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異世界料理道  作者: EDA
第五十七章 金の星、銀の星
988/1677

エピローグ 別れの晩餐

2020.12/24 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 その夜――

 俺たちは、ようやく平穏な気持ちで晩餐を迎えることができた。


 ジェノスに潜んでいた邪神教団の信徒たちはすべてが魂を返したようだと、そのように判じられることになったのだ。

 そのように胸を撫でおろすことができたのは、メルフリードの指示による徹底的な捜索活動の成果であった。宿場町をローラー作戦で捜索し尽くした護民兵団は、その日の内に邪神教徒の総数を――右の手の甲を包帯や手袋で隠していた逗留客の総数を把握することがかなったのだった。


 邪神教徒は行商人を装っていたために、その全員が貧民窟の安宿で身を休めていた。あやしまれないように数名ずつで分かれて行動をしていたが、その総数は24名であると断定されたのだ。

 最初にディアが斬り伏せた3名と、森辺で討伐した21名で、遺体の数はきっかり24名分となる。

 これにて、邪神教徒の討伐は完了したと、そのように断じられたのだった。


 それが確定するまでは、俺たちもなかなか警戒を解くことがかなわなかった。

 とりあえず、ルウの集落で守りを固めつつ、余所の氏族に助力を願って、おびただしい数である獣たちの骸を森の奥に移送するのと同時に、さらなる敵が潜伏していないかどうか、捜索活動が続けられていたのだ。


 ともあれ、騒ぎは収束した。

 ディアの罪も不問とされて、その代わりに、チル=リムをシムに送り届けるように申しつけられた。魔女の疑いをかけられた自由開拓民などは、シムに追い出してしまえばいい――という体裁を取れば、正式に審問を開いて死罪を申し渡さずとも、王都の理解を得られるだろうという、フェルメスやマルスタインらの判断である。


 俺としてはこのような形でチル=リムとお別れしてしまうのは、不本意きわまりない気持ちであったのだが――「まあまあ、ここはジェノス侯の顔を立てないとね」というカミュア=ヨシュのチェシャ猫めいた笑顔に、一縷の期待をかける他なかった。


 そうして俺たちは、ファの家に帰還した。

 同行したのは、ダリ=サウティとヴェラの家長、ルウの集落で合流したドーンの長兄、そしてカミュア=ヨシュとレイトという顔ぶれになる。レイトはそれまでミラノ=マスたちの身を案じて宿場町に留まっていたが、この騒ぎが収束するなりルウの集落を訪れてきたのだ。


 そして、この夜だけはチル=リムも森辺に逗留することが許された。

 夜が明けたら、ディアとカミュア=ヨシュの手によって、シムまで移送されるのだ。それまではアリシュナも行動をともにして、星見の力を制御するすべを伝授することになっていた。


 さらにファの家まで戻ってみると、そこにはプラティカとクルア=スン、それにサウティの血族たる3名の女衆が待ち受けていた。

 ずいぶんな大人数になってしまったが、この夜はこのメンバーで晩餐を取ることになった。どのみちカミュア=ヨシュとディアはチル=リムを監視する役目を与えられていたから、ファの家に逗留させるしかなかったのだ。女衆らの眠る場所はまたフォウの家が世話をしてくれるとのことであったので、晩餐だけはファの家で面倒を見るという話に落ち着いたのだった。


「お待たせしました。晩餐の準備が整いましたよ」


 晩餐の準備を受け持ったのは、もちろん俺とプラティカとクルア=スン、それにサウティの血族たる3名の女衆である。アイ=ファは俺の傷の容態をたいそう心配してくれていたが、数刻が経過しても体調に変化がなければ、雑菌による悪影響はないと判じられるそうなので、俺もかまどに立つことが許されたのだった。


 それでも運搬の仕事を受け持つことだけは難しかったので、仕上げた料理は他の面々が運んでくれている。俺たちが母屋の広間に踏み入っていくと、チル=リムはディアに見守られながら、アリシュナに力の制御の手ほどきをされていた。


「……どうですか、アリシュナ?」


 俺がそのように声をかけると、アリシュナはいつもの静謐な表情で「はい」とうなずく。


「彼女、精神の安定、取り戻したので、問題ないかと思われます。また、時間、過ぎれば、邪神教団の術式、効力、弱まること、期待できるでしょう」


 そのように語るアリシュナのかたわらで、チル=リムはそっと目を伏せている。

 他者の運命を見ずに済ませるには、まず他者の姿から目をそらすべし――という、最初の教えを守っているのだ。

 それもまた、俺にとっては痛々しく見えてならない姿であったのだが、チル=リム自身は決然たる表情でその行いに身を置いていた。


 彼女は、生きたいと願っているのだ。

 そして、他者と関わっていたいと――孤独は嫌だと、痛切な思いを抱いている。そのために、自らの心を厳しく律しているのだった。


(俺は泣き顔ばかりを見せられていたけど……実はチル=リムって、すごく強い人間なんじゃないだろうか)


 チル=リムが家族と故郷を失ってから、いまだ半月ていどしか経っていない。そうしてチル=リムは邪神教団などという恐ろしい一団に連れ去られて、自らも邪神の刻印を手の甲に刻まれた。おかしな薬の効果で夢と現実の境もあやふやになって、他者を凶運に巻き込みたくないという一心から荷車に閉じこもり――そしてこのジェノスで、救いの道を見出した。これだけひどい目にあいながら、チル=リムは絶望に暮れることなく、自らの手で邪神の刻印を削ぎ落とし、俺という存在に救いを求めることになったのだ。


 俺が同じ状況に陥ったとき、チル=リムほど勇敢に振る舞えるだろうか?

 しかもチル=リムは、いまだ10歳という幼さであるのだ。

 恐怖と不安に震えながら、他者を近づけまいと泣きわめきつつ、それでもチル=リムは絶望しなかった。その勇気と優しさに、俺は深い感銘を受けずにはいられなかったのだった。


「……アスタよ、こちらに座るがいい」


 と、チル=リムの隣に陣取っていたディアが、やおら立ち上がった。


「どうせディアは、明日からチル=リムと長きの時間を過ごすことになるのだからな。この夜ぐらいは、お前がチル=リムの隣に座っておけ」


「わかった。ありがとう」


 俺はチル=リムの隣に座して、アイ=ファは俺の隣に座した。そしてディアは、そのアイ=ファの隣に腰を下ろす。

 他の女衆の手によって、料理はすべて車座の中央に並べられていた。

 それらの人々も腰を落ち着けるのを待ってから、アイ=ファが食前の挨拶に取りかかる。


「さて……この夜もずいぶんな人数になってしまったが、この数日の苦難を乗り越えたねぎらいの晩餐とでも思ってもらいたい。他の氏族においても、こうして近しい者たちと喜びを分かち合っているであろうからな」


「うんうん。俺も初めてファの家で夜を明かすことが許されて、心から嬉しく思っているよ」


「……では、晩餐を開始する」


 アイ=ファが食前の文言を唱えて、森辺の同胞がそれを復唱した。

 それを終えるなり、俺は手近な木皿をチル=リムに受け渡す。


「チル=リムはまだ身体が本調子じゃないだろうから、汁物料理からゆっくり食べたほうがいいと思うよ」


「うん……」とうなずいて、チル=リムは木皿を受け取った。

 汁物料理は、ミソ仕立てのギバ汁だ。それを口にしたチル=リムは、深くうつむいたまま「美味しい……」と驚きの声をこぼした。


「美味しいかい? そういえば、チル=リムに俺の料理を食べてもらうのは初めてなんだよね」


 チル=リムは深くうつむいているために、表情も何もわからない。

 すると、右腕一本で器用に食事を進めていたディアが、うろんげにその姿を見つめやった。


「お前は今でも、アスタの星を見ることはかなわぬのだろう? であれば、アスタの姿を目にしても問題はなかろう」


 チル=リムはぷるぷると、栗色の髪に包まれた頭を大きく振った。


「アスタを特別あつかいするのは、いけないことだから……そのせいで、アスタはケガをしちゃったんだし……」


「それは、アリシュナの教えなのか?」


 ディアににらまれたアリシュナは、静かな表情のまま「いえ」と応じた。


「アスタの姿、見ること、禁じていません。チル=リム、自責の念、ゆえでしょう。……また、アスタへの思い、大きくなれば、別れの時、いっそう辛くなる、必定です」


「ふん。辛いときは、泣きたいだけ泣けばいいのだ。明日の辛さを小さくするために今を我慢するというのは、ディアの流儀に合わない行いだな」


 そうしてカミュア=ヨシュのほうを振り返ったディアは、何かを言いかけて眉をひそめた。


「……お前はお前で、どうしてそのように悲しげな顔をしているのだ?」


「え? いやあ、ひさびさに食べるアスタたちの料理が、あまりに美味しいものだから……もちろん悲しいわけではないのだけどねえ」


 カミュア=ヨシュは感極まると、ひとりで百面相を始めてしまう習性を持っているのだ。隣のレイトはすました顔で食事を進めており、ダリ=サウティらは苦笑している。ディアはぼりぼりと頭をかいてから、「まったく、面妖な男だな」と言い捨てた。


「とにかくな、お前はチル=リムの扱いについて、何か秘するものがあるのであろう? そろそろそれを打ち明けたらどうなのだ?」


「秘するもの? 俺たちは、チル=リムをシムまで送り届けるのだよ。きっとあの地には、彼女が心安らかに過ごせる場所があるだろうからね」


「だが、シムではロクに言葉も通じんのだぞ? 本当に、チル=リムが心安らかに過ごせる場所など存在するのか?」


「うん? そもそも彼女をシムに連れていこうと発案したのは、君だという話じゃなかったかな?」


「そのときと今では、状況が違う。チル=リムは、これから幸福な生を歩まなければならんのだ」


 すると、チル=リムが小さな声で「いいのです」と言った。


「たとえどのような場所であっても、邪神教団の手さえ及ばなければ……わたしは、心正しく生きてみせます」


「お前は意外に強靭な心を持っているようだが、お前の人生はまだまだ長いのだ。そのように人を遠ざけて生きていたら、お前の強靭な心だっていつかひび割れてしまうかもしれんぞ」


「…………」


「お前は、アスタや森辺の民たちと離れがたい心情になっているのだろう? それぐらいは、ディアにだってわかる。そんな悲しみを押し殺しながら、本当に心安らかに生きていけるのか?」


 チル=リムはギバ汁の木皿を押し抱いたまま、動かなくなってしまった。

 その姿を痛ましげに見やってから、アイ=ファはディアを振り返る。


「おい。そのように問い詰めても、チル=リムを苦しめるばかりではないのか?」


「だって、チル=リムがそのように悲しそうにしているのは、嫌なのだ。こやつはこれだけの凶運に見舞われてきたのだから、誰より幸福になるべきであろう」


 と、ディアは子供っぽく口をとがらせながら、またカミュア=ヨシュに向きなおった。


「だから、お前に何か考えがあるのなら、それをチル=リムに聞かせてやれ。そうしたら、チル=リムも楽しい気分で晩餐を口にすることができるようになるだろう」


「うーん。これは明朝に出立してから語ろうと思っていたのだよねえ。あんまりジェノスや王都の方々には聞かせられないような話だからさ」


 すると、ダリ=サウティがうろんげに首を傾げた。


「カミュア=ヨシュよ。お前は何か、悪しきことを企んでいるのか?」


「いえいえ。俺としては、すべてが丸く収まる妙案なのだと自負しているのですけれどね。ただ、現在のジェノスには外交官などというものが逗留しているため、その耳をはばかっているのですよ。たとえジェノス侯や外交官の方々が納得できたとしても、王都の王陛下に納得していただけるかどうかは、はなはだ怪しいところですので」


「ふむ。それが悪しき行いでないのなら、俺たちがわざわざ吹聴する理由はない。もしもそれでチル=リムを楽にできるのなら、この場で語ってやったらどうだ?」


 カミュア=ヨシュは金褐色の無精髭が浮いた細長い下顎を撫でさすりつつ、その場の全員を見回していった。


「この場には、俺にとって初対面となる方々が複数おられます。森辺の方々はともかくとして、シムの方々にも同じだけの信頼を抱いても問題ないのでしょうかね」


「私、ジェノス侯、恩義ある身です。ですが、チル=リムの安息、何より願っています」


「私、同様です。森辺の民、大事な友ですので、背信、ありえません」


 アリシュナとプラティカが、先を争うようにして言いつのった。

 カミュア=ヨシュは、目を細めてにんまりと笑う。


「それでは、お話ししましょうか。……いえ、本来これは、誰の耳をはばかる話でもないのですよ。唯一はばかるとしたら、どこかの辺境に本拠を築いているであろう邪神教団の連中ぐらいでしょうかね。チル=リムの所在は決して邪神教団に悟られてはならないのですから、それが必然でありましょう?」


「うむ。我々が語らなければ、秘密が漏れることもあるまい。お前はどこに、チル=リムを連れていこうと考えているのだ?」


「シムですよ、ひとまずは。ちょうど具合のいいことに、彼らは現在シムを放浪しているはずですからね」


 そう言って、カミュア=ヨシュはいっそう愉快げに微笑んだ。


「実はですね、俺は《ギャムレイの一座》に彼女の身を託そうと考えているのです」


「ええっ?」と声をあげたのは、俺ひとりであった。

 しかしもちろん多くの人々が、俺と同じぐらい驚かされていたことであろう。それはあまりに、意想外の言葉であったのだ。


「ど、どうしてそこで、《ギャムレイの一座》が出てくるのです? 彼らには、何も関係のない話でしょう?」


「いやいや。彼らはこの世の習わしからそっぽを向いて、自由気ままに生きている集団だからねえ。チル=リムが身を寄せるには、もっとも相応しい存在なのじゃないかな?」


「いや、だけど……」


「あそこには、チル=リムとまったく同じ境遇の御仁がいるのだよ。それこそが、チル=リムにとって何よりの救いになるのじゃないのかな」


 うつむいたチル=リムが、細い肩をぴくりと震わせた。


「わたしと……同じ境遇……?」


「うん。下手をしたら、君よりも深刻な境遇かもしれないね。何せその人物は盲目であるにも拘わらず、勝手に他者の運命が見えてしまうのだよ。しかもそれは、修業で体得した技ではなく、生来の力であったのさ。そうして彼は邪神教団の目をくらましながら、70年も80年も生きているという話なのだから……君にとっては、何よりかけがえのない師匠になってくれるのじゃないかな?」


 アイ=ファは厳しい表情で、カミュア=ヨシュのほうに身を乗り出した。


「カミュア=ヨシュよ。それはあの、ライラノスという老人のことを言っているのだな?」


「うん。彼は一座で、占星の芸を見せている。自分の力を隠すのではなく、そうしておおっぴらにすることで、邪神教団の目をあざむいているのだよ。まさかあのように怪しげな旅芸人の団員が、そうまで見事な星見の力を持っているだなんて、誰も想像しないだろうからねえ」


 俺は、激しい驚きにとらわれていた。

 どこか透き通った光を浮かべたカミュア=ヨシュの目が、そんな俺を見つめてくる。


「アスタは何か、心当たりがあるみたいだね」


「は、はい。……あのご老人は、俺が目の前に立っているのに、その存在を感じ取れなかったみたいなんです。チル=リムと同じように、俺の星が見えないから……俺の存在そのものが感じ取れなかったということらしいのですよね」


「うんうん。あのご老人は、きっと星の輝きに包まれて生きているのだろうねえ」


 同じ目つきのまま、カミュア=ヨシュはチル=リムに向きなおった。


「チル=リム。外交官殿が言われていた通り、君は決して絶望せず、心安らかに生きていかなくてはいけない。だったら見知らぬシムで暮らすより、旅芸人の風来坊としてあちこち放浪するほうが、よほど楽しいのじゃないのかな。《ギャムレイの一座》には、愉快な人々がこれでもかというぐらいに居揃っているからねえ。孤独感に苛まれるひまなんて、これっぽっちもありはしないと思うよ」


「旅芸人……というのは……あちこち放浪して暮らす存在なのですか……?」


「うん。彼らもみんな西の民を名乗っているから、マヒュドラだけは踏み込めないけどね。西も東も南も関係なく、風の吹くまま気の向くままに、あちこち放浪しているのだよ」


「この……ジェノスという土地にも……?」


「うん。彼らもすっかりジェノスが気に入って、最低でも年に1度はやってきているみたいだね。何せ、アスタたちとも絆を深めているわけだからさ」


 チル=リムの身体が、小さく震え始めている。

 俺が心配になって、そちらに身を寄せようとすると――チル=リムは、ふいに面を上げて俺の顔を見つめてきた。

 その白銀の瞳に、うっすらと涙が溜められている。


「そうしたら……わたしはまた、いつかアスタに会えるのでしょうか……?」


「うん。もしも本当にチル=リムが《ギャムレイの一座》に加わるなら、太陽神の復活祭を一緒にお祝いできるんじゃないかな」


 チル=リムの小さな手が、俺の胸もとに取りすがってきた。

 その顔が、懸命に泣くのをこらえている。


「でも、わたしは……けっきょくアスタを傷つけてしまったのに……」


「俺を傷つけたのは、ムントだよ。チル=リムは、何も悪くない。……この先もチル=リムと会うことができるなら、俺だってすごく嬉しいよ」


 チル=リムの瞳から、大粒の涙がこぼれ始めた。

 だけどその顔は、泣くのではなく微笑みをたたえている。


「わたしも……アスタに会いたいです……」


「それなら、決まりだね」と、カミュア=ヨシュがぽんと手を打った。


「魔術嫌いの王陛下であれば、魔女の疑いがある人間なんてシムに押しつけたいところだろうけど、大局を見るならば、これが正しい判断であるはずさ。邪神教団の目をくらませて、チル=リムが一生を心安らかに過ごすというのが、何より肝要なわけだからね」


「ふん。そのような考えがあったのなら、チル=リムを不安にさせる前に伝えておけばよかろうに」


 ディアはそんな風に言ってから、俺たちのほうに向きなおってきた。


「おい、チル=リムよ。アスタばかりでなく、ディアのほうも見ろ」


「え……だけど……」


「だけどではない。その旅芸人の一座というやつを見つけられるまで、お前はディアとともに過ごすのだぞ。その間、ずっとディアから目をそらし続けているつもりか?」


 そのように語るディアは、とても力強く、とても優しく微笑んでいた。


「いいから、ディアを見ろ。お前がディアの行く末をうっかり口にしてしまったとしても、ディアはそのようなものを気にしたりはしない」


 チル=リムは、とてもおずおずとした様子でディアのほうを見た。

 白銀をしたチル=リムの目が、何か眩しいものでも見たように細められる。


「どのような人間にも、幸や不幸は訪れる。それをまざまざと見せつけられるお前は心労がつのってしまうのだろうが、ディアに関しては何も気にかける必要はない。ディアは気ままにこの世を生きて、神々の示す通りに魂を返すだけだからな」


「うむ。それは我々も同じようなものだ。というか、すべての人間がそうなのではないだろうかな」


 と、ダリ=サウティもしばらくぶりに発言した。


「我々はそうまで気ままに生きているわけではないが、己の信ずる道を歩いて、最後は母なる森に魂を返す。その間、苦難もあれば幸いもあろう。どのような災厄でも、我々は決して恐れたりはしない」


 チル=リムは、こらえかねたようにまぶたを閉ざした。


「ごめんなさい……みんなの星が、あまりに眩しくて……わたしは、呑みこまれてしまいそうです……」


 そのように語るチル=リムは、どこか幸福そうな表情であった。

 星々のきらめきが、彼女に恐怖ではなく別の何かを与えてくれているのだろう。

 その小さな手は、俺の胸もとをぎゅっとつかんだままであった。


(流星群みたいな輝きの中で、俺のところだけぽっかり黒い穴みたいにでもなってるのかな。それがチル=リムの安らぎになるっていうんなら……俺は『星無き民』っていう境遇だって、誇らしく思ってやるさ)


 そんな風に考えながら、俺はチル=リムの手に自分の手を重ねてみせた。

 いっぽうアイ=ファは、逆側のディアに向きなおっている。


「ディアよ。お前は私のよく知る聖域の民に似ているが……まったく似ていない部分も備えている。やはり外界で2年を過ごしたというお前は、すでに外界の民なのであろうな」


「当たり前だ。そもそもそいつとディアは、最初から別人であるのだからな」


「うむ。昨日の夜から1日をかけて、私にもようやくそれが理解できた」


 と――アイ=ファはやわらかく目を細めながら、そんな風に言葉を重ねた。


「しかしそれでも、お前はとても好ましい人間だ。チル=リムを《ギャムレイの一座》に預けたら、お前はまた放浪の生活に戻るのであろうな?」


「そうだな。しばらくはそやつらの性根を探っておきたくは思うが、そういつまでも行動をともにすることはなかろう」


「では、気が向いたらいつでもファの家を訪れるがいい。アスタを救った恩人としてだけではなく、大事な友として歓迎しよう」


 ディアは一瞬きょとんとしてから、ティアにそっくりの顔で微笑んだ。


「わかった。そのときは、立ち寄らせてもうう。これだけ美味い食事をいただけるなら、足をのばす甲斐もあろうからな」


「ああ、みなさんもどうぞ食事を進めてください。冷めると、味が落ちてしまいますので」


 そうして俺がうながすと、ようやく晩餐が再開された。

 あまり時間にゆとりがなかったので、いずれも簡単な献立ばかりであったのだが、みんな幸せそうにそれを口にしてくれている。しばらくして、ダリ=サウティが「そうだ」と発言した。


「すっかり伝えるのを忘れていた。さきほど城下町まで出向いた帰りに、宿場町でドーラに声をかけられたのだ」


「ドーラの親父さんに? 今日は街道も封鎖されて、商売もできなかったんじゃないのですか?」


「うむ。封鎖が解かれるなり、トトスで宿場町に駆けつけたらしい。森辺の集落は無事であったのかと、それを確かめたかったようだな。アスタも多少の手傷は負ってしまったが、元気に過ごしていると伝えておいたぞ」


 そう言って、ダリ=サウティは楽しそうに微笑んだ。


「それで、言伝てだ。明日から雨季の野菜を売りに出すので、また美味なる料理をお願いしたいとのことだったぞ」


「ああ、そうか……そういえば、本当は今日が雨季の野菜の解禁日だったのですよね」


「うむ。どうか俺の血族にも、手ほどきを願いたい。もちろん、身体に負担のない範囲でな」


 同じ表情のまま、ダリ=サウティはアイ=ファを振り返った。


「アイ=ファもアスタも休養が必要であろうし、俺たちも家人を安心させてやらなければならん。何日かはサウティの家に戻って、それからあらためて逗留を願いたいのだが、アイ=ファに了承をもらえるだろうか?」


「うむ。そうしてもらえれば、こちらも助かる。……というか、我々はダリ=サウティらを逗留させているさなかであったのだな」


「うむ。忘れてもらっては困るぞ。俺たちは、ファの家と絆を深められることを心待ちにしていたのだからな」


 ダリ=サウティとアイ=ファのそんな何気ないやりとりが、俺の心をじんわりと温かくしてくれた。

 おそるべき災厄の日々は過ぎ去って、また賑やかな日常が戻ってくるのだ。

 そして――次にチル=リムと再会するときは、彼女も非日常ではなく日常の存在として、俺の運命に関わってくれるはずだった。


(まあ、《ギャムレイの一座》を日常的な存在と見なせるかどうかは、ちょっと難しいところだけど……)


 そんな風に考えながら、俺はかたわらのチル=リムを振り返った。

 また目を伏せて食事を進めていたチル=リムは、俺の視線に気づいたのか、おずおずと顔を上げてくる。

 俺が真情を込めて笑いかけてみせると、彼女も10歳という年齢に相応しいあどけない微笑みを浮かべてくれた。


 そうして俺たちは、この世のものとも思えない災厄に見舞われて、多少の手傷を負いながら――その末に、金色の瞳と銀色の瞳を持つふたりの大事な友人と絆を深めることがかなったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この章めっちゃ好きです。 聖域の民ってのはなんでこう魅力的なんだろうな〜。
[一言] 色々、楽しい展開が描かれていて楽しく読めました。 またこの二人が絡む話も楽しみですね。
[良い点] ひさびさの緊迫感のある話だった。 [気になる点] 料理道からどんどん話がずれている気がする。毎回品評会では飽きるけれど、料理が話の本筋にかかわってこないのは、テーマとしてどうだろうか?
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