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異世界料理道  作者: EDA
第五十六章 雨季、再び
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送別の晩餐会②~前哨戦~

2020.11/24 更新分 1/1

 そうして俺たちは、下りの五の刻を目処に料理を完成させることになった。

 城下町の晩餐会や祝宴というものは、日没の半刻か一刻ぐらい前に開始されることが多い。本日の晩餐会が早めの開始となったのは、アルヴァッハたちの翌日の出発が早朝であったためと、それでもなるべく親睦の時間を長く取りたいという理由からであった。


 俺たちの料理の味見を済ませたニコラはいち早く会場の広間に向かい、ヴァルカスたちも早々に厨を出ていってしまう。俺たちは料理の移送と配膳の手順を小姓たちに指示してから、それを追いかけるようにして扉をくぐったわけだが――そうすると、回廊に思いがけない姿を発見することになった。調理着から私服にフォームチェンジした、ヴァルカス一行の姿である。


「どうもお待たせしました。……今日はその姿で、晩餐会に参席されるのですね」


「はい。貴き方々と席を同じくするならば、当然の配慮ではないでしょうか?」


 そんな風に言ってから、ヴァルカスはおもむろに俺の手を両手でつかんできた。


「それよりも、おひさしぶりです、アスタ殿。お元気なようで、何よりです」


「え? ど、どうかされましたか? ヴァルカスとは、これぐらいお会いできない時期もしょっちゅうあったように思うのですが……」


「しかし現在は、雨季となりました。《アムスホルンの息吹》を再び発症することはありえないのでしょうが、雨季は病魔に見舞われる危険性が高まります。アスタ殿のお元気そうな姿を拝見できて、心より安堵しています」


 言葉の内容は情熱的だが、こんな際でも茫洋とした無表情のヴァルカスである。そんなヴァルカスにこうして詰め寄られると、俺はいつも反応に困ってしまうのだった。

 そして、そんな俺を救ってくれるのは、たいていアイ=ファとなる。


「……そちらがそのようにアスタの調子を気づかってくれることを、ファの家の家長としてありがたく思う。ただ、晩餐会の刻限が迫っているのではないだろうか?」


「……失礼。つい取り乱してしまいました」


 ちっとも取り乱していない表情と口調で言いながら、ヴァルカスは名残惜しそうに俺の手を解放してくれた。

 その横合いから、ロイが苦笑を投げかけてくる。


「うちの師匠が、たびたびすまねえな。そっちは雨季の野菜を使った料理をお披露目してくれるんだろう? 話をいただいたときから、ずっと楽しみにしていたよ」


 その場にはレイナ=ルウも控えていたので、「恐縮です」と一礼していた。やや緊張気味の、きりりとした面持ちである。


「わたしも今日という日を心待ちにしていました。ゲルドから買いつけた食材でどのような料理が生み出されたのか、心して食させていただきます」


「ああ。それじゃあ、出発するか。こんな晩餐会に参席させられるなんて、まったく気が張っちまうよな」


 ということで、料理を積み込んだワゴンの行列を道案内として、俺たちは晩餐会の会場を目指すことになった。

 その道すがらで、ヴァルカスのお弟子たち全員と挨拶をしてから、最後に主人のもとへと舞い戻る。


「それにしても、調理着でないヴァルカスのお姿というのは初めてです。それこそ貴族のように立派なお姿ですね」


 ヴァルカスもまた、長袖の胴着に西洋風の脚衣という、ジャガル流の装束に身を包んでいる。ただ、上から羽織った上着の刺繍の細やかさや色合いの美しさなどが、城下町の民としてもなかなか上質で洗練されているように感じられたのだ。


 いつもぼんやりとしたヴァルカスであるが、顔立ちはわりあい整っているほうであるし、四十代とは思えないぐらい若々しくもある。背だって俺より少し高いぐらいであるし、すらりとした体形で、色白で、西の民には珍しい緑色の瞳をしている。もっと表情を引き締めれば、本当に貴公子と呼びたくなるほどであった。


 が、もちろんヴァルカスにとって、そのようなことは興味の外であるのだろう。ふわふわとした視線を俺のほうに向けてきて、「はあ」と張りのない声をもらす。


「わたしも夜着や調理着でない装束を纏ったのは、ずいぶんひさびさであるように思います。このようなものに、銅貨をかける気はなかったのですが……」


「何を仰っているのですか! あちこちすりきれた装束でこのような晩餐会に参席することは許されないでしょう?」


 と、シリィ=ロウがすかさず口をはさんでくる。そちらは森辺の祝宴などでもお馴染みの、男の子みたいな装束だ。しかしもちろん、雨季用の温かそうなものに改められている。


「ヴァルカスが仕立て屋を追い返してしまったので、本当に苦労したのですからね! どこか窮屈なところはありませんか? 襟がこすれたりはしていませんか?」


「とりたてて、不都合は感じません。……この装束は、シリィ=ロウが買いつけてきたものであるのです」


「なるほど」と俺は納得した。どうりでセンスがいいわけである。着飾ることに興味がなければ、これほどのコーディネートを完成させるのも難しいはずであった。


「そういえば、シリィ=ロウは宴衣装ではないのですね」


 俺がそのように呼びかけると、シリィ=ロウはたちまち顔を赤くして眉を吊り上げた。


「わ、わたしたちは晩餐会の参席を許されましたが、それでも賓客ではなく料理人として参ずるのです。そのような場で、宴衣装などを纏うわけがないでしょう?」


「ああ、そういうものなのですか。城下町の習わしに疎くて、申し訳ありません」


 俺は素直に謝罪をしたのだが、ロイが横からまぜっかえしてくれた。


「シリィ=ロウは旧家の令嬢なんだから、べつだん宴衣装でもかまわねえと思うんだけどな。頑として、それを聞き入れようとしねえんだよ。どうも職場の仲間にそんな姿をさらすのは気恥ずかしいみたいだな」


「う、うるさいですよ、ロイ! わたしはただ、節度というものをわきまえているだけです!」


「でも、アスタたちなんかはたびたびシリィ=ロウの宴衣装を目にしてるんだよな? つきあいの深い俺たちだけ拝見できねえってのは、なんだか解せねえよ」


 確かに俺たちは、茶会や祝宴などでたびたびシリィ=ロウのドレス姿を拝見していた。彼女も目つきや表情のきつさを除けば端正な顔立ちであるように思うので、なかなか華やかであったように記憶している。


「であれば、シリィ=ロウが賓客として招かれる晩餐会などで、我々が厨をあずかればよいということだな。そうすれば、賓客への挨拶でシリィ=ロウの可憐な姿を拝むこともできよう」


 と、今度はボズルも口をはさんでくる。体格のいい彼も長身のタートゥマイもほどよく身なりを整えていて、普段以上の貫禄だ。東の血筋を感じさせる風貌のタートゥマイがジャガル風の装束を纏っているのが新鮮で、なかなかにダンディである。

 そんな風に考えていると、ボズルがいつもの大らかな笑みをたたえて俺に向きなおってきた。


「だけどそれより、まずは本日の晩餐会ですな。森辺の方々の料理を食べられるだけでなく、同じ場で交流できることを嬉しく思っておりますぞ」


「はい。俺もそう思っていました。なかなかみなさんを森辺にお招きする機会がないまま、雨季を迎えてしまいましたしね」


 そういえば、彼らも参席するのだと聞いて、マイムやシーラ=ルウたちもたいそう喜んでいたのだ。マイムはボズルと、シーラ=ルウはシリィ=ロウと、それぞれ親睦を深めているはずだった。


 また、こちらも人数を絞ったことにより、かまど番の全員が参席を許されている。もともとの賓客たる男衆を含めれば、総勢17名となるのだ。貴族の側は30名ていどであるはずなので、全参席者の3割ていどが森辺の民に占められるということであった。


 ロイたちにしても、このような場に招かれるのは異例の事態なのであろうが、すでに覚悟は据わっている様子である。というか、シリィ=ロウは旧家の令嬢、ボズルは陽気な南の民、ヴァルカスとタートゥマイは何事にも動じないマイペースな気性ということで、少しでも緊張気味の様子を見せているのはロイひとりであるようだった。


「失礼いたします。厨番の方々をご案内いたしました」


 ついに会場に到着である。

 まずはワゴンの料理が続々と運び入れられて、上品に抑制された歓声があげられる。しかるのちに、俺たちは入室を許された。


 本日も、あちこちに敷物が敷かれたゲルド流の様相だ。

 貴き人々はゆかりの深い相手とグループに分かれて、それぞれの敷物に散っている。まずはご挨拶をということで、俺たちは主賓たるアルヴァッハたちのもとを目指した。


「料理の準備、ご苦労である。アスタ、レイナ=ルウ、トゥール=ディン、こちら、いいだろうか? また、ヴァルカス、及び弟子たち、2名ほど、同席、願いたい」


「2名」と反問してから、ヴァルカスは弟子たちを振り返った。


「では、シリィ=ロウとロイがこちらに残ってください」


「え? シリィ=ロウはともかく、どうして下っ端の自分なんかが?」


 ロイが慌てた様子で言い返すと、ヴァルカスはぼんやりそちらを見返した。


「ゲルドの貴人アルヴァッハ殿の寸評を拝聴することは、若い料理人にとって大きな財産となるでしょう。確かにあなたはわたしの弟子の中でもっとも未熟であるでしょうから、なおさらこの機会を逃すべきではないように思います」


 ヴァルカスがずいぶん師匠らしいことを言い出したので、俺はちょっと驚かされてしまった。

 ロイは観念した様子で、「承知しました」と一礼する。


「それではあの、アイ=ファとプラティカにも同席を許していただけますか?」


 俺がそのように問いかけると、アルヴァッハは「無論である」と応じてくれた。

 この場に陣取っているのは、アルヴァッハとナナクエム、マルスタインとメルフリード、エウリフィアとオディフィア、ダリ=サウティとヴェラの家長、そしてフェルメスの9名である。他の敷物よりもずいぶん大所帯になってしまうが、主賓の席ということでひときわ立派な敷物が準備されていたため、窮屈な思いはしないですみそうだった。


 アルヴァッハの左手側にはフェルメスが座しているだけで丸々スペースが空けられていたので、俺たちは列をなしてそちらに向かう。

 その途中で、エウリフィアが「ねえ」と声をあげた。


「よければ、トゥール=ディンはこちらに来てもらえないかしら? 少しでも長い時間をオディフィアと過ごしてもらえたら、嬉しいわ」


「なるほど。では、俺たちが場所を空けるので、こちらに座るといい」


 ダリ=サウティとヴェラの家長が席をずれると、トゥール=ディンは迷うことなく「はい」とそちらに足を向けた。

 両親に左右をはさまれていたオディフィアも、エウリフィアと席を入れ替える。それでトゥール=ディンとオディフィアは、めでたく隣り合うことができた。


 トゥール=ディンはとてもやわらかい眼差しでオディフィアを見つめ、オディフィアはきらきらと光る灰色の瞳でそれを見つめ返す。言葉を交わし合う前から、ふたりの間にはこれまで以上に温かい空気が形成されていた。


 さらに俺は、これまでと異なる点を発見する。

 その姿を伴侶ごしに見やるメルフリードの眼差しが、かつて見たことがないほどに穏やかな光をたたえているように感じられたのだ。


(トゥール=ディンがオディフィアを元気づけたことを、それだけありがたく思ってるってことなのかな。お見舞いの日にはゼイ=ディンも同行したそうだし……おたがいの家族の絆もいっそう深まったなら、何よりだ)


 そんな思いを胸に秘めつつ、俺はフェルメスの隣に座することにした。

 指名のなかった人々は、それぞれ適当な敷物を目指している。ジザ=ルウがトゥラン伯爵家の人々と同席していることに気づいたゲオル=ザザは、「ふふん」と下顎を撫でた。


「ならば俺たちは、サトゥラス伯爵家のもとを目指すか。レイリス以外の人間とはあまり縁も深まっていないので、むしろ都合がよかろう」


 お供のディック=ドムを引き連れて、ゲオル=ザザはサトゥラス伯爵家の敷物を目指した。

 ボズルとタートゥマイはリミ=ルウとマイムの幼年コンビにはさまれて、ダレイム伯爵家の敷物を目指している。シーラ=ルウとララ=ルウは、ジザ=ルウのもとを目指す様子だ。


「あ、マルフィラ=ナハム。申し訳ないけど、ここから近い敷物に控えておいてもらえるかな? マルフィラ=ナハムの料理が来たら、説明なんかを求められるはずだからさ」


「は、は、はい。しょ、承知いたしました」


 ということで、マルフィラ=ナハムとユン=スドラとレイ=マトゥアの3名は、隣の敷物に腰を下ろすことになった。名前まではわきまえていないが、ジェノス侯爵家とゆかりの深い人々の敷物である。というか、この場に集められているのはいずれもジェノスで指折りの身分を有する貴族たちであるはずだった。


「全員、席は決まったようだな。では、挨拶をさせていただこう」


 マルスタインが、ゆったりと微笑みながら腰をあげた。


「それではこれより、送別の晩餐会を始めたく思う。ゲルドの方々は明朝にジェノスを出立されるので、心残りのないように交流を深めていただきたい」


 人々は、控えめな拍手で領主の挨拶に応じていた。

 ゲルド流の晩餐会も、ずいぶん馴染んできた頃合いであろうか。華やかな装束を纏った貴公子や貴婦人がたが敷物に座っている姿も、俺には見慣れた光景になりつつあった。


「なお、本日は森辺の料理人らに雨季の野菜を中心にした料理を、《銀星堂》の面々にはゲルドから買いつけた食材を中心にした料理を準備してもらっている。先日に開催された返礼の晩餐会と同じように、まずはひと通りの料理を手もとに届けさせるので、それらの味見を終えるまでは席の移動も控えてもらいたく思う」


 そして味見が済んだ後は、前回の通りの変則的なバイキング形式である。俺としては、こういった形式がジェノスに根付くことを願っていた。


「それでは、ゲルドの貴人らにもひと言ずつお願いしたい」


 マルスタインの要請に従って、アルヴァッハとナナクエムが立ち上がった。

 まずはアルヴァッハが、指先を複雑に組み合わせて一礼する。


「ジェノス、交易の道、整ったこと、得難く思っている。また、ジェノスにおける、親切の数々、心、刻みつけられている。今後、末永く、交流、続くこと、西方神、東方神、祈っている」


 威圧的な容姿をしたアルヴァッハであるが、これだけ祝宴や晩餐会を重ねれば、ジェノスの人々も免疫がついたことだろう。それにアルヴァッハたちは逗留していた時間のほとんどを城下町で過ごしていたのだから、俺たちよりもよほど交流を深めているはずであった。


「逗留、長引いてしまったこと、心苦しい、思っている。しかし、ジェノスの人々、親切であり、誠実であった。我々、西の王国、最初、絆、結んだ、ジェノスであること、僥倖であろう。この出会い、繰り返し、感謝したい、思っている」


 ナナクエムのほうも、重々しい声音でそのように語ってくれていた。

 感情を表すことのないアルヴァッハとナナクエムであるが、それらの言葉に真情が込められていることは、大した洞察力を有していない俺でも信ずることができた。そして、彼らと出会えた幸運を、この世の神々に感謝したく思う。シルエルのもたらした災厄までもが、俺たちにとってはこの出会いの種子となったのだった。


「では、送別の晩餐会を始めたく思う。……料理の準備を」


 マルスタインの号令で、侍女や小姓たちが一斉に動き始めた。

 敷物では、酒や茶の杯が配られる。硝子の酒杯にジェノス自慢の果実酒を注がれたアルヴァッハは、まずヴァルカスへと目を向けた。


「本日、無理な申し出、聞き入れてもらったこと、感謝している。貴殿の手腕、見届けぬまま、帰ること、できなかったため、容赦、願いたい」


「いえ。それほどのご期待をかけていただき、恐悦の限りでございます」


 ヴァルカスはぼんやりとした表情のまま、深々と一礼した。表面上は、過不足なく礼儀正しく振る舞えるヴァルカスなのである。ヴァルカス自身も彼の弟子たちも、きっちりと膝をそろえて真っ直ぐに背中をのばしていた。


「ゲルドにおいて、晩餐の時間、姿勢、自由である。楽な姿勢、取ってもらいたい」


「お気遣いありがとうございます。決して無理はしておりませんので、どうかお気になさりませんように」


「……ヴァルカス、ひとつ、願い、あるのだが」


 と、アルヴァッハはいっそう重々しい声音になった。


「我、忌憚なき意見、求めている。ゲルド、食材について、また、森辺の民、料理について、真情、述べてもらえるであろうか?」


「真情……と、申しますと?」


「貴殿、真情、語ろうとするとき、周囲の人間、掣肘する姿、たびたび目撃している。貴人の前、無礼である、見なされるのであろう。しかし、この場において、言葉、飾ること、無用である。ジェノス侯、了承、取りつけている。すべてにおいて、本心、語ること、願っている」


 ヴァルカスは茫洋とした面持ちで、「はあ」と小首を傾げた。


「お言葉を返すようで恐縮ですが……わたしはどのような場においても、言葉を飾ったり心を偽ったりした覚えはございません。不調法な人間でありますため、そのように取りつくろうことも難しいのです」


「しかし、掣肘、受けること、少なくあるまい?」


「はい。そういった場合は、口を閉ざすことで非礼を重ねないように心がけております」


 アルヴァッハはしばらく沈思してから、「なるほど」と首肯した。


「確かに、掣肘されたとき、貴殿、謝罪し、沈黙、守っていた。では、この夜、沈黙、必要ない、考えてもらいたい」


「承知いたしました。もとよりわたしは周囲に掣肘されない限り、自分の非礼に気づくこともできないほどの不調法でありますため、そのように思し召しいただければ幸いに存じます」


 ヴァルカスのそんな返答に軽く笑い声をあげたのは、マルスタインであった。


「では、配慮すべきは周囲の我々ということだな。我々が余計な口をはさまぬ限り、ヴァルカスが口をつぐむことはないということだ。皆も、そのように心してもらいたい」


 おおよその人々は、穏やかな面持ちでその言葉を聞いていた。心配そうな顔をしているのは、ロイとシリィ=ロウの両名のみである。それに気づいたマルスタインは、酒杯を片手に優雅な笑みを送り届けた。


「案ずるな。ヴァルカスの言葉が不適当と判じられた際は、わたし自身が掣肘してみせよう。また、これは主賓たるアルヴァッハ殿の願いであるのだから、ヴァルカスがどのような失言をしても罪には問わないと約束する」


 ロイとシリィ=ロウは観念した様子で、一礼した。

 マルスタインは綺麗に整えられた口髭をひねりつつ、俺たち森辺の民を見回してくる。


「それに、ヴァルカスはゲルドの食材についても森辺の料理人たちの手腕についても、高く評価しているのだからな。ならば、失言がこぼれる余地もあるまい」


「ふむ。料理の好みなど、人それぞれであるのだからな。たとえアスタたちの準備した料理が口に合わずとも、こちらが憤慨する理由はないように思う」


 そのように答えたのは、ダリ=サウティである。

 俺たちとしては身の引き締まる思いであるが、かといって不安を覚えることはない。ヴァルカスにどれほど酷評されようとも、それが的を得た意見であれば、粛々と受け入れるのみであった。


「失礼いたします。最初の料理をお持ちいたしました」


 と、そこでようやく小姓たちが到着する。この敷物はこれだけの人数であるため、料理を取り分けるのもひと苦労であったのだろう。


「森辺の方々が準備をされた、汁物料理と副菜になります」


 2種の料理が、次々と敷物に並べられていく。フェルメスのもとには、獣肉の使われていない副菜の皿だけが届けられた。

 アルヴァッハは眼光の増した碧眼で、それらの皿を見比べる。


「アスタ、レイナ=ルウ、説明、願いたい」


「はい。こちらの副菜は、雨季の野菜であるレギィを使った『きんぴらレギィ』という料理になります。細切りにしたレギィとネェノンとチャムチャムをホボイの油で炒めて、タウ油と砂糖で味付けをした料理ですね。炒める過程で海草の出汁を加えていて、最後に炒ったホボイを掛けています」


 ゴボウのごときレギィ、ニンジンのごときネェノン、そしてタケノコのごときチャムチャムを使った、とても素朴なひと品だ。簡素に過ぎると評されたならば、いつでも頭を下げる準備はできていた。


「こちらの汁物料理にも、レギィを使っています。これといって工夫もないタウ油仕立ての汁物料理ですが、レギィにはもっとも相応しい料理のひとつだと考えていますので、本日お出しすることにしました」


 レイナ=ルウは、いくぶん張り詰めた面持ちでそのように説明していた。

 こちらもまたシンプルな、『けんちん汁』である。レギィとネェノンの他には、サトイモのごときマ・ギーゴ、ダイコンのごときシィマ、ギバのバラ肉とブナシメジモドキ、それに小松菜のごときファーナも使っている。ファーナは主張の少ない野菜であるため、ぶっつけ本番でも問題はあるまいと判断して加えたとのことであった。


「あまり目新しい料理ではないかと思いますが、お気に召したら幸いです」


 アルヴァッハを筆頭に、人々が木皿を取り上げた。

 まずは『きんぴらレギィ』を食したダリ=サウティが、「ふむ」と神妙な声をあげる。


「サウティの家では、まだあまりギバ肉を使わない料理というものを作っていないので、いささか奇妙な心地だな。この料理は、ギバ肉を入れないことが最善なのであろうか?」


「そうですね。ギバの挽き肉を加えることもあるのですが、今日のところはフェルメスもいらっしゃるので、控えることにしました」


「ああ、また僕のせいでアスタに無用の苦労をかけてしまったのですね」


 フェルメスが申し訳なさそうな微笑を投げかけてきたので、俺は「いえ」と笑ってみせた。


「ギバ肉を入れるとまた一風異なる料理になってしまうので、今日はこちらを選んだというだけのことです。それで料理の質が落ちたとは思いません。肉料理の充実した日はこの野菜だけの料理を、肉料理に重みのない日は挽き肉を加えた料理を、という風に使い分けるべきだと考えているのです」


「なるほど。これでも十分に美味だとは思うので、ギバ肉を加えたものも食してみたいと思うぞ」


 フェルメスではなくダリ=サウティのほうが、笑顔でそのように応じてくれた。

 それで、アルヴァッハとヴァルカスであるが――味見用のささやかな分量をすみやかに食べ終えた両者は、それぞれ質の異なる無表情で黙りこくっていた。


「如何だったでしょう? ちょっと目新しさに欠けていたでしょうか? 何日かでも猶予期間があれば、魚醤などとの相性も確かめてみたかったのですが……」


「うむ。……ヴァルカス、感想、願いたい」


 アルヴァッハにうながされて、ヴァルカスはぼんやりとうなずいた。


「どちらも、簡素です。簡素であるゆえに、ひとつの風味が際立っているように思います」


「風味、大地の恵みであろうか?」


「はい。もとよりレギィというのは土臭いと称される食材でありますため、大地の風味という呼称は大変相応しいように思います。おおよその野菜は大地から生じるものですが、根菜たるレギィやネェノンやマ・ギーゴといった食材は、とりわけその呼称に相応しいのでしょう。また、ジャガルの茸に関しても然りです」


「同感である。香草、使われていないこと、物足りなさ、否めないが、この風味、香草、調和させること、困難であろう」


「無論です。香草を加えて調和をはかるならば、またまったく異なる味わいを追求するべきでしょう。わたしは最初に簡素と申しましたが、簡素でなければこの味わいは保てないのです。簡素とは、決して侮蔑の言葉ではありません。簡素な料理には簡素ゆえの美点が存在するということをわきまえない限り、その先に進むことはできないのだと思われます」


「同感である。また、我、屋台において、これと似た、汁物料理――『タウ油仕立てのモツ鍋』、食しているが、それと比しても、大地の風味、増している。レギィ、それほど、大地の風味、強いのであろうか?」


「いえ。確かにレギィは風味の豊かな野菜でありますが、普通に煮込んだだけでこれほどの風味は得られません。察するに、こちらの料理ではレギィを漬けた水を出汁として使っているのでしょう。レギィは土臭さと苦みを抑えるために生鮮の状態で水に漬けおくという下ごしらえの手法が存在するのですが、その土臭さと苦みが溶けた水をも加えているために、これほどの風味であるのです」


「なるほど。臭みと苦み、分離させ、違う形、活用する。手腕、見事である」


「はい。それはあくまで臭みと苦みを緩和させるための下ごしらえであるため、凡百の料理人であれば何も考えずに廃棄してしまうことでしょう。それを同じ料理に使ってここまで調和させるというのは、感心すべき手腕であるかと思われます。塩とタウ油と魚介およびギバ肉の出汁で、臭みと苦みを心地好い風味と香ばしさに転化させているのです。味の強いミソを使えば、それは簡単に封じ込めることができるのでしょうが、あえてタウ油を使うことにより、この繊細な味が組み立てられているのです」


「うむ。繊細、同感である。ミソ、使えば、力強い味、得られるのであろうが、魅力、別種である。また、レギィ、ネェノン、マ・ギーゴ、茸、もたらす風味、大部分、隠されてしまうこと、瞭然である」


「はい。ミソは優れた食材ですが、それに頼り切ると他の食材の魅力が減じられます。こと食材の風味を活かすという点においては、タウ油のほうが適性を有しているのです」


「うむ。アスタの料理、同様であろう。こちらもまた、簡素であるが、簡素ゆえの魅力、ひしめいている。野菜、3種のみだが、それゆえ、3種の食感、際立っている。レギィ、ネェノン、チャムチャム、食感、似ているが、似ているゆえ、わずかな違い、心地好さ、生んでいる。これもまた、簡素ゆえの完成度、および、繊細なる調和である」


「はい。こちらの料理に香草などを使えば、すべての調和が崩壊することも明白です。ギバ肉に関しては、細かく刻んで加えるという手法であるのならば、まあいいでしょう。3種の野菜の食感を殺すことなく、別種の料理として成立させることは可能であるかと予想されます。他なる献立との組み合わせによってギバ肉の有無を決めるというアスタ殿のご判断は、きわめて賢明であるように思われます」


「うむ。そして、簡素であるが、手間、惜しんでいないこと、着目したい。砂糖、タウ油、ホボイ油のみで、基本の味、完成されているが、海草の出汁、加えることで、さらなる調和、得られている。簡素なれども、深み、存在する。手腕、見事である」


「簡素という言葉を誹謗に使う人間は、そこのあたりに理解が及んでいないのでしょう。簡素な料理こそ、誤魔化しがきかないのです。アスタ殿やレイナ=ルウ殿は簡素な料理でも手間を惜しまず、飽くなき熱情で調和を求めているからこそ、これだけの料理を作りあげることがかなうのです。作法の異なるわたしには参考とすることが難しい手際であるのですが、その手腕と熱情には敬服いたします」


「アルヴァッハ」と一石を投じてくれたのは、やはり我らのナナクエムであった。


「次の料理、準備、整っている。貴殿、長広舌、控えるべきである」


 他の人々は――もちろん俺も含めて、言葉をはさむ間隙も見いだせずに、ただただ両者の激論を拝聴していたのだ。

 しかしアルヴァッハは、むしろ不思議そうにナナクエムを見返していた。


「我、長広舌、振るった覚え、皆無である。ナナクエム、言い様、心外である」


「否。十分、長広舌である。また、ヴァルカス、加わることにより、倍の時間、使われている。我々、呆れていること、理解するべきである」


 すると、ヴァルカスもまた不思議そうに小首を傾げた。


「やはり、わたしは発言を控えるべきでしょうか?」


「否。我、充足している。ヴァルカス、思うさま、語らえて、嬉しく思っている」


「それでしたら、幸いに存じます」


 ヴァルカスの横合いでは、その弟子たちが溜め息をついていた。全メンバーの中で屈託なく微笑んでいるのは、大らかなエウリフィアただひとりである。


「とても興味深い議論でしたわ。次の料理も楽しみなところですわね」


「うむ。それでは、準備を始めるがいい」


 マルスタインのほうはさすがに苦笑まじりの表情で、敷物のそばに控えていた小姓たちに声をかける。小姓たちはほっとした様子で空いた木皿を回収し、新たな料理を並べ始めた。

 そうしてその日の晩餐会は、なかなかに先の思いやられる愉快さを内包しつつ、幕が開けられたのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 『やはり我らのナナクエム』いい得て妙である。
[一言] 今回の話も最高でした! 取り敢えず一言、ヴァルカスとアルヴァッハのコンビ、ズルイ(褒め言葉)
[良い点] 何故毎回、これほどの食レポを書き上げることができるのか、我、不思議である。
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