扱い方というものをお披露目いたします。その上で、おたがいの調理法を比較検討などしてみれば、何か目新しい扱い方の着想が得られるのではないでしょうか?」
「はあ……そういうことでしたら、まあ……ただし、わたしがヤン様のもとで働き始めたのは2年前の灰の月からとなりますので、雨季の野菜に触れたことは去年と本年の2度のみとなります。まったく浅薄な知識しか携えていないということを、どうぞご了承ください」
ということで、まずはニコラの知る雨季の野菜の扱い方というものを教示してもらうことになった。
俺の隣に立たされたニコラは、ぶすっとした顔で言葉を紡ぎ始める。
「まず、レギィに関してですが……ダレイム伯爵家のお屋敷において、もっとも頻繁に出されていたのは蜜漬けであったように思います」
「蜜漬け? レギィを、パナムの蜜に漬けるのですか?」
「はい。パナムの蜜の入手が難しかった時代は、砂糖漬けにされていたそうです。おそらくは、レギィの苦みを緩和させるための調理法であるのでしょう。また、蜜や砂糖に漬けておくとレギィの繊維がほどけますので、食べやすさを求めた結果でもあるのだろうと思われます」
「なるほど。それをそのまま食すのでしょうか?」
「それだけではさすがに簡素に過ぎますので、香草で風味を加えたり、ラマンパの実で和えたりするのが、一般的な作法になるかと思われます。そうして前菜としてお出しするか……もしくは、煮物や汁物料理の具材として使う作法も好まれているようです」
そんな風に言ってから、ニコラはきろりと俺をねめつけてきた。
「アスタ様は先日の祝宴において、レギィをタウ油や砂糖で煮込まれておりましたね。根本の部分は異なっているのでしょうが、レギィを甘く仕上げるという意味においては、それほど掛け離れていないように思います。わたしはあちらの料理も、きわめて美味であるように思いました」
「それはありがとうございます。では、蜜漬けや砂糖漬けの他にも調理法などは存在するのでしょうか?」
「あとは……煮込んだのちに、調味液にひたすという作法も存在いたします。その場合は、砂糖とママリアの酢を使うのが一般的で、最近の城下町ではそこに如何なる調味料を加えるべきか、さまざまな試みが為されているようだと、ヤン様はそのように仰っていました」
「調味料と一緒に煮込むのではなく、煮込んだ後で調味液にひたすのですか。どういう違いが出るのか、ちょっと試してみたいところですね」
すると、ニコラはうろんげに眉をひそめた。
「アスタ様。ひとつだけよろしいでしょうか?」
「はい。何でしょう?」
「わたしは以前……それなりに裕福な暮らしをしておりましたので、雨季にはさまざまなレギィの料理を食べる機会がありました。ですが、アスタ様が祝宴にて出されたレギィの料理ほど美味であったものはないように思います。今さら城下町の作法などを研究される甲斐はないのではないでしょうか?」
「いえいえ、それでは話が終わってしまいます。城下町の方々が森辺の作法を学びたいと考えてくださるのは、とても栄誉なことですが。俺たちだって、城下町から学べることはたくさんあるように思うのですよね」
と、俺は身を乗り出してニコラの言葉を聞いていたマルフィラ=ナハムのほうを指し示してみせた。
「マルフィラ=ナハムだって、城下町の料理を口にしたからこそ、あれほどの料理を考えつくことができたのです。ニコラも、それはご存じでしょう?」
「はあ……ですがそれは、ヴァルカス様の料理なのですよね? ヴァルカス様から学ぶことはあっても、城下町の一般的な料理から学ぶ点などあるのでしょうか?」
「もちろんです。ヤンだって、あれほど見事な料理を作りあげているではないですか。ヤンの弟子であるニコラから学べるなら、俺たちにとって大きな糧になるはずです」
するとニコラは、少なからず当惑した様子で視線をさまよわせた。
「そう……なのですね。ヤン様は、森辺の方々と出会ったことで道が開けたと、常々そのように仰っていましたが……ただ森辺の料理に感化されただけではなく……これまでに学んできた城下町の作法こそが、土台になっているのですよね」
「はい。ヤンの料理は、今でも城下町の作法から外れてはいないでしょう? 森辺の料理から新たな着想を得つつも、ご自身がこれまで学んでこられた城下町の作法というものを大事にしておられるのだと思います」
ニコラはさまよう視線をまぶたの下に押し隠すと、妙に重々しい溜め息をついた。
「自分の見識のせまさに嫌気がさしてしまいます。……どうかさきほどの言葉はお忘れください」
「承知しました。それではそろそろ、実際に料理を仕上げながら、あれこれ検討してみましょうか」
そんな風に答えながら、俺は壁際にたたずむサウティの血族の女衆らの様子をうかがってみた。
とりたてて、そこに大きな表情の変化は見られなかったが――城下町の民たるニコラとの交流は、きっと彼女たちにとっても得難い経験になるだろう。よくよく考えれば、たとえ族長筋の血族であっても、ダリ=サウティのお供にでもならない限りは、城下町の民と顔をあわせる機会さえそうそう存在しないはずであるのだ。
「では、試作の料理を作ってみますね。味の感想はもちろん、作業の工程でも何か疑問や提案があったら、なんでもご遠慮なく発言してください」
「承知しました」という明朗なる声が三重奏で響きわたる。
それを心地好く聞きながら、俺はオレンジ色をしたゴボウのごときレギィの下ごしらえに取りかかることにした。