雨季の始まり④~晩餐~
2020.11/5 更新分 1/1
「よー。晩餐の準備、お疲れさん」
ルド=ルウがそのように呼びかけると、レイナ=ルウは「うん」と応じながらその隣に着席した。
「でも、わたしたちは料理と菓子を1種類ずつ準備しただけだよ。あとの料理はヤンたちが準備したものだから、そのつもりでね」
レイナ=ルウが説明している間に、ユン=スドラとトゥール=ディンとプラティカも着席した。
そして食堂の中央では、ヤンが単身で一礼している。
「本日は、5種の料理と2種の菓子を準備いたしました。最初にお出ししましたのは、マロマロのチット漬けを使った汁物料理と、ギャマの乾酪を使ったポイタン料理となります」
定例会の晩餐というのは腹八分目に抑えられるものであるので、それらの料理も分量はつつましいものであった。
ただ、どちらも食欲を刺激する香りをあげている。俺たちが食事を進める間、ヤンは淡々と料理の解説をしてくれた。
「汁物料理はさきほどの勉強会でもお伝えしました通り、マロマロのチット漬けと魚醤、タウ油とミソを味付けに使用しております。具材は、ユラル・パ、ファーナ、ペレ、それにカロンの足肉となります」
本日は晩餐を食するのも勉強会の一環であるため、新たな食材がこれでもかとばかりに使われている。ヤンの手腕によって、新たな食材がどのような料理に仕上げられたのか、俺としても興味の尽きないところであったのだが――その出来栄えは、申し分ないようだった。
豆板醤のごときマロマロのチット漬けとしょっつるのごとき魚醤が既存の調味料とも相性がいいことは、すでに証明されている。ヤンが供したこの汁物料理においては、マロマロのチット漬けを主体として、残る3種の調味料で味が調えられているようだった。
そしてその土台を支えているのは、カロンの足肉の出汁となる。もともとはギバ肉以上に硬くて筋張っているカロンの足肉がとろとろの牛すじのようなやわらかさになっているので、かなりの時間を火にかけているのだろう。そうして抽出された足肉の出汁が、このスープにまたとない奥行きを与えていた。
「……虚飾、廃した、実直、味わいである。完成度、低くない、思えるが……香草、加えれば、さらなる向上、見込めるのではないだろうか?」
アルヴァッハが低く抑えた声音でつぶやくと、レイナ=ルウがそれに答えた。
「ヤンは本日、宿場町の方々の手本となるような料理を供しているのです。そのため、なるべく手間のかからない献立を考案したのでしょう」
「なるほど。その前提、あるならば、完成度、きわめて高い、思う」
アルヴァッハは得心した様子で、木皿の残りをすすり込んだ。
そのかたわらで、フェルメスはポイタン料理を手に微笑んでいる。
「こちらも、実に美味なる味わいです。きっと汁物料理とともに食せば、さらなる喜びが得られるのでしょうね」
フェルメスは獣肉を食せないので、最初から汁物料理は準備されていない。
そしてポイタン料理のほうはマロールと乾酪と香草しか使われていないので、フェルメスも口にすることができていた。
アマエビに似たマロールは小さく切り分けられて、ポイタンの生地に練り込まれている。また、ポイタンの生地にはカロン乳が使われており、乳脂で焼きあげられていたため、とてもまろやかな風味であった。
そんなポイタンの生地に、セージのごときミャンツとヨモギのごときブケラをまぶしたギャマの乾酪がのせられている。乾酪は平たいものがまんべんなく上面を覆っていたので、ピザに近い外見と味わいであった。
「ふむ。確かに香草を加えれば、乾酪の臭みも気にならんし……また、これまでの乾酪とはずいぶん異なる味わいになるようだな」
ミラノ=マスが押しひそめた声でつぶやくと、アルヴァッハがぐりんと向きなおってきた。
「ゲルドのギャマ、山育ちであるため、風味、強い、評されている。風味、強いからこそ、成立する味わい、理解、もらえたなら、幸いである」
気の毒なミラノ=マスは、ポイタン料理を咽喉に詰まらせそうになってしまっていた。
「し、失礼。……お耳を汚すつもりはなかったのですが……」
「耳、汚れる理由、存在しない。また、忌憚なき意見、求めている。遠慮、不要である」
ミラノ=マスはもともと不愛想であるし、貴族と触れ合う機会も少ないため、ゲルドの貴人とどのように接するべきか判じかねているのだろう。結果として、ミラノ=マスは無言のまま目礼をしていた。
「そろそろ皿も空きましたでしょうか? ……では、次なる3種の料理をお配りいたします」
《タントの恵み亭》の従業員たちが、ほとんど総出で皿の回収と新たな料理の配膳に取りかかる。他の客席からも注文の声があがっていたので、本日はなかなかの激務であろう。ちなみにニコラは厨で料理を盛りつける担当であるらしく、ずっと姿を見せていない。
そうしてそれぞれの卓に、新たな3種の料理が並べられることになった。
2種の肉料理と、再びのポイタン料理である。
「こちらの肉料理の片方が、森辺の方々の準備したものとなります。レイナ=ルウ殿、ご説明をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい」と、レイナ=ルウが立ち上がった。この料理の責任者は、レイナ=ルウであったのだ。
「こちらの料理は、わたしがこれまで手掛けてきたギバ料理に新たな香草を加えたものとなります。ココリ、ミャンツ、ブケラの他に、ミャームーやケルの根と、それに3種の香草を使っています」
既存の香草とは、苦みの強いナフアと、あとはクミンおよびターメリックに似た香草であった。そうしてレイナ=ルウは、新たなギバ肉の香味焼きにチャレンジしているのだ。
「実のところ、香草の分量にはまだ改善の余地があるかと思われます。それでもこのていどの味わいが得られるのだという参考になれば幸いです」
レイナ=ルウはそのように言いたてていたが、俺としては十分な完成度と思える出来栄えである。先に香味腸詰肉を完成させてしまったが、レイナ=ルウはずっと新たな香草とギバ肉の相性に関して研究を進めていたのだ。
宿屋のご主人がたも感じ入ったように声をあげており、そしてアルヴァッハも満足そうに首肯していた。
「こちら、腸詰肉、匹敵する味わい、思われるが……レイナ=ルウ、完成していない、考えているのであるな?」
「はい。それぞれの辛みや風味がぶつかってしまっているように思えるので、それをどのように調和させるかを考慮しているさなかにあります」
「素晴らしい。我の理想、超越すること、願っている」
「ありがとうございます」と、レイナ=ルウは凛々しい面持ちで一礼する。
いっぽうルド=ルウは、ようやく登場したギバ料理にご満悦の様子であった。
「俺なんて、もう十分美味いと思えるんだけどなー。これまでに作ってた香草の料理より上出来ってのは、確かだろ?」
「ううん。ココリやミャンツやブケラを使うんだったら、もっと美味しくできるはずだよ」
レイナ=ルウははっきりと明言しているので、きっと理想の味わいがぼんやりとでもイメージできているのだろう。ならば後は、レイナ=ルウの探究心がその思いに決着をつけてくれるはずであった。
そうして人々は、レイナ=ルウばかりでなくヤンの準備した肉料理にも度肝を抜かれている。俺も初見となるこちらの料理に、ずっと感服させられていた。
それは、キミュスの皮つき肉を使った煮込み料理である。
色鮮やかな赤紫色の煮汁は、カブやビーツのごときドリューを主体にしている。ドリューに何種かの香草と、それにミソとマロマロのチット漬けを使った料理であるのだ。
「こちらの料理は、苦みや香ばしさといったものを主体に味を組み立てております。明日からは、こちらの食堂でも売りに出す予定となっております」
「苦みや香ばしさ、ですか。べつだん、苦いようには思わないのですが……」
と、《玄翁亭》のネイルが無表情に声をあげた。
「……しかしこの味わいには、深い風味を感じます。これがあなたの仰る、香ばしさというものなのでしょうか」
「はい。苦みを表に出すわけではなく、味を支える土台に使っていると申すべきかもしれません」
確かにこの料理は、ちょっと独特の風味が豊かであった。プラティカやアルヴァッハであれば、山の幸の風味と称するかも知れない。もともとドリューが有している土臭い風味を香草で強調した上で、ミソとマロマロのチット漬けで味を作っているようだった。
「こちらも、虚飾、感じない。しかし、ドリューの風味、活かす手腕、見事である。ブケラ、ミャンツ、ギギ、ナフア、配分、見事である」
アルヴァッハがいきなり強い声音を発したので、それは客席の中央にたたずむヤンのもとまで届けられることになった。
ヤンは、恭しげに一礼する。
「ありがとうございます。美食家として名高いアルヴァッハ殿にお喜びいただけたら、光栄の限りです」
アルヴァッハはさらに言葉を重ねようとしたが、ナナクエムに肘でつつかれて不本意そうに口をつぐんだ。ヤンは、まだまだ仕事のさなかであるのだ。
「そして、こちらのポイタン料理にはペルスラの油漬けを使っております。単品としてはいささか風味の尖ってしまうペルスラの油漬けも、これでしたら抵抗なく口に運べるのではないでしょうか?」
「ああ、確かにね。こいつは、なかなかの味わいだよ」
と、レマ=ゲイトが大きな声で応じた。彼女は以前から、ヤンの手腕を認めていたのだ。
「おまけに味が強いから、こいつだけで果実酒が進みそうだ。肉の料理と一緒につまむには、ちょいと味が強すぎるぐらいかもしれないねえ」
「はい。食堂で売りに出す際には、汁物料理とあわせて注文されることを期待しております」
ペルスラの油漬けというのは風味のきついアンチョビのごとき食材であるため、かなり主張が強いのだ。しかし、ミャンツなどの香草を加えると、それがいい感じに中和される。俺などはそれをピザやパスタとして使っていたが、ヤンは香草ごとペルスラの身をポイタンの生地に練り込んでいた。
海魚にも発酵食品にも馴染みの薄いジェノスの民であるが、宿屋のご主人がたも満足そうにこの料理を食している。その中で、ナウディスが「ううむ」と声をあげた。
「失礼ながら、わたしはこちらの料理が際立って美味とは思いません。何せ、ギバとキミュスの料理がこうまで見事な出来栄えでありましたからな。それに比べれば、いささか物足りなく思うのですが――しかし、目新しさという意味では際立っておりますし、魚料理を食べなれている南のお客様がたには喜んでいただけるような予感がひしひしと感じられますな」
「はい。わたし自身、魚料理は馴染みが薄いのですが、他の食材では決して得られぬ味わいであろうと考えております」
「まったくもって、同感ですぞ! わたしは南のお客様に喜んでいただくべく、マロールの料理に取り組んでいるさなかでありますが、こちらの食材にも取り組ませていただきたく思います」
「そうですねえ。あたしも買いつけさせていただきましょうか」
と、今度はネイルではなくジーゼが同意を示した。彼女の店も《玄翁亭》に劣らず、東の民が主たる客筋であるのだ。
「では最後に、2種の菓子をお届けいたします。その片方は森辺の方々が考案したものであり、もう片方はわたしの弟子たるニコラが考案したものとなります」
ヤンの言葉に、ずっと無言であったプラティカが鋭く反応した。ニコラはファの家に逗留していた時代にいくつかの菓子を披露してくれたが、さすがにゲルドの食材は扱っていなかったのだ。
新たな皿が届けられるのと同時に、ニコラが厨からやってきて、師匠の隣に立ち並ぶ。いつも通りの仏頂面であったが、さすがにいくばくかは緊張している様子であった。
「わあ、綺麗な色! こいつがさっきの、アマンサやワッチって果実の色だね?」
俺たちとほど近い場所に陣取っていたユーミが、陽気に声を飛ばしてくる。トゥール=ディンはニコラ以上に緊張した様子で、「は、はい」と立ち上がった。
「こ、こちらはアマンサとワッチを使った、まんじゅうとなります。生地に果汁を練り込んだのは、風味をつけるためなのですが……アマンサとワッチは色合いも鮮やかなので、見栄えもするかと思います」
本日は手本の料理であるために、トゥール=ディンの菓子もシンプルに仕上げられている。それはフワノとポイタンのブレンド生地で作られた蒸し饅頭であり、内側にはそれぞれの果肉をベースにしたジャムが封じられていた。
ブルーベリーに似たアマンサは青紫色、夏ミカンに似たワッチはイクラを思わせる朱色であるため、生地もその色合いにほんのりと染めあげられている。
「な、中に入っている具材は、砂糖とシールの果汁を加えてひと晩ねかせたものを、翌日に煮込んでいます。アマンサもワッチも酸味がありますので、まんじゅうは蒸したものを冷ましてからお出ししています」
「うん、美味しい! アロウやラマムを使った菓子とは、全然違う美味しさだね!」
ユーミを筆頭に、宿屋のご主人がたも賞賛の声をあげていた。
そんな中、レマ=ゲイトは真剣きわまりない形相で小さな菓子を少量ずつかじっている。彼女の抱える厨番は宿場町において唯一、トゥール=ディンの好敵手たる菓子作りの腕を備えているのだ。
「……こちら、メレスの実、材料、しているのであるか」
と、こちらからはアルヴァッハがニコラへと声を飛ばしていた。
ヤンにうながされて、ニコラは「はい」と首肯する。
「まだまだ試行錯誤のさなかでありますが、メレスの使い道として宿場町の方々にお伝えしようかと考えました。菓子としては粗末な出来栄えでありますが、何卒ご容赦をお願いいたします」
「うむ。菓子として、未完成であろう。しかし、発想力、見事である」
アルヴァッハは、地鳴りのような声でそう応じた。
「こちら、試作品であること、疑い、生じない。次回、ジェノス、訪れる時、完成していること、願っている」
「……ゲルドの貴き方々にご満足いただけるよう、精進いたします」
そのように取り沙汰されているニコラの菓子とは、確かに興味深いひと品であった。完熟コーンのごときメレスを、ニコラは菓子の材料として扱ったのだ。
もともと甘いメレスに砂糖とカロン乳を加えて、煮込んですりつぶしたものをジャムのように仕上げている。今回は、それがフワノの生地の中に封入されていた。
「試食代わりの晩餐は、以上となります。定例会もこれにて閉会となりますので、あとはご自由に晩餐をお楽しみください」
タパスがそのように宣言すると、あちこちの卓から料理を注文する声があげられた。ここからは、定例会が親睦会へと移行されるのだ。
それらの様子を見回しながら、ポルアースは「さて」と声をあげる。
「僕たちの視察も、ここまでとなりますね。彼らの邪魔にならないよう、速やかに引き上げるべきかと思われますが……アルヴァッハ殿は、如何でしょうか?」
「うむ。ヤン、ニコラ、レイナ=ルウ、トゥール=ディン、感想、届けたく思う」
レイナ=ルウとトゥール=ディンは、それぞれ「え?」と目を丸くした。
「か、感想はさきほどいただいたかと思われますが……」
「は、はい。わたしも目新しい菓子を出したわけではありませんし……」
「否。試食の場、邪魔せぬため、発言、控えていた。帰宅の前、感想、届けたく思う」
そのように語るアルヴァッハのかたわらで、ナナクエムは小さく息をついていた。
「長きの時間、かからぬよう、我、取り計らう。多少、時間、もらえれば、幸いである」
「はい。アルヴァッハからご感想をいただけるなら、光栄に思います。また、わたしの至らない点をご指摘いただけるかもしれないので、非常にありがたく思います」
と、レイナ=ルウは持ち前の向上心を発揮した。トゥール=ディンは、耳を下げた子犬のように眉を下げている。
「では、俺たちがヤンとニコラに席を譲りましょう。ただいま呼んできますので、少々お待ちくださいね」
そうして俺が腰を浮かせると、アルヴァッハが「アスタ」と呼びかけてきた。
「本日、アスタの料理、食せる、期待していた。その点、無念である」
「それは申し訳ありませんでした。自分は定例会のほうに参加しなければならなかったもので……」
「うむ。無念、晴らされる日、待望している」
それは、雨季の食材でアルヴァッハたちをもてなす日のことだ。
俺は笑顔で、「はい」と答えてみせた。
「俺もその日を、楽しみにしています。では、またのちほど」
他の方々にも挨拶をして、俺は席から立ち上がった。
すると、アイ=ファばかりでなくララ=ルウとツヴァイ=ルティムとユン=スドラも、こちらにぞろぞろとついてくる。アルヴァッハの長広舌を拝聴するよりも、宿屋の面々と親睦を深めるべきと判断したのだろう。ルド=ルウは護衛役として、姉のもとに留まることにしたようだ。ついでにミラノ=マスも、ここが潮時とばかりに席を移っていた。
「ヤン、ニコラ、お疲れ様でした。アルヴァッハが料理の感想をお伝えしたいそうですよ」
「料理の感想を? あれらは手本として簡素に仕上げましたため、アルヴァッハ殿のお目にかなうとも思えないのですが……」
「いえいえ、キミュスの肉料理なんて見事な出来栄えだったじゃないですか。あの出来栄えなら、アルヴァッハも心を動かされて当然です」
「それは、光栄です」とヤンは静かに微笑んだ。
すると、隣でもじもじしていたニコラが「あの」と声をあげてくる。
「あのメレスの扱いは、如何だったでしょうか? もちろん試作品ですので、菓子としては不出来の極みであったでしょうが……」
「あれは、面白い試みでしたね。ただ、自分であれば、皮の始末に手を加えるかもしれません」
「……皮の始末?」
「はい。メレスは、薄い皮に包まれているでしょう? それが気にならないぐらい入念にすりつぶされていましたけれど、布などで濾したらもっとなめらかになると思います。あるいはもっと粗くつぶして、皮の食感を活かすか……そういった細工を試してみたくなりますね」
ニコラはきつく眉を寄せながら、俺の顔を見上げてきた。
「やはり……アスタ様も、メレスを菓子に使うことを考案されていたのでしょうか?」
「あ、はい。でも、ニコラとはまったく違う方向性ですよ。それに、俺の考えはトゥール=ディンに伝えたので、あとは彼女におまかせです」
トゥール=ディンは現在、コーンフレークの再現に取り組んでいるさなかであったのだ。俺の伝授したニワカ知識をもとに、トゥール=ディンであれば何かしらの結果を出してくれるはずであった。
「ニコラは明日、ディンの家に出向くのでしょう? そうしたら、おたがいに新発見があるかもしれませんね」
「……はい。トゥール=ディン様のご迷惑にならぬよう、誠心誠意、励みたく思います」
険しい面持ちで礼儀正しい言葉を発しつつ、ニコラは深々と頭を下げた。
そうしてヤンたちがアルヴァッハのもとに向かったところで、遠い場所から「おーい!」と呼びかけられる。
「よかったら、ちょいと話をさせてもらえねえか? さっきの話を、詳しく聞かせてもらいてえんだよ!」
どうやらそれは《ゼリアのつるぎ亭》のご主人を筆頭とする、かまど仕事の苦手な面々であるようだった。ララ=ルウは、楽しそうな顔で「あはは」と笑う。
「許しをもらう前に話を詰めたってしょうがないだろうにね。……ま、いいや。あたしらは、ちょいとあっちで語らってくるよ」
ツヴァイ=ルティムを引き連れて、ララ=ルウはそちらの卓に向かっていった。
これで俺のもとに残されたのは、アイ=ファとユン=スドラのみとなる。
すると、何者かがユン=スドラに覆いかぶさって、「きゃあ」と可愛らしい悲鳴をあげさせた。
「やーっと捕まえた! 最近はおしゃべりする時間もなかったんだから、たっぷり語らおうよー」
「ユ、ユーミでしたか。びっくりしました。……ええと、どうしましょう?」
「せっかくのお誘いだから、ご挨拶をさせてもらおうよ。確かに宿屋のみなさんが共同で屋台を開いて以来、ユーミとはなかなかゆっくり語らえなかったからね」
「でしょー? 雨季の間は、また毎日屋台に寄らせてもらうからね!」
ならばこの夜に語らう必要はないのではないか。――などと、野暮なことを言う人間はいなかった。
ユーミが追い払ったのか、あるいは自主的に移動したのか、卓にはサムスがひとりで待ち受けている。この卓は6人掛けであったので、全員がゆったりと着席することができた。
「やっと来たか。待ちくたびれたぞ」
と、サムスが意外な言葉を口にする。
そしてその目は、真っ直ぐにユン=スドラをとらえていた。
「あの野郎は、何をしてやがるんだ? ちっとも姿を見せねえってことは、筋違いの婚儀をあきらめたってことなのか?」
ユン=スドラは一瞬きょとんとしてから、「ああ」と微笑んだ。
「ジョウ=ランは修練に励んでいるため、宿場町に下りる機会が減ってしまったようです。でも、ユーミに対する気持ちは――」
「ちょ、ちょっと! いきなり何の話をしてるのさ! あたしはそんなつもりで、ユン=スドラたちを呼んだわけじゃないよ!」
「手前の心づもりなんざ、知ったことか。というより、手前が一番頭を悩ませるべき立場だろうがよ?」
顔を赤くするユーミをよそに、サムスはユン=スドラのほうに身を乗り出す。ユン=スドラはジョウ=ランの血族であるため、狙いをつけられたのだろう。
「今日だって、こうして狩人の連中が迎えに出向いてきてるじゃねえか。そこでも名乗りをあげねえってのは、いったいどういう了見なんだ?」
「はい。もともとジョウ=ランは、雨季になるまで修練に集中しようと考えていたようです。でも、護衛に出向く人間は事前に決められていたので、いきなり当日に交代を申し出ることはできなかったのでしょう。早くユーミやご家族にお会いしたいと、ジョウ=ランも常々心情をこぼしていたのですが――」
「だから、余計なことは言わないでいいってば!」
ユーミが平手で、ユン=スドラの肩をばちばちと叩いた。雨季用の装束を纏っていなければ、けっこう痛そうな力加減だ。
「でも、誤解があってはいけないでしょう? ジョウ=ランは本当に、懸命に気持ちをこらえて身をつつしんでいるのです。本当であれば毎日でも宿場町に出向きたいのだと、以前そのように言っていました」
「もー!」と、ユーミは頭を抱え込む。俺とアイ=ファは、すっかり蚊帳の外であった。
「でも、雨季の間は修練を積むことも難しくなりますし……それに、フォウの血族でもトトスと荷車を買う算段を立てているのです」
「あん? トトスと荷車が何だってんだ?」
「トトスと荷車があれば、自由に買い出しの仕事を果たせるでしょう? いつもファの家の世話になるのは心苦しいですし、銅貨にもゆとりがあるのだから、フォウの血族でもトトスと荷車を買うべきだという話になったのです。それで、中天の前であればジョウ=ランも動けますので、きっと買い出しの仕事を受け持つことになるかと思われます」
「なるほどな」と、サムスは古傷の目立つ首もとをさすった。
ユーミはまだ赤い顔をしたまま、今度は拳で父親の肩を小突く。
「もう満足したでしょ? はい、この話はおしまいね! 今日は宿屋の寄り合いなんだから、もっと実のある話をしないと!」
サムスは口を開きかけたが、思いなおした様子で「ふむ」とうなった。
「実のある話か。……あの赤毛の娘っ子ぬきで、さっきの話を詰めることはできるのか?」
「さっきの話? ああ、銅貨で森辺のかまど番に手ほどきを依頼するというお話でしょうか?」
「他に何の話があるってんだ」
と、サムスは木の椅子にふんぞりかえった。
その隣で、ユーミは「えー?」と眉をひそめる。
「いったいどういう風の吹き回しさ? 森辺のみんなへの態度を改めないまま、仕事を押しつけようっての?」
「ふん。仕事で銅貨を払うなら、何もへりくだる必要なんてねえだろうが?」
娘の文句を一蹴して、サムスは俺たちの姿を睥睨してきた。
「で、どうなんだ? さっきの話は、森辺の族長らに許される見込みがあるのか?」
アイ=ファにはさっぱり話がわからないし、ユン=スドラも何か迷うような面持ちであったので、ここは俺が答える他なかった。
「そうですね。あまり無責任なことは言えませんが、とりたてて族長たちが拒む理由はないように思います。そうだからこそ、ララ=ルウもああいった話を提案したのではないでしょうか」
「でもさー、銅貨を払ってまで森辺のみんなに手ほどきをお願いするなんて、親父らしくないじゃん。なんか、おかしなこと企んでるんじゃないだろうね?」
「手前が抜かすな、馬鹿たれが。勝手に森辺の若衆なんぞと深い仲になりやがって」
再びユーミを赤面させつつ、サムスはそのように言葉を重ねた。
「俺たちみてえな貧乏宿は、料理にも銅貨はかけられねえ。だったら、料理を作る人間が腕を上げるしかねえだろうがよ? 手前はあの《南の大樹亭》や《ラムリアのとぐろ亭》ほど、立派なもんを作れるってのか?」
「そんなの無理だけど、あっちとは最初っから客筋が違うでしょ?」
「宿の客はな。屋台だったら、客筋もへったくれもあるか。これで粗末な料理を売りに出してた連中が森辺の民の手ほどきで腕を上げたら、うちの屋台なんざ見向きもされねえよ」
「えー、そうかなあ?」とユーミは不満そうな顔をしながら、俺に向きなおってきた。
ユーミを大事な友と思う人間として、俺は「うーん」と熟考する。
「ユーミの作るお好み焼きが、そうそう見劣りすることはないと思うんだけど……でも、これで1年以上も同じ献立を続けているんだよね。俺だったら、そろそろ新しい献立を考案しようとするかなあ」
「そうなの? ぎばばーがーとかぎばまんとかだって、もっと昔から売り続けてるでしょ?」
「うん。だけど俺たちは、それ以外の献立もどんどん増やしてるからね。そうやって目新しい献立を増やしている分、昔ながらの料理も売り続けようって話になったんだよ。ひとつの屋台で同じ料理を売り続けたほうが、飽きられるのも早いんじゃないかな? それこそ、新しい献立とお好み焼きを交互に売れば、飽きられることもなく人気を保てるような気がするね」
「んー、そっかあ。もちろんあたしだって、森辺のみんなに手ほどきしてもらえるなら、それが一番だと思えるけどさ。新しい献立なんて、なんかワクワクしちゃうしね!」
すると、何か考え込んでいたようなユン=スドラが、発言した。
「《西風亭》とフォウの血族は、すでに深く絆を深めているように思います。ユーミを婚儀の祝宴に招いたり、こちらの家長が宿場町まで挨拶に出向いたりもしていますし……それでもやはり、代価を必要とする仕事としてやりとりするべきなのでしょうか?」
「当たり前だ。これで銅貨を払わなかったら、また抜けがけだ何だと難癖をつけられるだろうよ」
サムスのぶっきらぼうな返答に、ユン=スドラは「そうですか」と破顔した。
「それが宿場町の習わしなのでしたら、わたしが口を出すいわれもありません。でも、できることならその仕事はフォウの血族で受け持ちたいと願います」
「ああ、フォウの血族の人たちだったら、ルウの分家や眷族の人たちにも劣らない腕だろうしね」
俺がそのように口をはさむと、ユン=スドラは「はい」とうなずいた。
「フォウやランの女衆は、サムスやシルとも絆を深めたいと願っています。……それに、ジョウ=ランが護衛役を受け持つ機会も生まれることでしょう」
「だから、あいつの話はいいってば!」と、ユーミはユン=スドラの背中を引っぱたいた。
「ちょっと痛いです」と応じながら、ユン=スドラはどこか楽しげな表情だ。
何にせよ、サムスが自ら森辺の民に手ほどきを願いたいなど言い出すとは、これまでにありえなかった話である。料理の手ほどきに関してはどのような形に落ち着くかもわからなかったが、これを機会にさまざまな人々の絆が深まれば幸いであった。
(ていうか、すでに新しい絆も芽生えてる真っ最中だしな)
遠くの卓では、ララ=ルウとツヴァイ=ルティムが《ゼリアのつるぎ亭》を筆頭とするご主人がたと熱っぽく語らっている。
アルヴァッハたちが辞去すれば、レイナ=ルウたちも交流の相手を求めて卓を巡ることになるだろう。トゥール=ディンなどは、レマ=ゲイトとゆっくり語らえる宿屋の寄り合いを、いつもひそかに心待ちにしているように見受けられるのだ。
宿の外は雨なのであろうが、この食堂にはそうとも思えないほどの熱気と活力があふれかえっていた。