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異世界料理道  作者: EDA
第五十六章 雨季、再び
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送別の晩餐会④~ゲルドの恵み~

2020.11/26 更新分 1/1

「こちらは、プラティカ様の準備されたフワノと魚の料理となります」


 マルフィラ=ナハムの料理がもたらした波紋がようやく静まった頃、タイミングを計ったように新たな料理が届けられた。

 大皿の上には可愛らしいサイズをした焼きフワノが積み上げられ、人数分の小皿には茶色いねっとりとしたディップが添えられている。


「ふむ。其方が準備したのは、このひと品のみなのであろうかな?」


 マルスタインの呼びかけに、プラティカは硬い声音で「はい」と応じた。


「簡素、申し訳ありません。煮物、汁物、焼き物、満足いく料理、準備できなかったため、フワノ料理、選びました」


「いや、簡素で悪いことはないという話が、さきほども取り沙汰されていたからな。べつだん、詫びるには及ばない」


 すると、エウリフィアも「そうですわね」と声をあげた。


「それにそちらのプラティカは、シムのお生まれなのですものね。シムの民がシャスカではなくフワノの料理を作りあげるというのは、きっと珍しいことであるのでしょう」


 もしかしたらエウリフィアは、プラティカに恥をかかせまいとしてフォローしているのかもしれなかった。それぐらい、敷物に置かれたそれらの料理は、見た目が地味だったのである。


 少量ずつ食せるようにという配慮で、焼きフワノはひと口サイズに仕上げられている。直径は4センチほど、厚みは1センチほどの、ころんとした可愛らしい形状だ。

 そして茶色いディップのほうはペースト状であるからして、どういった食材が使われているかも謎である。こういった料理はジェノスの上流階級において、前菜と見なされるはずだった。


(でも、前菜だろうと何だろうと、プラティカがこの日のために作りあげた料理なんだからな)


 ここ数日、プラティカは朝方の時間を使って、自分の修練に取り組んでいた。もう朝方の下ごしらえを見学するのは十分だと判断し、俺たちが宿場町に出立するまでの時間を自分の修練にあてていたのである。

 なおかつプラティカは晩餐のお世話になる家を毎日かえており、その家で朝の修練を積んでいるため、俺はまだその姿を1度も拝見したことがない。この場で出された料理を口にするのも、これが初めてのことであった。


「それでは、いただこうか」


 アルヴァッハたちが静かになってしまったため、マルスタインが場を取りなすように味見をうながした。

 小皿に盛られたわずかばかりのディップを、焼きフワノの生地ですくい取って、口に運ぶ。この場に居残るように申しつけられたマルフィラ=ナハムも、まだいくぶん我を取り戻していない様子でそれを口にしたのだが――とたんにその目が、生気を帯びて輝いた。


「こ、こ、これは美味ですね! ペ、ペルスラの油漬けというのは、このような使い道もあるのですか!」


「ペルスラの油漬け?」と、エウリフィアが目を丸くした。


「ペルスラの油漬けというのは、あの強烈な風味を持つ食材のことよね? ジェノス侯が、果実酒の供としてよく口にされている……」


「うむ。確かにこの料理には、ペルスラの油漬けの風味がしっかりと残されているようだ」


 そう言って、マルスタインはゆったりと微笑んだ。


「なおかつ、ゲルドのギャマの乾酪も使われているように思うのだが……それで間違いはなかったろうか?」


「はい。ペルスラの油漬け、ギャマの乾酪、どちらも使っています」


「まあ、本当に? わたくしはどちらの風味も少し苦手にしているのだけれど……これはとても食べやすいように思えるわ」


 と、エウリフィアの目がかたわらの息女に向けられる。


「オディフィアなんかは、ダイアが食べやすく仕上げてくれたペルスラや乾酪でも苦手にしていたわよね。この料理は、どうかしら?」


「うん、おいしかった」と答えるオディフィアは、とっくに料理をたいらげた後であった。敏感な舌を持つ幼子ですら、こちらの料理を口にするのに問題はなかったようだ。


 しかし、それはそうなのだろう。俺にしても、この料理を食べにくいと感ずることはなかった。確かにペルスラらしい海魚の風味も乾酪の風味も豊かであるのだが、それは数々の香草や調味料によってほどよく中和されていたのだった。


 むしろ、最初に感じるのはミソの風味である。この色合いは、ミソのものであったのだ。

 あとは複数の香草と、砂糖や何かの果汁なども使われているのだろう。ぴりりと辛いがオディフィアが嫌がるほどのものではなく、まろやかな甘みのほうがまさっている。それでいて、主役となっているのはあくまでペルスラと乾酪であったのだった。


「ジェノスの人々、ペルスラの油漬け、およびゲルドのギャマの乾酪、もっとも口に合わない、見受けられました。よって、こちらの料理、開発、急ぎました」


 プラティカの言葉に、アルヴァッハは「なるほど」と重々しくうなずいた。


「こちら、美味である。ジェノスの人々、のみならず、ゲルドの民、等しく、賞賛するであろう。ペルスラの油漬け、および乾酪、魅力、損なわないまま、味わい、丸くする、手腕、見事である。また、この短期間、ミソ、調和させたこと、見事である。……こちらの料理、以前、マロマロのチット漬け、使っていた、料理であるな?」


「はい。マロマロのチット漬け、ミソ、置き換えて、調和、目指しました。ジャガルの砂糖、セルヴァの果実、同様です」


「うむ。しかも、以前より、完成度、上がっている。森辺の修練、プラティカ、血肉、なっていること、深い喜びである」


 アルヴァッハの青い瞳が、ふっと優しい輝きを帯びた。

 プラティカは、何かをこらえるようにぐっと口もとを引き結ぶ。

 そんなプラティカの姿を満足そうに見やってから、アルヴァッハはヴァルカスのほうに視線を転じた。


「ヴァルカス、如何であろうか? 感想、願いたい」


 しかし、ヴァルカスは答えようとしなかった。

 いつも通りのぼんやりとした顔で、ぴんと背筋をのばしたまま、空になった大皿へと視線を落としている。が、その目が何も映していないことは容易に想像がついた。


「師匠、ゲルドの貴き御方が感想をご所望ですよ」


 ロイがそのように囁きながら肘でつつくと、ヴァルカスは「お静かに」と感情の欠落した声で答えた。


「今、思索のさなかです。邪魔をしないでください」


「まったく、このお人は……申し訳ありません。どうやら我が師ヴァルカスは、料理の出来栄えの素晴らしさに感銘を受けて、言葉を失ってしまっているようです。少々お時間をいただければ、我を取り戻すかと思いますので……」


「ふむ。では、弟子たち、感想、願いたい」


「はい。見事な手腕であるかと思われます。さきほどエウリフィア様も仰っていた通り、海魚に馴染みのないジェノスの民はペルスラの油漬けの強い風味を少々苦手にしているのですが、こちらの料理は風味の尖った部分だけが削ぎ落とされて、本来の魅力はそのまま残されているように感じられます。扱いなれないジェノスの食材でもって、こうまで見事な料理を作りあげられるというのは、そちらのプラティカが並々ならぬ手腕をお持ちになっている証でしょう」


 ヴァルカスの非礼を誤魔化すためか、ロイは彼らしくもなく懸命に言葉をつづっていた。まあ、ジェノスの領主が同席しているのだから、懸命になるのも当然であるのだろう。シリィ=ロウなどはまだマルフィラ=ナハムの料理にもたらされた衝撃から回復していない様子であったので、彼がその分まで奮起しなくてはならなかったのだ。


「では、アスタ、レイナ=ルウ、どうであろうか?」


「はい。自分もロイに同感です。自分がこれだけ数多くの香草や調味料を使っていたならば、きっとペルスラと乾酪の持つ本来の魅力をかき消してしまっていただろうと思います」


「わたしも、そう思います。ミャンツやブケラの香草を使えば、ペルスラの油漬けやゲルドの乾酪を食べやすく中和できると、プラティカ本人からうかがっていましたが……そこでさらにミソのように風味の強い調味料や甘い果実の汁などを調和させるというのは、驚くべき手腕であることでしょう」


 そんな風に言ってから、レイナ=ルウは考え深げに目を細めた。


「ですが、これは……どこか、マルフィラ=ナハムの料理にも通ずる部分があるように感じられてしまいます」


「ふむ。詳細、願いたい」


「あ、いえ、わたしもそれほどはっきり言葉にはできそうにないのですが……さまざまな食材の味を結びつけて調和をはかろうとする部分が、ヴァルカスに似ていて……それでいて……どこか、食べる人間の心を和ませてくれるような、そういう部分がアスタと似ているような……申し訳ありません。やっぱり上手く説明できないようです」


「否。そうだからこそ、我、プラティカ、ジェノス、同行させたい、想起した可能性、否めない。プラティカ、若年であり、未熟であるが、アスタ、ヴァルカス、似た部分、備えていた、可能性、あろう」


 そう言って、アルヴァッハはプラティカのほうに視線を戻した。


「プラティカ、どのような飛躍、遂げるものか、我、期待している。再び、屋敷、戻ってくる日、待望している」


「……必ず、ご期待、応えます」


 むしろ怒っているような面持ちで答えつつ、プラティカはこらえかねたように目もとをぬぐった。

 マルフィラ=ナハムに半分席を譲って、いささか窮屈そうにしながら、アイ=ファは優しい眼差しでそんなプラティカの姿を見守っている。

 そして、そうこうしている間に、小姓たちが新たな料理を携えて近づいてきていた。


「お待たせいたしました。こちらはヴァルカス様の用意なされた、3種の料理となります」


「うむ。ヴァルカスよ、其方が呆けている間に、其方の料理が届いてしまったようだぞ」


 マルスタインに水を向けられて、ロイは荒っぽくヴァルカスの肩を揺さぶった。

 ヴァルカスは、けげんそうにロイを振り返る。


「おや、ロイ……いったい何をしているのですか?」


「いや、寝ぼけないでくださいよ。あなたはまだアルヴァッハ様のご質問にお答えしていないのですよ、ヴァルカス」


「ご質問……どのようなご質問でしょう?」


 ヴァルカスは本当に寝起きのような様子で、アルヴァッハを振り返った。

 アルヴァッハは、そんなヴァルカスをうろんげに見やっている。


「我、プラティカの料理、感想、求めていた。また、ヴァルカス、忘我の理由、うかがいたい」


「ああ……あれはプラティカ殿の料理でしたか。はい、プラティカ殿のおかげで、ペルスラの油漬けの正しき使い方が見えたように思います。さきほどの料理には邪魔な風味も存在しましたが、香草の組み合わせと配分は秀逸であるかと思います」


「邪魔な風味、ありましたか」


 プラティカが挑むような声で問うと、ヴァルカスは「ええ」とうなずいた。


「果汁に、ワッチを使いましたね? あなたはゲルドのお生まれですのでワッチの扱いに長けているのでしょうが、さきほどの料理には無用の長物でありました。ワッチの甘みも酸味も風味も、何ひとつ味の調和に寄与しておりません。また、ミソと砂糖の配分にも疑問の残るところです。あともう一歩で素晴らしい調和に至るところであったのに、残念なことですね」


 その言い様に、プラティカではなくアイ=ファが不快そうに眉をひそめた。

 プラティカ当人はぴりぴりとした緊張感をたたえながら、ヴァルカスに向かって一礼する。


「ご指摘、ありがとうございます。あなたの言葉、理解できるよう、いっそう励みたい、思います」


「いえ。わたしこそ、暗い道に光をあてられた心地です。これでペルスラの油漬けの研究を、一歩進められるかと思われます」


 そんな問答が終わる頃には、3種の皿が並べ終えられていた。

 小姓たちは引き下がり、エウリフィアが小さく笑い声をたてる。


「アルヴァッハ殿が最初に仰っていたのは、こういうことであったのね。あれほど立派な料理を準備してくれたプラティカに対して、確かに気の毒な言葉であるように思えてしまいますわ」


「否。プラティカ、未熟なこと、事実である。さきほどの料理、見事であったが、向上の余地、存在しよう。ヴァルカス、感想、プラティカの糧、なったこと、信じている」


「そうですわね。そして、プラティカの料理にああまで厳しい点をつけたヴァルカスの料理が、いっそう楽しみになってしまいますわ」


 そう言って、エウリフィアは小皿のひとつを持ち上げた。


「これなんて、見た目からして普通ではないもの。これはいったい、どういった料理であるのかしら?」


「そちらは、マロマロのチット漬けを主体にした調味料を、トトスの卵の白身に和えた料理となります」


 トトスの卵の白身というのは、熱を通してもゼリーのような半透明をしている。それを細かく刻んだ上で、調味料をまぶした料理であるようだった。

 外見は、ほぐした寒天に赤茶色の汁をかけたような見てくれである。その中に、何か小さな黄白色の欠片がぽつぽつと入り混じっていた。


「ふむ。これも前菜というべき料理であるようだな。とりあえず、味見をさせていただこう」


 マルスタインの言葉によって、全員がその料理から手をつけることになった。

 そのお味のほどは――さすがヴァルカス、奇々怪々である。


 豆板醤のごときマロマロのチット漬けを主体にしているのに、際立っているのは甘みと苦みだ。ラマムやミンミのふくよかな甘みと、香ばしさを通り越した苦みの裏側に、わずかばかりの辛みと酸味がへばりついている。何に似た味とも言い難いような、ヴァルカスの料理の真骨頂であった。


 ただ、食感がやたらと心地好い。

 卵の白身のぷるぷるとした噛み応えと、カリッと心地好い軽やかな食感――調味料に混ぜられていたのは、落花生によく似たラマンパの実であったのだ。

 それらの食感を楽しんでいると、奇々怪々な調味料の味わいが混然一体となって咽喉を滑りおりていく。まったく食べなれない味であるのに、こんなひと口では物足りないという思いを抱かされてしまった。


「……こちらの皿は、ペレを香草と調味料に漬け込んだ料理となります」


 ペレは、キュウリに似た野菜である。5ミリていどの輪切りにされたペレが、小皿に数枚ばかり取り分けられていた。

 ペレは丸ごと漬け込んで、そののちに切り分けたものであるのだろう。切り口は通常のペレと変わらぬ瑞々しさを覗かせており、色が変じたりもしていない。一見では、生のペレを切り分けただけのように思えてしまった。


 が、その表皮にはとてつもない辛みが宿されていた。

 表皮の幅だって5ミリていどであるのに、とてつもなく辛い。舌が触れただけで、痛みが走るほどだ。

 が――涙をこらえて咀嚼すると、ペレの瑞々しさがたちまち舌の痛みを包み込んでくれた。

 そして、不思議な味わいが口に広がる。スパイシーだがまろやかで、深いコクのある味わいだ。ホボイの油と、なんらかの動物性たんぱく質――そこに、さまざまな香草の風味が彩りを添えている。


「そしてこちらは、ドルーを主体にした調味料にカロンの胸肉を漬け込んだ、煮込み料理となります。いまだ研究のさなかでありますため、胸肉の他には具材を入れておりません」


 薄切りにされたカロンの胸肉が、鮮烈なる赤紫色をしたソースにまみれている。カブやビーツを思わせるドルーというのは、土臭い風味が特徴であるのだが――こちらの料理では、すべての味わいが拮抗していた。甘いし、苦いし、辛いし、酸っぱい。だけどやっぱり、苦みや香ばしさというものが主体なのだろうか。アルヴァッハの言う大地の風味というやつが、ぞんぶんに感じられた。


「ふむ。この肉の料理は、なかなか好ましく思うのだが……ギバの肉には合わない味なのだろうか?」


 ダリ=サウティが疑問を呈すると、ヴァルカスは「はい」とぼんやり応じた。


「ギバやギャマの肉は風味が強いため、そちらと調和させるには今少し時間が必要となりましょう。目下、研究に取り組んでいるさなかとなります」


「そうか。これがギバ肉であれば、いっそう好ましいと思えそうだ」


 ゆったりと笑いながら、ダリ=サウティはそう言った。


「しかしやっぱり、どの料理も不可思議な味わいをしているな。俺も城下町の料理にはだいぶん慣れたつもりでいたのだが……これらの料理は、食べるたびに舌が驚くかのようだ」


 ヴェラの家長は固く口をつぐみつつ、大きくうなずいて同意を示していた。ヴァルカスの料理に食べ慣れていなければ、俺たち以上の驚きと衝撃に見舞われてしまうことだろう。

 そして俺のかたわらでは、アイ=ファが涙目でがぶがぶと茶を飲んでいた。何やら、ただごとならぬ様子である。


「どうしたんだ? もしかしたら、ペレの料理が辛かったのかな?」


 俺がこっそり耳打ちすると、アイ=ファは噛みつくような勢いで囁き返してきた。


「言うまでもなかろう。他の者たちは、どうして平気な顔をしていられるのだ?」


「いや、最初は舌が痛いぐらいだったけど、ペレの瑞々しさがそれを中和してくれたんだよな。……あ、もしかしたらアイ=ファは、よく噛まずに呑み込んじゃったんじゃないか?」


「……このように辛いものを、念入りに噛む気持ちになどなれるものか」


 中辛のカレーぐらいは美味しくいただけるアイ=ファであるが、度を超した辛さには拒絶反応が出てしまうのだ。アイ=ファが涙目でペレの皿をにらみつけていたので、俺は笑いをこらえながらさらに囁きかけてみた。


「よかったら、残りは俺が食べようか? ひと口は食べたんだから、非礼にはならないと思うぞ」


「…………では、そのように取り計らってもらいたく思う」


 すると、アルヴァッハがこちらに重みのある視線を突きつけてきた。


「アスタ、アイ=ファ、感想、あるならば、聞かせてもらいたい」


「あ、いえ……どれも不思議な味わいですね。このペレの料理などは見た目から想像ができないほど味が強かったので、驚かされてしまいました」


「うむ。香草、辛み、強烈であった。こちら、ココリ、ミャン、ミャンツ、イラ、シシ、使われている。また、調味料、出汁、脂、配分、見事である」


 アルヴァッハはヴァルカスのほうに向きなおり、さらに何か言いかけたが――その前に、隣のフェルメスへと視線が転じられた。


「フェルメス殿、通訳、願えるだろうか?」


「アルヴァッハ。菓子、味見、残されている」


 すかさずナナクエムが掣肘したが、アルヴァッハは「否」と言い張った。


「一点、伝えたい。長広舌、控える」


「長広舌、控えるならば、通訳、不要であろう。……よい。この時間、不毛である」


 ナナクエムが折れたため、アルヴァッハは東の言葉で語り始めた。

 それでもアルヴァッハとしては、控えめのほうであったのだろう。やがてフェルメスは「承知しました」と微笑んでから、その内容を伝えてくれた。


「ヴァルカスの料理にはいつも驚かされるが、その最大の要因のひとつは、1種の料理に使われる食材の多彩さである。香草の数も、調味料の数も、如何なる料理人とも比較にならないほどであろう。また、調味料ならぬ食材からもさまざまな成分を抽出して、それを調味料として使っている。それは見事な手腕であるのだが――時として、食材の美点を損なう危険もはらんでいる。我はさきほどペレの料理に使われている香草の名を言い当てたが、それは限界まで舌を研ぎ澄ませて分析に励んだ結果である。それはつまり、ココリやミャンやミャンツの美点が表には出ていないという証左であろう。最初に食した卵の料理も、然りである。あの味わいにはマロマロのチット漬けが不可欠なのであろうが、反面、マロマロのチット漬けの魅力を体感できる味わいではなかった。我の内には、それを惜しいと思う気持ちがわずかながらに存在していたように思う」


 そこでフェルメスはいったん息をつき、すぐに再開した。


「だが、ペレの料理に関しては、ペレの有する風味と瑞々しさこそが味の核となっていた。さまざまな香草と調味料から織り成される不可思議な味わいが、ペレの存在によって完成されるのである。料理の完成度として、3種の料理に優劣はないかと思われるが、我はペレの料理にこそ深い喜びを見出した。また、この喜びはアスタたち森辺の料理人が作りあげる料理を口にしたときと同質の思いである」


 言葉は止めぬまま、フェルメスがちらりと俺のほうを見た。


「ゲルドからもたらした食材によって、これほどまでに美味なる料理を作りあげてくれたことを、あらためて感謝したい。貴殿たちは、いずれも素晴らしい料理人である」


 フェルメスが口をつぐむと、ヴァルカスは平常通りの面持ちで「ありがとうございます」と一礼した。

 俺は俺で精一杯の気持ちを込めながら、「ありがとうございます」と頭を下げてみせた。これは今までの所業もひっくるめての言葉だと解釈し、レイナ=ルウとトゥール=ディンも同じように頭を下げる。それから二拍ほど置いて、マルフィラ=ナハムも慌ただしく一礼した。


「確かにヴァルカスの料理というのは、もとの食材の味などわからぬほどに複雑怪奇であるからな。アルヴァッハ殿の言わんとすることは、わたしにも理解できるように思う」


 鷹揚に微笑みつつ、マルスタインはそう言った。


「ともあれ、其方の料理も見事な出来栄えであった。今後もゲルドの食材を使ってどのような料理が作られるものか、わたしも心待ちにしているぞ」


「はい。わたしも数々の素晴らしい食材と巡りあうことができ、ジェノスの民としての喜びを噛みしめております」


 さきほどのアルヴァッハが締めくくりのような言葉を口にしたためか、その場にはどこか粛然とした空気が漂ったように感じられた。

 が、まだ味見の時間が終わったわけではないのだ。少し離れたところに控えていた小姓たちが、会話の途切れるのを待って接近してきた。


「侯爵様。あとは菓子のみとなりますが、そちらもお持ちしてよろしいでしょうか?」


 マルスタインが許しを与えて、2種の菓子が運ばれてきた。

 1年ぶりのお披露目となる、トライプの菓子である。自然、オディフィアは瞳をきらめかせ、祖父たるマルスタインも優しげな眼差しになっていた。


「では、トゥール=ディンに説明を願おうか」


「あ、はい。……ただ、この片方はリミ=ルウの取り仕切りでこしらえたものなのですが……」


「菓子の味見を終えたならば、席の移動も自由となる。リミ=ルウにはのちほど話をうかがうとして、トゥール=ディンにわかる限りの説明を願いたい」


「はい、承知しました」


 普段であれば緊張を隠せないトゥール=ディンであるが、今日はオディフィアがかたわらにあるためか、堂々としたものであった。なんとなく、オディフィアへの思いで胸がいっぱいで、緊張することも忘れてしまったかのようだった。


「こちらは去年のお茶会でもお出しした、トライプのぷりんけーきです。トライプをカロンの乳で煮込んで溶きほぐし、そこにキミュスの卵とフワノの粉、カロンの乳や塩や砂糖を混ぜ合わせて、蒸して固めた菓子となります」


「ああ、懐かしいわ。これを口にできる日を、わたくしもオディフィアも心待ちにしていたのよ」


 エウリフィアの合いの手に、トゥール=ディンは「ありがとうございます」とやわらかく微笑んだ。

 茶会では個別に出していた『トライプのプリンケーキ』であるが、本日は大きな耐熱皿でこしらえている。匙ですくって小皿に丸く取り分けられたそのさまは、オレンジ色のアイスクリームみたいだった。


「そしてこちらはリミ=ルウの取り仕切りで作りあげた、トライプのくりーむころっけとなります。ぷりんけーきと同じようにカロン乳で溶きほぐしたトライプを、砂糖や乳脂やフワノの粉と混ぜあわせて、衣をつけて揚げたものです」


「……こちら、『ギバ・カツ』、同じ外見である、思うが」


 アルヴァッハの問いかけに、トゥール=ディンは慌てる様子もなく「はい」と応じる。


「衣は、ぎばかつと同じものを使っています。異なるのは、レテンの油で揚げている点ですね。……アスタの故郷では料理として食べられているそうですが、森辺では甘く仕上げて菓子として扱っています」


「なるほど。興味深い」


 そうして俺たちは、2種の菓子を味わわせていただくことになった。

『トライプのクリームコロッケ』もピンポン球ぐらいのサイズに仕上げられていたので、ひと口で食することができる。その出来栄えは、もちろん申し分なかった。

 通常のクリームコロッケにはチョコソースなどが掛けられていたが、このたびは不要であると判じられたのだろう。トライプの甘みとクリーミーな風味がやわらかく溶け合って、濃厚かつまろやかな味わいである。そして、香ばしい衣はまさしくスナック菓子のようだった。


『トライプのプリンケーキ』も、期待に違わぬ完成度だ。トライプを扱うのが1年ぶりであっても、プリンを作る手腕が上達しているために、思い出の中の『トライプのプリンケーキ』よりもいっそう美味しく感じられてしまう。スイートポテトを思わせる重厚さと蒸しプリンの軽やかさが不思議な感じに同居しており、他の菓子にはない独自の存在感をかもしだしていた。


「……『トライプのプリンケーキ』、素晴らしい。トライプ、有する魅力、十全、引き出している。トゥール=ディン、技量、見事である」


 トゥール=ディンは「ありがとうございます」と笑顔で応じたが、彼女はその前から十分に嬉しそうであった。かたわらの幼き姫が、うっとりと目を細めながら『トライプのプリンケーキ』を食しているためであろう。味見用ということでひと口分しか取り分けられていないその菓子を、オディフィアはとても大事そうにもにゅもにゅと咀嚼していた。


「舌がとろけるような、という言葉に相応しい味わいね。……あとはしっかり他の食事を口にしてから、またお楽しみなさい」


 エウリフィアも優しげに目を細めながら、愛娘の頭を撫でていた。

 メルフリードは無言であるが、やはりその眼差しはやわらかい。オディフィアの身に何があったのかはわからないが、その事件を契機に家族の絆が深まったということは確かであるようだった。


「では、これにて味見は終了であるな。他の敷物ではすでに席の移動を始めているようであるし、それぞれお気に召した料理や菓子をぞんぶんに味わっていただきたい」


 マルスタインがそのように宣言したが、アルヴァッハは彫像のように動こうとしなかった。


「では、その前、感想、伝えたく思う。アスタ、ヴァルカス、レイナ=ルウ、マルフィラ=ナハム、トゥール=ディン、いいだろうか?」


 アルヴァッハは、この瞬間を待ちかまえていたのだろう。

 ナナクエムはひとつ息をついてから、マルスタインを振り返った。


「長きの時間、費やされること、明白である。こちら、かまわず、自由、過ごしてもらいたい」


「いやいや。美食家として名高いアルヴァッハ殿がどのようなご感想を持たれたのか、わたしも興味深く思っている。そのお言葉を聞き終えるまでは、ご一緒させていただこう。……フェルメス殿に、新しい茶を」


 そばづきの小姓が茶の準備をする姿を横目に、フェルメスはくすりと可憐に微笑んだ。


「では、なんなりとどうぞ」


「感謝する。ではまず、アスタ、最初の料理であるが――」


 そうしてアルヴァッハは、東の言葉で語り始めた。

 何せこれだけの料理が供されたのだから、この場にいないリミ=ルウの分を差し引いても、途方もない時間が使われることだろう。

 しかしまだまだ、晩餐会は始まったばかりであるのだ。これがしばらくの聞き納めとなるアルヴァッハの長広舌を、俺は心して拝聴させていただくことにした。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] はい出ました!ヴァルカスの不気味な料理 某ジャン・レノ氏が出ていた映画の中の化学料理とソックリです 私には気持ち悪くて食するに価しない異物にしか思えません
[一言] アスタとしても、故郷の料理を再現して伝えただけで味を仕上げたわけではないのですから、もし褒められても困惑はリミ=ルゥ以上ですよねw
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