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異世界料理道  作者: EDA
第五十六章 雨季、再び
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送別の晩餐会③~波紋~

2020.11/25 更新分 1/1

「失礼いたします。こちらも副菜と、汁物料理になります」


 小姓たちが次に準備してくれたのは、『トライプの煮物』と『トライプのクリームシチュー』であった。味見用の料理を運んでくる順番は、いちおうこちらから事前に伝えさせてもらったのだ。


「この副菜もまた、非常に簡素な料理となります。トライプがどういった食材であるかをゲルドの方々にご理解いただくため、準備させていただきました」


 俺の説明を受けて、アルヴァッハとナナクエムは副菜の小皿を取り上げた。

 こちらはカボチャに似たトライプを乳脂とカロン乳でじっくり煮込んだ、煮物である。味付けなどは塩しか使っていないので、トライプ本来の味わいを楽しんでもらえることだろう。


「なるほど。味わい、新鮮である。トライプ、似た食材、ゲルド、存在しないように思う」


「はい。去年の段階で、トライプは乳製品ときわめて相性がいいという結論が得られました。こちらはカロンの乳と乳脂で煮込んだだけのものとなりますが、その風味がトライプの甘みをいっそう引き立ててくれているかと思います」


「これはまるで、菓子のような味わいね。オディフィアも、好きな味わいでしょう?」


 エウリフィアが問いかけると、オディフィアは「うん」とうなずいた。相変わらずの人形めいた無表情であるが、やはりトゥール=ディンがかたわらにいるために、とても幸福そうだ。


「そうしてトライプと乳製品の相性を鑑みた結果、こちらのクリームシチューで使うことになりました。作りあげたのは、ルウの方々です」


「うむ」とうなずき、アルヴァッハは匙ですくったシチューを口に運んだ。

 その分厚い肩が、ぴくりと動かされる。


「我、『クリームシチュー』、屋台、買いつけ、何度となく、食している。その完成度、感服していたが……こちら、また異なる完成、遂げている。トライプの力、十全、活かしている、感じられる」


 そうしてアルヴァッハがさらに言葉を重ねようとすると、レイナ=ルウはすかさず「ありがとうございます」と口をはさんだ。


「こちらの料理の味を完成させて、本日の取り仕切り役を果たしたのは、わたしの妹であるリミ=ルウになります。よろしければ、ご感想はのちほどリミ=ルウにお伝え願えるでしょうか?」


「了承した。その時間、待ち遠しく思う」


 アルヴァッハが大人しく引き下がってくれたので、ナナクエムはほっと息をついていた。

 すると、味見を終えたヴァルカスが茫洋とした声をあげる。


「本当にこちらの汁物料理の完成度は、素晴らしいように思います。香草などはわずかにピコの葉が使われているだけなのでしょうが、それが最善の選択であるということは明白です。また、アリア、ネェノン、チャッチ、レミロム、ジャガルの茸、そしてギバの肩肉と胸肉という具材の選択も秀逸です。トライプを使った汁物料理としては、他に類を見ない完成度でありましょう」


 そこでヴァルカスの目が、若き弟子たちをちらりと見た。


「シリィ=ロウ、ロイ、異存はありますか?」


「いえ……ありません」


「はい。文句のつけようもない味わいであると思います。自分もくりーむしちゅーという料理は何度か食させていただきましたが、その完成度を保ったまま別なる魅力を加える手際は、見事だと思います」


 両名は貴き方々の前ということで、なんとか内心の驚きや悔しさなどを抑制している様子であった。

 それらの言葉を聞き届けてから、アルヴァッハは「うむ」と重々しく首肯する。


「この時点、レギィ、トライプ、素晴らしい食材、理解した。来年の雨季、交易できること、待望する」


「承知いたした。レギィとトライプを育てているダレイムの領民たちに、励んでいただこう」


 そんな風に答えてから、マルスタインは俺やレイナ=ルウに笑いかけてきた。雨季の食材の魅力をアルヴァッハたちに伝えるというお役目は、早くも達成された様子である。


 そうしてこのたびはレイナ=ルウの機転で長広舌合戦が繰り広げられることもなく、新たな料理が届けられてくる。


「お待たせいたしました。シャスカ料理と、揚げ物料理になります」


 揚げ物料理をどっさりと山積みにした大皿と、取り分け用の小皿、そしてシャスカ料理の小皿が並べられていく。

 シャスカ料理からたちのぼる芳香に、アルヴァッハは満足げな吐息をついていた。


「ココリ、香り、芳しい。『炊き込みシャスカ』であるな?」


「はい。以前にお出しした『炊き込みシャスカ』に、レギィを加えてみました。ささやかな違いでしょうが、お気に召したら幸いです」


 そして前回と同じように、こちらは山椒に似たココリで風味を加えている。ギバ肉ではなく川魚たるリリオネの身をほぐしたものを使っているので、フェルメスにも食することは可能であった。

 他の具材はニンジンに似たネェノンとタケノコに似たチャムチャム、そしてブナシメジモドキである。ゴボウに似たレギィをそこに加えられるのは、俺にしてみても雨季の大きな喜びであった。


「そして揚げ物料理も、以前にお出しした天ぷらですね。レギィもトライプも天ぷらに合うかと思い、準備いたしました」


 レギィは細切りにしてかき揚げに仕上げ、トライプはひと口サイズの薄切りだ。それだけでは物足りないという向きもあるかと思い、アマエビに似たマロールとギバのバラ肉ロールも準備している。


「こちらのギバ肉の天ぷらには、水で戻したミャンと、干しキキの果肉を潰してタウ油や魚醤で練り込んだものを一緒に巻いています。つゆをつけすぎると味が損なわれるのでご注意ください」


 取り分け用の小皿には、あらかじめ天つゆが注がれている。薬味として準備したのはダイコンのごときシィマとショウガのごときケルの根のすりおろしだ。


「あ、ケルの根は辛いので、オディフィアは控えたほうがいいかもしれません」


 俺がそのように声を飛ばすと、オディフィアは可愛らしくこくりとうなずいた。

 無表情だが、なんだか胸の温かくなる愛くるしさだ。


「うむ。レギィの風味、『炊き込みシャスカ』、完成度、高めている。大地の風味、これほど豊かでありながら、川魚、調和している、いっそ、不思議なほどである」


 まったく目新しい料理ではなけれども、アルヴァッハもご満悦な様子で何よりであった。

 そこでヴァルカスが、俺のほうにぼんやりと視線を飛ばしてくる。


「アスタ殿。雨季の野菜は、本日この厨で初めて手にされたという話ではありませんでしたか?」


「はい。でも、昨年の経験がありましたので、問題なく扱うことができました」


「ですが、去年の雨季にシャスカは存在しなかったはずです。アスタ殿は、本日あの場でこの味を調和させたということでしょうか?」


「ええ、はい。もともとレギィはこの料理に合うだろうなと考えていましたので。……何かご不満でもありましたか?」


「不満がないので、驚いているのです」


 ヴァルカスは薄く細めた目で、俺をねめつけてきた。


「アスタ殿の調理のさまを見届けていたわけではありませんが、シャスカを粒のまま仕上げる作法というのは手間がかかるため、作りなおすことも難しいはずです。それとも、まずは少量で味見用の料理を作りあげたのでしょうか?」


「いいえ、ぶっつけ本番でありましたけれど……レギィは自分の故郷にも似た食材がありましたので、扱いには慣れているのです」


「そうだとしても、アスタ殿がレギィを扱うのは1年ぶりとなるのです。それでこのように巧みに扱えるのは、アスタ殿が非凡な料理人であるという証であるはずです」


「あの……ヴァルカスは何か怒っておられるのでしょうか?」


「怒る?」と、ヴァルカスは眉根まで寄せてしまった。


「わたしは、感服しているのです。本当であればその場に駆けつけてアスタ殿の手を取りたいところであるのですが、さすがに不調法であるかと自制しているのです」


「そ、そうですか……それは恐縮であります」


 すると、エウリフィアがおかしそうにくすりと笑った。


「アスタが同席すると、ヴァルカスの意外な一面を目にできて楽しいわ。あなたは本当に、アスタのことを好ましく思っているのね」


「もちろんです。アスタ殿ほど異質で、そして優れた料理人というのは、他に存在しないものと念じております」


「同感である。アスタ、熱情、裏打ちされた手腕、稀有であり、卓絶である。アスタ、巡りあえた幸運、神々、感謝している」


 無表情な両名に左右から熱烈な賞賛をあびて、俺も恐縮の限りであった。

 それを救うべく――というわけではないのだろうが、小姓たちが新たな料理を運んでくる。


「お待たせいたしました。ギバ肉の煮込み料理となります。……菓子を除くと、森辺の方々の準備された料理はこちらで最後となります」


「あら、もう最後なのね。6種も味見をしたはずなのに、あっという間に感じられてしまうわ」


 確かに、目新しい料理がなかったためか、後半はアルヴァッハが長広舌を披露する機会もなかった。ただ、最後に残されたこちらの料理はどうだろうかと、俺はひそかに胸を高鳴らせる。


「アルヴァッハ。こちらがマルフィラ=ナハムの作りあげた料理となります。説明のために、彼女をお呼びしましょうか?」


「うむ。そのように、願いたい」


 こちらの料理を供する件に関しては、あらかじめアルヴァッハに了承をもらっていた。こちらの料理には雨季の食材も使われていないため、最初の依頼からは外れた内容であったためである。

 しかしアルヴァッハは、快諾してくれた。もとよりマルフィラ=ナハムが素晴らしい料理を作りあげていたという話は、プラティカからも聞かされていたのだろう。それが初めてお披露目されたラヴィッツの集落の収穫祭から短からぬ時間を経て、マルフィラ=ナハムはついにこの料理を完成させてみせたのだった。


 マルスタインからの指示を受けて、小姓のひとりが隣の敷物へとマルフィラ=ナハムを呼びに行く。ユン=スドラとレイ=マトゥアをその場に残し、マルフィラ=ナハムはひょこひょことこちらに近づいてきた。


「お、お、お、お待たせいたしました。きょ、きょ、今日はわたしなどの料理を食べていただき、ほ、ほ、本当に恐縮の限りです」


「まあまあ、落ち着いて。これから味見をさせてもらうところなんだよ」


 俺はそのようになだめてみせたが、マルフィラ=ナハムは怒涛の勢いで目を泳がせてしまっていた。わずかずつだが沈着さを体得しつつあった最近の彼女には、珍しいほどの動揺っぷりである。


 そして、それを迎え撃つ敷物の人々は――以前からマルフィラ=ナハムの存在に着目していたロイとシリィ=ロウを除けば、平静そのものであった。ただ、この娘はどうしてこんなにあたふたしているのだろうと、小首を傾げるぐらいである。


「ふむ。ナハムの家のマルフィラ=ナハムか。先の晩餐会でも顔をあわせているし、その名も何度となく聞かされているが、これまではあまり言葉を交わす機会もなかったように思うな」


 ダリ=サウティがそのように言いたてると、マルフィラ=ナハムは壊れたロボットのように何度もうなずいた。


「は、は、は、はい。ぞ、ぞ、族長たるダリ=サウティにご挨拶が遅れてしまい、も、も、申し訳ありません。わ、わ、わたしがどれだけ不出来な人間であっても、ナ、ナ、ナハムの家には何の罪もありませんので……ど、ど、どうかご容赦をお願いいたします」


「不出来? お前は優れたかまど番であるから、こうしてたびたび城下町に参じているのであろう? 城下町に参ずる人間に関しては毎回名前を聞いているので、それで耳に残っているというだけのことだ」


 そう言って、さすがのダリ=サウティも苦笑を浮かべた。


「まあいい。このような言葉を交わしている間に、せっかくの料理が冷めてしまうな。味見をさせてもらうので、説明とやらを頼む」


「しょ、しょ、しょ、承知いたしました」


 アイ=ファが空けてくれた席に座したマルフィラ=ナハムは、大きく深呼吸を繰り返してから、暴発した。


「そ、そ、そちらの料理には、アリアとチャッチとマ・プラを具材として使っています。ギ、ギ、ギバ肉は脂身の多い胸肉で、あ、アスタはバラ肉と呼んでいる部位ですね。あ、あ、味がしみやすいようにバラ肉は薄く切り分けて、アリアとマ・プラは細切り、チャッチは角切りにしています。や、野菜は最初にギバの脂で軽く炒めて、そ、それからバラ肉と煮込みます。あ、い、いや、だけどその前に、アリアのみじん切りを入念に炒めるのでした。そ、そのアリアのみじん切りが飴色になったら――あ、飴というのは、砂糖を溶かして作る菓子のことだそうです。え、ええと、何年も経ってなめらかな光沢の出た木材のような色合いだと、アスタにはそのように教わりました。そ、そ、それで、飴色になったアリアのみじん切りと、アネイラという魚の燻製から取った出汁を火にかけて、そ、そこにさっきの具材を投じます。さ、さっきの具材というのは、バラ肉とアリアとチャッチとマ・プラのことです。そ、そ、それで――」


「落ち着け」と、アイ=ファが背後からマルフィラ=ナハムの両肩に手を置いた。

 マルフィラ=ナハムは「ひゃうう」とおかしな声をあげてから、そのままくたくたと崩れ落ちそうになってしまう。が、アイ=ファが両肩を押さえてそれを支えていた。


「他の者たちは、そこまで入念に料理の作り方などを説明してはいなかったはずだ。使った食材の名前などを説明すれば、それで用事は足りるのではないか?」


「しょ、しょ、食材ですか。しょ、しょ、承知いたしました。え、ええと、あ、味付けに使ったのは塩とピコの葉と、ミソとタウ油と、砂糖と白いママリア酢と……そ、それに、香草は……ああ、も、申し訳ありません! わ、わたしはあまり、シムの香草の名前をわきまえていないのです!」


「それはアスタ自身が香草の名を覚えていないため、お前に伝えることができなかったのであろう? ……香草の他に、もう食材は使っておらぬのか?」


「い、い、いえ! あ、あと、ラマムとアロウとミンミを細かくすり潰して、それも投じています。ミ、ミンミは少し値が張るので、以前は使っていなかったのですが、ど、どうしてもあの味わいが必要であるように思えてしまって、お、思いきって使うことにいたしました。ほ、本当にささやかな違いでしかないのですが、やっぱりこれは絶対に必要なのだと思い至り、きょ、今日の料理でも使わせていただきました。さ、さ、幸いなことに、父たる家長もそれを許してくれたので、つ、次に祝宴があったらそちらの宴料理でもミンミを使わせていただこうかと――」


「うむ。落ち着け」


 敷物で膝立ちになったアイ=ファはそのなめらかな脛でマルフィラ=ナハムの背中を支えつつ、彼女の両肩をやわらかくもみほぐした。


「人間は気が張ると、首筋から肩の辺りが強張るのだ。お前の肩は、まるで石のようになってしまっているぞ」


「あ、ああ……す、すごく心地好いです……」


 マルフィラ=ナハムは忘我の表情で、うっとりとまぶたを閉ざしてしまった。

 ちなみに味見用の料理というものは至極ささやかな分量であるため、マルフィラ=ナハムの長広舌が半分ぐらい過ぎる頃には、みんなとっくに食べ終えてしまっていた。


「……この料理、美味である」


 と――マルフィラ=ナハムが弛緩した間隙を突いて、アルヴァッハが重々しく宣言した。

 とたんにマルフィラ=ナハムは「ひゃいっ!」と座ったまま飛び上がりそうになる。が、アイ=ファの手によってそれは押さえつけられた。


「暴れるな。そして、気を張るな。一瞬で肩が石のようになってしまったぞ」


「あ、ああ、心地好いです……」


 アルヴァッハは青い瞳に困惑の光をたたえつつ、アイ=ファにマッサージングされるマルフィラ=ナハムの姿を見つめていた。

 それを横目で見ていたナナクエムが、無表情のまま肩をすくめる。


「アルヴァッハ、口ごもる、稀有である。そのまま、沈黙、保つがいい」


「否。この思い、吐露せず、ゲルド、帰ること、不可能である。我、大きな驚き、とらわれている。……アスタ、この料理、マルフィラ=ナハム、ひとり、完成させたのであろうか?」


「はい。自分が手ほどきをした料理を元にしたわけではなく、彼女が独自に開発したのです。ヴァルカスの影響も顕著であるかと思うのですが、如何でしょうか?」


「わたしの料理が、こちらの料理に影響を与えているのでしょうか? にわかには返答しかねます」


 そう言って、ヴァルカスは口もとに手をやった。鼻から上の表情に変化はないが、深く考え込んでいる様子である。


「ただ……この香草の組み合わせには、どこか馴染みがあるように思います。いえ、香草だけでなく……すべての食材の味を結びつけて、調和を取ろうとするこの作法は……確かに、わたしの料理と似ていなくはないように思うのですが……」


「はい。わたしも最初にこの料理を口にしたとき、真っ先にヴァルカスの料理を連想しました」


 と、これまで静かにしていたレイナ=ルウが、やおら発言した。


「だけどすぐに、これはわたしにも馴染みのある料理だと――つまりは、アスタの教えから生まれた料理なのだと思いなおしました。マルフィラ=ナハムは、アスタとヴァルカスの両方から強い影響を受けたことで、このような料理を思いついたのではないでしょうか?」


「我、同感である。この料理、双方の影響、感じられる。頭、殴打されるがごとき驚愕、ヴァルカスの料理、同一であり、そして、心、包まれるがごとき満足感、アスタの料理、同一である。そして、それら、合わさり、初めて、この料理、完成するのである。我、大きな驚き、覚えている」


「それは、わたしとまったく正反対の思いであるのかもしれません。わたしはごく慣れ親しんだ味わいから得られる満足感と、アスタ殿の料理を食した際に覚える衝撃を、同時に感じたように思います」


 レイナ=ルウとアルヴァッハとヴァルカスは、それぞれ真剣な光を浮かべた目を見交わしていた。

 そしてヴァルカスは、かたわらの弟子たちを振り返る。


「あなたがたは、どう感じましたか? あなたがたであれば、わたしよりも客観的にこの料理の味わいを分析できるはずです」


「ええ……自分も、同じ気持ちです。これはきっと、ヴァルカスの作法とアスタの作法を同時に取り入れた料理なんでしょう」


 そう言って、ロイはこらえかねたように天を仰いだ。


「正直に言って、してやられたという感じです。それは、自分が手掛けようとしていた料理なんですからね」


「……あなたは、こういった料理を理想としていたのですね?」


「べつに、こういう味わいを目指していたわけではありませんよ。あくまで、作法の問題です。自分はあなたの料理と森辺の料理をどちらも等しく素晴らしいものだと念じていたので……その両方の美点を取り入れたいと思っていたんです」


 ロイはいくぶん疲弊のにじんだ声で、そのように言いつのった。

 ヴァルカスはひとつうなずき、シリィ=ロウのほうに視線を転じる。


「あなたはどうですか、シリィ=ロウ? ロイよりも長きにわたってわたしの料理を食べ続けてきたあなたであれば、より深く考察できることでしょう」


「申し訳ありませんが……感想は、控えさせていただきたく思います」


 シリィ=ロウは、固くまぶたを閉ざしてしまっていた。

 その華奢な指先は自分の脚衣をぎゅっとつかんでおり、懸命に感情を押し殺している様子である。


「今はまだ、冷静に語る自信がありませんので……どうか、今は……」


「承知しました」と、ヴァルカスはアルヴァッハのほうに視線を戻した。


「何にせよ、これは素晴らしい料理です。作法の如何など問わずとも、それは明白でありましょう」


「明白である。香草、調味料、具材、配分、秀逸である。唯一、具材の種類、増やすこと、理想であるが、さすれば、香草および調味料、配分、変じるのであろうから、容易ならぬこと、瞭然である。そちら、行く末、期待するとして……現段階、この料理、完成されている。香草の組み合わせ、格別である。なおかつ、そこに、ミャンツ、ブケラ、使われていること、誇りに思う。ミャンツ、ブケラ、存在しなければ、この味わい、完成しない。無論、その他、7種の香草、同様であるが、そこに、ゲルドの香草、加えられていること、随喜である」


「まあ。それではこの料理には、あわせて9種もの香草が使われておりますの?」


 エウリフィアが、アルヴァッハの長広舌にするりと言葉を差し込んだ。

 アルヴァッハは重量感たっぷりに、「うむ」とうなずく。


「香草、味わい、火花のごとき、弾け散り、判別、困難であったが、9種の彩り、感じられる。それとも、我、錯誤しているであろうか?」


「いえ。間違いなく、こちらにはミャンツとブケラを含む9種の香草が使われているはずです」


 作った当人ではなく、ヴァルカスがそのように答えていた。

 ちなみに、それは正解である。この料理にはミャンツとブケラの他に、ピコの葉とチットの実とギギの葉と、あとは俺たちが名前を知らないクミンやターメリックやレモングラスやローリエに似た香草が使われているのだ。


「実はこの料理は、ミャンツとブケラを取り入れることによって完成したようなのです。以前にプラティカが食した際には、いまだミャンツとブケラに出会っていなかったので、マルフィラ=ナハムとしても未完成だという思いであったようなのですよね」


 俺がそのように説明すると、アルヴァッハは「なるほど」とうなずいた。


「9種の香草、織り成す彩り、見事である。しかしまた、他の食材、同じほど、重要である。調味料、果実、具材、いずれ欠けても、この調和、得られない」


 俺は相槌を打とうとしたが、それよりも早くヴァルカスが発言した。


「はい。そうであるからこそ、具材を増やすというのは困難であるのでしょうが……ですが、アルヴァッハ殿のお気持ちは、痛いほどに理解いたします。この完成された料理の中で、そこだけが唯一の穴であるのです。これだけの華やかな味わいで、野菜がアリアとチャッチとマ・プラの3種のみというのは、あまりに惜しいのです。この調和を崩さずに、微調整だけで追加できる野菜はいくつか存在するはずです。その可能性が、わたしたちを落ち着かなくさせているのでしょう」


「うむ。食感、不足している。異なる食感、有する野菜、用いれば、さらなる飛躍、望めるであろう。ファーナ、当確である」


「ああ、ファーナであれば微調整すら不要であるかもしれません。ただし、熱の入れ方が肝要になるでしょうが」


「うむ。ペレ、困難であろうか?」


「ペレは……あの瑞々しさが、仇になるやもしれません。ですが、それを調和させることがかなえば、また新たな彩りとなりましょう」


「あらまあ」と、ナナクエムではなくエウリフィアが両者の応酬を断ち切った。


「美食家たるアルヴァッハ殿や料理人のヴァルカスにとっては、よほど看過できない料理であるようですわね。レイナ=ルウやヴァルカスのお弟子たちも、なんだか目の色が変わってしまっているようですし……」


「うむ? エウリフィア、異議、あろうか?」


「意義ではありませんけれど、わたしはこれまでの祝宴や晩餐会でいただいてきたアスタたちやヴァルカスの料理と同じほどに素晴らしい、というぐらいの感想しか出てこないのですわ」


 エウリフィアはゆったりと微笑みながら、ダリ=サウティのほうに目をやった。


「ダリ=サウティは、如何かしら? 森辺の方々にとっても、こちらは特別な料理であるのかしら?」


「いや。俺もエウリフィアと同様で、きわめて美味であるという思いしかない。まだ若年のマルフィラ=ナハムがこれほどの料理を生み出したというのは、もちろん大きな驚きだが……ただひたすらに、美味いという言葉しか出てこないようだ」


 ダリ=サウティもまた同じように微笑みながら、そう言った。


「だがきっと、かまど番にとっては大きな意味を持つ料理であるのだろう。森辺のかまど番たるマルフィラ=ナハムがそのような料理を作りあげたことを、誇らしく思う」


「ええ、そうね。城下町の料理人たるヴァルカスがマルフィラ=ナハムに大きな影響を与えたというなら、わたくしもとても誇らしいわ」


 アルヴァッハとヴァルカスの放出する熱気が、エウリフィアとダリ=サウティの放出する落ち着いた空気に、やんわりとなだめられたような雰囲気であった。

 そこですかさず、場を見守っていたマルスタインが発言する。


「ともあれ、いまだ味見のさなかであるからな。あとはヴァルカスとプラティカの料理、それに森辺の料理人が作りあげた菓子などか。まずはそれらを食してから、心ゆくまで論じ合っていただきたい」


「うむ。マルフィラ=ナハム、のちほど、語らせてもらいたい」


 アルヴァッハに水を向けられると、マルフィラ=ナハムは「はにゃ?」とゆるみきった声をあげた。ずっとアイ=ファに両肩をもみしだかれていた彼女は、恍惚とした面持ちで弛緩し続けていたのである。


「マルフィラ=ナハムも今少しこの場の空気に馴染めば、平静な気持ちで言葉を聞くことができよう。それまで時間をもらえれば、ありがたく思う」


 そのように語るアイ=ファは、まるでマルフィラ=ナハムの保護者のようで、俺としては微笑ましい限りであった。

 ともあれ、マルフィラ=ナハムの料理は予想通り、多くの人々に大きな波紋をもたらしたようだった。


(でも、エウリフィアとダリ=サウティの意見は新鮮だったな。調理に携わらないお人らにとっては、どんな作法で作られていようと関係ないってことか)


 しかしまた、それは真実の一面をついているように感じられる。

 けっきょく料理など、美味しいかどうかが重要であるのだ。ジェノスで独自に育まれた複雑な味わいであろうが、異郷からもたらされた目新しい味わいであろうが、それはただの付加価値にすぎない。逆に言うと、そんな付加価値は正しい判断や客観性に悪影響を及ぼす可能性だってあるはずだった。


(頭を悩ませるのは俺たちの仕事で、それだって美味しい料理を作りたいがための苦悩であるわけだしな)


 そしてマルフィラ=ナハムの料理は、さまざまな観点から料理を分析するヴァルカスやアルヴァッハにも、そのようなことには興味の薄いダリ=サウティやエウリフィアにも、等しく「美味しい」と認められたのだ。

 俺はまず、その一点を何より誇らしく感じていた。

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[気になる点] ヴァルカス、マルフィラ、アルヴァッハ…料理に異常な執念持ってる人ってみんな変人
[気になる点] 「うむ? エウリフィア、異議、あろうか?」 「意義ではありませんけれど、わたしはこれまでの祝宴や晩餐会でいただいてきたアスタたちやヴァルカスの料理と同じほどに素晴らしい、というぐらい…
[一言] マルちゃん可愛い!
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