⑥三日目~営業終了後~
2014.10/4 更新分 1/1
2014.10/8 収支計算表「純利益の合計額」に、ギバ何頭分の利益になるかを追記
その翌日。
営業3日目――の、夕暮れ時。
俺がファの家の広間で大の字で寝転がっていると、戸板が外から2回ノックされた。
「アスタ。私だ」
アイ=ファの声である。
俺は、えもいわれぬ疲労感に包まれた身体を敷布から引き剥がし、かんぬきを外すために玄関口へと向かった。
そうして戸板を開けると、半日ぶりに見る親愛なる家長に「何だその腑抜けた顔は?」と、いきなり悪態をつかれてしまう。
「今日はついに1個も売れなかったのか? そうだとしても、そのように情けない顔をさらすな。不愉快だ」
「ううう。そういうお前はどうだったんだよ? 最近はギバもだいぶん少なくなってきちまったんだろ?」
「1頭、仕留めた。しかし、あちこち余分に傷つけることになってしまい、うまく血抜きをすることはかなわなかった」
「そうか。お疲れ様。怪我もないようで何よりだ……」
「だから、何なのだ、その顔は? 大概にしないと、本当に怒るぞ」
「ちょっと疲れているだけだから気にしないでくれ。お前と一緒にいれば、すぐに元気を取り戻せるさ……」
「たわけたことを言うな。不愉快だから、すぐに改めろ」
容赦もへったくれもない家長様である。
「いったい何があったのだ? お前がそこまで腑抜けてしまうからには、何か事情でもあるのだろう?」
「事情というか何というか……今日は、衛兵を呼ばれる羽目になっちまったんだ」
「何? どういうことだ?」と、いきなり胸ぐらを引っつかまれてしまった。
「お前はいったい何をしでかしたのだ? 真面目に仕事を果たしていたのではないのか?」
「俺は真面目にやってたよ! おかげさまで、今日は40個完売さ! ……だけど、そのせいで衛兵を呼ばれる羽目になっちまったんだ」
「……さっぱりわからん。いいから、わけを話せ」
俺の身体を突き放し、マントを壁にかけ、大刀をたてかける。
そのいつでも凛々しい姿を目で追いつつ、俺はかまどのかたわらまで引き下がって、腰を下ろした。
「今日は店を開くなり、南や東の人たちが集まってきて、あっというまに最初の20個が売れちまったんだよ」
「うむ」
「で、今日は追加分も準備していったから、大急ぎで新しい20個を用意したんだけどな。完成するなり、ターラが親父さんたちの分まで、4個ばかりも買っていってくれたんだ」
「うむ」
「それで、残りは16個……ってところで、例の《銀の壺》っていう商団と、ジャガル人の集団がいっぺんにやってきちまったんだ。それぞれ10名ずつの大所帯で」
「うむ? ……その連中は、店を開くと同時に買っていったのではないのか?」
「違うんだ。朝一番に来てくれたお客さんたちは、その人たちに噂を聞いて買いにきてくれた、初見のお客さんばかりだったのさ。どうも、南の人たちは南の人たち、東の人たちは東の人たちで、あまり顔を合わさないように常宿を決めているらしいんだな。そのそれぞれの宿屋でもって、『ギバ・バーガー』がかなりの話題になったようなんだよ」
「……うむ」
「で、各10名ずつの団体様に対して、商品はもう16個しか残ってなかったから、ぎりぎり先にやってきていた《銀の壺》のほうに10個を売って、南の民のお客さん方には、申し訳ありません残りは6個でございます、と告げたところ――ならばせめて等分に8個ずつ売れ!と騒ぎだしてしまったのだな」
「うむ」
「だけど東のお客さんたちもまったく譲ろうとしなくてさ。……で、騒ぎが全然収まらないもんだから、通行人の皆さんがたに衛兵を呼ばれてしまったというわけだ」
「何だ。そのようなことならば、騒いだ者たちが罰せられるだけではないか」
「うーん、ところがそうはならなかったわけだな。最終的には騒ぎを引き起こした俺がすべて悪いという結論に至り、あやうく宿場町への出入り禁止をくらいそうになってしまったよ」
「……それが都の法なのか?」と、アイ=ファの瞳に怒りの火がゆらめく。
「そ、それは俺にもわからないけどさ。でも、何とかそのあたりのことは説得できたから心配しないでくれ。実際、満足な数をそろえられなかったのは俺の不手際なわけだしな。……その事実だけは、俺も重く受け止めているよ」
「そうか。……それは大変だったな」と、アイ=ファは少しだけ首を振り、芽生えかけていた怒りの火を消した。
「ご苦労だった。……では、腹が減ったぞ、アスタ」
「……容赦ないっすね、家長……」
「ご苦労だったと言っているではないか。お前が疲弊した理由もわかった。……わかったから、その腑抜けた顔はすぐに改めろ」
そんなに腑抜けているかなあと、俺は左右から自分の顔をもみほぐしてみた。
まあ確かに、衛兵の詰め所から解放されて数時間、頭も身体もフル稼働させていたので、残存エネルギーが底を尽きかけているのかもしれない。
こんなときは、栄養摂取だ。
「よし! それでは晩餐の準備に取りかかります!」
「……無駄に明るく振る舞えとは言っていない」
そうですか。
俺は大人しく、完成済みのスープを温めなおすために、かまどへ薪をくべることにした。
「それにしても、わずか3日目で40食もの料理が売れたというのは、目覚しい成果なのではないのか?」
かまどのかたわらに片膝あぐらをかいたアイ=ファが、ちょっと不思議そうに問うてくる。
「それなのに、お前はまたちっとも喜んでいるようには見えないのだが」
「そりゃあまあ、予想以上の売れ行きなのは嬉しいけど、ただ嬉しがっていられる立場でもないからなあ。俺としては、崖っぷちに立たされた心境だよ」
「崖っぷち?」
「俺たちの最終目的は、ギバ肉の味を宿場町に浸透させることだろ? だけどまだ、ジェノス生まれの人たちは、ドーラの親父さんたち4人しか『ギバ・バーガー』を口にしていないんだ。いくら東や南の人たちに好評だからって、彼らは時期を過ぎれば町からいなくなっちまう人たちなんだからさ。これじゃあ小金がたまるばっかりで、ちっとも目的に近づけやしない」
本日の衛兵の取り調べによって、俺はお客さんたちの素性を正確に知ることができた。
シム人の集団は、自分たちで名乗っていた通り、商団《銀の壺》の関係者。祖国である東の王国から、貴金属などの商品を携えて、西や北の町を1年ぐらいかけて巡り歩き、旅をしながら商売をしていく予定なのだという。
そして、ジャガル人の集団は、ちょっと名のある建築屋の一団で、何でもジェノスの宿場町の建物の多くは、彼らがこしらえたものであるらしい。
あの、ギバ肉を全否定してくれた「おやっさん」が責任者で、現在は年に1度の、老朽化した家屋の修繕をおこなう時期なのだそうだ。
「だからな、《銀の壺》や建築屋の人たちは来月いっぱいでみんないなくなっちまうんだよ。それにその他の皆さんだって、あくまで旅の途中であったり出稼ぎに来ている人ばっかりで、ジェノスに定住しているわけじゃない。そんな人々に『ギバ・バーガー』を9割方買い占められて、ジェノスの民の口にはまだ全然届けられていないっていうのが現状なんだ」
「しかし――まずは南や東の民から商品を売っていく、というのがお前の計略だったのではないか?」
「それもまあその通りなんだけど。料理の評判が広まる前に衛兵を呼ばれたりしてたらお話にならないだろ。次に何か騒ぎが起きたら、本当に俺は出入り禁止になっちまうかもしれない。……だからやっぱり、崖っぷちだよ」
衛兵たちや、ミラノ=マスの冷たい目が、今でも心に焼きついている。
やっぱり森辺の民は町の調和を脅かす異端者なのだと、その目は如実に語っていた。
これ以上の下手を打つことはできない。
やっぱりこれは、宿場町を相手取った戦いなのだということを、俺は再認識させられることになった。
「……ようやくいつもの顔つきに戻ってきたな」と、近い距離からアイ=ファの声が述べてくる。
びっくりして振り返ると、いつのまにかアイ=ファが俺のかたわらに立っていた。
「そしてお前は、意外に強欲な人間だったのだな、アスタ」
「ご、強欲?」
「この3日間で、お前はどれほどの銅貨を得たのだ?」
「うん? そりゃまあ3日合わせて70食分なんだから、赤銅貨140枚だよ。初期経費と人件費を日割りにして食材費も差っ引いたら、純粋な利益は赤銅貨77枚分ってところかな」
「それは、わずか3日で6頭分のギバを狩るのと同等以上の稼ぎを得た、ということなのではないか?」
「そんなの比較にならないだろ! どんなに銅貨を稼いだって、ギバの数が減るわけじゃないんだし。狩人の仕事とは別物だよ」
そういえば、10日間を通してのノルマが60食――などという話もあった。
それを3日でクリアーすることになろうとは、予見できなかった俺である。
スープを攪拌する俺のかたわらで、アイ=ファはうっすらと微笑する。
「それは、森辺の人間の考え方だ。石の都の人間は、その銅貨を稼ぐためにこそ働き、汗を流しているのではないか?」
「だから、俺らの目的はそこじゃないだろ? そりゃまあこの銅貨で新しい鍋とか刀とかが買えれば、すごく嬉しいけどさ」
「……だから、強欲だと言っているのだ」
そう言って笑うアイ=ファの瞳は、何だかとても穏やかな光を浮かべているように感じられた。
だけど俺は、まだ腑に落ちない。
「何だよ、予想以上の売り上げを稼いでるのに満足してないから強欲だっていうのか? だとしたら、俺はけっこう心外だぞ?」
「そうではない。銅貨の稼ぎには目もくれず、当初の目的にのみ邁進しているお前を、勝利に対して強欲な人間だと評しているのだ」
「……だったらせめて、負けず嫌いとかにしてくれよ。強欲って言葉は、印象が悪すぎる」
だいぶん温まってきた鍋の中身を攪拌しながら俺が文句を言うと、「わかった」と言いながら、アイ=ファがさらに近づいてきた。
そして、すでにタオルを外していた俺の頭をわしゃわしゃとかき回しつつ、顔を寄せてくる。
「お前は負けず嫌いな人間なのだな、アスタ」
その顔は、にっと白い歯を見せて、悪戯小僧のような笑みを浮かべていた。
アイ=ファにしては珍しい、ちょっとルド=ルウを思わせる笑い方だ。
そもそもそうやってはっきりとした笑顔を見せること自体が珍しいアイ=ファであったので――俺は、大いに驚かされることになった。
「……それはそうと、腹が減ったぞ、アスタ?」
「あ、ああ。こっちは十分温まったかな。肉を焼くから、こいつの移動を手伝ってもらえるか?」
これは、さきほど完成したばかりのギバ・スープである。鍋にもまだ熱が残っていたし、しょせんは2名分のわずかな量なので、すぐに温めなおすことができた。
そうしてそいつをかまどの裏に敷いておいた戸板の上に移動して、新しい鉄鍋をセットして、仕込み済みの木皿を取り上げると、アイ=ファが不思議そうに覗きこんできた。
「今日の晩餐は、何なのだ? 何だか嗅ぎなれない匂いがするが」
「そうそう。今日は新しい食材を購入させていただいたんだよ。食材っていうか、香辛料だけど」
木皿の中では、ギバのバラ肉と肩ロースが赤い液体に浸っている。
果実酒に、こまかく刻んだアリアと、新入りの香辛料ミャームーをあわせた、漬け汁だ。
「ミャームー?」
「そう、ミャームー。あの俺が食べたキミュスの肉饅頭で使われていた香辛料なんだ」
それは、ニンニクとパクチーを合体させたような、なかなか複雑かつ非常に食欲をそそる香りを有する香草なのだった。
ストローぐらいの細さをした緑色の茎根で、生でかじると、無茶苦茶に辛い。そいつもペースト状になるぐらいこまかく刻んで、漬け汁に投入してある。
「ずっと前から興味はあったんだけど、名前も何もわからなかったからさ。今日、ドーラの親父さんに尋ねて、ようやく突き止めることができたんだ。こいつはきっとタラパのソースにも合うんじゃないかな」
そんな風に説明しながら、俺はまず薄めにスライスしておいたアリアを炒めた。
そいつがしんなりしてきたら、薄切りの肉を広げながら投入していく。
とたんに、果実酒とミャームーの香りが室内に広がった。
「どうだろう? この香り、苦手じゃないか?」
「……何だか無茶苦茶に腹が減ってきた」
そうだろうそうだろう。パクチーに関しては俺も素人だが、やはりニンニクの香りは肉を焼く香りと並んで食欲中枢を刺激する双璧だと俺は思っている。
もっとも、俺のいた世界では、その強すぎる匂いのために忌避する人々も少なくはなかったが。ミャームーはニンニクほど食べた後に匂いが残らないし、キミュスの肉饅頭などは女性や子どもにも大いに受け容れられている様子であったので、俺もこの刺激的な香辛料を自分の料理に取り入れる気持ちを固めることができた。
ちなみにこいつは野菜売り場ではなく、岩塩や干物などを取り扱っている店に置いてあり、ルウ家の食糧庫でも見かけなかった食材だ。
「よし。で、肉の表面が焼けてきたら、こいつも投入」と、俺は木皿に残っていた漬け汁もすべて鉄鍋にぶちこんだ。
手順的には、生姜焼きと一緒である。
名前はだから、『ギバ肉のミャームー焼き』とかでいいのかなと、頭の中でこっそり考える。
「アスタ」
「うん?」
「腹が減ってきた」
「ああ、うん、4度目だな。もう完成だから、しばしお待ちを」
肉の中までしっかり火が通ったら、アリアと一緒に木皿に移す。
漬け汁に浸す前にギバ肉には岩塩とピコの葉をまぶしているので、これ以上の味付けは必要ない。
で、鉄鍋に残った汁をあるていど煮詰めたら、そいつを肉とアリアの上にかけて、完成だ。
「あ、焼きポイタンは食糧庫だった。悪い、スープをよそっておいてもらえるか?」
「うむ」
俺は急ぎ足で食糧庫に向かい、朝のうちに焼いておいたポイタンと、そしてさきほど仕込んでおいたティノの千切りを食卓に運搬した。
「これは、ぎばばーがーにも入れている、生のティノだな?」
「ああ。たぶんこの料理にも合うと思うんだ」
生姜焼きには、やはりキャベツの千切りであろう。
だからミャームー焼きにはティノの千切りが合う、はず。
まあ、あくまで異世界育ちの俺の感性でございますが。
「よし! それじゃあ、いただこうぜ!」
「……何だ、お前の皿はずいぶんと肉が少ないではないか、アスタ?」
「ああ、うん。漬け汁で使うアリアとミャームーの割り合いとか、漬けておく時間の長さとかを色々比較してたら、試食でずいぶん肉を食べる羽目になってな。だから、こんなもんで十分なんだ」
俺の言葉に、アイ=ファはけげんそうな顔をする。
「ずいぶんと熱心に取り組んでいたのだな。……もしかしたら、これも宿場町で売りに出す料理なのか?」
「おお、鋭いな! 実はそうなんだ。『ギバ・バーガー』を40個以上も作るのは手間がかかりすぎるから、明日からはこいつも店で出そうと思ってる。食べ方は、こうだ」
ポイタン1個分を使って焼いた直径20センチ強の丸い生地に、まずはどっさり千切りのティノを乗せて、その上に肉とアリアを置き、クレープのように下側を巻いて、完成である。
『ギバ肉のミャームー焼き・ポイタン包み』……いや、長いな。
まあ、店にお品書きを出すわけでもないので、よしとする。
「晩餐だから、アイ=ファは2個な。足りない分のアリアはスープで使ってるから、決して残さないように」
「……晩餐を残す森辺の民など、存在しない」
「うん。ちょっと言ってみたかっただけだよ。さあ、どうぞ」
アイ=ファはうなずき、食事開始の儀式をしてから、そいつを手に取った。
が、俺の目線に気づいて、少し眉をひそめる。
「……人の顔を凝視するな」
「あ、ああ、ごめんごめん。どんな反応をするか気になってな」
「ふん」と、顔をそむけてから、アイ=ファはミャームー焼きに歯をたてた。
やっぱり両手でつかんでいるので、その姿はひどく愛くるしい。
それはともかくとして――お味のほうは、どうだろう?
出来は、悪くないと思う。
生姜も調理酒も醤油もないのだから、生姜焼きの味に近づけよう、と目論んだわけでもないのだが。糖度の高そうな果実酒と、ニンニクっぽい辛味と風味を持つミャームーに浸して焼いたギバ肉は、濃厚かつ甘がらい味をしており、千切りティノや焼きポイタンとの相性もばっちりだと思う。
肉の厚さは5ミリ未満。噛み応えは、それでもけっこうしっかりとしている。火加減を間違うと、町の人間には固すぎると思われる危険性もあるので、要注意だ。
同じように自分の分も作成しながら、俺はアイ=ファに「どうかな?」と問うてみた。
「美味い」と、アイ=ファは相変わらずである。
まあ、美味いにせよイマイチであるにせよ、なかなかそれを言葉であらわしてくれるアイ=ファではないので、それ以上の感想を引き出すのは難しいところであるのだが――
「香りがいい。この肉に合っている。すてーきと同じぐらい、美味い。……すてーきにも、この香りは合うのではないか?」
と、今日は珍しく具体的な感想を口にしてくれた。
「ただ……この甘い味は、すてーきには合わないかもしれない。それに、普通のはんばーぐにはこの香りをつけないでほしい。ぎばばーがーのタラパには……どうなのだろうな。私にはわからない」
「あ、ああ、すごいな? お前がそんなに長々と感想を述べてくれたのは初めてじゃないか?」
しかもその内容は、どれも俺には腑に落ちることばかりだった。
なおかつ、アイ=ファはまだ目を伏せて、何か言葉を探しているような面持ちである。
「それと……美味いは美味いが、やたらと咽喉が渇いてしまうな。もしかしたら……私はここまで味が強くないほうが、もっと美味く感じられるかもしれん」
「ああ、そうか。森辺の民にはちょっと味付けが強かったかもしれない。ごめん、晩餐で出す分は漬け時間をもっと調整してみるよ」
アイ=ファは少し疲れた感じで息をつき、またじろりと俺をにらみつけてくる。
「……私に言えるのは、それぐらいだ。これ以上は聞くな。これ以上考えると、頭が痛くなる」
「わかった。ありがとう。すごく参考になったよ!」
「……しかし、ぎばばーがーの次には、すてーきや普通に焼いた肉を売るつもりだ、と言っていなかったか、お前は? そのほうが、ギバの肉の美味さをはっきり伝えられるはずだ、と」
「ああ。本当はそのつもりだったんだけどな」と、俺は少し居住まいを正す。
「でも、試食で何人かに駄目を出されたって話はしただろ? その人たちはハンバーグの柔らかさだけじゃなく、ギバ肉の風味自体がお気に召さなかったのかなと思って。それで、今まで以上に強い味付けに挑戦してみたんだよ。ギバ肉の美味さを損なわず、それでいてちょっと強い肉のクセを抑えられる食べ方はないかなってね」
「ふむ」
「南の民も東の民と同じぐらいの勢いで買いに来てくれてるけど、あれはたぶん、美味いか美味くないかで大論争になって、それでみんな興味をひかれたんだと思うんだよ。だから、今日は面と向かって文句を言われることはなかったけど、内心では満足していない人もいたんだと思う。下手をしたら、半分ぐらいの人は不満に思っているのかもしれない」
それに、東の民だって、無表情かつ無言であるので、本当のところはどれだけの人数が満足しているかは、計測のしようがないのである。
日に日にお客は増えているが、その内の何人がリピーターであるのかもわからない。特に東の民はみんな風貌が似ている上に、フードで顔を隠している人間が多いため、俺には銀髪のシュミラル氏ぐらいしか判別がつかないのだ。
「まあ何にせよ、そこそこ強い風味を持つタラパソースの『ギバ・バーガー』でも、肉の風味が気に入らない、と仰っしゃるお客さんがいたんだから、肉の風味を前面に押し出したステーキとかより、肉のクセを抑えた料理を先に試したほうがいいのかなと思ったんだ。《キミュスの尻尾亭》でいただいた塩漬け肉なんかはかなり塩からかったから、町の人たちも強い味付けには抵抗はないと思うしな」
「……何だ、しっかり頭は回っているようではないか」
早くも1個目をたいらげてしまったアイ=ファが、じっと俺を見つめやってくる。
「さっきまでの腑抜けた顔は、いったい何だったのだ?」
「え? それはだから、疲れていただけだよ。昼間はあんな騒ぎだった上に、この新しい献立を完成させなきゃいけなかったし。それに、考えることは他にも山ほどあるからなあ」
アイ=ファのために新しいミャームー焼きのポイタン包みを作成しつつ、俺はちょっと身を乗り出した。
「なあ、アイ=ファ。南や東の人たちだけで、まさかここまで商品を買い占められるとは、俺も予想できてなかった。明日は『ギバ・バーガー』とこの新商品で何とかつなぐつもりだけど、これじゃあ根本的な解決にはならないと思う」
「……ふむ?」
「屋台がひとつだと、『ギバ・バーガー』が売れ切れた後にこの『ミャームー焼き』を売る、っていう売り方しかできないからさ。それじゃあ2種類の料理を出す意義もない。……だから、予定がずいぶん早まっちまうけど、屋台をふたつに増やすことを本格的に検討するべきだと思うんだ」
俺の差し出したミャームー焼きを受け取りつつ、アイ=ファは「うむ」と首をうなずかせる。
「お前がそう思うなら、そうすればいい。私はお前の判断を信じる」
「いや、だけど、こいつはけっこうな大事だぜ? 屋台や人手を増やすなら、そのぶん経費もかかっちまうわけだし――」
「だけどそれが、お前にとっては成功への近道だと感じられたのだろう?」
アイ=ファは静かに、俺を見返してきた。
「私はお前の判断を信じる。何度も言わせるな」
「……わかった。ありがとう」
大きくうなずく俺の姿に、アイ=ファはふっと穏やかに微笑む。
「……本当に強欲な男だな、お前は」
「いやだから、強欲って言い回しは――」
「本当に負けず嫌いな男だ、お前は」
それなら、反論のしようもない。
ここまでの3日間で思うような成果があげられなかったのは、すべて俺の見通しの甘さが原因であったのだ。
俺が判断を間違えば、この計画は大失敗に終わる。それは今日の騒ぎで実感できた。
そもそも、南や東の民たちに商品を喰らい尽くされて、西の人たちにお届けできない……なんて嘆かなくてはならない状態が、おかしいのである。
最初の10日間で成果を上げることができたら、新しい料理をお披露目する、というのが当初の予定であったわけだが。もうそのように悠長なことは言っていられない。オープン3日目で俺はキャパオーバーを起こしてしまったのだから、迅速に対応しなくてはならないだろう。
ヴィナ=ルウには、すでに話を通してある。
ドンダ=ルウの許可を得られれば、明後日から新たな人手を借りることも可能になる。
何とか明日1日を乗りきって――明後日からは、猛反撃してやろう。
「よし! これからが、第2ラウンドだなっ!」
「らうんどとは、何だ?」
その声に振り返ると、アイ=ファが立てた片膝に頬杖をつきながら、俺の姿を眺めやっていた。
「あ、あれ? アイ=ファ、もう食べ終わったのかよ?」
「お前が遅いのだ。この後にも仕事が控えているのだろうが? とっとと食べねば、眠る時間を削ることになるぞ」
「それは大丈夫だ。あまった時間でバーガーのパテは20個ほど作っておいたから。残り20個とタラパソースだけなら、楽勝だよ。1番大変なのは、明日の朝のポイタンの焼き作業だけどな」
「…………」
「ん? 何だ?」
「……お前をファの家に留めておいても、私以外の人間が益を得ることはない。だからお前はルティムとともにあるべきなのではないかと、私は思っていた」
「な、何の話だよ? またファの家から出ていけとか言い出すつもりじゃないだろうな?」
「今の私がそのようなことを言うと思っているのか?」
アイ=ファの眼差しは、穏やかだった。
いくぶん冷めてしまったスープをすすりながら、俺は頭をかいてみせる。
「だったらどうして、そんな話を持ち出すんだよ? あんまり俺の不安感をかきたてないでくれ」
「私は、喜んでいるのだ。お前がファの家に留まってくれたことを。……そしてお前が、ファの家にあっても、そうして自分を活かす仕事を見つけだせたことを」
そんなことを言いながら、アイ=ファは両手と両膝を使って俺のほうに這い寄ってきた。
で、またわしゃわしゃと俺の頭をかき回してくる。
「あ、あのさ、お前にそれをやられると、俺は何だか小さな子どもにでもなっちまったような気分になるんだけど」
「そうか? 父ギルはよくこうやって私をほめてくれていたのだが」
と、ちょっとひさびさに唇をとがらせる。
「ああ、うん、全然嫌な気分ではないんだけどな? ちょっとばっかり気恥ずかしいだけだ」
「……そうか」と、アイ=ファは目を伏せた。
余計なことを言ってしまったかな、と俺は少し反省する。
すると。
アイ=ファはやおら片膝立ちになり、いきなり両腕で俺の首を抱きすくめてきた。
アイ=ファの体温と、香りと、力が、一瞬の内に俺の身体と心を包みこむ。
「あの夜に、お前を失わずに済んで良かった。……お前がルティムでなくファの家を選んでくれて良かった」
「ア……ア、ア、アイ=ふァ?」
思わず声が裏返ってしまった。
ぎゅうっと容赦のない力で身体を抱きすくめられて、頬のあたりに柔らかい髪をすりつけられる。
心臓が、止まりそうだった。
目の奥に、玉虫色の光がちらつく。
あともう数秒でもこの感覚が続いたら、どこかの神経が灼き切れてしまうかもしれない――とか、ぼんやり考えたとき、熱と力と香りがすうっと遠ざかっていった。
床に座りなおしたアイ=ファが、子どものように鼻の頭をかく。
「……それが今の、私の気持ちだ」
「あ……あんまりびっくりさせないでくれよ……」
俺はそのまま崩れ落ちそうになってしまったので、床に手をついて身体を支えなくてはならなかった。
「お、お前の親父さんは、ずいぶん情熱的な人だったんだな?」
「うむ? 父ギルがどうかしたか?」
「え?」
「父ギルは関係ない。今のは、私がそうしたいからそうしただけだ」
「…………」
「お前が不愉快だったのなら、今後はつつしもう。ただ、今はどうにも気持ちを抑えきれなかったのだ」
すました顔で言いながら、アイ=ファは俺の分の木皿を指し示した。
「食事の邪魔をして悪かったな。さあ、とっとと食べるがいい。私も少し眠くなってきた」
(こいつ……こいつ、ヴィナ=ルウよりも、100万倍もタチが悪い!)
俺の内心の絶叫などにはまったく気づいた様子もなく、アイ=ファはとっとと髪をほどき始める。
「私は十分な成果をあげていると思うが、自分自身でそう思えぬのなら、いっそう励め。……それに、以前から言っている通り、お前の手もとにある銅貨は好きに使ってよい。足りなければ、私に言え」
「……そんな全面的に信用しちまっていいのか? 俺が稼いだ銅貨でお前に髪飾りでも買ってきたらどうする?」
「叩きのめす」
「あっそう。……わかったよ! そうしたら、明日の売り上げ次第で、本当に売り場を拡張するからな! 後で文句をつけるなよ?」
「何をいきりたっているのだ、お前は」
髪をほどいたアイ=ファが、またすっと顔を寄せてくる。
「……やはり私は、お前を不愉快な心地にさせてしまったのか?」
その顔は、ちょっと不満そうであり、そして不安そうでもある表情を浮かべていた。
ちっとも食事を進められないまま、俺は深々と溜息をついてみせる。
「そんなことないです。どうもすみませんでした……」
「……おかしな男だな、お前は」
そんなこともないと思います。
何はともあれ――俺たちの戦いは、まだまだ始まったばかりなのだった。
ふう。
アスタの収支計算表
*試食分は除外。
・第三日目
①40食分の食材費(a:赤銅貨)
○パテ
・ギバ肉(7.2kg)……0a
・香味用アリア(10個)……2a
○焼きポイタン
・ポイタン(40個)……10a
・ギーゴ(40cm)……0.4a
○付け合せの野菜
・ティノ(2個)……1a
・アリア(2個)……0.4a
○タラパソース
・タラパ(4個)……4a
・香味用アリア(8個)……1.6a
・果実酒(1/2本)……0.5a
合計……19.9a
②その他の諸経費
○人件費……6a
○場所代・屋台の貸出料(日割り)……2a
諸経費=①+②=27.9a
40食分の売り上げ=80a
純利益=80-27.9=52.1a
純利益の合計額=25.77+52.1=77.87a
(ギバの角と牙およそ6頭分)