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異世界料理道  作者: EDA
第五十六章 雨季、再び
970/1681

送別の晩餐会①~下準備~

2020.11/23 更新分 1/1

・今回は全7話です。

 アイ=ファの生誕の日から5日後の、赤の月の15日――俺たちは、中天を少し過ぎたぐらいの刻限に、城下町へと向かうことになった。


 この日に開催されるのは、ゲルドの人々の送別の晩餐会である。

 先々月の最終日にジェノスへとやってきて、まるまるひと月半を滞在したゲルドの貴人たちが、ついに明日帰国することになったのだ。


 ゲルドの人々とはひとかたならぬご縁を結んだ、森辺の民である。本来の屋台の休業日は昨日であったのだが、それを1日ずらしてでも、俺たちは万全の態勢でその仕事に取り組む所存であった。


 もちろん可能であったなら、アルヴァッハたちの側から日取りの変更を申し出てくれたことだろう。しかしこのたびは、雨季の野菜がからんでいるために、それもかなわなかった。雨季の野菜の本来の出荷日はさらに5日後の20日であったため、これ以上は1日でも前にずらすことは難しいと、ダレイムの側からそのような声があげられたのだ。


 まあ、こちらの屋台の休業日を1日ずらすぐらいは、なんの負担があるわけでもない。この日取りは事前から通告されていたので、それに合わせてスケジュールを組みなおすことは難しくなかった。


「それに今日は、ヴァルカスたちの料理を味わうこともできるのですものね。わたしは、この日を心待ちにしていました」


 そのように語らっていたのは、もちろんレイナ=ルウである。ヴァルカスに対する関心度というのは、俺を除けば彼女が森辺で一番であるはずだった。


 今日のヴァルカスは、ゲルドから買いつけた新たな食材で、何品か料理を供することになっている。アルヴァッハがゲルドに戻る前に、なんとか味見しておきたいと懇願した結果である。

 また、アルヴァッハが帰国の日を遅らせてでも晩餐会をこの日に定めたのは、俺の手による雨季の野菜の料理を食したいと願ったゆえなのだ。ありがたいことに、名うての美食家たるアルヴァッハは俺とヴァルカスの両名に同程度の期待をかけてくれていたのだった。


「今日はヴァルカスたちも料理を準備するので、こちらは人数を減らすことになったのですよね?」


 城下町に向かう荷車の中でレイ=マトゥアに呼びかけられて、俺は「うん」と応じてみせる。


「それでもまあ、10人以上の大所帯だからね。これだけたっぷり時間を取れれば、問題ないはずだよ」


 月頭の返礼の晩餐会では、15名にも及ぶかまど番が参ずることになった。今回はヴァルカスたちのおかげで準備する献立の数が減じたため、10名にまで絞ったのだ。

 内訳は、経験の浅いかまど番を減らした格好となる。ファの家の側は俺、

トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥアで、ルウ家の側はレイナ=ルウ、シーラ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、マイムという、錚々たる顔ぶれであった。


「雨季の野菜に関しては、森辺でも扱いなれていないかまど番が多いからね。そういう意味では、ちょうどよかったんじゃないかな」


「そうですね。雨季の野菜というのは2ヶ月ていどしか扱えないので、修練を積む時間が限られますし……それに去年は、アスタが病魔に臥してしまっていましたものね」


「うん。まあ、雨季の野菜が出回る頃には、俺も出歩けるようになっていたけど……病魔がなければ、もっと勉強会を充実させられたんだろうね」


「いいのです。アスタはこうして、元気になってくれたのですから!」


 悪天のために薄暗い荷台の中で、レイ=マトゥアはにっこりと微笑んでくれた。

 すると、マルフィラ=ナハムがおずおずと声をあげてくる。


「で、で、でもきっと、この中でアスタから雨季の野菜の手ほどきをされていないのは、わたしだけなのですよね? そ、そんなわたしなどが参じてしまって、本当によかったのでしょうか?」


「マルフィラ=ナハムだって、リリ=ラヴィッツを通して雨季の野菜の扱い方を学んでいたんだろう? それなら、きっと大丈夫さ」


 そう言って、俺はマルフィラ=ナハムに笑いかけてみせた。


「それに今回は、マルフィラ=ナハムの料理をアルヴァッハやヴァルカスに食べていただくっていう大事な目的があるわけだからね。マルフィラ=ナハムを呼ばないわけにはいかないじゃないか」


「は、は、はい……こ、このように大がかりな晩餐会で自分などの料理を出してしまうのは、とても気が引けてしまうのですけれど……て、手ほどきをしてくださったアスタの名を貶めてしまわないように、し、死力を尽くしたいと思います」


「大丈夫だってば。あの出来で文句を言われるようなら、俺の料理だって城下町で認められるわけがないんだから」


 もともと俺は、ヴァルカスにマルフィラ=ナハムが独自に開発した料理を食べてもらいたいと願っていた。さらにアルヴァッハにまで食べてもらえるなら、絶好の機会であろう。俺が知る中でもっとも味にうるさいヴァルカスとアルヴァッハがマルフィラ=ナハムの料理にどのような感想を抱くのか、今から楽しみなところであった。


 そうしてさまざまな思いを積んだ荷車は、やがて城門に到着する。

 10名のかまど番に4名の護衛役、それに本日も厨の見学を許されたプラティカを乗せてきたので、荷車の数は3台だ。今はいったん雨もやんでいたが、空は分厚い雲に覆われていたため、誰もが外套を纏っていた。


「ふん。辛気臭い空模様だな」


 護衛役のひとりであるゲオル=ザザが、頭上を仰ぎながらそのようにつぶやいた。

 現在は、休息の期間にある氏族もない。ならば、晩餐会に招かれた人間の中から護衛役を出せばよいという話になり、ゲオル=ザザ、ディック=ドム、ルド=ルウ、アイ=ファの4名が選出されていた。残りの3名、ジザ=ルウ、ダリ=サウティ、ヴェラの家長は、狩人の仕事を果たしてから夕刻に訪れる予定になっている。


「お待ちしておりました、森辺の皆様方。こちらの車にどうぞ」


 と、たびたびこの場で出くわす初老の武官が、穏やかな表情で俺たちを案内してくれる。この人数なので、送迎用のトトス車は2台だ。

 車の御者たちも、もちろん外套を纏っている。しかしそれらはどちらも標準体形の男性であり、俺が予期していた人物の姿はどこにも見えなかった。


「あれ? 今日はガーデルはお休みでしょうか?」


 俺がそのように尋ねると、初老の武官は穏やかな面持ちのまま「はい」とうなずいた。


「どうも雨季には肩の傷が痛むようで、しばらく休みを与えることになりました。御者の仕事に不始末があっては許されませんので、無理をさせるわけにもいかないのです」


「そうですか。……ガーデルに、どうかよろしくお伝えください」


 半数ずつでトトス車に乗り込み、いざ出発である。

 同じ車に乗り込んだルド=ルウが、発進と同時に語りかけてくる。


「ガーデルって、シルエルを始末した兵士だっけ? アスタはあいつと縁を深めてるのか?」


「うん。何度か屋台にも来てくれたしね。傷の具合がちょっと心配だなあ」


「リャダ=ルウも、この時期は足の古傷が痛むって言ってたしなー。ま、それで魂を返すことはねーだろ」


 それはもちろんそうなのであろうが、生死に関わるような負傷というのは、やはり長きに渡って人を苦しめるものであるのだろう。あの気弱そうなガーデルが薄暗い寝所で痛みにうなっているところを想像すると、気の毒でならなかった。


(ティアも、背中の傷が痛んだりしてるのかな……無事でいるといいんだけど)


 いささかならずアンニュイな思いを抱かされながら、俺はアイ=ファを振り返ることになった。


「なあ、骨折や脱臼の痛みってのは、雨季にぶり返したりはしないのか?」


「うむ? 少なくとも、私の肘やあばらが痛むことはないぞ」


「そっか。それなら、よかったよ」


 俺が安堵の息をつくと、アイ=ファは「大仰だな」と目だけで笑った。


「だって俺は、そこまで大きな怪我をしたこともないからさ。古傷の苦しさってのがわからないんだよ」


 とたんにアイ=ファは眉を曇らせて、俺の耳もとに唇を寄せてきた。


「そのような苦しさは、一生知らずともよい。私の目の及ばぬところで大きな怪我などを負ったら、許さぬぞ?」


「許さぬぞって言っても、不慮の事故は防ぎようがないだろう?」


「やかましい。許さぬと言ったら、許さぬのだ」


 アイ=ファはごちんと俺のこめかみに軽く頭突きをくらわせてから、身を引いた。どうやら19歳になっても、家人に対する過保護な性分に変わりはないようだ。

 俺はまぶたを閉ざして、胸の奥底にひそむ痛みにそっと手を触れる。


(……親父も、梅雨どきには古傷が痛んだりしてるのかな)


 トトスの車はなめらかに街路を駆け抜けて、やがて俺たちを白鳥宮にいざなった。

 前回の晩餐会からまだ半月も経っていないせいか、この場所もずいぶん見慣れてきたように思う。けっきょく間に1回の休業日をはさんだだけであるのだから、これも茶の月から続いてきた祝宴ラッシュの一環と見なせるのかもしれなかった。


(でも、これで少なくとも森辺においては、しばらく祝宴も打ち止めだからな)


 なおかつ、雨季が明ければルウ家の収穫祭や、ディック=ドムとモルン=ルティムの婚儀が控えている。さらにはサティ・レイ=ルウの第二子の生誕やシフォン=チェルの帰還など、待ち遠しい話が山積みである。雨季などは放っておいてもふた月ていどで終了することが確定しているのだから、雨季には雨季ならではの楽しみや喜びを見出すべきであるのだろう。


 そうしてあちこちに思考を飛ばしつつ、まずは浴堂であった。

 この城下町の習わしにもすっかり慣れ親しんできたゲオル=ザザは、逞しい裸身に真っ白の蒸気をあびながら、「むふう」と息をつく。


「この浴堂というやつは、雨季のほうが心地好く感じられるようだな。べつだん雨季の寒さを忌避していたわけではないのだが……身体の内側に本来の熱が戻ってきたように感じられるぞ」


「ああ、きっとこの香りのもとである香草にも、血行をうながす効能なんかがあるんでしょうね。確かに、いい気持ちです」


「うむ。モルン=ルティムも参じればこの心地好さを味わえたのに、残念であったな、ディック=ドムよ?」


 誰よりも逞しい巨躯を木べらでこすっていたディック=ドムは、ざんばら髪の間からじろりとゲオル=ザザをにらみつけた。


「事あるごとにモルン=ルティムの名を出すなと、俺は何度も願ったはずだぞ、ゲオル=ザザよ。……この場に参ずるかまど番を選んだのはファとルウの人間であるのだから、俺が口を出すいわれはない」


「ふむ。ファとルウの人間も気がきかぬことだな。モルン=ルティムであれば、かまど番の腕も申し分あるまいに」


 そんな風に言いながら、ゲオル=ザザは白い歯をこぼしている。ディック=ドムをからかっているというよりは、大事な友が間もなく婚儀をあげるという事態にはしゃいでいるように見受けられた。

 しかしまあ、それでは怒るに怒れないため、ディック=ドムもいっそう困ってしまうことだろう。また、その古傷だらけの引き締まった顔がいくぶん赤らんでいるのは、蒸気の効果で血行がよくなったためであるのか否か、判別が難しいところであった。


「雨季に入って、まだ10日ってところだもんなー。婚儀の祝宴は、まだまだ先か。こっちのほうが待ちくたびれちまうぜ」


 と、ルド=ルウも会話に加わってくる。


「婚儀の祝宴は、絶対に俺も顔を出すからよ。そのときはよろしくなー」


「ふむ? 絶対というのは、どういうことだ? お前はモルン=ルティムと、何か特別な縁でもある身なのか?」


「そりゃー血族なんだから、縁なんてそれで十分だろ。あとはまあ、俺とモルン=ルティムは同い年だったからよ。昔っから、何かと縁があったんだ」


 そう言って、ルド=ルウもにっと白い歯をこぼした。


「モルン=ルティムが想い人と婚儀をあげられるようになって、俺も嬉しく思ってるよ。ディック=ドムみたいに立派な狩人だったら、なんの心配もいらねーしなー。祝福するから、幸せになってくれよ」


「……だから、そのような話は雨季が明けてからのことだ」


 ということで、浴堂においてはディック=ドムとモルン=ルティムの話題に終始してしまった。

 こんな顔ぶれでこんな話題に興じることになろうとは、世の中わからないものである。しかしよくよく考えると、この4名はいずれも未婚のハイティーン世代であったのだ。その内の1名が婚儀をあげるともなれば、それを取り沙汰したくなるのが当然であるのかもしれなかった。


 しかしさすがに案内役の小姓や兵士の前では話題を選ぶべきであろうから、女衆が身を清めるのを待つ間は大人しくしておいた。誰よりディック=ドムにとっては幸いなことであったろう。

 ぽかぽかと温まった女衆らと合流したら、いざ厨に出陣である。


「それでは、どうぞお入りください。おあずかりした調理器具と食材は、先に運ばせておきましたので」


 案内役の兵士が扉を開くと、厨ではすでにヴァルカスたちが調理を始めていた。

 ヴァルカスたちはたった5名で、数十名分の料理を準備しなくてはならないのだ。ひとり頭の分量はささやかなものであっても、もともとヴァルカスの料理というのは大変な手間がかけられているのだろうから、その苦労は想像に難くなかった。


「お疲れ様です、森辺の皆様がた」


 と、俺たちを出迎えてくれたのは、《銀星堂》の関係者ではなくニコラである。彼女もまた、厨の見学を許されることになったのだ。

 ただし、料理の味見までを申し出るのは非礼にあたるとのことで、ヴァルカスたちの料理を口にするのは晩餐会の始まりを待たなくてはならないらしい。彼女はダレイム伯爵家の侍女として主人のもとに控えるとのことであったので、またいつぞやの祝宴のようにポルアースたちがこっそり味見させてくれるのだろうと思われた。


「こちらの味見は、厨で済ませていってくださいね。晩餐会の最中にすべての料理を味見するのは大変でしょうから」


 俺が小声でそのように呼びかけると、ニコラは仏頂面のまま恐縮の姿勢を見せた。


「いつもこちらの勝手な申し出を聞いていただくばかりで、申し訳ありません。……わたしはいったいどのようにして、アスタ様たちの御恩に報いればよろしいのでしょうか?」


「そんなことは、気にしないでください。こちらだってニコラの菓子を食べさせてもらっていたのですから、おあいこです」


 そう言って、俺はニコラに笑いかけてみせた。


「それでもニコラの気が済まないというのなら……いずれ、菓子だけではなくニコラの料理も食べさせてください。ニコラの修練がどのような形で実るのか、俺たちも楽しみにしていますので」


「……承知いたしました。そのお言葉を励みに、今後もたゆみなく修練に取り組みたいと思います」


 ニコラはいっそう厳しい表情となって、深々と頭を垂れてきた。

 そうして俺たちは、《銀星堂》の面々にも挨拶をさせていただくことにする。作業の邪魔になってはいけないので、レイナ=ルウとプラティカにだけ同行してもらった。


「お疲れ様です、ヴァルカス。今日はどうぞよろしくお願いいたします」


 白い覆面ですっぽりと顔を覆ったヴァルカスは、丸い穴から緑色の瞳で、ちらりと俺たちのほうを見てくる。顔が隠れていても体格で判別できるのは、ありがたい話であった。


「今日はヴァルカスの新しい料理がお披露目されるということで、心待ちにしていました。こちらは雨季の野菜を中心にした献立となりますが、よろしくお願いいたします」


「はい。よろしくお願いいたします」


「あ、あと、こちらのプラティカですが――」


「調理のさまを見学させるようにと、ポルアース殿からうかがっています。仕事がありますので、失礼」


 ヴァルカスは鉄鍋の蓋を閉めると、作業台で野菜を刻んでいた弟子のほうに立ち去ってしまった。俺たちの入室に気づいた4名の弟子たちもめいめい会釈をしてくれたが、わざわざ声をかけてこようとする者はいない。


「うん、ヴァルカスは相変わらずみたいだね。調理中のヴァルカスは他のことが目に入らなくなってしまうようなので、プラティカもお気になさらないでください」


「はい。立場、わきまえています。ヴァルカス、手際、拝見できること、得難く思っています」


 そのように語るプラティカは、藍色の調理着を纏っている。彼女は厨の見学を許されたばかりでなく、前回の晩餐会と同じようにひと品の料理を準備するように申しつけられたのだ。

 ただし、それを申しつけたのはアルヴァッハではなく、ポルアースである。主従の関係を解約したアルヴァッハの立場を慮り、ポルアースは何かと便宜をはかってくれているのだった。


 そういえば、プラティカにはあらためて城下町への通行証が発行されたのだとも聞いている。「ゲルの藩主の料理番」という肩書きを失ったのだから、それも当然の措置であるのだろう。彼女はゲルから修業におもむいた一介の料理人として、「期間は無期限だが宿泊は許されない」という条件の通行証を再発行されたのだった。


「たとえ身分を失っても、君がゲルドから買いつけた食材に関して誰よりも確かな知識を持っているという事実に変わりはないからね。今後も何かと仕事を依頼することはあるだろうから、よろしくお願いするよ」


 新たな通行証を手渡すとき、ポルアースは笑いながらそのように語らっていたらしい。

 ただし本日の一件に関しては、何もジェノスの側に利のある話ではないだろう。きっとポルアースはプラティカの修業の後押しをするために、料理の準備をも依頼してくれたのだ。プラティカとヴァルカスがおたがいの料理を食べ合う機会を与えてくれたのだから、こんなありがたい話はないはずだった。


 そして、そんなポルアースの厚意を正しく理解しているであろうプラティカは、これ以上ないぐらい意欲を燃えさからせている。ヴァルカスたちの調理風景に向けられるその眼光は、鋭い刃物さながらであった。


「私、しばらく、こちらに留まります。のちほど、そちら、見学をお願いいたします」


「はい。せっかくの機会ですから、今日はヴァルカスのほうを優先するといいと思いますよ」


 そうしてプラティカとも別れを告げて、俺たちも作業を開始することにした。

 本日も、基本的にはファとルウで献立を分けることになっている。マルフィラ=ナハムの料理やトゥール=ディンたちの菓子に関しては、後半に専用の班を作って取り組んでもらう段取りになっていた。


「それじゃあ、始めようか。……いやあ、トライプとレギィはひさびさだねえ」


 こちらに準備されていた木箱の中から、俺はさっそくトライプとレギィを取り上げてみせた。

 トライプは、黒い表皮にマスクメロンのような筋の走った、まん丸の外見だ。大きさはボーリングの球をひと回り小さくしたぐらいで、ずしりと重い。その正体は、カボチャに似た野菜となる。


 いっぽうレギィは表皮の真っ赤な色合いを除けば、ゴボウさながらだ。表皮の内側は灰褐色で、下ごしらえをしないと真っ黒に変色してしまう特性を有している。また、本来のゴボウよりも苦みや土臭さが強いため、トライプよりは取り扱いの難しい食材であった。


「ナ、ナ、ナハムの家ではけっきょく、レギィという野菜はあまり買われることもありませんでした。し、下ごしらえのやり方などは、アスタの教えをリリ=ラヴィッツが伝えてくれたのですが……そ、そうまでして料理に使う甲斐はない、という判断が下されてしまったのです」


 真っ赤なレギィをいくぶん物珍しそうに見下ろしながら、マルフィラ=ナハムはそう言った。

 俺も1年ぶりに見るその色合いを目で楽しみつつ、「なるほど」と応じてみせる。


「俺もレギィを料理の主役にしたことはないかな。ただ、この風味や食感はあまり他の食材にないものだから、けっこう重宝していたよ。ちょっとした副菜とか、汁物料理の具材とかにね」


「は、は、はい。レ、レギィの好ましい使い方というものを体得できたら、家族や血族のみんなにも食べてもらいたく思います」


 そう言って、マルフィラ=ナハムはふにゃっと笑った。最近は、ぎこちない笑みとやわらかい笑みが半々ぐらいの比率になってきたマルフィラ=ナハムである。


「それじゃあ、取り掛かろうか。まずは、レギィの下ごしらえだね」


 入り口の辺りに待機したアイ=ファとルド=ルウに見守られながら、俺たちは作業を開始した。

 レイナ=ルウたちのほうも、すでにてきぱきと働き始めている。どちらも精鋭ぞろいであるので、何の不安も見られない。少なくとも、俺の手伝いをしてくれている4名に関しては、近在の氏族のベストメンバーであるはずだった。


「今日もわたしたちは、貴族たちと晩餐をともにすることができるのですよね! オディフィアやエウリフィアと語らえるのが楽しみです!」


 俺の指示で野菜を刻んでいたレイ=マトゥアが、ふっとトゥール=ディンのほうを振り返る。


「でも、オディフィアは大丈夫なのでしょうか? 気落ちしていたばかりでなく、身体も弱ってしまっていたのでしょう?」


 トゥール=ディンは、とても穏やかな表情で「はい」とうなずいた。


「あれからもしばらく静養していたようですが、今日の晩餐会には参席すると聞いています。身体のほうも、すっかり元気になったという話でした」


「そうですか! それなら、よかったです!」


 トゥール=ディンは今でも2日置きにオディフィアへと菓子を届けていたので、それを引き取りに来るジェノス城の使者から逐一容態を伝えられているのだ。トゥール=ディンが城下町に呼ばれてから、いまだ10日も経ってはいなかったが、容態が回復したのなら何よりであった。


「そうしたら、また茶会でも開かれるのかな。去年の雨季でも、トライプの菓子を出したりしてたもんね」


「はい。雨季は色々と不便ですが、トライプを扱えることはとても嬉しく思います」


「うんうん。トライプは色々な菓子に応用できそうだからねえ。今日の菓子も、オディフィアに食べてもらうのが楽しみだね」


「はい」と、トゥール=ディンは幸せそうに微笑んだ。

 子供っぽさと大人っぽさの入り混じった、とても魅力的な笑顔である。トゥール=ディンがこんな顔で笑えるようになるなんて、スン家で初めて出会ったときはもちろん、ディン家に引き取られてきた当時でも、まったく予想できることではなかった。


(それだけの時間が流れたってことだよな。みんな成長してるんだろうけど、やっぱりトゥール=ディンの成長っぷりはその中でも群を抜いているんじゃなかろうか)


 まあ、このような話を持ち出しても、トゥール=ディンをもじもじさせてしまうだけだろう。俺は笑顔を返すに留めて、調理に集中することにした。


 こちらの厨には灯籠によってたくさんの明かりが灯されていたので、外界の薄暗さとも無縁である。城下町の中心部であるためか、鐘の音もよく聞こえるので、時間経過の確認にも問題はない。時には雑談を楽しみつつ、俺たちは濃密で充実した時間を過ごすことができた。


 そうして下りの二の刻の半を示す鐘が鳴って、そろそろ折り返しの頃合いかというタイミングで、毎度お馴染みの訪問客があった。律儀なアルヴァッハたちによる陣中見舞いである。


「仕事のさなか、恐縮である。挨拶、願いたい」


 それは先日の寄り合いと同じく、アルヴァッハ、ナナクエム、フェルメス、ジェムド、そしてポルアースという顔ぶれであった。フェルメスは帽子を外していたが、やはりジャガル風のすっきりとした装いである。


 こちらはプラティカやニコラを無理に連れ出す必要はないと伝えられたため、アイ=ファだけをともなってご挨拶をする。ローテーションで扉の外に出ていたルド=ルウとディック=ドムも、遠からぬ位置からそのさまを見守ってくれていた。


「こちらこそ、お忙しい中ありがとうございます。作業は順調ですので、お約束の時間には晩餐会を開始できるかと思います」


「忙しい、あらず」と答えたのは、ナナクエムであった。


「我々、仕事、半月前、終わっている。ジェノス、居残っている、アルヴァッハ、我が儘である。ジェノス城、長逗留、申し訳ない、思っている」


「いえいえ、とんでもありません。逗留の日取りがのびれば、そのぶん絆を深めることができるのです。我々も得難く思っておりますよ」


 実に社交的な笑みを振りまきながら、ポルアースはそう言った。

 まあ確かに、貴人の歓待というのは大仕事であるのだろう。質実なるアルヴァッハたちの側が豪勢なもてなしなどを望んでいないとしても、はいそうですかと粗雑に扱うことが許されるわけもなかった。


(アルヴァッハだったら、毎日でも森辺に通いたいと思ってくれてるかもしれないけど……立場上、そんなのは許されないんだろうしな)


 また、それはフェルメスも同様であるはずだった。身分が高ければ高いほど、人間にはあれこれ制約がつきまとってしまうものであるのだ。


「……そういえば、オーグは赤の月いっぱいで、いったん王都に戻ることとなりました」


 と、会話の隙間を突くようにして、フェルメスがそのような言葉を届けてきた。

 油断していた俺は、思わず「え?」と反問してしまう。


「補佐官のオーグが、王都に? 何か問題でも生じたのでしょうか?」


「いえ。赤の月いっぱいで、もともとの任期であった半年が終了するのです。僕たちがこの半年間でまとめあげた調書を、王都の王陛下にお届けするのですよ」


 そうか、王都の外交官には任期というものが存在したのだ。フェルメスたちがやってきたのは、たしか去年の黒の月の終わり頃であったから、この赤の月で丸半年ということになるのだった。


「フェルメスたちとお会いしてから、もう半年が経ってしまうのですね。なんだか、びっくりです」


「はい。あっという間であったようにも思いますが……反面、もう何年もジェノスで過ごしているかのような心地ですね」


 すると、無言で話を聞いていたアイ=ファが「それで?」と低く声をあげた。


「その任期というものが終了して、新たな外交官がやってくるということであろうか?」


「いえ。外交官の任期は二期から三期まで延長されるのが通例とお話ししたでしょう? 何か王陛下からお叱りを受けるようなことでもなければ、このまま僕が二期目を務めることになるかと思われます」


 アイ=ファは感情を隠した面持ちで、「そうか」と応じた。

 フェルメスはとても楽しそうに、そんなアイ=ファの姿を見返している。


「もしかしたら、アイ=ファを落胆させてしまったでしょうか? そうでなければ幸いなのですが」


「落胆などは、していない。どうして私が落胆しなければならないのだ?」


「それはまあ、僕はこれまでもたびたびアイ=ファの気分を害してしまっていたようですので」


 アイ=ファは口がとがってしまうのをこらえるように、ぴくりと唇を震わせた。


「確かにあなたとは、何度となく意見がぶつかっていた。また、現在においても、あなたのことを理解しきれてはいないのであろうと思う。……しかし、これで今生の別れを果たせば、あなたのことを永久に理解できないままとなろう。それは、私の望むところではない」


「アイ=ファは、そのように考えてくれていたのですか。とても嬉しく思います」


 フェルメスは亜麻色の長い髪を揺らしながら、にこりと微笑んだ。ジャガル風の装束となって、格段に男性らしい装いとなったはずであるのだが――そうすると、男装の美少女に見えてしまうのが不思議なところである。

 そんなフェルメスの可憐な笑顔を見返しながら、アイ=ファはこらえかねたように溜め息をついた。


「そういった言葉や笑顔の意味が、私には理解しきれないのだ。決して虚言を吐いているわけでも、心を偽っているようでもないのに、その真意が理解しきれない。どうしてあなたは、そのように不可思議なのであろうな」


「どうしてでしょう。僕も正直を美徳と考えているので、とても不思議です」


 ポルアースは、そんな両者をなだめるように「さてさて」と声をあげた。


「つもる話は晩餐会のお楽しみとして、そろそろ失礼いたしましょうか。アスタ殿も、大事な仕事のさなかでありますからね」


「うむ。……プラティカ、およびヴァルカス、伝言、願いたい。料理、楽しみにしている、と」


 そうして貴き人々の一団は、回廊の向こうへと立ち去っていった。

 頭の後ろで手を組んだお得意のポーズでその後ろ姿を見送っていたルド=ルウが、「ふーん」と声をあげる。


「けっきょくこれからも、あいつらがジェノスに居座ることになるみてーだな。……ま、交代になっても、あいつらより厄介な人間が来る可能性もあるわけだからなー。だったら、慣れた相手のほうが気楽なんじゃねーの?」


「……あのフェルメスより厄介な人間など、この世に存在するのであろうか?」


「知らねーけど、アイ=ファもあいつには感謝してるとか言ってなかったっけ?」


 もちろん俺とアイ=ファは、フェルメスに大きな恩義を感じている。ジェムドを通してフェルメスから語られた言葉によって、俺たちはティアとの別れに大きな希望を残すことがかなったのだ。

 しかし、そこから生じるアイ=ファの葛藤は、俺もすでに打ち明けられている。アイ=ファは遠からぬ場所にたたずんでいる守衛の耳を気にして、その言葉をこっそりとルド=ルウに伝えることになった。


「そうであるからこそ、あやつのことを理解したいと思うのだ。これほど大きな恩義を感じながら、私はまだあやつのことを友とは思えぬ心情でいる。それが、落ち着かなくてたまらないのだ」


「ふーん。なんだか、ややこしいんだな。ま、もうあと半年もあれば、あれこれ絆を深められるんじゃねーの?」


「……そうであることを願っている」


 そうして俺たちは、厨に舞い戻ることになった。

 晩餐会では、以前と同じように貴き人々と語らえるのだ。それでまた、さまざまな相手と絆を深めることがかなえば幸いであった。

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