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異世界料理道  作者: EDA
第五十六章 雨季、再び
975/1677

送別の晩餐会⑥~波紋の行方~

2020.11/28 更新分 1/1

 ダレイム伯爵家の人々ともぞんぶんに親交を深めたのち、今度はサトゥラス伯爵家の面々を探し求めることになった。

 その際に増員されたのは、リミ=ルウである。ずっと大事な友と離ればなれであったリミ=ルウは、その分の温もりを取り戻さんとばかりにアイ=ファの左腕にぶら下がり、終始ご機嫌の様子であった。


「あれ、ララだ。さっきまでマイムと一緒だったのに、ひとりでどうしたんだろう?」


 と、そのリミ=ルウが敷物のひとつを指し示す。そこにも複数名の人々が座していたが、確かに森辺の民の姿はララ=ルウしかなかった。

 なおかつ、料理を楽しんでいる風でもなく、敷物の端に膝をついて、誰かと熱心に語らっている様子である。ちょっと気になったので、俺たちもその場に立ち寄ることにした。


「ララ、何やってんのー?」


 リミ=ルウの呼びかけにララ=ルウが振り返ると、その正面に座していた人物の姿があらわになる。意外なことに、それは王都の外交官の補佐役たる、オーグであった。


「ああ、そっちはアイ=ファたちと一緒になれたんだね。ジザ兄たちは、どこにいる?」


「ジザ兄たちは、あっちでダレイム伯爵家の人たちと一緒だよー。でも、なんで?」


「うん。ジザ兄は、このお人と語らっておいたほうがいいんじゃないかと思ってさ」


 そうして姉妹が語らっている間も、オーグは普段通りの厳格なる面持ちで口をつぐんでいた。上役たるフェルメスとは対照的に、謹厳かつ不愛想な御仁なのである。


「ああ、オーグは赤の月いっぱいで、いったん王都に戻られるそうですね。……もしかしたら、そのへんの兼ね合いで?」


「うん。ジザ兄とかはしばらく城下町に招かれることもないだろうし、それならこれが最後の機会になるかと思ってさ」


 ララ=ルウもまた普段通りのたたずまいであったが、俺は小さからぬ驚きを抱かされていた。オーグの件は俺も聞かされていたのに、ならば森辺の立場ある面々も挨拶を交わしておくべきである、という発想には至らなかったのである。


(本当にララ=ルウは、ぐんぐん成長してるなあ。それも、思いも寄らない方向に)


 俺がそのように考えていると、ようやくオーグが口を開いた。


「これが最後と申されても、わたしが補佐役を解任されるわけではないのですぞ? 王陛下にご不興を買わない限りは、フェルメス殿ともども次の任期も務めあげることになるのですからな」


「うん。だけど、王都まではひと月がかりなんでしょ? 往復したらふた月なんだし、それならやっぱり挨拶をさせてもらわないとさ。……それじゃあ、ジザ兄を呼んでくるから、ここでちょっと待っててくれる? リミたちは、ちょっとお相手をしててよ」


 そのように言い残して、ララ=ルウは若鹿のごとき足取りで立ち去っていった。

 お相手を申しつけられてしまったので、俺とアイ=ファが敷物の端に膝を折ることにする。


「オーグにも、大変お世話になりました。道中は、どうかお気をつけください」


「出発は、半月の後となります。送別の挨拶には早いように思われますな」


 そう言って、オーグは俺の顔をぎろりとにらみつけてきた。


「……ところでそちらでは、宿場町において調理の講師という仕事を始められたそうですな」


「あ、はい。族長たちからジェノス城のほうに、使者が届けられたかと思いますが……」


「無論、うかがっております。この瀬戸際で、また調書に加えるべき事項が発生したのですからな」


 怒っているわけではないのであろうが、歓迎されている風でもない。とりあえず、俺はご機嫌をうかがっておくことにした。


「最後の最後までお騒がせしてしまって、申し訳ありません。やはりこういった行いも、王都への報告の対象となるのですね」


「無論です。ジェノスの情勢を余すところなく王都までお伝えするのが、我々の任務であるのですからな」


 厳格なる態度を保持したまま、オーグはそのように言いつのった。


「かといって、あなたがたが我々の都合を鑑みて、新たな仕事の開始をつつしむ理由などはございませんでしょう。よって、わたしが謝罪されるいわれはないように思われますな」


 本当に、頑迷すれすれの謹厳さを有するオーグである。

 するとアイ=ファが、鋭く引き締められた面持ちでオーグに問いかけた。


「その調書というものに、アスタの行状もつぶさに記されているのだな? ……あなたの目から見て、アスタの行いは正しきものであると判じられているのであろうか?」


「……わたし個人の見解など、気にする必要はございませんでしょう。すべてを判ずるのは、王都におわす王陛下であられるのです」


「それは、わかっている。しかし私は、あなたの心情を聞かせてもらいたく思うのだ」


 オーグは、太い眉をうろんげにひそめた。


「何故です? 理由をお聞かせ願いたい」


「理由は……あなたが王国の法というものに重きを置いて、とても誠実に振る舞っているように感じられるためだ」


 凛然とした口調で、アイ=ファはそう言った。


「そんなあなたであれば、きわめて公正な目でアスタの行いを判ずることができよう。だからこそ、あなたの心情を聞かせてもらいたいと思うのだ。どうか聞き届けてはもらえないだろうか?」


「……わたしは公人としてこの場にあるのですから、私人としての見解などを述べるのはわきまえるべきかと思うのですが……」


 と、オーグは炯々と光る目で俺とアイ=ファの姿を見比べた。


「……そちらのアスタの存在が、ジェノスに大きな繁栄と混乱を同時にもたらしているというのは、まず間違いのないことでしょうな」


「それはあなたにとって、正しき行いと判じられるのであろうか? それとも――」


「繁栄も混乱も、それは受け止める側のもたらす結果でありましょう。そちらのアスタは異邦人たる自分がこの地の人間として正しく生きんと願っているだけなのでしょうから、それを悪しき行いと判ずることはできぬかと思われます」


「……そうか」と、アイ=ファは深く息をついた。


「ぶしつけな質問に答えてもらい、心から感謝している。道中は、どうか気をつけてもらいたい」


「ですから、送別の挨拶には早いかと思われます。明日ジェノスを出立するのは、わたしではなくゲルドの方々なのですぞ?」


 オーグが仏頂面でそのように言いたてた頃、ジザ=ルウとルド=ルウを引っ立てたララ=ルウが戻ってきた。


「お待たせー! アイ=ファにアスタ、どうもありがとね」


「うむ」とアイ=ファが身を引いたので、俺もオーグに一礼してから、それにならうことにした。

 そうして歩を再開させつつ、俺はしみじみとした気持ちでアイ=ファに語りかける。


「アイ=ファはオーグに対して、あんな気持ちを抱いていたんだな」


「うむ? お前は、そうではなかったというのか?」


「うん。もちろん立派なお人であるとは思ってたけど、そこまでは考えが及んでいなかったよ。……今にして思えば、オーグは南の使節団のロブロスとちょっと雰囲気が似てるよな」


 俺はそのロブロスにこそ、王国の民の規範ともいうべき威厳や覚悟というものを感じていたのだ。


「そんなオーグにああ言ってもらえるのは、心強いことだよな。……どうもありがとう、アイ=ファ」


「ふん。肝心の王というものが真っ当な人間であるかどうかは、うかがい知れぬことだがな」


 と、アイ=ファは拳で俺のこめかみをぐりぐりと可愛がってくれた。

 そんなタイミングで、サトゥラス伯爵家の敷物に到着である。


「あ、マイムたちはここにいたんだね!」


「はい。サトゥラス伯爵家の方々にご挨拶をさせていただいていました」


 すっかり森辺の装束が板についてきたマイムは、可愛らしいポンチョ姿でにっこりと微笑んだ。そのかたわらに座しているのは、ボズルとタートゥマイである。サトゥラス伯爵家のほうは、領主のルイドロスと第一子息のリーハイムの他に、見慣れぬ人々が数名控えていた。


「おお、其方たちも今宵はご苦労であったな。さあ、遠慮はいらぬから座るといい」


 いかにも貴族然としたルイドロスが、鷹揚に微笑みながらそのようにうながしてくれた。いっぽうリーハイムは、ちょっと残念そうな面持ちで俺たちの姿を見回している。


「レイナ=ルウは、一緒ではなかったのだな。今日はなかなかこちらに近づいてくれないのだが……俺はまた、何か不始末でもしてしまっただろうか?」


「あ、レイナ姉はねー、ロイやシリィ=ロウたちと一緒にいるはずだよ! なんかふたりが元気ないから、シーラ=ルウと一緒に慰めてるみたい」


「ロイ? シリィ=ロウ? どこかで聞いたような名だが……」


 すると、さすがにきっちりと膝をそろえて座していたボズルが、それでも普段通りの大らかな笑顔で「恐れながら」と発言した。


「その両名は、我々と同じくヴァルカスの弟子たる身でありますな。たしか以前にヴァルカスが病魔で臥せった折、そちらの両名がサトゥラス伯爵家の厨をお預かりしたことがございましょう」


「おお、あの若き料理人たちか」と、ルイドロスのほうが反応した。


「あの者たちも、実に優れた腕を持つ料理人であったな。……して、その両名がどうして気を落としてしまっているのであろうかな?」


「えーっとね、マルフィラ=ナハムの料理が美味しすぎて、びっくりしちゃったみたい! ……です」


「なるほど」と、ボズルはマルフィラ=ナハムに向きなおった。


「確かにあの料理には、驚かされました。マルフィラ=ナハム殿ほどお若き料理人があれだけの料理を作りあげたとあらば、確かに我々も驚きを禁じえませんな」


「ほう。では、その娘御がマルフィラ=ナハムなる者であったのか。たしか、先日の晩餐会にも参席していたはずであるな」


 伯爵家の人々に注視されてしまい、マルフィラ=ナハムはまた硬直してしまった。

 すかさずアイ=ファが肩をもみほぐしたので、その顔に柔和さが蘇る。


「は、は、初めまして。ナ、ナハム家の三姉、マルフィラ=ナハムと申します。せ、せ、先日はきちんとご挨拶もできず、まことに申し訳ありません」


「いやいや、我々も見知った相手と言葉を交わすばかりで、なかなか初見の相手には声をかけるいとまもなかったからな。何も謝罪には及ばない」


 いくぶん芝居がかったところのあるルイドロスであるが、社交性は豊かであるし、何より和を重んじるタイプである。名もなき氏族のマルフィラ=ナハムに対しても、その態度が崩されることはなかった。


「わたしもあの料理の出来栄えには驚かされた。城下町の料理人にとっても、それは同様ということであるな?」


「はい」と応じたのは、タートゥマイである。


「わたしも内心で、舌を巻くことに相成りました。森辺には優れた料理人が多数存在するかと思われますが、あれほど数多くの香草を調和させるというのは……アスタ殿の作りあげたぎばかれーを口にしたとき以来の驚きであったやもしれません」


「うむ。レイナ=ルウやトゥール=ディンに続いて、また有望なる森辺の料理人が台頭したということであるな」


 ルイドロスがそのように言いたてると、マルフィラ=ナハムがすごい勢いで目を泳がせ始めた。

 アイ=ファはひとつ息をついてから、腰を浮かせてマルフィラ=ナハムの背後に回り込む。


「何か思うところがあるのなら、ぞんぶんに語るがいい。お前が石と化してしまわぬように、力を添えてやる」


「あ、あ、ありがとうございます。……あ、あ、あの、過分なお言葉をいただいて、光栄の限りなのですが……わ、わたしはまだ、ようやく納得のいく料理を1種完成させただけの未熟者であるのです。ア、アルヴァッハやヴァルカスには、もっと多彩な具材を使うべきだと言われてしまいましたし……け、決してそんな、たいそうなかまど番ではないのです」


「アルヴァッハ殿と《銀星堂》のヴァルカスは、尋常ならざる舌を持っていると評判であるからな。其方が大した料理人であるという事実に変わりはないように思うぞ」


「あ、あ、ありがとうございます。……で、ですがそれでも、まだたったの1種であるのです。さ、さまざまな料理や菓子を作りあげることのできるレイナ=ルウやトゥール=ディンには、とうてい及びもつきません。そ、そ、それだけは、どうか誤解のないようにお願いいたします」


「お前は、つつしみを知っている人間であるのだな」


 と、妙に満足そうな面持ちで、リーハイムがそのように言い出した。


「確かに1種の料理だけでは、晩餐会の厨を預かることもできなかろう。しかしお前の料理は本当に見事であったから、いずれはレイナ=ルウのように大役を果たせるようになると思うぞ」


「は、は、はい。あ、温かいお言葉をありがとうございます」


 マルフィラ=ナハムは、ほっとしたように一礼した。

 その間もアイ=ファが彼女の両肩をもみほぐしているものだから、一部の人々はきょとんとした面持ちでその様子をうかがっている。


 ちなみにレイナ=ルウとてそこまで数多くのオリジナル料理を開発したわけではないし、マルフィラ=ナハムであれば貴族の晩餐会の厨を預かることだって難しくはないだろうと思うのだが――そのようなことは、言わぬが花というものであろう。マルフィラ=ナハムは純然たる気持ちでレイナ=ルウとトゥール=ディンに敬意を表しているのであろうから、俺がそこに水を差すいわれはなかった。


「確かにレイナ=ルウは、さまざまな料理の取り仕切り役を果たすことができますものね。わたしもルウの家人として、レイナ=ルウのことを心から尊敬しています」


 マイムがにこにこと笑いながらそのように追従すると、ボズルが「なるほど」と微笑んだ。


「そのように考えると、マイム殿とマルフィラ=ナハム殿は似たようなお立場であるのやもしれませんな。いまだ習得した献立の数は少なけれども、その出来栄えは我が師ヴァルカスやアスタ殿にも匹敵するという……いや、末恐ろしいものであります」


「ほう。そちらの娘御も、それほどの腕を持つ料理人であったのか。さすがはかつての三大料理人の血筋であるな」


 森辺の家人に迎えられたマイムに関しては、城下町の立場ある人々にも正しく素性が伝えられているのだろう。「とんでもありません」とルイドロスに応じつつ、マイムの小さなお顔には父親に対する誇りがあふれかえっていた。


(以前はマイムも城下町に引き戻されることを心配してたけど、森辺の家人になった今はそういう懸念もないからな)


 そうして森辺でのびのびと修練を積んでいれば、いずれは誰をもうならせるような料理人に成長することだろう。何せマイムはマルフィラ=ナハムよりもさらに若い、12歳の――いや、彼女たちは森辺の家人に迎えられた日を新たな生誕の日と定められたはずであるので、いまだ11歳の少女であるのだ。幼き頃からミケルに指南されていたという境遇を思えば、潜在能力もピカイチであるはずだった。


「誰も彼も、今後の成長が楽しみなところであるな。……また、宿場町の宿屋においては、森辺の料理人に調理の講師を依頼するという話まで持ち上がっている。城下町の料理人も、うかうかとはしておられんな?」


「調理の講師でございますか」と、ボズルが目を丸くした。どうやらその一件は初耳であったらしい。


「アスタ殿やダレイム伯爵家の料理長殿が、目新しい食材やギバ肉の扱いなどを指南しているというお話はうかがっておりましたが……それとはまた別の案件であるのでしょうかな?」


「はい。森辺で手すきの女衆が、その仕事を受け持つことになりました。まだその仕事を始めて5日ていどですが、なかなか好評であるようです」


「なるほど……確かに森辺の集落においては、数多くの方々が優れた調理技術を有しておられるように見受けられましたからな。あれだけの腕があれば、指南役もつとまりましょう」


 ボズルのそんな言葉に、リーハイムが「なに?」と眉を吊り上げた。


「お前、ボズルとやら、お前も森辺の集落に出向いたことがあるのか?」


「はい。さきほど名前のあがったシリィ=ロウやロイと何度か、森辺の祝宴に招いていただいたことがございます」


「そうか……城下町の民ですら、そうして気軽に森辺まで出向いているのだな。その身軽さは、羨ましく思うぞ」


 稚気にあふれるリーハイムは、すねたように口をとがらせた。

 そんな息子の姿に、ルイドロスはかすかに苦笑を浮かべている。


「我々は、そうまで気軽に城下町を離れられる立場ではないからな。だからこうして、森辺の民に足労を願い、城下町まで出向いてもらっているのであろう? ……また許しをもらえれば、レイナ=ルウをサトゥラス伯爵家に招かせていただこう」


「はい。そういった話も、今宵の内に少し進められればと考えていたのですが……」


 確かに本日は、城下町と森辺の立場ある人間が居揃っている。そういう話を進めるには、格好の場であるのであろうが――どうやらリーハイムは、まずレイナ=ルウ自身の心情を確認しておきたいようだった。


「それじゃあレイナ姉と会ったら、あなたのことを伝えておくね! レイナ姉も、きっと喜ぶと思うよー!」


 リミ=ルウがそのように発言すると、リーハイムは「本当か?」と少し心配そうに反問した。リミ=ルウは元気いっぱいに、「うん!」とうなずく。


「伯爵家の人たちが自分なんかにかまどを預けてくれるのは、すごく誇らしいって! それに、あなたと正しい絆を深められたことも、すごく嬉しいって言ってたよー!」


「そうか」と、リーハイムは気恥ずかしそうに微笑んだ。

 かつてはレイナ=ルウと悪縁を結んでしまったリーハイムであるが、すっかり信頼を勝ち得た様子である。また、俺の目から見ても、リーハイムは料理人としてのレイナ=ルウに心から敬服し、正しい関係性を構築したいと願っているように思えた。


 そうしてしばらく雑談を楽しんだ後、俺たちはその敷物も後にすることにした。

 これで伯爵家はコンプリートできたので、あとは見慣れぬ相手との交流にも励むべきであろうか。

 しかしその前に、ロイとシリィ=ロウの様子も気にかかるところであった。


「あやつらは、さきほどから姿を見かけんぞ。部屋を出た様子はないのだがな」


 そんなアイ=ファの言葉に、俺たちはそろって首を傾げることになった。


「部屋を出た様子はないのに姿を見かけないというのは、どういうことだろう? ここには隠れる場所なんてないみたいだぞ?」


「何を言っている。ここほど身を隠すのに困らない場所はあるまい」


 アイ=ファに言われて、ようやく思い至った。ここは広大なるホールであり、余分なスペースは衝立などで区分けされているのだ。そしてそれらの衝立の裏には、貴き人々を守る衛兵たちが居並んでいるはずであった。


「リミ=ルウは、レイナ=ルウに声をかけたいのだな? では、先にそれを片付けることにするか」


 と、アイ=ファが先頭に立って、衝立に囲まれた広間の外周を巡ることになった。

 小姓たちはひっきりなしに給仕をしており、中には自らワゴンで料理を物色している貴族たちもいる。途中で出会ったユン=スドラとレイ=マトゥアに挨拶をして、広間をおおよそ半周したところで、アイ=ファはふいに足を止めた。


「ここだな。かすかに声が聞こえる」


 ワゴンも設置されていないので、誰も近づこうとしない広間の片隅である。目の前に立ちはだかるは、シム風の紋様が美しい織物を張られた立派な衝立だ。

 アイ=ファがひょいっとその裏側を覗き込むと、「おお!」という懐かしい声が聞こえてきた。


「アイ=ファ殿までいらしたか。いったい、どうなさったのです?」


「うむ。そこで語らっている者たちに用事があってな」


 俺とリミ=ルウとマルフィラ=ナハムも、おそるおそる衝立の裏を覗き込んでみた。

 そこで待ちかまえていたのは、想像通りの人物――武官のお仕着せを纏った、ムスルであった。顔の下半分に立派な髭をたくわえたムスルは、俺の姿を見るなり「おお」と嬉しそうに笑みくずれる。


「アスタ殿も、おひさしぶりでありますな。リフレイア様は、おふたりに会える今日という日を心待ちにしておりましたぞ」


「はい。さきほどようやく、ご挨拶をすることができました」


 トゥラン伯爵家に仕える武官である彼は、いつもこうして陰ながら当主らの身を守っているのだ。他には同じ武官の姿しか見えなかったが、アルヴァッハたちの護衛役であるゲルドの2名やフェルメスを守るジェムドなども、いずれかに潜んでいるはずであった。


 で、そんな衝立からも少し離れた奥まった場所で、4名の人々が顔を寄せ合っていた。レイナ=ルウとシーラ=ルウ、ロイとシリィ=ロウである。


「どうもあちらでは、女人のひとりが心を乱してしまっているようで……貴き方々に失礼な姿は見せられないと仰り、ああして気持ちを休めているのです」


「……あまり気持ちが休まっているようには見えんがな」


「ええ。我々も、なるべく速やかにお戻り願いたいと願っているのですが……」


 状況は、遠目にも明らかである。そもそもレイナ=ルウやシーラ=ルウには心を乱す理由がないのだ。4名で語らっているのではなく、心を乱してしまった1名を3名がかりでなだめているのだろう。


「うーん、どうしよう。マルフィラ=ナハムを連れていったら、火に油を注いじゃうかなあ?」


「いや。むしろマルフィラ=ナハムと言葉を交わさない限り、あやつも気が済まないのではないだろうか」


 そんな風に語らいながら、俺とアイ=ファはマルフィラ=ナハムに向きなおった。

 マルフィラ=ナハムはあまり状況を把握できていない様子で、きょとんとしている。


「い、い、いったいどうされたのでしょう? さ、さきほどリミ=ルウは、わたしの料理が原因であると言っていたような気がするのですが……」


「うむ。とりあえず、あちらの言い分を聞き届けるべきであろうな」


 ということで、俺たちもムスルや武官らの許しをいただいて、その輪に加わらせていただくことにした。


「あの、失礼します。……大丈夫ですか、シリィ=ロウ?」


 俺がそのように呼びかけると、シーラ=ルウとロイの隙間からシリィ=ロウが泣き顔を突き出してきた。


「どうしてあなたがたまで来てしまうのですか! わたしのことなど、もう放っておいてください!」


「馬鹿、声が大きいよ。なんのために、こんな場所まで引っ込んだと思ってんだ」


 ロイはげんなりした様子で、シリィ=ロウの華奢な肩を押さえつけた。

 シーラ=ルウは気の毒そうに眉を下げており、レイナ=ルウは困り果てた様子で息をついている。そしてシリィ=ロウは、顔をくしゃくしゃにして泣いてしまっていた。


「ああ、マルフィラ=ナハムも連れてきてくれたのか。……もうこうなったら、本人に気持ちをぶつけちまえよ。ただし、声はひかえめにな」


 ロイがシリィ=ロウの肩に手を置いたまま、こちらに押しやってきた。

 こちらでは、アイ=ファがさりげなくマルフィラ=ナハムのかたわらに寄り添っている。シリィ=ロウが取り乱してもマルフィラ=ナハムに危険のないように、という配慮であろう。


「あ、あ、あの、どうなさいました? わ、わたしの料理に、何か問題でもありましたでしょうか?」


 マルフィラ=ナハムは、シリィ=ロウよりも15センチばかりは長身である。シリィ=ロウは子供のように身体をそらして、マルフィラ=ナハムのおどおどとした顔をにらみつけた。


「どうして……どうしてあなたが、あのような料理を作れるのですか?」


「え? え? な、なんでしょう? わ、わたしは家族や血族に喜んでもらえるようにと、粗末な頭をひねってあの料理を作りあげたのですが……」


「あの料理には、ヴァルカスの作法が受け継がれています! どうしてヴァルカスの弟子でもないあなたが、あのような料理を――!」


「だから、声がでかいって」と、ロイがその手の織布でシリィ=ロウの口をふさいだ。これまでも、それで涙がふかれていたのだろう。すでにぐっしょりと濡れそぼってしまっている。


「ま、そういうわけだよ。俺たちがどれだけあがいてもなかなか辿りつけなかった領域に、新参のあんたがさっさと行きついちまったもんだから、俺もシリィ=ロウもすっかり度肝を抜かれちまったんだ」


「りょ、りょ、領域? わ、わたしはヴァルカスの料理を真似たつもりではないのですが……い、いえ、わたしなどがヴァルカスの料理を真似ることなどできるはずもありませんし……」


「だからだよ。弟子である俺たちは、ヴァルカスの料理を真似ることができる。もちろん完全に再現するなんてことは不可能だけど、上っ面をなぞるぐらいなら難しくないんだ。何せ毎日、師匠の腕前を拝見してるわけだからな」


 ひっくひっくとしゃくりあげるシリィ=ロウの肩をぐっとつかみながら、ロイは真剣な面持ちでそう言った。


「だけど、あんたの料理はその上をいってた。ヴァルカスの料理を真似たんじゃなく、ヴァルカスの作法を自分の料理に取り込んでみせたんだ。そんなこと、一番弟子のタートゥマイやこのシリィ=ロウだって不可能なことなのに……あんたはたった数ヶ月で、そんな領域に行きついちまった。そりゃあ衝撃だし、自分が不甲斐ないよ。俺だって、人目がなけりゃあ泣きわめいてやりたいところさ」


 そんな風に言いながら、ロイはかたわらのシリィ=ロウに視線を戻した。


「……でも、泣きわめいたって何にもならねえだろ? お前だって、人を同じ目にあわせてるんだしよ」


「わ、わたしが何だというのです……?」


「お前は一番若いのに、俺やボズルやタートゥマイの上をいってるじゃねえか。まあ、俺みたいな下っ端はともかく、タートゥマイやボズルはお前より早くヴァルカスに弟子入りしてるんだ。特にボズルなんて、その前から高名な南の料理人のもとで修業を積んでたんだからな。それが親子ぐらい年齢の離れた娘っ子に追い抜かれたら、今の俺たちより口惜しいんじゃねえか?」


「ボズルは……まだ34歳になったところであるはずですよ?」


「15歳も離れてりゃあ、親子ぐらいの年齢差だろ」


 眼差しだけは真剣なまま、ロイは苦笑した。


「それでもボズルは腐ったりせずに、あれだけ熱心に修練してるじゃねえか? お前の存在を羨んだり妬んだりせず、むしろお前を引っ張ってくれるぐらいの勢いでさ。……あの人は、すげえ人だよ。あんな立派な兄弟子がいるのに、俺たちが情けねえ姿を見せられねえだろ? こんなことでへこたれてたら、俺たちの修練が成らねえよ」


 シリィ=ロウはぽろぽろと涙をこぼしながら、ぎゅっと唇を噛みしめた。

 涙に濡れたその瞳が、強い光をたたえてマルフィラ=ナハムを見据える。


「さきほどは……いわれもなき激情をぶつけてしまい、申し訳ありませんでした」


「え? い、いえ、あの、その……」


「のちほど、あなたの料理の感想を伝えさせていただきたいと思います。……あれは、素晴らしい料理でした」


 すると、マルフィラ=ナハムは脱力した様子でへにゃんと微笑んだ。


「あ、あ、ありがとうございます。……あ、あ、あの、よろしければ、いつかあなたの料理も食べさせていただけませんでしょうか?」


「……わたしの料理を?」


「は、は、はい。あ、あなたはギバ肉を使わずして、ルウ家の方々をご満足させられるような料理を作りあげたのだと聞かされていて……ず、ずっと興味を引かれていたのです」


「そんな話は……もう1年以上も前のことだと思いますが……」


「は、は、はい。わ、わたしが聞かされたのは、数ヶ月ほど前のことでしょうか。じょ、城下町にはそんなすごいお人たちがいるのかと、感銘を受けていたのです」


 シリィ=ロウは口をへの字にして押し黙り、ロイは苦笑しながらその肩を叩いた。


「やっぱりこの娘さんも、それだけの執念で調理に取り組んでるってこったよ。のほほんとした外見にだまされちゃいけねえな」


「の、の、のほほん?」


「あんたと出会えてよかったよ、マルフィラ=ナハム。これからも、どうぞよろしくな。……今度は、俺の料理も食べてくれよ」


「は、は、はい! あ、ありがとうございます!」


 マルフィラ=ナハムは嬉しそうに笑いながら、一礼した。

 ロイはそちらにうなずきかけてから、レイナ=ルウたちのほうを振り返る。


「そっちも迷惑かけて、悪かったな。もう大丈夫だから、晩餐会を楽しんでくれ」


「いえ、とんでもありません。……シリィ=ロウ、よろしければ、また後でご挨拶をさせてください」


 シーラ=ルウが慈愛にあふれた表情で微笑みかけると、シリィ=ロウの目から新たな涙がこぼれてしまった。


「……そんな優しげな目で、わたしを見ないでください。どのような顔をすればいいのか、わからなくなってしまいます」


「あるがままでいいのです。わたしも、そのように振る舞っているのですから」


 そうして俺たちはロイとシリィ=ロウをその場に残して、広間に舞い戻ることになった。

 舞台裏の騒ぎに気づいた様子もなく、人々は料理と談笑を楽しんでいる。それを見回しながら、レイナ=ルウはふっと息をついた。


「わたしは勉強会などでマルフィラ=ナハムの成長するさまを見届けていたために、ああまで心を乱さずに済んだのかもしれません。シリィ=ロウの心情は、痛いぐらいに理解できるように思います」


「え? え? わ、わたしはレイナ=ルウにも、何か失礼を働いてしまったでしょうか?」


「そのようなことはありません。わたしもロイもシリィ=ロウも、マルフィラ=ナハムに出会えた喜びを噛みしめているのです」


 そのように語るレイナ=ルウは、強く明るく輝く瞳でマルフィラ=ナハムを見つめていた。

 やはりマルフィラ=ナハムの存在は、若き料理人にとってこそ大きな波紋に成り得るようだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 肩もみ、作者さん気に入ったのかな? でもあんまり多用するとくどく感じちゃう。
[良い点] マルフィラが凄いのは描写されてて良いけど、ヴァルカスの料理の味が想像できないから凄さがイマイチわからんのよな。 カレーがヴァルカスの料理だとしてそれにアスタ要素っぽい温かみ加えたらカレーう…
2020/11/29 00:34 退会済み
管理
[一言] 謙虚さや悪く言うとヘタレっぷりが邪魔するもののマルフィラ=ナハムの存在は(オーバーに言うと)料理における神の領域に達した者であり一流になりたいと願う存在からするとあの言動は冒涜なんだろうなぁ…
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