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異世界料理道  作者: EDA
第五十五章 群像演舞~六ノ巻~
951/1680

    分かたれた道(二)

2020.9/25 更新分 1/1

 グラフ=ザザがズーロ=スンと再会することになったのは、家長会議から数ヶ月後の収穫祭であった。

 収穫祭は年に3回ほど行われるが、すべての血族が集まるのは年に1回とされている。スンの血族は家が遠いため、休息の期間を重ね合わせるのが難しいためである。


 また、ディンやリッドなどはひときわ家が遠いため、どのようにあがいても休息の期間を重ねることがかなわない。よって、家長と何名かの供だけが、力比べと宴料理の準備に加わるばかりであった。

 しかしそれでも、スン、ザザ、ドム、ジーン、ダナ、ハヴィラの6氏族は、血族のほとんどが集結するのだ。誰にとっても、それは心の躍る一日であるはずであった。


(とりわけ楽しみなのは、なんといっても力比べだ。かなうことなら、ズーロ=スンやミギィ=スンとも手合わせを願いたいところだな)


 そんな思いを胸に、グラフ=ザザは再びスンの集落を目指すことになった。

 長兄も、嬉しそうに瞳を輝かせている。


「噂に聞くミギィ=スンという者がどれほどの狩人であるのか、楽しみなところだ。さすがにこれだけの狩人が集められると、俺やお前が勇者の座を得ることは難しいだろうがな」


「そんな気弱なことでどうする。子たるザザがどれだけの力を持っているか、それをスン家の者たちに見せつけてやるべきであろうよ」


 族長ザッツ=スンと北の集落の家長たちが勇者の座を逃すことは、そうそうありえない。ならば残りの4名の座を、他の狩人らと奪い合わなければならないのだ。北の集落には優れた狩人らがひしめいているし、グラフ=ザザたちにとっては他の血族の家長らも決して侮れる相手ではなかった。


 スンの集落に到着したならば、まずは刀と狩人の衣を預ける。

 グラフ=ザザが狩人の衣を脱ぎ捨てると、それを受け取ろうとしたスン家の女衆が「まあ」と目を見開いた。


「大変な傷痕でありますね……今にも血を噴き出しそうなご様子ですが、痛んだりはしないのでしょうか?」


「うむ。べつだん、大事ない」


 昨年の収穫祭では悪い風が入らないように、包帯を巻いたまま力比べに挑んでいたのだ。

 また、スン家においては装束を纏ったまま力比べを行うため、肩や背中の傷痕は見られずに済む。グラフ=ザザは決してこの傷痕を恥じたりはしていなかったが、やたらと心配そうに声をかけられるのは煩わしいことだった。


「では、力比べを開始する……昨年の力比べで8名の勇者となった狩人は、こちらに集まるがいい……」


 族長ザッツ=スンのもとに、7名の狩人が集結した。

 北の集落の家長が3名に、ザザの家人が1名、ドムの家人が2名――それに昨年は組み合わせの妙で、リッドの家長も勝ち残っていた。この1年で、誰ひとりとして魂を返していなかったのは、幸いである。


 グラフ=ザザや長兄は北の集落で行われた3氏族の収穫祭で勇者となっていたが、それは勘定されないのだ。この1年でグラフ=ザザたちがどれだけの力をつけたか、それを血族らに示す所存であった。


「力比べの取り決めは、昨年までの通り……3名の相手を下す前に、2名の相手に下された者は、そこで退くものとする……また、昨年の勇者に挑むのは1回限りである……」


 そして、最初はなるべく別の家の人間に挑むのが、スンの収穫祭の習わしとなる。その段階で、スンと北の一族を除く狩人らは、おおよそ退くこととなってしまうのだ。


 グラフ=ザザは真っ先に、ザッツ=スンに挑むことにした。

 だがやはり、もう10年ばかりも負けを知らない族長には、あらがうすべもなかった。もはや体格に大きな差はないのに、ザッツ=スンは岩のように重く、グラフ=ザザが全力でぶつかってもびくともしない。そうして次の瞬間には、呆気なく地面に転がされてしまっていた。


(ザッツ=スンが老いる前に、俺はそれ以上の力をつけることができるだろうか……願わくは、それまで生き永らえたいものだ)


 その後、グラフ=ザザは自分で挑んだジーンの狩人と、相手から挑まれたハヴィラの狩人に打ち勝つことができた。

 あと1名に打ち勝てば、勇者を定める戦いの場まで進むことができる。その相手を誰にすべきか、グラフ=ザザは思案した。


(ミギィ=スンは、どうせ勝手に勝ち進んでくれるだろう。ならば、ズーロ=スンに挑んでみるか)


 そのように考えて視線を巡らせたが、これだけの人数であるのでなかなか見つからない。

 グラフ=ザザは、さきほど狩人の衣と刀を手渡したスンの女衆に聞いてみることにした。


「おい。スン本家の長兄たるズーロ=スンを見なかったか?」


 男衆らの勝負に頬を火照らせていた女衆は、「いえ」と首を横に振った。


「ズーロ=スンは狩りの仕事で手傷を負ったため、力比べには加わっておりません。ずっと姿を見ないので、どこかの家で休んでいるのではないでしょうか?」


「なに? それほどの深手を負ってしまったのか?」


「いえ。木から落ちて足首をひねっただけと聞いておりますので、それほどの深手ではないかと思われます」


 グラフ=ザザは、がっくりと肩を落とすことになった。


(このような時期にそんな理由で手傷を負ってしまうとは、なんと迂闊なやつだ……それなら、ミギィ=スンにでも挑ませてもらうか)


 グラフ=ザザがそんな風に考えたとき、ひときわ大きな歓声が巻き起こった。

 振り返ると、ミギィ=スンの巨体が広場に立ちはだかっている。その足もとにうずくまっているのは――グラフ=ザザの、兄であった。


「おい、大丈夫か!」


 長兄がなかなか立ち上がらなかったので、グラフ=ザザが駆けつけることになった。

 長兄は弱々しくうめきながら、「大丈夫だ……」と声を振り絞る。


「背中をずいぶん痛めてしまったが、骨までは折れておらぬだろう……この勝負は、ミギィ=スンの勝利だ……」


「当たり前だ。これだけ手加減してやったのに、骨など折れてたまるか」


 ミギィ=スンは、厳つい顔でせせら笑っていた。

 グラフ=ザザは、その醜い笑顔をおもいきりにらみつけてみせる。


「ならば次は、俺が挑ませてもらおう。しばらく休んだら、相手を願いたい」


「ふん。俺はこれで、3名の相手を打ち負かしたのだ。俺と勝負をしたければ、貴様もさっさと勝ち上がってくるがいい」


 同じ笑みをたたえたまま、ミギィ=スンはそのように言葉を重ねた。


「しかし、ザザの長兄もドムの長兄も、思ったほどの力量ではなかったな。北の一族は勇猛と聞いていたのに、これでは拍子抜けだ」


 グラフ=ザザが怒鳴り返そうとすると、それはザッツ=スンによってさえぎられた。


「ミギィ=スンよ……それは、貴様の力が抜きんでているゆえであろう……ザザの長兄もドムの長兄も、決して恥ずべき力量ではなかった……それよりも遥かにまさる己の力を、誇りに思うがいい……」


「はい。偉大なる族長ザッツ=スンのお言葉こそ、俺にとっては何よりの誇りとなりましょう」


 ミギィ=スンは恥ずかしげもなく、恭しげに一礼した。

 長兄に肩を貸しながら、グラフ=ザザはなんとか舌打ちをこらえる。

 そうして祭祀堂の手前まで運んでやると、長兄は苦笑まじりに言った。


「あやつはきっと、あえて俺やドムの長兄に挑んだのだろうな……いずれ家長となる俺たちに、力の差を見せつけたかったのだろう」


「……あやつはすでに3名を打ち負かしたと言っていたが、最後のひとりは誰であったのだ?」


「昨年の勇者であった、リッドの家長だ……そちらも、まったく相手になっていなかったな」


「そうか。だったら俺が、勇者を決める戦いで思い知らせてやる」


 その後、グラフ=ザザはドムの狩人に挑み、これに勝利した。

 3名に勝ち抜いた人間が16名となったところで、最初の勝負の終わりが告げられる。その中にリッドの家長やドムの長兄の姿はなく、代わりにハヴィラとディンの家長が勝ち進んでいた。


(昨年の勇者が7名と、ミギィ=スン。ジーン本家の長兄に、俺とザザの家人が2名……それに、スンの家人が2名か)


 そのスンの家人の1名は、あのテイ=スンという気配の薄い男衆であった。家長会議の後に聞いた話によると、そのテイ=スンはザッツ=スンからの信頼も厚く、ジェノスの貴族と対面する際にも同行しているのだという話であった。


(まあこの際、他の人間はどうでもいい。母なる森よ、俺をあのミギィ=スンと闘わせてくれ)


 これは神聖なる力比べであるのだから、兄の仇を討つなどという思いはない。

 しかしそれでも、あの無礼な存在を放っておくわけにはいかなかった。あの傲岸なる振る舞いの裏に、どれだけの力量が隠されているのか――それを確かめずにはいられなかったのだ。


 フィバッハの蔓草を使ったくじ引きによって、対戦相手が決められる。

 果たして――グラフ=ザザの相手は、ミギィ=スンであった。


「ほう、本当に勝ち進んできたのか。ザザの次兄など、俺の眼中にはなかったのだがな」


 ミギィ=スンは、あくまで傲岸な態度を崩さなかった。

 そして――その力量は、グラフ=ザザの想像以上であった。

 体格は、13歳にしてグラフ=ザザよりもまさっている。それでも勝負は身体の大きさだけで決まるものではないと、グラフ=ザザは正面からぶつかっていったのだが――ミギィ=スンは、微動だにしなかった。その巨体から感じ取れるのは、ザッツ=スンに匹敵するほどの力感であった。


 グラフ=ザザは、10を数える前に投げ飛ばされてしまっていた。

 ミギィ=スンは、本当に並々ならぬ力を持つ狩人であったのだ。それだけは、認めざるを得なかった。


(新たな目標が見つかった。俺は親父やザッツ=スンよりも、まずこのミギィ=スンを打ち負かすだけの力をつけるべきであるのだ)


 あまりの力の差を見せつけられて、グラフ=ザザはいっそ清々しいほどであった。

 ミギィ=スンは、これほどの力を持っている。ならば、自分よりも弱き相手の言葉など耳に入らないことだろう。その傲岸なる性根を叩き直すには、まずミギィ=スンをも上回る力を身につける他なかった。


(まさか、自分よりも年若い人間にこのような気持ちを抱かされるとはな。族長や親父の背中を追うよりも、いっそうたぎるものがあるではないか)


 そんなグラフ=ザザの熱情もよそに、力比べは粛々と進行されていった。

 ザッツ=スンはテイ=スンを打ち負かし、ドムの家長はハヴィラの家長を打ち負かし、それぞれ勇者の座を獲得する。そのたびに、戦いの場を取り巻く家人たちは歓声をあげていた。

 ジーンの家長はグラフ=ザザの父親と当たってしまい、ここで退くこととなった。ジーンの家長が勇者の座を逃すというのは残念な限りだが、こればかりは母なる森の思し召しだ。いっぽうで、ディンの家長はスンの家人を打ち負かして、勇者の座を獲得していた。


 さらに勝負が進められて、最後の4名まで勝ち進んだのは、ザッツ=スンとミギィ=スン、ザザの家長とドムの家長である。

 ミギィ=スンは意想外なほど呆気なく、ザッツ=スンに敗れてしまっていた。もちろん手心を加えたわけではなく、ザッツ=スンの気迫に圧倒されてしまったのだろう。ミギィ=スンですら、ザッツ=スンの前にはあらがうすべがなかったのだ。


 また、グラフ=ザザの父親たるザザの家長は、ドムの家長に敗れてしまった。北の一族のみで行われる力比べにおいても、両者の力は拮抗していたのだ。これは、ドムの家長を賞賛するしかなかった。

 そして、そんなドムの家長でも、やはりザッツ=スンにはかなわなかった。ミギィ=スンよりは粘っていたが、それでも接戦と呼べるような勝負ではなく、本年も族長ザッツ=スンの力量を思い知らされる結果と相成った。


(親筋たるスン家の力を思い知らされるのは、むしろ喜ばしいことであろう。……しかし、親の存在を超えることこそが、子の役割であるはずだ。族長の座を脅かす気などはさらさらないが、ひとりの狩人としてはいずれ乗り越えさせていただくぞ)


 斯様にして、グラフ=ザザは満ち足りた心地であった。

 力比べを終えたならば、あとは豪勢な宴料理で腹を満たして、祭祀堂で眠るばかりだ。

 ただ――グラフ=ザザには、ひとつだけ心残りが存在した。

 それを解消するべく、今度はスンの男衆に声をかけることにした。惜しくも勇者の座を逃した、テイ=スンなる狩人である。


「おい。本家の長兄たるズーロ=スンは、祝宴の場にも顔を出さんのか? 俺は挨拶をさせてもらいたいのだが」


 テイ=スンは、けげんそうにグラフ=ザザを見返してきた。まだそれほどの齢でもなかろうに、髪にはいくぶん白いものが混じっている。やっぱりどこか、老人めいた雰囲気を持つ男衆であった。


「ズーロ=スンは足を痛めているので、広場を歩き回ることも難しいのだろう。今も本家で身を休めているはずだ」


「本家か。承知した」


 グラフ=ザザは儀式の火に照らし出される祝宴の様相を横目に、ひっそりと静まりかえった本家の家屋へと近づいていった。

 家の前で足を止め、声をかけようと思った瞬間、扉が開かれる。そこから現れたのは、ミギィ=スンの巨体であった。


「うん? ザザの狩人が、本家に何用だ?」


「本家の長兄たるズーロ=スンに、挨拶に来た。家に入る許しをもらえるだろうか?」


「挨拶?」と、ミギィ=スンは口もとを歪めて笑った。


「あんな腰抜けに挨拶をしても、得るものなどなかろうよ。まさか貴様は、あの腰抜けが族長を継ぐとでも考えているのか?」


「……誰が次代の族長となるかは、母なる森の思し召しであろうよ。家に入る許しをもらえるのかもらえないのか、どちらなのだ?」


「俺は本家の人間ではないのだから、知ったことではない。臆病な気性が伝染してしまわぬように、せいぜい気をつけることだな」


 濁った笑い声を響かせながら、ミギィ=スンは祝宴の場に立ち去っていった。

 その大きな背中を見送ってから、グラフ=ザザは薄暗い屋内に呼びかける。


「おい、挨拶をさせてもらいたいのだが、いいだろうか?」


「だ、誰だ?」というのが、ズーロ=スンの返答であった。何かに怯えているかのような声音である。


「俺はザザ本家の次兄、グラフ=ザザという者だ。スン本家の長兄たるズーロ=スンに挨拶をさせてもらいたく思い、出向いてきた」


「ザ、ザザの次兄が俺なんかに何の用だよ……?」


 グラフ=ザザの位置からは見えないが、声はそれほど遠くないので、広間で身を休めているのだろう。その弱々しげな声をいぶかしく思いながら、グラフ=ザザは言葉を重ねてみせた。


「だから、挨拶に来ただけだ。家人の許しを得ぬ限り、家の中に足を踏み入れることは許されん。どうか許しをもらえないだろうか?」


「べ、別にかまいはしないけれど……」


 それを入室の許しと解釈して、グラフ=ザザは土間に足を踏み入れることにした。

 広間の奥に燭台が灯されており、そこに大柄な人影が浮かびあがっている。グラフ=ザザは戸板を閉めて、革の履物を脱ぎ捨てた。


「身を休めているところを、悪かったな。家長会議では言葉をかわすこともできなかったので、挨拶をさせてもらおうと思ったのだ」


 グラフ=ザザは、ズーロ=スンのもとまで歩を進めた。

 記憶にある通りの、気弱そうな目つきをした若い男衆の姿である。敷物に投げ出された右足の先には、灰色の包帯が巻きつけられていた。


「木から落ちて、足首を痛めてしまったそうだな。お前と力比べをしたいと思っていたので、残念なことだ」


 グラフ=ザザが適当な場所に腰を下ろすと、ズーロ=スンはたちまち目を泳がせた。


「ど、どうして俺なんかと力比べを……? 俺が何か、気を悪くさせるような真似をしてしまったのか……?」


「うむ? 気を悪くさせるとは、何の話だ?」


「だ、だって、力比べで俺を痛めつけたかったんだろう……?」


 グラフ=ザザは、心底から呆れかえることになった。


「お前は何を言っているのだ? 収穫祭の力比べとは、母なる森と血族らに狩人の力を示すための、神聖な儀式だ。たとえ気に食わない相手がいたとしても、力比べの場で意趣返しをするような真似は許されまいよ」


「そ、それじゃあこの場で、俺を痛めつけるつもりなのか……?」


 ズーロ=スンは震える声で言いながら、壁に背中がぶつかるまで後ずさってしまった。

 グラフ=ザザは、ますます呆れるばかりである。


「お前が何を言っているのか、俺にはさっぱりわからんぞ。……もしかしたら、ミギィ=スンに何か言われたのか?」


 ミギィ=スンの名を耳にするなり、ズーロ=スンはびくりと震えあがった。

 グラフ=ザザは、大きく溜め息をついてみせる。


「あのなあ……あいつは図体が大きいし、13歳の若さで勇者になるほどの力量だが、それでもいまだ狩人の誇りを知らぬ未熟者だ。あのような者の言葉に惑わされる必要はないのだぞ?」


「だ、だけど……」


「あやつはぞんぶんに慢心しているようだから、次代の族長は自分だなどと思いあがっているのかもしれん。ならば、本家の長兄たるお前にどのような態度を取っているかも、おおよそは想像がつく。……しかしそんなのは、道理を知らぬ幼子が騒いでいるようなものだ。あやつを黙らせたいのなら、あやつ以上の力を身につける他あるまい」


「お、俺のような出来損ないが、ミギィ=スン以上の力を身につけることなんてできるはずがない……」


 いい加減に腹が立って、グラフ=ザザは「あのなあ」と詰め寄ってしまった。

 ズーロ=スンは壁にぴったりと背中をつけて、「ひっ!」と咽喉を鳴らす。本当に、幼子のような怖がりようである。


「お前はおかしいぞ、ズーロ=スンよ。それほど立派な身体をしているのに、どうしてそうまで意気地がないのだ?」


 グラフ=ザザは、ズーロ=スンの二の腕をわしづかみにした。

 ズーロ=スンはほとんど泣き顔のような面相になってしまっているが――その腕には、確かな力の脈動が感じられる。


「ズーロ=スンよ、お前は何歳であるのだ?」


「お、俺は16歳だが……」


「それなら、俺と同い年だな。ならば決して、恥ずることはない。お前がどれだけの修練を積んできたかは、この肉体に示されている」


 そう言って、グラフ=ザザはズーロ=スンの腕を解放した。


「俺だって今日は族長にもミギィ=スンにもやられてしまったが、いつかは絶対に乗り越えてみせると誓ったのだ。お前もスン本家の長兄として、覚悟をもって生きるがいい」


「か、覚悟って言われても……」


「何も特別な話ではない。これまで通りに修練を積んで、ギバ狩りの仕事を果たすのだ。母なる森は、いつでもお前を見守ってくれているからな」


 そうしてグラフ=ザザは、苦笑をこぼすことになった。


「まったく、親筋の人間をこのように諭すことになるなどとは考えてもいなかったぞ。どうしてお前は、そうまで俺に怯えているのだ?」


「お、俺はその、北の狩人の衣が苦手なんだよ……こんな暗がりだと、ギバと向かい合ってるような心地になってしまって……」


「この狩人の衣が、気に食わんのか」


 グラフ=ザザが狩人の衣を頭からむしり取ると、ズーロ=スンは「ひゃー!」と女のような悲鳴をあげた。

 グラフ=ザザは笑いながら、すっかり毛も生えなくなってしまった頭の古傷を撫でさする。


「この姿が、そんなに恐ろしいのか? まったく、意気地のないやつだ」


「そ、そ、その傷は……? そんな身体で、力比べをやりおおせたのか……?」


「これはもう、2年近くも前の古傷だ。今さら痛んだりはしない」


 グラフ=ザザは狩人の衣をかぶりなおし、あらためて言いつのった。


「この古傷は俺が未熟者であった証であると同時に、狩人としての誇りにもなった。力を尽くせば、どのような苦難でも乗り越えられるのだ。族長筋の本家の長兄として生まれつくというのは、それ自体が大きな苦難なのかもしれんが……それを乗り越えれば、またとなき力と誇りを得ることができよう。そのつもりで、お前も力を尽くすがいい」


 それだけ言って、グラフ=ザザは立ち上がった。

 ズーロ=スンがどこまで自分の言葉を理解したかはわからない。しかし彼は、自分と同じく16歳であるのだ。その身には、自分と同じほどの可能性が秘められているはずだった。


(何も焦ることはない。一歩ずつ進んでいけば、すべてが己の力となる。同じ齢である俺たちは、きっと同じ光景を見ながら進むことができるだろう)


 そんな風に考えながら、グラフ=ザザはスンの本家を後にした。

 これで最後の心残りも、解消することができた。あとは眠くなるまで飲んで騒いで、この日の喜びを味わい尽くすばかりである。


(次に会うとき、ズーロ=スンがどれだけ成長しているか、楽しみなところだ。何も成長していなかったら、せいぜい尻を叩いてやることにしよう)


 グラフ=ザザは、そのように考えていた。

 しかし――両者が再び相まみえるのは、グラフ=ザザが考えていたよりもずいぶん長きの時間が過ぎてからであったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言]  ふと、思ったのですが……  グラフ=ザザが言った「苦難を乗り越えた後の力や誇り」と言う言葉が、後のズーロ=スンが苦役を果たす際の心の支えになっていたのかも……と思えてしまう。
[気になる点] 北の部族がアスタの料理や行動による変革をどう思ってたかの心情を是非描いてください。
[一言] 若いグラフ=ザザ、良い奴やん
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