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異世界料理道  作者: EDA
第五章 宿場町のギバ肉料理店
96/1675

③初日~営業終了後~

2014.10/1 更新分 1/1

2014.10/2 後書きに収支計算表を追加

「……ただいま帰りましたあ」と戸板を引き開けると、壁にもたれて座りこんでいたアイ=ファに、ぎょっとした顔で迎えられてしまった。


「何だ、どうしたのだ? 宿場町で、何かあったのか?」


「いや。無事に完売のはこびとなったので帰還したまでにございまする」


「それは……ずいぶん早かったな。まだ中天にもなっていないはずであろう?」


「うん。これでも存分に寄り道してきたんだけどねえ」


 明日用の食材を購入がてら、ドーラの親父さんとの立ち話に興じ、屋台の返却がてら《キミュスの尻尾亭》のカミュアたちからも感想を得て、森辺に到着してからは水場で鉄鍋を洗い、その末に、いま帰還したのである。


 まったく煮詰まる時間さえ与えられなかったタラパソースの残り分は、ヴィナ=ルウがその場で購入した皮袋に詰め、ほくほく顔で持ち帰っていった。


 余った薪は返却した屋台と一緒に置いてきたので、明日用のタラパと調理器具だけを携えた、身軽な格好の俺である。


 とにかく鉄鍋をかまどに戻し、買ったタラパを食糧庫に片付けてから、俺はアイ=ファの正面に腰を下ろした。


「用意した10個は完売できた。諸経費を差し引いたら、ざっと赤銅貨5枚ていどの売り上げだな。まあ、初日としては、大成功なんだけど……」


 しかし、何だか腑に落ちない。

 この腑に落ちなさを共感してもらうべく、俺は本日の状況をすべてアイ=ファに語ってみせた。


「ふむ……しかしまあ、お前の味が認められたからこそ売れた、という事実に違いはあるまい。素直に成功を喜んでもいいのではないか?」


「それはそうかもしれないけれど、あの東の民の集団がいつまで宿場町に留まっているかもわからないから、明日以降をどうするかが難しいんだよなあ」


 端的に言うと、「顔見せ」や「話題作り」に大失敗した、という心境なのである。


 屋台を出して1時間足らずでまたゴロゴロと引き返してきた俺たちの姿に、町の人間たちはどのような感慨を抱いたであろうか? 何か問題を起こして撤収させられたのだ、とか思われていないだろうか?


 被害妄想が過ぎるかもしれないが、しかし、視線が痛かったのは事実だ。


 なおかつ、あの集団はロクに西の言葉があやつれないようだったから、口づてが評判が広がるという期待もあまり見込めない。


「……商売とは、ややこしいものなのだな」と、金褐色の頭をかきながら、アイ=ファが顔を寄せてくる。


「それでも、お前は仕事を果たしたのだ。少しは喜べ」


「うん……」


「喜べ、と言っている」


 と、アイ=ファはいきなり手を伸ばしてきて、俺の左頬をしたたかにひねりあげてきた。


「痛い痛い痛い! ホホ肉がちぎれる! いきなり何をするんだよお前は!」


「喜べと言っているのに、言うことをきかぬからだ」


 と――アイ=ファの顔に、ふわっと微笑が浮かびあがる。


「私は、喜んでいるぞ?」


「アイ=ファ、お前――」


「うむ?」


「最近けっこう、笑顔が多くなってきたな? ……痛い痛い痛い!」


「ふん!」と、せっかくの笑顔を霧散させつつ立ち上がったアイ=ファは、そのまま壁から毛皮のマントを取り上げた。


「いてててて……あ、もう森に向かう時間か?」


「うむ。お前はこれからどうするのだ、アスタ?」


「そうだなあ。仕込みをするにもまだ早いし。ちょっと色々今後のことも考えながら、大人しく薪でも割っているよ」


「薪なら、私も割っておいたがな。まあ、割れる内に割れるだけ割っておくのもいいだろう」


 などと言いながら、あぐらをかいた俺のほうにまた顔を寄せてくる。


「では、行ってくる。……今日も決して、油断するのではないぞ?」


「ああ。おかしな酔っ払いが近づいてきたら、走って逃げるよ」


「うむ」とうなずくアイ=ファの瞳には、とても強い光が灯っていた。

 俺を残して森に向かうとき、アイ=ファはこういう目つきをするようになった――あの、ルティムの祝宴を終えた日以降から。


 そうしてアイ=ファは森に向かい、俺は家に取り残された。


(中天、か……)


 本当ならば、今こそ人通りの増えた宿場町で人々に試食品を配っていた頃合いであるはずなのに。ひとりでぽつんと家の中で座り込んでいる、俺。


 やはり、達成感よりも虚脱感が上回ってしまっている。


「まあ、くよくよしててもしかたがないか! 勝負は明日からだ、明日から!」


 ちょっと冒険になってしまうが、明日は20個のパテを焼いていこう。

 それで大惨敗してしまったら、また10個に戻せばいいのだ。

 あるいは、それでもあっさり売り切れてしまうようなら、日ごとに追加していけばいい。食材費を無駄にしないよう切りつめつつ、臨機応変に対応していくしかなかろう。


(焦ることはない。大赤字にさえならなければ、10日でも20日でも店は出し続けられるんだからな。少しずつでも成果をあげられていけばいいさ)


 アイ=ファが素直に喜んでくれたおかげで、だいぶ前向きな気持ちになることができた。


 ちょっと予想外の展開ではあったが、まともに売れるとも思っていなかった初日に完売することができたのだから、その部分は素直に喜んでもいいのだろう。


 それに、すべて顔見知りとはいえ、ターラも親父さんもカミュアもレイト少年も、全員が『ギバ・バーグ』を大絶賛してくれたのだ。


 不安よりも、希望をもって明日からの仕事に従事するべきだ。


「よし! ……薪でも割るか」


 俺は物置小屋から鉈と薪の束を引っ張りだして、家の外に出ようとした。

 しかし。

 戸板に手をかけようとした、その瞬間に――

 トン、トン、と外側から戸板を叩かれた。


 ――客人?


 ファの家に客人なんて――俺が住みついてからのひと月あまりで、リミ=ルウとガズラン夫妻しか迎えたことはない。


 しかも今は、中天を過ぎた頃合いだ。

 狩人であるアイ=ファが家を出ているということは、誰にとっても明らかなはずである。


 では、俺を訪ねてきたということか。

 ……誰が?


 そんなことを考えている間に、また、戸板を2回、叩かれた。

 俺は、鉈と薪の束を足もとに置き、胸に手を置いて呼吸を整える。


「……どなたですか?」


 沈黙。


 俺はそろそろと、壁にたてかけてあるかんぬきに手を伸ばした。

 籠城するか、走って逃げるか。選択肢は多いほうがいいだろう。


 だが――その指先がかんぬきに触れる寸前に、戸板の向こうから声があがった。


「わたしは……フォウの家の、サリス・ラン=フォウです」


 まったくもって、聞き覚えのない名前である。

 しかし、その声は、あんまり力強さのない女性のものだった。


 俺は数秒迷ってから、そっと戸板を引き開ける。


 ちょっと痩せ気味の、若い女性がそこには立っていた。

 一枚布を胸から膝にまで巻きつけて、その手には、コタ=ルウよりも小さな赤ん坊を抱いている。


 それでようやく、俺も警戒レベルを引き下げることができた。


「俺はファの家の家人アスタです。家長アイ=ファに何かご用事でしたか?」


「はい……いえ……ア、アイ=ファはもう森に入られてしまいましたか?」


「ええ。ついさっき出かけたところです。何か伝言でもあれば伝えておきますが」


「はあ……あの、ファの家にこれを……」と、その女性は足もとに置いてあった野菜を入れるための麻っぽい袋を持ち上げた。


 袋は大きいがぺしゃんこに潰れており、ずいぶんと軽そうだ。


「何ですか、これは?」


「はい……あの……ピコの葉です……」


 何だか俺よりも、この女性のほうが警戒心をあらわにしているようだ。

 まあ、このあたりに住んでいる人々には相当うさんくさい人間だと思われているだろうから、それはしかたがない。


「ピコの葉ですか。でも、それをどうしてファの家に?」


「はあ……実は……アイ=ファには、もう何枚もの毛皮をいただいてしまっているのです……」


「毛皮?」


 どうにも意味がわからない。


「毛皮って、ギバの毛皮のことですか?」


「はい……ひと月ほど前から、もう数えきれないぐらい、何枚も……わ、わたしの家、フォウの家は、男衆が少なくて、なかなか満足にギバが狩れないのです。でも、アイ=ファがそうして毛皮をわけてくれたので、何とかこの子を飢えさせずに済みました……」


「そうでしたか――いや、それは初耳です。うちの家長にも、そんなご近所づきあいがあったんですね」


 すると、サリス・ラン=フォウはちょっと思いつめた目つきをして、その手の我が子をきゅっと抱きしめた。


「いえ……つきあいはありません……家長の言葉により、ファの家とのつきあいは禁じられているのです……」


「え?」


「ファの家は、族長筋と悪い縁がある。ファの家と関わりを持てば、その悪縁がフォウの家にも及ぶかもしれない、と言って……2年前から、ファの家とのつきあいは禁じられていました……」


「はあ。そのあたりのことは、一応わきまえておりますが」


 だからアイ=ファも、意識的に他家とのつきあいは絶っていたはずなのである。


 それでは、毛皮がどうのという話は何なのだ?


「……アイ=ファはいつも、何も言わずに、わたしたちの家の前に毛皮を置いてくれていたのです」


 サリス・ラン=フォウの目が、俺を見る。

 その色の薄い碧眼には、少しだけ涙がにじんでいた。


「いったい誰がこのようなことをしてくれているのか、それがわからなかったので、ちょっと薄気味が悪いとも思っていましたが……背に腹は替えられません。わたしたちはその毛皮をなめし、銅貨に換えて、それでアリアとポイタンを得ました……それで何とか、この子にも乳をやることができたのです……」


「……はい」


「だけど、数日前、森から帰った男衆が見てしまったのです。アイ=ファが剥いだばかりの毛皮を、フォウの家の前に置く姿を。……それでようやく、わたしたちは誰に救われていたかを知ることができました。家長はそれでも、ファの家と縁を結ぶことはならぬと申していましたが……女衆の全員で、懇願したのです。せめて、毛皮のお礼だけはしたいと……」


 そう言って、サリス・ラン=フォウは目を伏せた。


「といっても、自分たちでは満足に銅貨を得ることもできないフォウの家ですから、大したお礼など用意するすべはありません。でも、ピコの葉であったら、いくらあっても邪魔にはならないだろうと……女衆で、摘んでまいりました」


「そうでしたか……」


「このようなものでは、アイ=ファの恩義に報いることなどできないのはわかっていますが、でも、一言お礼が言いたかったのです。スン家を怖れてつきあいを絶ったフォウの家に、ここまでのことをしていただいて……わたしたちは、恥ずかしいです……」


「いえ。どうせ俺たちの家では毛皮をなめす人手がありませんでしたので、お気になさらないでください。家長にしてみれば、たぶん、正体が知れてしまったことが不本意なぐらいでありましょうし」


「ですが……」


「はい。あなたがたのお気持ちはありがたくいただきます。あとは、機会があれば、アイ=ファ本人と話してあげてください。事情を知らなかった俺では、これ以上アイ=ファの気持ちを代弁することもできませんし」


「……はい。ありがとうございます」


 そうしてサリス・ラン=フォウは帰っていった。

 ぺしゃんこに潰れた袋を俺の手に残して。


 袋の中身を覗いてみると、ちょうど俺とアイ=ファが1日で採取できるぐらいの量が、底のほうにひっそりと重なっていた。


 それでも、自分たちの家の分まで確保した上で、これだけの量を集めるのは、それなりの苦労であったはずである。


(……肉を配るんじゃなく毛皮を配るんだったら、まあ民の堕落を増長させることにはならないよな)


 というか、そんなことで文句をつけてくる人間がいたら、俺が全力で擁護してやる。


 ひと月前――それはちょうど、俺がアイ=ファに拾われた頃合いだ。

 俺が初めてさばいたギバの毛皮も、きっとフォウの家に届けられたのだろう。さばいた後の毛皮や内臓を始末するのは、一番最初から現在に至るまで、ずっとアイ=ファの仕事であった。


(豊かな暮らし、か……)


 凡俗なる俺には、ガズラン=ルティムの志など理解しきれていないと思う。


 そして、カミュア=ヨシュには志など存在するかどうかすらわからない。


 ただ――飢えて、子どもに乳をやることさえできない生活が正しい、とは思えない。

 その裏で、一族に分配すべき富でもって安楽な生活を営んでいる人間などがいるなら、尚更に。


(それでも、俺にできることなんて限られてるけどな)


 俺はピコの葉を食糧庫に片付けてから、明日のかまどの火を焚く薪を割るために、鉈を奮うことにした。

アスタの収支計算表

*試食分は除外。


・第一日目


①10食分の食材費(a:赤銅貨)


○パテ

・ギバ肉(1.8kg)……0a

・香味用アリア(2.5個)……0.5a


○焼きポイタン

・ポイタン(10個)……2.5a

・ギーゴ(10cm)……0.1a


○付け合せの野菜

・ティノ(1/2個)……0.25a

・アリア(1/2個)……0.1a


○タラパソース

・タラパ(2個)……2a

・香味用アリア(4個)……0.8a

・果実酒(1/4本)……0.25a


合計……6.5a



②その他の諸経費


○人件費……6a


○場所代・屋台の貸出料(日割り)……2a



諸経費=①+②=14.5a


10食分の売り上げ=20a


純利益=20-14.5=5.5a

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