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異世界料理道  作者: EDA
第五十五章 群像演舞~六ノ巻~
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    分かたれた道(三)

2020.9/26 更新分 1/1

 変転の時は、突如として訪れた。

 スン家における収穫祭を終えて、半月に及ぶ休息の期間を経て、狩人の仕事を再開し――森の恵みがあらかた復活し、ギバの数が戻ったところで、グラフ=ザザの兄が魂を返すことになってしまったのだ。


 ギバの突進をくらった長兄は、その牙で腹をえぐられてしまっていた。

 他には傷らしい傷もない。ただその一撃で、生命を摘み取られてしまったのである。


「すまない、グラフ……どうかお前が、家長としてザザの家を……」


 それだけ言い残して、長兄は呆気なく魂を返してしまった。

 亡骸は森に埋められて、刀だけが持ち帰られる。長兄の生命を奪ったギバの毛皮を剥ぎ、牙と角を収獲して、不要な胴体の肉を森に返してから、家長たる父親は厳粛なる声音で言った。


「グラフよ、嫁を娶るのだ。次代の家長として、早々に子を生すがいい」


 長兄はすでに婚儀をあげていたが、子はまだいなかった。

 伴侶を亡くした女衆はザザの氏を剥がし、ジーンの家に戻される。悲しみが癒えたなら、その女衆にもまた婚儀の話が持ちかけられるだろう。森辺の女衆にとって、子を生すというのはもっとも大事な役目であったのだった。


 そしてそれは、男衆も同様である。家長の言葉に従って、グラフ=ザザはドムの分家の女衆と婚儀をあげることになった。

 ドムの本家には年頃の女衆もいなかったので、分家から選ぶ他なかったが、この分家の家長は勇者の力を持つ狩人である。ならば、強き子を望めるはずであった。


 ドムには、ザザよりもさらに体格に恵まれた人間が多い。グラフ=ザザの伴侶となった女衆も長身で、力が強く、強い血を感じさせた。性根は毅然としており、めったに笑顔を見せることもなかったが、ふとしたときに見せる眼差しは優しげで、とても誠実な人柄であった。


 ザザの集落で婚儀の祝宴が開かれて、血族の家長と供が招かれる。族長ザッツ=スンの供に選ばれたのは、当然のようにミギィ=スンであった。

 しかし、婚儀の祝宴では力比べが行われることもないので、ミギィ=スンにも用はない。また、族長のかたわらではミギィ=スンも多少は傲岸な気性が引っ込む様子であった。


 そうしてグラフ=ザザは、伴侶とともに新たな生を歩むことになったわけであるが――ひとつだけ、残念なことが生じてしまった。次代の家長と見込まれたからには、もはや家長の供として余所の集落におもむくこともかなわなくなってしまったのだ。


 こうなっては、年に1度の収穫祭を楽しみにするしかない。しかし、母なる森は如何なる思いであったのか――このたびはグラフ=ザザが足を痛めて、力比べに加われぬ身となってしまった。


 もっとも、かつてのズーロ=スンのように木から落ちたわけではない。ともに仕事を果たしていた分家の見習い狩人を守るために、ギバの牙で腿を裂かれてしまったのだ。

 幸い、時間さえかければ元の力を取り戻せるだろうと見込まれていたが、しかしこの足では歩くこともままならないので、収穫祭そのものをあきらめる他なかった。


「俺の巻き添えで、すまないことをしてしまったな。お前とて、スン家で行われる収穫祭を楽しみにしていたであろうに」


 収穫祭の当日、ザザの本家には伴侶も居残っていた。

 草で籠を編みながら、伴侶は「いえ」と静かに答える。


「わたしもこの身体で長きの時間を歩くのはつらいところであったので、むしろありがたく思っています」


 伴侶はその腹に、最初の子を宿していたのだった。まだ産まれるまでに時間はあったが、腹ははっきりと大きくなってしまっている。


「それに……誰もいない静かな集落で、あなたとふたりきりで過ごすというのは、なんだかとても幸福な心地です」


 そのように語る伴侶の瞳には、言葉の通りの光がたたえられていた。

 そうしてグラフ=ザザも、無念の思いを幸福な気持ちでかき消すことがかなったのだった。


 後から伝えられた話によると、やはりその日もザッツ=スンとミギィ=スンは勇者の座を得ることがかなったらしい。しかもミギィ=スンは、同じく勇者であるドムの家長を打ち負かしたという話であった。


「あやつも14歳となり、ますます力をつけたようだ。それでも、ドムの家長を打ち負かすとは……いささかならず、驚かされたな」


 父親たる家長は、そのように言っていた。それもそのはずで、ドムの家長はこちらの家長と同等の力量を有していたのである。


(ついにミギィ=スンは、俺の親父に迫るほどの力を身につけたか。しかしいずれは、俺が追い抜いてみせるぞ)


 そして、さらに翌年――グラフ=ザザが18歳となった年である。

 収穫祭を目前として、その日にも大いなる変事が訪れることになった。

 ルウの血族が、スン家に刃を向けてきたのだ。


「あやつらは俺にあらぬ疑いをかけて、スン家を滅ぼさんと目論んでいる! そうして、自分たちが新たな族長筋に名乗りをあげようという企みであるのだ!」


 北の集落を訪れたミギィ=スンは、そのようにがなりたてていた。

 グラフ=ザザも怒りに血をたぎらせたものであるが、しかし家長が出番を譲るわけもない。その日もけっきょく、家を守る仕事を申しつけられることになってしまった。


 とはいえ、それも易き仕事ではない。狩人たちは総出でスン家に向かったので、ドムとジーンの女衆もザザの集落に集められて、それを守る役目を与えられたのだ。

 狩人は、次代の家長と見込まれている3名のみである。女衆と幼子を詰め込んだ本家の周りに火を焚いて、グラフ=ザザたちは緊迫した一夜を過ごすことになった。


 狩人たちが戻ったのは、翌朝のことである。ルウの血族らも刀を取ることなく引き下がっていったが、用心をしてスン家で一夜を明かすことになったのだという話であった。


「あやつらは、ミギィ=スンがルウにゆかりのある女衆をさらい、無法に殺めたなどと言いたてていた。しかし証はなかったので、刀を抜くような真似はしなかった」


「証がないのは、当然だ。ミギィ=スンがどれだけ傲岸であろうとも、森辺の同胞を殺めることはあるまい?」


 グラフ=ザザがそのように答えると、家長はどこか悩ましげな面持ちで腕を組んだ。


「だが、ミギィ=スンがその女衆を殺めたのは事実であったのだ。そのムファの女衆が、スンとルウを争わせるためにミギィ=スンをたぶらかそうとしたので、生命で罪を贖わせた……と、そのように言いたてていた」


「ムファ? 聞き覚えのない氏族だな。ルウの眷族の氏ぐらいは、俺も頭に入っているのだが」


「うむ。ムファは眷族の絶えた家で、氏を守るためにルウと血の縁を結ぼうとしていたさなかであるらしい」


 グラフ=ザザには、いまひとつ理解が及ばなかった。


「そのムファの女衆が、どうしてスンとルウを争わせようとせねばならんのだ? そのような真似をしても、何にもならんではないか」


「その女衆はスン家への嫁入りを願っていたが、家長からルウ家に嫁ぐように命じられたらしい。それで我を失って、ミギィ=スンに無理な婚儀を迫ったのだそうだ」


 そこまで聞いても、グラフ=ザザはやはり釈然としない。


「森辺の女衆が、そのように無法な真似をするものであるのか? 俺が知っているのは血族の人間だけなので、余所の氏族のことはよくわからんのだが……」


「それは俺も同じことだ。ただはっきりしているのは、スンとルウの間に大きな亀裂が生まれたということだ」


 そう言って、家長は鋭く双眸を光らせた。


「その場には、ルウやルティムの長兄を名乗る狩人たちが居揃っていたが……あれはおそらく、いずれ父親たる家長を超える器であろう。お前もうかうかとはしておられんぞ、グラフよ」


「ふん。ミギィ=スンがドムの家長を打ち負かしたというのなら、俺はザザの家長を打ち負かす所存だぞ」


 グラフ=ザザがそのように言いたてると、家長は薄く笑って「それでいい」とつぶやいた。


 そして、その年の収穫祭である。

 口惜しいことに、グラフ=ザザは族長ザッツ=スンに敗れて、その年も勇者の座を得ることはかなわなかった。

 最後まで勝ち残ったのも、やはりザッツ=スンである。グラフ=ザザの父親と同じていどの齢であるザッツ=スンは、今こそが最盛期ではないかという強靭さであった。


 ついに15歳となったミギィ=スンもますます成長し、ジーンの家長を危なげもなく打ち負かしていた。傲岸な気性にも磨きがかかり、もはや暴虐の域である。その野獣じみた気配や眼光は、見るたびにザッツ=スンに似てきているように感じられた。


(あやつらを打ち負かすには、もう数年ほどかかりそうだな。……しかし、決してあきらめはせぬぞ)


 すべての力を尽くしたグラフ=ザザには、後悔も無念の思いもなかった。

 そうして2年ぶりに、スン家における祝宴に身をひたすことになったのであるが――力比べを終えた後、ズーロ=スンはまた行方をくらましてしまっていた。


(何なのだ、あやつは? 祝宴の場を好んでおらんのか?)


 グラフ=ザザが本家に出向くと、ズーロ=スンはそこにいた。

 このたびは手傷を負っているわけでもないのに、また家の中に閉じこもっていたのだ。グラフ=ザザが広間にあがり込むと、2年前と変わらぬ怯えた眼差しを向けられた。


「ひさかたぶりだな、ズーロ=スンよ。このような場所で、何をやっているのだ?」


「べ、別に……騒がしいのは苦手だから、身を休めていただけだ」


「ふむ」と応じながら、グラフ=ザザはズーロ=スンの腕をつかんだ。

 そこに2年分の修練の証を感じ取って、口をほころばせる。


「気性のほうは相変わらずだが、たゆみなく修練を積んでいるようだな。力比べも、まあそれなりの結果だったではないか」


 ズーロ=スンは、ドムとハヴィラの狩人に敗れていた。スン本家の長兄としては物足りないところであったが、相手も決して弱くはなかったのだ。


「思うに、お前は心が弱すぎる。そのようにびくびくしていては、勝てる相手にも負けてしまおう。何か心を鍛える修練でもあれば、いっそうの力を発揮できるだろうにな」


「…………」


「ところで、お前もずいぶん前に婚儀をあげたのであろう? ちょうど同じ頃、俺も婚儀をあげたのだ。もう子を生すことはできたのか?」


「ああ……ちょうどこの前、最初の生誕の日を迎えたところだ」


「なんと! すでに1歳となっているのか! それはめでたき話だな!」


 すると何故だか、ズーロ=スンは涙を浮かべてしまった。

 グラフ=ザザはぎょっとして、ズーロ=スンの泣き顔を覗き込む。


「どうしたのだ? 子が育っているのに、どうして泣く?」


「子は育っているが……伴侶が魂を返してしまったのだ……産後の肥立ちが悪かったとのことで……子が1歳になる姿も見届けられずに、魂を返してしまった……」


 それは森辺において、さほど珍しい話ではなかった。

 しかし、たとえ珍しい話でなくとも、悲運であることに変わりはない。グラフ=ザザは「そうか」と息をついた。


「ならば、お前を惰弱とは責めるまい。俺とて伴侶を失ったら、涙をこぼさずにはいられないだろうからな」


「ああ……それなのに、俺は明日にでも新たな伴侶を迎えなければならんのだ……」


「なに?」と目を剥いてから、グラフ=ザザは納得した。


「……そうか。スン本家の長兄ともなれば、ひとりでも多くの子を生さなければならんからな。俺たちもすでに18歳となってしまったし、ザッツ=スンがそのように命じるのもわからなくはない」


 ザッツ=スンの名を聞いて、ズーロ=スンは身体を震わせた。

 その姿に、グラフ=ザザはこれまで以上の憐みを覚えてしまう。


「お前が気落ちしている理由が、ようやくわかった。それは、あまりにつらかろうな」


 ズーロ=スンは涙に濡れた目で、きょとんとグラフ=ザザを見返してくる。


「お……お前は、そんな風に思ってくれるのか……?」


「うむ? 俺とて、ザザ本家の跡取りであるからな。もしも俺の伴侶がひとりの子しか生さぬままに魂を返してしまったら、父たる家長は新たな婚儀を申しつけてくるだろう。俺にはその言葉にあらがうすべはないし……そして、それがどれだけ苦しい行いであるかも、察しはつく。伴侶を失った苦しみも癒えぬ内に、新たな伴侶を迎えなければならないというのは……素手でギバに立ち向かうほどの苦難であろうよ」


「そうか……わかってくれるのか……」


 ズーロ=スンは、いっそうの涙をこぼしてしまった。

 しかし今日ばかりは、グラフ=ザザも責める気持ちにはなれない。ズーロ=スンは今まさに、その大きな苦難を迎えようとしているさなかであるのだ。


(それにしても……ザッツ=スンの子とは思えぬほどの柔弱さだな。こやつはあまりに、心がやわらかすぎるのだ)


 つい先日には、スン本家の末弟が魂を返してしまったのだと聞いている。そうすると、本家に残された子はこのズーロ=スンただひとりとなってしまうのだった。

 ズーロ=スンは、族長の座を受け継ぐことがかなうのか――それとも彼は森に朽ちて、ミギィ=スンが受け継ぐこととなるのか――そういえば、ミギィ=スンのほうは父親が魂を返してしまい、15歳の若さで家長を継いだのだという話であった。


(何にせよ、子たる俺たちは親たるスンを支えるだけだ。再びルウの血族が刃を向けてこようとも、必ず守り抜いてみせよう)


                       ◇


 それからしばらくは、大きな変転もなく日々が過ぎていった。

 とはいえ、それはルウ家に襲撃されたり家族を失ったりというぐらいの大きな変転が起きなかったというだけで、1日として同じ日が存在するわけはなかった。


 グラフ=ザザの家に限っても、その後の6年ほどで子が6名まで増えることになったのだ。

 婚儀をあげてからは8年ほどが過ぎているが、それでも十分な数であろう。8年で6名もの子を生すことなど、そうそうありえる話ではないのだ。グラフ=ザザの家とて、最後に産まれたのが双子でなければ、これほどの人数にはならなかったはずだった。


 男女はちょうど3名ずつで、どの子も《アムスホルンの息吹》を乗り越えることができた。

 双子の男女も最初は身体が小さかったが、見る見る間に大きく育っていく。特に男児のほうなどは、長兄や次兄に輪をかけてやんちゃな気質であるようだった。


 そして――ズーロ=スンには、4名の子が産まれていた。

 しかしこちらは、いささか事情が異なっている。驚くべきことに、その子らは全員母親が異なっているのだ。

 ズーロ=スンの伴侶となる女衆は、誰もが子を生すとすぐに魂を返してしまったのである。伴侶を失った傷を癒やす間もなく新たな婚儀をあげるという苦難を、ズーロ=スンは3度も繰り返すことになったのだった。


 そして族長ザッツ=スンは、「まだ足りぬ……」と言っていたらしい。

 ズーロ=スンは、5度目の婚儀をあげることになってしまうのだろう。4番目の子が産まれた年の収穫祭において、ズーロ=スンは虚ろに笑っていた。


「俺はもう、何がどうでもかまわない。多くの子を残せることを幸福と思うしかあるまいよ」


 ズーロ=スンは、明らかに心の均衡を崩してしまっていた。

 4名もの子を生しながら、それを慈しんでいる気配もない。最初の子などは望んだ婚儀の結果であろうに、それすらも顧みようとしなかった。


「あの娘を見ていると、自分の不実を責めたてられているような心地になってしまうのだ。お前はわたしの母親を愛していなかったのか、と……そんな声が聞こえてくるみたいなんだ」


 ズーロ=スンは、そんな風に語らっていた。

 グラフ=ザザも、なんとかそれを元気づけたかったが、かける言葉が見つけられなかった。ズーロ=スンがどれほど大きな苦悶を背負っているか、それを想像することも難しかったのである。


(多くの子を生すというのは、特に本家の人間にとっては重要なことだ。そうして俺は6名もの子を授かり、これほど幸福な心地であるというのに……ズーロ=スンには、それが苦難になってしまっている。俺では、ズーロ=スンの苦しみを癒やすこともできないのだろう)


 それでもグラフ=ザザは、悲運のズーロ=スンを見守りたいと願っていた。

 その思いが断ち切られたのは、スン家の収穫祭を終えてすぐのことであった。


「やはりこれほどに家が遠いと、休息の期間を合わせることは難しい……今後はそれぞれの家で、すべての収穫祭を行うこととする……無理なく休息の期間を合わせられる近在の家同士で、収獲の喜びを分かち合うがいい……」


 ザッツ=スンから、そのような命令を下されることになってしまったのだ。

 すべての収穫祭を自分たちの家で行うとなると、もはやグラフ=ザザにはスンの集落を訪れる理由がなくなってしまう。次代の家長たるグラフ=ザザは、婚儀の祝宴でも家長の供になることが許されないのだ。


 今後はもう、ザッツ=スンやミギィ=スンと力比べを行うこともできない。そして、心の均衡を崩してしまったズーロ=スンの去就を見守ることもできない。グラフ=ザザにとって、それは小さからぬ出来事であった。


「これではますます、血族との縁が薄れてしまうではないか? 年に1度、スンの集落で収穫祭を行うというのは、絆を深めるための重要な行いであろう?」


 グラフ=ザザは父親たる家長に詰め寄ったが、その返答はかんばしいものではなかった。


「しかし実際に、これだけ家が離れていては、休息の期間を合わせることも難しい。これまでも、まだ狩り場に森の恵みが残されていながら、無理に時期をあわせていたのだからな。狩人の仕事を重んじるならば、族長ザッツ=スンの決定も間違ったものではあるまい」


 そのように言われては、グラフ=ザザも言葉が続かなかった。

 両親と伴侶と6名もの子に囲まれて、グラフ=ザザはこの上なく幸福である。その幸福な生活の中に、ぽつんと黒いしみが広がっているような、そんな心地であった。


 しばらくして、ズーロ=スンが5度目の婚儀をあげるという話が届けられた。相手は分家の女衆であり、家長たちが祝宴に招かれることもなかった。

 そののちに、ザザの分家の男衆がスン家に婿入りすることになり、その際はひさびさに眷族も祝宴に招かれることになった。


「ズーロ=スンの伴侶は子を生したが、魂を返してはいなかったぞ。どうにも暗い面持ちであったが……まあ、それは他の家人も同じことだからな」


 祝宴の翌日には、家長からそのような話を聞くことができた。

 5番目の伴侶が生き永らえているのはめでたきことであるが、どうにも引っかかる言いようである。


「暗い面持ちとは、どういうことだ? スン家で何か災いでも生じたのか?」


「いや、とりたててそのような話は聞いていないのだが……最近のスン家の家人たちは、妙に生気に乏しいのだ。病魔で魂を返す人間も少なくないという話だが……いったいどうしたのであろうな」


 家長もまた、ずいぶん気がかりそうな面持ちであった。

 そして、それから数日後――スン家に婿入りしたザザの男衆が、森に朽ちたという報せが届けられた。

 その男衆は若年であったし、北の狩人としてそうまで秀でた力を持っていたわけではない。さりとて、それほど不出来な人間を婿に出すわけもない。それがスン家に移り住んで、わずか数日で魂を返してしまったというのは――あまりに不吉な話であった。


(いったいスン家は、どうしてしまったのだ?)


 グラフ=ザザは、そんな煩悶を抱えることになってしまった。

 心の中に残された黒いしみが、じわじわと大きくなっていくような心地である。


 そんな心地を抱えたまま、4年もの日が過ぎ去って――グラフ=ザザが28歳となった年、ミギィ=スンの死が伝えられることになった。

 さらにはザッツ=スンが病魔に倒れ、ズーロ=スンが族長の座を受け継ぐことになったのである。

 立て続けにそのような話を知らされたグラフ=ザザは、何をどのように考えればいいのかもわからなくなってしまった。


(どれだけの力を持っている狩人でも、森に朽ちることはある。ミギィ=スンが森に朽ちても、驚く必要はないのだろうが……しかし、ザッツ=スンまでもが病魔に倒れてしまおうとはな……)


 とはいえ、ザッツ=スンも47歳かそこらにはなっている。病魔に見舞われていなくとも、そろそろ狩人としては働けなくなる頃合いであろう。同じ年頃であるグラフ=ザザの父親も、いつ家長の座を受け渡すべきかと思い悩んでいるさなかにあったのだ。

 しかしそれでも、4年に渡ってスン家から遠ざかっていたグラフ=ザザには、青天の霹靂としか思えないような変転ばかりであった。


(ミギィ=スンは森に朽ち、ズーロ=スンは生き永らえている。……ならば、母なる森がズーロ=スンに族長の座を与えたということなのであろう。それは、めでたきことであるに違いない)


 心中に吹き荒れるさまざまな思いを噛み殺して、グラフ=ザザはそのように考えるしかなかった。

 父親がグラフ=ザザに家長の座を譲ると決断したのは、その翌年のことである。


「願わくは、魂を返すその瞬間まで狩人として働きたいところであったが……この身体には、もはや満足な力も残されてはいない。今後は、お前がザザの家を導くのだ」


「うむ。そのような齢まで狩人として働けた人間は、北の集落にもなかなかいなかった。俺は心から、父たる先代家長を誇りに思っているぞ」


 そんな言葉を交わしてから、ふた月も経たぬ内に父親は魂を返してしまった。

 病魔なのか老衰なのか、それすらもわからない。北の集落において、狩人の仕事から退いた男衆は、こうして燭台の火を消されるようにふっと魂を返してしまうことが多かったのである。


 グラフ=ザザの幼い子たちはみんな泣いてしまっていたが、グラフ=ザザが涙をこぼすことはなかった。

 父親は、己の力を余すところなく使い果たして、母なる森の腕に抱かれたのだ。50年近くも生き永らえて立派に仕事を果たした父親は、グラフ=ザザの誇りそのものであった。


(俺もすでに29歳となってしまったが……親父ぐらい長く生き永らえて、子らに家長の座を受け継がせてみせよう)


 グラフ=ザザの長兄は11歳で、次兄は8歳、末弟もすでに6歳になっていた。

 自分が父親の背を見て育ったように、この子らはグラフ=ザザの背を見て育つのだ。そのように思えば、腹の底から力がわき起こってくるかのようだった。


(それにこれからは、家長としてスンの家におもむくことも許される。新たな族長ズーロ=スンのために、子としての役目を果たしてみせよう)


 そんな思いを胸に、グラフ=ザザはその年の家長会議に臨むことになった。

 父親の供として家長会議に参席してから、すでに10年以上の歳月が流れている。ズーロ=スンと再会するのも、およそ5年ぶりである。

 あの気弱そうなズーロ=スンがどのような成長を果たしたのか、グラフ=ザザはひそかに心を躍らせていたのだが――そこに待ちかまえていたのは、思いも寄らぬ姿であった。


「おお、お前はたしか、ザザの次兄の……たしか、グラフ=ザザといったか……ついにお前が、家長の座を受け継ぐこととなったのだな……」


 家長会議の場において、新たな家長として名乗りをあげたグラフ=ザザは、そのような言葉をかけられることとなった。


「今後もスンの眷族の筆頭として、我の力になってもらいたく思うぞ……では、家長会議を開始する……」


 ズーロ=スンは、このように勿体ぶった喋り方をする人間ではなかった。

 まるで――ザッツ=スンの重々しい口調を、上っ面だけなぞっているかのようである。


 そしてズーロ=スンは、外見からして変貌してしまっていた。

 もともと体格には恵まれていたが、それがぶくぶくと肥え太ってしまっている。森辺でこれだけ肥え太った人間など、そうそう存在しないことだろう。


 しかしその胸もとには、誰よりも膨大な数の牙と角が下げられていた。

 ならばズーロ=スンは、誰よりも強い力でギバを狩っているということになるのだ。

 あのぶよぶよとした脂肪の下には、それ以上の筋肉が隠されている。誰よりも肥え太っているのは、誰よりも豊かな生活を送っている証である――そのように思うしかなかった。


(しかし……まるで5年前とは、別人であるかのようだ)


 いつも気弱そうに視線をさまよわせていたその双眸は、なんだか脂ぎった輝きをたたえている。

 そのたるんだ顔にへばりついているのは、内心の知れない薄笑いだ。


 ザッツ=スンやミギィ=スンが備え持っていた気迫や力感などは、微塵も感じられない。

 それでいて、ズーロ=スンは不遜であった。他者を見下し、愉悦にひたっているような――そんな好ましからぬ気配が匂いたってしまっていた。


 ズーロ=スンは、正しく育つことができなかったのだ。

 偉大に過ぎる父親に抑圧され、分家の家長に過ぎないミギィ=スンに侮られ、望まぬ婚儀を何度も繰り返し――このような人間に育ってしまったのである。


 しかもズーロ=スンは、ルウの血族を恐れてしまっていた。

 表面上は泰然とした態度を取りつくろっているが、ルウの家長――こちらも、黒褐色の髪をした男衆に代替わりしている――が声をあげるたびに、へつらうような笑みを浮かべて、その言葉をのらりくらりと受け流していた。


 ズーロ=スンには、狩人の誇りも育っていない。

 たとえどれだけのギバを狩ることができても、それでは未熟者である。グラフ=ザザの知る、ミギィ=スンと同様の存在であった。


 ただし、ミギィ=スンは傲岸であり暴虐であったが、ズーロ=スンは小心であり脆弱だ。どれだけ不遜な態度でも、その下に隠されているのは、やはり気弱な素顔であるらしかった。


(ザッツ=スンは、次代の族長を育て損なった……ザッツ=スンは誰よりも強大な力を持つゆえに、弱き人間の心を察することがかなわなかったのではないだろうか?)


 グラフ=ザザは、忸怩たる思いであった。

 そして――自分がどれだけ重い役目を背負わされているかも、思い知ることができた。


(スン家を守り、正しき道に引き戻すのだ。たとえルウの血族にどれほどの狩人が育っていようとも……俺がスン家を守ってみせよう)

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― 新着の感想 ―
[一言] 今回もミギィ=スンは新たな心情など語られることなく魂を返してしまったか。 ミギィ=スンやザッツ=スンの語られていなかった側面が語られることもあるんじゃなかろうかと、また期待しておきます。
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