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異世界料理道  作者: EDA
第五十五章 群像演舞~六ノ巻~
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第七話 最果ての神殿(上)

2020.10/16 更新分 1/1

 空の底が抜けたかのような豪雨の中を、7台の荷車が駆けていた。

 場所はセルヴァの北西部、地図にも載らない辺境の森林地帯である。そこには辛うじて荷車を走らせられるだけの小道が切り開かれていたが、そこにも泥水があふれかえって、ほとんど川の中を疾駆しているような有り様であった。


「ひでえな、こりゃ。セルヴァ南部の雨季にだって、これほどの大雨が降ることはねえだろうになあ」


 荷台の中で愛用の楽器を抱え込んだニーヤは、他人事のようにひとりごちた。そこには彼以外の姿はなく、天幕を張るための柱などがぎっしりと詰め込まれている。窓も閉め切った暗がりであったが、雨が屋根を打つけたたましい音色によって荒天の度合いは感じ取れていた。


「だいたいこんな人里もろくにない辺境区域なんかを好きこのんで巡ってるから、こんな目にあうんだよ。まったく目端のきかない連中ばっかりで、巻き添えになるこっちはたまったもんじゃねえな」


 ニーヤがそんな風にぼやいたとき、荷車がひときわ激しく揺れた。

 石でも踏んだか、ぬかるみに車輪を取られかけたのだろう。大事な楽器を床に落としそうになったニーヤはへっぴり腰で立ち上がって、御者台に面した小窓を細く開いた。


「おい! もっと気をつけて手綱をさばきやがれ! 俺の楽器にもしものことがあったら、どうしてくれるつもりなんだ?」


 この荷車で手綱を握っているのは、もっとも新参である『騎士王』のロロである。小石のような雨粒に全身を叩かれながら、ロロは「はいー?」と素っ頓狂な声をあげた。


「な、なんですかー? 申し訳ありませんけど、ちっとも聞き取れませーん!」


「だから、もっと静かに荷車を走らせろって言ってるんだよ! 稼ぎ頭の俺に何かあったら、お前が団長たちにどやされるんだぞ!」


「や、やっぱり聞こえませーん! 運転に集中したいんで、ちょっと黙っててもらえますかー!?」


「なんだと、この――」とニーヤが憤慨しかけたとき、荷車が大きく傾いた。トトスが道を踏み外して、荷車ごと横合いの崖に転落してしまったのだ。


 荷車は横倒しとなって、人間3名分ほどの高さを滑り落ちることになった。

 やがて地面の草むらに荷車が叩きつけられると、派手な音をたてて片方の車輪が弾け飛ぶ。

 しばらくすると、御者台からロロがぴょこりと身を起こした。

 一瞬おくれて、2頭のトトスもにゅっと首をのばす。奇跡的に、ロロとトトスらは無傷であった。


「び、び、びっくりしたー! まさか、片側が崖になってたなんて……」


 と、安堵の息をつきかけてから、ロロは飛び上がる。


「そ、そうだ! ニーヤ! ニーヤは無事ですかー!?」


 大雨の降りそぼる暗がりの中、ロロは駆け足で荷台の後部へと回り込んだ。

 荷台は横向きになってしまっているので、扉を上下に引き開けると、積み荷であった天幕の柱に視界をふさがれる。ロロは「あわわわ」と慌てふためきながら、その内部へと潜り込んだ。


「ニ、ニーヤ、大丈夫ですかー!? 返事をしてくださーい!」


 暗がりの向こう側から、「むぎゅう……」という力ないうめき声が聞こえてくる。

 ロロは細い身体をくねらせながら、木材の織り成す網目をかいくぐってそちらに近づいていった。


「あ、ニーヤ! よかった、無事だったんですねー!」


「……ちっとも無事じゃねえよ、馬鹿野郎……」


 ニーヤは上下さかさまの格好で、前面の壁にもたれかかっていた。その腕には、しっかりと楽器をかき抱いている。


「い、一時はどうなることかと思いましたー! ほら、しっかりしてください! どこか痛いところはないですか?」


「まだ頭の中に星が回ってるよ、こん畜生め……いったい何が起きたってんだ?」


「ど、どうやら道を踏み外して、崖から落ちてしまったみたいです。もう夜みたいに真っ暗だし、雨粒が壁みたいになってましたから、トトスも視界がきかなかったのでしょうねー」


「なんだよ、そりゃ……冗談がきついぜ、まったくよ……」


 ロロに手を借りて、ニーヤはようよう身を起こした。


「もういいから、とっととトトスを走らせろよ。他の連中に置いてかれちまうぞ?」


「だ、だからここは崖の下なんですってば! それに、荷車は横倒しで車輪も壊れてしまったから、もう走れません!」


「なに? だったらさっさと、助けを呼べよ! 連中は、崖の上にいるんだろ?」


「いやあ、ボクたちは最後尾だったから、誰も気づいていないんじゃないでしょうか? あれだけ雨がひどかったら、なんの音も聞こえなかったと思いますよ?」


 そんな風に言ってから、ロロはきょとんと目を丸くした。


「あれ……そうしたらボクたちは、いったいどうしたらいいんでしょう?」


「それはこっちの台詞だよ……ま、連中が気づいて道を引き返してくるのを待つしかねえだろ」


「うーん、ここで待つのは難しいかもしれません。雨水が濁流みたいに流れてて、この荷車もじわじわ流されつつあるのですよね」


 そんな風に言ってから、ロロは弱々しく微笑んだ。


「だから、早く外に出たほうがいいと思います。歩けますか、ニーヤ?」


 しばらくして、ロロとニーヤは荷台の外へと這い出した。

 ニーヤは途中で雨よけの外套を着込み、ロロは灯籠に火を灯す。この灯籠は硝子の囲いで炎を覆う作りであったので、雨の中でも持ち出すことができた。


「き、気をつけてくださいね、ニーヤ。油断すると、足を取られてしまいますよ」


 ロロの言っていた通り、足もとには雨水が渦を巻いていた。

 しかもこの場所はゆるやかな斜面になっているようで、草むらにうずもれた荷車はじわじわと流されつつある。外套の内側で楽器を抱え込んだニーヤは、肺の中身を振り絞るようにして溜め息をついた。


「ひでえな、こりゃ。自力で崖をのぼるしかねえってことか?」


「そ、それも難しそうですよ。ほら、崖の斜面はこんなに急ですし、ぬかるみになってしまっていますから……」


「それじゃあ、どうしろってんだよ! こんな場所で、来るかどうかもわからない助けを待とうってのか!?」


「ボ、ボクにだってわかりませんよぅ。……あ、ちょっと待っててくださいね。とりあえず、トトスを荷車から外してきます」


 篠突く雨に打たれながら、トトスたちは不安そうに首を巡らせている。その身を荷車から解放し、2頭分の手綱を握りしめたロロは、トトスにも負けない不安げな眼差しをニーヤに向けた。


「あ、あの、それともうひとつ、いちおうご報告しておきたい話があるのですけれど……」


「なんだよ? もう辛気臭い話は、腹いっぱいだぞ」


「そ、そうですか。それなら、やめておきます」


 ロロはしょぼんと肩を落としつつ、それでもちらちらとニーヤの姿を盗み見る。

 ニーヤは再び溜め息をつくことになった。


「あのなあ、そんな思わせぶりなことを聞かされたら、気になってしょうがねえだろうがよ?」


「で、でしたら話します! たしかこのあたりって、人喰いの恐ろしい獣が出るはずなのですよね! だから、森を抜けるまで休めないよォってピノが言っていたんです!」


「馬鹿野郎! そんな大事な話は、さっさと話しやがれ!」


 ニーヤはたちまち顔色を失って、周囲の暗がりを見回した。

 これだけの大雨であるので判然としないが、そろそろ夜の近い刻限であるはずなのだ。危険な獣の棲息する森で、火を焚くこともできないままに夜明かしするなどというのは、自ら魂を返すにも等しい行いであるはずだった。


「と、とりあえず、この崖にそって進みましょうか? うまくいけば、上の道と合流するかもしれません」


 というわけで、2名と2頭は豪雨の森の中を徒歩で進むことになった。

 ぐしゃぐしゃとぬかるむ道なき道に難渋しながら、ニーヤは「くそー!」とわめきたてる。


「どうして俺がこんな目にあわなきゃいけねえんだよ! 全部、お前の責任だからな!」


「も、申し訳ありません。でも、ニーヤが声をかけてくるから気が散っちゃったんですよ?」


「なんだよ! 俺のせいだってのか!?」


「そ、そうは言いませんけれど……ボクだって昼からずっと手綱を握りっぱなしで、クタクタだったんです。雨に濡れたくないからって運転を交代してくれなかったのは、ニーヤですよね?」


 ニーヤはがっくりと肩を落とし、ロロはにへらっととぼけた笑みを浮かべる。


「で、でもきっと、ピノや団長たちがすぐに助けに来てくれますよ! 森を抜けて荷車を止めたら、ボクたちのことにも気づいてくれるはずですしね!」


「……お前は荷車をぶっ壊したから、団長に丸焼きにされちまうだろうな」


「えっ! そそそそうなんですか? ……まあ、団長に殺されるならあきらめもつきますけど……ニ、ニーヤまで責任を取らされることはないですよね?」


「なんだよ。崖から落ちたのは俺の責任だってんだろ?」


「い、いえいえ! そういうことなら、ボクのせいでいいです! 《ギャムレイの一座》に必要なのは、ボクじゃなくってニーヤですからね!」


 暗がりの中で、ニーヤは何度目かの溜め息をついた。

 それと同時に、ロロが「あーっ!」と声を張り上げる。


「み、見てください! 明かりですよ! どうやら人里みたいです!」


「人里? こんな森の中で、誰が暮らしてるってんだよ?」


「で、でも、ほら! あれは間違いありませんって!」


 ロロの指し示す方向に目をやったニーヤは、驚嘆に目を見開いた。右手側にそそりたった崖とは反対側の暗がりに、ぽつぽつと明かりが灯されていたのだ。


「信じられねえな。ここは地図にも載ってない辺境区域のはずだろ?」


「は、はい。きっと自由開拓民の集落なのでしょうね。とりあえず、雨宿りをお願いしてみましょう!」


 そんな言葉を交わしている間にも、強い雨がふたりの外套を叩いている。どのように怪しげな集落でも、この状況で夜明かしするよりはよほど安全であるはずだった。


 そう考えて、ふたりが明かりのもとに近づいていくと――鬱蒼とした茂みの向こうに、小さな木造りの家がいくつも立ち並んでいた。

 これだけの雨であるから、どの家も厳重に戸締りをしている。ただ、ふさぐもののない格子窓からわずかばかりの明かりがこぼされていたのだ。ロロはびしゃびしゃと泥水を跳ね飛ばしながら、手近な家の戸板に近づいた。


「や、夜分に申し訳ありませーん! ちょ、ちょっと雨宿りをさせていただけませんかー!?」


 しばらくして、戸板が指1本分だけ細く開かれた。

 そこから覗くのは、不審の光をぎらつかせる何者かの瞳である。


「どなたかな……? このような場所に立ち寄る旅人など、なかなかいないはずだが……」


「じ、実は荷車が崖から落ちてしまったのです! 大変恐縮なのですが、雨宿りをお願いできないでしょうか?」


「……あんたおひとりかね……?」


「い、いえ。トトスが2頭と、連れが1名おりますです」


 ロロがその手の灯籠をニーヤのほうに突きつけると、戸板から覗く目が探るように細められた。


「ずいぶん見目の整ったお人だね……そのまま神殿に向かうがよろしいよ……」


「し、神殿? このような集落に、神殿があるのですか? ……あやや、何も卑下する気持ちはないのですが!」


「うちは手狭だし、トトスを預かれるような小屋もないからね……神官様にお願いするといい……」


 しゃがれた声で、男はそう言った。


「このまま真っ直ぐ行けば、神殿はすぐそこだよ……神官様はお優しいから、困った旅人を見捨てることもないだろうさ……」


「わ、わかりました。ご親切に、ありがとうございます」


 ロロが大きく頭を下げて、きびすを返そうとしても、戸板は閉められようとしなかった。

 足を踏み出しかけながら、ロロは気弱げに眉を下げる。


「あ、あの、まだ何か……?」


「いや……神殿に向かうがよろしいよ……」


「は、はあ……それでは、失礼いたします」


 そうしてロロたちが歩を進めても、闇に浮かんだ細い光はいっこうに消えなかった。目だけで、ロロたちを見送っているようだ。


「な、なんでしょうね? 親切ですけど、どこか不気味なような……」


「なんでもいいから、とっとと行こうぜ。楽器に水気は厳禁なんだよ」


 そうして歩き始めたとたん、ふたりはぎくりと身をすくめることになった。

 左右に立ち並ぶ家の戸板が、のきなみ細く開けられていたのだ。

 このように暗くなければ、戸板が開かれたことに気づくこともなかっただろう。いずれの家でも指1本分の隙間が開けられて、そこから屋内の明かりをこぼしていたのである。


 しかし、ロロたちに声をかけてこようとする者はいなかった。

 ただ、細く開けられた隙間から、無言のままにじっとロロたちの様子をうかがっているのだ。

 ロロはきょろきょろと視線をさまよわせつつ、「はふう」と息をこぼした。


「な、何なんでしょう? そんなに旅人が珍しいのでしょうか……?」


「そりゃあまあ、こんな辺境の果てに余所者がまぎれこむことなんざ、そうそうないだろうからな」


 威勢のいい言葉を返しつつ、ニーヤはロロ以上に不安そうな顔つきになってしまっている。自然、ふたりはほとんど小走りでその場を通り抜けることになった。


 そこは森の中に切り開かれた小さな集落で、木造りの家がおたがいを支え合うように立ち並んでいる。いずれの家屋も古びており、この豪雨の勢いで今にも崩落してしまいそうだった。

 それらの家屋の間を通りすぎて、集落の奥部へと進んでいくと――やがて目の前に、黒くて巨大な影が立ちふさがる。それは平屋だが、非常に大きな石造りの建物であった。


「おお、古びちゃいるが、立派な建物だ。これならトトスの頭がつかえることもねえだろ」


「い、いや……これってちょっと、おかしくないですか? こんな森の奥深くに、どうやって石材を持ち込んできたんでしょう?」


「うるせえな。裏手に石切り場でもあるんだろ。文句があるなら、お前だけ雨に打たれてろ」


 ニーヤはロロを追い越して、楽器が濡れないように気をつけながら、両開きの扉を乱打した。


「おおい、いれてくれ! ここで雨宿りをするように、集落の連中に言いつけられたんだよ!」


 さきほどよりも長い沈黙の後、軋むような音色とともに扉が開かれた。

 そこから現れたのは――屋内であるのに外套の頭巾をすっぽりとかぶった、背の低い老婆である。


「おやおや、またお客人でございますか……このように辺鄙な場所に、ようこそいらっしゃいました……」


「また? もしかしたら、ピノたちが先回りしやがったのか?」


「ピノ……? ともあれ、お入りくだされ……すぐに温かいものを準備いたしましょう……」


 そんな風に言ってから、老婆は外套の陰できらりと目を光らせた。


「その前に……腰のものをお預かりいたします……こちらは神聖なる場所ですので……」


「あ、こ、これは木剣なのですけれども……それでも、お預けするべきでしょうか?」


「それがこちらの規則でありますため……どうぞよろしくお願いいたします……」


 ロロは「はあ……」と眉を下げつつ、灯籠をニーヤに手渡した。

 それから、腰に下げていた木剣を鞘ごと老婆に受け渡す。老婆は枯れ木のように皺の寄った腕でそれを受け取ると、恭しげにかき抱いた。


「どうぞ、こちらに……トトスもそのままでかまいませんので……」


 ロロの手によって扉が大きく開かれると、淡い光がぼんやりとこぼれてきた。あちこちに燭台が灯されているようだが、あまりに広大な空間であったため、まったく明かりが足りていないのだ。


 空気は澱み、饐えたような臭いがたちこめている。

 それでも滝のような雨の中に立っているよりは、数段安楽である。そこに1歩足を踏み入れるなり、ロロとニーヤは安堵の息をつくことになった。


「外套は、そちらの壁に……ただいま身体をおふきするものをお持ちしますので、扉を閉めてお待ちください……」


 老婆は、まだらに光の灯された暗がりの向こうに消えていく。

 そうしてロロたちが外套を脱いで水を払っていると、老婆は何名かの人間を引き連れて舞い戻ってきた。その姿に、ニーヤがひゅうっと口笛を鳴らす。


「これはこれは! こんな地の果てでこんな美しい娘さんたちに巡りあえるとは僥倖だ!」


 織布を手にしたその者たちは、いずれも年若い娘たちであったのだ。

 灰色の長衣に儀礼用の肩掛けを羽織っており、長い髪を首の横でくくっている。ニーヤが喜ぶぐらいには、誰もが端正な顔立ちをしていた。

 しかしやはり神職にある人間らしく、礼儀正しい無表情を保っている。ロロたちが自分の手足をぬぐっている間に、娘たちはトトスの面倒を見てくれた。


「それでは、こちらにお進みください……熱い茶でもお出しいたしましょう……」


「な、何から何までありがとうございます。いずれ、お礼をいたしますので……」


「いえいえ……困ったお人らに手を差しのべるのは、当然のことでございます……」


 2名の娘がトトスをどこかに連れていき、老婆のもとには3名の娘が残された。

 それらの先導で、暗がりの中を進んでいく。どうやらここは礼拝堂か何かであるらしく、何もない空間が広々と広がっていた。

 その突き当たりに、いくつかの扉が並んでいる。老婆が選んだのは、右端の扉であった。


「失礼いたします……新しい客人がたがいらっしゃったので、ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか……?」


「ええ、もちろん。こちらは無理に押しかけた立場なのですから、文句などあろうはずもありません」


 そこには小さな卓と椅子が並べられており、先客とやらがひとりでくつろいでいるさなかであった。

 その姿に、「ああッ!」とロロが驚きの声をほとばしらせる。


「あ、あなた! カミュア=ヨシュじゃないですか! どうしてあなたが、こんな場所に?」


「おお、そういうそちらは、《ギャムレイの一座》の面々か。このような場所で出くわすとは、ずいぶんな偶然だねえ」


 金褐色の髪と紫色の瞳を持つ痩せぎすの男が、とぼけた笑顔でふたりを迎える。それは数ヶ月ほど前にとある盗賊団を巡って邂逅を果たすことになった、《守護人》のカミュア=ヨシュであった。


「君はたしか、『剣王』のロロで……そちらは、吟遊詩人のニーヤだったかな? いやあ、息災なようで何よりだ」


「や、やだなあ。その呼び名は勘弁してくださいよぅ」


 ロロは照れ臭そうに笑っていたが、ニーヤは苦虫を噛み潰したような面持ちであった。彼は剣士というものをあまり好いていなかったし、そもそも同性には興味を持たない気質であったのだ。


「誰かと思えば、あのときの《守護人》かよ。なんであんたが、こんな場所で茶なんざすすってやがるんだ?」


「今回は、れっきとした仕事だよ。それでもまあ、《守護人》としては異例の仕事なのだけれども……ちょいと人探しをね」


「人探し?」


「うん。この近在で行方知れずになった商団があってね。そのご家族から、行方を突き止めてほしいという依頼をいただいたのさ」


 そんな風に言ってから、カミュア=ヨシュは椅子のほうを指し示した。


「とりあえず、座ったらどうかな? まあ、俺が指図する立場ではないのだけれどね」


 ロロとニーヤは思い出したように、それぞれ椅子に腰を落ち着けた。

 それらの様子を無言で見守っていた老婆が、笑いを含んだ声で呼びかける。


「あなたがたは、もともとお連れ様であられたのでしょうか……? さきほども、先回りがどうとか仰っていたようですが……」


「あ、いえ。知人ではあるのですが、連れというわけではありません。ボクたちの連れは、崖の上ではぐれてしまったので……」


「では、そちらの方々もいずれおいでになるやもしれませんね……どうぞそれまで、おくつろぎください……」


 老婆は一礼して、部屋を出ていった。

 娘たちは湯気のたつ杯を卓の上に並べてから、その後を追っていく。そうして薄明るい部屋には、3名の闖入者だけが取り残されることになった。


「ふむ。君たちは、大事なお仲間とはぐれてしまったのかな?」


 カミュア=ヨシュがゆったりと問い質すと、ロロのほうが「は、はい!」と応じる。


「ボクたちの乗っていた荷車が、崖から滑落してしまって……ピノたちは、気づかずに行ってしまったみたいなんです。気づけばすぐに、戻ってきてくれると思うのですけれど……」


「うんうん。君たちは、家族以上の絆で結ばれているものねえ」


 カミュア=ヨシュの言葉に、ロロは嬉しそうに笑い、ニーヤは「へん」と鼻を鳴らした。


「戻ってきても、この大雨じゃお手上げだろうよ。もしかしたら、このまま見捨てられちまうかもな」


「そ、そんなことはありませんよ! ボクはともかく、ニーヤは数年来の座員なのでしょう? 団長たちが、仲間を見捨てるわけがありません!」


「そうか。ロロは一番の新参だという話だったね」


 と、カミュア=ヨシュが笑顔で割り込んだ。


「大丈夫だよ。ギャムレイやピノたちは、君のことだって見捨てたりはしないさ。そんな簡単に見捨てられるような相手を、彼らが座員に迎えたりはしないだろうからねえ」


「え、えへへ。そうだと嬉しいんですけど……」


 つられたように、ロロもとぼけた笑みをこぼす。この奇妙な《守護人》とはひと晩を語り明かしただけの仲であるのだが、おおよその座員は心を開くことになったのだ。


「それにしても、前回はセルヴァの東の果てで、今回は西の果てか。このような辺境の地で2度までも巡りあうというのは、どういった運命の悪戯なのだろうねえ」


「ふん。それはどっちも物好きなだけだろ。旅芸人だろうが《守護人》だろうが、普通はこんな辺境の果てに足を踏み入れようとするもんかい」


「うんうん、言い得て妙だねえ。こんな辺境の果てに、芸を見せる相手が存在するものなのかな?」


「ど、どうでしょう? ピノなんかは、知らない土地に足を踏み入れるだけで楽しいみたいですから……客なんて、行った先で見つけりゃいいんだよォ、なんて言っていました」


「そうかそうか。まあ、辺境には辺境でしか味わえないような体験が待ちかまえているものだからねえ」


 にんまりと笑いながら、カミュア=ヨシュは懐をまさぐった。

 そこから取り出されたのは、1枚の赤い銅貨である。まん丸の形をした、シムの銅貨であるようだ。


「ところで、この銅貨なのだけれど――」


 と、その銅貨がカミュア=ヨシュの手から落ちて、床に転がされた。

 ニーヤは椅子にふんぞり返ったままであったので、ロロが慌てて銅貨を追いかける。カミュア=ヨシュも猫のようなしなやかさで椅子から離れ、銅貨とロロの後を追った。


 銅貨は壁にぶつかって、ようやく動きを止める。

 腰を屈めたロロとカミュア=ヨシュは、壁際で密着することになり――その一瞬で、カミュア=ヨシュがロロに囁きかけた。


「この部屋は盗み聞きされているので、声をたてないでね。……君はあのニーヤから、決して離れてはいけないよ、ロロ」


「え?」と、ロロは目をぱちくりとさせる。

 それを横目に、カミュア=ヨシュは銅貨を拾いあげた。


「どうだい、このシムの銅貨? 偽物とは思えない出来栄えだろう?」


「えっ! こ、この銅貨が偽物なのですか?」


「うん。銅ではなくて、鉄でできているんだよ。何かの奇術で使うらしいけど、いったいどういう奇術なのかねえ」


 カミュア=ヨシュはさっさと銅貨をしまい込み、ロロに片方の目をつぶってみせた。

 ロロはその前に伝えられた言葉の真意をはかりかねて、今度は目を白黒とさせている。

 そのとき――礼拝堂に通ずる扉が開かれた。


「失礼いたします……そちらのお客人にお願いしたき儀があるのですが……」


 現れたのは、さきほどの老婆である。

 その目は、ひたとニーヤに据えられていた。


「あなた様は、吟遊詩人であられるのですね……? よろしければ、神官長にそのお声をお聞かせ願えないでしょうか……?」


「ふうん? 俗世を捨てた神官長様が、歌をご所望だってのかい?」


「はい……神官長はただいま、病魔に臥せっておりまして……そのお心を少しでもお慰めできればと……」


「ご老体が、病魔かい。俺は繊細に出来てるんで、病魔を伝染されたらかなわねえなあ」


「ご老体……?」と、老婆はけげんそうに小首を傾げた。

 ニーヤはいかにも面倒くさげに、そちらを見返す。


「神官長なんて、ご老体ってのが定番だろ。それに仕えるあんたからして、それだけのご老体なんだからさ」


「ああ、なるほど……ですが現在の神官長は、先代様からその座を受け継いだばかりの身でありますため……20の齢を重ねたばかりの女人にてございます……」


「女人? 女人が神官長を務めてるってのか?」


「はい……この土地においては、代々女人が神職を務めるものと定められておりますゆえ……」


「なるほどなるほど。そいつを早く言ってくれよ」


 ニーヤは、たちまち相好を崩した。


「うら若き乙女が神官長なんて、なかなか吟遊詩人好みの話じゃねえか。それじゃあ病魔の苦しみを吹き飛ばすような歌を聞かせてさしあげよう」


「ありがとうございます……」と老婆は頭を垂れて、その表情を頭巾に隠した。

 そこでロロが、「あ、あのっ!」と飛び上がる。


「ボ、ボクもその神官長という御方にご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか? 決してニーヤのお邪魔はいたしませんので!」


「なんだ、野暮なことを言うんじゃねえよ。お前はここで、茶でも飲んでろ」


「い、いえ! ニーヤから目を離したら、あとでピノに叱られてしまいますので!」


 老婆がゆっくり面を上げると、そこには真面目くさった表情だけが浮かべられていた。


「こちらは、問題ございません……よろしければ、おふたりで寝所のほうにどうぞ……」


「あ、ありがとうございます!」と頭を下げながら、ロロは横目でカミュア=ヨシュのほうを盗み見る。

 茶の杯を顔の横まで掲げながら、カミュア=ヨシュは「それでいい」とばかりに微笑んでいた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ホラーチックでいいですねえ。 こういう始まり好きです。
[一言] 人喰いか盗賊の村落ってところか。 場違いな石造りの神殿、病に伏せる女神官長、贋金、意味ありげな老婆、排他感マシマシの村民…。探偵役に観客と、いい感じに舞台装置がてんこ盛りじゃないの。wktk…
[一言] ググってみた ひ‐げ【卑下】 の解説 [名・形動](スル) 1 自分を劣ったものとしていやしめること。へりくだること。「そんなに卑下する必要はない」 2 いやしめて見下すこと。また、そのさ…
感想一覧
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