星の円舞(下)
2020.10/14 更新分 1/1 ・10/19 誤字を修正
そして、その日の夜である。
洞穴に集まったナムカルとラズマの一族は、昨晩と同じようにその日の晩餐を食していた。
ただし、半分ほどはその顔ぶれが変わっている。おたがいの血族とまんべんなく絆を深められるように、日ごとで家人を入れ替えるようにしているのだ。
ナムカルの一族において昨晩と同じ顔ぶれであるのは、族長と血の近い15名の家族たちである。また、ラズマのほうも族長の家族が居残っていたので、またもやルジャと同じ場で晩餐を食することになった。
「今日のハムラの家の収獲は、ギバを1頭とムントを2頭であったそうだな。立派な成果であろうとは思うが、やはりティアがいないと多少は影響が出てしまうのであろうか?」
ルジャがそのように言いたてると、ライタがまた過敏に反応した。
「ティアは確かに優れた狩人だが、ティアがいても1頭のギバしか狩れないことはある。そちらとて、今日の収獲はギバ1頭であるのだろう?」
「うむ。こちらは血抜きに成功しているがな」
「…………」
「むろん、ギバの肉にはゆとりがあるのだから、とりたてて問題はない。ルジャはただ、ティアの優れた力を褒めたたえたく思っただけだ」
ティアは面倒であったので、何も答えないことにした。
するとルジャが、うろんげに視線を飛ばしてくる。
「どうしたのだ、ティアよ? べつだん、病魔で狩りの仕事を休んだわけではないのだろう? それとも、刻印に悪い風でも入ってしまったのか?」
「そのようなことはない。口をきくのが面倒であっただけだ」
ティアの返答に、ルジャはますますいぶかしそうにする。
すると、その母たるホルアが口を開いた。
「しかし、封じの刻印がかすれるというのは、ホルアにしても初めて耳にした。他の一族にも、話を伝えるべきであろうか?」
「どうであろうな。封じの刻印についてはいずれの長でもわきまえているのだから、ことさら狩人を走らせることはないように思うが……」
ハムラがそのように答えると、ホルアは「ふむ」と顎を撫でさする。
「もちろんいずれの一族であっても、先人から伝えられた教えをないがしろにすることはあるまい。しかし、実際に封じの刻印がかすれることなど、これまでにはなかったのであろうから……いずれの一族でも、そうまで念入りに確認はしていないように思う。ラズマの家とて、それは同じことだ」
「ナムカルの家でも、そうだった。家族の長さえわきまえていれば、大事はなかろうと考えていたからだ」
そんな風に答えてから、ハムラも思い悩む風に眉をひそめた。
「今後は誰もが、自分や家族の刻印に注意を払うべきであろうか? それならば、他の一族に話を伝えるべきであるのかもしれん」
「うむ。少なくとも、シャウタルタの族長ラアルには伝えておきたいように思う」
「では、明日の朝にラズマとナムカルの狩人を1名ずつ走らせることとしよう。……《白》よ、そちらの家人も1名、貸してもらえるだろうか?」
ムントの内臓を貪っていた《白》は、明哲なる表情でうなずいた。
その姿を見て、ホルアはふっと微笑する。
「ヴァルブであれば2名の赤き民を乗せて駆けることもできるし、そして現在は我々やマダラマに襲われる心配もない。以前よりも、話を伝えるのが容易になったようだな」
「うむ。さすがにマダラマでは、そこまで早く地を駆けることはできなかろうからな」
そう言って、ハムラは《ベルゼ》に笑いかけた。
「べつだん、お前の力を侮っているわけではないので、気を悪くしてくれるなよ、《ベルゼ》よ。お前には、お前にしか果たせぬ仕事があるのだろうからな」
「うむ。ギバ狩りにおいてもムント狩りにおいても、マダラマは大きな仕事を果たしている。マダラマの力を借りれば、血抜きの仕事も容易いしな」
《ベルゼ》ぐらい巨大なマダラマであれば、ギバの動きを縛ることさえ可能であるらしいのだ。そうして動きを封じてしまえば、生きたまま血抜きを施せるわけである。
反面、マダラマは自力でギバを喰らうことが難しいらしい。ギバの身体はあまりに巨大であるし、角や牙のせいで丸呑みにすることも難しいようであるのだ。マダラマには、牙と角と毛皮を収獲してから半身にしたギバの肉を与えることになっていた。
(このひと月ほどで、ギバとムントを狩る方法もおおよそ確立させることができた。もはや我々が森で飢えることはないのだろう)
そんな風に考えると、ティアの胸にはまた大きな喜びの気持ちが広がった。
モルガの森で、ギバを狩って喰らう。それは、森辺の民と同じ暮らしであるのだ。
モルガの山をはさんだ西と東で、ティアたちは森辺の民と同じ仕事に励み、日々を生きている。家の距離はむしろ遠ざかってしまっていたが、ティアは満ち足りた気持ちであった。
「しかし……封じの刻印がかすれたということは、大神の目覚めが近いということなのであろうか?」
ホルアの言葉に、ラズマとナムカルの家人たちがざわめいた。
それをなだめるように、ハムラは「いや」と首を横に振る。
「我々が、目覚めの時期を見通すことはできない。迂闊にそのような言葉を口にするべきではないように思う」
「うむ。族長としては、恥ずべき振る舞いであったな。場を騒がせてしまったことを、申し訳なく思う」
そんな風に答えつつ、ホルアの瞳には希望の光が瞬いているようだった。
「ただ……この身で大神の目覚めを迎えることがかなったならば、ホルアは何より幸福に思う。それは誰しもが抱く思いであろう」
「うむ。それは当然のことであろう。我々は、そのために生きているのだからな」
厳粛な声音で答えつつ、ハムラもホルアと同じ眼差しになっていた。
他の家人たちも、それは同様である。大神が目覚めたら、世界はどのような変容を遂げるのか――それは想像もつかなかったが、聖域の民はその瞬間のために数百年の日々を生きてきたのであった。
もちろんティアも、その瞬間を待ち焦がれている。大神さえ目覚めれば、外界の人間を同胞と呼ぶことも許されるのかもしれないのだから、ティアにしてみればこれまで以上に期待が膨らんでいた。
しかし――今はそんな期待の中に、ひとつの不安が生まれてしまっている。
そんな不安を振り払いながら、ティアはギバ肉の晩餐を腹の中に収めることになった。
「では、そろそろ家に戻るとしよう」
しばらくして、ホルアがそのように宣言した。
するとルジャが、「族長ホルアよ」と声をあげる。
「少しの時間、ルジャはこの場に留まってもいいだろうか? ティアと語らっていきたいのだ」
ホルアばかりでなく、ハムラやライタたちもルジャをねめつけることになった。
「ティアに、何の用事があるのだ? ……ティアはまだ、婚儀の許されない身であるぞ?」
「わきまえている。ティアは狩人の仕事を休んだせいか、いささか元気がないように思えるので、ルジャも心配になってしまったのだ」
「……この夜は雲が厚いので、月の光も弱いように思う。ひとりで家に戻るのは危険であろう」
「であれば、《ベルゼ》にも居残ってもらいたい。きっとこやつも、ティアを心配しているであろうからな」
ホルアは溜め息をこらえているような面持ちで、ハムラを振り返った。
「ルジャは、このように言っている。ナムカルの族長たるハムラの判断を仰ぎたい」
「うむ。……ルジャは余人の耳のないところで、ティアと語らいたいと願っているのであろうか?」
「そうだな。人数が少ないほど親密に語ることができるので、ルジャはそれを望んでいる」
「……ならば、《白》にも同席してもらおう」
すぐかたわらにいた《白》の純白の毛並みを撫でながら、ハムラはそう言った。
「そして、お前の行いが正しいものであったかどうか、ティアと《白》に判断をしてもらう。それで正しからぬと判じられた場合、今後はこのような申し出を拒ませてもらおう」
「承知した。それでかまわない」
ということで、ティアの心情は確かめられないまま、話が決されてしまった。
ライタやカシャやメグリたちは、たいそう心配そうにティアのことを見やっている。ティアにしてみても、心の浮き立つような話ではなかった。
ホルアはラズマの一族と他のマダラマたちを率いて、洞穴を後にする。
ナムカルの一族は寝支度を始めて、その頃には他の洞穴に出向いていた家人たちも戻ってきた。
それらの者たちが洞穴の奥に進んでいくのを見届けてから、ルジャは「さて」と入り口のあたりに腰を下ろす。
「では、ぞんぶんに語らせてもらおう。お前とこのようにふたりきりで語らうのはひさかたぶりだな、ティアよ?」
ルジャは、陽気に笑っている。それを見返しながら、ティアは《白》の背中を撫でた。
「《白》と《ベルゼ》がいるのだから、ふたりきりではない。……いったいティアに、なんの話があるというのだ?」
「それは、お前の決めることだ。ティアは何か、思い悩んでいるのであろう?」
かたわらに寄り添った《ベルゼ》の黒い鱗を撫でながら、ルジャはそう言った。
「お前は何か、皆の前では語りにくいような悩みを抱えている。この場にはルジャたちしかいないのだから、遠慮なく語らうがいい」
「……それをお前に語らったところで、ティアには何の得もないように思える」
「そのようなことはない。語れば、ルジャもその思いをともに負うことができる。お前の心も、少しは軽くなるはずだ」
そんな風に言ってから、ルジャはにっと白い歯をこぼした。
「では、お前が語りやすいように、ルジャから語ることにしよう。……お前は封じの刻印がかすれたために、おかしな夢を見てしまったそうだな。その夢の内容が、お前を悩ませているのではないのか?」
「…………」
「それは、世界の行く末であったのだろう? いったいお前は、どのような行く末を垣間見てしまったのだ?」
「……族長ハムラは、黙するべきだと言っていた。これはまだ、我々の手にするべき力ではないのだ」
「だけどお前は、わずかなりとも手にしてしまった。お前がそれをひとりで背負おうというのは、間違った行いであるように思う。我々は、すべてを分かち合う同胞であるのだからな」
ルジャの笑顔から目をそらして、ティアは洞穴の外を見やった。
ホルアが言っていた通り、今日の夜はひときわ暗い。雨はやんでいたが、湿った夜気がひゅるひゅると暗闇に流れていた。
「……そもそも封じの刻印は、わずかにかすれていただけであるのだろう? ならば、夢見の術式やらいうものも、きっと不完全なものであったはずだ。お前がことさら気にする理由はないように思えるぞ」
「しかし、あれは……決して普通の夢ではなかった。それぐらいのことは、ティアにもわかる」
「どのように普通でなかったのだ? ティアの見たものを、ルジャも分かち合いたく思う」
ティアは、《白》のほうに視線を移した。
岩の上に座した《白》は、優しい眼差しでティアを見つめている。その眼差しが、ティアに決断させてくれた。
「……その夢の中で、ティアはさまざまな輝きに包まれていた。あれは、聖域の同胞や……それに、森辺の民たちであったのだろうと思う」
「ふむ。森辺の民を夢で見たのか。まあ、お前はあやつらに強い思い入れを抱いているのだから、べつだん不思議なことではあるまい?」
「しかし夢の中では、誰もが別の姿を取っていた。それでもティアには、どの輝きが何者であるのか、当たり前のように見分けがついたのだ」
ティアは《白》の逞しい首に取りすがり、その純白の毛並みに頬をうずめながら、そのように答えてみせた。
「赤い色に輝いていた猫は、アイ=ファだ。アイ=ファであれば、金色か青色をしていそうなものだが……だけどあれは、間違いなくアイ=ファだった」
「ふむ。猫というのは、お前が森辺で見た奇妙な獣のことだったな」
「うむ。黒褐色の獅子は、ドンダ=ルウであろう。他の獅子たちも名前はわからなかったが、見知った相手であったと思う。それに、天を舞う鷹はガズラン=ルティムで、小さな猿はライエルファム=スドラで――」
「待て待て。それらも、獣の名であるのか? ティアが森辺で見た獣の名前など、犬や猫ぐらいしか聞いてはおらぬぞ」
「ああ、そうか。獅子や猿というのは、旅芸人なる者たちが連れていたはずだ。それに、鷹というのは……」
そこでティアは、愕然と息を呑むことになった。
「鷹というのは……大きな鳥のことだが……そのようなものは、ティアも見たり聞いたりした覚えがない」
「見たり聞いたりした覚えがないのに、ティアはその鳥の名を知っているのだな」
「知っている……きっと、夢の中で知ったのだ」
ティアはようやく、自分がどれだけとてつもない目に見舞われたのか、心から思い知ることになった。
「それで?」と、ルジャは低い声でうながしてくる。
「それらは獣の姿でありながら、お前の知る森辺の民たちであったというのだな? しかし先ほど、同胞という言葉も口にしていなかったか?」
「うむ……カシャやメグリも、その場にいたのだ……おそらく、ルジャもいたのだろうと思う……森辺の民たちに気を取られてしまっていたが、ティアのそばには聖域の同胞たちも数多く存在したのだ」
「同胞たちも、獣の姿であったのか?」
「たしか……そうだった。少なくとも、人間の姿をした者はいなかった。ティア自身、光り輝く獣の姿であったはずだ」
得体の知れないおののきにとらわれながら、ティアは《白》の身体をぎゅっと抱きすくめた。
「その中で、ティアは喜びの涙を流していた……ようやくみんなに再会できた……ようやくみんなを同胞と呼ぶことができるのだ、と……そんな喜びの気持ちに、押しつぶされそうになっていたのだ」
「ほう。それが世界の行く末であるなら、なんとも喜ばしい限りだな。やはり、大神の目覚めは近いのだろうか?」
「いや……ティアの胸には、懐かしさもあふれかえっていたし、それに……見覚えのないきらめきも、たくさん存在した。あれらはきっと、ティアの知る家族や森辺の民たちの子らであったのだ」
「ふむ。それでは大神が目覚めるには、まだ長きの時間がかかるということだな」
そんな風に語るルジャの声が、優しい笑いの響きを含んだ。
「しかし、ティアの生命のある内に大神が目覚めるのなら、それはまぎれもなく幸福な行く末であろう。それなのに、どうしてお前は思い悩んでいるのだ?」
希望と喜びの裏側にへばりついた不安感が、ティアの心にむくむくと広がっていく。
《白》の温もりでそれを退けながら、ティアはなんとか答えてみせた。
「その中に……アスタの存在が、なかったのだ」
ルジャは、何も答えなかった。
ティアは胸中の激情に突き動かされるままに、言葉を連ねてみせる。
「その場には、名前すら知らぬ相手もたくさんいたというのに、アスタの存在だけがなかった。まだ生まれてもいない人間すら存在したのに、アスタだけが――」
「なるほど。それでは、不安にとらわれるのも当然だ」
ルジャの声が、ティアのほうに近づいてきた。
おそるおそる目をやると、ルジャは思いがけないほど穏やかな笑みをたたえている。
「それでお前はそのように思い悩んでいたのだな、ティアよ」
「うむ……まさか、アスタは……大神が目覚めるより早く、ひとりだけ魂を返してしまうのだろうか……?」
自分自身の言葉に、ティアは大きく傷ついた。
岩盤に片方の膝をついたルジャは、「いや」と首を振る。
「何もそのように決めつけることはない。お前は不十分な状態で、大地の力に触れてしまったのだろうからな。それならば、不十分な行く末しか目にできなかったはずだ」
「だけどあの場では、慕わしく思っている相手ほど、はっきり感じ取ることができた。アイ=ファの存在をあれほど強く感じ取れたのに、アスタの存在をまったく感じ取れないなんて……そんなのは、絶対におかしいと思う」
「落ち着け」と、ルジャは困ったように眉を下げた。
「頭のひとつでも撫でてやりたいところだが、お前との婚儀を望むルジャがそのような真似をするべきではないだろう。頼むから、涙などはこぼさないでくれ」
「…………」
「わかった。お前はそれほどに、自分の見た夢の内容を重んじているのだな。それならば……他にも考えようはあるかもしれん」
そうしてルジャは、遠くの何かをにらみつけるような眼差しになった。
まるで、闇の向こうに獲物でも見つけたかのようである。
「お前にはたびたび外界の話を聞きほじって、たいそう疎まれることになった。だが、そこに答えがあるのかもしれん」
「答え……?」
「うむ。それに、族長会議で聞かされた、数々の言葉……そうだな。それがもっとも、しっくり来るようだ」
そう言って、ルジャは真正面からティアの顔を見つめてきた。
その赤い瞳には、とても聡明そうな光が宿されている。
「夢見の術式というものについては、ルジャも朝方に母ホルアから聞かされることになった。それは外界における星読みの術式と根を同じくするものである、という話だったな?」
「うむ……母ハムラも、そのように言っていたと思うが……」
「星読みの術式に関しては、族長会議や別れの際にも、客人ジェムドや客人シュミラル=リリンが語っていた。それは世界の行く末を見通す力であるという話であったから、確かに夢見の術式と根を同じくするものであるのだろう。天空に瞬く星こそが世界の行く末を表しており、人間たちは星読みや夢見の術式でそれを読み解く、ということであるのだ」
そこでルジャは、力強く微笑んだ。
「そして、客人ジェムドの主人……たしか、フェルメスとかいったか? そのフェルメスとやらが、アスタのことを《星無き民》と呼んでいた。お前はそう言っていたはずだな、ティアよ?」
「う、うむ。アイ=ファがずいぶんと怒った顔で、そのように語らっていたことがあったのだが……それが、なんだというのだ?」
「なんだもへったくれもない。アスタの星が天空になければ、それを読み解くこともできないのではないのか? 星読みや夢見の術式では、アスタの行く末を見通すこともできないというわけだ」
ティアはぼんやりと、その言葉を噛みしめることになった。
ルジャはいよいよ愉快そうに笑っている。
「ならば、夢の中にアスタだけ存在しなかったことにも納得がいくではないか。まったく人騒がせな人間だな、あのアスタというやつは」
「そう……なのだろうか……」
「実際のところは、その時に至るまでわかるまい。しかしそれこそが、本来のあるべき姿であろう? 我々は、いまだ大地の力に触れることを許されぬ身であるのだからな」
そう言って、ルジャはティアをいたわるように目を細めた。
「我々は、生きてこの目で世界の行く末を見届けるしかない。お前もそのように念じて、アスタたちと別れを果たしたのであろう? ならば、思い悩むだけ無駄というものだ」
「うむ……それは、正しい言葉だと思う」
ティアは固くまぶたを閉ざして、アスタの姿を思い浮かべた。
その顔は、やはり無邪気に笑っている。「大丈夫だよ」と、ティアを励ましてくれているかのようだった。
「アスタは、強き心と魂を持っている。ティアは、アスタの強さを信じようと思う」
「うむ。遥かな行く末について思い悩むなど、あまりにお前らしからぬ行いであるからな」
ルジャが笑い声をあげると、《ベルゼ》が音もなく顔を寄せてきた。
その咽喉もとを撫でながら、ルジャはいつもの顔で笑う。
「ティアが元気を取り戻したので、《ベルゼ》も喜んでいるぞ。……早くナムカルの一族も、マダラマと心を通い合わせてもらいたいものだな」
「ならばお前たちも、ヴァルブの一族と心を通い合わせられるように努めるべきであろう」
そう言って、ティアも笑ってみせた。
「ありがとう、ルジャ。《ベルゼ》に《白》も。……ティアは、もう大丈夫だ」
《白》は嬉しそうに目を細めながら、ティアの顔に鼻面を寄せてきた。
《ベルゼ》はティアたちを見下ろしながら、静かに瞳を瞬かせている。
明日からも、ティアは幸福な気持ちで生きていくことができるだろう。
いつかアスタたちと再会できる日を夢見ながら――それが無理なら、自分とアスタたちの子らが同胞となれる日を夢見ながら――
夢で見た世界の行く末などは、関係ない。ティアはそんな喜びと希望を胸に秘めながら、アスタたちと別れることができたのだ。
それこそが、ティアにとっては何よりの幸福であるはずだった。
(あの夢を、自分たちの力で現実のものとするのだ。そしてその場には、アスタもいる。……ティアは、そう信じよう)
ティアは岩盤から身を起こして洞穴の外に足を踏み出すと、暗い天空を仰ぎ見た。
暗雲に閉ざされて、月も星も見えていない。しかし、何も見えないからこそ、可能性は無限に広がるはずだった。
大神が目覚めれば、星読みや夢見の術式を正しく使うこともかなうのだろう。
しかし、その日が訪れるまでは、自分たちで一歩ずつ道を進んで、すべての運命を切り開かなくてはならないのだ。
頬や手足に残された刻印の痛みさえもが、今のティアには心地好かった。
何も見えない夜空を見上げながら、ティアは昨日までと同じ喜びと希望を噛みしめることができた。