凶運の影③~それぞれの戦い~
2020.12/23 更新分 1/1
それからおよそ、半刻の後――
ルウの集落の広場に、三騎の騎影が進み出た。
真ん中のトトスにまたがっているのは、ディアとチル=リム。左右のトトスにまたがっているのは、カミュア=ヨシュとルド=ルウだ。
三頭のトトスたちは、顔から長い首までを奇妙なものに覆われている。鳥の攻撃を緩和するための、革のかぶりものである。これから行われる荒っぽい作戦のために、急ごしらえでこのようなものが準備されたのだった。
「邪神教団の諸君、ごきげんよう! こちらのチル=リムが、君たちに伝えたいことがあるそうだよ!」
そぼ降る細かい雨の中、カミュア=ヨシュが溌剌とした声でそのように言いたてた。
もちろん、答えるものはない。広場を取り囲む暗緑色の森は、すべての生き物が死に絶えてしまったかのように静まりかえっていた。
カミュア=ヨシュにうながされて、チル=リムは外套のフードを背中にはねのける。彼女の身体はトトスから転落してしまわないように、ディアの胴体に革帯でくくられていた。
「……わたしは、チル=リムです! わたしはもう、自分の運命から逃げたりはしません! あなたたちとは、この場所で永遠におわかれします!」
半刻前まで身も世もなく泣きくずれていたとは思えないぐらい、チル=リムの声は決然としていた。
彼女はついに、自分の運命に立ち向かう覚悟を固めたのだ。その小さな身体は不安と恐怖で震えてしまっているのかもしれないが、その声には10歳の幼子とは思えないような気迫がにじんでいた。
「わたしから故郷や家族を奪い取ったあなたたちのことを、わたしは絶対に許しません! 邪神教団の巫女になるなんて、そんな運命はわたしの力で退けてみせます!」
「……聞こえたかな? そういうわけなんで、彼女は身柄はシムで保護してもらうことにするよ。星読みの術式が盛んなシムであれば、彼女が健やかに生きていける場所を見つけられるかもしれないからね」
そのにんまりとした笑顔が想像できそうな声で、カミュア=ヨシュがそのようにつけ足した。
「幸いなことに、この森辺の道はシムに通ずる街道と繋がっている。たとえギバでも、トトスに追いつくことはそうそうできないだろう。わかったら、とっとと自分たちの薄暗いねぐらに逃げ帰るといいよ。ジェノスの護民兵団が大挙してやってくる前にね」
そうしてカミュア=ヨシュは、かたわらのチル=リムを振り返った。
「それじゃあ、行こうか。言い残したことがあるなら、今の内にね」
チル=リムは決然とした面持ちで暗い天を仰ぎ、強い声で宣言した。
「あなたたちの悲願は、永遠にかないません! 人間風情に、神々の眠りをさまたげることはできないのです! ……星図には、はっきりとそう記されています!」
何か――目に見えぬ悪意のようなものが、周囲の森からたちのぼったように感じられた。
それから逃げるようにして、三騎の騎影は集落の広場を飛び出していく。向かうは、南方――シムへと通ずる街道だ。
しばらくして、ドンダ=ルウが「よし」と声をあげた。
「では、俺たちも出立する。後のことは頼んだぞ、ダリ=サウティよ。……まあ、こちらの家人を守るのは、俺の息子どもの役割だがな」
「うむ。無事な帰りを待っているぞ、ドンダ=ルウよ」
ドンダ=ルウは、不敵な笑いを――難敵を前にしたときに浮かべるあの勇猛な笑いを浮かべて、何名かの男衆らとともにジーダの家を出ていった。
あとに残されたのは、俺とアイ=ファ、ダリ=サウティとヴェラの家長、そしてアリシュナの5名のみである。
「これで上手くいくといいんだけど……カミュアたちは大丈夫かなあ」
「あちらはあちらの力を信じて、こちらはこちらの役目を果たすしかあるまい。……そしてお前たちの役目は、この家から決して動かず、危険に近づかないということだからな?」
アイ=ファがぐぐっと俺に顔を近づけてくる。
「どのような災厄が訪れようとも、お前の身には二度と近づけない。お前も心して身をつつしみ、決して軽はずみな真似をするのではないぞ?」
「うん。ここでアイ=ファたちの無事な帰りを待ってるよ」
俺が心からそのように答えてみせると、アイ=ファは微笑をこらえるような表情になって、「それでいい」と俺の頭をかき回してくれた。
「では、行くか。今のところは、危険な気配も感じられぬようだがな」
「うむ。それでも油断だけはするまい」
アイ=ファとダリ=サウティたちも、連れ立って玄関を出ていった。
残されたのは、俺とアリシュナのふたりきりである。ルウの女衆や幼子たちはいくつかの家に押しこめられて男衆らに守られているそうなのだが、そちらはすでにキャパオーバーであるため、俺たちが割り込む隙間もなかったのだ。
「……みんなが一斉にいなくなっちゃうと、いささか心細いですね」
俺がそのように呼びかけると、アリシュナは「はい」と目を伏せた。
「アスタ、ふたりきり、羞恥、禁じ得ません。目の裏、アスタの裸身、焼きつけられたままなのです」
「いえ、あの……」
「はい。いらぬ言葉でした。重ねて、羞恥、禁じ得ません」
アイ=ファやチル=リムたちが生命を懸けて最後の勝負に挑もうとしているさなかであるのに、こんな呑気な会話を繰り広げているしかないという我が身が、不甲斐ないことこの上なかった。
しかしまた、非戦闘員たる俺やアリシュナなど、足手まといにしかなりはしない。
俺たちにできるのは、この場でアイ=ファたちの無事な帰りを待つことだけだった。
◇
俺たちがルウの集落で息をひそめている間、カミュア=ヨシュたちは森辺の道を南下していた。
彼らは本当にシムを目指しているわけではない。言わば彼らは、邪神教団の信徒たちをおびき寄せるための、囮役であったのだった。
「まったく、荒っぽいことを考えつくやつだよなー。ま、敵が襲ってくるのを待ってるよりは、よっぽどマシなんだろうけどよ」
ともに並走していたルド=ルウは、そんな風に言っていたという。彼はトトス乗りの高い能力を買われて、この役目を引き受けることになったのである。
森辺と宿場町を繋ぐ道は細い上に傾斜もきついが、森辺に切り開かれたこの道であれば、トトスも本領を発揮させることができる。そんなトトスに追いつけるのは、せいぜい空を舞う鳥ぐらいのものであろう。それが襲撃してきたならば、カミュア=ヨシュとルド=ルウが刀で撃退する。左腕を負傷しているディアは、ひたすら運転に専念だ。どのみち誰かがチル=リムに同乗しなければならないので、戦闘能力の減退した彼女がそれを受け持つことになったのだった。
他の人間には、他の役割が存在する。
ファの家から同行していた狩人たちの大半と、ドンダ=ルウの率いる5名ばかりのルウの狩人たちは、この一行を追う形で森の中を駆けている。もちろん森辺の道を疾駆するトトスに追いつけるはずはないので、彼らの役割は邪神教団の後背を突くことであった。
チル=リムが絶縁宣言をして逃走をはかれば、邪神教団の主力はそれを追いかけるであろうと見込んでの作戦だ。
そして、森の獣たちを自由に操れる妖術師どもも、トトスなくしてそれほど迅速に移動できるはずがない。むしろ、森に慣れている狩人たちのほうが、よほど迅速に行動できるはずだ。ギバやムントは危険であるが、それだって普段の狩りで相手取っている獲物である。それらの存在をかいくぐって、邪神教団を追い詰める――言ってみれば、邪神教団を獲物とした狩りのようなものであった。
しかしまた、邪神教団のすべてが徒歩でチル=リムらを追うとも考えにくい。
戦力の何割かはルウ家の集落を襲撃して、トトスを奪おうとするのではないか――と、カミュア=ヨシュはそのように推測していた。
そのために、ルウの狩人の15名ほどは、集落に居残っている。そちらで指揮を執るのは、もちろんジザ=ルウとなる。さらに、アイ=ファとダリ=サウティとヴェラの家長、およびデヴィアスの率いる80名の兵士たちも、ルウの集落を警護する役目を担っていた。
「で? 敵が俺たちを追いかけてこなかったら、そのときはどうするんだっけ?」
「そのときは、シムに通ずる東の道ではなく、外界の村落に通ずる南の小道に進路を変える。ずいぶんな遠回りだけど、そちらから街道を北上すれば、ジェノスに戻れるわけだからね。事情を話して護民兵団を動員してもらい、闘技場にでも向かうことにしよう」
カミュア=ヨシュはそこまで算段を立てていたが、そちらの作戦に移行する必要は生じなかった。
彼の見込み通り、邪神教団の主力はカミュア=ヨシュらに追いすがっていたのである。
前兆は、やはり頭上からの襲撃であった。
無数の鳥が、カミュア=ヨシュたちの乗るトトスに襲いかかってきたのだ。
狩人の嗅覚でそれを察知したルド=ルウは、すぐさまそれに対応したとのことである。
最初の襲撃で、鳥の数もずいぶん減じてしまったのだろう。敵が撤退してからその時点まで、まだ一刻も経過していなかったため、新たな鳥獣を集めるにも時間は足りなかったはずであるのだ。
トトスには即席の防具をかぶせているし、鳥の数も大したことはなかったので、それらはルド=ルウとカミュア=ヨシュの活躍で難なく片付けることができた。
だが、次の攻撃はさすがにこちらの想像を超えていた。
鳥の襲撃がやんだかと思いきや、今度はムントが空から降ってきたのだという。
ルド=ルウもカミュア=ヨシュもディアもそれぞれの分野における猛者であったので、頭上から落ちてきたムントに頭や背中を引き裂かれることにはならなかった。
地面に落ちたムントは執拗に追いかけてきたが、トトスの脚力には及ばず、やがて姿も見えなくなったとのことであった。
「今のはもしかして、でけえ鳥が数羽がかりでムントを運んできたってことなのか? ほんとに信じられねーことをする連中だなー」
「うん。後ろを見たら、もっととんでもないものを見られそうだよ」
人の悪いカミュア=ヨシュは、そんな風に言っていたらしい。
後方を振り返ったルド=ルウとディアは、それぞれ溜め息をつくことになったそうだ。
「なんだよ、ありゃ。もはや、この世のものとも思えねーな」
追いかけてきたのは、3頭のギバであった。
そしてそれらの背中には、フードつきマントを纏った男たちがまたがっていたのだという話であった。
「旅芸人の連中も、ギバに言うことを聞かせてたけどよ。あれはギバと一緒に暮らして、心を通じ合わせた結果だろ? 後ろのギバどもは正気を失った目つきをしてるのに、それが背中に人間を乗せるだなんて、とうてい信じられねーよ」
「うんうん。本当に、邪神教団の妖術というのはおぞましいものだねえ。野の獣を道具のように扱うだなんて、この世の摂理に反した行いに違いないよ」
「で、どーすんだ? トトスをうまい具合に動かせば、俺たちふたりでも何とか相手はできると思うぜ?」
「いや、しばらくは放っておこう。ほら、あちらも俺たちに追いつこうとはしてないだろう? 察するに、彼らの妖術にも有効な範囲というやつがあるんだよ。彼らはきっとこの先々に潜む獣を俺たちにけしかけるために、こうして一定の距離を保っているんじゃないのかな」
「だったらなおさら、さっさと片付けねーと危ねーじゃん」
「でも、ここで足止めされてしまうと、残りの連中に追いつかれてしまうかもしれないからね。森に入ったドンダ=ルウたちが、残りの連中に追いつけるまで――そうだなあ。せめて半刻ばかりは、時間を稼ぐべきじゃないかな」
「その半刻は、俺たちも獣に襲われ放題ってことだな。まったく、愉快な役目を引き受けちまったもんだぜ」
そんな風に語りながら、ルド=ルウは実に雄々しく笑っていたとのことであった。
◇
いっぽうその頃、森に入ったドンダ=ルウたちである。
やはりルウの集落の周囲の森は、常ならぬ気配を漂わせていたという。
虫はいるのに、鳥や獣の気配が感じられない。ギバもムントもギーズも、すべてが死に絶えてしまったかのような雰囲気であったのだそうだ。
森辺の民にとって、これは許されざる行いであった。
外界の人間が、母なる森をいいように蹂躙しているのだ。このような暴虐を許しておけば、母なるモルガは取り返しがつかないぐらい傷ついてしまうかもしれなかった。
よって、森に入った狩人たちは、誰もが双眸に激情をたたえていたという。
のちのちそのように教えてくれたのは、ドンダ=ルウとともに森に入った狩人のひとり、我らがダン=ルティムであった。
ダン=ルティムもラウ=レイも、ゼイ=ディンもジョウ=ランも、ラッド=リッドもラッツの家長も、ライエルファム=スドラもチム=スドラも、ファの家を訪れていた人々はおおよそこの任務に従事している。ルウ家から駆り出された男衆を含めれば30名近い人数であるのだから、これは生半可ならぬ戦力であるはずだった。
そして、森がこのように静まりかえっていれば、気配を辿ることも容易になる。
特に際立った察知能力を持つダン=ルティムは、いち早くその異常な状態を察知できたとのことであった。
「ドンダ=ルウよ。多くの獣が、南に移動しているようだが……そこかしこにも、獣の気配が密集しているようだな」
「ああ。俺の集落を襲う算段でも立ててやがるんだろうぜ」
「では、そやつらを討ってから南に向かうのだな?」
「……いや。手の届く連中だけを片付けたら、そのまま南に急ぐ。それが、俺たちの役割だからな」
「ほう。ルウの集落を、みすみす襲わせてしまうのか」
するとドンダ=ルウは、ギバも逃げ出すような笑顔でダン=ルティムを見やってきたとのことであった。
「狩人には、それぞれの役割が存在する。弓を受け持った人間が勝手に刀を振るえば、獲物を逃がすことにしかなるまい。……集落を守るのは、ジザたちの役割だ」
「うむ、異存はないぞ。……お前さんは齢を重ねるごとに、族長らしさを増していくようだな」
「戯れ事は後にしやがれ。……行くぞ」
邪神教団の悪漢どもは、おそらく獣たちを周囲にはべらせて、自分の身を守らせているのだろう。
その悪漢どもを始末すれば、獣たちも正気に戻るに違いない。そのためならば、ギバに振るうべき刀を人間に向けることも躊躇いはしない――そんな覚悟を胸に秘めつつ、ダン=ルティムたちは暗い森の中を突き進んでいったのだという話であった。
◇
そして、アイ=ファたちである。
ルウの集落の女衆や幼子は、本家とふたつの分家に集められていた。さらに、ジーダたちの家では俺とアリシュナが身を潜めており、ふたつの分家では傷ついた兵士たちがかくまわれている。それらの家は窓をぴったりと板でふさいで、子供のギーズでも入り込めないように防御が固められていた。
「警戒すべきは、やはりギバであろう。あの城下町の車を横倒しにしたギバなどは、自分の顔面が割れているのにも拘わらず、車に突進していたからな。あのように無茶な真似をされたら、家の壁に穴が空くことはなかろうとも、中の家人たちは生きた心地がしまい」
ダリ=サウティからそんな話を伝えられると、ジザ=ルウはその長身に重々しい気迫をみなぎらせていたという。
本家の家屋には、彼の愛する家族たちが――しかも、第二子を身ごもっている伴侶までもが控えているのだ。それはジザ=ルウにとって、自らの生命よりも大事な存在であるはずだった。
「家に、ギバは近寄らせん。ジーダよ、すべての家の屋根に、弓の得意な狩人を1名ずつ配置しておくのだ。そうしてギバを発見したならば、矢を射る前に草笛を鳴らすように伝えておけ」
「承知した。……では、アイ=ファにもその役目を願うべきであろうか?」
ルウ家の立派な狩人となったジーダは、そのように言っていたという。
「6氏族の収穫祭において、アイ=ファは的当ての力比べでも大層な力を見せていたのだと聞いている。アスタたちをかくまっている家の屋根に、アイ=ファが控えればいいのではないか?」
「相分かった。その役目は、私が果たすとしよう」
というわけで、俺の知らないところでアイ=ファは頭上の屋根にのぼっていたのだった。
その他には、バルシャやリャダ=ルウも選出されたらしい。バルシャにはギバ狩りの経験がなく、リャダ=ルウは足の負傷で狩人の仕事を退いた身であるが、屋根の上で矢を射る役目であれば問題はない。また、鳥やギーズやムントであれば、簡単に退けられる力量も備え持っていた。
そのようにして、ルウ家でもすべての戦力が総動員されていたのである。
ドンダ=ルウのグループにはダン=ルティムやガズラン=ルティムやラウ=レイといった勇者たちが控えているため、ジーダやシン=ルウやダルム=ルウやミダ=ルウといった屈強なメンバーは集落に残されていた。当然の話だが、敵を討ち倒すことと同じぐらい、家族を守ることにも重きが置かれていたのだ。
そしてこちらには、デヴィアスの率いる80名の兵士たちも存在した。
戦闘能力は狩人に劣るものの、彼らは甲冑を纏っているし、言わば荒事の専門家である。彼らがそうそうムントやギーズに後れを取ったりしないことは、さきほどの死闘でも証し立てられていた。
「ついに俺は、シン=ルウ殿と肩を並べて戦う栄誉を得られるのだな! 城下町に戻ったら、レイリス殿らに自慢してやることにしよう!」
そんなデヴィアスの大きな声は、家に引きこもっている俺とアリシュナのもとにまで届けられていた。
なんとも呑気な発言であるが、しかしデヴィアスは無事に城下町へと戻れることを毛ほども疑っていない様子であるのだ。それはそれで、俺たちに勇気と希望を与える発言であると言えなくもなかった。
そうして四半刻と待たぬ内に、邪神教団の襲撃は開始された。
どうやら鳥の手駒はチル=リムたちのほうに差し向けられたらしく、襲ってきたのはギバとムントとギーズのみであったという。俺たちは、あちこちから聞こえてくる草笛の音色によってその襲撃を知ることになった。
家の屋根にのぼったアイ=ファは、その卓越した弓の技で、何頭ものギバとムントを射抜いてみせたという。
ギバを弓だけで仕留めることは難しいが、動きを鈍らせることは可能である。そうして動きの鈍ったギバであれば、兵士たちも人海戦術で討ち倒すことができる。彼らは彼らで広場のあちこちに配置したトトス車の屋根に陣取り、這いあがってくるギーズやムントを退けつつ、時には地面に降りてギバにとどめを刺し、狩人にも負けない活躍を見せていたとのことであった。
そして狩人の中で目覚ましい勇躍を見せていたのは、やはりジザ=ルウを筆頭とする勇者たちと、それにダリ=サウティであったという。
普段は温厚なダリ=サウティであるが、その力はルウ家の勇者に匹敵するほどだと、アイ=ファはそのように評していた。
もちろんダリ=サウティは、森辺の狩人としてもかなり体格に恵まれている。そして気性は沈着であり、どのように巨大なギバが相手でも怯みはしない。たとえギバ除けの実が通用しなくとも、ダリ=サウティは着実にギバを斬り伏せていたとのことであった。
また、ミダ=ルウたちと同じ場で戦うのも、アイ=ファにとっては森の主を相手取ったとき以来のことだ。
こういった乱戦の場において、ミダ=ルウの存在はきわめて有用であったと、アイ=ファはそのようにも語っていた。
ミダ=ルウは、刀ではなく棍棒を使う。巨体すぎて鈍重な感が否めないミダ=ルウであるが、いざ戦いの場ではそのような印象も払拭されて、ギバでもムントでもギーズでも暴風雨のような勢いで蹴散らしていたという話であった。
そしてやっぱり誰よりも凄まじい働きを見せていたのは、ジザ=ルウであったらしい。
本家の近くに陣取っていたジザ=ルウは、手近な狩人や兵士たちに的確な指示を与えつつ、誰よりも多くの獲物を仕留めていたようであった。
そんなジザ=ルウたちの活躍もあって、ギバの牙がルウ家の家屋に触れることは、1度としてなかった。
そうしてついに、獣たちの襲撃が引いていくと、ジザ=ルウは落雷のごとき声音で新たな指示を飛ばしたのだという話であった。
「ダルム、シン=ルウ、ジーダの3名は、森に入って悪漢どもを捜索せよ! 集落の守りは残された人間に任せて、お前たちは可能な限り悪漢どもを討ち倒すのだ!」
やはりジザ=ルウは、この暴虐なる振る舞いに心底から憤激していたのだ。
俺が邪神教団の人間であったならば、このように勇猛な一族と敵対してしまったことを、魂の奥底から後悔しているはずであった。
そうしてチル=リムたちが集落を出て、一刻ほどが過ぎたかと思われたとき――アリシュナが、ふいにぽつりとつぶやいた。
「……凶運の影、晴れました。戦い、収束したようです」
しかし、表の人々にそのような言葉を伝えるすべはないし、また、アイ=ファたちも占星師の言葉を鵜呑みにしたりはしないだろう。俺自身、期待半分不安半分といった心境で、家の戸板が叩かれる瞬間を待ち受けることになった。
その瞬間がやってきたのは、それからさらに一刻ほどのちのことである。
「ドンダ=ルウらが、戻ったぞ」
まずはアイ=ファだけが俺たちのもとに戻ってきて、しばらくのちに、ダリ=サウティとヴェラの家長もやってきた。
「足で追える範囲の相手は、討伐できたようだ。今、何名かの男衆がトトスでルド=ルウたちを追っている」
「邪神教団の信徒は、20名ていどという話でしたよね。何名ぐらいを捕縛できたのでしょうか?」
「捕縛は、成らなかった。そやつらは反撃のすべを失うと、口の中に含んでいた毒で自害してしまったそうだ。ドンダ=ルウおよびダルム=ルウらの持ち帰った遺骸は、全部で18体にも及んだ」
その報告を聞いて、俺は背筋を震わせることになった。
王国の民に捕縛されるぐらいであれば、死を選ぶ――それぞまさしく、狂信者としか評することのできない所業であった。
「ん……何やら、表が騒がしいようだな」
と、気を休めるひまもなく、アイ=ファが足もとの刀をひっつかむ。
が、次に戸板を叩かれたときも、危急を告げるような荒っぽさは感じられなかった。
「おい、俺だ! 今この家は、サウティとファの家の預かりとなっているのであろう? 家にあがる許しをもらいたい!」
アイ=ファは小首を傾げつつ、刀を引っさげて玄関口に向かった。
その向こうにたたずんでいたのは、ゲオル=ザザとディック=ドムである。
「何だ。どうしてお前たちが、ルウの集落に出向いてきたのだ?」
「何だもへったくれもあるか! ドーンの長兄の報せを受けて、わざわざ宿場町まで出向いたというのに、まったく話が通じなかったのだ! お前たちこそ、きっちり事情を説明しろ!」
ゲオル=ザザたちは、闘技場にて行われるはずであった戦いに参じようとしていたのだろう。だが、彼らはスン家の近在にある道から宿場町に下りたため、こちらの窮状を察知することもなく、行き違いになってしまったようだった。
「宿場町の衛兵どもには適当にあしらわれるし、ルウの集落でもそれは同様だ! あちらは忙しいので、お前たちに事情を聞けなどと抜かしている! お前たちまで俺たちをないがしろにするようであれば、こちらも黙ってはおられんぞ!」
「何もないがしろにするつもりはない。勇猛なる北の狩人らに助力を願えるならば、心強く思う。……とはいえ、さらなる襲撃に見舞われる危険は少なかろうと見なされているのだが」
そうしてアイ=ファが広間に招いて両名に現在の状況を説明すると、ゲオル=ザザはがっくりと肩を落としていた。
「それではもはや、俺たちの出番などないではないか……ぞんぶんに刀を振るってやろうと考えていたのに、俺のこの昂揚はどこにぶつけてやればいいのだ!」
ゲオル=ザザは憤懣やるかたない様子で、隣のディック=ドムをにらみつけた。
「だから、ダナやハヴィラの集落など寄らず、真っ直ぐ宿場町に下りていればよかったのだ! そうすれば、戦いの場に間に合っていたやもしれんのだぞ!」
「荷車2台分の狩人を北の集落だけから出すのは不用心であると、そのように定めたのは族長グラフ=ザザだ。俺に文句を言われても困る」
こちらは普段通りの沈着なる風格で、ディック=ドムはそのように答えていた。
「それに、騒ぎが収まったのならば、まずはそれを喜ぶべきであろう。このルウの集落の戦いにおいては、深手を負った人間もいないという話であったしな」
すると、またまた戸板を叩かれた。
顔を出したのは、この家の主人であるジーダである。
「ザザの末弟にドムの家長よ。北の狩人たちの手を借りたいのだが、許しをもらえるだろうか?」
「おお! 新たな敵が現れたのか!?」
「そんな気配は、どこにもあるまい。……獣たちの屍を、谷まで運びたいのだ。このままでは、血の臭いにひかれたムントどもが集落のそばまで寄ってきてしまうやもしれんからな」
かくして、ゲオル=ザザはがっくりと肩を落としたまま、そちらの作業を手伝うことになった。
そうしてさらに、半刻後。
ついに、チル=リムたちがルウの集落に戻ってきた。
その段に至って、ようやく俺とアリシュナも家の外に出ることを許されたのだった。
「ようやく、決着がついたようだな」
トトスの背中の上で、ディアはふてぶてしく笑っていた。
ディアと胴体をくくられたチル=リムは、自分の身体をぎゅっとかき抱いて、小さく身体を震わせている。その白銀の目は、固くまぶたに閉ざされていた。
そちらでも数多くの獣との死闘が繰り広げられて、3名の信徒を返り討ちにしたのちに、ようやく帰還することがかなったのだ。
この二刻半ほどの間で、チル=リムはどれほどの不安と恐怖を抱えていたのか――それを想像するだけで、俺は胸が痛くなってしまった。
「では、ディアとチル=リムを繋いでいる帯をほどいてほしい。このままトトスから飛び降りると、傷に響いてしまいそうなのでな」
ディアがトトスをしゃがませると、アイ=ファが帯をほどき始めた。
俺は逆の側から回り込み、チル=リムの身体を支えてあげることにする。
ルウの集落の広場にも、まだ濃く血臭が漂っている。獣たちの骸はすべて谷まで運び出されたようだが、延々と降り続いている細かな雨だけでは、死闘の痕跡を洗い流すことはできなかったのだ。
帯がほどかれると、チル=リムの身体は俺のほうに倒れかかってくる。
俺は左肩を負傷していたので、ガズラン=ルティムも一緒に支えてくれた。
「大丈夫かい、チル=リム。君が勇気を出したおかげで、なんとか窮地を乗り越えることができたんだよ」
地面に降りたチル=リムは、屈んだ俺の胸もとに力なくもたれかかってくる。
それからすぐにハッとした様子で身を離そうとしたが、俺はその細い肩をつかんで離さなかった。
「どうしたの? 俺のことが、嫌いになっちゃったのかな?」
あえて明るい声で言ってみせると、チル=リムはようやくまぶたを開いてくれた。
星の光を詰め込んだような白銀の瞳が、真正面から俺を見つめてくる。
その輝きが、見る見る涙に覆われて――そしてチル=リムは、痩せ細った顔に小さな花のような微笑をひろげた。
「アスタ……ありがとう」
それは俺が初めて見る、チル=リムの笑顔であった。