送別の晩餐会⑦~再見~
2020.11/29 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
・「アトミック・ガールズ!」という女子格闘技ものの作品を公開いたしました。ご興味をもたれた方々はよろしくお願いいたします。
広間に戻ったレイナ=ルウは、リミ=ルウからの言伝てによって、サトゥラス伯爵家の人々のもとを目指すことになった。
その場に居残ったシーラ=ルウのほうに、リミ=ルウはくりんと向きなおる。
「シーラ=ルウは、一緒に行かなくていいの?」
「はい。サトゥラス伯爵家からの仕事については、レイナ=ルウの取り仕切りですので。年長のわたしが同席しては、無用な気遣いが生じてしまうかもしれません」
それこそ、実にシーラ=ルウらしい気遣いである。
ただ俺は、ひとつ気になることがあった。最近のシーラ=ルウはこういう場でも補佐役に徹して、レイナ=ルウにすべての出番を譲っているように感じられるのだ。
「シーラ=ルウは、アルヴァッハやヴァルカスの感想が気になったりはしないのですか?」
俺がそのように尋ねると、シーラ=ルウは「はい」とうなずいた。
「必要な話は、レイナ=ルウが伝えてくれますし……それにやっぱり今日の料理はレイナ=ルウの取り仕切りであるのですから、わたしが出張る理由はないように思います」
そんな風に語りながら、シーラ=ルウはとても静かな表情で微笑む。
「わたしのような若輩者がこのように語るのは、あまりにおこがましいことなのでしょうが……どうも最近は、そうしてレイナ=ルウを見守りたいという気持ちが働いてしまうのです。レイナ=ルウばかりでなく、リミ=ルウやララ=ルウやマイムや……自分よりも若い人間が勇躍するのを、背中から支えられればと……そんな風に思えてしまうのですね」
それはやっぱり、婚儀をあげて家庭に入ったことが関係しているのであろうか。髪を短く切りそろえて、一枚布の装束を纏ったシーラ=ルウは、確かに格段に落ち着きが増していたし――どこか、リィ=スドラやアマ・ミン=ルティムと似た雰囲気が感じられるのだった。
(そういえば、シーラ=ルウがいつお子を宿してもいいようにっていう思いで、ララ=ルウも張り切り始めたんだもんな)
俺がそんな風に考えていると、シーラ=ルウが「あ」と小さく声をあげた。
「ジザ=ルウとララ=ルウです。……あまり大人数ですと動きを取りにくいでしょうから、わたしはあちらとご一緒させていただこうかと思います」
「はい。それでは、またのちほど」
そうして俺たちは、また4名に逆戻りした。
「さて、どうしよう? アルヴァッハたちのもとに戻るのは、まだ早いかな?」
「うむ。そちらに出向く前に、今少し腹を満たしておきたく思うぞ」
それでは、と俺たちは新たな料理を調達することにした。
そこで出くわしたのは、ダリ=サウティとヴェラの家長である。
「おお、アスタたちか。挨拶回りは、もう終えたのか?」
「はい。とりあえず、伯爵家の方々にはご挨拶できました。あとは名前もよくわからない方々ばかりですので、どうしたものかと……」
「ならば、俺たちとともに来るがいい。ちょうどこちらも、伯爵家への挨拶を済ませたところであったのでな」
ダリ=サウティは城下町の祝宴に参席するたびに、俺よりもアクティブに絆を深めて回っているのだ。それはやはり、族長としての責任感および持ち前の好奇心から為せるわざであるのだろう。昔日には、自らがルウやルティムの集落におもむいてまで血抜きや解体の技術を学ぼうとしていたダリ=サウティであるのだ。
「失礼する。こちらに座らせていただいてもかまわないだろうか?」
そうしてダリ=サウティが案内してくれたのは、やはり見知らぬ人々の敷物であった。
いや――これは一番最初に、ユン=スドラたちが同席していた人々であろうか。であれば、ジェノス侯爵家にゆかりのある人々であるはずだった。
「こちらはジェノス侯爵家の第二子息、こちらは同じく第一息女だ」
そのように紹介されて、俺はたいそうたまげてしまった。予想以上に、ゆかりが深かったためである。
「は、初めまして。ええと、調停官のメルフリードには、自分もいつもお世話になっています」
俺にしてみれば、メルフリードに兄弟姉妹が存在するということすら、初耳であったのだ。メルフリードの母親は若くして魂を返したとのことであったので、普通に一人っ子であると思いこんでしまっていたのだった。
(でも、そうか。侯爵家ともなれば、とりわけ血筋を保つことが重要になるんだろうしな。メルフリードしか子がなかったら、後添えをもらってでも子を生そうとするのかもしれない)
俺がそんな風に考えていると、メルフリードの弟なる人物がゆったりと微笑みかけてきた。
「其方のことは、兄君たるメルフリードから聞き及んでいる。ようやく挨拶することができて嬉しく思うぞ、ファの家のアスタよ」
「きょ、恐縮です。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありませんでした」
「何も詫びる必要はない。森辺の民との調停官は、あくまで兄君であるのだからな」
有り体に言って、彼はまったくメルフリードに似ていなかった。どちらかといえば、父親似であるのだろう。口髭などはたくわえていないが、泰然とした雰囲気がマルスタインによく似ている。
それに妹君のほうも、実に清楚で人好きのする笑顔の持ち主であった。体格も華奢でほっそりしているし、こちらもマルスタインに似た明るい茶色の瞳をしている。
聞けば彼らは、それぞれ別の子爵家に婿入り嫁入りした身であるとのことであった。ともに座しているのは、そのご家族であられたのだ。
子爵家というのは伯爵家の下位にあたる身分となるが、そもそもの出自は侯爵家や伯爵家の分家なのである。ジェノス侯爵家の分家筋にあたる家に入って、そちらはそちらで貴き血脈を守っているというのが実情であるようだった。
「兄君にもしものことがあれば、わたしも今以上の重責を担わされてしまうのだろうがな。しかしそれも、オディフィア姫が伴侶を娶るまでのことだ。ジェノス侯爵家の行く末に心配はない」
「まあ。そのように不吉なことを仰って……メルフリード兄様もエウリフィアもあれだけご壮健なのですから、何も心配はいりませんでしょう。オディフィアの婚儀を待つまでもなく、いずれは立派な男児を授かるのじゃないかしら」
そんなやり取りからもうかがえる通り、実に気さくな人々であった。それも、マルスタインと同じように如才のない、洗練された大らかさともいうべき雰囲気である。
「でも本当に、ご挨拶ができて嬉しいわ。特に、あなた……アイ=ファと仰ったわよね? 仮面舞踏会における姫騎士ゼリアの扮装は本当に凛々しくて、わたくしも目を奪われてしまったわ」
「……いたみいる」
「闘技会の祝賀会での宴衣装なんかは、一変してたおやかな貴婦人のようだったし……今日もあの麗しき姿を見られるのではないかと期待してしまっていたので、それだけが残念ね」
「…………いたみいる」
と、愛想のないアイ=ファにもしきりに話題を振ってくれる気遣いを有した妹君であった。
リミ=ルウやマルフィラ=ナハムにも、料理と菓子の素晴らしい出来栄えについてが語られる。マルフィラ=ナハムなどは恐縮することしきりであったが、アイ=ファのマッサージが必要になるほどの緊張は強いられずに済んだようだ。
「森辺においては、どのように雨季を過ごすのだろうか? 何か独自の習わしでも存在するのであろうかな?」
弟君のほうが新たな話題を切り出すと、ダリ=サウティは「さて?」と小首を傾げた。
「《アムスホルンの息吹》を始めとする病魔に備えるぐらいで、とりたてて独自の習わしというものは存在しないように思うが……この年に限っては、特別な試みを為そうと考えている」
「ほう、特別な試み」
「うむ。それもべつだん、雨季だからというわけでもないのだが……森辺においては交流を深めるために、血族ならぬ氏族と家人を貸し合うことがある。この雨季にも、それを行おうと考えているのだ」
そう言って、ダリ=サウティはアイ=ファのほうに視線を転じた。
「いい機会だから、この場でアイ=ファにも伝えておこう。俺は、ファの家にも世話になりたいと考えている」
「なに? しかしファの家は――」
「うむ。家人がふたりしかないのでは、家人を貸し合うこともままならんな。だから、俺を始めとするサウティの家人を預かってもらいたいのだ」
人をそらさぬ笑みをたたえつつ、ダリ=サウティはそう言った。
「こちらはもともと、フォウの血族と家人を貸し合うつもりでいたのだ。ただ交流を深めるというだけでなく、ギバ狩りとかまど仕事の作法を伝え合うことで、さらなる力をつけられればと考えている」
「ギバ狩りの作法……では、私とともに森に入ろうというのか?」
「うむ。ファの家ではギバ寄せの実を扱い、サウティの家ではギバ除けの実を扱っている。それを組み合わせることで新たな作法を生み出せるということは、森の主の一件で示されていよう。おたがいに、さらなる力をつける好機ではなかろうか?」
そう言って、ダリ=サウティはますます楽しそうに目を細めた。
「……とな、前回の晩餐会でアルヴァッハと言葉を交わして以来、ずっと考えていたのだ。ファの家と絆を深めたいのは山々だが、ただ女衆を送りつけるだけではこちらが習うばかりであるし、ファの家には何の益も生まれない。そして、俺自身が絆を深めることもかなわない。ファの家に益をもたらし、俺自身も絆を深めるにはどうするべきか……それで出した答えが、これだ」
「ふむ……」
「ギバ寄せの実は扱いが難しいために、最近ではそれを扱おうとする氏族も少ない。しかしギバ除けの実と組み合わせれば、アイ=ファほどの力を持たない狩人でも、危険を冒さずにさらなる収獲をあげることができるようになるかもしれん。これはファとサウティのみならず、森辺のすべての氏族にとっても益のある話になるのではないだろうかな?」
「……弁舌では、ダリ=サウティに勝てる気がしない」
と、唇がとがりそうになるのをこらえつつ、アイ=ファはそのように言いたてた。
「また、一方的に押しかけてきたラウ=レイに比べれば、道理のある話なのであろう。……そもそも族長の言いつけに逆らうことなど、許されはしないのであろうしな」
「俺は族長という立場から、同胞に無理を強いるつもりはない。アイ=ファが賛同できぬというのなら、心ゆくまで語らうつもりだぞ」
「……だから、ダリ=サウティに弁舌で勝てる気はしない。それにやっぱりダリ=サウティは、族長に相応しい明哲さを有しているのだろうと思う」
アイ=ファは観念した様子で、最後に苦笑を浮かべることになった。
「しかし本当に、ダリ=サウティ自らがファやフォウの家を巡ろうという心づもりであるのか? ドンダ=ルウやグラフ=ザザも、さぞかし驚嘆するであろうな」
「あちらは跡継ぎたる子に見聞を広げるようにと申しつけているが、こちらは俺自身が若輩者であるからな。ならば、自らの目でさまざまなことを見届けるべきであろう。……フォウとの一件では、なおさらにな」
「フォウとの一件? それはもしや……」
「うむ。こちらのヴェラの家長の妹と、フォウの分家の男衆が、おたがいを懸想してしまった件についてだな」
ずっと無言であったヴェラの家長が、深々と溜め息をつく。俺とアイ=ファは、そろって驚くことになった。
「そ、その話は俺もうかがっていましたが、もうずいぶん前の話ですよね? あれはたしか……生鮮肉を売る仕事の引き継ぎをしていたときの話でしょう?」
「うむ。生半可な気持ちであれば、とっくに消え去るほどの時間が過ぎていよう。……しかしどうやら、そうではなかったようなのでな。ならば俺たちも、それが正しき行いであるかどうか、我が目で見定めなければならんということだ」
すると、ヴェラの若き家長が悄然とした面持ちでダリ=サウティを振り返った。
「族長ダリ=サウティには、本当に申し訳なく思っている。まさか、俺の妹がこのような面倒ごとを起こそうとは……」
「べつだん、責めるような話ではない。これは、家長会議でも認められた話であるのだからな。……まあ俺も、こんな早々にそのような話が持ち上がるなどとは予想していなかったが」
そう言って、ダリ=サウティは力強い笑みをヴェラの家長に返した。
「本当にその者たちは、ディック=ドムやモルン=ルティムほどの覚悟を携えているのか。また、ヴェラとフォウはたがいを血族と見なすことがかなうのか。俺たちは、それを正しく見定めればいいのだ」
「はい……」
「そういうわけで、サウティとフォウの血族は近日中に家人を貸し合うことになる。できればその前に、ファの家の世話になりたいのだ。新たなギバ狩りの作法を確立できれば、そののちにフォウの血族にも伝えることがかなうからな」
「了承した。……狩人だけでなく、かまど番もやってくるのだな?」
「うむ。かまど番はこちらが習ういっぽうであるので、申し訳なく思っているぞ」
ダリ=サウティに魅力的な笑みを向けられて、俺も「いえいえ」と笑い返してみせた。
「サウティの血族の方々とかまど仕事をともにするのは、森の主の一件以来ですもんね。俺も楽しみにしています」
「感謝する」と言ってから、ダリ=サウティは貴族の面々に向きなおった。
「このような場で自分たちの話ばかりして申し訳なかった。退屈させてしまっただろうか?」
「いや、興味深く聞いていた。それは、わたしの兄君もわきまえている話であるのだろうか?」
「うむ? いや、べつだん調停官の許しが必要になる話でもないので、とりたてて伝えてはいないが」
「では、わたしから話させてもらおう。いつも森辺の興味深い話を聞かされるばかりであったので、たまにはお返しをせねばな」
そんな感じで、その席でも終始なごやかに交流を楽しむことができた。
頃合いを見計らって席を立った俺たちは、ダリ=サウティとも別れの挨拶を交わしつつ、また料理を求めてワゴンに向かう。
「な、な、なんだか大変そうなお話でしたね。か、か、家人を貸し合うというのは、あまりわたしには想像がつきません」
「うん。ラヴィッツの血族でも、いつかそういう話が持ち上がるのかなあ」
「ど、ど、どうなのでしょう……わ、わたしは甘ったれですので、家族と離れてしまうのはすごく気が進まないのですが……」
「うん! 家族が何日もいなくなっちゃうのは、さびしーよね! 1日とか2日だったら、リミも余所の氏族に行ってみたいけど!」
にこにこと楽しそうに笑いながら、リミ=ルウは2種の菓子を取り分けた。俺もようやく腹が満ちてきたので、甘い菓子で締めくくることにする。そんな中、アイ=ファはひとりでマルフィラ=ナハムの煮込み料理をどっさり取り分けていた。
「さて。そろそろアルヴァッハたちのところに出向こうか?」
「うむ。リフレイアとも約束をしてしまっているしな」
と、次なる目的地が決まったところで、小柄な人影が背後からマルフィラ=ナハムの長身を抱きすくめた。
「またお会いしましたね! そろそろわたしたちとご一緒しませんか、マルフィラ=ナハム?」
誰かと思えば、レイ=マトゥアである。それを追いかけて、すぐにユン=スドラも姿を現した。
「お疲れ様です、アイ=ファにアスタ。シリィ=ロウは大丈夫でしたか?」
「うん。じきに戻ってくるんじゃないかな。ユン=スドラたちは、どうだい?」
「はい。さまざまな貴族たちと絆を深めることができて、楽しいです。家に戻ったら、家長に色々と聞いてもらいたく思います」
ユン=スドラもレイ=マトゥアも、心からこの晩餐会を楽しめている様子であった。このように年若い身で、しかも余人の力を借りずに貴族と絆を深められるというのも、両名の持つ社交性や人徳ゆえであるだろう。
「それじゃあ、マルフィラ=ナハムはお返ししようかな。いつまでも俺たちばかりが独占していたら、申し訳ないしね」
「そうですよー! わたしもマルフィラ=ナハムと一緒に、あちこち巡りたいです!」
14歳になっても無邪気さが減退する様子もなく、レイ=マトゥアはマルフィラ=ナハムの細長い腕を抱きすくめていた。マルフィラ=ナハムはちょっと気恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに微笑んでいる。
「それじゃあ、また」と挨拶を交わして、俺たちはアルヴァッハのもとを目指すことにした。
貴賓たる身のアルヴァッハたちは、ずっと最初の敷物に陣取っているようだ。彼らの頑健なる姿は遠目にも目立っていたので、すぐに判別することができた。
ただ、妙に小姓たちの姿が多い。ゲルドの貴人らではなく、その正面に座した者たちを取り囲んで、何やらざわめいている様子だ。
「失礼します。どうかされましたか?」
俺が声をかけると、小姓たちは波が引くように退いた。
そこから現れたのは、ゲオル=ザザとディック=ドムである。こちらを振り向いたゲオル=ザザは、「おお」と苦笑する。
「お前たちか。べつだん俺たちは、どうもしておらぬぞ」
「でも、何か騒がしくありませんでしたか?」
「それは、こっちのこやつのせいだ」
ディック=ドムの巨体は、小姓たちの陰になっていた。そして、ディック=ドムの陰になっていたのは――誰あろう、ヴァルカスであった。最初に同席していたときと同じように、ぴしりと背筋をのばして膝もそろえている。
「ヴァルカスが、どうかされましたか?」
「それがわからんので、俺たちも手をこまねいていたところだ」
いまひとつ理解が及ばなかったので、俺たちは座するゲオル=ザザたちの背後を回って、ヴァルカスに近づいてみることにした。
「あの、ヴァルカス……?」
ヴァルカスは静かにまぶたを閉ざしたまま、動かない。
その表情は静謐そのものであり、瞑想に耽る行者さながらであった。
「どうしたのでしょう? また料理について思索されているのでしょうか?」
俺の言葉に、アルヴァッハが「否」と応じてきた。そのかたわらでは、外務官が困惑の表情をあらわにしている。
「さきほどまで、料理、談義、交わしていた。その場、ゲオル=ザザとディック=ドム、挨拶、出向いてくれたため、しばし、語らっていたのだが……気づいたとき、ヴァルカス、その様相であった」
「なるほど」と答えつつ、俺はそっとヴァルカスの肩を揺すってみた。
「ヴァルカス、どうしました? どこかお加減でも悪いのでしょうか?」
「無駄であろう。ディック=ドムが揺り動かしても、返事がなかったのだからな。さりとて、病魔に憑かれた様子もないし、要するにこれは――」
と、ゲオル=ザザがそこまで言いかけたところで、新たな人影がこちらに駆け寄ってきた。ボズルとタートゥマイの年長者コンビである。
「ど、どうもお待たせいたしました。貴き方々の御前をお騒がせしてしまい、まことに申し訳ありません」
まずはボズルが敷物に膝をついて、アルヴァッハたちに頭を下げる。アルヴァッハとナナクエムとプラティカは無表情にそれを見返し、ひとり困惑顔の外務官が口を開いた。
「料理人ヴァルカスは、いったいどうしてしまったのだ? よもや、病魔を抱えて晩餐会に参じたのではなかろうな?」
「は、その恐れはないかと……タートゥマイ」
「はい」とタートゥマイがヴァルカスのかたわらにひざまずき、その額に手をあてたり呼吸を確かめたりと容態をみはじめた。
「……問題はございません。ただ、力尽きたのでございましょう」
「力尽きた? とは……?」
「我が師ヴァルカスはここ数日、ゲルドの食材の研究を進めるために寝る間も惜しんで厨にこもってございました。また、もとより人の熱気を苦手とする性でありますため、力尽きてしまったのでございましょう」
「つまり、寝ているのだな?」と、ゲオル=ザザが身も蓋もない言葉で締めくくった。
「これだけの騒ぎの中で寝ていられるとは、豪胆というべきか不用心というべきか……ギーズに足をかじられても目覚めそうにないではないか」
「はい。我が師ヴァルカスは厨を出て椅子に座るなり、こうして深き眠りに落ちる姿をたびたび見せておりましたため、心配はご無用かと思われます」
タートゥマイは落ち着き払っていたが、そのぶん外務官の男性が慌てていた。
「びょ、病魔でないのは何よりだが、貴人の方々の前で非礼であろう。そのように疲れ果てておるならば、控えの間で休ませるがよい」
「はい。どうぞご無礼をお許しくださいませ」
と、ボズルとタートゥマイは再び頭を下げて詫びたが、その後は困ったように目を見交わすことになった。ボズルは大柄な南の民であり、タートゥマイも長身ではあったものの、ヴァルカスとて西の民としては身長に恵まれた、立派な成人男性なのである。それをふたりがかりで運び出そうとしたならば、さぞかし珍妙な姿をさらすことになってしまうはずだった。
「……よければ、力を貸すが」
と、ディック=ドムが重々しい声音で呼びかけた。
ボズルは眉を下げながら、それでも笑顔でそちらに向きなおる。
「それは、ありがたき申し出でありますが……ご迷惑ではありませんでしょうかな?」
「べつだん、迷惑ではない。族長代理たるゲオル=ザザが許しを出すならば、力を貸そう」
「ここで力を惜しむ理由はなかろう。いいから、その粗忽者を何とかしてやるがいい」
「では」と、ディック=ドムは背後からヴァルカスの右脇に腕を差し込み、腕一本で上体を持ち上げると、両膝の裏にもう一本の腕を差し込んだ。
そうしてお姫様だっこの姿が完成されても、ヴァルカスが目覚める気配はない。ディック=ドムは仁王立ちになりながら、いぶかしそうに小首を傾げた。
「本当に、目覚める気配も感じられんな。まるでよく眠る赤子を抱いているかのようだ」
「ほう。それは今後に備えてのいい練習になりそうだな」
「……やかましいぞ」と同胞の軽口を掣肘してから、ディック=ドムは手近な小姓に向きなおった。
「控えの間とは、いずこであろうか?」
「ご案内いたします。こちらにどうぞ」
あちこちから注目を集めつつ、ヴァルカスを抱きかかえたディック=ドムはのっしのっしと広間を横断する。ボズルとタートゥマイもそれに追従し、ゲオル=ザザも「やれやれ」と腰を上げた。
「俺もいちおう、見届けておくか。……アルヴァッハにナナクエムよ、またのちほどな」
「うむ。ヴァルカス、よろしく願いたい」
そのように応じてから、アルヴァッハは外務官に向きなおった。
「ヴァルカス、参ずること、懇願した、我である。非礼、責めないよう、お願いする」
「かしこまりました。ジェノスの料理人たるヴァルカスが御前をお騒がせしたこと、わたくしからも謝罪を申し上げさせていただきたく存じます」
そんなわけで、貴人らの正面のスペースはぽっかりと空くことになった。
了承をいただいてから、俺とアイ=ファとリミ=ルウはそこに座らせていただく。
「アスタ、アイ=ファ、リミ=ルウ、足労、感謝である」
「いえ。今日は大事な晩餐会の厨をまかせていただき、心から光栄に思っています」
あらためて、俺はアルヴァッハたちとの別れを噛みしめることになった。
この晩餐会を終えたならば、彼らとはまた長きの別れとなってしまうのだ。前回はふた月ていどで再来してくれたアルヴァッハたちであるが、藩主の第一子息たる身がそうたびたび故郷を離れることは許されないだろう。次にお会いできるのは、果たして何ヶ月後か――そのようなことは、当人たちにも定かではないはずであった。
「繰り言、なるが、森辺の民、絆、結べたこと、心より、嬉しく思っている。どうか、壮健、過ごしてもらいたい」
「うむ。我々も、そちらの健やかな生を祈っている。また、プラティカの身は我々が見守っているので、憂いなく故郷に戻ってもらいたい」
アイ=ファがそのように答えると、プラティカがぎゅっと眉をひそめながら一礼した。そちらをちらりと見やるアイ=ファの目には、とても優しげな光が瞬いている。
「……アイ=ファ。ひとつ、いいだろうか?」
アルヴァッハの厳かな声に、アイ=ファがまたそちらに視線を転じる。
「うむ。何であろうか?」
「我々、森辺の習わし、軽んじないこと、心がけていた。それでも、迷惑、多々、かけたかと思うが……怒り、買っていないだろうか?」
「それはまあ、婚儀や収穫祭に外界の人間を迎えるというのは、森辺の習わしにそぐわない行いであるかと思うが……それが我々の怒りをかきたてるような行いであれば、族長たちも肯んじはしなかったであろう。ゲルドの貴人らと絆を深められたことを、森辺においては誰もが喜んでいるだろうと思う」
「ありがたい、思う」と、アルヴァッハは目礼をした。無表情だが、どこか神妙な様子である。
「であれば、最後、我々の習わし、受諾、願えるであろうか?」
「そちらの習わし? ゲルドの習わしということか?」
「うむ。ゲルド、感謝の心情、贈り物、込める。謝罪の心情、同様である」
アイ=ファはうっすらと、苦笑めいたものを口もとに浮かべた。
「出会った当初にも、あなたがたには謝罪の贈り物というものを渡されていたな。確かにそれは森辺の習わしにはない行いであるし、贈り物などがなくともあなたがたの心情を疑うことはない」
「それでも、贈りたい、願うこと、不遜であろうか? ファの家、数多く、世話、かけたため、感謝の贈り物、贈りたい、願っている」
そんな風に言いながら、アルヴァッハはリミ=ルウのほうに視線を飛ばした。
「……そして、ルウの家、贈り物、準備していないこと、申し訳ない、思う」
「ううん! あなたたちは、アスタやアイ=ファと仲良しだったからね! ドンダ父さんも、非礼だー! なんて言わないと思うよ!」
「感謝する」と、アルヴァッハはリミ=ルウにも目礼をした。
そうして再び視線を戻されると、アイ=ファは観念した様子で息をついた。
「あまり頑なに拒むのは、そちらの心情を踏みにじるような行いであるのだろうな。……了承した。感謝の贈り物というものを受け取らせていただこう」
「感謝する」と繰り返し、アルヴァッハは懐をまさぐった。ゲルドの装束はゆったりとしているので、そこに贈り物とやらを隠し持っていたのだ。
「我、ナナクエム、相談し、取り決めた。我々、両名から、アイ=ファ、アスタ、感謝の贈り物である」
綺麗な織物に包まれた贈り物が、俺とアイ=ファの足もとに置かれた。
俺のほうは細長い包みで、アイ=ファのほうはもう少し幅がある。この状態では、中身を推測することも難しかった。
「よければ、確認、願いたい」
「はい。わざわざありがとうございます」
包みを持ち上げてみると、ほどほどの重量感であった。どうやら、金属製の何かであるらしい。
その正体は、革の鞘に収められた小刀であった。
「ほう、小刀か。……たしかこの場には、刀を持ち込むことが禁じられていたはずだが」
アイ=ファの言葉に、外務官が愛想のいい面持ちで「うむ」とうなずいた。
「どうかこの場では鞘を抜かずに検分し、そののちは小姓に預けてもらいたい。もともとの持ち物とともに、預からせていただく」
「承知しました。……いや、鞘から抜くまでもなく、これは立派な品でありますね。本当にこのようなものをいただいてしまってもよろしいのですか?」
「うむ。そちら、護身用、のみならず、厄災除け、紋様、刻まれている。アスタ、健やかな生、願うゆえである」
森辺においては俺や女衆でも、日用品として小刀を持ち歩いている。おもに活用するのは香草と薪を集める朝方であるが、宿場町に下りる際には護身用という意味合いもあった。
こちらの小刀もそれとサイズは同じぐらいで、使い勝手もよさそうだ。柄には滑り止めの革帯が巻かれており、革鞘には渦巻模様の焼き印が施されている。
「柄、および鞘、造作、簡素であるのは、宿場町、人目、集めないためである。無法者、価値、悟らせないためである」
「ああ、そこまで考えてくださったのですね。本当にありがとうございます、アルヴァッハ、ナナクエム。こちらの贈り物は、大事に使わせていただきます」
両名はそろって、微笑をこらえるように口もとを引きしめた。
すると俺の隣から、アイ=ファの「うっ」という声が聞こえてくる。
「な……何なのだ、これは?」
「そちら、手鏡である」
アイ=ファの手に握られているものを見て、リミ=ルウが「うわあ」とはしゃいだ声をあげた。
「すごいすごい! アイ=ファとリミのお顔が映ってる! これ、城下町のどこかにもあったよねー!」
それは、まぎれもなく手鏡であった。鏡面のサイズは長い部分が15センチていどの楕円形で、その縁や柄は鈍い銀色に輝いている。なおかつ、同じ銀色をした裏面には精緻な彫刻がほどこされており、いかにも貴婦人の持ち物という風情であった。
「ど、どうしてアスタが刀で、私がこのような物であるのだ?」
「うむ? ゲルドにおいて、男子、刀、贈り、女子、手鏡、贈る、通例である」
「いや、このようなものを授かっても、私には使い道がないのだが……」
「アイ=ファ、狩人である。しかし、宴衣装、纏う機会、存在する。ならば、無駄ではない、考えている。宴衣装、纏った姿、自身の目、確認、必要である」
そう言って、アルヴァッハはわずかに目を細めた。やはり、微笑をこらえているかのような仕草だ。
「また、シムにおいて、鏡、厄災除け、考えられている。ファの家、健やかであること、願うゆえである」
アイ=ファが深々と息をつくと、その呼気で鏡面が曇ってしまった。
アイ=ファは、ぎょっとした様子で手鏡を自分から遠ざける。
「な、なんだ? いきなり白くなってしまったぞ?」
「呼吸、水分、移ったためである。水分、除去すれば、輝き、取り戻す」
「ほんとだー! かがみって、面白いね!」
リミ=ルウはアイ=ファにぴったり寄り添って、そこに映る自分たちの姿を楽しんでいた。
装束の袖で鏡面をふいたアイ=ファは、再びそれを曇らせてしまわないように顔をそむけて溜め息をつく。
「まあ、贈り物を受け取ると了承してしまったからな……このようにはっきりと自分の顔を目にするのは、どうにも落ち着かない気分なのだが……」
「いいじゃないか。きっと慣れれば、いろいろ便利だと思うぞ」
俺がそのように口をはさむと、アイ=ファはいくぶん顔を赤くしながら、俺の頭を片手でわしゃわしゃとかき回してきた。
「アルヴァッハ、美食、好むため、ファの家、ひときわ、迷惑、かけたように思う。感謝、および、謝罪の心情、贈り物、込めさせていただいた」
と、今度はナナクエムがそのように発言する。
「ただし、我もまた、ファの家、絆、深められたこと、得難い、思っている。森辺の民、いずれも好ましい、思うが、アイ=ファ、アスタ、特別である」
「特別? 美味なる食事というものに強い関心を抱いているのは、アルヴァッハのみであるのであろう?」
「うむ。美味なる食事、関係なく、アイ=ファ、アスタ、好ましい、思っている。両名、魂、輝き、美しさ、ゆえであろう」
そう言って、ナナクエムも少しだけ目を細めた。
「我、星読み、たしなまないが、それでも、両名、稀有なる星、有していること、見て取る、容易である。……星、言い様、不満であれば、魂、言い換えたい。その魂、美しく、稀有な輝き、帯びている。アイ=ファ、アスタ、友、なれたこと、我、大きな喜びである」
「かまど番としてのアスタを賞賛されることは、私にとって何よりの誇りであるが、それとは関わりなくアスタの人柄を好ましく思ってもらえたなら……それも同じぐらい、嬉しく思う」
アイ=ファもまた、やわらかく目を細めて、そのように応じた。
「それに我々も、あなたがたと絆を深められたことを得難く思っている。あなたもアルヴァッハも、そしてプラティカも……誰もが好ましい人間であると思っているぞ」
「光栄である」という短い言葉に、ナナクエムの心情がしっかり込められているように感じられた。
するとアイ=ファが牙と角の首飾りを外して、それをナナクエムに差し出した。
「我々も、ゲルドの習わしに従ってみるとしよう。アスタの首飾りには特別ないわれが存在するので、これをファの家からの感謝の気持ちと思ってもらいたい」
「……こちら、狩人の誇り、聞いているのだが、譲渡、許されるのであろうか?」
「許されるも何も、ギバの牙と角は宿場町で売り渡している。そうして家人が生きるための糧を手にできるからこそ、ギバの牙と角は狩人の誇りと見なされているのだ」
そんな風に言ってから、アイ=ファは珍しくも悪戯を楽しむ幼子のように微笑んだ。
「また、ファの家においてはアスタが商売で銅貨を得ているために、牙も角も有り余ってしまっている。折を見て売り払っているのだが、すぐに新たな牙と角が溜まってしまうのだ。家にはまだいくつもの首飾りを作れるだけの余分があるので、大事ない」
「了承した。半分ずつ、配分し、ゲル、ド、それぞれの屋敷、飾らせていただく」
ナナクエムはアイ=ファから首飾りを受け取ると、左手で虚空に何かの印を描き、一礼した。アルヴァッハも、同じ仕草で感謝の礼をする。
そうしてアイ=ファに視線でうながされたので、俺もあらためて挨拶をさせてもらうことにした。
「俺もみなさんと出会えた運命を、母なる森や神々に感謝したい気持ちでいっぱいです。道中は、どうかお気をつけください。……そして、またお会いできる日を心待ちにしています」
「うむ。いささか、時間、かかろうが、必ず、再訪すること、約束する」
そのように答えてくれたのは、アルヴァッハであった。
ナナクエムも、無言でうなずいてくれている。
俺は心から、満ち足りた気持ちであった。
森辺の民とも草原の民とも一風異なる、山の民――ゲルドの民と出会えた喜びを、胸の奥底で噛みしめる。最初に出会ったゲルドの民には、危うく害されそうになってしまった俺であるが――そこで運命が変転して、俺たちとアルヴァッハたちを結びつけてくれたのだ。
フェルメスに言わせれば、そんな俺たちの出会いまでもが、『星無き民』である俺のもたらした運命の変転であるのかもしれない。
しかし、俺ひとりの存在がすべてをもたらしただなんて、そんな馬鹿げた話はないだろう。それをいうなら、俺を森辺の家人に迎えてくれたアイ=ファや、俺に危害をもたらそうとしたシルエルや、シルエルから俺の身を守ってくれたティアがいなかったら、このような運命も訪れていなかったはずであるのだ。
俺はひとりの人間として、アイ=ファと出会い、シルエルと出会い、ティアと出会い、さまざまな人々と出会うことによって、アルヴァッハやナナクエムとも出会うことができた。
たとえ天の星図に俺の星がなかったとしても、地上にはこれだけの出来事が現出しているのだ。
だから俺はひとりの人間として、こんな希望や喜びを噛みしめることがかなうのだった。
「それでは、また」と、アルヴァッハが重々しい声音で告げてきた。
俺も同じように、「それでは、また」と答えてみせた。
この晩餐会が終わりを告げて、本当に最後の挨拶を交わす段に至っても、俺は同じ言葉を告げることになるだろう。
《銀の壺》や南の建築屋の人々にも告げたように、「さようなら」ではなく「それでは、また」と。
俺は果たして日本語で会話をしているのか、それとも日本語を使っているつもりで、実際は知らず内に習得した西の言葉で会話をしているのか、それすらも定かではなかったのだが――そのように些末な問題で思い悩むこともなく、俺は「それでは、また」という再会の約束をはらんだ別れの挨拶に、すべての思いを込めることができた。