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異世界料理道  作者: EDA
第五十六章 雨季、再び
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送別の晩餐会⑤~交流~

2020.11/27 更新分 1/1 ・12/5 脱字を修正

 アルヴァッハの長広舌が終了したのは、それから半刻ほどが経過してからのことであった。

 料理の品数が多かったというだけでなく、俺やヴァルカスやプラティカなどに補足や反論を求めることも多かったので、それほどの時間がかかってしまったのだ。


 もちろんその間、俺たちはただじっとしていたわけではない。小姓に頼んで運んでもらった料理を食しつつ、アルヴァッハの言葉を興味深く聞かせていただいていたのだ。とりわけマルスタインやエウリフィアなどは、論評の対象となった料理を同時進行で食することによって、アルヴァッハの感想を余興のように楽しんでいた。


「なるほど。この料理を作りあげるのに、それほどの手間がかけられているのか。本当に料理というものは、試行錯誤の結果であるのだな」


「ええ。アルヴァッハ殿のお言葉を聞いていると、いっそう味わい深く感じられてしまいますわ」


 そのような形でアルヴァッハの長広舌を楽しめるというのは、僥倖であろう。ヴェラの家長などは完全に呆れかえった様子で、黙々と料理を食していた。


 いっぽう、俺たちはというと――きわめて充足した心地でアルヴァッハの言葉を聞くことができた。アルヴァッハの言葉はいちいち的確であり、なおかつ俺たちが無意識でこなしている部分まで鋭くほじくってくれるので、色々な思いを再確認することができたのだ。


 それにやっぱり、ヴァルカスの料理に対する論評というのが興味深かった。

 俺たちでは上手く言葉にできない感覚的な部分を、アルヴァッハは実に理路整然と言語化することが可能なのである。


「こちらのドルーを主体にしたカロンの胸肉の煮込み料理というものは、大地の恵みの風味を核としながら、あらゆる味わいが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。果実のもたらす甘みと酸味も、香草のもたらす辛みと苦みも、ミソやタウ油や魚醤がもたらす風味や塩気や香ばしさも、それぞれがドルーの存在を中心に組み上げられている。そうしてさまざまな味わいが重ねられることによって、ドルーの風味というものは完全に覆い隠されてしまっているのだが……それでいて、中心にあるのがドルーであることに疑いはない。また、それだけ複雑な味わいが、力強い出汁によって支えられている。それにどれだけの食材が使われているかは、さすがに言い当てることも難しいが……主体となっているのは、カロンの足肉およびキミュスの骨髄であろう。なおかつ、ラマムやミンミといった果実もその段階から同時に煮込まれていることは明白である。絞った果汁を添加するのではなく、出汁を取る段階で甘い果実を使っているために、これほど繊細な甘みが具材の隅々にまで行き渡っているのであろう。それがドルーの風味と結びつき――」


 と、一部抜粋するだけで、そのような感じである。

 正直に言って、俺たちが参考にするには難解に過ぎるようであったが、それでもヴァルカスの不可思議な作法の一端を垣間見たような心地で、俺にはとても楽しく、そして有意義と思えるひとときであった。


 レイナ=ルウなどは、それこそ一言も聞きもらすまいという緊迫の面持ちで、フェルメスの口から語られるアルヴァッハの言葉を聞いていた。自分の料理に対する寸評よりも、ヴァルカスの料理に対する寸評こそが、レイナ=ルウにとっては何よりの刺激であるようだった。


 そうして最後にトゥール=ディンの菓子に対する寸評を終えて、ようやくアルヴァッハ・タイムも終了である。

 もっともお疲れ様であったのは、まず間違いなく通訳の仕事を受け持っていたフェルメスであった。


「フェルメス殿、余計な仕事、担わせてしまい、恐縮、限りである」


 ナナクエムがそのように詫びると、フェルメスは何杯目かの茶で咽喉を潤してから「いえ」と微笑んだ。


「ゲルドとジェノスの絆を深める役目を果たすことができて、僕も光栄に思っています。これまでの交流の様相に関しては、余すところなく王都に伝えさせていただきますので……ゲルドと西の王国に新たな絆が芽生えたことを、王陛下もお喜びあそばすことでしょう」


「うむ。互い、理解、深まれば、幸いである」


「では、残るはリミ=ルウが取り仕切り役を果たした料理と菓子のみですね。あちらの敷物に移動いたしましょうか?」


「否。フェルメス殿、食事、進んでいない。しばし、休憩、はさむべきであろう」


 異存はないな、とばかりに、ナナクエムはアルヴァッハをにらみつけた。

 アルヴァッハはどこか満ち足りた様子で、「うむ」とうなずく。


「さまざまな思い、吐露できて、身体、軽くなった、心地である。フェルメス殿、深く感謝している」


「とんでもありません。いつでもご遠慮なくお声をおかけください」


「では」と、マルスタインが腰を上げた。


「我々も、席を移動させていただこう。いつになったらゲルドの方々にご挨拶ができるのかと、他の者たちも待ちわびているであろうからな」


 ということで、ゲルドの両名を除く全員が、いっせいに腰を上げることになった。貴賓に同席するお役目を新たに与えられたのは、これまで別の敷物に控えていた外務官たる壮年の男性だ。

 その外務官と挨拶を交わしてから、アルヴァッハが俺のほうに視線を向けてきた。


「アスタ。のちほど、あらためて、挨拶、させてもらいたい」


「承知いたしました。では、またのちほど」


 俺は笑顔で答えてから、アイ=ファとともに敷物を離れようとした。

 すると、トゥール=ディンがちょこちょこと駆け寄ってくる。


「あの、わたしはこの後もオディフィアとご一緒させてもらってよろしいでしょうか?」


「うん、もちろん。俺たちの仕事もこれで終了だからね。あとは何をしようが自由だよ」


「ありがとうございます」と、トゥール=ディンは嬉しそうに微笑んだ。

 思わず頭を撫でてしまいたくなるような笑顔である。


「オディフィアも元気になってよかったね。トゥール=ディンの菓子を幸せそうに食べているから、見ているこっちも温かい気分だったよ」


 するとトゥール=ディンは、何故だか急に思い詰めた顔をして、俺のほうに身を寄せてきた。


「あの……アスタの目にも、オディフィアは幸せそうに見えましたか?」


「え? うん、もちろん。オディフィアは父君と同じぐらい無表情だけど、いつも感情があふれかえってるよね」


 俺はしょっちゅうオディフィアが尻尾をぱたぱたと振っていたり、猫みたいな耳をピンと立てたり、音符や汗の記号を頭上に浮かべたりする姿を幻視しているのだ。東の民に負けないぐらい無表情なオディフィアであっても、南の民に負けないぐらい感情があらわにされているように感じていた。


「きっとオディフィアは、人並み外れて情感が豊かなんだろうね。俺みたいに鈍感な人間でも、それだけ感情を読み取れちゃうんだからさ」


「いえ……ありがとうございます、アスタ」


 と、トゥール=ディンは何故だかお礼の言葉を口にして、俺に頭まで下げてきた。

 その小さなお顔に浮かぶのは、これ以上ないぐらい嬉しそうな笑みである。


「それでは、オディフィアのところに戻ります。何かあったら、声をかけてください」


「うん。オディフィアにもよろしくね」


 そうしてトゥール=ディンは、席の移動を始めた人々の間をぬって、立ち去っていった。

 今の一幕は何だったのだろうと小首を傾げつつ、俺はアイ=ファのほうを振り返る。すると、そのすぐ背後にアイ=ファよりも長身の女衆が立ち尽くしていた。


「……マルフィラ=ナハムよ。そのように背後にぴったりと立たれるのは落ち着かないのだが」


「も、も、申し訳ありません。お、お声をかけていいものかどうか、判じかねていたもので……」


「いちいちそのようなことを思い悩む必要はあるまい。まだ気持ちが落ち着かぬのか?」


「い、い、いえ。さ、さきほどはアイ=ファのおかげで救われました。そ、その件でお礼を言いたかったのです」


 アイ=ファの横合いに移動したマルフィラ=ナハムは、ぺこぺこと頭を下げ始めた。


「さ、さ、さきほどは本当に、ありがとうございました。ぞ、族長のダリ=サウティばかりでなく、領主のマルスタイン侯爵やそのご家族や王都のフェルメスまでもが居揃っていたもので、ついつい心を乱してしまったのです」


「まあ、礼節をわきまえているからこそ、そのように気が張ってしまうのかもしれんが……何もそうまで気負う必要はない。お前は立派なかまど番であるのだから、堂々としているがいい」


「い、い、いえ。わ、わたしの料理がお気に召さなかったら、手ほどきをしてくださったアスタや、ナハムの家や、ひいては森辺の民の立場が悪くなってしまうのではないかと……そ、そんな風に考えたら、とうてい平常心ではいられなくなってしまったのです」


「……それは、お前が誠実で責任感のある人間であるという証なのかもしれんな」


 アイ=ファは苦笑を浮かべつつ、やわらかい眼差しでマルフィラ=ナハムを見返した。


「何にせよ、すべての人間がお前の料理を美味いと認めていた。もちろん私も、そのひとりだ。お前は大きな仕事を成し遂げたのだから、それを誇りとするがいい」


「い、い、いえ。わ、わたしなんて、ようやく1種類の料理をまともに作れるようになっただけですので……」


 と、口では気弱なことを言いつつ、マルフィラ=ナハムはふにゃんとした顔で微笑んだ。


「で、で、でも、アイ=ファにそのように言っていただけるのは、とても誇らしいです。あ、あと、アイ=ファに肩をもみほぐされると、天にも昇るような心地でありました」


「おかしなやつだな、お前は。……ユン=スドラたちのもとに戻らなくてもよいのか?」


「あ、あ、あちらはまた、見知らぬ貴族たちと絆を深めているさなかであるようですので……わ、わたしなどが割り込んでは、お邪魔になってしまわないでしょうか?」


 視線を巡らせると、確かにユン=スドラたちは席を移動しつつ、またあまり馴染みのない面々と敷物で語らっていた。俺もこれまでの祝宴や晩餐会で顔を見た覚えはあるが、名前や素性まではわきまえていないような相手である。


「それじゃあしばらく、俺たちと一緒に動くかい? 伯爵家の方々にご挨拶をして回ろうかと思うんだけど、どうだろう?」


「は、は、伯爵家ですか。ま、また気が張ってしまいそうですが……ア、アスタとアイ=ファとご一緒できるなら、心からありがたく思います」


 ということで、俺たちはまず壁際のワゴンでお好みの料理を調達してから、トゥラン伯爵家の敷物を目指すことにした。

 ちょうど誰かが離席したところであったらしく、その敷物にはリフレイアとトルストだけが並んでおり、小姓たちが空いた食器を片付けている。

 俺たちが近づいていくと、リフレイアは「あら」とわずかに目を見開いた。


「アスタにアイ=ファじゃない。わざわざ挨拶に来てくれたのかしら?」


「はい。お邪魔じゃなければ、ご同席をお願いできますか?」


「もちろんよ。ずいぶん長いこと、ゲルドの方々に捕獲されていたようね」


 つんとすました顔をしながら、リフレイアはそわそわと身を揺すっている。これはオディフィアよりも内心の読みにくい挙動である。


「どうしました? 何か落ち着かない様子ですが……あ、こちらはナハムの家のマルフィラ=ナハムといいます」


「マルフィラ=ナハム? ああ、あの見事な料理を準備した御方ね。さきほど、ゲオル=ザザからお名前をうかがったわ」


 どうやら先客は、ゲオル=ザザとディック=ドムであったらしい。その前にはルウ家の面々と同席していたはずであるから、すでに頻繁に席替えがされていたのだ。


「それで、どうしました? 何か気にかかることでも?」


「いえ、別に。アスタたちと語らえることを、とても嬉しく思っているわよ」


 そんな風に言ってから、リフレイアは自分の頬に片方の手を置いて、ふっと息をついた。


「でも、そうね……嬉しさのあまり、つい身体が動いてしまったのかしら。貴婦人としては、恥ずべきことなのでしょうね」


「嬉しさのあまり? 何についてです?」


「だから、あなたたちと語らえることについてよ」


 と、リフレイアはすねたように口をとがらせた。


「この場には、シフォン=チェルと絆を深めた人間なんて他にはいないもの。シフォン=チェルのことを語らえるのが、嬉しいの。何か、文句ある?」


「いえいえ、滅相もない。……シフォン=チェルは今ごろ、ジャガルのどのあたりなのでしょうね」


「知らないわ。そもそもわたしは、ジャガルの地理などわきまえていないもの。……ジェノスから南の王都までの道のりに、そう危険な区域はないはずだって話だったけれど……シフォン=チェルとサンジュラは無事かしら」


 と、雄弁な溜め息をつくリフレイアである。

 トルストやムスル以外の人間の前では、なかなかこのような心情もこぼせないのだろう。あまり事情をわきまえていないマルフィラ=ナハムは目をぱちくりとさせており、トルストは幼き主人をなだめるように微笑んでいた。


「雨季の終わる頃には、サンジュラたちも元気な姿を見せましょう。それまでの辛抱でございますぞ、リフレイア姫。あれだけの兵に守られていれば野盗も獣も近づけないでしょうから、ご心配は無用です」


「そうだといいのだけれど……でも、道中でずっと兄のエレオ=チェルと語らっていたら、離れがたい心情になってしまったりしないかしら……」


 リフレイアはずいぶん気弱げな顔を見せていたが、トルストは相変わらず微笑んでいる。もしかしたら最近のリフレイアは、身内の前ではずっとこのような姿をさらしているのかもしれなかった。


「シフォン=チェルたちが戻ったら、ぜひ森辺にも遊びに来てください。森辺というのがどんなところか、シフォン=チェルにもお見せしたいと考えていたのです」


「ありがとう。……そんな風に言ってくれることを、心から嬉しく思うわ」


 と、リフレイアは弱々しいながらも笑顔を見せた。

 こんなデリケートな部分を俺たちに見せてくれるのも、親交が深まった証であろうか。俺はまた、この地で過ごしてきた時間の長さを再確認させられることになった。


「そういえば、トゥランには新しき領民というものが数多く移り住んできたそうだな。何も問題は生じていないのであろうか?」


 しばらくして、アイ=ファが珍しくも自分から話題を切り出した。

 小姓の運んできた『トライプのクリームシチュー』を味わいつつ、トルストは「そうですな」と応じてくる。


「むろん、何もかもが順調というわけにはまいりませんが、まずは滞りなく進行しているようです。雨季の終わる頃には、新たな領民たちの生活も落ち着きましょう」


「……雨季には無法者が増えると聞いたが、そちらの面でも危険はないのであろうか? トゥランは以前にも、無法者の横行を許したことがあろう?」


「ああ、あれはトゥラン内の治安というよりも、護民兵団の規律に問題があったのでございましょう。メルフリード殿による綱紀粛正が果たされてからは、そのような騒ぎも収まっております。……また、これだけ領民の目が増えれば、無法者が潜むことも難しくなりましょう。ダレイムと同程度の治安は守られているはずでございますな」


「ではやはり、もっとも危険なのは宿場町であるということか」


 どうやらアイ=ファは、宿屋の寄り合いで聞かされた件を気にしている様子であった。

 そんなアイ=ファに、俺は「大丈夫だよ」と笑いかけてみせる。


「物盗りが横行するのは夜間だけって話だっただろう? 去年の雨季にもおかしな騒ぎは起きていなかったし、何も心配はいらないさ」


「お前に身を守る力が備わっていれば、私とて気に病む必要はないのだがな」


 そんな風に言ってから、アイ=ファはちょっぴりしゅんとしてしまった。


「……いや、かまど番たるお前にそのようなものを望むのは筋違いであったな。今のは失言として、取り消させてもらう」


「いや、そんな深刻にならなくても……アイ=ファは心配性だなあ」


 などと言いながら、アイ=ファの気づかいや情愛をひしひしと感じて、幸せな心地になってしまう俺である。

 すると、リフレイアがずいぶん落ち着いてきた面持ちでアイ=ファに微笑みかけた。


「自分の手の届かない場所にいる相手を心配するのは、当然よ。わたしだって、おんなじ気持ちだもの。……でも、森辺の民の武勇は傀儡の劇によって広く知らしめられているのだから、無法者だって迂闊に手は出せないはずよ」


「うむ……そうであれば、よいのだが……」


「あの傀儡使いたちも、次はいつジェノスにやってくるのかしらね。森辺の民の物語だけでなく、色々な劇を見せてもらいたいものだわ」


 どちらかといえば閉鎖的な気性であるアイ=ファとリフレイアが率先して心情をこぼしていたためか、その場にはどこかやわらかくて打ち解けた空気が流れているように感じられた。

 この両名が、かつては大きな卓をはさんで刃のような眼光を交換していたなどとは、誰にも信じられないことだろう。トルストもマルフィラ=ナハムも、ごく穏やかな表情でそれぞれの食事を食していた。


「では、そろそろ我々もゲルドの方々にご挨拶をするべきでありましょう。アスタ殿たちは、どうされますかな?」


「俺たちはもうぞんぶんに語らせていただいたので、もう少々お時間をいただこうかと思います。……リフレイア、またのちほど語らせてください」


「ええ。必ずよ?」


 やはりリフレイアはシフォン=チェルとサンジュラの不在によって、いささか甘えん坊モードになっているようだった。

 そんなリフレイアたちと別れを告げて、また壁際のワゴンで食料を調達する。アルヴァッハの論評を聞きながらではそうまで食事を優先できなかったので、誰もが腹六分目であったのだ。


「それじゃあ今度は、マルフィラ=ナハムの料理をいただこうかな。これは本当に美味しいからねえ」


「きょ、きょ、恐縮です。で、ではわたしは、アスタの取り仕切りでこしらえた料理を……」


「せっかくだから、ヴァルカスの料理もたくさん食べておくといいよ。こんな貴重な機会は、なかなかないからね」


「あ、い、いえ、わ、わたしはその……」


 と、マルフィラ=ナハムは慌ただしく周囲に視線を巡らせた。


「あ、あ、あの、こ、こっそり心情を打ち明けたいのですが、よろしいでしょうか?」


「うん。なんでも遠慮なく、どうぞ」


「わ、わ、わたしはヴァルカスの手腕をものすごいものだと思っていて、アスタやレイナ=ルウのおっしゃる通り、強く影響を受けているのかもしれませんが……そ、それでもあの、ヴァルカスの料理で腹を満たしたいとは……あ、あまり思わないのです」


 囁くような声音で、マルフィラ=ナハムはそのように言いつのった。


「きょ、今日の料理も、とても楽しみにしていました。そ、そして、期待以上のものすごさを味わうことができました。……そ、それでわたしは、もうすっかり満足できてしまうのです」


「なるほど……今日の料理にはギバ肉が使われていなかったから、森辺の民がそれで胃袋を満たしたくないっていうのは当然の感覚かもしれないけど……でも、それだけじゃなさそうだね」


「は、は、はい。た、たとえギバ肉が使われていたとしても、たぶんこの気持ちは変わらないかと思います」


 そう言って、マルフィラ=ナハムは激しく目を泳がせた。


「や、や、やはりこのような考え方は不遜であり、許されないものであるのでしょうか? わ、わたしは心から、ヴァルカスの技量に感服しているつもりなのですが……」


「いや、許されないなんてことはないと思うよ。たぶん俺だって、根っこの部分は同じなんだろうしさ。……だからこうして、マルフィラ=ナハムの料理を食べようとしているんだよ」


 考え考え、俺はそのように答えてみせた。


「それに、もしかしたら……ヴァルカスのほうも、それは同じかもしれないね。俺たちもヴァルカスも、自分にとって最高と思えるような料理を作りたくて、修練を重ねているわけだからね。おたがいに刺激を与え合うことはあっても、本当に好みなのは自分の作る料理の味であるはずさ」


「は、はあ……で、でもアスタは、ご自分ではなくわたしの料理を食べてくださるのですね?」


「だってこの料理には、俺が自然だと思える要素と、俺には馴染みのない新鮮な要素が、両方つまっているからね。ある意味、一番興味深い料理であるわけだよ」


「きょ、きょ、きょ、恐縮です」


 そこで小姓たちが料理の取り分けに駆けつけてきたので、俺たちは密談を終了させることにした。

 お次はダレイム伯爵家の面々にご挨拶をさせていただこうと、会場を闊歩する。そちらには、ジザ=ルウとルド=ルウとリミ=ルウの3名も同席していた。ララ=ルウやシーラ=ルウやマイムは、どこかに離脱したようだ。


「失礼します。自分たちも同席させていただいてもかまわないでしょうか?」


「やあ、アスタ殿にアイ=ファ殿。さあさあ、座ってくれたまえよ」


 にこにこと笑うポルアースの左右には、伴侶のメリムと兄君のアディスと、その伴侶であるカーリアの姿があった。父君とその伴侶は、別の敷物であるようだ。

 そして、ポルアースとメリムの間にこっそりと身を潜めている少女の姿がある。誰かと思えば、侍女の仕事に励んでいるはずの、ニコラだ。


「ああ、ようやく身内と森辺の方々だけになったので、ニコラにヴァルカス殿の料理の味見をさせていたのだよ」


 ニコラはそそくさと立ち上がると、お茶の準備に取りかかった。侍女にこのような場で料理の味見をさせるのは不調法なことであるのであろうが、規律に厳しそうなアディスやカーリアも見て見ぬふりをしてくれているようだ。


「ちょうど今、ゲルドの方々にご挨拶をしてきたところだったのだよ。いやあ、大変な騒ぎだったねえ」


「大変な騒ぎ?」


「あ、いや、騒ぎという表現は不相応であったかな。僕たちがご挨拶に出向いたとき、ちょうどリミ=ルウ嬢に料理の感想が伝えられていたところであったのだよ」


 そこでジザ=ルウたちと合流し、ともに腰を落ち着けることになった、という顛末であったようだ。

 嬉しそうな笑顔でアイ=ファの隣に移動しながら、リミ=ルウは「でもさー」と声をあげた。


「くりーむしちゅーもくりーむころっけも、どっちもアスタに教わった料理なんだよね。それでリミに感想を伝えられても、ちょっと困っちゃうかも?」


「でも、最終的に味を完成させて、今日の取り仕切り役を務めたのはリミ=ルウだろう?」


「うーん。でもでもマルフィラ=ナハムのその料理みたいに、リミが考えついたわけじゃないからねー。ほめるんだったら、アスタをほめるべきだと思う!」


 そうして力強く宣言してから、リミ=ルウはにぱっと笑った。


「でも、アルヴァッハの感想って面白いよねー。カロンのお乳とトライプの大海で? さまざまな具材が魚群のごときうねりを見せて? ギバ肉の出汁が潮流と化している? とか言われちゃったー!」


「アルヴァッハ殿は、詩人だねえ」と、ポルアースも愉快そうに笑っていた。

 いっぽう厳格なる兄君のアディスは、底光りする目でマルフィラ=ナハムを見やっている。


「アスタ殿が運ばれてきた、そちらの料理……それは、そちらの娘御が作りあげた料理であるのか?」


「あ、はい。彼女はナハム本家の三姉で、マルフィラ=ナハムと申します」


 俺が紹介してみせると、マルフィラ=ナハムはおどおどとしながら一礼した。


「ふむ……そちらの娘御は、ずいぶんお若いように見受けられるが……」


「は、は、はい。わ、わたしは、16歳ですけれど……」


「16歳! そのような若さで、あれだけの料理を手掛けることがかなうのか」


 アディスが難しい顔で黙り込むと、ジザ=ルウまでもが「うむ」と声をあげた。


「俺もずいぶん、驚かされることになった。ラヴィッツの収穫祭においても、同じ驚きを味わわされたものであるが……本当に、稀有な力量を持つかまど番であるのだろうと思う」


「と、と、と、とんでもありません! わ、わ、わたしはそんな、たいそうなものでは……」


「落ち着け」と、アイ=ファはリミ=ルウの頭ごしに腕をのばして、マルフィラ=ナハムの左肩をもみほぐした。とたんにマルフィラ=ナハムは、「ほやあ」と弛緩する。


「こやつは礼節を重んじているので、目上の人間に賞賛されると心を乱してしまうらしい。……しかし、ジザ=ルウはともかくとして、お前はこちらの御仁が何者であるかもわきまえているのであろうか?」


「ひゃ、ひゃい! ダ、ダレイム伯爵家の第一子息であるアディスという御方ですよね? し、し、失礼のないように、できるだけ貴族の方々のお名前も忘れないように心がけています!」


「だから、心を乱すなというのに。……リミ=ルウ、手伝ってもらえぬか?」


「はーい! もみもみー」


 マルフィラ=ナハムの背後に回り込んだリミ=ルウが、小さな手で逆側の肩をもみ始めた。

 うっとりと目を閉ざすマルフィラ=ナハムの姿を見やりながら、ポルアースの伴侶たるメリムがくすくすと笑い声をあげる。


「森辺には、色々な方々がいらっしゃるのですね。……マルフィラ=ナハムの料理も見事でしたけれど、わたくしはやっぱりリミ=ルウとトゥール=ディンの菓子に心を奪われてしまいましたわ。ねえ、カーリア?」


「ええ」と取りすました声で答えてから、カーリアはしゅんと眉を下げた。


「あまりに美味であったものだから、みっつもよっつも食べてしまいましたわ……どうしてわたくしは、こうも甘い菓子に弱いのでしょう……」


 そういえば、彼女はダレイム伯爵家の晩餐会においても、出産を機に体重が増えてしまったことを気に病んでいたのだ。確かにふくよかな部類ではあろうが、べつだん不摂生な感じはしないので、菓子も料理も大いに楽しんでいただきたいところであった。


「オディフィアも元気になられたことですし、またエウリフィアにはお茶会を開いていただきたいですわ。カーリアも、是非ご一緒させていただきましょうよ」


「ええ……でも、甘い菓子は……」


「雨季には病魔に負けない滋養を取るべきでしょう? たくさん食べて、たくさん運動いたしましょう。舞踏のお稽古でしたら、いつでもおつきあいいたしますわ」


「うん! トライプを買えるようになったら、また新しいお菓子をいろいろ試してみるつもりだからねー! リミもすっごく楽しみにしてるんだー!」


 メリムとリミ=ルウとポルアースのおかげなのか、その場にはすでにずいぶんと打ち解けた空気が形成されていた。マッサージに励むアイ=ファたちも含めて、微笑ましい限りである。


「菓子に限らず、料理も素晴らしい出来栄えであったね。アルヴァッハ殿も、来年の雨季が楽しみでならないと言っておられたよ。……森辺の方々は、今回も大役を果たしてくれたねえ」


 と、ポルアースがくりくりとした目で俺たちの姿を見回してきた。


「先月からずっと慌ただしい限りだったけど、これでゲルドとの交易に関しては一段落だ。しばらくはのんびり過ごして、英気を養っておくれよ」


「はい。雨季が明ければ、今度はジャガルの王都との交易ですもんね」


「うんうん。どんな食材が届けられるのか、そちらも楽しみだ」


 そのように語るポルアースは、とても満ち足りた面持ちであった。

 外務官の補佐役でもある彼は、本当に目の回るような忙しさであったのだろう。それだけの大きな仕事をやりとげたのだという達成感が、ポルアースの笑顔からあふれかえっていた。


 ポルアースほどではないにせよ、俺たちも慌ただしいひと月半だった。間に2回の収穫祭をはさみつつ、4回や5回ほども城下町まで出向いて、あれこれ仕事を申しつけられたのだ。

 もちろんそれらは楽しくて、充足した日々であった。

 その締めくくりとなる晩餐会に身を投じて、城下町の人々ともおたがいの苦労をねぎらえるというのが、俺としてもなかなかに興味深い体験であるように思われた。

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― 新着の感想 ―
[一言] オディフィアにはエモーショナルバルーンが装備されてるのかな?
[良い点] マルフィナ=ラハムが可愛いw いつか伴侶を得て肝っ玉母さんになる日が来るのでしょうか?大きい男衆が好きと言ってたけど、もしやそのお相手はミダ=ルウ?
[一言] アルヴァッハ・タイムとかいうパワーワードwwwww アルヴァッハといい、ヴァルカスといい、今回はミソ並に強烈な味のキャラクターがいっぱいですが、他のキャラクターも負けていませんね。 マルフ…
感想一覧
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